蹂躙
涙が出るかと思った。
けれど、信じられない、という気持ちが、それを奪っていった。
次に出たのは。
シンプルな言葉だった。
「……エミりん、こんなとこで何してんの。皆んなで一緒に帰ろうよ」
「ねえ、瑠衣。私、あんたのこと大好きだよ。今までカガミンが言うことが正しいって、ずっと信じてきた。でも、あんたが言うことも単純だけど正しいんだね。正解って、色々あるんだ、一つじゃないんだね」
エミりんが、息をつく。
「大事なのは何を選ぶか、なんだ。ねえ、竹っちもそう思わない? でも私、どちらも正論なら、カガミンを選ぶよ」
ごめんね、瑠衣……。
エミりんがいつもじゃない表情を作っている。
私の知らない顔を。
「先生は、知っていたの?」
私は、隣にいる竹澤先生に問うた。
けれど、先生は無言を貫いた。
「……竹っちは知っていたよ。だって、最初は私が竹っちに頼まれたんだもん。学校ではお前が瑠衣を見ていてくれってね。さすがに一日中張りついていられないから、そこは役割分担ってことで」
「そんな、」
私は信じられないという気持ちと、何も知らなかった自分が情けない気持ちで押し潰されそうになった。
いつも仲良くしてくれたのは、私を利用するためだった?
嫌な考えが次々と湧いてくる。
違う‼︎
こんなの私じゃない、私じゃない‼︎
「お前もか、お前も各務を選ぶのか、竹」
善光先生が、低く、低く何かをはらんだ声で言う。
「…………」
無言の先生に何かを感じ取ったのだろうか、それを機に能力者たちがそれぞれの動きを始めた。
エミりんの手の上で、水の塊のようなものが、うようよとその身をくねらせて大きくなっていく。
水を操るんだ、そう思った時にはもうそれはバレーボールほどの大きさに膨らんでいた。
「エミりん、やめてっ」
私は、竹澤先生の元を離れて、エミりんに駆け寄ろうとした。
けれど、その進路はライズの大きな身体に阻まれてしまった。
もう少しで、ライズの背中にぶつかりそうになる。
「ライズさんっ、どいて‼︎」
横をすり抜けようとして、片腕で阻止される。
私はその腕を振りほどこうと必死で抵抗した。
すると、呆気ないほどにするりと腕が解ける。
慌てて見る。
能力者全員の顔を、水の球体のようなものが覆っている。
皆が一様に、息のできないその苦しさから逃がれるため、水に手を突っ込んだり、手で払ったりしている。
けれど、水飛沫だけが、虚しく飛び散っているだけだった。
がぼっ、とウェイリンの口から、大量の泡が出る。
メイファが、がくりと膝を落とした。
私は、目の前の信じられない光景に固まっていた。
周りを取り囲む、呆気にとられた自衛官と同じように。
善光先生を見る。
苦しそうに、もがき苦しむ。
その表情。
どうしよう、どうしたら良い?
そんな単純な問いに、答えを出せるような冷静さ。
吹っ飛んでしまって、どこにもない。
このままでは、皆んなが死んでしまう。
ぞくっと、私の中で。
恐怖が、首をもたげて笑う。
その時、顔を覆っていた水の塊に変化が現れた。
ほぼ球体であったはずなのに、色々な形に変化しながら、二倍ほどの大きさに膨れ上がる。
水の塊の中に、二重に何か空間のようなものができている。
はあはあと背中を揺らして息をする、皆んなのその様子からいくと、どうやら空気の層ができているようだ。
「崎さんっ‼︎」
私は叫んだ。
これ、崎さんの力だ‼︎
そのまま空気の層は膨らんでいき、水の塊を飛び散らせた。
その飛沫が。
周りを囲んでいた自衛官にかかる。
すると、あちこちで悲鳴が上がった。
「うわっ、痛っ‼︎ 何だ、これはっ‼︎」
騒ぎ出す自衛官たち。
何があったのと思うと同時に、私にも飛沫が飛んで来て理解する。
バチっと、刺すような痛み。
「痛っ」
周りを見回すと、ライズが両手を広げているのが目に入った。
そして理解する、ライズがこの飛沫に電気を含ませている、と。
この静電気を強くしたような、びりっとくる痛み。
「う、うわああ」
自衛官たちは、各々が顔を覆ったり、飛沫を振り払おうとして腕を払ったりしていて、パニックに陥っている。
その度に、その飛沫がバチっバチっと音を立てて、あちこちで光る。
自衛官たちの叫び声。
そして、その痛みから逃れようと、散り散りになって後ろへと後ずさる。
すごい、相談なしのこの連携プレー。
仲が悪そうにみえたけれど、この絶妙な息の合いようと言ったら。
その光景に、私は気を取られていて。
背後から、忍び寄ってきた各務に気づかなかった。
羽交い締めにされて、しまった、と思うと同時に、途端に寸分も動けなくなる。
「竹澤、ドームに移動だ」
各務に身体を掴まれると、後ろへズルズルと引き摺られていく。
私を掴もうとしたライズの手が、私の肩を掠めた。
「嫌だっ、離してっ‼︎」
「瑠衣っ‼︎」
善光先生の叫ぶ声がする。
私は力一杯、身体をバタバタさせて、抵抗を試みた。
けれど、大人の男の人の力は、とにかくすごく、まるでビクともしない。
結局は、引き摺られるようにしてエレベーターに乗せられ、地下にあるドームに連れてこられた。
先生たちはまだ来ない。
自衛官たちに抑えられているのだろうか。
後ろから首を掴まれ、苦しいのと痛いのもあるけれど、エミりんのことで頭の中も、ぐちゃぐちゃに混乱している。
「さあ、お前の中に入るぞ」
首を掴む手に力が入る。
「う、ぐう。嫌、だあ」
「くそっ、何だ、入れんぞ‼︎ この指輪か、外せっ」
手首を捻り上げられて、骨が折れるのかと思った時、バシッと衝撃があった。
「止めろ、乱暴にするな!」
竹澤先生が、各務の手首を掴んでいる。私は身体が拘束から解放され、その場に崩れ落ちた。
吐きそうになり、口を押さえる。
「う、うえ、ごほごほっ」
「竹澤、邪魔する気か。その手を離せっ」
腕を振り上げると、そのまま先生の横っ面を張った。
そして、直ぐに私の手首を掴むと、小指から指輪を外して壁の方へと投げつける。
リングはカランカランと音がして、転がっていった。
「あ、」
私は再度、捻り上げれらた。
そして。
各務の意識が、無理矢理入ってくる。
私は入られまいと意識の回線を切る。
けれど、ぐいっと押されてねじ込まれるようにして、それは入ってきた。
圧倒的な各務の意思の強さと強引さを思い知らされる。
そして、同時に。
その強さに、打ちのめされる。
細胞を侵食される感覚にひたすら耐える。
それは、竹澤先生の時のものとは違う、優しさの欠片もない、支配者のものだった。
蹂躙、という言葉が浮かぶ。
踏み荒らされ、押さえつけられて床に頭をこすりつけられるような、今までにない屈辱的な強さ。
細胞が。
徐々に塗り替えられていく感覚。
赤だったのを無理矢理、青にされるような。
いや、そうではない。
全てが、どす黒く、塗り潰されていくような。
「うわあぁ、うぁ」
口が、勝手に悲鳴を上げる。
私の意識は隅に追いやられるようにして、その姿を小さくしていった。
そして、そのまま縮こまってしまい、すくみ上がった。
腕を掴まれて、身動きが取れないように。
小さな狭い檻に、無理矢理押し込められるように。
乗っ取られた。
身体を勝手に。
意識こそ手離さなかったが、それは竹澤先生と共に訓練を重ねた結果なだけで、支配されているのには、何ら変わらない。
各務を通して、見る。
「すごい、すごいぞ、力が漲ってくる。早く来い、善光。お前ら、皆んな、力でねじ伏せてやる」
私の口を使って、各務が喋る。
それは、同時に私の脳にも、直接に響く。
このままでは、先生たちが……。
そして、それを私の身体を使って成そうとしている。
嫌だ、先生たちを傷つけるなんて‼︎
そう思うのに、身体は言うことをきかない。
各務に乗っ取られた腕が振り上げられる。
するとこの広いドームの中で、各務を中心にして空気が爆発した。
一瞬の沈黙の後、鼓膜をつんざく、どんっという音。
空気の波動が身体中に伝わり、その衝撃を感じる。
嘘‼︎
そんなことしたら‼︎
思い通りにならない首を回そうとする。
竹澤先生は?
エミりんは?
すると、各務がぐるりと辺りを見回した。
ドームの隅に倒れる二人の姿。
とっさに竹澤先生が、エミりんをかばったようで、二人は折り重なるようにして倒れている。
あの、凄まじいまでの、爆発。
さっきまでそこに居たはずの二人は爆風で飛ばされ、今はあんなに遠くに倒れている。
止めて、二人が死んじゃう‼︎
味方に攻撃してどうすんのよ、このクソバカやろうっ‼︎
私は精一杯叫んだ。
各務の意識に直接、これでもかと叫び掛けた。
けれど、私の抗議に構わずに、各務は笑って言った。
「すごいぞ、ここまでの力になるとはな。何もない空間でもこの爆発だ。爆薬や武器を使えば、もっとすごいことになるぞっ‼︎」
ビービーっと空気を切り裂くような音。
そこへ、ドームのドアが開く時の、警告音が鳴り響いた。
「来たか、善光‼︎ はは、お前たちも、蟻のように吹き飛ばしてやる‼︎」
私は、焦った。
先生たちでは、この人に敵わない。
どうしよう、どうしたら良いの‼︎
「瑠衣‼︎」
善光先生が、中へと入ってくる。
横になっている各務の身体と、吹き飛ばされた二人の様子を見て、何があったかを悟ったようだ。
「瑠衣から出て行け。瑠衣を返せっ‼︎」
先生がすごむ。
後から、バラバラと皆んなが入ってくる。
「……どうやら、乗っ取られちゃったようだね」
やはり同じ様に理解した崎さんが、そう言った。
そして、ドームの扉は誰かによって、閉められた。
それが私には、頭に銃を突きつけられ、そのまま撃鉄を上げる音のように聞こえた。