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黒の手記帳  作者: ナルハシ
一話
5/18

可愛いアイリス

 黒服の護衛を従えて応接室にやってきたコルドナを待っていたのは、薄紅色の派手な襟巻きを巻いた銀髪の若い男だった。

「お待たせして申し訳ない。こちらも何かと忙しい身なものでね」

「いえいえ~。こっちもイキナリ押しかけちゃったからねー」

 ソファーにだらりと腰掛けたまま、軽薄そうな見た目を裏切らない軽薄な態度でピックは応じた。

「さて客人、私に何か御用ですかな?」

「んー、メンドクサイから単刀直入に言うけど、コルドナさんが持ってるノートを譲ってもらいたいんだー」

 コルドナが席に着くやいなや、早々にピックは本題に入った。

「ノート?」

「もちろんタダとは言わないよー。コレと交換でどうかな?」

 そう言ってアタッシュケースをテーブルの上に置くと、留め具を外して中身を見せた。

 ケースの中には札束がぎっしりと詰まっていたが、一瞥しただけでコルドナは顔色を変えなかった。

「申し訳ないが、何のことを言っているのかわかりませんな」

「あー、とぼける? まぁ、とぼけるよね。でも〈黒〉の〈ノート〉って聞いたことくらいはあるでしょ?」

「……というと、所持者が他人の意思を操ることができるというあれですかな?」



 とある吸血鬼(ヴァンパイア)が生み出したとされる〈ノート〉。



 時代と共に、旧くはモンスターや妖怪などと呼ばれていたもの――〈人外〉が人間の生活圏内に浸透するようになった。しかし未だ、彼らの文化を積極的に受け入れようという人間は稀だ。

 それにも関わらずノートの存在は至宝として人間にも認識されている。

 ノートから抜け落ちた失われた頁(ロストページ)。それを一枚手に入れれば一国一城の主になることも天下を取ることも容易だと言われている。故に、至宝。

 手に入れようと求める者にとっては、誰が、何のために生み出したかなど興味はない。黒の正体は知らずともノートの存在のみが一人歩きして知られていることはざらであった。



 そうそうそれそれ、とピックは手を打った。

「ノートを使うにはインクが必要だ。そのインクの素材がこの屋敷にいるって話をアイリスちゃんから聞いたんだけど」

「おや、アイリスのことをご存知なのですかな?」

 あくまで白を切り通すつもりなのか、コルドナはノートの話題から話を逸らした。

「いや、お恥ずかしい話、そのアイリスが家出をしてしまいましてな。先程忙しいと申しましたのも、娘の行方を捜しているからでして」

「娘? 孫じゃなくて?」

 ピックの目から見て、コルドナとアイリスは親子と言うには歳が離れ過ぎているように見えた。

「養女です。私には子供がいなかったものでね」

「じゃあアイリスちゃんの言ってたお父さまってコルドナさんのことかー。でもさー、跡継ぎなら男を引き取るモンじゃないの?」

「そのようなつもりであの子を引き取ったのではありません。運命……とでも申しましょうか、出会った瞬間に、あの子は私の娘になることが決まっていたのだと感じたのです。ああアイリス、今頃どこでどうしているのか……」

 そう言うと不安を露にして頭を抱えた。ピックは胡散臭そうにその姿を見つめて、頭の後ろで手を組みふんぞり返った。

「ふーん、血が繋がってなくてもそんな風に思えるんだ? オレにはよくワカンナイねー」

「お若い貴方にはわからぬことでしょう。まぁ、見た目通りの若造であるかどうかは判断しかねるがね」


 周囲に控えていた黒服たちが一斉にピックに銃口を向けた。


 ピックは背もたれに寄り掛かったまま、周囲をぐるりと見回す。

「なんだ、オレが人間じゃないって気付いてたんだ、用意がイイねー。それともこれが普段のオモテナシ?」

 感心した、というよりは面白そうな玩具を見る目で向けられた銃口を覗き込んだ。

「貴公はアイリスの居場所を知っているようだ、吐いてもらおうか」

「なんだかヒトが誘拐したみたいな言い方だなー……じゃあ、情報はノートと交換ってことでどう?」

 そう提案すると、黒服の一人がピックの頭に銃口を押し付けた。コルドナはゆったりと立ち上がり、護衛に庇われながら部屋の端に移動した。

「交渉が成立するような対等な立場にいると思わないことだ。娘を誘拐した凶悪な化け物として片付けてしまっても、こちらは一向に構わないのだぞ?」

「まーたしかに、対等ではないよねー」

 銃を突き付けられているのもお構いなしで、ピックは後頭部で組んでいた手を解き、のん気に伸びをした。

「妙な動きをするな!」

 銃を突き付けていた黒服は反射的に引き金に指を掛けたが、その手元を見て違和感に気付いた。


 銃身がない。


 足元に黒い金属の塊が落ちていた。分厚い絨毯に吸収され、それが落下した音に気付かなかったようだ。

 伸びをしたピックの手の先からは長細い刃物が一本伸びていた。

 否、それは刃物ではない。


「人間は、こんなオモチャに頼らないとヒトも殺せないんだもん」


 それは鋭い刃物に酷似したピックの〈矛〉――――爪だった。


 残り四本の指の爪も、初めの一本と同じように長く鋭く伸びた。

 目の前の光景を処理し切れずに動きを止めている背後の黒服の襟元に爪を掛ける。

「とうっ!」

 身体を捻り、頭からソファーに引き倒す。ソファーの上を転がった勢いで足がテーブルの上のアタッシュケースにぶつかり、詰められていた札束を撒き散らした。

 黒服を投げたピックは入れ代わりに猫のように背もたれに飛び乗る。

「銃はイタイからキライだよー。ま、当たらなきゃカンケーないけどね」

 ピックは挑発するように、爪を一本立てて手招きをした。


「殺せ」


 挑発を受けたコルドナは周囲の黒服たちにごく簡潔な指示を飛ばした。







 獣の耳が遠くの音を察知してぴくりと動いた。

「始まったようですね」

「いまのは銃の音ですか?」

 銃声はアイリスの耳にも届いていたらしく、背後の春雪に背を向けたまま訊ねた。

「そのようです……もうこちらを向いても構いませんよ」

 振り返ると、仕上げに髪を纏め直しているところであった。ボタンが一つも付いていない服は構造が複雑で着付けに手間取るかと思われたが、春雪はアイリスが思うより短時間で着替えを終えていた。

「ピックさん、本当に大丈夫でしょうか……?」

「あれは心配するだけ無駄なので、貴女はお友達のことだけを心配してあげてください――――ほら」

 髪を整え終え、春雪は階段の方を目で指した。


「ロウ!」


 市華の後に従って階段を上ってきた人物の姿を見とめ、アイリスは駆け寄ると半ばぶつかる勢いでロウに抱き付いた。

「苦しいよ、アイリス」

「だって、だって……ケガしてない? お父さまにひどいことされなかった?!」

「へーきだよ。なんともないってば」

 涙目のアイリスの肩に埋もれながら、なんとか彼女を宥める。二人並ぶとアイリスの方が年長に見えるが、ロウの方が落ち着いた対応をしている。

 市華はロウの服の下にまだ痣が残っていることも長い前髪に隠れた目が赤く腫れていることも知っていたが、それに触れることはなかった。

「これで依頼は完遂した。それで、君たちはどうするつもり?」

「どう、って……?」

 再会の抱擁を終えた二人は恩人の姿を見上げた。

「私たちはこれから報酬(ノート)の受け取りに行く。場合によっては君の父親を傷付けることになるかもしれない」

「多少なり、荒事になるのは間違いないでしょうね」

 立てた耳を動かしながら春雪も同意した。

「私たちをここへ手引きしたことは、遅かれ早かれ知られてしまうことだろう。ロウはもちろん、アイリス、君も今まで通りというわけにはいかなくなる。君と父親の関係がどうなってしまっても、私は責任を持つことができない」

 幼い子供たちを突き放す言葉。しかし子供たちも決断は必要なのだと、ある程度覚悟はしていた。


「ボクは――――」

「あのっ、わたしにお父さまと話をさせてください!」


 ロウの言葉を遮り、アイリスが身を乗り出した。

「お父さまが市華さんの探している物を持っているんですよね? だったらわたし、市華さんに渡してもらえるように頼んでみます。お父さまはロウにひどいことをしました……けど、身寄りのないわたしを引き取ってくれた、本当はやさしい人なんです……きっと、話せばわかってくれるはずです」

 角の立たない方法ではあるが、それはあくまで説得に成功すればという話である。甘い幻想、しかし彼女なりに必死に考えた方法なのだということは伝わる。

「わかった」

「市華さん……」

 春雪は、あっさりと了承した市華に諫めるような視線を送った。

 その視線を無視して、市華は黙りこくってしまったロウを見た。

「急ごう」

 前髪に隠れて表情は窺えなかったが、拳を強く握り締め何かを決意しているようだった。







 市華たちが応接室に辿り着くと、その床には黒服の男たちが累々と倒れていた。

「遅いよー」

 立っているのはピックと、部屋の隅のコルドナとその護衛が二人残っているだけだった。

 室内の惨状を見て、春雪は呆れた声を出した。

「やりすぎです、ピック」

「殺してはいないよー。オレさま強いからちゃんと手加減できるもーん」

 床で絨毯に顔面を埋めた黒服が呻いた。確かに死んではいないようだ。

「さてと、コルドナさん。そろそろ諦めて出す物出そっか? ウチのイチカちゃんは怒らせるとコワイよー?」

「待て、ピック」

 すっかり怯えた様子のコルドナを脅しに掛かるピックを、市華は止めた。その後ろから、少女が姿を見せる。

「アイリス!?」

 人外の間に挟まれて立つ娘の姿に、コルドナは驚きの声を上げた。

「お父さま――――」

 説得の機会を与えられたアイリスは自身を勢い付けるように一度息を吸い込んだ。しかし、彼女の決意は虚しくも空回ることになる。


「貴様ら、娘を人質に取ったのか! なんと卑劣な!」

「えっ……っ」


 父の予想外の反応に、アイリスは二の句を告げられなくなってしまった。

 春雪は市華に視線を送り、市華は黙って首を横に振った。やはりな、という反応である。

「アイリスを返せ、この外道ども!」

「違いますお父さま、わたしは――――っ!?」

 アイリスは弁解しようとしたが後ろから伸びてきた手に羽交い絞めにされ、口を塞がれた。

「動くなコルドナ! アイリスを返してほしいと言うのならノートをこの人たちに渡すんだ!」

(ロウ?!)

 羽交い絞めにした手にはさほど力は込められていなかった。しかし状況が飲み込めず、驚いたアイリスはその手を振り払うことができなかった。


「ごめん、アイリス」


 囁きがアイリスの耳に届く。

「やっぱり、話し合いなんてムリだったんだよ……キミはノートと引き換えに、父親のところにもどって。ボクたちは、ここでお別れしよう」

 突然突きつけられた別れの言葉に、アイリスは何か言おうとした。しかし口を塞がれていて、明確な言葉にはならなかった。

「こんなカタチになってしまってゴメン……キミはボクのことを忘れて、今までどおりの生活にもどって」

 抱き締めるように回された腕に少しだけ力を込められたのを感じた。わずかな力だったが、アイリスがロウの決意を理解するのには充分な力だった。

 泣きそうになるのを堪え、アイリスはコルドナに気取られないよう小さく頷いた。それを受けて、ロウはアイリスと共に一歩進み出た。


「どうするんだ? 答えないのなら、ここでアイリスを殺す!」

「わ、わかった! ノートは返す! 返すから、娘に手を出さないでくれ!」


 コルドナが取引に応じたことを確認して、ロウは市華の方を振り返った。

「勝手なことをしてすいません……」

「君がそれでいいのなら」

 市華は理解を示し、制止するようなことはしなかった。


 抵抗の意思がないことを示すためコルドナは護衛に武器を捨てるよう命じ、距離を取らせた。

 ロウはアイリスを連れてコルドナの元へ近付く。

「ああ、アイリス!」

 手の届く距離まで近付くと、コルドナはロウから引き剥がすようにアイリスを抱き寄せた。



「ねー、イチカちゃん」


 ピックは様子を見守る二人に呼び掛けた。

「何?」

「ちょっとねー……」

 そう言ってピックは自らが倒した黒服の群れを、首を傾げつつ眺め回す。

「何ですか? 気になることがあるなら言いなさい」

 珍しく神妙な面持ちのピックを訝しく思いながら、春雪が話を促した。

「んー……あのお父さまはこれだけヤラレっぱなしで、なんで〈ノート〉を使わなかったのかなーと思って」

 ピックの言葉を聞いた途端、それまで表情を変えることのなかった市華の目に焦りの色が浮かんだ。春雪もその意味に気付き、取引の光景を振り返った。


「まさか――――!」



 コルドナは跪き、アイリスを大事そうに抱き締める。

「約束だ、アイリスは無事にかえしたんだ。はやくノートをわたせ!」

「ああアイリス、無事でよかった。よく無事で戻って来てくれた……」

 ロウが催促をするが、コルドナはアイリスを抱き締めたまま話を聞いているのか怪しい反応しかしない。

 しばし反応を待ったが、コルドナが話に耳を貸すより先にロウはある異変に気付いた。

 父の腕の中でアイリスの腕が力なく垂れ下がる。

「アイリス?!」

「本当に、よく戻って来てくれた」

 首元に回されたコルドナの手には、小さな注射器が握られていた。注射器を床に放り、脱力したアイリスの胸元に手を伸ばす。胸の上に手を翳すと、彼女の体内から衣服をすり抜け一枚の紙片が浮かび上がった。


「おかえり……私の可愛い〈ノート(アイリス)〉」


 己の手の中に納まった紙片を見つめ、コルドナは愛おしげにそう呟いた。

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