第一回授業 「あなたは神を信じますか」
作文「中学生になり小学生のころに比べて自分が成長したと思えること」
中2 山田太郎
小学生のころと比べて中学生になって成長したと思えることはいろいろあります。
たとえば、小学校の頃は宿題以外では家庭学習などというものをすることなんてありませんでしたが、中学校には中間・期末テストというのがあり、テスト準備をしなければとてもまともな点数など取れるもんじゃないので、「勉強しなきゃ」と思うようになりました。まあ、思うようになったというだけで、やるようになったかどうかは定かじゃありません。「しなきゃ」と思いながら、そんなときほど普段は面倒がってしまうスマホゲームのレベル上げに燃えてしまったり、社会の先生が話した時には関心を持てなかった日本の安全保障についてウィキペディアで調べまくったり、まさか読む日が来るとは思わなかった我が家の埃をかぶった本棚にある『吾輩は猫である』のページをめくってそのまま夏目漱石の文体にはまってしまったり、テスト前だとなぜか別のことを驚異的な集中力をもって頑張れてしまうため、たいていは準備不足のまま試験当日を迎え、予期した通りの結果に至ります。でも、「勉強しなきゃ」というプレッシャーを常に背負っている点、何も考えていなかった小学生の頃より、だいぶ大人になったのではないでしょうか。
他にも「しなきゃ」つながりで言うと、「オシャレしなきゃ」というプレッシャーを背負うようになったところも大きな変化です。小学校の頃は母親の買ってきてくれた服や靴をそのまま着るだけだったのですが、ある時その内の一つを何気なく学校に着ていくと、同学年の女子にまじまじと見つめられ、
「その柄、ギャグで着てるわけ・・・?」
とつぶやかれました。僕はNARUTOの絵がプリントされているTシャツを着ていたわけですが、その日は大人の恥じらいを覚えた記念すべき日となり、一日中、エデンの園でリンゴを食べた後のアダムのような気分でNARUTOを胸に張り付けたまま過ごすことになりました。この後、母親の買うものは全て厳しくチェックを入れ始め、急に服選びに文句を言われ出した母親も、
「あんたのNARUTOに対する思いってそんなもんだったの!」
と、初めは不快感をあらわにしていましたが、次第に僕のシフトチェンジを受け入れてくれるようになり、今では半分ぐらいは僕自身が選んで買うようになりました。なぜ半分にとどまっているかというと、母親のほうがセンスがいいからです。シフトチェンジを受け入れてからの母親は、逆に僕のコーディネートを若干楽しみ出している気がして少し嫌なのですが、その母親の選ぶ服が僕の選ぶ服より学校での受けがいいのは、否定できない事実です。僕の方は、なんだかんだ言っていまだにNARUTOやONE PIECEのユニクロTシャツに魅かれてしまうセンスなので。
着るものに気を遣うようになる、というか着るものの種類が変わったことは、僕を少し大人にしたと思うのですが、考えてみると小学校の頃からオシャレな人、着るものの種類がなんか他の子と違う人というのはいたわけです。同じクラスに恭也君という若干ヤンキーっぽい奴がいるのですが、彼は小4の頃から全身黒のスポーツブランドで固めていたり、だぶついたジーンズと白いTシャツで首にチョーカーをつけていたり、そんな装いで毎日学校に来ていたわけで、ずいぶん前から大人だったんだなーと、その点は感心してしまいます。そういう子が学年が上がるごとに増えていき、いつの間にか僕もそちらの側に仲間入りし、現在クラスの男子の半分はオシャレ派です。ちなみに、こういうのはやはり女子の方が進んでおり、僕の目から見て彼女たちの3分の2はオシャレ派です。
さて、このオシャレ派というのにも大いに関わる話を最後に一ついたします。それは、小学生のころに比べて大人になったと感じる最大の点であると同時に、目下のところ僕を最も悩ませている問題でもあります。即ち、人間関係が妙に複雑になってきたということです。
小学校のころだって、クラスの中には主流派と非主流派とか、勉強系と運動系とか、そういう違いはあったし、仲良しグループみたいなのがいくつかに分かれていたりはしていました。そういうのは、きっと幼稚園の頃からあったんだと思います。人間集団というものは、必ず幾つかの群れに分かれて住むようになるもので、みんな均一に仲良く行動するなんてありえないことでしょう。だからこそ、普段はバラバラな集団が何かのイベントに際して一致協力したりすると、ちょっとした快感があったりするんだと思います。そんなわけで、いわゆる派閥みたいなのは幼稚園から老人ホームまで、消えるものではないわけです。
ただ、小学校の頃はまだ、各派閥の多数派工作みたいなことはあんまりなかったんじゃないかと思うんです。もちろん僕がそういうことに無頓着だっただけで、クラスでリーダー的な存在だった足の速いやつとか、勉強のできるやつとか、学級委員長に立候補する様なやつとかは、意識的に頑張ってやっていたのかもしれません。でも、少なくとも僕の頭にはそんな面倒なことに使えるようなキャパシティはなかったので、あくまでも自然のままに友人関係を作っていました。意図的に誰かを仲間にしようとか、誰かを切り捨てようとか、そんなことを考えなければならない日が来るなんて、あの頃の僕には全く想像できなかったことです。
僕は今、ある人を派閥の仲間にしようとし、ある人を派閥から切り捨てようとしています。30人ほどのクラスの中で、僕が僕のキープしていたい立ち位置を守るためには、なんとしてもそれが必要であるという、非常に悩ましい状況に置かれているわけです。そう、まさにその悩ましい状況を持つようになったことこそ、小学校の頃より僕が大人になったと思える最大の「しなきゃ」です。
即ち、「人間は、差別しなきゃ!」です。
≪作文講座1≫
台湾台北市士林区天母、中山北路6段の最北で、アメリカンスクールと日本人学校が通りを跨いで東西に分かれ、向かい合って並んでいる。二つの学校の北辺は、西の日本人学校側に天母西路、東のアメリカンスクール側に天母東路が伸びている。交差点の北側には中山北路が登り坂となって更に伸び、そこから先の地区は中山北路7段である。十字路の東方を天母東路に沿ってしばらく進むと忠誠路と交わる十字路が現れる。交差点手前の右手には三越百貨店が建っており、そこで右折して忠誠路を南進すると、今度は士東路と交わる十字路に臨む。信号を渡った左手にそびえるビルは、百貨公司の高島屋。その裏手通りを少し進んだ左手にある5階建ての古いアパート1階のテナントは、日本人子女向けの学習塾になっている。ガラスドアを開けるとすぐに事務カウンターがあり、その左手は自習スペースで、長机と椅子がいくつか並んで置かれ、壁には本棚が設えられている。事務カウンターと自習スペースを右左に見ながら進む先には廊下があり、4つの教室と1つのトイレが左右に配されている。手前から2つ目左手のドアの内側には、狭い空間の右側にホワイトボードがあり、その前に講師が1人立っている。彼の前には、学校で使われるタイプの机と椅子が六つずつ並び、その内の二つに生徒が座っている。
津久茂「はい、えー、それでは作文講座を始めたいと思います。えー、担当のツクモと言います。よろしくお願い致します」
背後のホワイトボードに「津久茂数哉」と書いた講師は、グレーのスーツを着た中背で少し痩せた男性。ネクタイ無し。30代半ばで、タレントのユースケ・サンタマリアに似た容貌。
津久茂「えー、このクラスはまー、あれですね、受験用の小論文というのをですね、主に書いてもらうわけですが、まぁ、それだけじゃなくてね、もっと個人的な、エッセイとかも書いてもらう予定です。で、ですね、今回この講座を受けてもらうにあたってですね、この塾の受験用作文・小論文のテーマ集から自分で自由に選んでそれぞれ作文を書いてきてもらったわけですが、あれですね、二人ともずいぶんと長い作文を書いてきましたねぇー・・・。なんと言うか、けっこう、中学生にしては文章のレベルは高めだと思います。もしかしたら、あまり、この講座も、必要ないかもしれないぐらいですが・・・、受験用となるとね、ちょっといろいろ調整が必要かと思います。えーと、ヤマダ君と、ヒ、ヒ・・・、ヒカンさんですか?なんて読むんでしょう?」
津久茂が覗いている二人分の生徒報告書。書かれている名前の一つは山田太郎、もう一人は稗貫絢。ホワイトボードから見て前後2列に配された机の手前側右手に座っているのが、男子生徒の山田太郎。奥側左手に座っているのが、女子生徒の稗貫絢。
山田太郎は身長167.5cm、体重50kg、くらいの体格。嵐の相葉雅紀的な顔に、EXILEっぽく刈り上げた髪型。黒いティーシャツに膝下までのスウェットの黄色いショートパンツ。細く締まったすね毛のない脚。
稗貫絢は身長157cm、体重43㎏、という見た目。薄い褐色で、トルコ人の女子高生のような目鼻立ち。ちょっとくせ毛の長い髪。ゆったりとした半袖の白いプルオーバーにデニムのショートパンツ。脚には少し濃い目のうぶ毛が目立つ。
稗貫絢「あ、ヒエヌキです」
津久茂「ほー、ヒエヌキさんですか、珍しい苗字ですねー」
稗貫絢「・・・、あ、よく言われます」
幾度も聞かれた問いに、視線を逸らして答える。
津久茂「なるほど。ヒエヌキ・・・えー、下のお名前はアヤさんですね、こちらもちょっと難しい字ですね。山田君は、下の名前はタロウ君でいいですね」
山田太郎「はい、タロウです」
津久茂「ヤマダタロウ君ですか・・・、たいへんスッキリした名前ですね」
山田太郎「あ、よく言われます。ありえないぐらい平凡な名前だと」
お約束の突っ込みに、いつも通りのリアクションを返す。
津久茂の背後、ホワイトボードの上にかけられた壁時計は4時15分を指している。日本人学校の下校時間から45分、塾の授業開始から15分。教室の外から小学生のはしゃぐ声と、それを注意する職員の声、それにエアコンの音。10月の初旬、外の気温は35度。残暑というより真夏の午後の台北。
津久茂「本当に、神秘的というか、形而上学的な名前ですね。現実性が感じられない」
山田太郎「けいじじょうがく・・・てなんですか」
津久茂「え、まー、神レベルの実在を探求する活動のことですかね。」
山田太郎「カミ?・・・ですか」
津久茂「はい、神の世界で実在しているものは何なのかを、理屈に外れない言い方で示して見せようとする行為ですね」
山田太郎「神の世界で、実在って・・・? えーと・・・、なんていうか、その、神とかっているわけですか?」
津久茂「あぁ、稗貫さん、ここにも愚か者がいますね、言ってやりましょうこの愚か者め!と」
淡々と、山田太郎へ指をさしながら「愚か者め!」。
稗貫絢「いや、別に・・・。言わなくていいです、そんなの」
津久茂「でも、あなたの作文に書いてありますよ、『世の中には、神なんて存在しないと言う人がいる。激しく愚かな人たちだ。』って、最初の方に書いてますよ」
山田太郎「はぁ、マジで・・・」
横目で稗貫絢を見る。初対面の人間に悪口を言われてバツの悪い思いを見せつつ、あやしい人間と同席してしまったヤバい感じをにじませて。
稗貫絢「ていうか、言っちゃう感じなんですか、人の作文の内容?」
少し慌てて感情を漏らす。
津久茂「はい? そりゃそうです。作文のクラスですから、書いてもらった作文の内容について、お互いに意見交換してもらいたいと思っています」
山田太郎「え、マジで!」
先ほどよりも真に迫った「マジで」。
津久茂「山田君なんて、『人間は、差別しなきゃいけない』と思っているんですよ、稗貫さん」
稗貫絢「はあ・・・」
山田太郎「いや、ちょっと待って、あの、言っちゃうんですか」
津久茂「ですから、お互いに意見交換をする授業なので。ところで山田君は、ずばり神の存在を認めない愚か者ですか?」
稗貫絢「そんな風に聞かなくても、いいと思うけど」
山田太郎「いやー、愚か者かと言われても・・・。だいたい、まあ、いるのかいないのかって言われたら、実際のところ現実にはいないですよねえ」
稗貫絢「・・・、いや、いるけどね」
少し本気のバカにした感じで、冷たい視線は太郎に向けず、前方に泳がせる。
山田太郎「いやいやいや、いないし」
稗貫絢「ま、いいけど」
山田太郎「いいけどって・・・」
津久茂「なんだかいい感じで険悪になってきましたね。でも険悪になりすぎてはいけませんよ、口論するぐらいの険悪さをキープしましょう。沈黙してしまうまで険悪にならないようにしましょうね」
稗貫・山田「はあ・・・」
津久茂「お、ハモりましたね。仲良くやっていけそうです」
山田太郎「仲良くって・・・」
津久茂「ところで稗貫さん、わたしは稗貫さんが作文の中で定義した神様に、大変興味を持ちましたが、どうでしょう、この愚かな山田君にもきちんと解説してみませんか?」
山田太郎「なんか、けっこう、失礼な感じなんですけど・・・」
稗貫絢「いや、えっ、私がですか・・・」
津久茂「そうです、あなたが。実はですね、私は山田君と違って愚か者ではないので、神の実在は当然のものとして認めているんです」
山田太郎「え、マジで言ってます・・・」
津久茂「もちろん、マジです。ただし、私も稗貫さんと同じで、神を信じてはいません」
稗貫絢「そうなんですか・・・」
山田太郎「は、どういうこと、どっちなんですか?」
津久茂「どっちとは?」
山田太郎「いや、だから、いるのかいないのかですよ!さっきいるって言ったのに、今度はいないって」
津久茂「いないとは言っていません、信じていないと言ったんですよ、オロカー山田君」
山田太郎「なんなんですか、オロカー山田って・・・、いい加減キレますよ!」
稗貫絢「いるってことと、信じることは別だってこと。そこに人間がいることと、その人間を信頼しないこととは、別でしょ」
山田太郎「あー、なるほど・・・。え、それはそれで、なんかヤバい人っぽいんだけど・・・。神がいることは認めるのに、神を信頼しないって」
稗貫絢「ヤバいって思うんだよね、神を信じていない人たちも、神に反抗的なこと言うと。ヘンだね・・・」
山田太郎「それはさぁ、神というか、なんか、正義っていうのか、公正いうのか、そういうのに反することに対してヤバさを感じるということでしょ」
津久茂「なかなか良い指摘ですね、オロカー・ヤマダ」
山田太郎「外人みたいに言っても失礼に変わりないですから」
津久茂「しかし、君は正義に反することにヤバさを感じるという形で、暗に自分も神の存在を認めていることに気付いていない。それ故に、稗貫さんにオロカー・ヤマダと呼ばれてしまうんです」
稗貫絢「呼んでないから」
山田太郎「先生だけですから、オロカーヤマダなんて言ってるの。でも、僕が神の存在を認めてるって、どういうことですか?」
津久茂「君は、神の存在を認めてはいないのに、神を信頼しないことにヤバさを感じた。そして、それは正義や公正さに反することに対するヤバさだと言う」
山田太郎「まあ、なんか逆にカルトっぽくてヤバいかなっていう意味ですよ、悪魔教みたいな?」
稗貫絢「イルミナティー・・・とか」
山田太郎「そういうのなわけ、そちら?」
稗貫絢「違うけど。何の宗教にも入ってないから、私。ていうか宗教嫌いだし」
山田太郎「はあ・・・」
津久茂「ま、稗貫さんの宗教に対する嫌悪感についてはとりあえず置いておいて、山田君の意見について話しますと、正義や公正さの存在は一応認めているわけですよね?」
山田太郎「まあ、そうですね・・・。そういうのは、確かにあると思います。でないと世の中メチャクチャでしょうから」
津久茂「メチャクチャにならないためには、正義が無くてはならないということですね。言い換えれば、世の中に秩序をもたらすためには正義のあることが要請されるというわけだ」
山田太郎「まー、僕が正義に忠実だとは思ってませんけど、世の中に正義があることは事実ですね。それで犯罪とかを取り締まれるわけですから」
津久茂「では、山田君、君は正義というのは、どんな化学物質、あるいは化学反応だと思うんですか?」
山田太郎「・・・化学物質?・・・知りませんよ、ていうか物質じゃないし。化学反応っていうのはちょっとありそうだけど・・・、でも正義の化学反応式なんてないでしょう」
津久茂「化学物質でもなく、化学反応式もない。つまり科学的には何の根拠もない。なのに、君はなぜ正義があると言えるんですか」
山田太郎「んーと・・・」
津久茂「正義だけではありませんね、自由とか平等とか人権とか、そういうものについても科学的にその存在を発見した科学者というのは、まだ一人もいません。ま、これからも現れないでしょうね」
山田太郎「いや、そもそも科学の話じゃないでしょ!」
津久茂「そうです、なかなか鋭いですね。正義も自由も平等も人権も、科学の話じゃない。宗教の話です。」
山田太郎「宗教・・・、なんですか?それって」
津久茂「はい、宗教です。人間の自由だとか平等だとか、科学的には何の根拠もありません。全て信仰です。このような、根拠なんてないんだけど人間世界になくてはならないものがあるということを前提にする営みが宗教であり、それを支持することが信仰といわれるものです」
山田太郎「そう、言われると、そんな気がしちゃいますね・・・」
津久茂「そして、正義や自由や平等や人権や、そういう根拠のないものが存在することを認めることが、根拠としての神の存在要請なわけです」
山田太郎「どういうこと、ですか?」
津久茂「正義とかだけではありません。どんな科学者や無神論者でも、たいていは、この世界や自分自身が存在していることを、科学的根拠もないのに認めていますが、根拠がないと意識してしまうとその認識に不安を感じ、神経が揺らいでしまいます」
山田太郎「まあ、今の僕もけっこう不安定になってます・・・」
津久茂「そうですか、その不安定を抑えることのできる言葉があります」
山田太郎「言葉・・・、なんですか?」
津久茂「当たり前だー!」
ちょび髭をはやした中年のドイツ人男性のしぐさを意識した感じで太郎を指さし、「当たり前だー!」
山田太郎「は?」
津久茂「ですから、『そんなの当たり前だー!』という言葉です」
山田太郎「はー・・・」
津久茂「そしてこの『当たり前だー!』と心の中で叫んでくれるのが神なんですね」
山田太郎「いや、ちょっと待って・・・、なんというか、その『当たり前だー!』というのは、例えば、『学校の宿題を全く提出しなかったら成績下がっちゃったー』に対する『当たり前だー!』と同じなんですか」
津久茂「同じと言えば同じなんですが、違いもあります」
山田太郎「なんですか?」
津久茂「宿題しないで成績落とすことは経験的に確認できます。人間は、正義があることや、この世界そのものが存在することも、経験的に当たり前であると思ってるんですが、実験で確認することはできない」
山田太郎「正義があるかどうかって、実験できるんじゃないですか?」
稗貫絢「人がたくさんいるところで、『泥棒よー、捕まえてー』とか言って、その人たちの反応を見るとか?」
山田太郎「そう、そんなの。捕まえようとする人がいるかどうか確認できる」
稗貫絢「でもそれって、正義があるかどうかの実験にはなってない気がする・・・」
津久茂「その通り。確認するべきことは、正義感を持っている人がいるかどうかではなく、あくまでも正義そのものがあるかないかです」
山田太郎「だから、正義感のある人がいるってことは、正義があるってことなんじゃないんですか」
津久茂「では言い換えましょう、『正しいことをするのはどうして正しいことなのか、悪いことをするのはどうして悪いことなのか』」
山田太郎「なんだそりゃ」
津久茂「要するに、正義はなぜ正義で、悪はなぜ悪なのかということです」
山田太郎「そんなの、答えられないでしょ。正義だから正義で、悪だから悪なんでしょ」
津久茂「ええ、論理学でもこういう問題設定はナンセンスと言って、無意味な問題とされてますが、『答えられないでしょ』も、『ナンセンスだ』も、『そんなの当り前だ!』と同じ神の言葉なんですよ。もうそれ以上は根拠を語ることのできない事柄について断定すること。人間は、こうした断定なくして社会を維持することができない動物で、こうした根拠なき断定の根拠としてどうしても、神を要請してしまう、あるいは召喚してしまう存在なんです。」
山田太郎「な・る・ほ・ど。って、納得はしてませんけど、なんとなく、先生の言う神っていうのが分かった気がします」
稗貫絢「でも、先生は神がいることは認めていても、神を信じてはいないんでしょ。だけど神を要請するっていうのは、神を信じることでもあるわけでしょ。それってなんか・・・」
山田太郎「なんか、また、ややこしい話だ」
津久茂「矛盾している、ということですね。確かにその通りです。ただそれは、稗貫さんもきっと同じです。神を信頼しないと作文には書いていますが、あなたも正義や世界の存在を否定してはいないと思うので、正義や世界の存在を認めている点では、神を信頼していると言えるんです」
稗貫絢「先生の理屈で言えばそうなるんだろうね。私が言いたいのは、神が正義を存在させていることは認めるけど、神はその正義を守っちゃいないから神を信頼しないっていうこと」
津久茂「そうですね、私も同じだと思ってください」
稗貫絢「そう、なんだ。そういう人、初めて会ったかも」
津久茂「いやー、けっこうたくさんいますよ、意外と普通です」
山田太郎「普通じゃないでしょ!そんなメチャメチャ複雑な事考えてる人」
津久茂「いえいえ、神の存在を認めていない人も無意識的に神を要請しているのと同じく、人間の半分くらいは神を信頼していませんよ。または、人生の半分くらいは神様の性格を疑っています。それは、とても普通な事です」
山田太郎「はー・・・」
稗貫絢「普通って言われると、なんか、やだな・・・」
津久茂「いえいえ、稗貫さんは決して普通というか、平凡とは言えない考えを持っているようです。私はそこに興味があります」
稗貫絢「え、なに・・・。神を信頼してないんだから、先生も同じなんでしょ。ていうか、世の中の半分くらいは同じって今言ったじゃないですか」
津久茂「同じではありますが、たぶん自覚はしていませんよ、稗貫さんみたいに。私も、稗貫さんの作文を読むまでは、実はあんまり自覚してませんでしたから」
稗貫絢「そうなの!」
津久茂「ええ。そもそも、普段は神のことなんかあんまり考えませんから、私」
山田太郎「僕のこと、オロカーなんとかって言ってたくせに!」
稗貫絢「くせに」
津久茂「ま、稗貫さんの作文があんまりおもしろかったので、読んだ後でいろいろ考えてみたんですよ。しかし、神を無意識に要請していたり、その神を無意識に疑っていたりするのは平凡なことだと思うんですが、神を『不幸と苦しみをもたらす他者としての自分の現実』と定義したり、生きることをその『他者としての自分の現実という神との闘い』と定義している辺りは、ちょっとただモノではない気がしました」
稗貫絢「え、あ、そう・・・、アハハハハ」
津久茂「うれしそうですね・・・、そういうリアクションなんだ」
稗貫絢「え、なんか、悪い?」
山田太郎「ていうか、あのー、それ読ませてもらえません? なんか、ついていけないんで」
稗貫絢「絶対、ヤダ!」
山田太郎「いや、いいでしょ、褒められてんだから」
津久茂「なんと、話をしていたらずいぶん時間がたってしまいました。今日の作文テーマを発表します」
山田太郎「え、無視ですか? 読ませてもらえないんですか?」
時計の針は4時50分を指している。外はまだ明るい。台湾は秋分を過ぎても昼が長い。
稗貫絢「何について書くんですか?」
山田太郎「いや、読みたいんだけど、作文・・・」
津久茂「本日のテーマは、」
山田太郎「ガン無視ですね」
隣の教室が一足早く休憩時間になったらしく、小学生たちが廊下に出て騒ぎ出す。それを制す担任講師の声。日本語に交じって飛ぶ中国語。台湾現地校やインターナショナルスクールの生徒たちも来塾する時間。日本語と中国語と英語のおしゃべりが錯綜する。塾のガラス扉が開く。中学生の男子が一人、上目遣いに中を覗く。熱い外気が入り込む。外の通りの右手にそびえる高島屋のビル。その向こう、表通りの忠誠路沿いに士東路を渡ったすぐ先には野球場の天母棒球場。観戦客がちらほら球場に足を進めている。
だが、まだ試合は始まらない。
作文「神と信仰と宗教について」
中3 稗貫 絢
世の中には、神なんて存在しないと言う人がいる。激しく愚かな人たちだ。目の前にいる者の存在を認めることができず、現実逃避する人たち。
とは言え、彼らが神を否定したくなる心理は理解できる。自然災害や戦争などで多数の人々が無惨に命を落とすようなことがある時、「神も仏もありゃしない」なんて言ったりする。人間の祈りを聴き、人間に恵みを施してくれる神や仏が本当にいるんなら、そんな酷いことが起こるはずがない。そう言う理屈だ。もっと単純な理屈としては、神に祈ったりお願いしたりしてもちっとも叶わないから神はいないというのがある。でも、それらはただの現実逃避だ。仏のことは知らないが、人々を圧倒的な力で殺戮しまくり、人間の希望や前提を覆す、そいつがまさに神なのに、それでは夢も希望も無いからってことで、神の存在を否定して、現実から目を背ける。無神論者って、本当は心優しい恵みの神を信じたいだけなんだろう。
やっぱりバカだ。お前に不幸と苦痛をもたらしているお前の現実が、神なんだよ。そう、他者としてのお前の現実、他者としての私の現実、そいつが神だ。生きるって、結局のところ、このとんでもないくらい厭らしく、ウザく、怖ろしい、神との戦いなんだろう。死ぬまで続く神との戦い。神の存在を知ることと、神を信頼することは、別の話だ。私は神が存在することは当たり前のことだと思うけど、神を信頼はしていない。
この忌々しい神が最近私の身に施した嫌がらせがある。信仰の強要だ。私は、よりにもよってミッション系の学校に通っていた。台北市の郊外にあるこのインターナショナルスクールは、普通以上に厳格な教義を守る宗派に属した学校なんだそうだ。その学校に入るまで、キリスト教について大して詳しいわけではなかったけど、それほど厭な印象も持ってはいなかった。神のことをやたら持ち上げる感じは反面教師として批判的に役立つし、イエスのキャラは嫌いになれる要素がないし、ペテロとかユダとかマグダラのマリアとかパウロとかの、エピソードも面白い。他の宗教のことはよく知らないが、キリスト教については少し興味があった。でも、今はほとほとウンザリさせられている。
この学校の宗派では、進化論を否定している。「進化」という言葉には人間の自己中なモノの見方を感じるので、実は私も好きじゃない。だけど、生物の変化の歴史を否定して、エデンの園のリンゴの話を実在の出来事として説明されるのは、もつと厭だ。科学というのも、真実の唯一無二の伝道者を気取っていて、それはそれで信用してないのだけど、科学的にありえないファンタジーを事実として他人に認めさせようとするのには耐えられない。
それに、最後の審判やら、神の王国やら、死後の話に目的意識を持たせすぎなのも厭だ。一切苦しみのない神の国に復活できるよう、悔い改めて信仰を持てというのだけど、悪も苦しみも皆無の世界に私は魅力を感じられない。悪が皆無なら正義の味方は活躍できない。人の善意が心に沁みるということもない。苦しみがなかったら、楽しいことや嬉しいことだって感じられないだろう。そんな世界、何がいいんだろう。そんな天国、天国じゃないだろう。少なくとも、私は行きたくない。私だって死ぬのは怖い。でも、苦しみのない世界に復活するのは拒否させてもらう。行くならもっと普通のあの世がいい。
しかし、この学校でこんなことを言い出すと、あからさまに先生たちに嫌われる。本当にあからさまにだ。まるでスポーツのルールを守れないどうしようもない不良選手を見る審判のように、先生たちは私のことを見ている。
「天国なんて行きたくありません」と言ったら、
「ドリブルせずに3歩以上歩いてはいけないと、何回言えば分かるんだ」
とバスケのコーチがいうような呆れ顔で私のことを見る。教師だけじゃない。他の生徒たちも、クラスに一人はいる発達障害の子でも見るような目で私のことを見る。いつからか私は、クラスの秩序を乱す厄介者の痛い奴になっていた。
先日学校で行われたバザーで、
「アヤ、天国に行きたくない人間なんているわけないでしょ。なんで人を殺してはいけないのかとか、なんで勉強しなきゃいけないのかとか、そういう当たり前のこと聞いて賢ぶっているのかなんなのか知らないけど、ホント、いい加減にしてくれない。」
と、生徒の中でも群を抜く敬虔なクリスチャンであるらしいエミリーという、昔は友達だった子に、全校生徒とその保護者と全教職員のいる前でキレられてしまった。いやいや、私だって人殺しは悪いと思うし、勉強は必要だと思っていますよ。そこに疑問を挟むようなのはただのガキだろう。それは認めるし、そもそも私はそんなこと言ったことがない。
「なんの苦しみもない国なんかに行きたくはない」
そう言っただけだ。
「賢ぶってるつもりなんかないけど、私があなたより成績がいいのは事実なんだから、それは仕方ないでしょ。」
ムカついたので、嫌味を言ったら、
「成績が良くったって、聖書の言葉を全否定する人が、まともな人間になれるわけないでしょ」
と、結果的にエミリーを煽ることになった。そして私も彼女に煽られた。聖書を全否定する気などないし、前にも書いたように私はけっこうこの宗教が好きだったのに、
「いやいや、アダムとイヴが猿だったことを認めない地球中心主義者の方が完全にイカれてるから。」
校長たちの前で言ってしまった。彼の白髪が変な向きで風にそよいでいた。あれはカツラに違いない。皺と二重瞼の間にある青い目が、蛇みたいに私のことを睨んでいた。その蛇の睨みに一瞬気を取られ、ハッと気づいたら周りの大人たちも子供達も、アジア人も黒人も白人も、みんな蛇の目をして私を見つめていた。あんたらみんな、神の御使いですか?
一週間後、校長に呼ばれた私と母は、
「アヤ、君はたぶん発達障害を抱えているんだ。」
という校長のお言葉を賜ることになった。私は障害児とされ、厳重注意を申し渡されながらも、神の御恵みにてあの発言は不問に付していただけることになった。かくして思想信条の自由を表現した私は学校一有名な障害者となり、障害者には失礼だがその称号を受け入れられない私は学校に通うのをやめにしたため、見事中学生にして退学をくらったのだつた。
つくづく、神とは恐ろしい奴である。
もう一度言うが、神とは今目の前にいる他者としてのこの私の現実のこと。私は神がいることを認めている。そいつが私の生きている現実だから。どこにも逃げられない、私という現実のことだから。そいつは確かにここにいる。
でも私はそいつのことを信頼はしない。
だから私に宗教はない。




