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黒の手記帳  作者: ナルハシ
二話
13/18

繋がり

 デネブ公園での一部始終を、物陰に身を潜め伺っていた者達がいた。


 言うまでもなく、春雪とロウの二人である。ついて来るなという市華の言いつけは当然のように破られ、有事に備えて盛装から普段の軽装へと着替えて待機していた。

「まったく、勝手にあんなことを決めて……」

「でも丸くおさまったみたいだよ」

 耳のいい春雪と違ってロウは会話の内容を一部しか聞き取ることが出来ていないが、雰囲気からこれ以上危険が起こる可能性はないと察していた。今は和やかに言い合いをしているように伺える。

「手を出してきた相手に情けを掛ける必要などないというのに……ピックも、あの場面で止める必要なんてなかった」

「でもママが争いたくないって言ってたんだから、止めてくれてよかったじゃん。あのおねえさんも悪いヒトじゃなかったみたいだし」

 捉えようによってはピックの働きを賞賛しているようも取れる言葉に、春雪は不思議なモノを見る目で隣の少年を見た。

「妙に突っ掛かりますね」

「ハルユキさんがママをぜんぜん信頼してないからだよ」

「僕が……? そんなことは……」


 あるはずがない。その証に、彼女の所有するノートに自ら名を記しているのだ。

 永い時の中、何度も何度も繰り返し彼女を待ち続け、全てを捧げてきた。

 この新参の少年が知らないというだけの話だ。


 勝手な判断で忠誠心を否定されるのは癪だったが、何か引っ掛かるものを感じた所為で表情筋が感情に反応せず呆けたような顔になっていた。


 ロウは簡単な問題で頭を悩ませている子供を見るような視線を返した。

「だったら、ママが信じてるものをもうちょっと信じてみたら?」

 ノートの繋がりがあるくせに、と言われた気がして脳裏に銀色の髪がちらついた。ようやく感情が顔に出る。

「……誰かと似たようなことを」

「そのだれかがわかっちゃって、いっしょにされるのちょっといやなんだけど……ねぇ、それよりそろそろ戻ろうよ。ママより先に戻らないと、ついて来たのバレちゃうよ?」

 至極尤もな提案。元々ロウはお目付け役の立場で同行したに過ぎず、この場に様子を見に行くと言い出したのは春雪の方だった。普段は外見の通り子供らしく直情的であるが、この日は一歩引いて大局を見据えるような、所々の大人の対応が目に付いた。


「今日のボクはママのだんなさんだからね」


 だから市華が望むことは全て理解していると言わんばかりに、他の誰よりも市華との繋がりが深いことを主張して音を立てずに公園を囲む柵を越えた。

 春雪は納得しがたいという顔をしながらも、日付が変わるまでの辛抱だと自分に言い聞かせてロウの背を追いかけた。





「ところでさ、あのシャチョーさんのことは良かったの?」

 所々に設置された街灯が仄かに石畳を照らす夜道。ピックは隣を歩くシンに元の雇用主のことを訊ねた。

「いいんです! あんなセクハラおやじのことは……!」

 憤りを露にした弾みに足元をふらつかせた。眼鏡のレンズにひびが入っている所為で視界があまり良くない。

 人外が生き辛い世の中で素性を隠し、人間の社会で地位を確立するにはそれなりの苦労があったはずだが、未練は残していないらしい。一連の裏切り行為は計画性のあるものではなく衝動的な行動であったが以前からあの社長に対して不満を抱えていたようだ。

「ま、そのおっぱいじゃ仕方がないよねー」

「お……っ!? わたしが悪いって言うんですかピ……――兄さん!」

 それこそセクハラ染みた発言に顔を赤らめ、世の女性の平均値よりも遥かに大きな胸を手で覆い隠す。

 前を歩く市華はそんな遠慮のないやり取りを背中で聞いて、思わず肩を震わせた。それに気付いたピックはシンから逃げるように歩を速めて市華と肩を並べる。

「楽しそうだね」

「君たちが楽しそうだから。眷属(きょうだい)がいるというのもいいものだな」

「イチカちゃんにはいなかったの? きょうだい」

 ピックは市華に血の眷属がいないことを把握している。この場合のきょうだいとは生物として同じ親を持つもののことを指している。

「さあ……どうだっただろう?」

 きょうだいと聞いて羨ましいような、懐かしいような感情が心の奥底から染み出したが、結局どちらの感情が正しい記憶なのか答えは出なかった。

 ピックは曖昧な答えにそれ以上追究はすることなく、あっさりと話題を変えた。

「ところでさ、イチカちゃんのことが遊びだっていうのはヒドイな。オレはいつだってホンキなのに」

 計ったようなタイミングで現れたとは思っていたが、市華とシンの会話をしっかりと聞いていたらしい。

 つかつかとヒールの音を鳴らして、後ろを歩くシンが僅かに距離を詰めたのを感じたが、二人は特に気にしなかった。

「だけど、私がいなくなれば他の誰かに本気になれる。そういうヒトだろう? 君は」

「それはそうかもねー」

 否定こそしなかったが、一途とは程遠い扱いを受けて不満げである。

 市華は遠くを見つめる。視線の先に月は出ていないが、星が綺麗な夜空が広がっている。


「別に悪いことだとは言っていないよ。それは過去に囚われず前に進む力があるということだ。むしろ、少し羨ましい」


 それは、自分は過去に囚われていて前に進めずにいると言っているようにも聞こえた。


「イチカちゃんはまだ過去じゃないよ」

「……そう」


 素っ気ない返事に聞こえたが、後ろを歩くシンには前を歩く二人の表情までは伺えない。

 市華という人物がピックの想いに応えない理由に興味がないと言えば確実に嘘になるが、ピックが訊ねないのであれば自分も訊き出すべきではないと感じた。訊いたところで先程と同じ曖昧な答えが返ってくるのだろうという予感もあった。


 ピックは――〈黒〉の市華と行動を共にしている者達は、彼女の何に惹き付けられているのだろうか。そんなことを考えながらシンは無意識に、揺れる黒髪の束を見つめていた。








「だ、騙された!」


 いつまでも同じ方向に向かって歩く市華の存在に違和感を持っていたシンだが、最終的な目的地が同じだったと気付き声を上げた。

「別にウソは吐いてないよ。一人暮らしなんて言った憶えはないし」

 ピックの言う通りではあるが、一人暮らしではないとも聞かされてはいなかった。しかも案内された建物の入り口にはパーティーで一緒だった子供と、着物の女性に似た男――おそらく同一人物である――が待ち構えていた。


 ピックから妹扱いを受けるのはともかく二人で暮らせることには変わりない、という淡い幻想が粉々に打ち砕かれる。


「ピックと同じ眷属でシンという。色々あってここに置くことになった。空いてる部屋を適当に使ってもらって構わないから」

 簡潔に紹介と案内を済ませると市華はコートを脱ぎながら、一足先に建物の奥に姿を消した。

 着物の男は品定めするようにじとりと見つめた後、何も言わずに市華の後を追った。歓迎しようという気は毛頭ないらしく、声すら掛けられなかったシンは顔を引き攣らせる。


「よろしくぅ……」


 小さな男の子だけが愛想よく挨拶してくれたが、夜も遅い時間なので半分寝惚け眼だった。

 不安に駆られてピックに助けを求める視線を送ろうとしたが、気が付けば既に姿はない。


「お、お世話になります……」


 黒のノートに手を出してしまった身としては、門前払いで叩き出されるよりはまだマシな対応なのかもしれないと自分を励ます。困惑しながらも生真面目に挨拶をして、眠そうな子供の背を押しながら建物の中に足を踏み入れた。



 かくして、ハニーズ・ビーストにまた新たな仲間が加わる運びになったのであった。

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