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黒の手記帳  作者: ナルハシ
三話
18/18

ゆらり、ゆれる

「おかえりー。思ったより遅かったね。どうだった、おでかけは?」

 途中まで様子を窺っておおよその出来事は把握しているピックが、拠点に戻ってきた市華とシンの二人に白々しく訊ねた。

「ママ、なんだかつかれてない……?」

 同じくおおよその出来事を把握しているロウだったが、目を離してから何が起きたのか、市華は出掛ける前よりも疲弊しているように見えた。対して出掛けるのを嫌がっていたシンは妙に晴れ晴れとした表情をしている。

「疲れたけれど、楽しかったよ」

 男二人が尾行を取りやめてからその後、市華はシンの着せ替え人形と化し着慣れない種類の服をいくつも試着させられた。

「つい楽しくなってしまって」

 シンはそう言い訳したが、あまり申し訳なく思っている様子はなくむしろどこか満足気である。

「服買ったんだ? どんなの? 見せて見せてー」

 市華の手に提げられたブティックのロゴが入った紙袋を目敏く見付けたピックが催促するが、市華は紙袋を視線から隠すように後ろ手に回した。


「これは……駄目だ」

「そうですよ。これはまだ着れない服ですから、着れるようになるまでのお楽しみです」


 シンからの思わぬフォロー。男二人には言葉の意味が判らないが、おでかけを経て随分と二人の距離が縮まっていることは感じられた。

「ちぇー、おあずけになるんだったら、あのまま続けてればよかったなー」

 今度は女二人には判らない話だった。ロウはストーカーの共犯にされては堪らないので口には出さなかったが、店に入る気だったのかと言いたげな顔をしていた。



 しばらく四人で他愛のない会話をしていると、やがて春雪が戻ってきた。

 

「市華さん、お休みではなかったのですか?」

 市華が帰り次第休ませるようシンに頼んでいたはずだが、どういうことか応接室に集まって談笑している。

「帰ってすぐ、女の子同士でおでかけしてたんだよー」

 ピックの発言に春雪の切れ長の目が細く(すぼ)まった。その鋭さにシンは思わず目を逸らす。

「シンは悪くないよ。私が誘ったんだ」

 出掛けるよう提案したのはピックだったが、市華は事情を察してシンを庇った。真偽はともかく主がそう言うのであればと、それ以上の追及はせず春雪は部屋を出ようとした。


「あれ……春雪さん、髪飾りはどうしたんですか?」


 振り返ったその後頭部に簪がないことにシンが気付く。市華を捜しに出る前は乱れなく纏められていた髪も解けている。

「ああ……汚れたので捨ててきました」

 いつも身に着けていた物だが未練はないらしく、無表情に髪を撫でた。その様子を見て市華が何かを思い出したように春雪を引き止める。

「そうだ、丁度良かった……と言うのはおかしいかもしれないが」

 手元の紙袋の中身を探り、取り出した物を手渡す。


「高価な物ではないし、君の趣味に合うかは判らないのだけど」

 

 渡されたのは一本の簪だった。端に吊り下げられた薄い紫色の石が控えめに揺れる。

「……悪夢(ゆめ)の続きでしょうか……?」

「ゆめ?」

「いえ……貴女から贈り物なんて初めてでしたので、驚いてしまって」

「そうなのか?」

 ハニーズ・ビースト一番の古株で付き合いも長いが、その間一度も贈り物をしたことがないというのは市華にとって意外であった。

「心配をさせてしまったようだから、詫びのつもりだ」

「気を遣って頂かなくてもよかったのですが」

「だけど、私は君に黙って出て行かないよう言いつけられていたのではないか?」

 申し訳なさそうにそう言う市華に、春雪は首を横に振って見せた。

「心配したことも、そうして欲しいと思っていることも事実ですが、僕は貴女にそれを命じたことはありません。僕は見返りを求めず、貴女に付き従うことを誓いました。貴女の自由を束縛するようなことはいたしません」


 出逢うたび、ノートに自らの名を記すたび、そう誓ってきた。そのことは市華も忘れてはいない。


「……そうだったな。それなら、礼として受け取って欲しい。ずっと、私の勝手に付き合ってくれてきたことへの礼。受け取ってくれるな?」

「僕は、僕のしたいようにしてきたまでですが……」


 髪を一つに束ねて纏め、器用にも仕上げに簪を一本挿すだけで髪を結い上げた。着物の柄と同じ色の飾り石が黒髪の傍で揺れる。


「大切にします」

「いいなーいいなー」

 一部始終を見ていたピックが駄々っ子のような声を上げた。結い上げるにはどう考えても長さの足りない髪を見てロウが不思議そうな顔をする。

「髪飾りが?」

「じゃなくてプレゼントが。オレに市華ちゃんにお礼貰いたーい」

「ワガママ言わないでください。兄さんはもう少し春雪さんの謙虚さを見習うべきです」

 兄が妹に窘められる構図に市華は笑みを洩らす。

「考えておくよ」

「えっ、えっ? じゃあボクもほしい!」

 諸手を挙げて喜びを表現するピックを横目に、ロウも慌てて催促した。

 遠慮や慎みといったもののない態度に春雪は呆れる。姦しいことこの上ないが、その騒がしさの中に主の姿が混ざっている光景が余計に悪夢の続きを思わせる。


 春雪の知る〈黒〉の市華という人物は孤高で高潔、他の誰にも媚びはしない――そう思っていた。しかし、目の前の光景に認識を覆されそうになる。

 いつからかピックが付き纏うようになり、現在の場所に拠点を構えてからロウとシンが加わった。変わったのは彼女を取り巻く環境だ。おそらく、春雪が似つかわしくないと感じている部分は初めから市華に備わっていた性質なのだろう。


 ――今の姿が本来の姿であるとすれば、自分がしてきたことは……


「どったの、ハルユキ?」

 不愉快な声に思考を切断され、冷たい視線をピックに送った。

「そーいやハルユキも帰るの遅かったけど、何してたの?」

 ノートの意思の繋がりを使って市華が帰還を伝えていたであろうことはピックも察していたが、春雪の帰宅は誰よりも遅いものとなった。

「貴方には関係のないことです。それよりも……ピック、貴方はもう少し付き合う友人を選んだ方が良いと思いますよ」

 ピックの交友関係は情報源として有益であることは認めたが、その分こちらの情報が漏洩する危険性もあると酒場での一件で学んだ。レーヴのような輩が一人だけとは限らない、市華に害を為すかもしれない不安の種を増やすのは春雪の望むところではない。

「オレはちゃんと選んでるよ」

「どうだか」

「選んでるからここにいるんだけどなー」

 その言い方がまるで自分も友人の一人として数えられているかのようで、春雪は露骨に眉根を寄せた。

 市華はロウ達と先程の話の続きをしている。こちらの会話に気付いていないことを確認して、ピックの耳に顔を寄せた。

「貴方が市華さんの害になると判断した時、僕は躊躇いなく貴方を殺します」

「そだね。イチカちゃんを守るのがハルユキの仕事なんだから、ちゃんと守らないとねー」

 自分は決して裏切らないという意思表示か、或いはその時が来ても殺されはしないという自信の表れか、ピックはまるで他人事のように返事をした。


 ドアが閉まる音に気が付き、市華は反射的に室内の人数を確認した。

「どうかした?」

 どうやら部屋を出て行ったのは春雪のようなので、自分達の会話に加わっていなかったピックと何かあったのかと思い市華は訊ねた。

「んー、今のところ害とは思われてないって話」

「がい?」

「イチカちゃんは気にしなくていい話だよ」

「そう……?」

 気にしなくてもよいと言われたが、ドアの閉め方が春雪にしては乱暴であったことが引っ掛かった。

「春雪さんどうかしたんですか?」

「いつものことだと思うよ。ピックと話したあとってだいたいあんなかんじ」

 市華が神妙な顔をするのでシンは心配になったが、ロウの言葉で納得した。

「そうそう、ケンカするほど仲良しーって言うしねー」

 確かにそんな言葉もあるが、ピックの口から出た言葉には全員が強烈な違和感を覚えた。


(好き勝手なことを……)


 全員、というのはドアの外の春雪も含まれていた。

 仲良しという部分には全力を以って否定するが、ピックの言った事は概ね事実であり、春雪の囁いた言葉も本心からのものだ。

 どれだけ近しい相手であろうと、必要とあらば始末する覚悟はある。


 ――しかし……


 市華を変えた――或いは本来の姿に近付けた――のは環境だけではないのかもしれない。彼女の半身とも言える〈ノート〉。失われた頁(ロストページ)を取り戻すたび、彼女は分の欠けた部分を取り戻しているのではないかと推測する。だとすると、ノートの補完を手助けする行為は自らが理想とする『市華』像から彼女を遠く離してしまう行為に他ならないのではないか。


 ――これからも変化し続けるだろう彼女を、自分は受け入れることが出来るのだろうか。


(だから、どうしたというのだ)


 自分の為すべき事は変わらない。市華の意思に従い、その身を守る。ただそれだけだ。

 彼女が何者になろうと、『市華』である限りは誓いを守り続ける。


 ドアの向こうから談笑の声が聞こえる。

 揺らぐ心を矯正するように背筋を伸ばし、春雪はドアから離れた。

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