◇3
「“黄烈火”!」
「いええぇぇ!?」
トゥーパの右手から放たれた黄色の炎が、激しく燃え盛りながら空中を走り、まっすぐにマルクのもとへと飛んでくる。向かってくる炎を見つめ、頭を抱え声をひっくり返すマルク。
「ダメだぁ! 俺もう、死んだぁぁ~!」
「簡単に諦めるな!」
「うおっ!?」
マルクのすぐ傍へと駆けて来たルビィネルが、頭を抱えていたマルクの右手を力強く引き剥がし握り締めて、向かってくる黄炎へと突き出す。
「此の身を守れ、我が赤炎! “赤壁火”!」
突き出されたマルクとルビィネルの手から赤い炎が放たれ、二人の前方に立ちはだかるように巨大な壁を作ると、その壁がトゥーパの向けた黄炎を掻き消す。
「おお、すっげぇー! 何だ、今の!?」
「六つの炎技の一つ、“防御”だ」
「へぇー、お前、他の炎技も使えるんだな」
「当然だろう。だいたい今、そんなことに感心している場合か」
輝くような瞳で目の前の炎の壁を見つめるマルクに、ルビィネルが呆れたように言い放つ。二人が手を解くと、前方の壁もすぐに消えた。ルビィネルが厳しい表情を見せ、今まさに黄炎を向けたトゥーパと向き直る。
「どちらが処罰の対象だ」
ルビィネルが少し、吐き捨てるように言う。
「今のは人を燃やせる炎だぞ? そのようなものを同じ魔院の者に向けるなど、何を考えている!」
「言ったでしょう? 謝罪してって」
声を荒げたルビィネルにも動じることなく、トゥーパは落ち着いた様子で微笑む。
「そうじゃないと私、許せそうにないの。 “黄烈火”!」
「なっ!?」
「あいつ、また……!」
またしても黄炎を二人へと向けて放つトゥーパに、マルクとルビィネルがそれぞれ驚きの表情を見せる。先程よりも速い炎は、今度は防ぐ暇もない。
「避けろ、マルク!」
「どわああああ!」
マルクとルビィネルが左右に分かれると、その間をトゥーパの黄炎が通り過ぎていく。通り過ぎた炎は、そのまま演習室の壁に当たり、その辺りの壁一体を、一気に黒焦げにした。真っ黒になった壁を見つめ、マルクがその表情を青くする。
「あ、あんなの当たったら、死んじゃうじゃないかよっ……」
「だから言っただろう。あれは、人を燃やせる炎だと」
「何、落ち着いてるんだよ! このままじゃ俺たち、あの壁みたいに黒焦げにされちゃうぞ!?」
「心配するな」
焦るマルクに、ルビィネルが冷静な口調で言葉を発する。
「魔女がそう何度も自身で魔炎を使うことが出来ないことは、知っているだろう?」
「あ、そっか」
納得した様子で大きく頷くマルク。魔女のその身に宿す魔炎はあまりに強く、自身でその魔炎を使えば寿命を縮めてしまうのだ。マルクが初めてルビィネルと出会った時も、ルビィネルは自身で魔炎を一度使っただけで、気絶してしまっていた。
「あんな全力の炎、自身で撃てるのは、せいぜい二度が限度だ。そろそろ、体力の限界で、倒れる頃でっ……」
「“黄烈火”!」
ルビィネルの言葉に逆らうように、左右に分かれた二人へと同時に飛んでくる黄色の炎。
「撃って来たじゃないかよぉ!」
「あれ?」
マルクは必死に叫び、ルビィネルは首を傾げながらも、それぞれ向かって来た炎を避ける。両手を突き出し、二つの炎を同時に飛ばしたのであろうトゥーパは、倒れるどころか、先程までとまったく変った様子なく、元気にその場に立っていた。
「もうダメだぁ! 俺は今日、ここで火葬されるんだぁぁ!」
「何故……」
頭を抱え嘆いているマルクを横目に、ルビィネルが戸惑った様子でトゥーパを見つめる。この演習室に、三人以外の気配はなく、トゥーパにパートナーがいる様子もない。パートナーがいないのであれば、今までの魔炎は確実にトゥーパが使っているものである。あれほどの炎を連発すれば、余程の魔女でも意識を失うか、倒れるかするのが普通である。
「あ……!」
考え込むようにトゥーパを凝視していたルビィネルが、何かに気付いた様子で大きく目を見開く。微笑むトゥーパのその首筋に、一匹の小さな虫がとまっているのが見えた。
「あれは、魔蟲……」
「へ?」
より一層険しい表情を見せるルビィネルに気付き、マルクが嘆くことを止め、ルビィネルの方を振り向く。
「何だ? どうしたの?」
「あの者の首筋に、黒い虫がとまっているのが見えるか?」
ルビィネルの言葉に促され、目を凝らしトゥーパを見つめるマルク。
「えぇ~? そんなの、とまってるかなぁ?」
「どうやら視力も悪いらしい」
「どうせ俺なんて、視覚も嗅覚も悪いんだよ!」
残念がるように肩を落とするルビィネルに、マルクが思わず怒鳴りあげる。涼しげに二人の様子を見ていたトゥーパが、その金色の巻き髪を手で払った瞬間、首元がよく見えるようになり、とまっている黒い虫の姿がマルクの視界にもはっきりと入った。
「居た居た! 黒い虫!」
「あれが魔蟲。我々、魔族の中でも異形の存在、“魔物”と呼ばれるものの一種だ」
「そういえば昔、習ったかなぁ」
過去の記憶を遡り、マルクが不確かな様子で呟く。魔物や魔獣という存在は、魔士の養成学校に通っていた際、単語として聞いたことはあったが見たことはなかった。魔物は魔族の住む領域に多く存在するものであり、マルクの住む人間領のヤールにはほとんど居ないと言われていた。
「で、あの虫が何なんだ?」
「魔蟲は人を襲うような危険なものではないが、魔族に取りつくと麻痺症状を引き起こす」
「麻痺症状?」
「ああ。自分の体力に限界が訪れていても倒れることなく、魔炎を使い続けられる感覚麻痺症状だ」
「んな!?」
ルビィネルの説明に、マルクが一気に焦りの表情となる。
「じゃ、じゃあ、あいつは……!」
「平気なんじゃない。平気じゃないことに気付いていないだけだ」
眉をひそめ、厳しい表情でトゥーパを見つめるルビィネル。
「全力の魔炎を四発。これ以上使えば命にもかかわる」
「そんなっ……!」
さらに焦るマルクの横で、ルビィネルが気難しげに唇を噛む。
「何とか、あの魔蟲を……」
「よし、謝ろう!」
「は?」
策を練ろうとしていたルビィネルが、マルクの発言に目を丸くする。決めきった表情を見せたマルクはトゥーパとまっすぐに向き直り、深々と頭を下げた。
「何か色々と、ごめんなさぁーい!」
演習室にマルクの大きな声が響き渡る。それと同時にトゥーパの表情が歪んだ。
「“黄烈火”」
頭を上げたマルクへと、トゥーパが黄炎を向ける。
「ええぇ!? なんで!?」
「マルク!」
驚いているマルクを突き飛ばし、自身もマルクの方へと転がり込むようにして、何とか黄炎を避けるルビィネル。起き上がったルビィネルが、同じく起き上がったマルクを強く睨みつける。
「何をしている!」
「だってあいつ、謝ってって言ってただろ!」
「あんなプライドの高い魔女に、素直に謝ったところで逆効果だということくらい、わかれ!」
「じゃあ、どうするんだよ!?」
「“黄烈火”!」
不毛な言い合いを続けている二人のもとへと、再び飛んで来る黄炎。ルビィネルがすぐさま左手を伸ばしマルクの右手を取る。
「“移り火”!」
二人を赤い炎が包み込むと黄炎の落ちたその場から二人が姿を消し、トゥーパから一番離れた、演習室の最奥へと移動する。
「フフフ、距離を取ったくらいで、私から逃げられるつもり……?」
すぐに移動したマルクとルビィネルの姿を捉え、トゥーパが楽しげに微笑む。美しいその表情とは裏腹に額からは汗が流れ、顔色は青くなり、突き出した両手は細かく震えていた。そのトゥーパの様子を見て、ルビィネルが眉をひそめる。
「体には確実に限界が来ている。このままでは本当に……」
「ヤバいのか?」
「ああ」
ずっと冷静だったルビィネルも、トゥーパの変化に徐々に焦りを感じ始める。
「仕方がない。こうなったら私が魔炎を使って、あやつから魔蟲を切り離す」
「へ? け、けど、魔炎使ったら、お前まで……!」
「倒れる前に決める。二発も使えば十分だ」
不安げな表情を見せるマルクに、自信満々の様子で言い放つルビィネル。
「その間、そなたはここに……」
「そんなのは、嫌だ」
「何?」
否定するマルクの声に、ルビィネルが少し驚いたように顔を上げる。
「だって、それじゃあパートナーの意味がない!」
「マルク」
ルビィネルをまっすぐに見つめ、まるで訴えるように強く声を張り上げるマルクを見て、ルビィネルがそっと目を細める。
「そうだな。私にはパートナーがいるのだったな」
マルクを見つめたルビィネルが、穏やかに微笑む。
「右手を貸せ、マルク」
「ああ!」
左手を差し出したルビィネルの言葉に大きく頷き、マルクが右手を突き出す。魔紋の刻まれた二人の手が強く重なると、二人はその場で素早く立ち上がり、足並みを揃え、トゥーパのもとへと駆け出して行く。
「あら。そんなに、私の炎に焼かれたいの……?」
駆け込んでくるマルクとルビィネルを見つめながら、微笑んだトゥーパが、痙攣し始めている右手を、まっすぐに二人へと伸ばす。
「なら、望み通りっ……」
「手を上へ突き上げろ、マルク!」
「おう!」
トゥーパが魔炎を撃つ前に、駆けている二人が動く。ルビィネルの声に反応したマルクは、固く握り締めたルビィネルの手を引っ張り上げるように、右手を上空へと突き上げた。
「彼の者を惑わせ、我が赤炎! “赤霧炎”!」
突き上げられた二人の手から真っ赤な炎が放たれると、放たれた炎が一気に広がり、演習室全体を包み込む。それは熱い炎ではなく、辺りを燃やすこともなくただ広がって、部屋をまるで濃い霧で包んでいくかのようであった。炎の霧に包まれたトゥーパの視界からは、マルクもルビィネルも見えなくなっていた。
「目くらましの霧炎。随分と地味な芸当、してくれるじゃない」
部屋の中がまるで何も見えなくなった状態だというのに、トゥーパは辺りを包み込んだ赤い炎を見つめながら、落ち着いた様子で笑う。
「でも」
トゥーパが鋭く目を細め、自身の右方を振り向く。そこには、トゥーパへと正確に言えば、トゥーパの首筋にとまった魔蟲へと伸びてきている一本の手があった。
「見えてんのよね。“黄烈火”!」
「あ……!」
トゥーパから向けられる黄炎に、手の伸ばしていたルビィネルが大きく目を見開く。
「ううぅ!」
黄炎を受けたルビィネルが後方へと吹き飛ばされると、部屋を包み込んでいた霧状の赤炎が一瞬にして消え去り、また部屋全体が見えるようになる。
「ルビィネル!」
「かすっただけだ、問題ない」
ルビィネルから少し離れた場所に立っていたマルクが、床へと倒れ込んだルビィネルを見て思わず身を乗り出す。ルビィネルは少し焦げた右肩を左手で押さえながら、マルクの言葉に答えた。
「残念だったわね。私、目はいい方なの」
「口は悪いのにな」
得意げに微笑むトゥーパに、ルビィネルが挑戦的に言葉を返す。だがその額からは汗が流れ落ち、表情からも厳しさがうかがえた。魔蟲を切り離すことが出来なかった上に、ルビィネルが傷を負ってしまったこの状態では、トゥーパを助けることはさらに厳しくなってしまったからだ。挑戦的なルビィネルを見て、トゥーパは涼しげに笑う。
「あなたは本当に、私のプライドを傷つけるのが上手いわね」
「あ……!」
まだ床に座り込んでいる状態のルビィネルへと、トゥーパがその右手を伸ばす。
「その減らず口、燃やしてあげるわ」
「ク……」
トゥーパの右手から溢れる黄炎に、ルビィネルがより一層険しい表情となる。
「ルビィネル!」
居ても立ってもいられず、マルクは意識せぬうちにその足を動かし、その場から駆け出していた。
「いい加減にしろよ!」
トゥーパのすぐ前まで来たマルクが、トゥーパが伸ばした右手を掴み、そのまま上方へと持っていく。腕を取られたトゥーパが、不快そうに表情を歪める。
「最下級魔士ごときが、慣れ慣れしく私に触らないで!」
強く声を張り上げたトゥーパが右手に黄炎を集中させると、トゥーパの右手を掴んでいたマルクの左手までが黄炎に包まれる。
「マルク!」
黄炎に焼けるマルクの左手に、ルビィネルが焦ったようにマルクの名を呼ぶ。だが黄炎に包まれても、マルクがトゥーパの手を離すことはなかった。そんなマルクに、トゥーパが驚いた様子で目を見開く。だがすぐにその表情は、険しいものへと変わった。
「離して! 離しなさいよ!」
何度も右手を振り切り、マルクの手を振り解こうとするトゥーパ。
「俺がムカつくんなら、いくらでも何とでも言えよ!」
トゥーパの手を掴んだまま、トゥーパの顔をすぐ目の前にして、マルクが声を張り上げる。
「な、何っ……」
「俺は悪口くらい言われ慣れてるから、お前の暴言の一つや二つ、痛くも痒くもない!」
マルクの言葉の意味がわからず、戸惑い始めたトゥーパに、マルクがさらに捲し立てるように言葉を続ける。
「俺への文句くらい、いくらでも言っていいからっ……」
マルクがまっすぐにトゥーパの青色の瞳を見つめ、そっと目を細める。
「こんなくだらないことのために、自分の命、使うなよ!!」
「……っ!」
溢れんばかりの感情のこもったマルクの言葉をまっすぐに向けられ、トゥーパが大きく目を見開く。
「う、うるさい!」
戸惑いを振り払うように叫び、トゥーパが大きく口を開く。
「“黄爆火”!」
「うわあああ!」
「マルク!」
トゥーパの右手から放たれた黄炎が舞い上がり、上空で激しく爆発すると、その爆風に飛ばされマルクが床へと倒れ込んだ。ルビィネルが吹き飛ぶマルクの様子を見て、思わず身を乗り出す。