オークション
オークション会場に移動したピックと春雪は入口で数字の書かれた札を受け取った後、先に会場入りしていた市華とロウの姿を見つけてその隣の席に着いた。
「何をどうすればいいのか判らないのだが……」
パーティーに引き続き慣れない場所に緊張しているらしく、市華は座ったまま硬直していた。
「イチカちゃんは座って観てるだけでいいよー。入札はオレがやるから」
事前に登録をして参加に必要な札を受け取っているのはピックだけだ。まっかせてー、とふんぞり返る。いつもならばその態度に文句の一つも入るところであるが、春雪もロウもオークション初心者であるためこの場は大人しく彼に頼るしかなかった。
会場は靴箱型で、後方の席は前方の席よりも高い位置に設置されどの場所からでも舞台を見渡せるようになっている。逆もまた然りで舞台上からも参加者を見渡すことが出来る。
先程ピック達と話していた社長は一番後ろの席に着いた。二人の付き人は椅子には座らず、会場の警備員に交じって更に後方の壁際で待機している。
参加者全員の会場入りが確認されると扉が閉められ、僅かに照明が落とされた。次いで、スポットライトが舞台上を照らす。
「レディース・アンド・ジェントルメン! さあさあ、お待ちかねのメインイベントの開始ですよ!」
異様にテンションの高い競売人の登場に歓声と拍手が起こった。
「今宵も選りすぐりの商品を用意してございます。早速、一つ目の商品からご紹介いたしましょう!」
競売人の合図で舞台袖から額縁に入れられた絵画が運び込まれる。説明によると有名な画家の作品のようだが、素人目には子供の落書きのようにしか見えない。
「こちらの商品は二千オーロから開始です。それでは、札をお挙げ下さい!」
オークションのルールはシンプルだ。競売人の提示した金額で商品の買い取りを希望する者は手持ちの番号札を掲げる。この行為を『入札』という。
札が挙がる度に入札価格は吊り上げられる。これを入札者が最後の一人になるまで続け、この時に提示されていた金額が最高落札価格となり落札者に商品購入の権利が与えられる。
競売人が木槌を打ちつける音が会場に鳴り響く。
「ハンマープライス! 二十七番のご婦人が八千三百オーロでの落札です。おめでとうございます」
子供の落書きがあっという間に初めに提示された額の四倍以上の値で買い取られていった。その後も出品された美術品や装飾品に次々と札が挙げられ、高額な金銭のやり取りが成立していく。市華は金に頓着する性格ではないが、この光景にはさすがに金銭感覚が崩壊しそうになった。
「さてさて、お次は皆様大注目……本日の目玉商品の登場でございますよ」
これまでハイテンションで流れるようにオークションを進行していた競売人が、まるで内緒話でもするかのように妙にもったいぶる口調になった。透明なプレートに挟まれた長方形の紙片が舞台に運ばれる。
「きた」
ピックは背筋を伸ばし、それまで腕と一緒に垂れ下げていた札を胸の前に構えた。
「こちらは知る人ぞ知るかの至宝〈黒のノート〉!! ……の、一頁でございます」
会場にざわめきが起こった。参加者達が口々に真贋を疑う言葉を発する。
「どう? イチカちゃん、ホンモノっぽい?」
「どうだろう、遠目に見ただけでは……間近で見ないと判らないな」
ノートの主である市華も他の参加者同様、半信半疑のようだ。
「じゃ、張り切って落としてみるっきゃないねー」
競売人は楽しそうに参加者達を見回してから、周囲の話し声に負けないよう一層声を張り上げた。
「皆様の反応を見るに、ご存知の方も多いようですね! そう! こちらは〈黒〉と呼ばれる古の吸血鬼が作り上げたとされる魔法のアイテム。名を記した者に絶対服従を誓わせることの出来る不思議なノート、その一片でございます。見た目はただの紙切れですが、効果は絶大。意中のお相手のハートを射止めることも、嫌いなアイツを奴隷に仕立て上げることも、紙片に名前を書くだけで自由自在! ……ただし、こちらを正しくお使い頂くには吸血鬼の血が専用のインクとして必要になります。そちらの方は当オークションでは取り扱っておりませんので、各自でお買い求めくださいませ」
冗談めかして説明したが、誰一人として笑う者はいない。真贋を疑っていた参加者達も、次第に前のめりになって説明に聞き入っていた。
「こちらからは自信を持って『本物である』と言い切らせて頂きますが、その言葉を信じるかどうかの判断は各々にお任せいたします。それでは――十万オーロから、開始です!」
開始の合図と同時に、会場内の札が一斉掲げられる。
「十万とは、イキナリ飛ばしてきたねー」
そう言いながら、ピックも躊躇なく札を挙げる。
「皆様まだ余裕ですね。それではこちらも思い切って、倍にしてみましょうか。――二十万オーロ!」
まだ札を下げる者はいない。競売人は倍に、更に倍にと入札価格を吊り上げていく。徐々に札を下ろす者も現れ始めたが、まだ落札には至らない。
「だ、だいじょうぶなの……お金たりる?」
ロウが不安げに辺りを見渡し、まだ掲げられている札の数を確認する。
「しばらく水だけの生活になるかもしれませんね。それでも足りなかった場合は、落札者と交渉をすることになりますが……」
春雪はそう言ったが、話し合いで穏便に解決したケースはロウが知る限り一度もない。つまり交渉とは力ずくの手段に出るというのと同義だ。
吸血鬼は生き血以外の食事を必要としない。しかしだからと言って他に水だけの生活というのも精神的に辛いものがある。初めから実力行使に出る方が余計な苦労をせずに済むような気がするが、そういった意見に対し、市華は首を横に振るばかりである。
「荒事はなるべく避けたい。限界まで粘ってみよう」
「あいよー」
市華は舞台上の紙片だけを注視している、すでに家財すら投げ出す覚悟だ。ピックはその意思に従い、札を挙げ続けた。
挙がっていた札の数が一つ、二つと減っていく。
「ああッ、これは凄い! 当オークションでの最高落札額の記録を超えました! 他に、他にいませんか?!」
競売人が興奮を隠せない様子で叫ぶ。
決着の時は来た。
木槌が打ち鳴らされる。
「おめでとうございます! 〈黒のノート〉は十三番の紳士が落札です!」
「よォし!」
歓声を上げた落札者の姿に会場中の視線が集中する。
後方で、小太りの男が席から立ち上がった。
舞台に向かって歩いていく男の姿を呆然と目で追って、それから市華は慌てて隣に座るピックの札を確認した。
ピックの札に書かれた番号は三十三番。
しかし彼の手元にあるべきはずの札は、その手には握られていなかった。
「やられたね」
オークションが終わり、ハニーズ・ビーストの面々は〈ノート〉の紙片を得られないまま会館の外に出た。
最後の二人になるまで競り合いを続けたのだが落札まであと一歩というところで札を取り落とし、その隙に別の入札者に紙片を落札されてしまった。オークションの場において札を紛失するというミスは致命的で、事前に登録した番号の札がなければ入札は認められない。
人の目がある場ではなんとか抑えていたが、あっけらかんとしたピックの態度に耐え切れず春雪が責め立てた。
「何が『やられた』ですか! あのような場面で札を落とすなど、不注意にも程がある!」
「違うってー。オレのせいじゃないってば」
そう言ってピックはタキシードの袖から長さ十五センチ程の白い針のような物を取り出した。
「コレが後ろの方から飛んできたんだよ」
飛んできた針は二本。一本は札を握った手に刺さり、もう一本は札自体を弾き、ピックは思わず取り落としてしまったのだと言う。札に当たったという針は弾かれてそのまま行方を見失ってしまったが、手に刺さった方は証拠として持ち帰っていた。ついでに針が刺さって出来た傷も見せて春雪を納得させた。
「後方からということは、紙片を落札した男の仕業でしょうか?」
「だろうねー。ほら、お付きがいたでしょ?」
社長を名乗る男の傍に秘書らしき女と厳つい大男が控えていた姿を、市華とロウも遠目に確認していた。ロウが首を捻る。
「かくじつに落札するためにじゃましたってこと?」
「姑息な……」
「まー、あの時点で結構予算ギリギリだったんだけどねー」
あのまま競り合いを続けていても、自ら札を下げるのは時間の問題だった。
ピックは針を指で回しながら何か考えるような顔をしている。
「なんだかアチラさんがやったことって、コッチが実力行使に出る理由をわざわざ作っただけってカンジなんだよねー」
「あちらも余裕がなかったのか、あるいは焦って行動を誤ったというだけのことでしょう。……どうしますか? 市華さん」
「落札に失敗した以上、交渉するしかないな」
重々しく答えた。入札を妨害されたことで大義名分は立っているが、やはり気乗りはしないらしい。
「ひきょうな手を使うなんてゆるせないよ、やっつけちゃおう!」
「あくまで話し合いだよ、ロウ」
鼻息を荒くするロウを市華が宥める。
考え事に切りがついたのか回すのに飽きたのか、ピックは針を折って石畳に捨てた。
「ま、アッチの考えなんていいか。手っ取り早くやっちゃえばいいんだから」
「だから、話し合い……」
血気盛んな仲間達に呆れていると、会館から件の人物が出てくるのが見えた。
「おや、あなた方は」
小太りの男が大男を従えて歩み寄って来た。少し距離を空けて、アタッシュケースを手に下げた秘書もその後に続く。
「落札おめでとうございます。私も粘ってみたのですが、残念ながらあなたには敵いませんでしたよ」
「いやなに、下品な話、それしか取り得のない成金ですからな」
そ知らぬ顔をして笑う男に対してか、余所行きの顔で微笑むピックに対してかは定かではないが、春雪が小さな声で「ぬけぬけと」と吐き捨てた。
「もしよろしければこれからお話し出来ませんか? 貴方のお仕事についてもう少しお話を伺いたい。それに……」
「これですかな?」
視線を送られ、秘書は警戒するようにケースの取っ手を両手で持ち、身体に引き寄せた。その態度に苦笑いの表情を作る。
「さすがに下心を見透かされていますね。この機を逃せば二度とお目にかかることは出来ない代物でしょう、手に取らずとも見せて頂くだけで構わないのです。オークションの会場では遠目にしか見ることが出来ませんでしたからね。是非、近くで至宝とうたわれる〈ノート〉を見せて頂きたいのですが……いかがでしょう?」
「構いませんとも」
存外あっさりと承諾された。秘書は険しい顔をしているが、社長は余裕の表情である。
「近くに行きつけの店があります。少し歩きますがそちらでいかがですかな?」
「ええ、お願いします……ああそうだ、妻の妹も同行させても構いませんか? 先に帰らせてもいいのですが、夜道を女と子供だけで歩かせるのは忍びない」
「何かと物騒ですからな。構いませんとも、こちらとしては人数が増えることに何の問題もありませんよ」
「ありがとうございます。悪いなー、ロウー。眠いだろうけどもう少し付き合ってくれなー」
「ううんー、ボクへいきだよー。お・じ・さ・ん」
空気を読んで甥っ子らしい返事をしたが、子供扱いが癇に障ったのか棘のある言い方だった。
「こちらです」
春雪の視線に市華は黙って頷き返し、男の背に付いて夜道を進んだ。




