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三田一族の意地を見よ 3

第拾漆話 元服と婚約


弘治二年一月一日(1556)


■相模國足柄下郡小田原城


小田原城では今年も新年の宴が始まっていたが、多くの家臣がソワソワしていた。何故なら他国衆三田家の四男余四郎の元服と当主氏康三女妙姫の婚姻が発表されるからだ。本来ならば宿老以外には秘密であった物が、松田親子のせいで家臣団にばれてしまったために、幻庵老などは苦虫を噛んだような顔であった。

氏康と氏政の新年の挨拶と家臣団の返礼が済むと、氏康自身が余四郎の元服を一月十五日に三島大社で行う事を告げた。そして三女妙姫との婚姻も告げた。

「皆、来る一月十五日に三島大社にて三田余四郎の元服を執り行う、元服後に余四郎には妙を嫁がせる」

その言葉に、多くの家臣が目出度いという中、松田一門や松田の被官連中は喜んでいないことが判る。しかし肝心の松田憲秀の姿が見えないので、多くの家臣は不思議がりながら、ヒソヒソと噂話をし始めていた。

曰く、松田憲秀は妙姫の婿を狙っていたが、断られたので抗議で来ない。曰く重い病気だ。曰くふて寝。どれも違い実際には、大晦日から下痢が止まらないで厠から出られない状態になっていた。


弘治二年一月二日


■相模國足柄下郡小田原城 三田余四郎


去年の十月過ぎに改元があって弘治になりました。いやー、遂に発表されました。これで完全に北條家からは逃げられません。とは言っても太田康資(氏康養女)、足利晴氏(氏綱娘)、武田勝頼(氏康娘)、正木頼忠(氏堯娘)は、婿でも裏切ってます。けどそんな事したら確実な死亡フラグ満載なので、怖くて裏切りなんか出来ませんよ。

しかしこの発表で確実に実家にも知られますね。実家では騒ぎになること間違いないですね。刑部の考えで内緒にしていた。金次郎達も目を白黒させるでしょう。しかし元服か、内示はあったので取りあえず、氏康殿と幻庵爺さんから偏諱を貰う事に成っています。

それにしても、松田の馬鹿(憲秀)が下痢で動けないとは、氏康殿か幻庵爺さんか、小太郎辺りが何か盛ったかな?こっちはヒマシ油天ぷらの効能を教えただけですから。知りませんよ、手は下してませんから。それに死なない程度の下痢ですからね。

婚約発表で、いきなり時の人状態、宴の最中にも俺の所に来るわ来るわ、色んな方々が挨拶に来ますよ。酔っぱらった大道寺のオッさんが孫の孫九郎(政繁)連れて最初に来ました。オッさん豪快に笑いながら、『小童、精通は終わったか?』『初夜はガッツクと性交せんぞ』とかの、恥ずかしい話や親父ギャグを大声で言うから、恥ずかしいですよー。そんでいて孫自慢じゃなく孫弄り。

『孫九郎は十二になるまで寝小便が』『河越では儂や息子に隠れて御陣女郎の元へ行こうとして、ばれて捕まった』とか言うんで、孫九郎と二人で強い焼酎飲ませて潰しました。

孫九郎、曰く『じじい!!永遠に寝てろー!!』だった。

その後、色んな方々と挨拶三昧、この頃が越後の虎や坂東太郎が未だ来ない頃だから小競り合いはあるけど、平和で結構人が来てる。夕方までかかってやっと終わりましたけど、いやはや疲れる宴でした。

それで屋敷に帰れば、話を聞いた金次郎を筆頭に『おめでとうございます』の嵐だが、何故黙っていたんかの抗議も多数。仕方ないだろう、機密なんだから、金次郎なんかは『それほど、私が信用できませんか』って泪ながら訴えてくるし。仕方ないから、刑部の親父殿が仕込んだってばらしたら、刑部に文句を言いに行って、コテンパンに論破されていた。


それで翌日は、北條一門にご挨拶。氏康殿一家、氏堯殿一家、幻庵爺さん一家、綱成殿一家が勢揃い、だけど数人は任地にいるので来られないと、この時史実では後の上杉景虎になる西堂丸三才にご対面、東国一の美丈夫と言われたのが判るほどの綺麗さです。此なら謙信や信玄なら気に入りそうなの判るわ。史実通りに上杉に人質兼養子として行くのかは此からの戦略次第だ。

それと氏堯殿ご一家を紹介されましたが、男子二名女子一名の子持ちでした。上から天文十五生まれの六郎(氏忠)十一才、天文二十年生まれの竹王丸(氏光)六才、天文二十四年生まれで正木頼忠室になる篠姫二才です。

良く言われていたのは、氏忠、氏光は氏康殿の子供で有るって言う話だったが、実際は氏堯殿の子供で氏堯殿が永禄五年頃に死去した為に、氏康殿の養子になったのが真相らしいと言われていたが、此で氷解した。

幻庵爺さんの嫡男三郎時長殿は大酒飲みで今日も大酒飲んでるけど、幻庵爺さん、氏康殿、氏堯殿達に大酒は程々にしろって怒られてる。まあ確かに大酒で死んだ武将も結構いるし、正月の宴会で酔っぱらって城落とされた。小田氏治とかもいるから忠告は判るんだが、三郎殿は酒が好きだか、話を聞くかどうかは判らないぞ。あれで小机城主なんだから、城中水瓶ならぬ酒樽だらけだったりして。

それはそうと、氏康殿次女麻姫も北條康成(氏繁)の後室として去年輿入れして今日は北條綱成一家側に居ますので、姫で一番前は妙姫なんですよね。挨拶しても凄くぎごちない感じで、顔を赤らめながらチラチラこっちを見てくるし、氏康殿も見てくるし。

けど、氏康殿、俺が貴方の娘を誑かしたんじゃなく、あんた等が俺を嵌めたんだろうが!とか言えたら最高なんだろうが、TPOを知ってますから、そんな真似は致しません。絶対にね。


弘治二年一月二日


■相模國足柄下郡小田原城下 松田屋敷


小田原城では正月の宴が行われている中、城下の松田屋敷では松田家嫡男憲秀が大晦日以来の下痢に悩まされていた。

「ふう、やっと収まった」

「若大丈夫でございますか」

「何とかな、流石に喉が乾いた白湯を持て」

やっと落ち着いた憲秀が近習に白湯を所望する。

「はっ」

暫くすると近習が白湯を持参した。

「白湯にございます」

受け取りゆっくり飲み始めるが、暫くすると又腹痛がぶり返してくる。

「ぐわー!!また腹が!!」

「若、大丈夫でございますか」

「大丈夫な訳があるか!!」

「うっ!紙ー!!」

尻を押さえながら慌てて厠へ又飛び込んでいく。

「うをーーーーーー!!!」

この悲鳴は正月二日の夜間まで延々と続いた。


弘治二年一月十五日


■伊豆國三嶋大社  三田余四郎


いよいよ元服です、氏康殿始め北條一門のお歴々方が集まってます。良いのか小田原城空っぽじゃ?今、武田晴信が攻めてきたら小田原城落ちるぞ。それとも忍者集団の奇襲で一族全滅とか、武田晴信なら普通にありそうで怖い。

しかし北條家の氏神様の神前元服式なんて、北條家の世継ぎとかじゃなきゃ出来ないんじゃないのか?まあ今回は藤菊丸の元服と一緒に開催というから、それで俺もついでに元服ってパターンだ。それじゃなきゃこんなに北條一門が集まらないって。

元服自体は、まあ腹を決めて居るから、最早じたばたしないけど、此を忘れてた!!嫌じゃー!!大人の服に改め、子供の髪型を改めて大人の髪を結って、烏帽子親により烏帽子をつけるのは知っていた。それまでの幼名を廃して諱を新たに付け。烏帽子親の偏諱を受けるのも知っていた。しかし厚化粧、引眉にお歯黒を付けるのは知らなかったぞー!!!

麻呂じゃないんだよー!!平家系の武将はそうするんだって、今言われたって知らないよー、兄貴達は物心ついた頃には既に元服してたし、氏時殿や氏政の時には参加してない!志○けんの馬鹿殿状態じゃ!!けど、結局は厚化粧されて引眉にお歯黒までして元服ですOrz。

あーたらこーたら神主が言ってるが、よく判らない状態じゃー!!

先に藤菊丸に対して、幻庵爺さんが烏帽子を持って頭に乗せます。

それで、名前を付けたんだが。

「藤菊丸、お主の名前は、北條平三郎氏照をなのるがよい」

「ありがたき幸せ。謹んでお受け致します」

えっ、史実と違う、源三氏照だった名前が、平三郎氏照って何故だ?

三郎は幻庵爺さん家の当主に付く名前だけど。考えてみたら、あー!!時期だ。未だ早いんだ。本来の元服が大石家の養子に入った時点で行われたのに、俺とダブルでやったから、未だ養子じゃないんだ。だから平が付いたんだ。

そうこうしていると俺の番が来て、氏康殿が烏帽子を持って頭に乗せてくれます。

此で元服と言う訳でして、そして名前を付けて貰います。

「三田余四郎、お主に儂の名を与え、三田長四郎康秀を名乗るがよい」

「ありがたき幸せ。謹んでお受け致します」

んで、幻庵爺さんと、氏康殿の偏諱を受けて、幻庵爺さんの俗名長綱から長、氏康殿から康、それぞれ貰って余四郎改め、長四郎康秀になった訳だ。駿河大納言の遺児か、どっかの梨みたいな名前だが、未だ此でも良い方だ。最初幻庵爺さんの幻を入れて幻四郎だから、なんか時代劇で変な剣法使いそうな名前だから全力で拒否、その結果今の名前に決定。秀は親父綱秀から取った訳です。

最初は余四郎で良いんじゃって話だったが、幼名のままだと余り良くないって事で、余を捨てることになったが、世は捨てない状態という、そうか、幻庵爺さん嫌に笑ってると思ったが、トンチで決めやがった。食えない爺さんだ。まあ良い爺さんだけどね。

爺さんと言えば、諜報部門の長だが、最近は風魔も新規に歩き巫女の教育という仕事をしているために、今までは殆ど禄も与えていなかったのを、正式に禄を与え始めました。そしたら彼方此方で乱暴狼藉や略奪する事が減ってきたようで、氏康殿も、その事が判ったみたいで良いことです。それでか、風魔小太郎が、最近やけに幻庵爺さんの所へ来ていたが、その辺の話だったのか。

風魔を優遇することは、武田晴信君が大好きな、孫子でも言ってるように、“敵を知り、己を知れば、百戦危うからず”って言うからと。それを実践するための諜報部門に金かけないでどうする。正面装備だけで戦争できる訳がない!そんな感じで、以前幻庵爺さんに風魔の待遇改善の話もしたんだが、それが花開いた訳だ。俺も少しだが銭座の上がりの半分を孤児院に寄付しているが、その予算も其処で教員している風魔の待遇改善にも、なってるんだってさ。

そう言えば、一週間前に聞いたが、松田憲秀の下痢は小太郎が仕込んだとの事、小太郎が『フッフッフ』と笑いながら『新たな仕事用武器の実験材料として丁度良かったですぞ』って、おい小太郎、幾らあんな奴でも宿老の跡継ぎを実験材料にするなよ。まあ、ヒマシ油は二十世紀でも下剤として使っていたから、効くんだけどなー、何か風魔の敵が可哀想になって来た。

小太郎に何故やったって聞いたら、余りに最近の態度が悪かったので、氏康殿も頭を抱えていたようで、それならと、俺が開発したヒマシ油を使ってみようって幻庵爺さんと共に氏康殿の許可受けて仕込んだらしい、それも最近俺のせいで始まった年越し蕎麦の海老天をヒマシ油で揚げたんだと。

海老天とはどうしてと聞いたら、小太郎が言いやがった。以前余四郎様が仰っていたではありませんかと、『憲秀の野郎!余りしつこいと、ひまし油で作った天ぷら喰わすぞ!!』口まねで言いやがった。怖いよ風魔、敵には回したくないです。

そして松田側には完全にばれないようにしたそうで、それに松田家は風魔を馬鹿にしているそうだから、風魔がどんな物使っているかも知らないので、家中不和には成らないらしいが、ただヒマシ油の効果が知れたら、制作した俺が疑われかねないんですけど。そう言うと小太郎がスゲー楽しそうに、『フッフッフ』と笑いながら『余四郎様の身は風魔がお守りしますぞ』と言って消えやがった!!

本当に守る気有るのかと、その時は思ったが、実際に風魔の腕利きがチラホラ俺に態と見えるように動いているんで、本気度が判る。これなら小太郎に頼んで上方のスカウト予定者の居場所を探らせようかな。


弘治二年一月五日


■武蔵國多西郡勝沼城


勝沼城では、人質に出した余四郎が北條氏康が烏帽子親になり更に氏康の三女を娶ること北條一門に連なる事が伝わり、大騒ぎに成っていた。

「「大殿、殿、余四郎様の事、おめでとうございます」」

宿老を代表して三田三河守綱房と谷合阿波守久信、両名が挨拶する。

「うむ、余四郎も氏康様に気に入られたようで重畳だ」

「本当に、此で三田家も安泰となろう」

「「ははー」」

全体的に多くの家臣はこの婚姻に喜んでいるが、次男喜蔵綱行と三男五郎太郎は内心では、非常に憤っていた。

宴の後で何時ものように、二人で飲みながら悪口を言っていた。

「氏康も存外人を見る目がないわ」

「全くだ、本来なら俺こそ人質に行って北條一門に連なるはずであった物を」

「確かにそうだな、最初は五郎太郎と言う事で親父達は話していたからな」

「くっそう、余四郎のやつめ!」

「こうなると、北條が兄貴の後釜に余四郎を送ってくる可能性があるぞ」

「確かにそうだな、血筋を入れようとしてくるか」

「そうはいくか!」

「おう!」

二人が愚痴を言っていると、塚田又八が現れた。 

「喜蔵様、塚田又八で御座います」

「おお、又八か何用じゃ?」

「はっ、新たな酒と肴を用意して参りました」

「おお、気が効くの」

「儂も又八が欲しかったのだが、兄者に取られたからな」

「俺自慢の宿老だ」

「勿体ないお言葉です」

喜蔵の言葉に恐縮した風に見せるが、相変わらず目は笑っていない。

「そうじゃ、又八、今回の余四郎の件どう思う?」

「私の浅い考えですが、氏康殿は三田家の乗っ取りを企んでいるのでは」

「やはりそう思うか」

「又八、何故そう思う?」

「はい、態々四男を婿として取り立てる、それ自体であり得ません。弾正様は既に奥方が居りますから対象に成りませんが、家同士の繋がりを考えれば。喜蔵様か五郎太郎様に嫁がせるのが普通でござましょう」

「そうよ、それよ」

「やはりか」

「家を乗っ取られるぐらいなら、越後に居られる管領様に繋ぎを入れて置くのも良いかも知れんな」

「喜蔵様、誠に良きお考えかと」

「よし、又八。お主にこの事を任せる」

「はっ」


第拾捌話 それぞれの日々


弘治二年三月二日(1556)


■相模國足柄下郡小田原城下 三田長四郎康秀屋敷


小田原城下の三田長四郎康秀屋敷の裏庭で、長四郎と平三郎達が、集まり何かを始めていた。

「長四郎、今日は何かと思えば、又変な物を作ったな」

「平三郎(北條氏照)、あのな、此は画期的な物だぞ」

「単なる鋤じゃないか」

「違う、これは、円匙えんしと言って、こうやって穴を掘る事に特化した物だ」

そう、余四郎改め、長四郎が持っているのは、現代人なら知っているシャベルだった。野口刑部と共に酒勾村へ移り住んだ、鍛冶に鍛造を頼み制作したのである。

これは、鍬や鋤より穴を掘ることに特化した物と言えば、シャベルという発想からである。

「と言う訳で、平三郎」

「なんだ?」

「穴掘ってみて」

「俺かよ」

「使い勝手がわかった方が良いだろう」

「判ったよ」

何だかんだ言っても、シャベルを手に穴を掘り始める平三郎である。この辺の付き合いは非常に良い。暫く掘り続けて行くと、平三郎の顔が真剣になった。

「おい、長四郎、此凄いじゃないか、堅いところでもサクサク掘れるぞ」

「無論だよ。何たって鋤と違って全体が鍛鉄製だし先端を磨いであるから武器にもなるぞ」

「おいおい物騒な物を作るなよ」

「いや、戦場で黒鍬(工兵)達に使わせて、非常時には逆手に持って刃を前面にすれば武器になるんだよ」

長四郎にしてみれば、第一次世界大戦の西部戦線における塹壕戦時に大活躍したのがシャベルとサブマシンガンという事実からシャベルに刃を付けるという物騒なことを思いついたのである。

言われた、平三郎は早速シャベルを逆手に持ってそこいら辺の立木を突くと細い立木はバッサリと切断される。

「ほう、以外に威力もあるな」

「だろう。鍬じゃこうはいかないからね。それに縦にして殴れば兜被っていても気絶するぐらいの衝撃はいけるぞ」

「ほー」

平三郎はシャベルを気に入ったのか、振り回している。

「さらに、鋤と違って湾曲しているから、土砂が零れにくいし、綺麗にすればその中で焼き物や汁物を温めたり出来るぞ」

「そういや、そうだな。今まで何で考えつかなっかったのかな」

「必要としなかった、或いは鋤は刃以外は木製だから出来なかったのかも」

「全て鉄で作るとは、発想の転換という奴だな。長四郎たいしたもんだ」

平三郎が感心する中、長四郎は更に道具を持ち出してきた。

「今度は何だ?」

もっこに変わる運搬道具だよ」

長四郎が持って来たのは、大人が一抱えするぐらいの上の開いた箱に二本の持ち手が付き、更に箱の先端部分に一輪の車輪が付いた物である。現代で言うなら、工事現場でよく見る一輪車、通称猫車であった。

「なんだこれ?車輪があって箱か、んで取っ手」

「そう、此は一輪車だ」

「確かに車輪があるけど、こんなのが、畚の代わりになるのかい?」

「此の原型は、三国時代、蜀の諸葛亮が開発した“木牛流馬”という物だよ、それを俺なりに改良してみたんだ、この箱に物を入れて、こうして取っ手を両手でそれぞれ持って、進むんだ」

そう言いながら、長四郎は土砂を入れた一輪車を押し歩く。

「おっ、凄いな、畚なら二人で運ぶような量を一人で運べるのか」

「そう言う事、まあ欠点もあるけど」

「なんだい?」

「畚なら通る事の出きる、余りに酷い凸凹や階段とかを上がれない事かな」

「なるほど、けど作事とか田畑、道とかなら充分使えるんじゃないか?」

「そうなるね」

平三郎は頻りに関心している。

「しかし、千年以上も前に、こんな物を発明した諸葛亮はやはり凄かったんだな」

「そうそう」

「てことは、その後にある荷車も何かあるのか?」

長四郎の後にある二輪車を目聡く見つけた、平三郎は質問する。

「よくぞ聞いてくれました。此は今までの荷車の欠点を改良した物だよ」

「ほうほう、どう改良を?」

「今までの荷車は、車輪の心棒が繋がっていたから、曲がるときに凄く力がいった。更に荷台の下を心棒が通っている関係で荷台が非常に高い位置に有って、荷物の積み卸しや、荷物を積んだときに重心が上になってフラフラしたりしていた。更に荷台部分が平坦なので、荷物の積載量が限られている」

「まあ、確かに小荷駄とかは大変な苦労しているよな」

「其処で、本来なら心棒は型枠の下を通っているけど、それを切断し型枠の上に心棒を切断し抜けないように鉄の箍で押さえて左右の車輪が荷台の上に来るようにしたんだ。それに荷台に囲いを着けた。此により曲がるときは、曲がりやすくなり、重心も低くなり、荷物も多く詰めるようになる」

「ほー、此も又、使えそうだな。けど欠点が有るんだろう?」

「まあね、荷車共通の欠点として、振動が凄い、それに重心が低いから泥濘地とかだと腹がつかえる」

「なるほど、けど一輪車と同じで、使い道さえ間違えなければ、良いんじゃないか」

「流石平三郎、そう言ってくれると思ってた」

「現金な奴だな、で名前は?」

「一輪は、木牛流馬そのままだと変だから、猫車でどうだ?」

「なぜ、猫?」

「猫の様に狭いところまで入り込めるから」

「なるほどね、それで良いかもな」

「で2輪は里矢加りやかとかはどうだ?」

「意味は?」

「一里を矢のよう加速する」

「又、こじつけか。けど良いんじゃないか」

「んじゃあ、早速幻庵爺さんに見せようぜ」

「そうだな」

その後、長四郎と平三郎は、久野屋敷に居た幻庵を呼んで、開発した三点を見せ、幻庵も使用した後、幻庵から氏康に試作品が見せられ、小荷駄隊や黒鍬衆に試験的に使われた結果高評価を得て翌年から北條家で正式採用が決定した。更に民間にも販売されることになり、小田原は元より関東の北條領一辺へ広がっていくのである。


弘治二年三月三日


■相模國足柄下郡小田原城  武田梅姫


天文二十三年に甲斐から嫁いで二年目が過ぎたけど、氏政様はお優しい。去年の十一月八日に折角出来た赤子を亡くしてしまった私を責めるどころか凄く優しく労って頂いた。最初は氏政様のお兄様氏時様と私は婚姻するはずが、氏時様がお亡くなりになり、急遽氏政様との婚姻に変わったとき、いきなりで氏政様は嫌なお顔を為さるのではないかと心配しましたが、杞憂で済んで幸いです。

氏政様は、人からは尊大だとか言われていますけど、私には良い旦那様ですけど、家臣との間で旨く行かない方もいらっしゃるようです。その様な家臣は父上なら粛正しますのに、お優しさが滲み出ています。私には氏政様が無理を為さっているようにしか見えないのですが、本当はどうなのでしょうか?

一緒に来た乳母の姉小路は、殊更氏政様の虚けぶりや尊大さに眉を顰めています。、元々姉小路は、母上と共に都から下向してきたので、甲斐の皆を田舎者と言ってましたが、小田原へ来ても、北條の方々も、田舎くさく雅さが無いと言ってますけど、呵ろうにも私ではやり込められてしまいます。

氏政様もお優しいですが、義父上や義母上や皆も大変お優しくし嬉しい事です。小田原へ来て驚いたことは、古府中と比べて町が綺麗で人の多いことです。海も生まれて初めて見ましたが、遙か先まで水が満々と蓄えられているのですが、富士の湖の何個分になるのでしょうか?

食事も唯々驚くばかりです。古府中では見たこともない、魚や貝類が食膳に並びます。昨日などは、鮑、鯛、イナダなどが並びましたが、全て生け簀と言う物で、保管されて直ぐに、専用のお船で生きたまま運ばれてくるので、新鮮な状態で非常に美味です。

御母上が、小田原での生活を散々心配なさいましたが、古府中より遙かに暖かく過ごしやすいです。それに田舎田舎と仰いましたが、湊には沢山のお船が彼方此方から、やって来ては古府中では見たこともない大変珍しい物を沢山持って来ます。

先だっても、お城に献上された、唐渡りの見事な青磁の茶器や南蛮渡来の透明な美しい器などを見せて頂きましたが、とても都などでもお目にかかれない品だとの事です。やはり甲斐と違い海が有ることは素晴らしい事なのでしょう。

今夜も、お優しい氏政様と、閨を共に致しますが、今度こそ丈夫なやや子を授かりたいです。


弘治二年三月三日


■相模國足柄下郡小田原城 北條妙姫


お父様から、余四郎様、あっもう長四郎様でした。との婚姻を命じられてから、三月が経ちました。私も既に十二になり初潮も来ており、何時でも嫁ぐ準備も整っておりました。

最近、氏堯叔父様から聞いた、お話では最初私は下総千葉家の御曹司に嫁ぐ話が有ったそうですが、長四郎様が当家に人質として来た際に、幻庵大叔父様が長四郎様の才気を見つけ、父上達とのお話し合いで、私との婚姻を密かに決めていたそうです。

今に思えば、最初にお会いした時、氏政兄上が言っていたように、人質に一族全員で会う自体可笑しいと言えましたが、あの時点で既に私との婚姻が決まっていたのでしょう。あの時のことを思い出すと,頬が赤くなってしまいますが、麻姉様の言った言葉が真を得ていたのですね。

私も、武家の娘として、親の命じた顔も知らない相手との婚姻を覚悟してきましたが、長四郎様に嫁げるとは望外の幸せです。長四郎様は、色々なお菓子や食べ物の研究開発に尽力してます。それの殆どが初めて聞いたり見たりする物で、驚きの連続です。

今、小田原では酢飯に魚の切り身を乗せた、寿司なる物が流行っていますが、それも長四郎様がお作りになった物です。私も食べましたが、酢飯が程よい甘さでお魚が美味しくいただけます。その他に堪り醤油を改良して醤油を作ったり、餡蜜や天麩羅、蕎麦なども小田原では流行しています。

それの全てが長四郎様のお考えだそうですが、一族以外には内緒にするようにと父上達からも命じられています。梅姉様にも絶対に秘密だとのこと、その辺も武家の娘として判ります。長四郎様の特異性はこの私でもよく判りますが、些かご本人がその事を余り意識していらっしゃらない様です。

その為に、私が早く長四郎様に嫁ぎ、確りと長四郎様を御護りできるようにしなければ成りませんね。父上は元より大叔父上や叔父上が、長四郎様を大変かっている以上は、綱成殿に嫁いだ光叔母様や康成殿に嫁いだ麻姉様と同じ様に、北條家を盛り立てるために、長四郎様も盛り立てましょう。

長四郎様が当家に来ずに、最初のお話のまま千葉なんかの遠いところへ嫁がされていたら、どれだけ不安だったでしょうか、しかも千葉家は内紛気味とのことですから、益々不安になりますね。綾姉様も遠い駿河へ嫁ぎましたが、お婆様がいらっしゃるし、竹千代丸も居ますから、そんなに不安では無いでしょう。

本当に長四郎様のお陰です。早く嫁いで閨を共にしたい物です。


第拾玖話 遂に結婚


弘治二年九月三日大安(グレゴリウス暦1556年10月16日火曜日)


■相模國足柄下郡小田原城  三田長四郎康秀


遂にこの日が来てしまいました。そうです、今日が妙姫との婚姻の日なのです。本来ならもう少し早い時期、弘治二年五月一日大安の予定だったんですが、下総結城城主結城政勝殿が天文二十四年に伊勢神宮参宮の帰りに小田原へ寄って小田家攻めを相談したそうです。

元々小田家と北條家は、堀越公方足利政知殿の子供で小田家に養子に行った政治殿の時代には昵懇で川越夜戦時に援軍を送ってもらった程の間柄なのですけど、息子氏治に代替わりしたところ音信が途絶てしまったと言う状態でした。

それらを鑑み、北條家としても常陸への進出の機会を狙っていたので、小田家と緊張関係に有った結城家に味方して戦闘になったのです。

戦闘は、江戸衆から遠山綱景や岩付城主太田資正ら二千騎が参加、その他に鹿沼、壬生城主壬生義雄、唐沢山城主佐野豊綱、茂呂因幡守らも参陣し、四月五日に海老ヶ島で合戦して大勝利を得た訳です。小田氏治が気の毒なのは、同盟結んだはずの佐竹義昭が援軍を送ってこなかったという涙目状態。逆に氏康殿は古河公方足利梅千代王丸殿の威光を利用して放題で援軍を出しまくり。

流石関東では腐っても公方ですよ。でも、北條軍の援軍が帰ったら、結城政勝殿は奪った領土を小田氏治にアッサリ奪還されて情けないったらありゃしない。で、その後の小競り合いなどで、伸びたという訳です。しかし、この時は未だ太田資正後の三楽齋が北條の家臣だったんだよな。 何とか逃がさずにいけない物だろうか。あの反骨心じゃ無理かな?

さて小田原城では多くの家臣達が集まってきてますけど、完全に俺の為じゃなく氏康殿と妙姫の為に集まっているんですよ。判っているんですよ。本来ならあり得ない歴史だし、それに普通自分の城とか、屋敷で行うのが、何故か小田原城の大広間で行うんですから、つまりは氏政とかと同じ扱いです。胃が痛くなりそうだ。

唯一安心できたのは、親父と綱重兄上が駆けつけてくれたと言う事で、実に六年ぶりか、まあ城のことも有るので、喜蔵兄上と三男五郎太郎兄上はお留守番だそうだから、会えないのが残念だ。

「おお、余四郎大きくなったな」

「父上、既に長四郎ですぞ」

「ああ、そうであったな」

やっぱり父上は年取ったよな、考えてみれば幻庵爺さんの二才上だし。

「長四郎、久しぶりだ、元気そうで何よりだ」

「はい、父上も兄上もお元気そうで何よりでございます」

「立派に成ったな」

「色々揉まれておりますので」

「確かにそうだな、勝沼でも話を聞くからな」

兄上、ニヤニヤと含み笑いでいったい何を聞いているんだ?

「何をですか?」

「お前の、昔やっていたことを考えれば、納得できることばかりだろう」

「どの辺がですか?」

「フ、此でもお前より十九も上だぞ、北條家国内で爆発的に面白い物が増えていくことぐらい判るさ、大体お前の考えた物が相当あるだろう?」

すげー、兄上よく判ってら。

「そうですか」

「まあ、余り目立ちすぎると、良くないことは判っている。だからこそお前の名前が出ないんだろう」

凄いよ、兄上、ここまで覚醒しているとは、此で何で情勢誤って滅んだんだか不思議だ。

「まあ、色々有りますから」

「判っている。判っているのは、俺と親父ぐらいか、宿老の連中は頭が固くて、そう言う物自体に拒絶感が有るからな」

「酒匂川の堤とか、円匙とかなんかは、そうだろう」

「そうですけど」

「くどいようだが、お前の名前が出ない点は、よく判るし、それを俺達も吹聴する事もせんさ」

「そうだとも、当家は今微妙な状態だからな」

「父上何がありましたか?」

「家中で、お前を婚姻させたのは、十五郎の後釜に座らせるのでは無いかという、憶測が流れたのでな」

あー、以前に葛山家、未だ少し後だけど、大石家、藤田家、太田家、佐野家、千葉家とか養子とか婚姻で乗っ取ってるから、確かに宿老の危惧は判るわ。

「なるほど、しかし今回に限ってはそれはないと思いますよ。やるなら笛の婿に誰かを入れてくるはずですから」

「確かにそうなんだが、家の立ち位置がな」

「まあ、確かに三田谷の森林資源は豊富ですし、鎌倉では山家の大旦那とか呼ばれてますよね」

「そうだな、多摩川の材木流しなどの利権が大きいからな」

「なるほど、北條家は丹沢の森林資源は直轄地にしていますから、その辺を危うんだのですね」

「その通りだな、その辺りは、先だって小田原へ来た際に長四郎を貰い受けたいと左京大夫様直々に挨拶を受けたときに、判物を受けているので、心配がないのだが」

「家臣達は、北條が信用おけないと」

「まあそうなるか」

「それに、年貢の問題もあるが」

兄上が苦い顔で話すけど、あれのことか。

「年貢と言いますと、四公六民の年貢のほか、段銭・懸銭・棟別銭ですか」

「そうよ、今までの雑多な諸点役を廃止し、これらに統一為されたが」

「なるほど、中間搾取が出来なくなって、実入りが少なくなった連中が騒いでいると」

阿呆か、農民逃げたら生活できなくなるのに、その場の思いつきで増税だから何も考えて無い連中だ。

「そう言う訳だ。百姓が飢えたら自分達にもしっぺ返しが来ることを判っていない」

「確かに、今の他国の状態は“百姓は生かさぬように殺さぬように”とか“胡麻の油と百姓は絞れば絞るほど出るものなり”とかですね」

兄上も父上もえらく感心してるけど、やば、これ未来の話だ。

「流石、長四郎は抜群な比喩を言うな」

「確かに、その通りだ」

「今の連中はその頭から抜けられんのだから」

そうなんだよな。戦国時代というと江戸時代より殺伐とした感覚で年貢とかも情け容赦なく奪い取って断れば殺されるイメージ。強いて言えば、横山三国志とか項羽と劉邦とかのイメージだったんだけど、実際北條家の領国だと、代官や国衆の中間搾取を禁止して、確りとした税制しているし、不作時や災害時には減税や免税を確りして、農村の疲弊を押さえている、江戸時代なら情け容赦のない年貢の徴収だったのが、まあ農民も武力を持っていると言う事も原因の一つだろうけど、それでも農民の生活確保が出来てるんだよな。

徳川なんかは、慶安御触書で“酒や茶を買って飲まないこと”“農民達は粟や稗などの雑穀などを食べ、米を多く食べ過ぎないこと”“麻と木綿のほかは着てはいけない。帯や裏地にも使ってはならない”とかでトコトン農民を搾取したからな。國の宝と言いながらのあの仕打ちは酷い。

それと同じ様な考えでは、何れ領内から欠け落ちして農民が他領に逃げ出すことがわかりきっているんだけど、それが判らないほどの石頭か。

「そうですね、他領での優遇を聞けば百姓は土地を捨てて逃げますね」

「それよ、頭の痛い所だ」

「強行すれば、そっぽを向かれますし、次代の教育をするしか無いですね」

「それか、長四郎の様に小田原で勉学させた方がよいかもしれないな」

「十五郎、左京大夫様にその辺をお頼みしてみよう」

「父上、兄上、それは良い事ですね」

「まあ、辛気くさいことは、この辺にして、お前も此で一角の武将になる訳だし、当家の家紋“三つ巴”と幕紋は将門公ゆかりの“繋ぎ馬”の使用を許可する」

おっ、これは結構マジで嬉しい。

「謹んでお受け致します」

「これで、戦場に三田一門の勇姿を見せてくれ」

「はっ」

とは言っても、武力的には一騎当千とかじゃないから、下手しなくても死ねますよ。



そんなこんなで、いよいよ式です。緊張だらけです。武家の婚姻なんか初めてだし、色々習ったけど凄く大変です。大体三日三晩宴をし続けるってどう言う事よ?武士の世界って不思議すぎるやい!

まあ妙姫は未だ十二才と幼いですけど、既に第二次性徴が始まっているらしく、胸も結構出てきます。白無垢に角隠し白粉塗って赤い頬紅に赤い口紅ですから、そそります。いやー良いですね。いや決してロリじゃ無いです、ロリじゃ無いです。大事な事なので二度言いました。

「長四郎、不束な娘だが、宜しく頼むぞ」

氏康殿ご自身から、ご挨拶を受けてしまいました、一寸こんな扱い無いでしょう、回りの視線が痛いんですけど、特に松田辺りが、逆に氏政とかは随分落ち着いて見ているのが不気味です。後で何かあるんじゃないかって恐ろしいです。

「はっ、此からは姫を大事に致します」

うげげ、緊張して何言ってんだか、此じゃグタグタじゃないか。

「早くやや子を見せて下さいね」

此は義母様からのお優しいお言葉だけど、プレッシャーが、んで妙姫見ると凄く恥ずかしそうに俯いちゃうし、けど絶対乳母とかから性教育受けてるから、判ってるんだろうな。氏政夫妻は十六と十二だから未だマシだけど、妙姫は未だ十二才実質十一才ですよ、小学五年生にどうしろと言うのですか、義母様!!

「長四郎様、此から宜しくお願い致します」

「妙様、此方こそ宜しくお願い致します」

「長四郎様、妙は幸せにございます」

うわーキラキラした眼でにこやかに微笑まれて、もう我慢成らん!ロリでいいや!!

「妙様、私も嬉しく思います」

周りが、凄く喜ばしい状態だわ。

んで、初夜でやっちゃいました。いやー初々しくて良いです。けど、未だ十一才の体ですから、未だ子供は危険ですからね、下品ですが、出来る限り外です。

「長四郎様、妙は妙は幸せです」

「痛くなかったかい?」

「少しは。けど長四郎様と一つになれて幸せです」

ぐわー!!可愛すぎる。一生大事にするぞ!!

「妙、此から宜しくな」

「はい、長四郎様」


第貳拾話 そうだ京都へ行こう


弘治三年一月五日(1557)


■相模國足柄下郡小田原城  三田康秀


「さて、今日集まって貰ったのは他でもない、長四郎の案に従い準備をしてきたが、思ったほど早く進んでしまったために、今後どうするかを評定したい」

「それで、兄者どうするんだ?銀山の事も有るし」

何故か、新年早々小田原城へ集められました、参加者は氏康殿、氏堯殿、幻庵爺さん、氏政、平三郎(氏照)、綱重殿(幻庵次男)、更に小太郎という面々。言ってみれば房総方面で睨みをきかせている綱成殿以外の北條家首脳と諜報部門と謀略担当者が集まっている訳で、此だけ見たら、此奴等何するんだっていうレベル。

それで氏堯殿の言っている銀山というのは昨年思い出してダウジングで見つけたことにした、上田銀山と白峯銀山の事で、現地へ飛んだ風魔が露頭を見つけてきたんですけど、場所が問題な訳でして。

「いくら何でも尾瀬の先、しかも深山幽谷じゃ、掘るにもかなり労力がいるぞ」

「しかし、風魔の持ち帰った銀の品位は凄まじく良い物ですから、せめて露頭状態の物だけでも掘らないと些か勿体ないかと」

「場所が問題よ、越後と会津の国境とは」

「兄者、滅多に人が来ないところだから、尾瀬側から山越えで入ってもばれまい」

そうなんですよね、銀山の有るところが、越後と会津の境の只見川の川岸と言う事で、ただ場所が場所だけに人が来ないんですけどね、此方からも、もの凄く行きづらい場所で、山越えの連続でやっと辿り着くと。

けど行くだけの価値は有るんだよな。江戸期の一時期でも最低でも銀が年間二百貫(750kg)以上、最盛期には千貫(3.750kg)も出た訳で、更に副産物の鉛が一万九千貫(70000kg)という化け物じみた鉱山、掘りにくいことを考えても、鉛は年間最低でも十四トンほどは普通に出るはず。

そうすれば、標準的な鉄砲玉用の鉛は六匁(22.5g)だから、六十万発以上製造可能だから掘らない事は無いか。ここはプッシュだ。

「人が入ってこないように、越後側と会津側の峠や山道を事故に見せかけて崩してしまいましょう」

「それしか無いか」

「幸い、当家には長四郎の作った猫車や円匙そして鶴嘴がある。それによって尾瀬側から峠道を開削し一気に採掘を行えば良いだろう」

「小太郎、風魔を配置し近づく者がないようにするのじゃ」

「はっ」

銀山談義は此にて終了で、此から本題に入るらしい。

「さて、都への工作だが、幻庵老どうなっている?」

氏康殿の言葉に幻庵爺さんが飄々と話し始める。

「うむ、都の伊勢貞孝からじゃが、公方は未だに朽木谷に居るそうじゃ」

「なるほど、折角氏政を幕府相伴衆にしたが、何の役にも立たんな」

「今の公方は、逃げることしか出来ない状態じゃ、公方本人は塚原卜伝から奥義“一の太刀”を伝授されておるが、公方一人が剣豪でも幕府は立たんよ」

「塚原卜伝といえば、爺様が武者修行中の卜伝と会ったことがあるそうだな?」

「おお、親父殿からその話を聞いたものよ。『将来有望な若者であった』と、しみじみと話しておったな」

「それは、凄いことですな。彦五郎殿(今川氏真)も師事されたのですから、私も師事して頂きたいものです」

「新九郎、それは無理よ、何処に居るのか判らん御仁じゃからな」

「はぁ」

「さて、本題に戻る」

雑談ばかりで中々進まないな。しかし今川氏真が塚原卜伝の弟子なんだが、何で精神的に育たなかったのやら?それとも負けたから悪く書かれたのかな?

「兄者、公方のことはどうするんだ?」

「長四郎はどうしたら良いと思う?」

氏康殿、笑いながら俺に振るなよ。仕方ないから言うけどさ。自分で言ってくれよ。

「はい、言っては悪いですが、公方様も所詮は代えの効く御神輿でございますれば、取りあえず挨拶程度はしておけば良いかと、態々都で三好や六角の間に入って公方様の都への帰還を行っても当家が行おうとしている事には邪魔なだけでしょう」

ほら、みんな変な顔してるし。そりゃこの作戦を知っている氏康殿、氏堯殿、幻庵爺さん以外は驚くよ。

「そう言う事だ、当家の行おうとしている事に下手に公方に嘴を挟まれる訳にはいかんのでな、今が好機と言えるからこそ、上洛する事にしたい」

「御本城様、御自ら上洛を行うのは危険すぎます」

「新三郎(綱重)、左京殿は行かんよ。行くのは左衛門佐(氏堯)殿じゃ」

「そう言う事に成るな」

「上洛するのは、正使に左衛門佐、副使に新九郎、公家衆や幕府衆との繋ぎに新三郎、それに今回の騒動を考えた長四郎もだ」

俺もですか!!未だ半年の新婚なんですけど、確かに俺が行った方が色々良いんだろうけど、良いのか婿とは言え完全な身内じゃないし、しかも氏政と一緒ってどんな虐めだ!ここは全力で拒否だ!

「御本城様、ご指名頂き恐悦至極に存じますが、自分は若輩者成れば、皆様にご迷惑をかけかねません」

どうだ、完璧な理由だろう。

「なるほど、長四郎の言う事も尤もじゃが、今回の騒動を考えた以上は北條家の今後を賭けたのだ。お前が行かないでどうするんじゃ?」

幻庵爺さん、真面目に凄んできてマジびびるんですけど。

「そう言う事だ、長四郎なら、大丈夫だろう、この俺が太鼓判を押すぜ、本当なら俺も行きたいぐらいだ」

平三郎!!崖で背中を押すような真似するんじゃねー!!

「と言う訳だ、長四郎、頼んだぞ」

「はっ」

負けた、HP0になった。

「さて、天王寺屋の津田宗達など堺商人に依頼した。木材、石材などと、大和の橘、播磨の橘国次や和泉などでは瓦を焼かせていたが、あと三月もすれば量も充分溜まる。その後三好も黙認で都へ運ばれる」

「貞孝が大部苦労して、三好や公家衆などに話を通してくれたからの」

「貞孝にはそれ相応の礼をしなければ成りませんな」

さすが、幻庵爺さん京都との繋ぎは完璧だ。俺だけじゃこの策はどうしようも無かったからな。

「父上、資金の方は大丈夫なのですか?」

「うむ、長四郎のお陰で見つかった伊豆金山と秩父銅山と銭の鋳造により余剰金が貯まった。それにこの所の不作も義倉や兵糧丸により民が飢えることが無かったので、必要以上に金を使わないで済んだ。しかも新しい産物を堺や博多から唐などへも送って、その上がりも大きい。しかも、煙硝の生産に成功したため、煙硝を買わずに済むようになったから、その分も十分に溜まっている」

「具体的にはどの程度を考えて居るのですか?」

「二十万貫を使うつもりだ」

「二十万貫!!!」

すごいぞ、信長が堺を強請ったのでも二万貫だから十倍だ!!円に直せば、一貫十万円程だから、二百億円。俺の所領が三百八貫から加増されて千貫になったけど、二百年分ですよ。一気に行く気だ、提案したとはいえ空恐ろしくなってきた。失敗したら切腹ものじゃないか。

「左京殿、これは剛毅なものじゃな」

ニヤリと笑う氏康殿がスゲー怖く感じるよー。

「フフ、越後で騒ぐ前管領に好き勝手させる訳にはいかんからな。関東管領と言いながら、歴代の当主共は、扇谷上杉、山内上杉同士で延々と戦をし続け、関東を荒らしまくったのだから、その様な輩に関東を任せる訳にはいかん。その為にはこの策に二十万貫賭けることなど惜しくはない」

うわー氏康殿凄く漢だ。かっこいいぜ。流石我が義父上だぜ!みんながみんな感動している感じだ。自然と頭が垂れるよ。

「兄者、その意気、素晴らしいぜ。俺も誠心誠意頑張るぜ」

「私も、微力ながらお手伝いします」

「儂もじゃ」

「俺も」

「私も」

「拙者も」

「無論私も」

わーい。みんなの心が一つになった感じだ。

「さて、其処で長四郎の立てた策だが、朝廷には大判千枚、白銀一万枚、永楽銭二万貫を献上する。摂家には大判百枚、白銀千枚、永楽銭二千貫、比叡山、高野山、興福寺、東大寺、五山などにはそれぞれ白銀五百枚ずつ、各公家にも家格に合った白銀或いは永楽銭を、公方には大判二百枚白銀二千枚で良いだろう」

氏政とか、平三郎とかが、お前そんな事考えていたのかって感じで見てるな、此は暫く質問されまくりか?うむー、しかし自分で言ったのも何だが、公方の扱いが摂家より少し上とは、義輝が怒らないか?まあ、公方はどっちつかずだし、どうせ長尾景虎と意気投合するから、このぐらいの扱いで良いか。最初はガン無視という話も有ったんだから、未だマシだよね。

「無論三好や六角にも付け届けは忘れてはおらんがな」

まあそうだよな、三好の勢力圏内で動くには付け届けは必須ですよね。

「更に今、二条晴良殿、九条稙通殿に動いて貰っている」

なるほど、時期が早まったから、あれを行う訳か、確かに百年近く行っていないから、出来たら後奈良天皇は感動するだろうな。

「父上、それは?」

「今は、言えんな。二条殿達からの返答待ちだ」

「判りました」

「しかし、父上、義祖母様のご実家の近衛稙家殿は氏綱様の義兄、現当主前嗣(近衛前久)殿は父上の義従兄弟ではありませんか、其方に動いて貰う訳にはいかないのですか?」

氏政、俺もそう思ったんだが、色々有るんだよ。

「うむ、近衛の場合、自らの娘の血を引くものが女子しか居なく当主になれなかった事に、わだかまりが有るようでな、しかも義母上は先だってお亡くなり成られたからな」

「なるほど、そうでございますか」

まあ、あの人物じゃ義輝と同じで景虎と意気投合するから、かなり危ういんだ。

「さて、更に永享六年(1434年)以来行われていなかった伊勢神宮の外宮式年遷宮の資金も献金する」

「何故其処まで?」

「以前尾張の織田備後守(信秀)が伊勢神宮に、材木や銭七百貫文を献上したことにより、その礼として朝廷より、三河守に任じられた事があってな」

「父上は、十重二十重に朝廷に伝手を作るおつもりですか?」

「そう言う事に成るか、しかしな、未だ未だ此では終わりでは無いぞ」

「それは?」

いや、勿体ぶってるけど、俺や、幻庵爺さんや氏堯殿は知ってるんだけど、氏政、平三郎は知らない訳だから、一々関心している訳だ。

「我が北條家の関東支配を幕府ではなく朝廷に保証して頂くことだ」

「何故でございますか。足利梅千代丸様がいらっしゃれば、ある程度は大丈夫では無いのでしょうか」

氏政を見る氏康殿が、未だ未だだという顔をしてる。

「梅千代丸が居ても、兄の藤氏も居る、以前小弓公方や堀越公方が居たことを忘れる事はできんぞ」

「なるほど、確かに、公方権力が砂上の楼閣状態であれば、関東公方も危ういと」

「その通りだ、儂の関東管領職とて、幕府に許可を受けておらんから、自称と言う事に成る」

「そう言う事じゃ、幕府は滅んでも朝廷は滅ばんものじゃ、それに形式上公方とて帝の一家臣に過ぎん、それならば、帝に地位を保証して頂いた方が何倍もマシじゃ」

実際それだけじゃ無いんだけど、それは都へ上がってあの人物を口説き落とせた場合だから、未だ言えないんだよ。

「そう言う事だ、それでは、二月一日を持って小田原を出立だ。それまで絶対に他言無用だ、準備をそれぞれするようにせよ」

こうして、北條氏最大級の作戦が始まった。


第貳拾壹話 良い日旅立ち


弘治三年二月一日(1557)


■相模國足柄下郡小田原城  三田康秀


いよいよ小田原からの旅立ちです。新幹線や東名高速道路がある訳でもないので、東海道を徒歩と馬で向かう訳ですから、それはそれは時間がかかります。けどその間に伊豆、駿河、遠江、三河、尾張、伊勢、近江、山城と行く訳ですから、その間に数名のスカウト候補者を探すように小太郎に頼んであるので、何とか成るかも知れません。

しかし、この時代結構便利だわ、天文気象とか占いとかが本気で軍師の条件とかだったから、三國志の諸葛孔明とかのノリでインチキダウジングで『出ました』って言えば、信じて貰えるから、駄目なときでも天が望んでないとか、アータラコータラ良い訳で何とか成る、その為に今回の人材収集も大手を振って出来ると。

今回、正使に現当主氏康殿四弟北條氏堯殿、副使に次期当主北條氏政、幕府公家対策に北條綱重殿、更に社寺対策に北條長順殿(幻庵三男)が加わり、軍師見習いとして田中融成、(後に板部岡江雪斎になるはずが)参加し、自分と合わせて、六人が正式な使者と言う事に成ります。

その他、風魔から伊賀に行っていたが緊急に招集された二曲輪猪助殿が小太郎の代理として風魔衆を率いて参加。兵の方は、北條家自慢の北条五色備えから選抜した二千の兵とこの半年で正式に編成された、北條家工兵隊通称円匙部隊三千名が黄金や進物や道具やらを持って参加。

あまりに重い材木やらは、関東から船で送る物以外は堺に丸投げ、銭と銀は堺との間での為替取引とバーター取引と商品代金代わりで向こうで用意して貰ってますから、さほどの荷物には成らない訳。

「十郎、達者でな」

「兄者も気を付けてな」

「新九郎様、お体にお気を付けて」

「大丈夫だ、お前こそ気を付けるんだぞ」

「ホッホッホ、北條の名を辱める出ないぞ」

「判っております、父上」

「任せて下さい」

「長四郎様、寂しゅうございますが、妙は長四郎様の御無事をお祈り致します」

「妙、暫く寂しくなるであろうが、義父上や義母上の元へ行っているんだぞ」

「その様な事、夫の居ない屋敷を護るのも妻の勤めにございます」

「けど、お前を一人っきりにさせたくないのだ。判ってくれ」

「はい」

いやーシリアスはあまり成れてないけど、新婚一年経たずに単身赴任状態ですから、実家に居た方が精神的にも良いだろうと思って、氏康殿に頼んでおきました。

そうこう言っている間に、出立です。

歓呼の中、五千+αの人々が、雪も消えた東海道を西上し始めました。何が起こるのか未だ判らないですよ。


弘治三年二月五日


■駿河國駿府  三田康秀  


五日かかって駿府へ到着です。江戸時代みたいに街道が確り整備されている訳でもないので此だけかかりました。ここで氏堯殿達は今川義元、氏真親子に招待されて宴に参加してますが、婿とは言え私はお呼びじゃないようで、と言うか、氏堯殿がばれないようにと除外してくれたというのが正しい。

まあ最初の挨拶で義元殿の顔だけは見たんで良いんですけど。巷間に流布されているほどのドジな人物じゃないよ、あれは単なる信長のラッキーヒットだと言う話もわかる気がする。姿形に誤魔化されると、バクッとやられかねないと思うけど、やっぱり白塗りで公家化粧だったから、吹き出しそうになって大変だったけど。

まあ、自分は竹千代丸の元へ行ってろと言う事で来た訳だ。

「余四郎殿。いや長四郎義兄上、お久しぶりでございます」

「竹千代丸殿、久しぶりでございます。大きくなりましたな」

竹千代丸は相変わらず、明るくて安心した。んで隣りに二名ほど知らない方がいるんだが、誰だろう?

「三田長四郎殿ですか、初めてお目にかかります。松平次郎三郎元信と申します。三田殿が此方へいらっしゃると聞きお邪魔させて頂きました」

「三田長四郎殿、初めてお目にかかります。岡部次郎右衛門尉正綱と申します」

家康来たー!!更に後に礼を尽くして信玄に招かれ、『万の兵士を得るのは容易だが、ひとりの将を得るのは難しい』と言わしめた、岡部正綱じゃないか。そういや、家康とは仲が良かったんだな。しかし家康はもうこの頃から、感情を隠すことをしていたようだな、目が相手の力量を探るような目だし。

「此は此は、丁重なご挨拶ありがとうございます。自分は三田長四郎康秀と申します」

「義兄上、二人とも私に大変優しくして頂いております」

「それはそれは、義兄として、大変ありがとうございました」

「いえいえ、竹千代丸殿とは幼名が同じにございます上に私も色々お世話になってますから」

そんな事で、竹千代丸、元信、正綱の四人で座敷で世間話。

「義兄上。次郎三郎殿が、今川殿の偏諱をお受けになり元信と名乗られたのですが、一部の者が悪口を言いまして」

あー、なるほど、良くあるあの話か。元信がそれほど嫌がっていなそうだから、知っているけど聞こう。

「どの様な、事を?」

「はい、『元信の元は今川義元様の元、では信は織田信長の信か、お前も母親のように二股膏薬か』とか」

あー、此は酷い酷すぎるわ、元信も手を握って震えてるよ。

「そうです、孕石主水佑などは、特に酷く元信殿を虐めまくります。元信殿が鷹狩りをしていれば『お前のような人質が、鷹狩りなど烏滸がましい』とか、同じ今川家臣として情けない男です!」

なるほど、こういったことが原因で、高天神城落城時に孕石主水佑は切腹させられた訳か。

「松平殿、三河松平家は歴代のご当主に信の付く方が居るのではないですか?確か有名な方で和泉守信光殿が、いらっしゃったはず?その方の信を付けたのでしょうから、そんな馬鹿の戯れ言は無視するに限ります」

「確かに、和泉守信光様から信はとりましたが、三田殿は何故それを?」

元信が、ハッとした目で見てくる。何で其処まで知っているんだって顔だが。

「義兄上、良くそんな事を知ってますね」

ここは、うんちく風に煙を巻くか。

「何故と言われれば、松平和泉守信光殿と言えば、政所執事伊勢貞親殿に仕えており。寛正六年(1465年)五月、三河守護細川成之殿の要請により、貞親殿の被官として八代将軍足利義政様の命により額田郡国人一揆を鎮定されたお方。何と言っても伊勢家は北條の本家筋なれば、竹千代丸もこれぐらいは勉強せねば成らんぞ」

納得したらしく、元信が驚いた感じで見てきてる。

「三田殿は、博識でいらっしゃいますな」

「なんの、身内の事なればです」

「それでも凄いことです」

「所で、岡部殿、孕石殿は余ほどの馬鹿と見えますな、人質とは言え、松平清康殿の時代には三河一国を纏め上げた松平家の御曹司を虐げるとは、その様な話を国人共が聞いたらどう思うか判らんようですな」

「全くです。父も日頃から何かにつけて、指摘しているようですが、何分御主君の前では立ち回りが旨いこともありまして」

「なるほど、酷い物ですな」

「全く」

「松平殿」

「三田殿、松平ではなく、次郎三郎とお呼び下さい」

「おお、ならば私も長四郎とお呼び下さい」

「ならば私も、次右衛門とお呼び下さい」

「次郎三郎殿、次右衛門殿、改めて宜しくお願い致します」

「「此方こそ、長四郎殿、宜しくお願い致します」」

「次郎三郎殿、何か言われたときに言う最高の台詞をお教えしよう」

「何でございますか?」

「それがどうした!」

みんな、唖然としてから、段々笑い始めた。

「ハハハハ。それは傑作だ!」

「確かに、其処でそれは、凄い」

「使いどころさえ間違えなければ、いいですな」

いやー、某銀○伝のアッ○ンボローの台詞丸パクリなんだけど。

一頻り笑いが終わった後、元信がすくっと立ち上がり宣言した。

「長四郎殿のお話でスッキリしました。三河一国を統一した祖父のような、一角の武将になるように名を元信から元康へ変えることを治部大夫様にお願いします」

改名イベントか、けど確かもう少し後で、三河へ墓参りした後だった気がするが、誤差の範囲だよな。

「それならば、人生を歌った歌があるのでお教えしよう」

「どの様な歌ですか?」

「私も興味があります」

「“ああ人生に涙あり”という歌で」

そうなんだよね、歌ったのは、国民的時代劇の主題歌、元信の孫の歌なんだよな。それをアカペラで歌って見せたら元信が妙に感心して覚えたいと言ってきたんで、速攻で書いて渡したんだけど、此がもしかした、“人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し”になったんだったりして。


こうして、駿河府中での日が過ぎて、綾姫ともご挨拶。まあ義理の姉とは言え次期当主夫人ですから、お付きの連中が沢山いる中で、当たり障りのないご挨拶ぐらいだけど、やっぱり義姉上は綺麗だし優しいわ、是非とも徒歩で懸川城へ逃げることだけはさせたくないな。

氏政ともにこやかに話しているから、あの時の蟠りはないみたいで安心だ。けど氏政は敵を怖がって兄弟を捨てたと散々言われたから、信頼できないけど。平三郎が当主の方が良いのに。なんとか綾姫様や桂林院(武田勝頼夫人)西堂丸(上杉景虎)を見殺しにさせないようにしないと、俺も出来る限り頑張ろう。


弘治三年二月七日


■駿河國駿府  北條綾姫

行ってしまいましたか、あの子達も大きくなったものです。お父上のご命令とはいえ都まで行き北條家の命運を賭けるとは、嘸や大変な事でしょう。こうしてみると新九郎と話した昨夜の事が思い出されますね。

『姉上、お久しぶりでございます』

「新九郎殿も、元気そうで何よりです」

『はい』

「新九郎殿、そろそろ長四郎殿に対する擬態を消したらどうですか?」

この話をした時の新九郎の驚いた顔は面白かったですね。

『姉上、いったい何を?』

「私が、此方へ嫁ぐときに言った言葉は貴方の本心じゃ無いことぐらいお見通しですよ」

慌てていましたよね。

『姉上、何故それを』

「あら、私は貴方の姉ですよ。それぐらい判らないでどうしますか」

『姉上には敵いませんな』

「ふふ、父上も、大叔父様も、叔父様もご存じでしょう」

『はい、兄上が亡くなられた後で、教わりました』

「でしょうね、だから、そろそろ、長四郎殿と腹を割ってお話ししなさいな」

『はい』

「お酒でも飲んで酔った勢いで、謝っちゃいなさい」

『そうします。姉上』

「ふふ、気を付けて行くのですよ」

『はい。姉上もお達者で』

「ええ」

新九郎、長四郎、頑張るんですよ。


第貳拾貳話 東海道に虎を見た!


弘治三年二月十二日(1557)


遠江國引佐郡井伊谷とうとうみくに ひさぐんいいのや 三田康秀


「おい坊主、酒がないぞ!」

「はいはい、あまり飲み過ぎるとお体に障りますよ」

駿河府中を出たところから、変な同行者が出来てしまいました。

「なんの、酒は百薬の長と言ってな、少々なら飲んだ方が良いんじゃよ」

何言ってんだか、この爺さん、府中からほぼ毎日酒飲んでるじゃないか。

「百薬の長と言っても、量が凄すぎたら駄目なのでは?」

「ははは、医術にも長けておる儂が言うのじゃから、大丈夫じゃよ」

「はぁ、そうですか」

この爺さんは内蔵頭くらのかみ山科言継やましな ときつぐきょう、所謂“言継卿記ときつぐきょうき”の作者だ。なんでこの爺さんと一緒に居るかというと。爺さんが義理の叔母にあたる寿桂尼じゅけいに今川義元いまがわ よしもと親子を訪ねて駿河を訪問し、朝廷への献金を頼みに来ていたんだが、(その時でも滞在百八十日の内百五十日間、酒を飲み続けていた程の酒豪)丁度我々が献金のために都へ上がることを聞いて、ついでに連れて行けと言われた訳だ。

まあ、この爺さんは顔が広いし、織田家とも繋がりが有るし、庶民にも人気のある方だから渡りに船と氏堯殿が承諾したんだが、此ほどの飲兵衛とは思わなかった。行く先々の宿泊地で散々酒を飲みまくり、こうして移動中も馬の背で酒を飲み続ける始末。

んー、凄く気さくで、あの織田信長に気を効かせた程の爺様だし、庶民にも人気があるのが判るんだが、何日も一緒に旅してると、流石に嫌になってくるぞ。

「ほれ、そろそろ、井伊谷じゃぞ、今宵はここで泊まるのだろう、肴は浜名湖で取れた魚貝かの」

「内蔵頭様、あまり、向こうの方に迷惑をかけないようにお願い致します」

「ハハハ、大丈夫じゃ、儂はこう見えて有名じゃでな」

話がかみ合わないよーーーーーー!!


弘治三年二月十二日


■遠江國引佐郡井伊谷 井伊谷城 


山科卿を含む北條家一行が、井伊谷にさしかかった頃、井伊谷城では、当主井伊直盛が嫡子次郎法師に文句を言われていた。

「父上、こんな時期に五千人も来られては迷惑千万です」

次郎法師が眉間に皺を寄せながら詰め寄る。

「そう言うな、治部大夫様からも丁重にお出迎えせよとのお言葉だ」

それに対して、直盛が諭すように話す。

「大体、何で此処へ来るんですか?浜名湖を渡れば近いのに」

「山科様がご一緒で、あの方が南朝の忠臣井伊家と宗良親王様の御陵を見て見たいと仰ったようでな」

次郎法師は父親の答えを聞いて、心底迷惑そうに吐き捨てる。

「全く、公家というのは、碌な事をしませんね。南朝など既に滅んで百年以上、いい加減迷惑です」

「そう言うな、山科卿は帝からの信頼も厚い御方だ、ここで旨くご機嫌を伺えれば、井伊家の為にもなろう」

「はん、今回の駿河下向だって、帝にお金をくれと言う事でしょうに、しょうもないです」

次郎法師の吐き捨てるような言葉に、直盛が慌てる。 

「これ、幾ら本当の事とはいえ、山科卿の前でその様な事言うではないぞ」

「ええ、こう見えても、井伊家の嫡子でございます。その辺は判っております」

「ならい良いが、それに山科卿だけでなく、盟約を結んでいる北條家の方々も一緒なのだから、その方々にも粗相を見せるのではないぞ」

次郎法師は父親の言葉に手を振りながら答えた。

「判ってるって、どうせ一日か二日だろ、その間ぐらい大人しい姿を見せてやるよ」

「頼むぞ、井伊家の次期当主としての自覚を持ってくれ」

父親の言葉を聞いた、次郎法師は眉間に皺を寄せながら反論する。

「親父、俺が次期当主って話はもう無いだろうが!亀之丞(直親)の奴が跡継ぎじゃねーか!」

「いや、お前が、直親に嫁げば話は進むんだが・・・・」

心底怒った顔で次郎法師が直盛を睨む。

「はぁ?この俺に亀の奴の妾になれって言うのか巫山戯んな!!!親父のせいで、女に生まれて来たのにもかかわらず、跡継ぎとして、次郎法師なんて名付けられて、幼い頃から男同然に育てておきながら、亀之丞が生まれたからと、許嫁にされて、それでも一生懸命お家のためだと亀之丞との祝言を恋い焦がれて来たのにだ。直満叔父貴が粛正されて、そのとばっちりで亀之丞は信濃に逃げたんだぞ」

「まあ、直親もその後帰ってきたじゃないか」

「はぁ!亀之丞は確かに帰ってきたが!嫁まで連れて来たじゃねーか!!」

娘の剣幕に百戦錬磨の猛将もタジタジである。

「いやしかし、十二年も世話になった、奥山親朝おくやま ちかとも殿の手前そうせざるを得なかったのだろう」

「あのなー、この俺が、十二年間どんな思いで、亀之丞の帰り待っていたか、やっとあの方が私の元に帰っていらっしゃったと思ったら、嫁連れてきてるんだぜ、巫山戯んなー!!!こっちは、亀之丞の事を考えて、他の縁談も全て断ってきたんだぞ!!それなのに、それなのに奴は裏切りやがった!!!」

娘をひたすら宥める直盛、後ろ姿に哀愁が漂っている。

「いや、未だ未だお前も縁があるさ」

「あのな、亀之丞を待った挙げ句、俺は今年二十三だぞ、立派な行き遅れじゃねーか!!それに未だにおぼこだぞ!!誰が貰うって言うんだよ、精々年寄りの後妻がいいところだぞ!」

「だから、直親の元へだな」

「親父でも、これ以降それ言ったらぶっ飛ばずぞ!」

次郎法師は本気で、腕まくりして殴る仕草をし始める。

「判った、判ったから、取りあえず。お客陣にだけは醜態を見せないでくれれば良いから」

遂に根負けした直盛が妥協した。

「親父も判りゃ良いんだよ、そんじゃ支度させてくるわ」

次郎法師がさっていった後、直盛は溜息をつきながら独り言を言っていた。

「はあ、何であんな性格に育ったのやら、椿よやはりお前が居ないと駄目なようだ。せめて直親が独り身で帰ってきてくれていれば、ああ今となっては詮無きことだ。椿よご先祖様と共に次郎法師を見守ってやってくれ」


弘治三年二月十二日


■遠江國引佐郡井伊谷 井伊谷城  三田康秀


半時程で、井伊谷城へ到着しました、今夜はここで厄介になります。井伊谷と言えば井伊家のホームグランドですからね、後の井伊直政は未だ生まれてないけど、丁度親の世代な訳です。

「此は此は、山科様。井伊谷城主井伊信濃守直盛と申します。この度はこの様なあばら屋にお越し頂き恐悦至極に存じます」

「ほっほっほっ、都の我が家より遙かに良い城ですぞ。何と言っても我が家は雨漏りがしますからの」

流石爺さん、受け答えが旨いねー。

「ささ、どうぞ此方へ」

山科の爺さんは先に案内されていった。

「大変お待たせ致しました。井伊谷城主井伊信濃守直盛と申します。この度は当家へお寄り頂きありがとう存じます」 

「此はご丁寧に、小田原城主北條左京大夫氏康が四弟北條左衛門佐氏堯と申します。この度はお世話になりもうす。此は少のうございますが、お納めください」

ここで、迷惑をかけないように持って来た白銀を贈呈しておく訳です。

「此は此は、ありがたく」

この辺は阿吽の呼吸です。

兵達は近隣の社寺や民家に分駐しますが、半年間ミッチリ訓練した結果、他の軍にありがちな乱暴狼藉をする連中は居ません。と言うか、そんな連中は連れて来てません。都ではイメージ第一ですからね。特に鎌倉幕府執権北條家と同じ名前の当家が都にやってくると承久の乱の記憶が思い起こされる可能性が大なので、人材の選択には慎重に慎重を重ねてあります。


弘治三年二月十二日


■遠江國引佐郡井伊谷 井伊谷城 大広間


大広間では、井伊家の一族と山科卿、北條家一行が宴を囲んでいた。

「この度は、当家にお寄り頂きありがとう存じます」

「世話になるのー」

「此方こそ、ご迷惑お掛け致します」

「私は、当主の井伊信濃守直盛と申します。此に居るのは、嫡子の次郎法師、養嫡子の小次郎直親でございます」

「次郎法師でございます」

「小次郎直親でございます」

「お主が、有名な次郎法師殿か」

「山科様がご存じとは恐悦至極に存じます」

山科卿のチャチャの後北條側が挨拶を行う。

「北條左京大夫氏康が四弟北條左衛門佐氏堯と申す。ここに居るのは、氏康嫡男新九郎氏政、大叔父北條幻庵二男新三郎綱重、三男覚胤長順、氏康婿三田長四郎康秀でござる」

「新九郎氏政でございます」

「新三郎綱重でございます」

「覚胤長順でございます」

「三田長四郎康秀でございます」

そのまま宴に雪崩れ込んでいった。


弘治三年二月十三日朝


■遠江國引佐郡井伊谷 井伊谷城 井伊次郎法師部屋  三田康秀


ふあー、ここは何処だ?顔が柔らかい物に挟まっているんだけど、何だ此、プニュプニュするぞ。

「あん」

へ???

「あっあーん」

「はぁ?」

目が成れてきたら、目の前に全裸の美女が!!!!しかも凄い巨乳だ!!!

「あら、お起きになりましたの」

えーとえーと、落ち着け、この状態は非常にやばいのではないか???

「えーと、何方ですか?」

「あら、とんだご挨拶ですわ。昨夜はあんなに愛し合ったじゃないですか、あんなに無理矢理私を押し倒したくせに。それに処女まで捧げたのに、酷いわ」

うぎぇー、浮気ですか???本当にしたのか、しかしこの女誰だ???

「失礼ですが、何方ですか?」

「あら、判らないかしら」

「済みませんが、さっぱり」

本当に誰なんだ?

「俺だよ、俺」

「はぁ???」

「次郎法師だよ」

「ええええ!!!」

なんで、嫡子が女って何で?まてよ、まてよ、井伊次郎法師、次郎法師・・・・・次郎法師って井伊直虎の事じゃ無いか! しまった直虎とばっかり考えていて、幼名まで忘れてた!! 一生の不覚。

「昨夜は、俺の悩みを聞いてくれてありがとうな、お陰でスッキリしたぜ。それにお前のお陰で新しい恋いも見つけられたし、此で俺もお方様だぜ」

何不吉なこと言ってるんですか、直虎さん。

「えーと、何を話しましたっけ?」

「お前は酔っぱらっていたから忘れたかも知れないが、俺が、男として育てられた挙げ句に許嫁にも裏切られて、二十三にもなって行かず後家のおぼこだと言ったら。嬉しい事に『次郎法師殿は魅力的ですよ、特にその胸は超魅力的ですよ』って言ってくれたじゃないか」

うぎゃー何言ってんだよ、俺は!!!

「それで決めたんだ、お前に処女を捧げようって」

「えーと、皆さんが居たはずですけど」

「ああ、みんなは山科の爺さんに付き合った挙げ句全員広間で伸びてるぞ」

うぎゃー、爺さんのせいかよ。どうしようどうしよう、妙に怒られる。氏康殿からも恐ろしい目に遭うじゃ無いか、隠せないか???

「何処へ行くんだい?」

「いや、雪隠に」

「雪隠は反対側だぞ」

「逃げるのか?女にこんな事しながら」

逃げたいが、蛇に睨まれた蛙状態だ!!


弘治三年二月十三日朝


■遠江國引佐郡井伊谷 井伊谷城 井伊次郎法師部屋前  北條氏政


いやはや、凄い宴会だった、山科の爺さんは相変わらず飲みまくるし、直盛殿も結構な酒豪、それにしても頭がガンガンするな、そう言えば、長四郎と次郎法師殿が居なくなってるし、何処に居るんだ?

ああーふらつくな、おっとっと。


弘治三年二月十三日朝


■遠江國引佐郡井伊谷 井伊谷城 井伊次郎法師部屋 三田康秀


ドカンと言う音と共に、部屋に氏政が入ってきた。と言うか転がり込んできた。

「痛たたた」

「大丈夫かい?」

やばーい!!氏政なんかに知られたら、それこそ手打ちにされる!!

「ああ、済まない。ご婦人の部屋に入り込むとは・・・・・・???長四郎何してる???」

うわうわううあうああ。

「いやその、えーと」

「見ての通りなんだがね」

やばい氏政が怒りそうだ。

「長四郎、お前は妙が居ながら、他の女と・・・・・・・・・・・・・だから可愛い可愛い妙の婿にお前を入れるは心配だったんだ!!姉上の時も、そうだし。助五郎を人質に出すのだって断腸の思いだったんだぞ!!」

はっ?氏政ってこんな家族思いだったっけ?

「まあまあ、氏政殿、此については俺も悪いんだ」

「そちは誰だ?」

「あー、俺は次郎法師だよ」

氏政が呆気に取られ始めた。

「はぁ???」

騒ぎを聞きつけたのか、ドタドタという足音が聞こえて、みんながやって来た。

「どうしたのじゃ?」

「どうした?」

みんなこの修羅場をみて一瞬動きが止まったが、最初に山科の爺さんが話し出した。

「ほう、女地頭殿にも春が来たようじゃな、此は目出度い」

爺、何処に目を付けてるんだ!!目出度くないやい!!

続いて井伊直盛殿が怒り心頭でしゃべり出した。

「次郎法師。此は如何なる仕儀だ!」

「ん、見ての通りさ、俺が、女になった。ただそれだけ」

「馬鹿なことを申すな!北條家御当主の婿君を寝取るなど、何と言うことをするのだ!!」

「いやー此奴が気に入ったし、唯一俺を賞めてくれたからな」

「ホホホ、坊主、意外に女ったらしじゃの」

爺!暢気に話してるんじゃねー!!

氏堯殿は顰めっ面で考えて居るけど、切腹か、斬首とか、スゲーピンチ!!

「長四郎を今失う訳には行かないが、此を見逃す訳にも・・・・・」

「左衛門佐殿、長四郎は、俺が無理矢理引きずり込んだんだから、俺も一緒に処罰してくれよ」

以外だ、直虎が真面目な顔してる。綺麗な顔だな。

「どうじゃろう、左衛門佐殿、儂がここに来なければ、起こらなかった事じゃ。儂に免じて二人を許してやってくれんかの」

爺さん、いや山科卿ありがとうございます。神様仏様山科様です。

氏堯殿が考え始めている。

「判りました。山科様にそう仰られて、嫌とは言えません」

「良かったの、二人とも」

「ただし、國には報告させて貰うぞ。長四郎は暫し謹慎せい」

「はっ」

命あっての物種だから、此で済めばいいけど、離婚だろうな。妙御免な。

「叔父上、お待ち下さい。妙の悲しむ顔を見たくはないので、暫し長四郎と話をさせて頂きたい」

「それは構わんが」

「忝ない」


弘治三年二月十三日朝


■遠江國引佐郡井伊谷 井伊谷城 客間 三田康秀

 

氏政と二人っきりにされました。斬られるじゃ無いかとビクビクしています。

「おい、長四郎、お前妙を愛してるんじゃなかったのか!」

「今でも妙を愛おしく思い愛しています」

「じゃあ、何であんな事とをした!」

「済まない」

「理由を言え!」

酔っぱらって次郎法師殿に襲われただなんて彼女の名誉にも関わるから言えないよ。

「済まない」

「何故言わない!」

「やましい心があったからか!」

「やましい心は無い。しかし」

「しかしなんだ!」

「次郎法師殿を傷つけたりしたくはない」

「向こうがお前を無理矢理引きずり込んだと言っているのにか!」

「男としての矜持もある」

「そうか」

そう言うと行きなりグーパンチで顔を殴られ吹っ飛ばされた。

「いいか、姉上や兄上がどれだけお前に期待しているか判っているのか、俺だって辛いんだよ。兄上亡き後、折角増えた義兄弟を失うのが!」

「新九郎殿」

「ふっ可笑しいか。俺はひたすら兄上の為に悪役をしてきたんだから、今更優等生ぶっても中々旨く行かないさ、お前が俺を避けていたのも判る。そう仕向けていたんだから。今でも北條家次期当主は虚けと言われているからな」

「新九郎殿、気づきませんでした」

「そりゃそうだ。擬態は完璧だったから。それより、妙のためにも今回だけは許してやるから、金輪際同じ事をするんじゃないぞ!」

「はい、妙を大事にしたいので今度一切その様な事が無いように致します」

「うん、良い心がけだ」


弘治三年二月十三日夕刻


■遠江國引佐郡井伊谷 井伊谷城 大広間  三田康秀


氏政殿が氏堯殿に掛け合ってくれた事、井伊直盛殿が平謝りで、切腹しそうにまでなった事、山科卿が仲介に立ってくれた事で、今回の事は厳重注意ですみましたが、非常に気まずいです。

最終的には、氏康殿の判定待ちになるそうですが、都の対策が最大の問題なので、終わった後にするそうです。下手すれば、処刑もあり得ますから、死ぬ気で頑張らないと駄目だ。

次郎法師殿は地元の尼寺へ入ることの成ったそうです。ご免なさい、ここでも歴史が変わってしまいました。


弘治三年二月十五日夕刻


■相模國足柄下郡小田原城


小田原城の北條氏康の元に二曲輪猪助が送った風魔が事の顛末を伝えてきた。

「左京殿、どうなさった?」

「長四郎はつくづく不幸を背負ってますな」

そう言いながら、手紙を幻庵に手渡す。

「なんとまあ、あの女地頭に喰われたとはな」

「それだけ、長四郎から滲み出る物にひかれたのでしょうな、我々のように十郎も同じですな、取りあえず灸は据えたが、最初から許すつもりであったそうです」

「新九郎と長四郎が打ち解けたようじゃな、綾の助言もあったようじゃが」

「しかし。次郎法師殿は尼寺へ行かされたか」

「惜しいの、相当な腕前と聞くが。いっその事、長四郎の側室として迎えるか?」

「妙が納得すれば良いでしょうな」

「あれも北條の子じゃ、その辺はわきまえておるさ」

「話をするのは、皆が都から帰ってきてからにしますか」

「そうじゃな、それまでは井伊信濃守に連絡し小田原で預かる事がよいかの」

「その事、幻庵老にお願いしても宜しいかな」

「無論じゃ」

「長四郎を育て終わって退屈していた所じゃ、丁度よいわ」

「それでは、早速十郎に手紙を送りましょう」

「そうじゃな」


第貳拾参話 困ったときに助けてくれるのは真の友人


弘治三年二月十九日 (1557)


■三河國額田郡岡崎城  三田康秀


死ぬ思いをしながら、山科卿の我が儘にも付き合わされながら、岡崎までやって来ました。

昨晩遅く、氏康殿からの連絡が有り、氏堯殿が受けたあと、氏政殿、綱重殿、長順殿が廻し読み更に山科卿も読んだんですが。こっちは神妙にしているのにもかかわらず、五人が読み終わり。氏堯殿、綱重殿、長順殿、山科卿は爆笑し始め、氏政殿は苦笑いし始めました。

何が起こったのかと、驚いていると、氏堯殿が手紙を渡してくれました。

『長四郎、読んでみろ』

「はっ」

“長四郎、おなごの一人や二人連れてきても、北條の屋台骨は揺るがん。氏堯も氏政も綱重も長順も二人と言わず五人でも十人でも連れて来い。ただし、正室を放置するほどのめり込むな、それと、鼻欠け(梅毒)にだけは気を付けるようにな。それと次郎法師殿は小田原へ来ることに成った”

最後にどう見ても幻庵爺さんの描いたと思われる、虎に首根っこを咥えられている俺の姿が…。

「何ですか?これは?」

『良かったな、浮気公認だ』

「いえ、もうこりごりです」

『それが良かろうな。しかし兄上も粋な計らいを』

『北條殿は面白い御方のようじゃな』

『父上も何を言っているのやら』

『まあ、此で無罪放免と言う事だが、慎むように』

「はっ」

てな事があり、やっと死ぬ思いから逃れられたと、ただ妙には確りと謝らないとだよな。それと酒はもうこりごりです。けど次郎法師が小田原へ行くって何をするんだろう?

そうしている内に岡崎城へ到着。

今川家から派遣されている岡崎城代糟屋善兵衛が出てきたが、接待は松平家宿老鳥居忠吉殿が受け持つことになったけど、此は完全に松平党の財力を減らすための策略か、或いはただ単に面倒臭いだけか?しかも氏堯殿が進呈した白銀は糟屋が持って行ったし、あれは完全に着服するな。

宴は、贅沢とは言えないが、松平党が必死になってくれた事が判るほどに頑張っていたが見る限り悲惨すぎる。ただここで、ある人物の父親に接触する事にした。風魔の調べで今回の宴で裏方として参加している事が判っているからだ。


弘治三年二月十九日


■三河國額田郡岡崎城 台所 岸教明


はぁ、働けど働けど楽にならんな、大殿が守山で倒され、殿も亡くなり、頼みの竹千代様は遙か駿河だ。しかも今川の城代の連中が威張り腐って、俸禄さえ禄に出ない有様、此では妻に小袖の一つも買ってやることすら出来ない。

しかも戦闘では真っ先に突っ込まされて、死ぬのは我ら松平勢ばかり、世の無常を感じるの、南無阿弥陀仏と唱えるだけで御利益のあると言う浄土真宗を皆が信仰するのも判るわ、儂も信仰を変えるかの。

しかし、こんな時期に五千もの兵を連れてくるとは、北條も良い迷惑だ。ん?誰かが来たようだ。


弘治三年二月十九日


■三河國額田郡岡崎城 台所 三田康秀


いましたよ、岸教明が、早速話しかけます。

「すみませんが、お水を一杯いただけますか」

怪訝そうにみていた彼が、納得したように水を柄杓ですくい椀に入れてくれる。それを頂きながら、素早く手紙を受け渡す。岸教明は最初は驚いた風であったが直ぐに普通の顔になり分かれた。

手紙の中身は、氏堯殿が明日伊賀八幡宮と大樹寺へ行くので鳥居忠吉殿岸教明殿に案内を頼みたいと言う物で、探られても痛くない内容になっている。


弘治三年二月二十日


■三河國額田郡 伊賀八幡宮 


北條家一行は翌日岡崎城を立ち、伊賀八幡宮に参拝、その社殿を鳥居忠吉と岸教明が一行を案内している。その後客間にて、北條氏堯、北條氏政と鳥居忠吉、岸教明の四人が話し始めていた。

「鳥居殿、昨日は大変忝なかった」

「貧しい物しか出せず、お恥ずかしい限りです」

「その様な事ありませんぞ、岡崎の方々の心からのもてなしをどうして馬鹿に出来ましょうか」

その言葉に、鳥居忠吉がありがたいという顔でお辞儀をする。

「さて、城代の手の者も居ないようですから、此方を」

そう氏堯が言うと氏政が書付を渡す。

「此は?」

「伊賀八幡へ左京大夫からの寄進でござる」

「なんと」

岸教明が書付を鳥居忠吉に渡しそれを開けると、其処には永楽銭五千貫(五億円)の証書が入っていた。

「此ほどの物を…」

「進物で送れば、城代に着服されるが落ち、しかし寄進で有ればそうは行くますまい」

氏堯の後、氏政が続ける。

「更に、現金で送れば、ばれる心配も有りますが、証書ならば、大浜の割符屋で換金が可能でもあり、現物に変えることも出来ます」

それを聞いた、鳥居忠吉と岸教明は頭を擦りつける程に下げる。

「かたじけのうございます。此で皆が救われます」

「なんの、困っているときはお互い様でござる」

それを受け取りながらも忠吉が心配だと話し始める。

「何の縁もない伊賀八幡に頃れほどの寄進では、知られたとしたら、城代が怪しむのでは?」

「なんの、北條家は鶴岡八幡宮の氏子総代の様な物、同じ八幡様であれば、多少の寄進も道中の安全を図るために致しましょう」

忠吉と教明は益々頭を下げる。

「鳥居殿、岸殿、万が一困った事がありましたら、北條左京大夫を頼り為され、左京大夫は無碍にはいたさん」

「心遣い、ありがたく」

こうして、三河武士に“困ったときに助けてくれるのは真の友人”戦法が行われた。


弘治三年二月二十日


■三河國額田郡 大樹寺 


その後、松平家の菩提寺大樹寺に向かい其処でスカウトを行った。

寺の裏庭を掃く稚児が一人、既に風魔によりその子が於亀であると知っている三田康秀が話しかける。

「どうした、そんなところでうらぶれて」

「はっ?兄ちゃんは誰だい?」

「俺か、俺は北條家家臣三田長四郎康秀って言うもんだ」

「へー、今来てるえらい方って兄ちゃんかい?」

「いや。俺はオマケで、氏堯殿は今、鳥居殿と話してるよ」

その話を聞きながら、於亀は箒を振ったりしている。

「良いよなー都へ行くんだって?」

「ああ、そうだが」

「俺は、口減らしに寺へ入れられて掃除ばかりだよ」

「そう言えば、お前の名前はなんて言うんだい?」

知りながら、知らない振りで聞く。

「俺は、於亀、榊原於亀って言うんだ」

「ほう、その身のこなしは、実家は武家か」

「そうだよ。父ちゃんは矢矧川対岸の上野城主酒井将監様の家臣だよ」

「口減らしと言う事は、嫡男ではないのか?」

「そそ、二男坊で分けるほどの所領もないからここで坊主になれって」

「その口調だと、坊主になるのは嫌か?」

その言葉に於亀は口を尖らせて喋る。

「そりゃ、そうだよ。武士に生まれた以上はそれ相応の働きをしたいじゃないか」

「なるほどな、なら俺の家臣にならないか?」

康秀の言葉に驚く於亀。

「へっ?兄ちゃん、本当かい?」

「ああ、本当だとも、俺も家臣が未だ少なくて、家臣が欲しかったんだよ」

於亀はうーんと言いながら考える。

「兄ちゃんの家臣と言うことは、最初は都へ行くのかい?」

「ああ、都へ行ってから、関東へ帰るぞ」

「父ちゃんに聞いて見てくれ」

「ああ、判った、まず住職さんに聞いてからな」

「ああ、待ってるよ」

鳥居忠吉と北條氏堯が話している最中、住職を見つけた康秀が話しかける。

「ご住職」

「これは、三田様、何か御用ですか?」

「裏庭で、利発な稚児と会ったが、その子を家臣として連れて行きたいのだが、ご住職とお父上に許可を受けないとと思いまして」

「於亀のことですか」

「そうですな、於亀殿です」

「なるほど。於亀は当寺の矢矧川対岸にある、上野城主酒井将監様の陪臣榊原平太長政殿の次男で口減らしのために当寺に置いているのです」

「先ほど、話したが、良い子なのです。ご住職どうでしょうか?」

「於亀と親が良いと言えば当寺としても吝かではありませんが」

住職の言葉に、康秀は、直ぐさまずっしりと重い何かの入った袋を渡した。

「此は」

「於亀殿を育てて頂いた謝礼にございます」

その袋には白銀五十枚(五百万円)が入っていたため住職も驚きながらも直ぐさま於亀の親に連絡を取ると言い走っていった。それを見た康秀は内心でニヤリとしていた。



僅か半時ほどで、親である榊原長政がやって来た。その頃には鳥居忠吉と岸教明は北条家一行が三河大浜湊まで矢矧川を桜井(安城市桜井町)まで船で下る為の指図で既に居なかった。

康秀と榊原長政が客間で話している。

「三田長四郎康秀でございます」

「榊原平太長政でございます」

「榊原殿、貴殿のお子である於亀殿を是非私の家臣に欲しいのです」

長政はその話を聞いて驚く、何故なら住職から於亀のことで話が有るから至急来てくれと言われただけだったからである。

「なんと、当家の於亀をですか」

「左様、利発そうな姿といい、一角の武将に育ててみたくて」

「なるほど、当家では次男である於亀に満足に飯を与える事も出来ずにここへ入れてましたが」

「このまま、朽ち果てるのは惜しいと思いまして」

長政は頻りに考えていたが、考えが纏まったらしく答え始める。

「於亀は未だ十一ですが、独り立ちするのも良いかもしれませんな。当家にいても満足に分地もしてやれないのですから。於亀が良いと言えば、お願い致します」

今まで大人しく話を聞いていた於亀が話し出す。

「父ちゃん俺、三田様の家臣になる」

「そうか、それが良いかもしれんな」

期待に目を輝かせるながら、父親と康秀の姿を於亀は見ていた。

「於亀、今日から三田様の家臣として勤めよ」

「ああ、父ちゃん判ったよ。三田様宜しくお願いだ」

「ああ、於亀、此よりお前は私の家臣になる。暫くは小姓として仕えるように」

「はい」

「金次郎、於亀の支度をご住職と共に致せ」

廊下に待機していた野口金次郎秀房が素早く入ってきて、於亀を連れて去っていく。

それを見た後、佇まいを直した康秀が長政にむき直して話し始める。

「榊原殿、相模と三河は遠く、永久の別れと成るかも知れませんが、宜しいか?」

「こう見えても、武士の端くれ、その様なお気遣いは無用でございます」

「流石、三河侍ですな。於亀殿のこと決して粗略には扱いません」

「忝のうございます」

「なんの」


その後、於亀の実家へ康秀自身が向かい母親と兄の清政に会い別れをした後で旅立った。その際榊原家に永楽銭五十貫文(五百万円)が支度金として密かに渡された。


弘治三年二月二十一日 


■三河國大浜湊


北條家一行は尾張へ直接入ることが危険なため、三河大浜湊から主力は北條綱重、長順兄弟が率いて伊勢大湊へ向かい、氏堯、氏政、康秀は分隊を率いて山科卿と共に熱田湊へ向かい熱田大社へ参拝する。今川の同盟者である北條の兵が五千も入ること自体が喧嘩売ってるとしか思われないために、少数精鋭で向かうことにしたのである。

准敵國とは言え、少数である事、山科卿の口添え、朝廷に対する奉仕だと言う事で既に傀儡とは言え尾張守護職、斯波治部大輔義銀に許可を得ているため、織田上総介信長としても嫌とは言えなかったのである。


第貳拾肆話 傾奇者は何を思う


弘治三年二月二十二日(1557)


■尾張國愛知郡熱田村 熱田大社


二十二日早朝、三河大浜湊を発した北條家一行百人は、二十二日午後には熱田湊へ到着した。其処には守護職斯波義銀しばよしかねより使わされた案内の人物が待っていた。

「ようこそお越し下さいました。私は斯波治部大輔しばじぶたいふが臣、丹羽五郎左衛門尉長秀にわごろうざえもんながひでと申します。主治部大輔より皆様方の案内を命じられました」

「御苦労じゃな、儂は山科言継やましなことつぐじゃ」

「はっはー」

「私は、北條左京大夫が四弟北條左衛門佐氏堯と申す。ここに居るのは、氏康嫡男新九郎氏政と甥婿の三田長四郎康秀です」

「ささ、此方が熱田大社でございます」

氏堯一行はそのまま丹羽長秀の案内で熱田大社参拝へと向かうが、康秀には既に信長に仕えているはずの丹羽長秀が案内役と言う事で、信長が何かを知りたがっているのであろう事を予測していた。

一行に対し熱田大宮司千秋季忠により祝詞が読まれ、旅の安全を祈る。その後十貫文(百万円)が寄進され、御所修築のための宮大工の派遣を求めた。

「この度は、遠いところをようこそお越し下さいました」

千秋季忠せんしゅうすえただが一行を取りあえずもてなす。

「忝ない」

この頃、千秋季忠は織田信長の家臣状態で有り、神職と言うよりほぼ武士化していたために、準敵国の人間には些か含むところが有ったようである。

「して、当社には如何様なご用件で?」

「旅の安全を祈ることと、この度、都へ向かい御所の修築を行う事となり申した」

「それは重畳な事で」

空返事な喋りようである。

「その為に、貴社の宮大工をお貸し頂ければと思いまして」

「なんと、当社の宮大工をですか」

千秋季忠は、難しそうな顔で考え始める。その横では丹羽長秀が同じ様に考えている。

二人としては、準敵国が、朝廷に対して点数を稼ごうとするのが癪で邪魔する気満々である。

「当社としても、宮大工を留守にさせる訳にも行かないのが現状でして」

如何にも、熱田大社の都合で宮大工を貸すことが出来ないように話を持って行こうとする。

「如何でございましょう、御所の修繕も大切ではございますが、熱田大社も草薙の剣を御護り致す国家鎮守の社、その修理を疎かには出来ますまい」

丹羽長秀がフォローにあたった。

「なるほど、国家鎮守が有るのであれば、仕方ないことですな」

北條氏堯が、残念そうに話す。それを聞いた千秋季忠と丹羽長秀は腹の中でほくそ笑む。

しかし、次の瞬間その笑みが凍り付く。

「熱田大社の修理が御所の修理より大事で出来ぬとあれば、熱田から草薙の剣を御所へ鎮座させれば良いだけの事。帝に直ぐさま勅使を派遣していただきましょうぞ」

ジッと聴いていた山科卿が、至って正論を言ったため、千秋季信と丹羽長秀は焦り出す。

「その様な勝手なことを、草薙の剣は日本武尊やまとたける以来、当社のご神体にございますぞ」

「だまらっしゃい。元はと言えば、草薙の剣は三種の神器の一つ、熱田に有るは、只単に帝から預けているだけ。それを社宝だのご神体だのと、烏滸がましいわ!」

山科卿の言葉に二人はタジタジになり始める。

「山科様、宮司殿の言う事にも一理ありますので、修理する人員を残して、若干の人数を御所へ奉仕させるというのは如何でしょうか?」

山科卿の怒りに震える二人に氏堯が救いの手を伸ばす。その言葉を聞いて、山科卿も頷き始め、千秋季忠と丹羽長秀も救いの神が現れたが如く、氏堯の顔を見つめる。

「左衛門佐殿がこう言っているが、宮司はどうじゃ?」

山科卿の質問に千秋季忠が直ぐに答える。

「はい、左衛門佐殿のお言葉通りにして頂ければと」

「ふむ。これできまりじゃな」

「して、誰を向かわせれば宜しいでしょうか?」

「そうじゃな、以前熱田へ来たとき会った若者が良いか」

「誰でございましょうか?」

「たしか、岡部又右衛門おかべまたえもんとか申したはず」

「岡部でございますか」

千秋季忠は岡部の名前を聞いてホッとした表情になる。何故なら先代の又右衛門ならいざ知らず、二代目又右衛門は未だ若く、抜けられてもさほど打撃にならない事と、信長に仕えている訳でもないからである。

「うむ、左衛門佐殿、それでよいかな?」

「はっ、山科様のお見立てで有れば、この上ない事にございます」

「そう言う事じゃ、宮司宜しく頼むぞ」

「はっ」

その話を聞いている長四郎と氏政が、腹の中で流石、山科卿と氏堯殿、素晴らしい演技ですと喝采を送りつつ、騙された二人を見て大笑いしていた。何故なら、丹羽長秀は信長の家臣で有りながら身分を偽っている。千秋季忠は信長の家臣状態で有ることから、確実になんだかんだ言ってノラリクラリするであろう事を予測し、シナリオを書いていたのである。それに山科卿と氏堯殿が見事な演技をしてのであるから。

結局、当初の目的通り、岡部又右衛門以言を引き抜くことに成功した長四郎は「此で安土城が出来るかなっ」と思っていた。何故なら将来、岡部又右衛門以言は安土城天守閣建築を任されるからである。


その後、岡部又右衛門以言を呼び、山科卿が話を伝えた。

「山科様におかれましては儂のような宮番匠にどの様な御用でしょう?」

又右衛門は山科卿の前で、ガチガチに緊張している。

「うむ、この度御所の修築を行う事となり、熱田大社からも番匠を派遣する事に成った。その代表にお主が選ばれたのじゃ」

又右衛門は、山科卿の言葉が、最初判らず目をパチクリするが、次第に意味が判り驚愕し始める。

「わっわっ私がですか?」

「そうじゃ、お主が選ばれたのじゃ」

「私は、未だ若く、腕も未だ未だでございます。恐れ多くも御所の修築に参加出来るような者ではありません」

慌てふためく、又右衛門を見ながら、山科卿が優しく語る。

「岡部又右衛門以言、そちの腕は未熟と言えど、心が真っ直ぐな事は儂は判る、御所修築にはそちのような心の清い者が必要なのじゃ、頼む」

山科卿が頭を下げて頼み込む為、驚いた又右衛門が土下座しながら、自らも頭を地面に擦りつける。

「山科様、お顔をお上げ下さい。こんな私にそれほどの事をして頂いた以上は誠心誠意お仕え致します」

「おお、そうか、頼むぞ」

「はい」

山科卿のこの事も、元々公家としては腰が低く誰にでも好かれる方で有ったが故に出来た芸当であり、更に長四郎の願いを聞いてくれる度量の持ち主であった為に出来たことであった。まあ、この後、都の山科邸には毎年北條家特製焼酎が大量に寄贈され続ける事に成るのだが、それは後のお話である。

この後、熱田大社を出た一行は丹羽長秀と共に山科卿が見ていきたいという、天文五年(1536)多宝塔が再建された荒子観音へ向かった。此も大いなる種まきのために頼んだのであるが。丹羽長秀は公家の我が儘としか感じなかった。

荒子観音を参拝した頃には既に夕刻が近づいていたために、丹羽長秀は仕方なしに近くの土豪前田家に一夜の宿を頼むように先触れを送っていた。


弘治三年二月二十二日(1557)


■尾張國愛知郡荒子村 荒子城


荒子城では、山科卿と北條家一行の為に、夕餉の支度がなされていた。この様な田舎でも公家の山科卿が来ることが、未だ未だ名誉と感じられていたからこそ、一家を挙げてもてなしの準備が進められていた。

「養爺上、山科卿と言えば、医術に優れていると聞きますが、此だけ歓待するのであれば、お会いしたついでに腰の痛みでも見て貰っても罰が当たらんでしょう」

長男利久の養子である慶次郎がニヤニヤしながら、前田利昌まえだとしまさに話しかけるが、忙しさに構っていられない状態であった。

「えい、慶次郎、お主も突っ立ってないで、手伝わんか」

その言葉を聞きながらも慶次郎は無視して逃げていった。

「全く、世話が焼けるわい」

利昌もそう言いながらも、苦笑いしていた。

外へ出た慶次郎は、荒子観音からやってくる一行を見つけて、挨拶がてらに鎗を抱えてからかいに行った。

北條家一行の先頭を行く丹羽長秀の家臣上田重元うえだしげもとが慶次郎を見つけて、止めに入る。

「待て待て!其処の鎗持ち待たんか!」

その言葉と、姿を見つけた北條側の武者が押っ取り刀で迎撃の準備をしようとするが、丹羽長秀が苦虫を噛みつぶした様な顔をしながら、山科言継と北條氏堯に話しかける。

「あれに居りますは、此から行く荒子城主前田利昌の孫前田慶次郎にございます。あの者傾奇者にて、些か持て余して居ります故、ご無礼の程平にご容赦を」

熱田大社での山科卿の凄さにびびったのか、丹羽長秀も嫌に腰が低くなっている。

「其処におわすは、山科卿と関東に名高い北條家の方々とお見受け致しました。拙者荒子城主前田縫殿助利昌まえだぬいのすけとしまさ嫡孫前田慶次郎利益まえだけいじろうとしますと申す。いざ尋常に勝負なされ!」

慶次郎の言上に流石の山科卿も唖然とする。

「丹羽殿、失礼だが前田家というのは一々勝負しないと気が済まない性格なのですかな?」

氏堯の質問に長秀が頸を振って答える。

「あの阿呆だけです」

慶次郎の前では上田重元が怒鳴っていた。

「馬鹿者!御客人に勝負を挑む奴がおるか!」

「俺なりのもてなしの仕方だが、気に喰わんか?」

慶次郎は、すっとぼけた感じで話してくる。

その様なやりとりが為されている中、氏堯に長四郎が耳打ちして長四郎が後へ下がり連れてきた兵に何やら指図をし始めた。指図を受けた兵達は自然な人垣を作りながら、何やら作業を始めた。僅かな時間でその作業を終えた長四郎が再度氏堯に耳打ちすると、氏堯が慶次郎に向かって言い放つ。

「良いだろう、北條左衛門佐氏堯が相手してくれる」

その言葉を聞いた上田重元は驚き止めに入ろうとしたが、慶次郎が走り込んでいったので、振り切れれてしまった。丹羽長秀も氏堯を止めようとしたが、氏堯は素早く後へ下がり、馬から下りて兵の人垣の前に立ち、自分の鎗を持って構えた。

「いくぜー!!」

慶次郎の豪鎗が氏堯を殴るかと思われた瞬間氏堯はそのまま兵の後方へと走り去る。それを見た慶次郎は叫ぶ。

「卑怯な、真面目にかかってこい!!」

氏堯を追って行くと兵が蜘蛛の子を散らす様に逃げだしたので、その先へ進んだ瞬間、地面が陥没し慶次郎は落とし穴にはまってしまった。その瞬間兵達から網が投げられ絡まった慶次郎は囚われてしまった。短時間の落とし穴構築は北條家工兵隊の面目躍如の出来事であった。

「卑怯な!正々堂々と勝負しろ!」

慶次郎は叫ぶが、氏堯が鋭い眼光で慶次郎に話しかける。

「慶次郎、お主は強い、しかし戦場では何があるか判らん、今が実戦で有れば、お主の頸と胴は離ればなれだ。正々堂々も必要だが、戦の何たるかを知らんと、猪武者で終わるぞ」

それを聞いている慶次郎も何か感じたのか、話を確り聞いている。

「左衛門佐殿、俺はどうすれば良い?」

「まずは、戦の機微を知る事よ、さすれば自然と戦が何たるかも知るようになれる」

側では丹羽長秀と上田重元が青い顔でおたおたしていた。

それから直ぐに騒ぎを聞きつけた前田利昌、利久親子が飛んできて、山科卿や北條家一向に平謝りをして、慶次郎を切腹させると大騒ぎになったが、山科卿と氏堯が宥めて、事を治めた。

その日は、前田家に泊まりながら、慶次郎にやに気に入られた氏堯が酒を交わしながら話していた。翌日氏堯が刀鍛冶を捜していると言う事を聞いた利久が、北へ一里ほどの中々村に居る刀鍛冶を知っていると言う事で其処へ向かうこととなり、丹羽長秀の案内で向かうことにした。此も長四郎達が巧みに誘導した結果だったのだが。


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