◇3
山奥で出会った少女に、突然、炎で攻撃されたマルクであったが、倒れてしまった少女を捨て置いていくわけにもいかず、とりあえず少女を自身の住まいである屋敷へと連れ帰った。
「特に外傷は見当たりません。恐らくは、魔炎を使った影響でしょう」
客間の寝台に寝かせた少女を前に、ラピスラズは落ち着いた口調で言い放った。
「魔炎を?」
「はい」
客間の出入口付近に立ち、ラピスラズへと聞き返したマルクに、ラピスラズが大きく頷く。
「魔女ってホントに魔炎使ったら、寿命縮むんだね。何回か使っただけで、ぶっ倒れちゃうなんて」
「通常は、そこまで強力でない魔炎数発程度では、倒れることはありませんが、元々、疲れが溜まっていたのでしょう。そこに魔炎を使ってしまったので、倒れられたのではないかと」
「ふぅーん」
「栄養剤を打ちましたので、しばらく休めば、問題ありませんよ」
ラピスラズが、安心させるような穏やかな笑みを、マルクへと向ける。
「別にそこまで心配してないけど」
「え? ここで恩を売って、パートナーになってもらう作戦なのでは?」
「そんな作戦、練ってないよ! っていうか人の話も聞かずに、いきなり襲ってくるような魔女とパートナーになんかなりたくないし!」
「もう、あれこれ選んでる場合じゃないと思いますけどねぇ」
「うるさい!」
指摘するような鋭い視線を向けてくるラピスラズから、マルクが勢いよく視線を逸らし、拗ねるように口を尖らせる。
「まぁでもラピスが居てくれて良かったよ。ヤールじゃ魔族診てもらえるような病院もないし」
「お役に立てて、良かったです」
マルクの言葉に、ラピスラズが嬉しそうな笑みを浮かべる。
「けど一体、何者なんだろう。こいつ」
「そうですねぇ。人間領であるヤールに、魔族の方がいらっしゃるのは、実に珍しいですし」
「お前も魔族だけどね」
「私は特別製なのですよ」
二人の視線が、寝台で深く瞳を閉じたままの、少女へと向けられる。
「まぁ、目を覚まされたら、色々とお話をうかがいましょう。さぁ、夕食の準備、出来ていますよ」
「うん。そういえば、腹減っ……」
「ん、んん~」
「ん?」
ラピスに景気よく返事をし、ラピスと共に客間を出ようとしたマルクが、漏れ聞こえてくる小さな声に気付き、振り返る。その声は確かに、寝台で眠る少女のものであった。声と共に、体を揺れ動かしている。
「あ、気が付いたか?」
「んっ……」
マルクが興味津々に見つめる中、少女が未だ瞳を閉じたまま、布団の中から右手を出し、その右手を寝台の横へと勢いよく伸ばす。伸ばされた右手は、寝台のすぐ横の台の上に置かれている、空の花瓶を掴んだ。
「もうすぐ目ぇ、覚めるぞぉぉ!」
「だあああああ!」
「おっと」
瞳を閉じたまま、掴んだ花瓶を、力強くマルクの方へと投げ放つ少女。マルクが背中をそり返して、何とか花瓶を避けると、マルクを通り過ぎた花瓶を、ラピスラズが見事に掴み止める。
「どんな寝相してるんだよ、一体!」
「んん?」
予告の言葉通りに、その銀灰色の瞳を大きく開いた少女が、開いたばかりの目を擦りながら、寝台の上でゆっくりと起き上がり、怒鳴っているマルクを戸惑うように見つめる。寝起きだからか、その瞳はまだ虚ろで、先程のような力強さはない。
「ああ、すまない。その辺りにある物を投げながら、目覚め予告をするのが、私の癖で……」
「どんな癖だよ」
「ん? そなたはっ……!」
「はっ!」
少女から鋭く視線を向けられたマルクが、素早く動き、ラピスラズの後ろへと身を隠す。
「べ、別に俺たち、怪しい奴じゃないからな! っていうか、さっきみたいにいきなり攻撃してくんなよ!? こいつも魔族だからな! もしもっ、もしも攻撃してきたら、攻撃し返すぞ!?」
「人を盾にするなんて、最高に情けないですね」
「うるさい!」
ラピスラズの背中に隠れたまま、あれこれと少女に言葉を向けるマルクの姿に、ラピスラズが心底呆れた様子で肩を落とす。
「お前が攻撃しなきゃ、こっちはお前に危害とか加えるつもりないから! だからとりあえず、魔炎とか使うな! ってか、使ったらまたお前、倒れちゃうかもだし!」
あれこれと忠告するように言いながらも、少女の体を気遣うような発言をするマルクの様子を見て、少女がそっと口元を緩める。
「ああ、わかった」
「へ?」
笑顔を見せ、そっと頷く少女に、マルクが戸惑うように首を傾げる。
「そなたが、悪意ある者でないことは、わかった。先程は、私の早とちりで、そなたを攻撃して、すまなかった」
「そ、そうか」
少女の言葉に、マルクが安心したように肩を落とす。誤解が解けたのであれば、もう魔炎で攻撃される心配もないだろう。警戒を解いたマルクが、ラピスラズの後ろから出てきて、ラピスラズのすぐ横へと並ぶ。
「ここは?」
「我々の屋敷です。魔炎を使って倒れられたあなたを、マルク様がお運びしたのですよ」
「そうか。重ね重ね、すまない」
「あ、いやっ」
深々と頭を下げる少女に、マルクがどこか慌てた様子で、首を横に振る。いきなり魔炎で攻撃されたため、少女は気性の荒い性格なのだとばかり思っていたが、素直に頭を下げるところを見ると、そうでもないようである。
「俺はマルク・クラウド。で、こっちがラピスラズ。お前は?」
「私はルビィネル」
「ルビィネル」
自分の中で確かめるように、マルクがその名を繰り返す。
「ルビィネル様は、随分とお疲れだったようですね。魔炎を数発撃った程度で、倒れられてしまうなんて」
「ああ。道がわからなくて、三日間ずっと、飲まず食わずで、迷い歩いていたからな」
「そりゃ、倒れるわ」
ルビィネルの言葉に、マルクがどこか呆れた様子で肩を落とす。
「それでこの西側にいらしたんですね。魔女の方がこちら側に居るなんて珍しいと、先程もマルク様と話していたのですよ」
「西側?」
微笑みかけたラピスラズに、ルビィネルが戸惑った表情を見せる。
「何だ? 西側というのは」
「へ?」
問いかけるルビィネルに、目を丸くするラピスラズ。レイヤに住んでいる者であれば、魔族であれ、人間であれ、東西で町が分離され、それぞれの種族で住む場所が決まっていることなど、知っていて当然のはずである。
「あの失礼ですが、ルビィネル様は、どちらから……?」
「フレイヤだ」
「隣の国じゃないか! どれだけ迷ってんだよ!」
ルビィネルの答えを聞き、マルクが思わず大きな声をあげる。フレイヤは、レイヤの隣にある、魔族のみが暮らす、レイヤよりも五倍ほど大きな国である。フレイヤとレイヤの間には、大きな山脈があり、その山を越えなければ、レイヤ側にはやって来れない。
「ここはレイヤの西側、人間たちの住む領域ヤールです」
「ヤール……」
ラピスラズの解説を聞いたルビィネルが、少し考えるように首を捻る。
「ったく、どんな旅して来てんだよ」
「人間領とはいえ、ここはレイヤなのだろう? 私はレイヤに用があって来たのだから、私の進んだ道は正しかったではないか」
「だからってフレイヤからなら、火車とか、炎列車とか、色々と移動手段があっただろうが!」
「公共のものを使えば、見つかるだろう」
「誰に?」
「う……」
率直に問いかけるマルクに、ルビィネルが眉をひそめ、言葉を詰まらせる。
「何でもない」
「はぁ?」
大きく首を横へと向け、マルクたちから視線を逸らすルビィネル。誤魔化したつもりだろうが、まったく誤魔化せてはいない。顔をしかめるマルクの後ろで、ラピスラズが訝しむように、そっと目を細める。
「何か温かい飲み物でももって来ましょうかね。軽い食事も」
「ああ、ごめん。頼む」
「その間にルビィネル様に変なことをしてはダメですよ? マルク様」
「しないし!」
「あ、そんな勇気もないですか」
「うるっさい!」
客間に流れる気まずい空気を感じ取ってか、ラピスラズが提案するように言う。マルクの怒鳴り声に送られるようにして、ラピスラズは、足早に客間を後にした。部屋にはマルクとルビィネルだけが、残される。
「えぇーっと……」
二人きりになると、マルクが何を話そうかと、戸惑いながら、言葉を探す。
「あのっ」
少し遠慮がちに、声を漏らすマルク。
「さっき山で、マフレイヤに行くとかって、言ってたけど……」
「ああ」
聞き返したマルクに、ルビィネルは、晴れやかな笑顔で頷いた。
「ずっと昔からの、夢なんだ」
「夢?」
「ああ」
本当に長い間、夢見たことがうかがえるような、深い思いの詰まったような言葉で、ルビィネルが笑う。
「私は、“彩炎の魔女”になりたい」
「……っ」
まっすぐに瞳を輝かせ、何の衒てらいもなく言い放つルビィネルに、驚いた様子で、大きく目を見開くマルク。
「彩炎の、魔女……」
この世で一番の魔女に与えられる称号、“彩炎の魔女”。あらゆる炎を宿す魔女たちの、頂点に立つ魔女であるからと、その名が付けられた。レイール聖魔院に通う魔女は勿論、すべての魔女が目指すものの名である。だが、その称号を与えられる魔女自体が、百年に一度、現れれば奇跡とされているので、目指すものと言うよりは、伝説に近い存在であった。
「私は彩炎の魔女になって、聖地マフレイヤに行きたいんだ」
「聖地、マフレイヤ……」
「ああ、知っているか? すべての炎が生まれたとされる、この世界の始まりの場所だ」
繰り返したマルクに、説明するように言葉を続けるルビィネル。
「数多いる魔族の中でも、彩炎の魔女と、そのパートナーだけが、足を踏み入れることを許されているという、禁断の聖地で……」
「知ってる」
「え?」
言葉を途中で遮るマルクに、ルビィネルが、不思議そうに首を傾げる。
「マフレイヤ、か」
その聖地の名を繰り返し、マルクがそっと、目を細める。
――――コーラル! 俺、大きくなったら、マフレイヤに行くんだ!――――
――――それは素敵な夢ですね、マルク……――――
思い出される、幼い頃の自身の姿。
「俺も、行ってみたかったな……」
「え?」
マルクの小さな呟きを耳に入れ、ルビィネルが、戸惑うようにマルクへと視線を送る。
「しっかし、随分と壮大な夢だなぁ。彩炎の魔女に、聖地マフレイヤって」
「私が決めた夢だ」
どこか遠くを見つめるような表情を一転させ、明るく微笑んだマルクが、まるで茶化すようにルビィネルへと言葉を掛ける。するとルビィネルは、少し怒ったように口を尖らせ、はっきりとした口調で主張した。
「どんなに壮大であっても、私が叶える。そのために三日も彷徨って、このレイヤに来たのだ」
何の迷いもなく言い放つルビィネルを見て、マルクは何か眩しいものでも見るように、目を細める。
「そっか。じゃあ、頑張れよ」
そっと微笑むマルクの表情に、ルビィネルの夢を馬鹿にした様子はなかったが、どこか切なさのようなものが漂っていた。そのマルクの表情を見て、ルビィネルが少し眉をひそめる。
「そなた……」
「マルク様ー! 扉を開けて下さーい!」
「へぇへぇ」
ルビィネルが何かを言う前に、マルクはルビィネルへと背を向け、客間の扉の方へと歩いていった。マルクが扉を開けると、料理やら飲み物を乗せたトレーを両手に、ラピスラズが再び姿を現す。
「さぁ、ルビィネル様。遠慮なく、召し上がって下さいね」
「あ、ああ。すまない」
「ラピスは、料理の腕だけはいいから、味は保証するよ」
「“だけ”は余計ですよ。マルク様」
あれこれと言葉を交わすマルクとラピスラズを見つめながら、ルビィネルはどこか、考え込むような表情を見せていた。