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三田一族の意地を見よ 7

第肆拾捌話 西國日誌


弘治三年(1557)八月一日


肥前國ひぜんのくに松浦郡まつらぐん平戸ひらど 北條綱重ほうじょう つなしげ


ふう、平戸に着いたは良いが、王直おうちょく殿へ会うことが出来るかどうかが問題だな。一応、王直殿は近日中にも豊後から到着するとのことだし、孫八郎(渡邉わたなべ孫八郎まごはちろう昌長まさなが)が同族であったお陰で、領主、松浦隆信まつら たかのぶ殿にも快く滞在を許して頂けたのだからな。

此処で王直殿を説得すれば、後は甑島へ行けば殆どは終わる、博多との関係は航海中に、神屋紹策かみや しょうさくとの話で殆ど心配は要るまい。

「新三郎殿、如何致したかな、肩に力が入っておりますぞ」

「これは、忠貞殿」

島津忠貞殿は、にこやかな顔で、私に助言を下さる有り難い方だ。

「今の内からその様な不景気顔ではどうしようも無いぞ、その顔では都に帰った後で、西園寺の姫御前に愛想尽かされるぞ」

「いや、月子ゆえ殿とはその様な間柄では有りませんので」

うむ、月子殿とは確かに文を遣り取りしてはいるが、公家らしい和歌での文だが、親父(幻庵)直伝の和歌の教養で、月子殿の恋慕の心情が判るんだがなー、月子殿は西園寺家の跡取り娘だし、身分的にも合わないから返事の仕方に迷うんだよな。

「これ、新三郎殿、幾ら不景気顔が悪いと言っても、惚けても駄目じゃぞ」

この御仁は、私の鬱積として心を和ませてくれるんだな。

「はい、判りました」

「その意気じゃよ、康秀殿も言っておったであろう、“当たるも八卦当たらぬも八卦”とな」

「アハハハ」

その言葉で、思わず笑ってしまった。そうだそうだよな、頑張ろう。


弘治三年(1557)九月一日


肥前國ひぜんのくに松浦郡まつらぐん平戸ひらど

綱重が博多商人神屋紹策の紹介で領主松浦隆信と会い、その伝手で王直に会うことが出来たのは平戸に来て四十日程経ってからであった。この時王直は豊後から帰港していたのであるが、明への帰國のために動いており、中々時間が取れなかった為に、この時期の会談と成った。

王直の平戸の屋敷へ案内され、二十畳程の座敷へ通され待つこと四半時(30分)程で王直らしき四十代後半の海賊とは思えない程の知的な何処ぞの豪商の様な男が一人の男を連れて入ってきた。

「王直と申す」

「北條左京大夫が臣、北條綱重と申します。本日はお忙しい中、お時間を作って頂き真に忝なく存じます」

王直の挨拶に綱重が丁重に返礼を行う。

王直と共に来た、海の男らしく赤銅色に焼け筋肉隆々の二十代後半の男が名を名乗る。

「俺は、頭領の義息の毛烈もうれつだ、最近は王傲おうごうと名乗っているが」

「此は把が主君北條左京大夫が名代北條左衛門佐が書した物にございます」

綱重は、挨拶の後、持参した手紙を王直へ差し出す、それを毛烈が受け取り、封を開けた後、危険な物がないか無いか調べた後、王直へ渡す。

受け取った手紙を王直は読み始めるが、次第に不機嫌な顔になっていく、そして最後まで読み終わると綱重をジロリと見ながら、その手紙に興味を持っている義息の毛烈に渡す。

「ん此は……」

受け取った書状を読む毛烈の顔も次第に厳しくなっていく。

「御使者殿、此はいかなる仕儀ですかな?」

明人とは思えない流暢な日本語で王直が尋ねてくるが、目は完全に綱重を値踏みするかのようである。

「はっ、不躾ながら、明へ向かうのは危険にございます」

「使者殿、此には今回の朝廷(明朝廷)の招諭は罠だと有るが、馬鹿も休み休み言え!」

義父の王直ほど日本語が流暢では無い毛烈が憤慨しながら、綱重に詰め寄る。

「しかし、諸事情を考えれば、そうならざる得ないとの左衛門佐の考えにございます」

「義父上、遙か東の者の戯れ言など聞いても仕方が有りませんぞ」

毛烈が王直に聞くだけ無駄だと話しかける。

「御使者殿、我は今回、同郷徽州出身で顔見知りでもある胡宗憲こそうけん殿からの話であるが故に、罠ではないと思っておる」

王直の言葉に毛烈が頷きながら説明を足す。

「それに胡宗憲は態々腹心の蒋洲しょうしゅうを五嶋はおろか平戸まで寄越して義父上に約束したんだ。それにより俺や葉宗満ようそうまん寧波ニンポーへ直接行って、胡宗憲に会って確かめたんだからな」

主語のない話に綱重が考え込むと、王直が話を纏めてくれる。

「御使者殿、胡宗憲殿は我が妻や子息を丁緒に扱ってくれているのだよ、それに海禁を緩和し貿易の容認と帰国後は我に海上の治安維持を任せるという事まで譲歩してきてくれている」

「それで俺達が他の倭寇共の説得と覆滅を買って出た訳だ」

「その通りだ、蒋洲殿と共に九州にいる殆どの倭寇の説得がつい最近終わったのだよ」

王直、毛烈二人して綱重に言い、お前さんの親方の手紙は役にも立たないという顔をする。

「此は、余り言えない事だが、態々平戸まで来た勇気に免じて教えて使わそう。今回の帰國は豊後の大友様(大友宗麟おおとも そうりん)が六年前に滅んだ周防の大内様に代わり勘合貿易をする為に、形式上は豊後王の朝貢船の形を取り、大友様の御使者も載せ、朝廷に勘合貿易復活を請う上奏文まで用意しているのだよ」

王直が綱重に丁寧に裏事情を教え心配無用だと話す。

「それだからこそ、帰國に関しては何の心配も無用だ」

毛烈がドヤ顔で話す。

しかし、綱重としても、評定で決まったこと故、其処で引き下がる訳にもいかずに、頭を下げ再度説得に当たる。

「王大人、世の中には贈り物を送り腕一杯になった所で、刀を突きつけることもございます。今までの事を考えても、明政府は海禁を緩和せず、私貿易商人を倭寇として弾圧してきました。先年徐海殿が倒された今、最後の海上の大頭目は王大人のみ、官軍が誘き出そうと考えても可笑しくありません」

「ハハハハ、御使者殿は予程の心配性らしいですな。我の様な商人と違い徐海は海賊行為を行い、更に我を殺害しようとした事も有る大罪人、その様な者と一緒に考えられるとは失敬な事ですぞ」

王直は笑いながら綱重に話しかけるが、綱重を冷めた目で見ている。

「そう言う事だ、第一中華では古来より同郷殺しは尤も恥ずべき言と言われているんだ」

「左様、三國誌における晋の創始者、司馬仲達しば ちゅうたつは同郷の知り合いを一族皆殺しにした為に未だに尊敬されておらん、その事を知る誇り高き胡宗憲がその様な事をする訳が無いのだよ」

毛烈も王直もとりつく嶋もない状態で綱重の話を右から左へ聞き流す。

綱重もこれ以上の説得は無理かと諦め始めた為に無言の状態が続いた為か、隣の部屋から誰かが王直に声を掛けてきた。

「王大人、そろそろ終わりで宜しいのでは有りませんかな」

その声に気が付いた王直が声を掛ける。

「徳陽殿、善妙殿」

王直の言葉に応えるように襖が開き、二人の四十代程と五十代程の僧が現れる。

「話は隣で聞かせて貰いましたが、いやはや何と面白きことか」

「全くじゃ、左京大夫と左衛門佐には妄想の気が有るようじゃな」

二人の僧は笑いながら、北條氏康と氏堯の官途を呼び捨てにする。

此には綱重もムッとして二人の僧を睨み付ける。

「我が主君を愚弄致すか」

綱重が言った言葉を聞いて二人の僧は口々に話す。

「おお怖、流石は東夷よ」

「全くじゃ、坂東の草深き田舎者らしい物言いよ」

王直も毛烈もその話に付いていけないらしく唖然としている。

「王大人、彼等は何者なのですか?」

此処で怒ってしまえば、氏康の名誉に関わると思い、怒りをぐっと我慢して王直に二人の正体を尋ねる。

「うむ、御二方は、大友様の御使者、徳陽殿、善妙殿だ」

「そうよ、大友様は、お二人を正使として朝廷に勘合貿易の許可を受けることに成ってるんだ」

王直が冷静に毛烈が自慢げに説明する。

その話をすました表情で徳陽、善妙は聞いている。

「先ほどから聞いておれば、我が殿の壮大なる快挙を馬鹿にし邪魔する言動は聞き捨てなりませんな」

四十代の僧が嫌みったらしい目で綱重を見ながら話す。

「左様じゃな、北條が如き輩にあれこれ言われる術は無いのじゃがな」

五十代の僧が不機嫌そうに吐き捨てる。

「それに、我が大友家は初代 大友おおとも 能直よしなお様が武皇嘯厚大禅門ぶこうしょうげんだいぜんもん様(源頼朝)の庶子であり、それ以来今日に至るまで豊後守護とし勤めてきたのだ。それを高々家臣筋に過ぎぬ北條の輩が意見するとは憤慨物だ」

「左様じゃ、豊後守様(大友宗麟)は、公方様をお助けし何れは九州探題にも成られる御方」

「そうよ、高々左京大夫如きの北條に何する事ぞ」

二人の悪態に切れそうな綱重だったが、ひたすら我慢し続ける。

「御二方とも、その辺で宜しかろう、そう言う事で御使者殿のお話を聞く訳にはいかんのだよ」

王直が徳陽、善妙の話を止めて、綱重に会談の終了を告げる。

流石に此処まで言われては、綱重も帰るしか無く、最後の挨拶を行う。

「王大人、お忙しき所、真に忝なく存じました。何がございましたら小田原を訪ねて頂きたく」

「さっさと帰るが良かろう、東夷は匂いがきついのでな」

「善妙殿、その辺で」

四十代の僧が悪口を言うのを王直が止めた。

「小田原ですか、何れ貿易にでも伺うやも知れませんな」

「是非に」

綱重は深々とお辞儀して、その場を離れた。

結果的に、康秀の考えた王直引き抜き作戦は失敗に終わった。この後、王直は大友家の使者と共に九月二十三日に平戸を発った。しかし勢いよく明に帰った王直は康秀の指摘の様に胡宗憲に騙された挙げ句、十一月に捕縛されたのであった。

無論大友家の勘合貿易復活を請う上奏文も正式な勘合符が無い為に散々待たされた挙げ句、胡宋憲らに騙し討ちにあって船は焼かれ使節は命からがら山中へ逃亡し、翌年に生き残りが自ら船を建造し奇跡的に日本へ逃げ帰ってきたのである。


弘治三年(1557)九月一日


肥前國ひぜんのくに松浦郡まつらぐん平戸ひらど 北條綱重ほうじょう つなしげ


暗々たる気持ちで屋敷を出た私の前に、忠貞殿が現れた。私としては、この様な不始末をどの様にお詫びすればいいか考えていた中での事であった。

「その様子じゃと、旨く行かなかったか」

「はい」

折角の九州行きを無駄にした私の脳裏には、切腹してお詫びをと言う事が過ぎっていたが、忠貞殿がまずは皆の所へ行こうと、世話になっている寺へ向かった。

寺に着くと、忠貞殿が懐から手紙を出し、私に読めと渡してきたが、それを読んで驚いてしまった。

“新三郎殿は真面目すぎる故、失敗を悔やんで死を選ぶかも知れません、忠貞殿がそれを止めるとを期待していますが、いざとなったら、以前、綾姉様に渡した恥ずかしい恋文を墓前で大声で読み上げると脅して死なないようにして下さい。尚、恋文は小太郎が忍び込んで手に入れました。

新三郎殿、今回の王直の件は普通であれば信じない類でしょうから、断られても気にすることは有りません、それよりも甑島の事は確実に伝手をお願いします。康秀、氏政より”

この手紙を読んで、康秀、氏政の奴!!と思ったが、其処まで心配してくれているのかと嬉しくも成った。

「ハハハ、此は大変じゃな、無事帰らんと、後の世まで笑いものじゃ」

「それを言わないで下さいな」

「さて甑島へ行くとしようぞ」

「そうですね」


弘治三年(1557)九月二十日


薩摩國さつまのくに甑島郡こしきじまぐん


甑島に着いた我々は、神屋殿の伝手でその嶋主 小川おがわ越中守えっちゅうのかみ季輝すえてる殿と面会することが出来た。やはり海に囲まれているからか浅黒い三十代後半の日焼けした人物であった。

「小川越中守です、遠路遙々お越し頂いた。嶋故に碌な物はござらんが、今宵は緩りとお楽しみ下され」

「此は此はご丁寧に、拙者関東の北條左京大夫が臣、北条新三郎綱重と申します。我等の為にこのような宴を開いて頂き真に忝なく存じます」

「いやいや、神屋殿のお話と有れば、断る事などありませんからな、それに鎌倉以来分かれたままの御本家が無事だったのは嬉しい事ですから」

そう言い、綱重達と共に来た小川おがわ次郎左衛門じろうざえもん直高なおたかを見ながら話す。

関東の小川一族が来嶋したと聞きつけた、甑島小川一族がヤンヤヤンヤと関東の話を聞いている。

「和田義盛の乱以来、音信が途絶えた御本家が生き残っていたとは」

「そうよ、とっくの昔に消え果てたかと思っていたわ」

皆に囲まれている直高がしどろもどろに成りながら答える。

「はい、左衛門太郎景綱が滅んで以来、本貫を失い、猪方へ逃れ細々と暮らしてきました。しかし、今回はこうして大任を得る事が出来ました」

酒が入ってるのか感動したのか直高が泣きながら喋っているのを、一族総出で囃し立てる。

結局一晩中飲み明かした皆は屋敷で倒れて大鼾で寝込んでいた。

星明かりが消えつつある東側の海岸に一人の男が佇んでいた。

「此方に来ていらっしゃったんですか」

「新三郎殿か」

「忠貞殿、海を渡れば薩摩の大地ですな」

忠貞は感傷気味に頭を垂れる。

「そうじゃな、二度と二度と帰れぬ故郷の星空と思っておったが、こうして又見る事が出来るとはな」

「向かいましょうか?」

綱重が密かに上陸する事を進めるが、忠貞は頸を振り否定する。

「いや、儂が今帰れば、要らぬ混乱を巻き起こすだけじゃ、薩摩の民の為にも儂一人の我が儘を通す訳にはいかんのだよ」

「忠貞殿……」

「それに、この甑島も薩摩の内じゃ、久々の薩摩の食に満足したと言えば、良いかの」

忠貞は、片目を瞑りながらにこやかに笑う。

その後、季輝との交渉も旨く行き、何れ甑島の港を使用して中間貿易を行う約束が為された。

因みに、小川直高はこの地で歓迎された挙げ句に、妻がいるというのに無理矢理、甑島小川一族の娘を宛がわれ、連れて帰る羽目になった。

小田原帰還後に奥方の長い長いOHANASHIが有ったことは、記録には残っていないが、風魔の話から康秀達は知って笑ったそうだ。


第肆拾玖話 内裏完成と綱重の受難


弘治三年八月一日


■山城國 京 大内裏


北條家が帝の為に造営を行って居た内裏で朝家の儀式を行う紫宸殿ししんでん、帝の住まいたる清涼殿せいりょうでん後宮たる七殿五舎しちでんごしゃが完成し、更に譲位後の太上天皇だいじょうてんのう上皇じょうこう)が住む仙洞御所せんとうごしょ、また東宮の住む東宮御所とうぐうごしょも造営されていた。

実際の所、大内裏では、大極殿だいごくでんの再建も検討されたのであるが、既に大極殿における儀式事態が紫宸殿に移っていた為に、今回は再建せずに置き、次期帝の際に再建を行うと朝議で決した。

大内裏内には公家や地下人の屋敷地が区割りされ、順次屋敷が建てられることに成っているが、今のところは内裏などの建設に全力を懸けている為に、摂家などの上級公家の様に大工に伝手のある者達のみが屋敷を造営している状態で有る。

僅かな時間で此だけの建物を造営したのは北條側と堺などの商人の人海戦術に依るものと、康秀の示した、木造枠組壁構法もくぞうわくぐみかべこうほう(ツーバイフォー)や規格木材による建築などで建築時間の短縮を成功されたからである。

流石に紫宸殿や清涼殿は在来工法で建築したが、その他の建物ではかなりの頻度で、ツーバイフォーが採用された。この際に施工した大工達に工法が知られた後でもベニア板の様な均一で幅広い板が手に入らなかった為に採用されることは殆ど無く、諸大名も興味を示さない為に廃れていった。

ほぼ完成した内裏をお忍びで見学するのは御年四十一才に成った皇太子方仁親王こうたいし みちひとしんのう。親王を案内するのは北條氏堯ほうじょう うじたか北條氏政ほうじょう うじまさ、そして頭領 中井正信なかいまさのぶ

「うむ、見事な出来映えよ」

親王が紫宸殿を見ながらお付きの九條稙通に話しかける。

「まっこと見事な出来でおじゃります」

九條稙通が親王の言葉に同意すると親王も眼を細めながら頷く、その姿は次期帝に相応しい威厳の有りようである。

「大和守(中井正信)見事の差配である」

親王が法隆寺番匠であり、今回の内裏造営の総監督である中井正信、正吉親子を賞める。正信、正吉親子は、感動の余り嗚咽を漏らす。

「左衛門佐、左京大夫とそちを含む北條の得心、よう判った。帝に代わり有り難く思うぞ」

親王の礼に驚く氏堯達。

「殿下、左衛門佐が驚いておりますぞ」

ニヤリと笑いながら九條稙通が話す。

「ハハハ、率直な気持ちを述べただけよ、内裏など、生きている内に見られるとは思っておらなかったからの」

こうして内裏の造営現場を見学した方仁親王は上機嫌で御所へ帰った。


土御門東洞院殿つちみかどひがしのとういんどの


御所へ帰り、方仁親王は知仁帝ともひと ていに報告を行った。

「父上、内裏の造営は滞りなく終わりました」

「そうであるか、どの様な状態で有った?」

最近頓に体の調子が宜しくなくなってきた帝は横になりながら親王からの報告を聞く。

「はい、紫宸殿、清涼殿、七殿五舎共に古式に則った様式で見事に再建されております」

「そうであるか、これで祖父殿(後土御門天皇ごつちみかど てんのう)以来滞ってきた譲位が行えると言う物だ。」

帝は病身でありながら力強く話す。

「はい、まずは八月五日より順次御所からの物品の移動を行い、八月二十五日の大嘗祭、その後九月一日の譲位と成ります」

「あと二十日であるか、楽しみよな、伊勢(伊勢神宮)の事はお前に任せる故、くれぐれも頼むぞ」

帝の言葉に親王は手を握りながら大きく頷く。

「はっ、必ずや朝家復興の一石として見せましょう」

「良き事よ」

帝は疲れたのか、眠りに着き、親王は退室した。


弘治三年八月二十日


■大内裏


内裏が完成した八月五日以来、土御門東洞院殿から牛車が群れをなして御所の物品の移動を続けて居た。更に北條家が帰京した後の御所護衛の為、滝口武者たきぐちのむしゃ北面武士ほくめんのぶしなどの組織を再編成し検非違使けびいしが再編されることになり、文明十八年(1486年)に権中納言従三位兼行左衛門督柳原量光が辞職以降途絶えていた、検非違使別当に十九才の正三位菊亭晴季きくてい はるすえが任じられる事が内示された。

今回の検非違使別当任命は、八月一日に左大臣に就任した西園寺公朝さいおんじ きんともが分家で有る菊亭晴季を前面に押すことで次官の佐の人事に他の公家の(主に近衞前嗣の息の掛かった者)の横鎗を防ぐ為であった。

何故なら検非違使別当は名所職と言え実際の実務は副長官たる佐が行う事が通例であるから、その佐に九條稙通、二條晴良にじょう はるよし、更に方仁親王と伏見宮邦輔親王ふしみのみや くにすけしんのうの意向が在り在りと含まれていたからである。




話は弘治三年三月七日の出来事に戻る。

事の発端は、西園寺公朝が土蔵からの借金で娘の月子姫を攫われそうになった事から始まっている。その際颯爽と現れ西園寺卿と息女を救ったのが、北條綱重だったことが、発端に成った。

西園寺卿も月子姫もその姿に惚れ惚れし、特に月子姫が恋煩いを起こす程になり、屋敷で『綱重様と婚姻できないなら、うちは死ぬ』とか『綱重様と関東へ下向する』とか我が儘を初めて言って、公朝もほとほと困り、見目麗しい公家の若君を婿にしようと、北條家からの援助で家計が潤ったので歌会などを行い、見合いさせようとしたが、その意図を知られて父親である公朝を殴る蹴る引っ掻く物を投げるの暴行までする始末。

とうとう、変わり者と評判だが実力者の九條稙通に相談したのであるが、相談した相手が悪かった。『姫の意志が固いのであるなら、いっその事、綱重を西園寺の養子にすればよい』と言う始末。

相談した相手を間違えたとガックリし、七月に入り近衞前嗣に相談しようとしたが、放火事件の影響で自発的な謹慎中なため相談できずにオロオロしている最中の七月十五日、九條稙通に呼び出され屋敷に行くと二條晴良となんと方仁親王と伏見宮邦輔親王が待っていたのである。

「東宮様、宮様」

驚く公朝を見てニヤニヤする親王達。

「右府(公朝)息女のことでほとほと困り果てて居るようじゃな」

「御兄上、お困りのようですな」

邦輔親王の妻は公朝の妹に当たる為に親しくしていた。

「はぁあ、面目次第も御座いません」

公朝は両親王の言葉に恥ずかしさから顔を赤くしながら答える。

「右府は考えすぎでおじゃるよ」

稙通がニヤニヤしながら茶化す。

「太閤その位にしてやれ」

方仁親王が稙通を諭し、公朝に話しかける。

「右府、そなたの懸念もよう判るが、無理に引き裂いても不幸になるだけよ」

「しかし」

「其処でじゃ、後一月足らずで内裏も完成する。さすれば北條の者達も坂東へ帰るで有ろう」

方仁親王の言葉に、公朝は時間を稼いで有耶無耶にしろと言っているのかと思ったが違う話しを始めた。

「其処で、新たなる御所の警備が必要になる訳じゃ、其処で文明以来廃れている検非違使を復興させる事に致した」

「検非違使でございますか」

「左様じゃ、その別当に西園寺の分家に当たる、菊亭晴季を推挙しようと思っておる」

「晴季をでございますか」

公朝の頭では晴季は十九才の偉丈夫であり、婿にするには申し分ない若者と思った為、検非違使別当職に就け、娘との婚姻を勧めてくれると思ったが、親王は斜め上の答えを持って来た。

「そうじゃ、晴季を別当として、佐に北條綱重を就ける事に致す」

「東宮様、綱重を佐に就けるとは何の佐でござましょうか?」

聞き違えかと思いつい聞き返してしまう。

「右府、検非違使佐に決まっておろう」

驚いて色々聞いてしまう。

「しかし、綱重は無位無冠、更に北條は公家ではございませんぞ」

「ハハハ、その事ならば、太閤が知恵を付けてくれたわ」

「太閤殿が?」

「そうですぞ義兄上、北條は元々伊勢姓であり、平氏です。其処で平氏の公卿で絶えている家を探しましたら、平大相国へいだいしょうこく平清盛たいらのきよもりの弟、池大納言頼盛いけだいなごんよりもりの家系が絶えており、そこで同じ平氏と言う事で継がせることと相成りました」

義弟邦輔親王の言葉に絶句する公朝。

「右府よ、今の朝家、公家衆もお世辞にも強固と言えない程の状態じゃ、今は北條左京大夫により御料所や荘園が寄進されているが、大内の例ではないが栄華応報とも言う、更に北條が代替わりして、今までのような付き合いが続くかも判らん。その為にも北條との繋がりを切ることは出来ぬのじゃ。父上であれば、その辺は許さぬで有ろうが、私としては北條綱重に池家を復興させ、そなたの息女と妻合わせ、北條を朝家に抱え込むが肝要なのじゃ。判ってくれ」

そう言いながら、東宮が目礼をする。

慌てる公朝。

「東宮様、恐れ多いことにございます

「判ってくれたか」

「御意にございます。朝家の復興の為ならば、娘の事をお任せ致します」

「うむ、目出度いですな」

「まことや」

「取りあえず、譲位の後、綱重には従五位上じゅごいじょう右衛門権佐うえもんごんすけに就かせ池家を再興させ、検非違使再興後に検非違使佐を兼任させる」

「御意」

この様な事で、九州に居ながら、北條綱重は帰洛直後に池家相続と、伏見宮邦輔親王の仲人で月子姫と婚姻するはめになるとは思っても居なかった。


第伍拾話 覚慶


弘治三年七月


■大和國 奈良 興福寺 一乗院門跡


興福寺一乗院門跡覚慶は数週間前から疱瘡と思われる病により生死の境を彷徨っていたが、疱瘡が移ることを恐れた者達により、食事などを除くと殆ど放置され次第に衰弱していた。

覚慶は薄れ行く意識の中で、今までの人生が走馬燈の様に思い出されていった。

「ああ、父上、母上、千歳丸は千歳丸は、今一度お会いしとうございました……」

覚慶は高熱に魘されながら、六才の頃に別れた、亡き父、足利義晴あしかが よしはるや京にいる母、慶寿院けいじゅいんの顔が浮かんでいる。

天に手を伸ばしながら、幼い頃の食うや食わずの生活を懐かしみながら、「母上」と叫びながら覚慶の意識は暗黒の其処へ墜ちていった。

どの位意識を無くしていたのか不意に暖かさを感じ気が付くと、一人の女人が覚慶を抱きしめていた。いつの間にか新しい襦袢一枚になっており覚慶は驚くが、その女人は優しい声で語る。

「覚慶様、何もお考えにならずにお眠り下さい。此は御仏の見せて頂いている夢にございます」

疑問に思う覚慶であったが、甘い香りに次第に意識が消え安らかな眠りについていった。

翌日、気が付くと女人の姿も無くなっていたが、今まで放置されていた自分の垢だらけの体が綺麗になり、高熱は未だあるが気持ち的には非常に楽になっていた。

「夢であったか……」

熱で思考能力の低下した覚慶はそう呟いた。




暫くすると、都から九條稙通が差配したと言う医師が訪ねて来た。

「覚慶様、都より太閤様(九條稙通)のご配慮で医師が参りました」

病気がうつると怖いのか恐る恐るという感じで、僧の一人が外から伝えてくる。

「判り申した」

辛いながらも返答をおこなう。

すると部屋の戸が開き、年の頃四十代前後の医師が入ってきて挨拶を行った。

「覚慶様、失礼致します。私は都留芽庵つる めあんと申しまして、同郷谷村出身の永田徳本ながた とくほん先生の従兄弟の甥の同門の師匠についておりまして、太閤様には色々お世話になっております」

芽庵の訳の判らぬ挨拶にも頭がボーッとしている覚慶は聞き流すだけであった。

「態々の往診かたじけのうございます」

動かない体にヤキモキしながらも、芽庵に挨拶をする。

「何の、太閤様、二條様が覚慶様の事を大変心配為さっておりました故、一肌脱いただけにございますよ」

芽庵は、にこやかな笑顔で覚慶に語りかける。

「さて、覚慶様、お体を診察致します」

「いや、しかし、拙僧の病は……」

覚慶が疱瘡であるからうつる可能性を言おうとするが、芽庵が手で制して言う。

「医師という者は、其処の病む者がおる限り、貴賤、病の重軽の差あれど、皆平等に快癒に尽力する物にございます」

覚慶はその言葉が胸に響いた。

そして芽庵は覚慶を診察し始めた。

芽庵は診察を進めると、覚慶に病について語り始める。

「覚慶様の御病気は疱瘡に間違いございません」

「やはり」

覚悟していた通りの診断結果に腹を決める。

「さすれば、拙僧の余命は如何ほどとなりましょうか?」

弱々しいながらも意志の籠もった声で質問を行う。

覚慶の問いに芽庵は真剣な表情をしながら答える。

「覚慶様の疱瘡にございますが、治癒しつつあります」

思いも掛けない答えに覚慶は驚くが、気休めは止めて貰おうと再度質問する。

「芽庵殿、気休めはお止めくだされ、拙僧も仏の道に生きてきた者、西方浄土へ行くならば何の恐れがありましょうか」

悟りを開いたかのような覚慶の言葉を聞いて、芽庵はいきなり笑い始めた。

「ハハハハ」

いきなり笑われた覚慶は芽庵に抗議する。

「芽庵殿、笑うとは失礼ではありませぬか?」

「済まぬ済まぬ。覚慶殿が余りに諦めているようでござったから」

「拙僧とて……」

覚慶も言葉が続かない。

「覚慶殿の御病気は嘘偽りなく、快癒に向かっておりますぞ、恐らくは覚慶殿の体力と気力、そして疱瘡の病魔が弱かったのでしょうな」

「真にございますか?」

いきなり死の恐怖から解放された覚慶は芽庵に何度となく聞く。

「真も真、私は患者に嘘を申した事はございませんぞ、尤も患者以外には嘘をつき申すが」

覚慶は芽庵の言葉に唖然と成るが、暫くすると沸々と笑いが零れていた。

「アハハハ、芽庵殿は面白うございますな」

「ほれ、元気になったであろう」

芽庵がニヤリと笑いながら覚慶に笑いかける。

覚慶としても、熱はあるが、今までの鬱積していた気持ちが晴れやかになって来た事を感じていた。

そんな中、鈴のような軽やかな声が、部屋の外から聞こえた。

「父上、御薬湯をお持ち致しました」

詩鶴しづるか、御苦労」

芽庵が戸を開けると、其処には十代半ばを過ぎたと思える女性が薬湯が入っているのであろう湯気のでた椀が乗った盆を持って立っていた。熱が高い中でも覚慶の脳裏には昨晩震える体を温め続けてくれた、女性の顔とよく似ている気がして仕方が無い。

「覚慶様、女人を寺に入れた事申し訳ございません。これは、娘の詩鶴と申しまして、私の弟子をしております。この度は覚慶様の一大事と言う事で、太閤様より格別の思し召しにより興福寺にお願いし、娘を助手として入れる事をお許し頂いた次第、平にご容赦を」

「詩鶴と申します。女人禁制は承知の事なれど、医者として助けられる命を見過ごす事が出来ませぬ、どうぞご容赦お願い致します」

そう言って、薬湯を芽庵に渡すと覚慶に頭を下げる。

覚慶にしてみれば、自分を救おうとしてくれる者達であるから、目くじらなど立てる気も起こらないし、熱があるので其処まで気にしていられなかった。

「詩鶴殿、お気になさらずにいて欲しい」

そう言って、詩鶴の持って来た薬湯を芽庵から受け取り飲み干す。苦いがまろやかな風味と何処からか醸し出される甘さに、覚慶は精神的にも楽になっていった。そのままゆっくりと眠りについていった。

覚慶が眠りにつくと、芽庵と詩鶴は退出し、興福寺の宿坊の一つへ泊まり、覚慶が完治するまで治療を行った。

そして詩鶴は夜な夜な、覚慶の元へ行き特殊な香を焚きながら覚慶に暗示を掛けその瑞々しく張りのある美しく出る所出て締まる所は締まる体を使い覚慶の心と体に忘れる事の出来ない記憶を植え付けていった。

覚慶が完治したのはそれから一ヶ月後であった。無論覚慶には毎日のように添い寝をしたうえ、最後の二週間は詩鶴と覚慶は男女の間柄になっていたが、覚慶はその様な詩鶴の姿は病に魘された煩悩の性だと信じ込んでいた。

その後、芽庵、詩鶴の親子が興福寺を去るときには姿が見えなくなるまで、覚慶は手を振って別れを惜しんでいた。


弘治三年八月十日 


山城國やましろのくに きょう 九條稙通くじょう たねみち


興福寺で覚慶の治療に当たった都留芽庵、詩鶴親子が京へ戻り九條邸へ顔を出したのは翌十日の事であった。二人ともごく普通の時間を掛けて京へ戻ってきたのは、興福寺を出て以来何者かに尾行されている節があったからである。

その為に、下京の有る屋敷へは向かわず雇い主と成っている先の関白九條稙通の元へと避難したのである。

九條邸へ入ると共に尾行は居なくなり、その尾行をおった風魔の手練れが、信貴山城へ入る姿を確認している。つまりは覚慶は松永弾正久秀まつながだんじょうひさひでの監視下に置かれてると言う事が判ったのである。

此は、北條家にとっても、康秀にとっても、今後の行動を考える上で貴重な報告と成った。

こうしてみると、都留芽庵と詩鶴の正体が判るであろう、彼等は風魔忍であり覚慶の疱瘡自体が風魔が仕込んだ事であり、当初は覚慶を織田信長の上洛への御神輿として利用させない為に、数ヶ月前から小坊主として潜入していた別の風魔忍が、疱瘡の瘡蓋を覚慶に密かに植え付けていたのである。

しかし、ことのほか覚慶が丈夫であり、死に至らないようであるとわかった結果、当初の暗殺から変更し看病させる事でこちら側に取り込むという事にしたのである。この事件自体が風魔によるマッチポンプだったのである。

更に、芽庵が出した薬湯と詩鶴が焚いた香は大麻が含まれており、このまま行けば将軍と成るかも知れない覚慶を籠絡する狙いがあった。更に詩鶴は覚慶の子を身ごもっている事も判明したのである。

北條家側は、義輝が危険であるなら弟の覚慶を操る気満々だったのだ。


弘治三年八月二十五日


■山城國 京 大内裏 内裏 紫宸殿ししんでん


この日、青く晴れ渡る京は数世代ぶりに行われる大嘗祭おおにえのまつりに沸き返っていた。

内裏には、衣冠束帯の公家達が平安の頃の揃い煌びやかな王朝絵巻の再現かとばかりの様相である。

その殆どの衣装は北條家からの献金により京、堺、伏見などの商人衆が大忙しでそれらを揃えたのである。その為一時的にせよ畿内の景気が上向き人々の懐にも幾ばくかの恩恵があった。その為に畿内での北條人気は更に上がる事になり、それに協力した三好家、本願寺などの人気も上がる事と成ったが、手を出す事が出来なかった将軍家の権威は更に低下し、足利義輝の北條嫌いが益々酷くなる遠因ともなった。

大内裏の警護は北條家と三好家から出され、都の彼方此方では、朝廷から下賜された(資金は北條家持ち)酒樽や料理を飲み食べる町衆の歓声が聞こえ、都はお祭り騒ぎである。

紫宸殿では、知仁天皇ともひと てんのうが儀式を行っている。本来であれば数日にわたり行うのであるが、この所の天皇の体調悪化を考慮し多少なりとも簡略化して天皇の体調をこれ以上悪化させないようにしていた。

列席する公家衆に混じって、畿内を牛耳る三好家から三好長慶みよし ながよし三好義賢みよし よしかた十河一存そごう かずまさ等が参加し、北條側からも氏堯、氏政が参加していた。

そして、天皇の第三皇子で曼殊院門跡まんしゅいん もんぜき覚恕法親王かくじょ ほっしんのうや第五皇女普光女王、第七皇女聖秀女王達も列席していた。

そんな中で異彩を放ったのは将軍足利義輝の次弟であり当年二十一歳で興福寺一乗院門跡覚慶が参加していた事であった。彼は、七月に疱瘡により死の淵を彷徨いながらも奇跡の生還を遂げたが、その医師を差配してくれた九條稙通の勧めで京へ上ってきていた。

厳かに行われる大嘗祭を見ながら覚慶はあの頃の事を思い出し九條邸で詩鶴に会う事を楽しみにしていた。


第伍拾壱話 新帝即位


弘治三年(1557)九月十五日 


■山城國 京 内裏


知仁天皇ともひと てんのうが、文正元年(1466)後土御門天皇が行って以来、廃絶してしまい、父、後柏原天皇は出来ず、自らも長年出来なかった物が、念願が叶い大嘗祭を行った。

その五日後の弘治三年九月一日に、皇太子こうたいし方仁親王みちひと しんのうに譲位を行い上皇となった。

実に譲位は後花園天皇が寛正五年(1464)、後土御門天皇に譲位して以来、実に九十四年ぶりの出来事であった為、知仁上皇の喜びは格別のものであった。此より、上皇は治天ちてんきみとして尊号後水尾となり、これ以後、後水尾上皇と呼ばれる事になった。

上皇は大嘗祭を行えた喜びからか、病が小康状態になり、寝込んではいるが意識はハッキリしてしている後水尾であるが、政治には最早口出しせず、病の快気を願うばかりであった。

譲位を受けた方仁親王は践祚せんそを行い、その後即位式を行い天皇となった。

新しい帝になり、人事の一掃が行われ、後水尾上皇以来の関白であった近衞前嗣は真継久直問題で左大臣を辞任した物の、関白位だけは手放さない状態で有ったが、関白自体が有名無実化している昨今では無理矢理奪う事も無かろうと留任が認められたが、実際の朝儀には参加出来ず朝廷から距離を取らせられる事と成った。

その為により一層、朽木谷に都落ちしている将軍足利義輝との関係を強化する事となり、父である近衞稙家このえ たねいえと共に、都で暗躍する事と成る。更に妹を義輝の正室とする事も約束され、以前より近衞家は朝臣と言うより幕臣に近い行動を取っていたが、この事で更にそれに拍車がかかる事と成った。

内裏再建に伴う御所の移転は、旧来の役所の再建により、地下人達にも確りとした仕事が与えられ、それに伴い、公家衆、地下人の帝に対する忠誠心が大いに上がる事と成り、更にそれを成し遂げた、北條家に対しての信頼感、親近感へと昇華していった。

昨今都では、民百姓も北條家と朝廷の行う公共事業で潤っており、更に北條家と山科卿が共同で開設した診療所のお陰で、病気の蔓延が阻止され、以前から山科卿の行っていた、お金の払えない貧しい人達にも分け隔て無く治療する事もあり、北條家の悪口を言う者は数少なく、居るとすれば、治安が良くなった為商売が出来ない盗賊か、ぼったくりの医者か、幕府方の支持者ぐらいであった。

そんな中、方仁帝の新たなる朝儀が始まっていた。

今までであれば、大臣は殆ど朝儀に参加する事は無かったが、新たなる朝廷の意志を示す為に、新帝の政治に参加する資格が有ると考えられた公家達が参集されていた。

その中には、先頃准三宮の宣下をうけて金蓮院准后と名乗っている、方仁帝の弟宮である覚恕法親王かくじょ ほっしんのう伏見宮邦輔親王ふしみのみや くにすけしんのうが参列しているのが公家衆の興味の的と成った、何故なら普段、親王は延暦寺曼殊院門跡えんりゃくじ まんしゅいんもんぜきとして曼殊院に居るはずなのだから。

その様な事もあったが、帝が御簾の向こうへ来ると。早速集まった公家衆を代表し、左大臣兼左大将正二位西園寺公朝と右大臣正二位花山院家輔が帝へ挨拶を行った。

「主上におかれましてはご機嫌麗しく」

「御尊顔を拝見し恐悦至極に存じます」

主上も機嫌が良いのか、御簾を開けにこやかに応対する。

「朕もそなた達の姿を見て良き気持ちじゃ」

此には、公家衆も呆気に取られるが、親しみやすいと考えを切り替えた。

朝儀では、まず伏見宮邦輔親王、九條稙通くじょう たねみち二條晴良にじょう はるよしが中心に決めた、検非違使の復活に伴う人事が決せられ、帰京していないにも係わらず、北條家の承諾を得て、北條綱重による池家の再興と、いけ右衛門権佐うえもんごんすけ朝氏ともうじへの改名そして検非違使佐就任が決せられた。

その次ぎに、覚恕法親王かくじょ ほっしんのうが呼ばれる。

「覚恕、そなたは此より還俗し宮家の創設を行う様致せ」

帝の言葉に事情を知る者以外が驚きの表情を見せる。何故なら昨今の財政難により遠江国入野へ都落ちし宮家としての体裁を取れなくなった木寺宮きでらのみやや天文二十一年(1552)に薨去した為断絶した常盤井宮恒直親王ときわいのみや つねなおしんのう以来、伏見宮家以外の宮家は存在していないも同然だったのだから。

帝の言葉に、形式上一度は断る振りをする覚恕。

「恐れ多き事なれど、主上、拙僧は一度仏門に入った身にございます。今更還俗をしても何らお役に立てぬと愚行致すます」

其処で、邦輔親王が宮家創設を勧める事で、皇族としても応援しているという態度を取り、他の公家衆の意識を賛成に回らせる役割を行う。

「覚恕殿、この度の、大嘗祭、譲位、内裏再建、諸々の朝儀の復興は、朝家の復興の兆しにございましょう。その為にも、主上の弟君でいらっしゃる覚恕殿が主上をお助け致すが、孝行とと言う物でしょう」

邦輔親王の言葉に、多くの公家が賛同の意志を見せる。

覚恕も此に答える形で、受諾の意志を示す。

「主上、微力なれど、此より天下万民の為に主上のお手伝いを致す所存にございます」

「うむ、覚恕頼むぞ」

「御意」

出来レースではあるが、多くの公家の賛同を得た形での覚恕法親王の還俗であった。

「覚恕には新たなる諱として恭仁うやひとと名乗る様に致せ、また二品に叙す。(親王ので正二位、従二位相当)宮家の称号は柳葉とせよ」

柳葉という称号に宗尊親王むねたかしんのう歌集を思いだした者は、関係者以外は、和歌の権威である冷泉為純れいぜい ためずみ藤原惺窩ふじわら せいかの父)ぐらいであったが、それがどの様な意味なのかは判らなかった。

「主上、お願いがございます」

身を只した覚恕改め恭仁が主上に話す。

「なんじゃ?」

「私には、子がおりません、其処で曇華院どんげいんに居る妹宮、聖秀女王しょうしゅうじょおうを我が養女として、伏見宮邦輔親王ふしみのみや くにすけしんのう殿の第六子にて青蓮院門跡しょうれんいん もんぜき尊朝法親王そんちょう ほうしんのうを聖秀の婿にして宮家の後を継がせたく思います。この件なにとぞ、お願い申し上げます」

帝は考え込むように恭仁に尋ねる。

「恭仁は、まだ三十半ばではないか、室を迎え入れ子を成す事も未だ未だ可能であろうに、何故なのじゃ?」

恭仁は、兄の質問に佇まいを直し答える。

「はっ、拙僧は還俗するとは言え、一度御仏に使えた身、その拙僧が率先的に妻を迎えるは、我が心が許さぬのです。この件なにとぞお聞きとどきくだされ」

此処まで言われては、帝も頸を縦に振るしかなかった。

「あい判った、宮(伏見宮)もよいのじゃな?」

「御意にございます」

続いて、大嘗祭、譲位、践祚、即位の連続に依る慶事に対して、恩赦を行う事が決まり、更に京洛の民に対しては、地子銭(現代の固定資産税)の五十年間の免除が決まったが、此も北條側がその分の損失補填をするからと納得させた物である。

これは、次の話と同じく、完全に康秀の考えから生まれた物であり、地子銭免除は幕府の財政を潰す物、更に、織田豊臣政権に対しての嫌がらせ、堺に関しても同じである。

「続いて、太閤殿(九條稙通)からの話しじゃが、朝家復興の為に、凡そ六百年ぶりに銭を鋳造する事を話し合いたい」

銭の鋳造の話しに公家衆も再度驚く、何と言っても六百年も朝廷も幕府も自前の通貨を準備出来ず、中国からの渡来銭で経済活動を行ってきたのであるから、それを鋳造すると言う事は、それ成りの経済的な裏付けが無い限り、後醍醐天皇の建武新政時に、紙幣“楮幣”貨幣“乾坤通宝”が発行されるはずが発行できなかった二の舞になるのではと思われた。

「鋳銭司を復活させ、鋳銭司として、真継久直に家督を奪われていた、御蔵職新見富弘に鋳銭司を兼任させ、堺にて商人請負で公鋳貨幣の鋳造を行いたい」

その話に、公家衆から無理だという言葉が出てくる。

「太閤様、しかし堺は三好の勢力下、旨く行くはずが有りませんぞ」

しかし次の話で公家衆の不安が消え去った。

「三好家は、幕府との和睦の仲裁を朝廷に求めております。その仲裁が成った際には、幕府側と協議の上、堺を朝廷の御料所として献上すると」

「ほんまかいな?」

「三好側もその旨は承知との事にございます」

この発言で更に場が騒がしくなるのであった。

これらの行動は全て、北條側の工作の賜物と言えた。




数週間前。

北條家と伏見宮邦輔親王、九條稙通、二條晴良が集まり話し合いをしていた。

「つまりは、鋳銭司を復活させよと言うのでおじゃるか?」

「左様でございます。今現在、日の本では乾元大寳けんげんたいほうが応和三年(963)に製造中止になって以来、公鋳貨幣の鋳造が行われてきませんでした」

「そやな、朝廷の力が落ち始めた頃やからな」

「その為に、今は、唐よりの渡来銭が多数流通しておりますが、昨今の商いの繁栄、年貢の金納により銭貨の絶対量が不足し、大変な状態と成っています」

(実際にこの当時、中国が銭貨輸出を禁止し、日本は大規模なデフレになっていた。)

「其処で、銅の集積地たる堺にて堺商人に請け負わせて朝廷直営の鋳銭所を開設致します。それにより銭貨の流通量不足を補い更に、朝廷の威信の強化にも繋がります」

その話を聞いて、考え込む伏見宮邦輔親王、九條稙通、二條晴良。

「更に、征東大将軍府に付属する形で、関東にも鋳銭司と鋳銭所を設置し、東國に於ける銭貨の供給を行います」

「ふむ、確かにそうなれば、朝廷の権威も復興するであろう」

「この政策を行えば、必然的に何も出来ない幕府に代わり、朝廷が全國の貨幣経済の担い手となり、今より一相の権威の上昇に繋がります」

「しかし、堺は三好が押さえておるし、本来は幕府の直轄地や、そう簡単にはいかへんと思うが」

「確かに、公方と三好家は敵対同士です。しかし三好長慶殿には幕府を倒してまで天下を握る気合はないようです、その気合が有れば、既に公方はあの世に行っておりましょう」

「そやな、確かに幾らでも機会は有ったはずや」

「それに、朽木谷に居るとは言え、数万の軍勢を送れば御首を得る事など易いでしょうし、それでなくても刺客を送れば簡単でしょう」

「三好は公方を殺す気が無い、公方は意地だけで三好から都を奪還しようとしている。此処は朝廷が間に入り、両者の講和の手助けをした方が良いかと」

「せやけど、朝廷も膝元の争乱に足を突っ込みたく無いと言うのが本音なんやけどな」

「その辺は、当家も力を尽くします」

「うむ、やってみるのもおもろいかもしれへんな」

こうして、数日後に三好側との話し合いがもたれた。

大嘗祭、譲位に参列し、参列できない征夷大将軍足利義輝より有利な状態の、三好長慶は伏見宮邦輔親王、九條稙通、二條晴良、北條氏堯達との会談で得る物が何か有るかと考えていた。

其処で、話された事は、三好長慶が悩んでいた将軍との和睦の件であり、それに朝廷が力を貸す事、その代わりに堺の表面上の統治権を朝廷へ渡す事などであった。実際表面上でも朝廷の御料所にしてしまえば、将軍と言えども手出しが出来なく成り、裏の支配者たる三好家の利益に繋がる事は自明の理であった。

その為、会談の後、長慶は一族を呼び、対応を協議した結果。水軍を率いる為に堺が重要だと力説する安宅冬康あたぎ ふゆやすは反対したが、九條稙通の娘婿十河一存、北條と昵懇になった三好義賢などは賛成に回った結果、最終的に長慶自身が結論を出し話に乗る事に決めた。これにより時の権力者によって争奪が続けられてきた堺は朝廷領として簡単に諸大名が手を出せない熟柿として知れ渡ることとなった。


第伍拾貳話 引き抜き


弘治三年(1557)九月二十五日


■山城國 京 大内裏 いけ右衛門権佐うえもんごんすけ朝氏ともうじ邸(北條綱重)


晴れて御所と成った大内裏に宮家、公卿、地下人(昇殿の勅許を得ていない官吏・官人)などの屋敷割が行われ、槌音が絶え間なく響いている中、右衛門権佐となった綱重の屋敷が早々と完成し、其処に北條家の面々が集まり密かな会議が行われていた。

北條氏堯の質問に、二曲輪猪助にのくるわ いのすけが各地に散って情報を仕入れ工作を行っていた者達を代表し説明を始める。

「それで首尾は?」

「はっ、播磨鋳物師はりまいもじの引き抜きは、首尾良く進んでおります」

「それは重畳」

猪助の報告に氏堯が満足げに頷く。

「全くの所、長四郎様の御機転に助けられました」

「いえいえ、猪助殿、今回の事は、三好方の許可が無ければ、無理な事でしたから」

猪助の感謝に康秀が手を振りながら、自分の功績は大したことないと言う。

「まあ、播磨を征服しかねた三好家にしてみれば、憎っくき別所家や小寺家、支配下の職人衆を引き抜いて貰って有りがたいと考えたいるのでは無いでしょうか?」

「まあ、その職人衆が近隣の者や公方に仕えるならいざ知らず、遙か関東へと移住するのですから、三好方としても文句は少ないでしょうな」

氏政と大道寺政繁が話す。

「しかし、赤松殿も小寺殿も馬鹿な事をした物よ」

氏堯が、さも有らんと渋い顔で話す。

「まあ、小寺の被官になった鋳物師の芥田五郎衛門あくた ごろうえもんの懇願で、今までならば、何事も平等で話し合って決めていた惣中を止め、鋳物師を芥田一人が全てを取り仕切る様にし、相論で揉めていた所も合戦の恩賞として与えましたから」

「それで、今までの平等な関係から支配されるようになった鋳物師達の不満をついた訳だからな」

康秀が資料を見ながら答えると氏政が頷きながら答える。

「そのお陰で、野里のざと(姫路城の東方、市川の至近で、播磨の鋳物師の根拠地)を筆頭に、大村、津田村などの鋳物師に加え、加古郡かこぐん印南郡いんなみぐん加東郡かとうぐん多可郡たかぐん神西郡じんさいぐん神東郡じんとうぐん飾西郡しきさいぐん飾東郡しきとうぐんの芥田が独占した播磨東部で芥田に恨みのある百人を超える鋳物師衆が家族ごと引き抜けましたから」

康秀がニヤリとしながら答える。

「しかも、全てが全て小田原への移住を希望しているのですから」

「それはそれ、あれほどの好条件では断る方が可笑しいかと」

「住居、所領の下賜、それに一定量の仕事をすればそれ以上は商売の自由」

「我々としてみれば、彼等の技術を小田原に開校する技術学校での教育に役立てれば良い訳ですから、安い買い物と言えます」

「学校か、足利学校の様に易学、兵学を主とするのではなく、今までは徒弟制だった職人の均一的な教育を行うとは、康秀に言われなければ思いつかなかった事よな」

「この都へ来た事で、多くの者が関東へと向かう事となりましたな」

「そうよ、貧民窟で死にかけていた者達も、地侍も、町衆も、皆大事な民ですし」

「そうよな、春松院様(北條氏綱)のお言葉を借りる様だが『侍から農民にいたるまで、全てに慈しむこと。人に捨てるようなものはいない』」

「叔父上、五箇条の訓戒でございますな」

「そうよ、父上がお亡くなりになる前に書き残された物よ」

「一、大将から侍にいたるまで、義を大事にすること。たとえ義に違い、国を切り取ることができても、後世の恥辱を受けるであろう。

一、侍から農民にいたるまで、全てに慈しむこと。人に捨てるようなものはいない。

一、驕らずへつらわず、その身の分限を守るをよしとすべし。

一、倹約に勤めて重視すべし。

一、いつも勝利していると、驕りが生まれ、敵を侮ったり、不行儀なことがあるので注意すべし。

でしたな」

「左様、この訓戒を忘れぬようにせねば成らん」

「はっ」

氏堯と氏政が亡き北條氏綱の遺訓を話しながら感傷に耽っている。

鋳物師の話が終わると、猪助が西國各地から上がった人物の話を報告し始める。

「播磨でございますが、康秀様がお探しであった、鎌倉幕府の評定衆・引き付け衆を歴任した後藤家の事にございますが、神東郡に山田村という所があり、春日山城主をしておりました」

「そうか、それで話はどうだった?」

「当主、後藤基信ごとう もとのぶ殿は別所家に仕えている為に関東への下向は承知されませんでしたが、弟の基國もとくに殿は“このまま実家に居ても展望が開けぬ”と、関東への下向を承知して頂けました」

「ふむ、弟か、私としては後藤家全てが家臣として欲しかったのだが、致し方ないか」

「力が及ばす申し訳ございません」

康秀がガッカリするのを見て、猪助が済まなそうに謝るが、康秀が気を取り直して感謝する。

「いや、猪助達は良くやってくれている。かえって心配させて済まない」

康秀の言葉に、氏堯達も感心する。家臣を思う心こそ北條家の家訓なのだから。

「しかし、長四郎、そんなに後藤家が必要か?」

氏政が康秀が行う人材収集を不思議がりながら質問する。

「ええ、幼き頃、沢庵坊に教わりました、人材収集の易学で良き者との気が出ましたので」

無論これは、後藤又兵衛が播磨後藤氏の出身だと知っていた康秀の嘘であるが、この時代は呪術的な事が大ぴらにまかり通っていた為、誰もが納得するのであるが、康秀自身は後藤家全体を手に入れられなかったので、未だ生まれていない又兵衛は手に入れられないとガッカリしていたのであるが。

「其処で、山崎の飯田直澄いいだ なおずみや摂津の国人こくじん森本一慶もりもと かずよしなどを引き抜いた訳だな」

「そう言う事です。最近は丹波屋の小西弥左衛門の孫、弥九郎を貰い受けようかと思っていますし」

「あの小童にそれほどの器量が有る訳か?」

「孫九郎(大道寺政繁)虎の子を見て猫だと勘違いする事に成りかねぞ」

氏堯に言われて政繁は浅慮であったと謝る。

政繁を思って康秀が猪助に小寺家の事を聞く。

「猪助、小寺だがどうであった?」

「はっ、小寺でございますが、当主小寺政職こでら まさもとは中々の人物にございます。天文十四年(1545)に家督を継いで以来、出自を問わず多くの有能な人材を登用し、領國を大きく発展させております」

猪助の話に皆が感心してる。

「所で、子供とかはどうなのか?」

「政職の子供ですか?」

「そうそう、父親がそれほどの人物で有れば、子が居ればそれらも優秀なのではないかと思って」

「子は氏職うじもとと申しますが、父と違い凡庸と感じられました」

「はっ?」

「何か有りましたでしょうか?」

「いや何でもない、立派な父親なのに、子が凡庸とはと驚いただけだ」

康秀は小寺の子であるはずの黒田官兵衛の事を聞きたかったのだが、小寺は小寺でも小寺違いであったし、実はこの頃、未だ黒田を名乗っていたのであった。

「そう言えば、小寺の宿老で黒田職隆くろだ もとたかなる者は、主君を越える相当な切れ者の様にございます」

「ほう、どの様な男だ?」

氏堯が興味を持つ。

「はっ、詳しくは不明なのですが、元は近江の出身で佐々木一族の出とも言われておりまして、何でも十代将軍、足利義稙あしかが よしたね公の怒りに触れ、先々代、黒田高政くろだ たかまさが近江を退去させられ、備前福岡びぜんふくおかに土着し、先代、重隆しげたかの代にで目薬を売り巨万の富を得て、それを元手に小寺を支援し仕えたようにござます」

斉藤山城さいとう やましろ斎藤道三さいとう どうさん)の家の様ですな」

「彼処は、親父が西岡の油売りだったはず」

「新九郎、長四郎、話の腰を折るでない、猪助話を続けよ」

猪助の話を聞いて、雑談をし始める氏政と康秀を氏堯が諫める。

「はっ、その黒田職隆は城下に百間長屋をなる物を建てて貧しい者や下級武士、職人、行商人などを、城下で見かけると自ら声を掛けて、住まわせるなどして面倒を見ております。そして彼等を配下に組み入れたり、噂話や各地の話を聞き、情報収集の場所としても活用しております」

「ほう、情報こそが重要と言う事をよく判っている者が此処にも居た訳ですね」

「まるで戦国四君せんごくしくんの様な事をしていますな」

「戦国四君?」

氏政が言った戦国四君の事が判らずに康秀が聞き返す。

「なんだ、長四郎でも判らない事が有るのか。戦国四君とは大昔のからの戦国時代の四人の有力な政治家で、それぞれ三千人もの食客を養っていたそうだぞ」

自分ではとても敵わないと感じていた博識の康秀にも判らない事が有るのかと嬉しくなった氏政が丁寧に戦国四君の事を教える。

「ああ、なるほど、斉の信陽君でしたっけ?」

康秀が“ポン”と手を打って閃いたとばかりに答えるが、氏政がだめ出しをする。

「長四郎、それは間違えだ、信陽君っていったい誰だ?」

「えっ、幻庵老に聴いた気がするんだけど……」

「長四郎、恐らくそれは、斉の孟嘗君もうしょうくん、魏の信陵君しんりょうくん、楚の春申君しゅんしんくんがごっちゃに成っているぞ、因みに後一人は趙の平原君へいげんくんだ」

苦笑いしながら、氏政が答える。

あっと言う顔をして恥ずかしそうにする康秀を見て、参加した全員が笑い出す。

「黒田職隆成る者相当な知恵者と見えるな」

「長四郎ばりの知者で有るやも知れんな」

「私などそれほどではありませんぞ」

賞められた康秀が恥ずかしそうに否定する。

康秀は話を聞いているうちに、黒田職隆こそが黒田官兵衛の父親であると、確信を持ったが、官兵衛が軍師として活躍する素地が父親に有ったとはと驚いていた。

「所で、子供とかはどうなのですか?」

「職隆の子供ですか?」

「そうそう、父親がそれほどの人物で有れば、子が居ればそれらも優秀なのではないかと思って」

「職隆には二男二女がおりまして、嫡男は満吉と申して、天文十五年(1546)生まれの十一歳でございますが、父御と違い武芸を好み弓乗馬に明け暮れる毎日にございます。次男は齢三歳、娘は八歳と五歳にございます」

「ふむ、未だ未だのようなのか」

「しかし、十一で弓馬の修行と言う事は父の血を濃くは引いていないようですな」

康秀の知る黒田官兵衛と真逆の姿に頭が痛く成っていた。官兵衛の事柄が職隆のした事で有ったのかと怪しんでいた。

それらの話の後、讃岐に送った密偵からの報告が行われた。

「三田様の仰せになりました、竹糖でございますが、讃岐では見あたりませんでした」

密偵が土下座するかの如く頭を下げ続ける。

「いや、仕方が無い事、あるかないかの物であったし、気に病むな」

香川県といえば、和三盆という康秀のうろ覚えで、実際は徳川吉宗の時代に始まった砂糖栽培であったから、この時代に探す事が出来る訳が無かったのである。

「長四郎、砂糖の原料は無かった訳か」

「ええ、沢庵坊の話がうろ覚えだったのかも知れません」

「仕方が無い事よ」

「こうなれば、板屋楓から砂糖が取れるそうですので、それをやってみますし、何れは唐や琉球から砂糖黍を手に入れ、暖かい土地で作って見せましょう」

「そうよ、そのいきだ」

こうして北條家の談合は夜半遅くまで続いて行ったのである。


第伍拾参話 嫌がらせ


弘治三年九月二十七日


■山城國 京 大内裏だいだいり  二条晴良にじょう はるよし


この日、新帝の即位灌頂そくいかんじょうの儀式を行い、更に大内裏造営に九條稙通くじょう たねみちと共に新帝の覚えも良い二條晴良の元には多くの公家衆や地下人達が集まり、新築成った二條邸での宴を楽しんでいた。

公家はそれぞれ五摂家に家礼けれい(摂家に家来のように仕える摂家以外の公家)として面倒を見て貰う仕来りがあり、近衞家が尤も多い二十三家、次いで一條家の二十家、九條家の十一家と続き、二條家は僅か二家、そして現在断絶中の鷹司家に至っては一家しかなかった。

尤も家礼でも近衞家家礼山科家の様に、義絶している家も有る関係で勢力図としては些か当てにはならない状態で有るが。

二條邸に集まった公家衆は二條家から九條家へ養子に行った九条兼孝くじょう かねたかを伴った九條稙通、一條家を継いだばかりで元服を来年に控えた一條内基いちじょう うちもと等も集まり賑わっていた。

此は、近衞家に対抗する為に、九條稙通、二條晴良が仕組んだ事であり、先代 兼冬かねふゆ、先々代 房通ふさみちを相次いで亡くした一條家を支援してきた事で、僅か十歳の内基を丸め込んだのである。

今日集まった公家衆や地下人達は、一條、九條、二條家の家礼と、三家に関係のある家々である。彼等は今回の宴に招待され喜び勇んで参加してきていた。

何と言っても、公家達は戦國の世になって以来、自分達の荘園は次々に地元の國人や大名達に横領され、食うや食わずの生活を続け、ある者は地方へ下向し、ある者は家財を売り払い、そしてある者は娘を有力武将に差し出して糊口を凌いできたのである。

朝廷に既に力はなく、幕府すら朽木谷へ逃げ出す始末で、横領を訴えても梨の礫か、思いっきりピンハネされた状態の年貢しか手に入らなかった。それが、関東で覇を唱える北條家と九條稙通、二條晴良の協力により、先祖伝来の荘園には足りない状態の家もあるが、それぞれの家が充分に生活可能な荘園を寄進されたのであるから、喜びは計り知れない状態で有った。

それでも仕事のない下位の公家や地下人の中には、何時までも北條からの援助が続くか若干不安そうにして居る者も居て、二條晴良、九條稙通にも相のような話が耳に入っていて、彼等をどの様に扱うかを普段から考えていたが、良い案が浮かばずに宴の最中でもその事を考えていた。

楽しい宴が終わり多くの公家衆が三々五々帰宅する中、二條家家礼の白川伯王家しらかわはくおうけ当主 雅業王まさなりおうが真剣な表情で二條晴良に相談を行っていた。

白川伯王家は花山天皇の末裔であり唯一の花山源氏として存在し、白川家が皇室や摂関家に祭祀の作法を伝授してきた家で有り、神祇官じんぎかんの長官である神祇伯じんぎはくを世襲してきたのである。

しかし文明年間頃(1469年~1486)次官の神祇大副じんぎたいふである吉田兼倶よしだ かねともが、先祖代々続いた古典研究研究の蓄積を元に「吉田神道」と呼ばれる神道説を大成し、吉田家の先祖は日本書紀で主に神事を司った、天児屋命あめのこやねのみことであり、その血を唯一受け継ぐ吉田家こそが神道の宗家であると主張し、朝廷、幕府に取り入り自ら神祇管領長上じんぎかんれいちょうじょうと名乗り白川伯王家の地位を奪い取っていたのである。実際の所、吉田家が天児屋命の系譜につながるというのは兼俱による系図改竄であった。

百年近い間、虚仮にされ続けた白川伯王家としてみれば、近衞家家礼の吉田家が近衞前嗣の権勢低下により後ろ盾が弱くなり、更に新帝即位により二條家の権勢が上がりつつ有った為、此処で吉田家に奪われた全國の神社の支配権を奪還しようとしていたのである。

その為にも、二條家、九條家、一條家の後ろ盾と、齢六十九歳にしても男児の跡継ぎの居ない自分に、吉田家に対抗可能な娘婿をお願いしようとしていたのである。

座敷で二條晴良、九條稙通に頭を下げ懇願する雅業王。

「太閤様、当家は未だ跡継ぎがおりません、このままでは、吉田に更に差を付けられてしもうて家運が更に墜ちてしまいます。なにとぞ、娘に良き婿が来て、吉田から権勢を奪還できるよう御助力をお願い致します」

「伯王はん、神祇管領長上と言えば、綸旨りんじが出てたはずやけど?」

事情通の稙通がそう尋ねる。

「太閤様、それなのですが、嘉禄三年(1228)の綸旨は偽物なのです。それに吉田家が天児屋命の系譜につながるというのは系図改竄なのです」

「偽物と言うても、証拠があらへんとほんま物になってしまうからの」

「偽物だという証拠はあるのかいな?」

証拠と言われて言葉に詰まる雅業王、それでも頭を下げて懇願する。

雅業王の懇願に考え始める二條晴良、九條稙通は暫し二人で話しなが結論を出した。

「伯王はん、それなんやけど、相談するに相応しいもんを知いてるさかい、十日ほど待ってくれるかの?」

雅業王は二條晴良の答えに一も二もなく礼を述べる。

「太閤様、有り難き事でございます。よしなによしなに」

二條晴良との話しに安堵した雅業王は上機嫌で帰って行った。

その後、二條晴良の話を聞きながら九條稙通は困った顔の甥の姿をニヤニヤしながら見ていた。

「叔父上、京子の事ですが、主上も宮も要らぬと言われては立つ瀬が有りません」

「うむ、又あの者に苦労させるかの」

「北條ですな」

「そうじゃ、北條であれば何とか出来よう、嫡男の嫁にねじ込んで見せようぞ」

「叔父上、お願い致します」

そう言いながら、縁続きの三條西家や西園寺家との繋がりも考える稙通は腹の中でニヤニヤと笑っていた。


弘治三年十月二日(1557年11月2日)


■山城國 京 大内裏 いけ右衛門権佐うえもんごんすけ朝氏ともうじ


内裏建設完了後、十月後半に行う馬揃えの準備をしていた池邸に二條晴良と九條稙通がいきなり訪問してきた為、慌てる面々。早速氏堯が対応する。

「すっかり寒うなったの」

「此は此は、九條様、二條様、本日は如何致しましたか?」

「ちいと、相談があってな」

「相談でございますか?」

「そや、ちいと、長四郎を貸して欲しいんや」

「長四郎をでございますか?」

「そや、それと新九郎にも用があってな」

「お二人のお話と有れば直ぐに呼びます」

「頼むわ」

氏堯が近習に氏政と康秀を呼びに行かせる間に、康秀が取り寄せた宇治茶の茶葉を利用して康秀が自分で七時間も揉んで作った手揉み茶を急須に入れて出す。

「長四郎が作りし手もみ茶でございます」

「ほう、ええ色やし香りもええな」

「ほんまや、それに透き通る色といい流石や」

「味もええな」

そんな感じで茶を飲んでいると氏政と康秀が息を切らしながら座敷前までやって来た。

「新九郎でございます」

「長四郎でございます」

「二人とも入って来てくれ」

「「はっ」」

氏政と康秀が障子を開け中を見ると、ニヤリと笑いながら手を上げる二條晴良と九條稙通と真面目な顔で此方を見ている氏堯の姿が有った。

「此は、九條様、二條様、御用とは如何なる事でしょうか?」

氏政が真面目な表情で質問する中、康秀は内心で“この爺が来たんじゃ碌な事じゃ無い”と考えていた。

氏政の真面目な態度にニヤリとしながら稙通が話を切り出す。

「実はの、新九郎に嫁を世話しようという話でな」

「左様よ」

稙通の言葉に晴良が頷く。

しかし、氏政にしてみればいきなり嫁と言われてもと、既に自分には梅という正妻がいる事を知っているのにと困惑していた。

「太閤様、嫁と仰いましても、自分には既に妻がおります」

「それは判っておるが、些か厄介な事が起こっての」

「それは?」

氏堯、氏政、康秀が注目する中、稙通の話が続く。

「知って通り、晴良は我が甥でな、男児のない儂が、晴良の長男の兼孝を養子に迎え入れたのだが、晴良には妹もおってな、その妹が本来であれば、儂の弟で花山院家かざんいん けに養子に入った家輔いえすけの猶子として新帝の尚侍ないしのかみとして仕えるはずやったんやけど、それが無くなってしもうてな」

深刻そうに語る稙通の話しを真剣に聴く三人。

続いて晴良が話し始める。

「そうなんや、主上も京子が嫌とか言う訳や無くて、“二條家の姫ならば予の弟、柳葉宮に嫁がせるが良いであろう”と仰ってな」

「所が、宮が“一度仏門に入った身成れば女人を近づける事は出来ぬ”と申して」

「其処で、再度主上の元へ尚侍として仕えさせようかと話し合ったんやけど、主上に“それには及ばず”と言われてな、其処で白羽の矢が立ったのが、新九郎、お主と言うわけや」

稙通、晴良の話しに、顔を顰める氏政。

「どや、京子は兄の儂が言うのもなんやけど、十八で少々いき遅れかもしれへんが美人や」

苦悶の表情の氏政、内心では断りたいのであるが、此処で断り二條家、九條家との繋がりを切るわけにはと考えていたが、どうしても悲しむ梅の顔が浮かんで、諾と言えない。

それを見かねた氏堯が稙通、晴良に話しかける。

「太閤様、新九郎には、暫くのご猶予を頂けませんでしょうか、小田原にも話をしなければ成りませんので」

そう言われては、仕方が無いと言う表情で稙通、晴良は返答する。

「あい判った。此は強制ではないのでは、新九郎の思うままにして構わん」

「そやそや、好いてもいない者同士では、かえって不幸になるからの、京子が悲しむ姿を見たくはないし

の」

「それに、左衛門佐の懸念しているのであろう、麻呂達との関係が壊れる事などないぞよ」

「そやそや、朝廷として、北條との繋がりを切るわけにはいかへんからな」

その言葉を聞いて氏堯、氏政は安堵の表情を見せる。

「忝なく存じます」

この姿を見て、この話はお釈迦やなと稙通は考え、京子については次点の策を行う事にした。

それでこの話を終わり、康秀に向き直った稙通が話し始める。

「長四郎に話というのは、実はな、長四郎は白川伯王家をしっておるか?」

一応知識として知っている康秀は頷く。

「名前だけなら存じておりますが、白川伯王家が如何したのでしょうか?」

「うむ、白川伯王家当主は雅業王というんやけど、跡継ぎがおらんで、娘しかいないんや」

また娘の話で、場がシーンとなる。

たった今氏政の結婚騒動が起こったばかりで有るから、今度は白川伯王家の姫と康秀の婚姻かと、北條側が考えたからである。

「太閤様、まさか私に婿になれと言うのでは無いでしょうね?私には國に妙という妻がいるのですから」

慌てた康秀が稙通に早口で訴える。

それを聞いた、稙通はしてやったりとニヤリと笑い始めた。

「ホホホホ、長四郎はおもろい発想をするの、安心せいな、婿は既に決まったわ」

「そやで、白川伯王家は花山院の末裔やから、矢鱈な家から婿養子は取れへんのや」

「それで、伏見宮邦輔親王ふしみのみや くにすけしんのうの第五王子であらしゃれる妙法院の常胤王子じょういん おうじ様を還俗させて、婿入りさせる事が決まったわ」

その言葉にホッとした表情を見せる康秀。

「婿入りの件はええんやけど、白川伯王家はここ七十年ほど吉田家に頭押さえられて悲惨な状態でな」

「雅業王はんも懇願してきたんやけど、息子を婿に出す宮はんからも、白川伯王家の復興に力入れてくれと言われてな」

自分に何をさせたいのか判らない康秀は質問する。

「太閤様、失礼ですが、私は何をすれば宜しいのでしょうか?」

「実はな……」

稙通、晴良は白川伯王家から聞き取った吉田家の動きなや、偽綸旨や系図改竄の話をした。

それを聞いて考え始める康秀は暫く考えて、考えを纏めて話し始める。

「二條様は、能書家でございますよね?」

「うむ、そうじゃが、それが如何したかの?」

「はい、偽綸旨や系図改竄ならば、調べてしまえば良いかと思いまして」

「それは?」

「はい、公家衆には多くの文書が遺されておりましょう、それらを集めて系統事に分類し綸旨を出したと言われる帝の筆跡と比べて見ればよいのです。代筆としてもその時代の帝の綸旨を代筆するような人物の物なら如何様にも残っているでしょうから、それで正誤が判るはずです。更に、系図改竄に関しては、同じ様に各家の文書を集めて集大成すれば良いかと存じます」

康秀の話を聞くうちに稙通、晴良は目から鱗が取れた様に驚く。

「なんと、それならばかなりの確率で判るであろうな」

「しかし、各家がそう簡単に文書類を出しますでしょうか?」

心配する晴良。

「それでございますが、些か不敬ではございますが、主上にお願いして、勅撰和歌集の様に系譜を作る事と、この戦乱の世で、文書類や貴重な書物が散逸焼亡しないように記録を残すとすれば、嫌とは言えますまい」

「うむー、主上を出汁に使うのは些か心苦しいが、確かに良い案じゃな」

「しかし、余りにも不敬でごじゃります」

考え始める稙通、晴良。

「よし、伏見宮と柳葉宮に相談してみようぞ」

「そうですな」

「長四郎、何れ今回の事でうち等と一緒に宮と話し合いに参加や」

稙通の否応無しな言葉に康秀は頷くしか無かった。

この時康秀は、厄介だがやるしかないかと思い。

氏堯と氏政は、何とも言えない状態。

晴良は、どの様に治めるかを考え。

稙通は、康秀を益々頼もしく思っていた。


第伍拾肆話 兄弟相打つ


弘治三年十一月二日


尾張國おわりのくに春日井郡かすがいぐん清須きよす  清洲城きよすじょう


尾張を実質的に支配している、織田信長の居城清洲にてこの日、一人の若者の命が消え去った。

彼の名は、織田おだ勘十郎かんじゅうろう信成のぶなりと言い、信長の同母弟であり、一度家督を奪おうと謀反を起こした人間であった。

その際には、信長の果敢な攻撃で敗北し、母である土田御前の懇願で赦免されたにも係わらず、又ぞろ謀反を起こそうと画策し始めていたのである。しかし信成の宿老である柴田しばた権六ごんろく勝家かついえが裏切り信長に通報し、信長の命で勝家が信成を騙し清洲へと誘き寄せたのである。

何故簡単に敵地と言える清洲へノコノコ行ったのかと言えば、信長が重病で有るとの話を信成に伝え、怪しんだ信成には、勝家が“信長殿を騙して譲り状を書かせてしまえば信友殿もいない今、織田家はあなたのものです”と諭された為、見舞いと称して清洲へ行き、清洲城北櫓天主次の間で信長の命を受けた河尻秀隆かわじり ひでたかにより暗殺されたのである。

信長は此によりもっとも危険な内憂を除く事ができ、尾張統一に弾みがつく事と成った。


尾張國おわりのくに愛知郡あいちぐん鳴海荘なるみしょう末森村すえもりむら  末森城すえもりじょう


殺害された、信成の居城末森城では、信成が暗殺されてから一刻(二時間)もしない間に、信成の共として清洲へ行った平塚兵庫が慌てふためきながら帰城した。彼は三年ほど前に仕官した新参者で有ったが、武術も優れ、頭の回転が速く、気も効く性格であった為、信成から馬廻りとして護衛に着く大役を得ていたのである。

その兵庫が真っ青な顔をして単騎で帰城したのであるから、城の門番も、騎乗したまま城内まで侵入し、騒ぎを聞きつけ、集まってきた者達も、容易なる事態が起こったのではと想像した。

「ゼィゼィゼィ」

青息吐息の兵庫に宿老の津々木蔵人つづき くらんどが話しかける。

「兵庫、城内への騎乗などいったい何をするつもりぞ!」

蔵人の剣幕にも怯える様子見せずに、兵庫は話す。

「御屋形様、清洲にて御無念!」

兵庫の言っている意味が判らずに、再度聞き直す蔵人。

「兵庫、御無念とは如何なる事ぞ!」

「清洲にて、上総介かずさのすけ(信長)殿により、暗殺されましてございます」

そう言うと兵庫は泣き出した。

信成が信長により暗殺された事を聞いた者達の顔が一様に絶望の色に変わる。更に、多くの者が集まっている中で話が聞かれたが為に、“信長により信成が殺害された”とあっという間に城内に知れ渡り喧噪に包まれ始めていった。

喧噪の中、唯一事情を知ると思われる兵庫を蔵人が連れ奥座敷へと向かい、信長と信成の母、土田御前、信成夫人の松(高嶋局)、側室の陽が待っていた。

二人は奥座敷に入ると深々とお辞儀し、蔵人が信成の死を伝える。

「御前様、武蔵守様(信成)、上総介殿の奸計に遭い討ち取られたとの事にございます」

既に噂を聞いていたのであろう、土田御前も妻達も騒ぐ事もせずに、仔細を訪ねてくる。

「兵庫、勘十郎はどの様な最後を」

土田御前の質問に兵庫が神妙な顔で答える。

「はっ、清洲に着くと、武蔵守様は、柴田殿の案内で上総介殿の見舞いに参りましたが、上総介殿の病とは真っ赤な嘘で、上総介殿と柴田殿が謀議を行い、武蔵守様を誘き寄せた模様にございます」

それを聞いた土田御前が兵庫を責める。

「兵庫、お前が着いていながらみすみす勘十郎を失うとは!」

土田御前の剣幕に兵庫はひたすら謝るばかりである。

「申し訳ございません。柴田殿に言われ軽輩の拙者は、中に入れず仕舞い、悲鳴を聞き駆けつけました時には既に武蔵守様は……」

泣き出す兵庫を見て、高嶋局が気丈にも労う。

「兵庫、大儀です。母上様、我が殿の最後が知れただけでも良しと致しましょう」

「しかし、この者は勘十郎を救えず、敵も討たずに逃げ帰った臆病者ぞ」

土田御前は、最愛の息子を亡くした為に、兵庫に辛く当たる。

兵庫はその口撃をジッと我慢して受けている。少しでも御前達の気持ちが休まるように。

「母上様、兵庫が帰ってこなければ、我等為す術もなく清洲の軍勢に末森を蹂躙されておりましょう。夫を討たれた以上、清洲はそう遠くなく攻め寄せてきましょう」

そう言われて、ハタと驚く土田御前。

「そうじゃ、蔵人直ぐに三郎(信長)に使いをだすのじゃ」

慌てた、土田御前が蔵人に命ずる。

「御前様、如何様な使いを?」

「そうよ、末森を明け渡す故、妾達の命を助けよと」

ここへ来て、混乱したのか土田御前は嫌っていた信長に命の保証を頼もうとした。確かに母である土田御前や女や関係の薄い兵達は助かるであろうが、信成の子供達は男児三人で有る為、間違いなく殺害されると、蔵人も兵庫も妻達も考えていた。

「母上様、御坊(津田信澄)達は如何成るのですか?」

孫達の存在を忘れていた土田御前は、そう言われハッとした表情をする。

「そそそうじゃった。どうすればよいのじゃ」

土田御前は事態の深刻さに更に慌て始める。

「籠城しかございません」

一人ジッとしていた兵庫が真剣な表情で話す。

「籠城じゃと、その様な事……」

味方が来るかどうかも判らず、籠城するだけの兵も直ぐに集まらない状態を考え、蔵人は無理だと却下しようとする。

「無理だ、すぐに兵は集まらん、それに味方が居るかどうかも……」

兵庫は蔵人の言葉に反論する。

「拙者は、高々馬廻りにございますが、蔵人殿は御宿老、更に柴田殿との確執は根深き事でございましょう、このまま降伏致しても、意趣返しか、柴田殿が恩賞に蔵人殿の御首を上総介殿に強請るやも知れません」

兵庫の話しに、蔵人も柴田勝家との間にあった確執の凄まじさに身震いする。“あの男は間違い無く俺を殺す”と。

「御前様、籠城の準備を致します。我等の力を見せつける事で、上総介殿から譲歩を得る事が出来ます」

「判りました」

正常な判断のできない蔵人と土田御前により籠城する事が決まったが、既に信成の死が付近にまで伝わった為に、僅かの兵しか集まらなかったが、取りあえず籠城を始めた。

清洲で、末森城の籠城を知った信長は、柴田勝家を城へ戻らせ、津々木蔵人を排除し、城を開城させる当初の予定を変更せざるを得なくなった。

「権六、何故こうも早う末森は動いた?」

柴田勝家も見当が付かないと不審がる。

「馬廻りの平塚兵庫が見有りません。もしやすると」

「戯け!何故、対応しておかんかった!」

信長は怒り心頭である。

「申し訳ございません。まさかあの男が」

勝家にしてみれば、兵庫は愚直な武士にしか見えなかったから、主君の仇を討たずに、逃げるなど考えられ無かったのである。

「えええい、仕方なし、陣振れじゃ。権六お主が先鋒を勤めよ」

「御意」



信長達が話し合いをしている中、末森城では、高嶋局と平塚兵庫が密かに会っていた。

「では、お主は……」

「はっ、我が主君より、是非御坊様達をお迎えしたいと」

「しかし、どの様にするのですか?」

絶望から、わが子を助ける事が出来るという話しに高嶋局は掛けたくなった。それほど信頼のでききる相手からの文だったからである。

「既に、抜け穴はございます。更に代わりも用意して有ります故」

「なんと……」

聡明な高嶋局はこの話に乗るか迷っていた。



三日後に信長は三千の兵を持って末森城を包囲した。直ぐさま、寛大な条件の降伏開城の使者が使わされるが、土田御前に伝わる前に、高嶋局により“騙し討ちをする上総介殿と裏切り者の柴田権六の言う事など信用できぬ”と断られ矢合わせが始まった。

それから二日後、寡兵にも係わらず驚異的な粘りを見せた末森勢であったが、既に刀折れ矢尽きた状態で、信長の軍勢に十重二十重と囲まれ、本丸のみと成った末森城では高嶋局が土田御前達に退城を進言していた。

「お母上様、最早此までにございます。お母上達は搦め手よりお逃げ下さい」

高嶋局の言葉に、土田御前、犬姫、市姫が驚いた表情をする。

「しかし、貴方たちはどうするのですか?」

「私達は、親子揃って勘十郎様の元へ参ります」

「それは」

土田御前達が、説得しようとするが高嶋局は頑として頸を振らない。

「お母上様、有り難く仰せ成れど、此も武門の習いにございます」

「しかし、そうじゃ、妾が三郎に子らの助命を懇願しようぞ」

その話に犬姫、市姫が同意する。

「そうですよ」

「それがよろしいかと」

しかし、高嶋局は頸を横に振る。

「無理にございます。此処まで戦えば上総介殿でも許しませぬ」

「しかし……」

土田御前はそれ以上の言葉を発する事ができなかった。

「お母上様が退城じゃ、皆確りと案ないせよ」

高嶋局の命令で、その場にいた侍女や乳母が三人を守りながら出て行った。

「松殿!陽殿!」

「姉上!」

「御姉様!」

皆が消えた後、高嶋局が笑い始めた。

「フフフ、此で織田信成の係累はこの世から消え去る訳よ。信長よ後味の悪さを噛みしめるがよい!」

高嶋局が櫓へ行くと既に陽と子供達は事切れており、その中の御坊を抱き寄せ、櫓を登っていった。

末森城の櫓の高欄に高嶋局が幼児を抱きかかえて立っている。既に櫓には火が掛けられ煙と炎が窓から噴き出している。高嶋局は幼児を攻め寄せている、信長の軍勢に見せながら大声で叫ぶ。

「信長!勝家!秀隆!良いか、この人でなし共め、我が夫を謀殺したに飽きたらず、お母上の住まわすこの城まで攻め寄せるとは、鬼畜の所業ぞ。この鬼畜共、織田武蔵守信成が妻と嫡男御坊丸の最後を目を開いて良く見ておくがよい!」

高嶋局のタンカに、攻め寄せる将兵達が唖然とする中、高嶋局は既にグッタリしている息子の胸を懐剣で深々と刺し、その後ニヤリと笑うと、首筋に懐剣を当て勢いよく引く。

刹那、頸から真っ赤な液体が噴き出し、体がグラリと傾き燃える櫓の中へ消え去った。

その凄まじい最後に、将兵達が茫然自失となり、破壊消火が始まるのが遅れ、更なる悲劇が起こった。

そんな中、柴田勝家が、真っ先に城へと突入していく。彼には心配で堪らない事があった。

「市姫様!市姫様!御無事でございますか!柴田権六でございます!」

そうである、未だ姿が見えない信長の妹市姫の行方を死にものぐるいで捜していたである。彼は市姫に淡い恋心を抱いていた為、炎が上がった時、一も二もなく突入しようとして、やっと突入できたのである。

その頃、予想以上の煙により、母土田御前や、姉の犬姫の一行とはぐれてしまった、市姫一行は出口が判らなくなり右往左往していた。

「姫様、こちらは火の海でございます」

「こちらは、煙が薄うございます」

煙と炎が薄い所を見つけた市姫一行は其方へ向かうが、運命の悪戯か其処へ燃え墜ちた櫓の欄干が落下してきた。

「姫様!」

悲鳴と共に、市姫の右側に欄干の残骸が当たり市姫の服と髪に炎が纏わり付く。

「あーーーーー!!」

のたうつように倒れる市姫を侍女や乳母が必死に助け出すが、辺り一面には肉と髪の焼ける匂いが漂う。

「姫様……」

気絶した市姫を助け出した乳母や侍女が絶句した。何故ならあれほど美しかった市姫の顔の右側が焼けただれ見るも無惨な状態になっていたからである。

「市姫様!」

其処へ、柴田勝家が辿り着いた。彼も市姫の顔を見て絶句したが、其処は武将である、市姫を抱きかかえ、皆を連れて城の外へと脱出に成功した。

城の外で、信長や土田御前と合流したが、市姫の姿を見ると例外なく皆絶句し、土田御前は信長を責めた。

「三郎殿、勘十郎だけでは飽きたらず、市までこの様な目に遭わせるとは!」

信長とて、勘十郎を殺しても、城まで攻める気は無かったと言いたかったが、既に城は炎に包まれ、勘十郎の妻子はこの世におらず、ましてや市にまでこの様な仕打ちをしてしまったと後悔していた。

「三郎殿、聴いているのですか!」

信長の耳には目の前にいる土田御前の言葉すら入らない状態で呆然としていた。


第伍拾伍話 市姫と信長そして猿


弘治三年十一月十六日


■尾張國春日井郡清洲 清洲城


末森城で大火傷を負った市姫は医師の懸命の処置で命は取り留めた。しかし美男美女の生まれる織田家の中でも類い希なる美しさと称えられた顔は右側半面が焼けただれ見るも無惨な状態になっていた。母土田御前、姉犬姫、兄信長もその事に触れぬように市を気遣う。市姫は鏡を見る事も許されずに、自分の身にどんな悲劇が起こったのかも殆ど判らない状態であった。

市は我が身の彼方此方に火傷を負って、顔もヒリヒリして痛い事は判るが、顔には医師により軟膏を塗られた上、当て布をさせられてており、治療の際にも鏡を見る事を許される事が無く、侍女達も必要以上に市を気遣う。此処まで来れば元々十一歳でありながらも聡い市も皆が自分に見せたくない状態になっていると感じていた。

足繁く見舞いに来る母、姉、兄に“私の顔に何かが起こっているのですね”と問いただしても、母と姉は涙ぐみ、父信秀が亡くなった時でも位牌に抹香を投げかけた気丈な兄が、目を逸らさず自分を抱き寄せて只単に“済まぬ”と耳元で呟く、そして庭には土下座している権六が居ると成れば自ずと答えが判ってしまった。

彼女は気丈にも手水へ行くと、その場を離れ、廊下へ出た所で、侍女を振り切り、いきなり庭へ飛び降りて、その行動に大騒ぎする侍女達を尻目に池に自分の顔を写してみた。

其処には、真っ白な当て布で顔半分を覆われた自分の姿が有った。その当て布以外には別段変わりがないように見えたので、原因はこの下にあると意を決して当て布を活きよい良く外した。

「あーああ」

水面には、顔半面が焼けただれ見るも無惨な状態になった自分の姿が映っていた。幾ら覚悟していたとはいえ、齢十一でしかない市にしてみれば、この様に爛れた顔を見る事は初めての事であり、また此ほど凄まじい事が自分に振り罹り、自身に起こった最悪の事態に恐怖し、侍女達が叫ぶ“姫様!”の声を聴きながら意識が薄れていった。

どれ程気を失って居たのであろうか、ハッと気が付くと部屋に寝かされていた。辺りを見渡すと心配そうに自分を見つめる母と犬姉、三郎の姿があった、更に廊下には、柴田権六が頭を擦りつけるように土下座しているのが見えた。

さて有れば夢であったかと市は考え、ノロノロと腕を動かし顔面を触ると、其処には間違えなく当て布がされていた。やはり夢ではなかったかと、またも当て布を引きちぎろうと腕に力を入れるが、その腕を兄がガッシリと掴み離さない。

「兄上、御手をお離し下さい!」

市が叫ぶが兄は手を離さない。

「市……」

あの兄が、自分の名前しか言えずに居るだけで、あの焼け爛れた顔が自分なのだと判り、このまま生きていても何にも成らないと考えた。

刹那、市は左手で兄の挿していた脇差しを抜き取り首筋へと突き刺そうとした。

咄嗟の行動に皆が動けない。

そして“ザクッ”と言う音と共に鮮血が流れた。

「ああ兄上……」

其処には自らの体を盾にして肩から鮮血を流す信長の姿が有った。

信長は咄嗟に市の抱きつく形でその刃の位置をずらしたのであるが、自らは刃により肩を斬られていたのである。

母も姉も権六も動けぬ中、兄は自らの体を使い市を助けたのである。

暫し、時間が止まったようになる座敷であるが、姉の悲鳴により時間が動き出す。

「三郎兄様、市!」

「犬、大事ない、そう騒ぐな」

浅いとはいえ鮮血が流れる中、信長は落ち着いた風で犬姫を窘める。

「兄上、兄上、私は私は……」

兄の鮮血を見ながら呆然とする市を、抱き寄せ確りとし声で話しかける。

「市、全て兄のせいじゃ、お前が気に病む事ではない」

「兄上、兄上、市は市は、最早お役に立てぬ身にございます」

市の言葉に、その場にいた者達からすすり泣く声が聞こえる。

齢十一歳の市が自らの顔の火傷で最早政略結婚の駒としての価値は全く無いと判っていると言っているのだから。

その言葉を聞いた信長は更に市をきつく抱きしめて、涙を堪えて目を真っ赤にしながら優しく語る。

「市、その様な事、心配無用じゃ。お前は儂の大切な妹、火傷如きでお前を邪険にするわけが無かろう!かえってお前を嫁に出さずに済むのだから、一生涯儂が面倒見ていっても良い」

「兄上、兄上、兄上……」

市が泣きながら兄に抱きつき、それを見ている皆がすすり泣く中、空気を読んでいないのか、いつの間にか庭に降りた柴田権六が地べたに土下座しながら信長に話しかける。

「御屋形様」

市を宥めていた信長が何じゃと言う顔で権六を見る。

「権六、何用じゃ?」

信長や皆の視線が集まる中、権六は頭を地面に擦ったまま、ドスのある声で懇願した。

「御屋形様、この柴田権六、市姫様を妻にお迎えしたく、お願い致します」

鬼の権六と言われた男が信長に懇願する。

それを聞いた、皆が一瞬思考が止るが、信長や母が何か言う前に、泣いていた市が、顔を上げ、キットいう目つきで権六を睨みながら話す。

「権六、下手な同情は止めよ。私なぞを妻にしてどうするつもりなのですか?大方織田家と縁続きになって権勢でも振るう気でしょうが、その様な真似は許しません」

権六の言葉に市姫は同情などご免被るとの態度で挑む。

市姫の気丈な態度に、信長達も権六を睨み付ける。

「権六、お主はその様な男ではないと思っておったが、見損なったわ!」

信長は、権六が醜女になった市姫を出世の道具にしようとしていると考え怒鳴る。

市姫や信長からの冷たい視線に耐えながら権六は再度意を決して心の底から懇願する。

「違います、何時の頃からかと言われれば、判りませんが、何時の頃からか姫様をお慕い致しておりました。この心に嘘偽りはございません。嘘であれば、この場で殿に斬られても構いません。どうかどうか、市姫様を我が妻に迎えとうございます」

今度は、顔を上げその鬼瓦のような顔を真っ赤にしながら真剣な表情で、信長の目を見て懇願する。

その目に嘘がない事が判った信長も困惑しながら権六へ質問する。

「権六、お主真か、本当に市を不幸にしないのか?」

兄として、市の行く末を悩んでいた信長もこの男の真剣さを試したくなっていた。

「この柴田権六、天地神明に誓って一生涯、市姫様以外の女人も小姓もはべらかす事無く、市姫様だけを一生の伴侶として慈しみ愛す事を誓います。なにとぞなにとぞ、我が妻になって頂きとうございます」

信長もこの言葉には驚く、そして市を見ると、権六を見ている目が涙目になっていた。

市は、権六の真剣さに嘘偽りがない真心を感じ、こんな私でも愛してくれるのだと、そして、この者ならば伴侶となれると泣いていた。

「市、権六はああ言っているが、お前はどうじゃ?」

兄の言葉に、兄も良いと言っていると感じ、自分の心の内を吐露した。

「はい、兄上、権六の言葉に嘘偽りはございますまい。この様な私ですけど、権六殿の妻となりとうございます」

市は三つ指ついて権六へお辞儀をする。

「姫様」

「市、良いのですか?」

「権六、市を不幸にしたら許しませんぞ」

権六がまさかの事態に絶句する中、犬姫と土田御前が話した。

「権六、市を宜しく頼むぞ」

信長にそう言われ、権六は再度土下座し答えた。

「はっ、市姫様を絶対に不幸に致しません」

こうして、市姫は火傷の傷が完治した翌年永禄元年(1558)四月に柴田権六勝家に嫁ぐ事になった。勝家三十七歳バツイチ(死別)、市姫十二歳であった。


弘治三年十一月十八日


■尾張国 丹羽郡にわぐん小折こおり 生駒屋敷


意外な事で、市と権六の婚儀が決まり、怪我も塞がった信長は翌々日、久しぶりに側室である類(一般には吉乃と呼ばれているが、此は武功夜話での造語であり、生駒家に残る名乗りは類である)に会うために生駒屋敷へやって来た。生駒屋敷は相変わらずの忙しさで下人達や馬借ばしゃく(輸送業者)が荷物を持って次々に屋敷を出立していく。

「類、俺だ」

そう言うと、奥から類と兄の生駒家長いこま いえながが顔を見せる。

「三郎様、よくお越し下さいました」

「殿、この度は真に御苦労様にございました」

嫡男奇妙丸を生んだばかりの類は、久々さの訪問に喜びを隠せないが、市姫の事を知る家長は妹には知らさないようにと慎重に言葉を選んで話す。

「うむ、今宵はお前と奇妙とで一緒に寝るとしようか」

普段の信長らしからぬ言動に類もなに感じたが、敢えてそれを口には出さずに、喜びを顔一杯に出しながら答えた。

「三郎様とご一緒とは嬉しゅうございますが、奇妙は夜泣き致しますから、お眠りに成れないかも知れませんよ」

類の機転の良さにホッとした信長は笑顔で答える。

「良いわ、子が泣くのは当たり前よ、儂とて赤子の頃は大御乳様おおちちさま(池田恒興母、信長乳母)以外の乳母には懐かんかったのだからな」

「ふふふ、何でも、大御乳様以外の乳母の乳首に噛みついたとか、奇妙がそう成らない様にしないと行けませんね」

類は笑いながら信長に答えた。

「フッ、若気の至りよ、親父殿(信秀)がその話を聞いて嘘だと思い儂の口に手を入れて来たのを噛みついたらしいがな」

信長も笑いながら和気藹々と話している。

そんな中、一人の馬借が屋敷へ入ってきた。

「旦那さん、久しぶりやが、荷を買いに来ただよ」

その馬借の声を聴いた信長が笑いながら、声を掛ける。

「猿、久しぶりだな」

猿と呼ばれた二十代前半の小男が、信長を見て直ぐに地べたに座りお辞儀をする。

「殿、此方へ来ていらっしゃったのですか」

「ついさっき来た所よ」

「へへー」

信長と猿の話が始まると直ぐに、類と家長が目配せしその場から立ち去り、その場所へ誰も近づけないように差配する。それを確認した信長が猿に話し始める。

「猿、今川の様子はどうなっておる?」

「へい、現在おらは、遠江國とうとうみくに長上郡ながかみぐん頭陀寺城ずだじじょう主、松下長則まつした ながのり殿の元に居りまして、台所奉行をさせて貰っております、其処でその伝手を使いまして調べましてございますだ」

「それは判って居るわ、儂の命でお主を今川へ送り出したのだからな」

「へい、其処で調べました所、今川では皮革が不足し、おらのような尾張からの流れ者でも連雀商人(行商人)で皮革を扱う者は、おざなりな調べで入國を許可されておりますだ」

「ふむ、皮革が足らぬか、昔から今川では皮革は足らんかったが、どの程度集めている?」

「へい治部大輔(今川義元)自らが奉行人ぶぎょうにん大井掃部丞おおい かもんのじょうに命じ、皮革の製作と販売を厳しく命じ、今まで以上に買い漁っております」

「それで、鐵などの動きはどうだ?」

「各地で鐵も盛んに買い取らせている模様ですだ」

猿の答えを聞いて、信長は今川の様子を想像していた。

「うむ、それは普段の利用と言うよりは、戦支度と見た方が良いな」

「へい、兵糧なども集め始めておりやした」

「猿、それを早く言わぬか」

信長が猿を怒るようにからかう。

「へへー、殿様申し訳ありませんだ」

頭を擦りつけるように謝る猿を笑いながら信長は話す。

「猿、よう調べた、賞めて使わす。辛かろうが未だ未だ調べて貰うぞ」

「へい、右手の指が六本で虐げられてきたおらが、此処までに成れたのは、殿様に拾うって貰ったからこそですだ、必ずや今川の戦支度の兆候をお伝え致しますだ」

頭を下げながら答える猿の声は最後の方には涙声になっていた。

猿を送り出した信長は、久々に類、奇妙丸と夕餉を食し、類に膝枕をして貰いながら、耳掻きをして貰い、スヤスヤと寝ている奇妙丸を見ながら、鬱積していた心の重みを発散して行ったのである。


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