想い
竹澤先生が、好きだった。
心から信頼していた。
お母さんを愛してても、私の中にお母さんを重ねていても、それでも良いって思ってた。
けれど、いつからか善光先生を好きになっていた。
いつの間にか、善光先生を心から頼るようになっていた。
心が先生を欲するようになっていた。
誰にも渡したくないと思うようになっていた。
そんな心の、気持ちの変化を、私は素直に受け入れ、認めていた。
それが、喜びでもあった。
そう、善光先生を好きだと思う気持ちは、私に喜びをもたらしていた。
けれど、こんなことって。
どうして、こんなことに。
善光先生を好きになっても、竹澤先生への信頼は揺らがなかった。
揺らぎようがなかった。
だから、私は信じられないという、何かの間違いだろうという目で、今。
竹澤先生を見つめている。
先生は、哀しい目をしていた。
泣きそうな、今にも泣き出しそうな。
先生、私は大丈夫だから。
泣かないでね。
そして私は目を閉じた。
名前を呼ばれた気がした。頬をそっと撫でられた、そんな気がした。
「瑠衣、瑠衣っ‼︎」
名前を呼ばれて、はっと目が醒める。
覚醒。
目の前が朱色に染まっている。
けれど、それは青白い色となり、けれど次にはオレンジ色となった。
焔だ、そう思った瞬間、頭が冴えた。
先生が、竹澤先生が私の中に入っている。
今度はパニックにならず、私は起き上がった。
「瑠衣、起きるな。勝手に身体を動かすなっ‼︎」
先生の声が届く。
私はまだ、身体は動かせないはずであったのに。
なぜか、自分の意思でいうことをきく身体をのろのろと動かし、立ち上がる。
ドームのどこを見ても視界がオレンジ色に染まっている。
それで知る。
私は今、焔なのだ。
手を上げる。
私の身体を、焔が這い上がってくるような感覚。
身体が言うことをきくばかりでなく、その焔さえも私の意思に従っている。
私は上げた手を、なぎ払うように振り下ろした。
すると、焔がぶわりと轟音を響かせながら、一つの塊となって飛んでいった。
全てが白で、壁と床でさえ判別がつきにくいこの真っ白なドームの、その壁にぶつかり遮られたのであろう、水風船が割れる時と同じように、焔の飛沫は四方へと飛び散っていった。
黒く焦げたような煤が、その軌跡を辿って走る。
そして、その煤の匂い。
鼻腔で感じているというよりは、脳の細胞がその匂いを感じ取っている。
細胞が。
率先して。
一つ一つの動作が、まるでスローモーションに見える。
私は、焔を手に入れた。
ついに、手に入れたんだ。
そう考えがぽっと浮かんだ時、私を叱責する声で、我に返った。
「瑠衣、止めろっ‼︎ 動くんじゃない‼︎ 俺の声を聞くんだ、俺の言う通りにしろ‼︎」
けれど、私は引き続き、腕を振り上げた。
それは、自分の意思に反した惰性の動作だった。
「瑠衣、聞いてくれ、もう動かなくていい」
再度、その腕をなぎ払おうとした時、
「瑠衣っ‼︎ お前、言うこと聞かねえなら、もう一度キスすんぞっ‼︎」
私はそれで完全に正気を取り戻し、振り上げた腕をゆっくりと下ろした。
意識を先生に任す。
ふわふわと揺れる空間。
先生に抱き締められている感覚。
そして、眠った。
✳︎✳︎✳︎
目を醒ますといつものしゃっきり感はなかった。
全身がだるく重い。
頭を少し動かすだけで、ズキっと痛みが走る。
頭痛がある。
動くと痛いし、だるいのでそのまま仰向けのまま、当分そうしていた。
この白い天井、どこまでも白い天井。
こんな個室には入ったことはないけれど、見覚えのある施設の特徴。
白い、天井。
もう冬休みが終わり、新学期が始まってすぐの土曜日、ピンポンという玄関の呼び鈴で、私は竹澤先生に連れ出されていた。
車に乗せられ、知らないような知っているような道を延々と走り、以前来たことのある自衛隊の施設へと連れてこられた。
その間、竹澤先生は腹減ってないかとか、トイレは良いかとか、最低限のことしか訊いてこなかったし、私がどこへ行くのと訊いても返事はなかったので、私ももうそれ以上は、何も訊かなかった。
先生の表情。
これが苦渋の決断だったこと。
私が抱く先生への信頼に、揺るぎはなかった。
だから、私は大人しく先生の後ろをついていった。
天井を見つめる目から涙が流れる。
これは実験だ。
この部屋の扉は施錠してあり、そんなことが確認しなくても、分かるなんて。
けれど、こんなことをするのは先生じゃない、先生の意思じゃない。
そう思いたくて。
涙がどんどん溢れて流れていく。
一筋が耳を伝う。
涙を拭う手も、重く動かない。
私は流れて落ちる涙をそのままにさせておいて、悪い夢から醒めますようにと願って、目を閉じた。