泥人形
突如、激しい大地の鳴動で石畳が捲れ上がり、衝撃波と飛礫が襲いかかった。
社長の案内で彼の行きつけの店へと案内されるという話のはずであったが、徐々に人気のない方向へと誘導され、先導が足を止めた瞬間にこの事態に至った。しかしそれは想定されていた事態。咄嗟に後ろに飛び退き、それぞれ難を逃れた――が、市華は普段着慣れぬタイトなスカートと踵の高い靴の所為で着地時に体勢を崩した。春雪が傾ぐ身体を素早く受け止める。手を貸した春雪は市華よりも遥かに動き辛そうな着物姿だが、こちらは普段から着慣れているため激しい動きの障害にはなっていない。
すり鉢状になった地面の中心で、震源となった黒眼鏡の大男が足元に打ち付けた拳をゆっくりと持ち上げた。
「お店に案内してくれるって話はどうなったのかな? オープンテラスにしては殺風景だけど?」
「ああ、そのことは忘れてください。今のは騙し討ちの奇襲のつもりだったのです」
大男の後ろで社長がいけしゃあしゃあと言ってのけた。〈ノート〉の紙片が収められたケースを大事そうに抱きかかえた秘書もその後ろに隠れている。ロウが背後に回り込もうとしたが、その行動を気取った大男が再び地面に拳を打ちつけた。
「うわっ!?」
隆起した土と粉砕された石畳に進行を阻まれた。ロウは反射的に後ろに飛び退いたが、土壁は土砂となりその動きを追って襲い掛かる。体勢を立て直す間もなくほとんど転がるように土砂から逃げた。
「うえっ、ぺっぺっ! なんなんだよいったい!?」
押し潰される事態はなんとか回避したが、土埃の直撃を受けて散々な姿で口の中の砂を吐き出す。敵を睨み付けようとするが、目にも砂が入って痛みで瞼が開かない。
離れた場所に居た三人は大男の肉体の変化を目の当たりにしていた。
打ちつけられた男の拳が地面と同化し、土砂を吸い上げている。皮膚が覆われ体積を増していくと同時に硬質化していく。拳を地面から離す頃には男の体は、倍の大きさに巨大化していた。手足の形が残っているのでかろうじて人型だと判別出来るが、頭と胴の境目がなく、その姿は積み上げられた岩石のようであった。
「ゴーレムってヤツみたいだね」
「ええ、イアン君は取引先からこういう時の為にと頂いた特別製ですよ」
「人間を素体にした、生体ゴーレム……」
嫌悪感を露にした市華の呟きに、社長は肥えた腹を突き出した。
「ご明察です。研究の副産物だと言っていましたがね、普段のボディガードとしても優秀ですし、地面の上にいる限りあなた方のような者の相手としても申し分ないでしょう。近くにいると服が汚れてしまうのが難点ですがな」
短い首を竦めて袖の埃を払う動作をする。
先程見せ付けられた通り周囲の地面はイアンの手足も同然だ。この場所は昼間多くの大道芸人と観客の集まる広場であり、遮蔽物がない。空でも飛ばない限り、襲撃を避けてノートに近付くのは困難だ。まずは目の前のゴーレムを無力化する必要があった。
「ここはオレさまの出番だねー」
陽気にそう言って、ピックはジャケットを脱ぎ捨てた。
「な……ッ、バカなの?! あんな岩みたいなヤツ、アンタの爪で歯が立つもんか!」
まだ涙目で瞼をこすっているが、ようやく視力の回復したロウが敵の姿を見て叫ぶ。
「馬鹿なのは否定しませんが、ああいった手合いがピックに向いている相手であることは確かですよ」
「え……?」
戯言とも思えるピックの発言を春雪は珍しく否定しなかった。濡れた瞳を丸くするロウ。
「そ、オレ向きオレ向きー。そーゆーワケだから、女子供は下がってなーってね」
「それは僕も含まれているのですか……?」
依然女の姿をしている春雪は微妙な顔をしたが、市華とロウを促して後ろに下がった。
ピックはゴーレムに向き合い〈矛〉である爪を伸ばす。
「自信がおありのようですが、そのような貧弱な爪でこのイアン君を切り裂けるとは到底思えませんな。イアン君! 最悪死体にしてしまっても構いませんが、なるべく原型は留めておくのですよ。私は少し休憩をしています……滅多に歩かない距離を歩いて疲れてしまった」
秘書が石畳に敷いたハンカチの上にどかりと腰を下ろす。イアンは上体ごと傾けるようにして頷いて、社長と秘書を土壁で隠した。
「さーてイアンくん、タイマン勝負といこう――っとぉ!」
拳で足元を打ち抜かれ、ピックは跳躍して避けた。イアンの肩に着地し頭部を爪で薙ぐ。ガキィンと音だけは派手に鳴ったが、表面を僅かに削り取るだけに終わる。鋼鉄をも切り裂く爪、しかし細い爪で相手をするには装甲が厚過ぎる。
「思ったより動きが速いし、やっぱりカタいね」
拳が向かってきて、ピックはイアンの背面に向かって跳び下りた。目標を見失って尚拳の動きは止まらず、イアンは自身の肩を打ち抜く。巨大な岩同士の衝突で砕けた破片が飛び散った。
「けど、砕けないワケじゃなさそうだね」
大きくひび割れた部位は吸い上げた地面を材料にすぐ修復された。
今度は背中を薙ぐ。イアンは振り向き様の回転を利用して腕を振るってきたが、身を屈めて腕を避けると移動のついでに右足を薙いだ。
「ああもう、なにやってるんだよ……っ」
離れた場所で戦いを見ていたロウは焦れた様子で握った拳を振り回した。
先程から細かなダメージは与えてはいるものの、イアンにとってはかすり傷程度でしかない。時折自身の損傷を省みない攻撃で体の一部を崩すこともあるが大きな傷はすぐに修復される。
一方イアンの攻撃は一撃でも当たれば命が危うい威力だ。ピックのフットワークならば逃げ切ることは可能かもしれないが、それでは意味がない。この場でゴーレムを打ち倒し〈ノート〉の紙片を奪取しなければ、その機会は永遠に失われてしまう可能性がある。
「大丈夫だよ、ピックに任せよう」
耐え切れず加勢に向かおうとするロウの肩を市華が押さえた。
「でもこのままじゃアイツを倒せないよ! ママのノートが持っていかれちゃう!」
「石目を読んでいるのだと思いますよ」
「いしめ……?」
「半分は遊んでいるのでしょうけど」
ピックをフォローする自分の発言が気に入らなかったのか、春雪はロウの疑問には答えずいつもの憎まれ口を付け足した。
不意に石畳の破片が頬のすぐ横を通り過ぎ、後方の地面にぶつかって砕けた。
「危ないですね、もっと離れて戦いなさい」
「ゴメンゴメン。でも、もう見つけたもんね」
楽しそうにそう言って、ピックは右手の指を閉じた。長い爪の切っ先を一点に集中させる。
イアンが真っ直ぐに拳を突き出す。繰り出された正拳突きをかわし、太い腕のすぐ横を駆けピックは懐に潜り込んだ。
「――――ここだ!」
レイピアによる突きの如き一撃。人体で言うところの鎖骨の間に爪先が触れた瞬間、ゴーレムの体全体にひびが走った。そして、一気に崩れ落ちる。
表層を覆っていた岩の鎧が全て剥がれ落ち、生身の人間の姿に戻されたイアンは膝を突いた。すぐさま地面に手を置き、再び鎧を形成しようと土砂を吸収するが、ピックにその手を蹴り上げられた。腕に纏わり付いていた硬質化する前の土くれが飛散する。
「ゴーレムを倒すには真理を死に変える、っと」
蹴り上げられたイアンの手の甲に浮かんだ文字の一部を、爪先で軽く引っ掻いた。たったそれだけで、イアンは糸の切れた人形のように動かなくなった。
「殺したのか?」
「さぁどうかなー? ゴーレムの機能は殺したけど、人間の部分は生きてるんじゃないかな?」
膝を突いたままぴくりとも動かなくなったイアンを見下ろして市華はピックに訊ねたが、不確かな答えしか返ってこなかった。実際にどちらなのか判らないのだろう。
「すごい……」
鮮やかな手並みを目の当たりにして、ロウは思わず感嘆の呟きを洩らしていた。
「ピックの爪は、切り裂くよりも貫くことに特化しているのですよ」
敵の装甲を修復の間を与えずに一撃で砕くには穿つ箇所を正確に見極める眼も必要だが、その部分の説明は省略した。〈黒〉の傍に居るからには自分の能力を生かす技能は持ち合わせて然るべきと考える春雪にとっては、わざわざ賞賛してやる程の働きではなかった。
離れた場所で土砂が石畳の上を滑る音がした。
「そうだ、ノート!」
制御を失い自重で崩れ落ちた土壁にロウが駆け寄る。
「ノートがない!!」
ロウの叫び声に、残る三人も急いで様子を見に走った。
そこには小太りの男が一人、土塗れになって倒れていた。首の後ろに長い針のようなものを突き刺され気を失っている。ノートの紙片を収めたアタッシュケースが見当たらず、土の山を蹴散らしてみるがそれらしい物は見付からなかった。
「あの女は何処に?!」
社長の傍に控えていたはずの秘書の姿もなく、春雪は鼻面を上げて周辺の臭いを探った。
「お探しの物はこちらですか?」
春雪がその姿を見付け出すより先に、声が降ってきた。
件の女秘書がアタッシュケースを掲げて街路樹の枝の上に立っていた。
「貴様!」
「動かないで!」
踏み出そうとした春雪の足元に針が突き立てられる。それは間違えようもなく木の上の女の手から放たれたものであった。
「あなた方と争う気はありませんが、この場で大人しくノートをお渡しする気もありません」
「何が狙い?」
そう訊ねたピックにちらりと視線をやって、それから黒髪を睨み付けた。
「〈黒〉の市華にお話があります。一時間後、デネブ公園でお待ちしています。必ず一人でいらしてください」
一方的にそう告げると別の木の枝に飛び移った。高いヒールの靴を履いているとは思えない身のこなしだ。
「待――っ!」
反射的に駆け出そうとしてつんのめり、何度目か市華は春雪の腕に支えられた。そうしている内に女の気配は遠ざかっていった。
「……で、どうする? 市華ちゃん」
何処か楽しそうにピックはそう訪ねた。
「行ってくる」
「一人で行く気ですか?!」
「ぜったい罠だよ!」
春雪とロウは揃って反対を口にする。
「彼女は争う気はないと言っていた。機嫌を損なわなければ、争うことなくノートを手に入れられるかもしれない」
楽観的過ぎる、と春雪が頭を抱えた。
「イチカちゃんがこう言ってるんだから止められないでしょ。でも、一度出直すべきだとオレは思うね」
反対こそしなかったが、ピックにしては慎重な意見を市華は訝しく思う。
「どうして?」
「転んでも助けてあげられないから」
そう言われて自分の着ている黒いドレスと履き慣れないハイヒールを見下ろし、大人しく一度拠点に戻ることに同意した。




