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黒の手記帳  作者: ナルハシ
二話
9/18

壁の華

 〈母なる者〉にして〈ノート〉の主でもある吸血鬼、黒の市華はかつて経験したことのない苦境に立たされていた。


「失礼、ミス。そんな隅にいては退屈でしょう、私とお話をしませんか?」

「いや……いえ、私は……」


 〈ノート〉の紙片が裏オークションに出品されるという情報を掴み、パーティーの会場に潜入。要人への挨拶を済ませたまでは良かったのだが、そこからどう行動すべきか見等が付かず所在なさげにしていたところで、いかにもパーティー慣れしているという雰囲気の紳士に声を掛けられた。目立たないようにと壁際に寄っていたのだが、こういった華やかな場では消極的な立ち振る舞いはかえって目立ってしまうらしい。

「髪の色に合わせたドレスが黒鳥のように美しい。とてもお似合いで……おや、瞳の色まで黒というのは珍しい。東方の国のお生まれですか?」

 ピックに勧められたピンクやら黄色やらのドレスを似合わないからと断って、着慣れた黒い色を選んだのだがこれも裏目に出てしまった。周りを見渡せば女性は皆、鮮やかな衣装で身を包んでいる。地味な色で統一した姿はこの場では逆に目を惹く。先程からこの男性以外からの視線もちらちらと感じていた。

 ええ、まあ、と短く応えるのが精一杯で、場に合った話題を振れるほどの余裕はない。オークションが始まるまでどこかに身を隠そうかとも考えたが、オークションに備えて警備の人間が会場内で目を光らせている。これ以上不自然な印象を植え付ける行動は避けたかった。


「そうだ、お飲み物はいかがですか? アルコールは――」

「ママ、飲み物もらってきたよ」

「……ママ?」


 紳士の口元が僅かに引き攣った。グラスを持ってやって来た少年に微妙な笑顔を送る。

「はは……東国の女性は若く見えると聞きますが、こんな大きなお子さんがいらしたのですね……」

 少女だと思い込んでいたのか、明らかに困惑している様子だ。もちろん、実は子持ちだったという認識も間違いであるのだが。

「ありがとう」

 少年は市華にグラスを渡すと、そのままボディガードのようにぴたりと寄り添った。あっちに行け、と無言の圧力を感じる。


「妹はこの国の言葉に慣れていないのです。お話でしたら、代わりに私として頂けませんか?」


 後ろから声を掛けられ振り返るとこちらもまた黒髪の、艶やかな着物を身に纏った美女が妖艶な笑みを浮かべていた。

「主人も貴方とお話をしてみたいそうなのです。お嫌でなければ、是非……」

 美女が視線を送った先に、小さな人だかりが出来ている。集団の中の一人、銀髪の男が視線に気付いて軽く片目を瞑った。

「そうですか、そこまでおっしゃるのでしたら! それではミセス、失礼します。楽しんでくださいね」

 紳士はここぞとばかりに誘いに乗り、市華の許からそそくさと離れていった。『ミス』が『ミセス』に訂正されていたが、市華は言葉が不自由だという設定らしいのでその意味には気付かなかったことにした。

「助かったよ、ロウ」

「今日はボクがママのだんなさんだからね。わるい虫は近づけさせないよ!」

 普段目に掛かっている前髪はフォーマルな格好に合わせて左右に分けているので得意気な表情がよく見える。

「頼もしいよ」

 背伸びする姿が実に微笑ましい。夫を名乗るのであれば妻を『ママ』と呼ぶのは如何なものかと思うが、エスコート役は立派に果たせている。お陰であらぬ誤解が生まれてしまったことはなるべく早めに忘れることにした。



 市華のエスコート役を巡ったピックと春雪の戦い(じゃんけん)は十三回の引き分けの後、二本指(チョキ)で割り込んだロウが勝利をもぎ取る形で決着がついた。

 当然二人は反則紛いの行為に猛抗議したが、本人の意思を無視した争奪戦に正直うんざりしていた市華の「大人気ない」の一言で渋々勝ちを譲ったのであった。



 望む役割を得られなかった二人は、余り者同士ペアで行動することになった。不自然にならないよう、春雪が人間の女に化けて夫婦を装っている。ちなみに事前の打ち合わせでは市華と春雪が姉妹という設定はなく、春雪による咄嗟のアドリブである。

 社交的な夫と異国出身の美人妻という役を見事に演じきっている。仕事や妻の手料理自慢話、飼っているペットの話などを適当にこなして二人は輪から抜けた。


「なんですか、さっきのは。目に(ごみ)でも入ったのですか?」

「あれはイチカちゃんにウィンクしたの。ハルユキこそ、ダーリンを見る目がちょっとコワすぎたよ?」

「仕方なく妻として振舞っているだけです。本来なら貴方に向ける愛想など欠片も持ち合わせてはいないことをお忘れなく」

「ツレナイにゃあ。キレイなキモノも泣いてるよ?」

 春雪は普段の落ち着いた藤色ではなく、曲線と花の柄で彩られた華やかなデザインの着物を着ている。ピックに着物の袖を掬い上げられ、腕を引いて不快気にその手から逃れた。

「この着物も私の趣味ではありません。先程のように市華さんに近付く輩の目を逸らさせるため、仕方なくです」

 パーティーの席では民族衣装の受けが良く、市華とは違った意味で春雪は目立っていた。

「本当はイチカちゃんに着て欲しかったんじゃないの、そのキモノ」

「あの方の美しさを一番に引き立てるのはあの(くろ)です。それを解さないのであれば、貴方も派手なだけの花に惹きつけられる目の曇った輩と同じです」

「目が曇ってんのはどっちだろうねー? そのカオ、ちょーっと美化し過ぎだと思うけど」

「……何を言いたいのですか?」

 ざわり、と一瞬、美女の頬に逆立った金色の毛が浮かび上がった。

 ピックは犬歯を覗かせ煽るような笑みを浮かべる。

「好きな女に叶えてもらえないからって自分のカラダで慰めるなんてサミシイよね。ああ、そっか。普段ハルユキが黒髪なのもそーゆー……」

「黙れ。舌を削ぎ落とすぞ」

 現在の自分の姿を忘れてか、春雪は男の声色で低く唸るように言った。


「やあ、これは美しいご婦人だ。貴女のような奇跡に出逢えるとは、私はなんと幸運なのだろう。このような奇跡に毎日出逢えている男がいるとすれば、それは間違いなく世界一の果報者でしょうな」


 不穏な空気に気付かず、やや小太りの男が二人に近付いてきた。二人の視線が、同時に男の方を向く。


「まあ、お上手ですわね」

「ええ、自慢の妻です」


 春雪は上品な笑顔を、ピックは満面の笑みを男に向けた。


 相手から褒められた分だけきっちりと褒め返して、適当に話を盛り上げる。

 傍には一組の男女が会話に参加することなく一歩引いた位置で控えている。話の中で男はどこかの会社の社長だと名乗っていたので、女の方はおそらく秘書だろう。白いパンツスーツと生真面目そうな顔に掛けられた眼鏡がいかにもそれらしい。男の方も黒のスーツを着ているが、こちらは会社の役員という風貌ではない。筋骨隆々の巨漢で、外はもう陽が沈んでいるというのに黒眼鏡を掛けている。


機械(マキナ)を作っていらっしゃるのですか、それはすごい。珍しいお仕事をされているのですね」

 普段の軽薄さを隠してまともな受け答えで談笑するピック。

 機械(マキナ)は人間であれば一時間掛かりの計算をほんの数秒で処理する演算能力を有した道具だ。一台で家が一軒建つ程高価な代物で、まず一般には流通していない。よほど大きな研究機関でしか扱われておらず、暗にこの男がそういった機関との繋がりを持つことを示していた。

「ところで、あなた方もこの後のオークションには参加されるのですかな?」

「ええ。参加するのは初めてなのですが、妻に似合う宝石でもあればと思いまして」

「それは良いですね。しかし宝石も良いですが、もっと珍しい品が出品されるそうですよ」

「珍しい品、ですか?」

 とぼけた態度で話を聞く。男はその話をしたくて堪らなかったらしく、得意気に自分の知る情報を語りだした。やはりピックが得た情報と同じく〈ノート〉が出品されるという話だった。内容の真偽はともかく、そういった噂が流れていたという事実は肯定され春雪は内心で面白くない顔になったが、主の為には喜ぶべきところかと思い直し(かぶり)を振った。

 そのような話をしていると、会場の扉が開き大きく解放された。壇上に上がった司会者が注目を促す。


「ご歓談中に失礼いたします。皆様、オークションの準備が整いました。参加・ご観覧を希望される方は係員の案内に従って会場の移動をお願いいたします」


 会場内の人間達が順次移動を始めた。ピックは壁際にいた市華とロウが移動したのを確認して、話を切り上げる。

「それでは私達も移動しましょうか」

「ええ、そうですな」

 そう言って夫婦の振りをした二人は一旦この男と別れた。

 二人の背が離れていくのを見送ってから、秘書は社長の背後に近付きそっと耳打ちした。


「今の男、吸血鬼(ヴァンパイア)です」

「ほう、判るのかね?」


 さして驚いた様子もなく、にやりと口元を歪ませた。

「適当なことを言って誤魔化していたようですが、狙いはおそらくあの〈ノート〉でしょうね」

「〈インク〉となる吸血鬼(ヴァンパイア)がそれを狙うということは、それだけ本物である可能性が高いと考えてよさそうだな」

 頭の中で計算機を叩く。取引先の研究所(ラボ)の連中にとっては喉から手が出る程手に入れたい研究材料のはずだ。研究機材を揃えるのにも金に糸目を付けない連中である、ここで大枚を叩いてでも手に入れることが出来ればお釣りが来る金額で買い取ってくれるだろう。機械(マキナ)を売るよりもよほど金になる。

「仮に落札出来たとしても、その後が無事で済むかどうか……相手は人の道理が通じない〈人外〉ですからね」

 実力行使で奪われる可能性を懸念している。秘書の心配を余所に、社長は余裕の表情でもう一人の付き人を見上げた。

「その時は、イアン君に活躍してもらうさ」

 黒眼鏡の下で表情を変えず、大男は無言のまま頷いた。

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