◇4
翌日、レイール聖魔院。
「お! 珍しく、もう来てんじゃ~ん」
朝一番の講義の教室で、一人、座っていたマルクのもとへと、明るく歩み寄って来たのは、ポンドであった。何の悩みもなさそうな、明るい笑みを浮かべて、ポンドが自然と、マルクの横の席に座る。
「いっつも、遅刻ギリギリのくせによ」
「今日は、ちょっとな」
ポンドの言葉に、マルクが疲れたように肩を落とす。昨日出会った魔女、ルビィネルは、今朝、ラピスラズが目を覚ました時にはすでに、客間から姿を消していたそうだ。ラピスラズに起こされ、そのことを知らされたマルクは、まだ日も昇らぬ内から、近くの山の中を探したのだが、結局、ルビィネルを見つけることは出来なかった。ルビィネルが、マルクの屋敷に留まる理由もないので、恐らく、出て行ったのだろう。引き止める義理はないが、一方的に攻撃された挙句、助けたり、食事を振る舞ったりしたのだから、挨拶の一つくらい、あっても良かったのではと思う。
「結局、何だったんだろ……」
「ああ?」
「何でもない」
ポンドに話す気力すらなく、マルクが机の上に突っ伏す。
「よぉ、お前等。聞いたかぁ?」
「んあ?」
そこへ、別の魔士の青年が、マルクとポンドのもとへとやって来る。
「今日、魔女科の赤炎クラスに、新しい魔女が入るんだってよ!」
青年の言葉に、マルクが突っ伏していた顔を、ゆっくりと上げていく。
「ふぅーん。別に新しい魔女なんて、ちょくちょく入って来てんだろ」
「それが、今回の魔女は別物なんだって! フレイヤの聖魔院からの編入らしいぜ!?」
特に興味なさそうに答えたポンドに、青年は、熱い口調で言葉を続ける。
「フレイヤ? フレイヤからなんで、わざわざ格下のレイールの魔院なんかに」
「だから珍しいんじゃん! フレイヤ出身の魔女なんてエリートだろ!? この聖魔院に通ってる魔女たちとじゃあ、天と地ほどの差があるぜ!」
「おっ前、そのうち、その辺の魔女に刺されるぞ?」
興奮気味に話す青年に、ポンドが呆れた視線を向ける。
「まぁ、あのシリング・ウェーガットのパートナーにするために、わざわざフレイヤから呼び込んだって噂もあんだけどなぁ」
「ああぁ~、それなら納得。最上級魔士様は、何でも特別扱いだもんな」
二人の会話を聞きながら、マルクが昨日見かけたシリングの姿を思い出し、そっと目を細める。
「いいよなぁ、最上級魔士様は。俺だって、エリート魔女のお近付きになりてぇぜ」
「お前じゃ無理じゃね?」
「んだよ、冷てぇなぁ。お前もエリート魔女のお近付きになりてぇとか、思わねぇの?」
「思わねぇよ。俺、パートナーにする魔女はたった一人、心に決めてんだもん」
「また、それかよ」
心を示しているのか、左胸を指差すポンドに、青年は呆れたように肩を落とす。
「なぁ、マルクは……!って、まぁ、マルクは思わねぇか。最下級魔士とは、無縁の話だもんな」
「放っとけ」
その言葉に、マルクが顔をしかめる。遠い話すぎるためか、ルビィネルのことが気になっていたからか、馬鹿にしたような笑みを浮かべる青年にも、不思議と腹は立たなかった。
「まぁ確かに、無縁の話だなぁ」
まるで興味を持っていない様子で、マルクがそっと呟いた。
朝一からは眠気が相当にきつい、魔炎基礎学という堅苦しい授業を終えると、マルクはポンドと共に教室を出た。
「次、魔炎の実技演習だけど、どうする?」
「どうするって、パートナーいない俺たちじゃ実技授業に出たって意味ないだろ」
「だよなぁ」
マルクの言葉に、ポンドが軽い笑みを浮かべて頷く。
「あぁー、昼まで暇時間かぁ。もういっそ帰っちまう?」
「いや、今日は午後に、マフレイヤ概論があるから居る」
マルクの答えに、ポンドが目を丸くした後、困ったように笑う。
「相変わらず好きだねぇ、“聖地マフレイヤ”」
「最下級魔士だって、憧れんのは自由だろ」
「そりゃそうさ」
廊下を進みながら、言葉を交わすマルクとポンド。少し拗ねたように口を尖らせるマルクに、ポンドはそっと笑みを向ける。
「お前も一途だねぇ。俺と一緒で」
「ポンドと一緒にされたら、俺の一途の価値が下がるよ」
「酷でぇなぁ。俺、結構、一途くんよぉ?」
「はいはい……って、うわ!」
「キャっ!」
ポンドの言葉を軽くあしらいながら、マルクが廊下の曲がり角を曲がったその時、曲がり角の向こう側から歩いて来た者と、思いきりぶつかってしまった。高い声の悲鳴と共に、マルクのぶつかった人物が、その場に尻もちをつく。
「あっ、ごめん! 大丈夫でっ……!うっ」
慌てて、座り込んだその人物へと声を掛けようとしたマルクであったが、その人物の顔を見て、思わず言葉を止めてしまう。
「大丈夫!? トゥーパ!」
「痛たぁ~い!」
一緒に歩いていたのだろう、明るい色の洋服に身を包んだ魔女たちに声を掛けられながら、甘えたような声をあげたのは、長い金色の髪に青色の瞳の、美しい少女。それは昨日マルクを、“ブタとパートナーになったほうがマシ”と言って、こっぴどく振り払った魔女であった。
「もう、どこ見て歩いて……!って、あなた」
顔を上げたその魔女、トゥーパも、昨日振ったばかりのマルクに気付いたのだろう。その美しい表情を、見る見るうちに歪めていく。
「何? また性懲りもなく、パートナーにしてくれとか言いに来たわけ?」
立ち上がりながら、大きく顔をしかめ、トゥーパが非難するようにマルクを見る。
「俺はっ……」
「あのねぇ、俺たちはただ廊下を歩いてただけ。変な言いがかりは、よしてよね」
主張しようとしたマルクを庇うように、ポンドが一歩前へと出て、トゥーパへと強い口調で言い放つ。
「だいたい自分がそんなに追いかけられるほど、いい魔女だと思ってるわけ? 思い上がり、きついんじゃない?」
「んな!?」
「ちょ、ポンド……!」
挑発するような言動を取るポンドに、思いきり表情を引きつるトゥーパと、焦ったようにポンドの方を振り向くマルク。
「ケンカ売って、どうすんだよ!」
「だって俺、ああいうタイプ、一番嫌いだしぃ」
注意するように言い放つマルクに、まるで反省した様子なくポンドが答える。揉め事を嗅ぎつけてか、近くの教室から、魔女や魔士やらが続々と、廊下を覗き込み始めていた。
「マルク?」
教室の一つから、他の魔女と共に、アメジェスも顔を出す。
「ん……?」
「あらぁ? あれ、何の騒ぎかしらねぇ? シリングくん」
今日も魔女たちに囲まれ、廊下を歩いてきた最上級魔士、シリングも、マルクたちの様子に気付き、その場で足を止める。
「何よ……」
マルクとポンドが言葉を交わす中、険しい表情を見せたトゥーパが、先程までよりも低い声を発する。
「あなたなんてねぇ、この魔院の魔女、全員の笑い者なのよ!?」
物凄い剣幕で、捲し立てるように叫び、マルクを睨みつけるトゥーパ。
「何の才能もない、最下級魔士! あなたにパートナー申し込まれたって、皆で笑ってんの! パートナーになんか、なってやるはずがないのにって!」
トゥーパの容赦ない言葉に、マルクが厳しい表情で、眉をひそめる。
「そりゃ、そうよね! あなたなんかとパートナーになったら、その時点で魔女人生、終わりだもの!」
どんどんと向けられる言葉に、言い返すことも出来ずに、ただ拳を握り締め、きつく唇を噛み締めて、徐々に俯いていくマルク。
「うっわぁ」
「何もあそこまで……」
トゥーパとマルクの様子を見つめていた魔女たちから、トゥーパを非難するような声が漏れる。
「ねぇ、皆もそう思うでしょう!? こんな最下級魔士のパートナーになりたい魔女なんていないわよねぇ!?」
トゥーパが周囲を見回し、辺りの魔女へと意見を求めるように問いかけると、批難の声を漏らしていた魔女たちも押し黙り、その場が一気に静まり返る。
「ほぉーら、あなたみたいな最下級のパートナーになる魔女なんて、この魔院のどこにも居ないわ! いい加減諦めて、とっとと魔院を出てってくんない!?」
多くの者が注目する廊下に、トゥーパの甲高い声が響き渡る。響き渡るトゥーパの声と、向けられる数々の視線に、マルクは深く俯いたまま、何かを堪えるように必死に唇を噛み締めた。
「あの女っ」
その中で、一際険しい表情を見せたアメジェスが、マルクたちのもとへ行こうと、教室の出口へと向かう。
「え?」
教室を出て行こうとしたアメジェスが、目の前を横切っていく姿に、言葉を止めて、目を奪われる。
「あんたねぇ」
表立ってはあまり表情を変えていないが、纏う雰囲気から確かに怒りを感じさせるポンドが、さらに前へと出て、トゥーパと距離を縮めようとする。
「いい加減にっ……」
「少し、退いていてくれるか」
「へ?」
前へと出て行こうとしたポンドの肩を掴み、後ろへとさがらせ、代わりにマルクのすぐ横へと出て行く人物。振り返ったポンドが、自分の代わりに前へと出て行く人物を、戸惑うように見つめる。そして、マルクもまた、その人物を見て、驚きの表情を見せた。
「お前……!」
マルクの横に立った、長い赤髪の少女が、そっと微笑む。
「ル、ルビィネル!?」
そこに現れたのは、昨日出会い、今朝屋敷から姿を消した、ルビィネルであった。微笑みかけるルビィネルとは対照的に、マルクはわけがわからないといった様子で、ただ戸惑いの視線をルビィネルへと向ける。
「な、なんで、お前が」
「あなた確か、今日来たっていうフレイヤの……」
「フレイヤ? じゃあルビィネルが、編入してきたっていう……」
トゥーパもどうやら、ルビィネルを知っている様子で、戸惑いの視線を送る。
「そなた、名はマルク・クラウドでよかったか?」
「へ? なんで今、名前なんて」
「いいから、答えろ」
「そ、そうだよ。マルク。マルク・クラウド」
今、聞かなくてもいいことともは思うがと、考えを巡らせながらも、答えないわけにもいかず、マルクが気まずい表情のまま、渋々名を名乗る。
「マルク・クラウドだな。よし」
「へ? って、痛ってぇぇ!」
マルクの名を確認し、満足した様子で頷いたルビィネルが、何の前振りもなく、突然、その拳を突き上げ、マルクの顎下を、思いきり殴りつける。まさか、拳が向けられるなど、夢にも思っていなかったマルクは、口が開いたままだったところを殴られ、強く唇を噛み、大きくその表情を歪めた。噛んでしまったため、唇の端から、赤い血が流れる。
「いきなり、何す……!」
「貰うぞ」
怒鳴りあげようとしたマルクの唇の端を、右手の親指で拭い、流れ落ちたマルクの血を、親指の表面へとつけるルビィネル。ルビィネルのその行動に、マルクが頬を少し、赤く染める。
「な、何を……」
マルクが戸惑うように見つめる中、ルビィネルが、左手の親指を自身の口元へと持っていく。ルビィネルが親指へと歯を立てると、親指から、マルクと同じ赤い血が流れた。ルビィネルが両手を交差させ、マルクとルビィネル、それぞれの血のついた両親指を、上下から、重ね合わせる。
「我が炎の神、マフルよ。今ここに、血と血の契約を行う」
「え……?」
ルビィネルの口から奏でられるその言葉に、驚いたように、目を見開くマルク。
「汝の偉大なる炎により、我が身に宿りし赤炎を、我が選びし者に託せ」
「あれって……」
「魔唱?」
廊下に凛として、響き渡るルビィネルの声を聞きながら、マルクとルビィネルの様子を、ポンドやアメジェスも、戸惑った表情で見守る。
「ちょ、ちょっと待てよ! その魔唱って……!」
「今、ここに、我がパートナーを決する!」
マルクが慌てて声を出すにも関わらず、ルビィネルは言葉を続け、そして、胸の前で重ね合わせていた両手を、高らかと天井へ突き上げた。
「その者の名は、マルク・クラウド!」
ルビィネルが誇らしく、マルクの名を叫びあげると同時に、天井へと突き上げられたルビィネルの両手から、真っ赤な炎のような、強い光が飛び出した。あまりに強い輝きに、見守っていた者たち全員が、思わず目を伏せる。ルビィネルの両手から飛び出した光は、天井のすぐ下で二つに分かれ、マルクとルビィネルの方へと、それぞれ降り落ちた。
「熱ち!」
降り落ちた光が、右手の甲を直撃し、マルクが思わず声をあげる。あまりの熱さに、火傷でもしたのではないかと、マルクが目を開けた時には、先程までの強い光は収まっていた。そして、マルクの右手の甲には、火傷の痕はなかったが、円の中に十字架の描かれたような、黒い紋様が刻みこまれている。
「何だ? これ」
「う、嘘、でしょ……?」
紋様に気を取られていたマルクが、正面を向くと、トゥーパが、どこか青ざめた表情で立っていた。
「パートナー、契約?」
驚きを隠せない様子のアメジェスが、茫然と呟く。
「しかも今の魔唱は、“本結”の契約だぞ」
「本結?」
同じく唖然とした様子のポンドの声に、マルクが振り返りながら、首を傾げる。
「魔女試験の為とか、そういう期間限定のパートナー契約が“偽結”。 逆に、一切期間のない、どちらかが死ぬまで続く、血と血で結ぶパートナー契約が“本結”」
「どっちかが、死ぬまで……?」
ポンドの解説を受け、マルクがその表情を青ざめさせる。
「本、結……」
マルクがやっと事態を呑み込み、険しい表情となる。目の前に立つトゥーパが、こんなに青ざめた表情をしているのは恐らく、本結の契約であることがわかっていたからなのだろう。
「ちょ、ちょっと! お前、何やって……!」
「しょ、正気!? あなた、フレイヤから来た魔女でしょ!? 最下級魔士なんかと、本結の契約なんて……!」
「これで、マルクが魔院を辞める必要はないな」
問いかけようとしたマルクの声を、勢いよく遮るトゥーパ。契約を行った本人以上に、慌てふためいているトゥーパに、ルビィネルは一切焦った様子なく、穏やかに微笑みかける。
「今後は、私のパートナーを最下級などと言って、笑い者にするのは止めてくれ。頼むぞ」
余裕たっぷりに微笑むと、ルビィネルはトゥーパから視線を逸らし、未だ、茫然としているマルクと向き直った。
「では、行こうか。マルク」
「え?」
トゥーパからマルクへと視線を移したルビィネルが、マルクへと左手を差し出す。
「あっ……」
差し出されたその手を見つめながら、どこか躊躇うように声を漏らすマルク。そんなマルクの様子を見て、ルビィネルがそっと目を細める。
「行くぞ、マルク・クラウド」
ルビィネルがもう一度、マルクへと呼びかける。
「マフレイヤへっ」
「……っ」
ルビィネルが発したその言葉に、マルクは驚いた様子で大きく目を見開いた後、まるでその言葉に引き寄せられるように、ルビィネルの手を取った。
「“移り火”」
ルビィネルがマルクの右手と繋いだ左手を掲げると、二人の周囲を赤い炎が包み、一瞬にして、二人の姿を掻き消した。
「あ……」
二人が居なくなり、静まり返った廊下で、トゥーパが、力なく座り込む。
「こりゃ、困ったことになったもんだな」
腕を組んだポンドは、少し楽しげに微笑む。
「…………」
一連の出来事を見つめたシリングは、どこか厳しい表情を見せた。