2話
あれから10年くらいか、少しでも生命力を得ないと魔力が発生しないため魔術の訓練はできなかったが、戦闘の訓練はできるのでちょくちょく体捌きとか知り合った悪魔に習いつつ、結構な時間が経った。正直最後の方はサボりがちだったけど。
このまま一生喚ばれることがないのではないかと死んだ魚の目で赤々とした空を見上げ続けて諦めていたら召喚された。召喚時目の前に展開される青い光を纏ったゲートが目の前にふわふわと漂っている。
ちなみに契約を結んだ相手は一方的にこちらを呼び出せるけど召喚だけなら拒絶もできる。まぁするわけないんだけど! 一瞬現実が信じられなくてまた夢でも見ているのかと思っていたけど理解したら即座にゲートに飛び込んだ。意外とあっさり繋がるようで、一瞬の浮遊感の後別の世界へと移動したのを感じる。
「ふむ……」
勢い勇んで飛び出した先で見たのは、見渡すかぎりの人の死体とそれを彩る赤の彩色。人だった時なら多分下むいて吐き出すレベルの光景なのだけど悪魔メンタルだからかあんまり何も思わなかった。血と火の子の舞う光景は残虐だけど幻想的で、吸血種なら美味しそうとか思うかもしれない。どうやら、数台の馬車が何者かに襲われているみたいだ。結構な貴人か金持ちじゃないかな? これ。
さてはて、まぁどう考えても契約目的の儀式とかじゃなくて偶然の召喚だろう。まずはこれから召喚者と契約しないといけないのだけど……。
「召喚者が死にかけてるって、いきなりハードすぎるよ」
壊れた馬車の車体に体をよりかけ、片腕を切り落とされている男の子、魘されているこの子が召喚者だろう。右腕を中心に血が滴り落ち、脱力したその姿はとてもではないけど意識があるとは思えない。側には女性と、全身が焼けただれた男性が倒れているが、こちらはすでに事切れているようだ。見ると、どうやら儀式はこの女性が行ったらしい。私が呼ばれたのは儀式途中で力尽きたから対象を指定できなかったのか、それとも最初からしていなかったのか。
「契約できないのは困るなぁ、この子が召喚の要になってるみたいだし、このままじゃ元のところに戻されちゃうよねぇ」
ちなみに召喚の要というのは悪魔を仮初として物質界に縛り付けるもので、それが死んだり壊れたりすると悪魔は送還されてしまう。召喚者の場合は契約しても要なのは変わりない。物を要に召喚すると契約者が死んでもそれが残っている限り送還されないのだけど、結構複雑な魔法陣とか刻む必要がある。
今回の場合儀式自体は側の女性がしたが、この子を儀式の要として召喚されている。ほとんど私を縛る術式もないし、そうとうな緊急事態だったのがよく分かる。何の束縛もなしに悪魔を召喚するなど最早賭けといっていいだろう。私たちは言葉巧みに契約者に不利な条件を気づかず押し付ける、と言われている。私に言わせれば契約条件を隅から隅までチェックするのは当たり前なのだが。
契約者の存在はいうなれば楔にして電池みたいなもので、存在の位階が悪魔界と物質界では異なる為できることに制限がつくし、現界に必要な燃料を補給し続けなければ元の場所に戻されてしまう。
さて、目の前の彼の命は風前の灯火。通常の手段で血止めやらなにやらやった所で全く無意味、わずかに数秒延命になるだけだろう。とはいえ、このまま放置すれば元の世界に戻されてまた何一つやることのない日々を過ごさなくてはならないわけで。
「……いきなりだけど、これしか手がないしな。私も何もせず戻りたくないし」
まずは魔術で治療をしよう。このまま放置すれば確実に死ぬ。ただ、まだアニマを得たことのない私は、魔術を使う元手がない。打ち明けてしまうと使ったことはないが、使い方はなんとなく分かるのだけど、元手がないとどうしようもない。ないものはない。だが、分類としては淫魔に所属するらしい私はキスとかごにょごにょとかで人から生命力をわずかに徴収できる。一言に悪魔といってもかなり幅広く所属している。エネジードレインとか淫魔のイメージ通りだが、特殊なスキルがない限りは契約頼りになる。ただ吸血種は血から奪えるらしい、うらやましい。
話がずれた。つまりこの子に生命力が残っているならキスで生命力を徴収できる。生命力が得られれば、私はそこから魔力を練れる。魔力は悪魔の格とアニマ所持量によって時間経過で回復するものだが、アニマが一切無い今の私は時間で回復する量もゼロなので魔力も持っていないのだ。
ただ、見ての通り死にかけている少年である。奪えるほどの生命力が残っていない可能性もあり、その場合むしろ死ぬまでの時間に拍車をかけてしまうだろう。
だが、生きている人間を探して説明している暇はない。一刻を争うのだ、早く治療しなければならない。私は一気に彼の唇に口をつけた。
「ん……ちゅ」
なんかものすごくやましいことをしている気分だ。前世だったら確実に事案である。今の体が女性なのが不幸中の幸いだ、男だったらこの子のトラウマ確定である。おっと、謎のエネルギー、多分生命力がのを感じる。どうやらまだ奪える程度には生命力を保有していたようだ。
それと同時に体に未知の感覚が満ちるのを感じる。なるほど、これが魔力か。乾いた砂地に水が染みこむみたいな感じで体がぴりぴりしてちょっと気持ちいい。吸血種は吸血の際に性的興奮を覚えるらしいが、似たようなものだろうか。
さて、すぐに治療をせねば。ただでさえ死にかけの相手から、奪ったのだ、手遅れになってしまっては全てが無意味だ。
「高位治癒」
一番初心者向けの治療呪文の軽治療だと直しきれないのが目に見えて分かるので上位の魔術を使用する。ちなみに悪魔の呪文は自分が意味を知っている言語で発せられる。ヒーリングでもキュアでもいい。名前が違うだけで起きる効果は同じだ。私は日本人だったから日本語と言うだけである、慣れてきたり適正によってはアレンジすることもできるらしいが。
緑の光が傷口を少しずつ覆っていく光景は傍目から見るとかなりグロテスクだ。淫魔は種族的特徴として魔術に優れた種族である為、治療が苦手な種族が多い悪魔の中では治療魔術への適正も高く、初めてだがかなりスムーズに発動できた。緑光が散ると、そこには完全に繋がった右腕の姿があった。血液を輸血する魔術は吸血種しか使えない上に、似たような効果のある魔術はかなり魔力消費が高いので現状では使えない。間に合ったことを祈りたい。
そんなことを考えていると――
「危ないな」
風の鳴く音と伴に首筋目掛けて白刃が振り下ろされる。そのスピードは人としては上だが、人より優れた身体能力を持つ悪魔からすれば避けられないスピードではない。治療を終えた男の子を抱えつつ、その場から飛び退く。
最も来る前から気づいてはいたのだが。そりゃあカシャンカシャン金属音が近づいてくれば分かる、最も足音だけでも私には十分だが。
悪魔の耳が地獄耳なのは前世からのお約束である。ただしチョップをしてもパンチに変換されることはない。
「……何者だ? お前の様な存在は事前の情報になかった」
襲撃者が問いかける。西洋風に似た甲冑とフルフェイスの兜をつけているため顔は確認できないが、声から判断するに男性だろう。何人か同じ装飾の鎧と兜をつけたものが周りを囲うようにして警戒している。見た感じ、今襲いかかってきた相手がリーダーだろう。
「それはこちらが聞きたいな、お前たち、何者だ? この子に何か用でもあるのか」
私が問いかける。あ、ちなみに私は普通に喋っているのだけど、悪魔は色々な世界に行くけどその世界の言語を全部覚えているわけもないので、勝手に翻訳してくれる。ただ、それが自動翻訳される時に勝手に悪魔っぽい感じに相手に伝わるようにオートで翻訳されるらしいです。戦闘時以外なら多少やわらかな感じになるのだが、本格的にこれを何とかするには自分でその世界の言語を覚えて翻訳不要にするしか無い。
「……関係者ではないようだな。旅人か、冒険者か。どちらにせよ同じことだ。その子供をこちらに渡せ。巻き込まれたくはないだろう」
どうやら彼らの目的は召喚者であるらしい。であるならば、私はどうあっても応じる訳にはいかない。後、襲撃だとしたらどっちにしろ口封じされそうだ。
「お断りだ。私もこの子供に用があるのでな」
「そうか……では、死んでもらうしかないようだなっ!!」
一気に距離を詰めようと動いた鎧が激しく音をたて、再び剣が振り上げられる。が、遅い。
私は地面を力強く踏みつけると、大きく飛び退いた。それだけで地面に軽く亀裂が入る。その光景に一瞬たたらを踏んだ男の動きが止まる。
飛びのいた先で、少年を優しく寝かせると、私は身を包むマントに手を差し込んだ。
そして、私は私の"武器"を取り出す。素手でも行けると思うが、戦闘なんて初めてなので剣を持った相手に素手というのはちょっと怖い。
悪魔は生まれつき自分の武器を所持している。野性動物の爪のようなもので、最もベーシックなのが剣である。生体外装と呼ばれるそれは悪魔と共に成長していく武器であり、同時に生まれた時に決まるため種類を選ぶこともできない。かなり頑丈ではあるが壊されると修復に時間がかかる。 種類も様々で、武器のみではなくキワモノだと触手とか羽とか舌とか体に類するものもあったりする。
で、私の武器はというと。
「な、んだ、それは」
相手の驚愕する声が聴こえる。
まぁ、武器としては存在していてもどこからともなくこんなものが出てくれば驚くだろう。一応体を覆うマントの中から取り出しはしたが、どう考えても体に対して大きさが合わない。少なくとも、見かけ少女の今使うのは余りにも不釣り合いだ。
成人男性の頭よりも遥かに大きく、凝固した血液の様な痕跡が所々に付着したそれ。
俗にいうモーニングスターとかフレイルとかそんな感じの武器である。棘がついていないので正確にはフレイルだろうか。じゃらじゃらとした鎖が左手にある持ち手へと繋がっている。鎖の部分がさほど伸びないが伸縮自在で、意外と長距離まで届く。前世の悪魔関係の知識と、最も有名な言語から名前をもらって”明星”と読んでいるが、どう考えても名前負けしている。
かなりの怪力でなくては振り回されてまともに使えない武器だ。私も持ちてで振りつつも鎖の一部を片手で抑えて固定しないと使い勝手が悪い。とはいえ、いくら悪魔知識がものすごい知識量をカバーしてくれても、流石に剣術などの細かな技術まで教えてくれるわけではない。デュラハンとか、種族によってはそういうのもあるのかもしれないが、淫魔ではそれは望めないだろう。
戦闘の無い世界出身の私がそんな技術を所持しているわけもなく、そう考えれば殴ればそれでいい鈍器であるのは悪くない結果なのかもしれない。ただ防御には使えないので完全回避が前提となる武器だ。そう考えるとメイスとかがよかったんだろうか。
「人としては大した実力だが、運が悪かったな」
私は明星を腰だめに揺らし、腕に力を込めると、思い切り叩きつけた。風が引き裂かれたような悲鳴を上げ、男の少し横を通り抜けた鉄球は、地面を大きく抉りだし、轟音と共に地響きを鳴らす。よく狙ったのだが、咄嗟に体をずらして避けた辺りやはり大した腕だ。
相手が地響きに怯んでいるうちに明星を回収し、また腰だめに構える。人の頭ほどもある鉄塊をやすやすと振り回すその姿は私の細腕ではあまり連想しがたいだろう。
このようなもの、到底片手剣で受け止められるはずもない。さぞや頼りない棒きれに感じていることだろう。
今度は縦に叩きつけずに横に振り回す。二度、三度と振り回すうちに徐々に追いつめていく。相手も必死に回避しているが、そう何度も避けられるものではない。
ついに、相手の回避と私の機動が合わさった。ニィ、と無意識に口元がつり上がるのを感じる。そこまでいけば相手も私の正体に少しは思い至ったらしい。
「っ貴様! 人ではな――」
それが、相手の末期の叫びだった。私のフレイルはガードに回された剣を粉砕し、勢いをまるで殺すこと無く相手の頭部に直撃した。そして、そのままそこにあった”もの”を薙ぎ払った。
兜のひしゃげる轟音と共に辺りに血しぶきが飛び散る音が聞こえる。男が膝から崩れ落ち、壊れた兜の隙間から多量の血液が流れだした。人が一人終わったにしてはあまりに現実感のない光景だった。
「ふぅ、初めてにしては、うまくいったかな」
私は一息つくと明星を戻した。端から崩れるように形を失っていく。別に壊れたわけではなく、私の中に戻っただけだ。ただ、余り長時間使うと思ったより疲れる。数秒程度でも戻しておけるなら戻したほうがいい。後重いし。慣れれば問題ないと思うのだけど。
召喚者君はまだ目覚めないようだ。辺りを見渡すと周囲を囲っていた相手以外にもまだかなりの数の似たような鎧を着たもの達がいる。多くは先程の光景を見ていたらしく及び腰になっている。まぁ、あんな轟音がしてれば何事かと思うよね。おや、一人完全に腰が抜けてへたり込んでいるのがいるぞ。
軽く生命を感知してみるが、鎧の襲撃者達以外は死に絶えているみたいだ。残念ながら感知力があまり高くないので大雑把にしか分からない。来たばかりの時はまだ金属のぶつかり合うような音がしていたので、抵抗していたのかもしれないな。
「とりあえず、皆殺しかな。召喚者君が狙いみたいだし、仕方ないよね」
対話が通じそうな相手じゃないし、相手も退けないみたいだ。名前を売るためには悪名だろうと生かしておいてやってもいいのだが、今後も召喚者君を狙いにくる可能性が高いので、契約者となるだろう相手の事を考えるとそっちの危険性のほうが高い。
私は軽く足に力を入れて走りだすと共に明星を呼び出し、実体化の終わったそれを最も手近にいた相手の鎧に思い切り叩きつけた。
簡易人物紹介
ファルサボヌス
最近悪魔になった元日本人。
前世の記憶は大分ボロボロ。元は男性のはずだが、淫魔としての自分を受け入れてはっちゃけているのでその設定が活かされる日は多分来ない。ただ、そのせいか女性として自分が見られることに慣れていない。
淫魔は種族的特徴としてピンク髪やそれに近い色が多く、その例に漏れずピンク色の長い髪を邪魔なのでポニーテールにしてまとめている。痴女スタイルが嫌なので黒いマントで体を隠しているが変質者スタイルになっただけなので根本的な解決になっていない。鉄球を大きく振るうと他にも二つほど震える程度には大きい。