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黒の手記帳  作者: ナルハシ
一話
2/18

黒の市華

「クロノ? さあ、聞いたことないねぇ」


「ごめん、わからないや。そういう連中が集まってる場所はいくつかあるって聞くけど……」


「その人がいるかどうかはわからないけれど、もしかしたらハニーズの人のことじゃないかしら?」



 見知らぬ場所で独り聞き込みを続け、少女は少しずつ目的の人物に近付いてきた手ごたえを感じていた。


「〈ハニーズ・ビースト〉の人のことかい? ああ、知ってるよ」

「本当ですか?!」

 何人目かに尋ねて、ようやく目的の人物の所在に行き当たった。

「けど、お嬢ちゃんのような子が行くような所ではないと思うよ?」

 これまで尋ねてきた相手の反応からも、そのことは感じ取っていた。それでも彼女には行かねばならない理由があった。

「まぁ、何が出てくるかわかったもんじゃないから、くれぐれも気を付けるんだよ?」


 そうして案内に従って辿り着いた建物を見上げて、少女は首を傾げた。

「ハニーズ……ここ?」

 煉瓦造りの三階立ての建物。その入口には確かに『HONEYS』の文字プレートが嵌め込まれていたが、先程聞いた『ビースト』の文字はその後に続いていなかった。

 教えられた道は間違っていないはずだ。他にそれらしい建物も見当たらない。だとすればやはりこの場所に間違いないのだろうと当たりをつけた。

 胸に抱いたクマのヌイグルミを抱き締める。

「大丈夫」

 自分に言い聞かせるように物言わぬ相棒に話し掛ける。

(大丈夫……すぐに行くから、待っていて)

 覚悟を決めて、扉のノブに手を掛けた。



 何故この場が〈ハニーズ・ビースト〉と呼ばれていたのか、扉を開けて理解ができた。


「いらっしゃいませ。おや、随分と可愛らしいお客様ですね」


 そう言って少女を出迎えた青年の頭には、獣の耳が生えていた。艶やかな黒髪とは不釣合いな、黄金色の尖った耳。それと同じ色の体毛を纏った太い尾が一房、腰の辺りから垂れている。

 少女は視線を上下させた。真っ先に獣の部位に視線が運ばれたが、この青年は目が吸い寄せられる場所が多い。着ている服はこの辺りでは滅多に見ない、着物と呼ばれる極東の地の古い民族衣装。そして、幼い少女ですら思わず見惚れてしまうほどの美しい顔立ち。声を聴かなければ女性と見間違えていたかもしれない。

人外(けもの)を見るのは初めてですか?」

 美貌が柔らかく微笑み、少女は自分が何度も視線を往復させていたことに気が付いた。

「あ、ご、ごめんなさい……っ」

「構いませんよ。見られて減るものでもありませんから」

 視線を集める容姿をしている自覚があるらしく、青年は気を悪くした様子もなく余裕の態度で返した。

「さて、ようこそいらっしゃいました……と言いたいところなのですが、ここは貴女のような方が来る場所ではないと思いますよ?」

 少女がこの場を訪ねた目的について触れるより先に、青年はこの場所への道のりを示した人間とまったく同じような台詞を口にした。

「ここはハニーズ・ビーストでまちがいない……ですよね?」

「確かにそう呼ばれています。ですが、ハニーズという名前はこの建物の以前の所有者のものであって、我々が掲げている看板というわけではありません。探偵や便利屋の真似事はしていますが、こちらの都合で仕事を選びますので貴女の要望に応えられるとは限りません。もしよろしければ、良心的な本職の方を紹介致しますが?」

 丁寧な対応ではあるが、明らかに追い返そうとしている。そのような対応をされるのも無理はない。少女の幼さを見れば、依頼内容は失せ物か迷子の犬猫の捜索が精々であると誰もが予測するだろう。

 しかし、彼女はそのようなお使い程度の依頼が目的でやって来たのではない。他ではなく、ここでなければならない理由があった。

 青年の態度に流されてしまいそうになるのをすんでに堪え、この場に来た目的を伝えた。


「わたし、黒のイチカさんという人に会いに来ました」


 瞬間、青年の顔から笑みが消えた。すん、と少しだけ鼻を蠢かせ、視線を少し下に落とす。

「……なるほど。これは、僕たち向きの依頼のようですね」

 少女の腕に抱えられたヌイグルミを注視して、納得したように呟いた。

「失礼を致しました。僕は春雪(はるゆき)と申します。お嬢さん、貴女のお名前は?」

「あ……アイリス、です」

 名を尋ねられ、少女は態度の変化に戸惑いながら応えた。

 春雪と名乗った青年は、再びアイリスに微笑みを向ける。


「お話をお聞きします。こちらへどうぞ、アイリスさん」


 一体何が決め手になったのか定かではないが、ひとまず話をする前に追い返される事態は避けられ、安堵した。


 春雪のエスコートで廊下を進む。先行していた春雪はひとつの部屋の前で立ち止まると、ノックをしてからドアを開けた。

「失礼します」

 通されたのは応接室らしき部屋。部屋の中央にテーブルを挟んで二つ、大きなソファーが配置してある。そしてその内、片側のソファーの肘掛の上には何者かの足が乗っていた。


「あー?」


 入室の気配に気付いて、ソファーの上の足が唸ってもそりと動く。ソファーをベッド代わりにして眠っていたらしく、上体を起こした人物の着衣は乱れていた。はたして寝相が原因なのか、薄紅の襟巻きらしき布が頭にぐるぐると巻き付いて顔を隠している。

「もしかして、この人がイチ」

「断じて違います」

 尋ね終わる前に即座に否定された。不本意な勘違いだ、というような顔をしている。

 出来損ないの派手なミイラが濡れた犬のように首を振ると、布が滑り落ちて銀髪が姿を現した。寝惚け眼が小さな来客の姿を捉える。

「何、そのちっこいの? ハルユキのシュミ?」

「お客様に失礼ですよ、ピック。それに行儀が悪い」

 胡坐を掻いて欠伸をする姿を窘められ、ピックは「へいへーい」とやる気のない返事をして床を足に下ろした。

「市華さんは?」

「いつものおでかけー。もうすぐ帰って来るとは思うけど?」

 襟巻きを広げ、首に巻き直しながらそう言った。春雪とは違い容姿に人間との差異があるようには見受けられないが、おそらくは彼も人ではない。襟巻きを整え終えると、アイリスの視線に気付いたピックは歯を見せて笑い掛けた。犬歯が異様に長く尖っている。

「申し訳ありませんがアイリスさん、こちらでしばらくお待ち頂けますか? もし急ぎの用事であれば僕が話をお聴きしますが……」

「あ、その必要ないっぽい」

 春雪がアイリスをソファーに座るよう促した直後に、ピックの首がぐるりとドアの方を向いた。その動きに釣られて、アイリスもドアを見た。



 ――――この人が、黒のイチカ。



 ノックも言葉もなく部屋に入ってきた女性の姿を見て、アイリスはそう確信した。

 〈黒〉の名の通り、その女性の姿は黒い色に包まれていた。高い位置で一束に纏めた長い黒髪に、黒い瞳、黒いロングコート、手袋や履いているブーツまでもが黒い色で統一されている。

「おかえりー、イチカちゃん」

「ああ」

 ピックの言葉に短く返事をして、春雪の傍を通り抜ける。ピンと伸ばした細い背筋から長身である印象を受けたが、春雪と比較してみると思ったほど背は高くないようだった。

「成果はどうだった?」

「無駄足だった。やはりそう簡単には見付からないな」

 淡々とした口調は彼女の凛とした、冷たい印象を際立たせる。表情を変えないまま、市華は来客用のソファーに腰掛ける少女を見た。

「市華さん」

 春雪が名を呼んで、目配せをした。

「……そう」

 後に続く言葉はなかったが、市華は春雪の呼び掛けに対し得心したというような呟きを洩らした。

「話を聴こう」

 やはり表情を変えないまま、市華はピックの隣に腰掛けた。アイリスはその動きを目で追っていたが、話を促されたのだと気付いて慌てて立ち上がった。

「あ……あのっ、わたしはアイリスと言います。わたし、イチカさんにお願いがあって来たんです! 友達に頼まれて……その、友達を……っ……」

 早く用件を伝えなければと早口になったが、上手く言葉を紡ぐことができなかった。ここに辿り着くまでの緊張、目的の人物に出会えた安堵感、一刻も早く戻らなければならないという焦り。様々な感情が交じり合って、涙がアイリスの瞳を滲ませた。

「わたしの友達を…………ロウを……たすけて、ください……っ」

 搾り出すようにそう言って、ヌイグルミを強く抱き締め俯いた。そんなアイリスの肩に、春雪はそっと手を添えた。

「落ち着いて、ゆっくりで構いませんよ。ひとまず座って、それから――――」

 少女の腕の中のヌイグルミに視線を落とす。

「その友達から、何か預かっている物はありませんか?」

 春雪の言葉に何かを思い出したらしく、アイリスは涙を拭うとヌイグルミを身体から離した。首に巻かれた黄色のリボンの下から小さく折りたたまれた紙片を取り出す。

「これを」

 市華は差し出された紙を受け取り、広げて中に書かれた文字を見た。

「キタナイ字だねー……『ノート』?」

 横から紙を覗き込んだピックがそこに書かれた赤茶色の文字を読み上げた。

「これは、血?」

「ええ、嗅ぎ慣れたものに似た血の臭いがします。おそらく、彼女の友人というのは……」

 市華の問いに頷いた春雪の言葉の後を、アイリスが引き取る。


「はい……ロウは、イチカさんと同じ〈人外〉です」


 わーお、とピックが場の雰囲気に似つかわしくない歓声を上げた。

「人外でノート? すっごいアタリっぽいじゃーん」

 ピックの反応にアイリスはきょとんとした顔をする。不愉快そうに銀髪をひと睨みして、春雪はその隣の市華に話し掛けた。

「そのロウという人物が市華さんと同種の人外であるとすれば、宿主に〈インク〉として使われている可能性が高いですね。どうしますか?」

「決まっている」

 悩む素振りを欠片も見せず、市華は立ち上がった。

「わずかでも可能性があるのなら、私には行かない理由はない」

「わーい、じゃあみんなでおでかけだー」

 ピックも諸手を挙げて跳ねるように立ち上がる。

 アイリスの依頼はハニーズ・ビーストに選ばれた。依頼が受理されたのだと気付いて、アイリスは慌てて礼を言った。

「あ、ありがとうございます! ……あ……でも、お礼は……」

 ここに来るまで〈黒〉に会うことばかりを考えていて、今の今までそのことを失念していた。アイリスにはほとんど金銭の手持ちがない。持っていたとしても、幼い少女に払える額などたかが知れていた。

「お金の心配をしているのでしたら、それは必要のない心配ですよ」

「え、でも……」

「金銭は必要ない。ただ、君の友人の近くに私が探している物がある可能性がある。それを報酬の代わりとして貰う」

「探し物?」

「君は知らなくていいことだ」

 睨んだ、という訳でもないだろうが、アイリスは市華の冷たい瞳に射竦められた。


 おそらく紙片に書かれた『ノート』の文字と、市華の探し物は関連している。しかし、紙片を託したロウもアイリスに詳しい事情を話しはしなかった。

 人外ではない者には知られたくない事情があるのだろう。しかし身近な人間が関わっている以上、アイリスに無関心を決め込むことは不可能だった。


「けどさー、助けてって言っても場所わかんないと助けられないよ? その辺どーなの?」

「居場所はわかっています。わたし、案内できます」

「その場所に捕らえられている、と考えていいのでしょうか? 情報は多い方が助かります、わかっていることがあれば話してください。捕らえられているのだとしたら、捕らえているのは誰なのかわかりますか?」

 春雪に尋ねられ、アイリスは辛そうに視線を落とした。ヌイグルミを抱く手に力を込め、勇気を出して答える。


「ロウを閉じ込めているのは、わたしの――――お父さまです」

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