守るもの
「竹澤先生は、」
私は目を開けずに、問うた。
「ああ、丸井のじいさんのとこだ」
「帰って来てくれたんだね」
「ああ、すぐにここに来るからな」
「ここは、」
「病院だ、安心しろ、眠っても良いぞ」
「うん、先生は怪我、大丈夫なの?」
「ああ、平気だよ」
「皆んな、は」
「大丈夫、皆んな軽症だよ」
頭に次々と浮かぶ、皆んなの顔。
「エミりんは?」
ここで、善光先生が言いあぐねた。
それが答えと悟ると、私は溢れそうになる涙をぐっと堪えた。
「竹澤先生は、」
「ああ、竹は大丈夫。怪我はしていない。安心しろ、今こっちに向かってるから。すぐに来るからな」
うん、と小さく頷く。
途端に、静寂が訪れる。
そして、遠くの方で雨が降っている音が聞こえてきた。
それは、まるでさざ波のように揺れて聞こえてくる。
まだいつもの感覚が戻っていないようだった。
目を開けると、きっと酷いことになる。
吐くといけないので、目は瞑っていよう。
「瑠衣、眠ったのか?」
「うん」
「うんって何だよ、お前」
苦笑する先生の顔が浮かんでくる。
髪を撫でられる。
先生、先生、先生。
おでこに何か触れたような気がする。
触覚は、戻っているようだ。
そっと、先生がキスをくれた。
けれど、すぐにそれは離れていき、そして。
ドアが、静かに閉められる音が、聞こえてきた。
✳︎✳︎✳︎
「お前、自分の身体に戻った時、朦朧としてたから仕方がないけど、先生、愛してるって、うわごとで言ってたぞ。恥ずかしいヤツだな」
「うわあ、私そんなこと言った? ぜんっぜん、覚えてない」
布団を顔まで上げて隠す。
顔から火が出そう。
「けどなあ、善が勘違いしてんぞ」
「え、」
「お前が先生っつって、ちゃんと名前で呼ばないから。お前、本当に詰めが甘いなあ」
「…………」
「結婚しても大事にしてやってくれって、言ってたぞ。あいつ、ほんとバカだな」
「…………」
「俺、あえて何も言わんかったけど。今回は、マジで諦めるつもりだぞ」
「うん、」
「ちゃんと、言わないとな」
「うん、」
ここで涙が溢れた。
私は泣いてばかりで弱い。
弱くて弱くて、こんなことでは先生を守れない。
「瑠衣、」
「うん、」
「すまなかったな。お前を、」
「うん、」
「守りたかったんだ……」
先生も、泣いていた。
✳︎✳︎✳︎
退院が早まり、私はすぐに善光先生のマンションに会いにいった。
普段着の先生が、玄関で驚きながらも、私を招き入れてくれた。
ドライヤーでちゃんと乾かしてない髪。
ボサボサで、単純に可愛いなと思う。
部屋着のスウェット姿が、普段学校で見る先生と、雰囲気を違わせている。
男の人なんだと、改めて思うと照れくさい気持ちが湧いてきた。
「良かったな、結構すぐに退院できて」
先生が、マグカップに淹れたコーヒーをおずおずと差し出す。
たっぷりとミルクが入れてあった。
部屋にはいくつも、段ボール箱が置いてある。
荷物をまとめているようだった。
このままでは遠くに行ってしまう、私の手の届かない場所へ。
「悪りい、ぐちゃぐちゃだな、俺の部屋」
照れ笑いのような、そんな顔。
ううん、と横に首を振る。
「これ、ごめんなさい」
私がポケットから出したのは、もうその原形すらとどめていない、ぐにゃりと曲がった腕輪。
黒い煤が点々とつき、元々の地がシルバーだったことも、分からないような有様だった。
「これって……」
「先生に貰った腕輪なんだけど、こんな風になっちゃって。竹澤先生と狩野で初めての実験をした時、外せって言われて。私、外したくないって言ったんだけど、火傷の元になるといけないからって。それで、こんな風になっちゃって。せっかく、くれたのにごめんね」
「あ、ああ……そっか。お前、つけていてくれたんだな。良いよ、そんなもの。大したもんじゃねえし」
ふっと笑うと、先生がコーヒーを口にした。
先生もブラックなんだね。
「先生、私、先生が好きなの」
え、と顔を上げる。
けれど、目を逸らしてすぐに立ち上がって、キッチンへと回った。
「ああ、分かってるって。お前ら、いつ式あげんの? 悪りいけど俺、出られねえかも。アメリカ、行こうと思っててよ。ライズのおっさんに世話になることになってんだ。だから、ごめんな。でも、」
先生は一呼吸置いて、こちらを見ずに言った。
「おめでとう、な」
泣きそうになる。
けれど、ここで泣いたら、きっと私は先生をこの先も守ることができない気がして。
そうだ、いつも私は先生の前で泣いてしまう。
泣くのは簡単だけど、自分はそれで楽になるかもしれないけれど、それは先生を深く深く、傷つけるんだ。
今まで散々、傷つけてきた。
もうこれ以上は、嫌だ。
「先生、」
私は立ち上がり、リビングとキッチンの間のカウンター越しに、先生を見た。
どうした? という先生の顔。
私は、精一杯の笑顔で。
笑った。
そう、先生のことを考えるとねえ、本当は。
自然とこういう顔になるんだよ。
心からの笑顔に。
覚えてないかな、私、小さな可愛いクマのぬいぐるみを貰った時も、こんな顔をしてたんだよ。
「先生、私、善光先生が好きなの。先生と、一緒にいたい」
先生の表情が、みるみる驚きの顔に変化していった。
けれど、直ぐにそれはくしゃりと歪み、しばらくすると、泣き顔になってしまった。
カウンターが邪魔して、ここからは見えないけど、きっとその両手は固く握られて、震えているんじゃないかな。
先生のそういうことも、分かっちゃうくらい好きなんだ。
涙、初めて見た。
顔をぐしゃぐしゃにして、子どもみたいに泣くんだね。
けれど、やっと言えた。
これで良いんだ、私の大切な二人の先生。
今度はねえ、きっと私が守ってあげる。
私が、先生たちに想われて守られ続けてきた長い年月、同じ分だけ、もっともっと強くなって。
今度は私が、守ってみせる。
了




