三田一族の意地を見よ 2
第玖話 新たなる決意、此を開き直りという
天文二十一年五月二十日(1552)
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷 三田余四郎
「うむやはり、勝沼での進展は遅いとしか言えないか」
「はい、父も理を説いては居ますが、中々賛成して頂ける状態ではないようで」
金次郎がすまなそうに、頭を下げるが、俺は別に虐めるつもりはないんだ。
「いや、金次郎や刑部少輔のせいではない、家の宿老連中は年を取って頭が固くなっているから、どうしても先例に則ってしまうんだよな」
「そうですが、力及ばすすみませんと、父上からの手紙にも書いてあります」
「金次郎、刑部少輔には無理をせずにと伝えてくれ」
「はっ、直ぐに父に繋ぎを送ります」
そう言うと金次郎が退出してった。
やれやれ、実家を生き残らせるために、敢えて北條の力を借りてでも研究しているのに、こうなってくると、何のための新規開発をしているか判らなく成ってくるな。結局は旧態依然の政策を続けたまま、現状に安堵しきっているんだよ。
何と言っても、北條の國力は現在では上野まで占領する勢いだから、完全に三田谷は後方の安全地帯だと思っている様だし、確かに敵対勢力が精々武田ぐらいしか見あたらないし、しかも檜原谷経由の甲州街道は山向こうだから、安全と言えば安全なんだ。
今の青梅街道(国道411号)はこの当時は奥多摩駅の直前の白丸の数馬という場所に大岩壁があるので山越えしか出来なかったから、侵入ルートとしては難しすぎる。つまり武田が来るとしても永禄十二年に使った小仏峠越えか、その北に有る案下峠か、精々大菩薩峠から小菅村、小河内村、鞘口峠、浅間尾根経由で檜原城下へ向かう古甲州道経由しかない訳だし。
そう思っているからこそ、軍備も疎かになり、華美になっていくんだよ。当主でもないし嫡男でもない俺が、示唆しても刑部少輔だけじゃ、駄目なんだな、宿老とはいえ親族衆も居るわけだし、話によると最近煙たがられているとかなんとか、特に宿老の谷合越後や師岡山城には金の無駄遣いと言われているらしいから。
んー困った。一応長尾景虎の上杉家襲名に嫌がらせをしたけど、果たしてジリ貧の上杉憲政様が自子を管領にする事を諦めて景虎に襲名させるかがポイントだ。現在の所、氏康殿幻庵爺さん達が上州白井城にいる上杉憲政様を追い詰めまくっているから、暫くしたら越後の上田庄の長尾政景の元へ逃亡するはずなんだよ。
何故なら上田衆は越後にいながら、越後守護家に属して無くて、関東管領の支配下にあるから、最初にそこへ行くのが普通なんだよ。その後に長尾景虎の元へ行ったのが真相らしい。それに景虎が関東へ乱入するのが1560年永禄三年年八月で今年が1552年だから、あと八年、歴史の上で来年は善光寺平へ進撃するらしいが、何処まで行くか判らないし。
大体、龍若丸生存と言うIFを残した結果がどう出るか。まあそのせいで龍若丸を介錯した挙げ句に狂い死にしたと言う神尾治郎左衛門も無事だし、それでも龍若丸殿を売った裏切り者の目賀田一族八人は磔になったが、それは不義不忠の者としては仕方が無い事だ。町民達や武士達も当然の行為だと言っている。
んー、景虎の場合、関東管領に成らなくても、義侠心から関東へ乱入してきそうな気がする。その時、本来の計画では、実家の戦力を強大化して一気に小田原城を落として家の安泰を謀る予定が、この状態になって、更に國力増強計画と軍備増強計画が、実家では実施されないとは、何なのこの無理ゲー、早速詰んだ状態だよ。
こうなると、当初の計画を変更して、北條側にドップリ浸かって、越後勢の関東乱入を上州辺りで止めて実家が上杉方へ寝返らない様にするしか無い、もう開き直って行くしかない、三田谷の領民を護るためにはそれしか無い。そうなれば三田谷も我が家も安泰だ。
そうと決まれば、人事的には氏康殿、幻庵爺さん、氏照殿のラインを強化して、新兵器、新制度、農業改革、鉱山改革、新規産業育成等で國力増強計画を此方でやってしまおう。実家でやらない以上仕方が無い事だ。それに北條憎しと言っても、この世界は別世界だし、北條家の人もいい人が多いから、どうも矛先が鈍るんだ。それなら肝を据えて、北條に骨を埋める気で行くか。
そうなると、領國の鉱山開発は早急に始めないと駄目だ。最低でも土肥金山を開発して安定的な資金源として、堺、江戸、品川などの商人から大量の鉄、銅、鉛などの金属資源を購入しないとだ。
それにしても、金山、銅山やガラスや磁器の材料の鉱山の位置どうやって教えようか、いきなり此処ですと言っても怪しまれるし、いっそ夢枕に神仏か早雲さんが立ったとかとして教えるか、それとも藤菊丸達と遊んでいるときダウジングを教えて、それで偶然見つかったとするか、んー問題だ。
そう言えば、数年後から関東は凶作や干ばつに見舞われ、更に上杉の関東乱入による略奪で多くの餓死者を出すから、それの対処として、食糧の購入と備蓄をしないとだ。普段一時的な食糧の備蓄には江ノ嶋が使われているから、其処を強化して倉庫群にすれば、この当時なら比較的安全に保管できるはず。それでも駄目なら、小田原に大規模集積地を作っておけばいい、結構この城空きがあるから、何とか出来る。
それと、農業改革だな、備中鍬とかの農具の開発や、合鴨農法や鯉を泳がす農法、木酢酸を使った農薬農法、レンゲソウを使った窒素農法なんかをジャンジャン実践しよう。
伝え方が問題だが、家のいた頃から色んな本を集めていたし、白紙の本に色んな知識を書いたりもしているから、それで明の書物だとし、それから知識を得たとすれば良い。それなら現代日本の簡略漢字も十五万字もあるという漢字なら、誤魔化せるだろうから、せっせとインチキ作者の本を作ろう。気分は某ジ○ンプの民明○房だね。
農法はクラーク博士で孔樂で良いか。軍事はクラウゼッツで孔全とか、科学はアインシュタインだから李石とか、んー何か楽しくなってきた。此ははまるかも知れない。暇が出来たら適当な中國の偉人をでっち上げて、武術とか作るか。
おっといけない、軍事だ。鉄炮自体は計画を続けるとして、大炮も必要だよな。けど中々出来ないはずだが、それなら木炮を作れば良いんだよな。数発程度なら弾丸発射できるし、御茶濁し程度なら使えるはず。実際鉱物が届かないと出来ないから、鋳造炮は計画だけは進めると言う事で。
しかし、考え様によっては、日露戦争で日本軍が急造した、花火の発射筒をモデルにした。木製迫撃砲も良いんじゃないか?それなら意外に簡単にできるし、それほど技術的にも難しくない。近代兵器になれた現代人にすれば、おもちゃだが打ち上げ花火と同じ方式の導火線式炸裂弾が頭上から降ってくれば相当なダメージを与えられる。此だ!これが良い、早速設計しないとだ。
更にそれを発展させて、旧日本陸軍の九八式臼砲を元にした物を作れば相当な戦力になる。野戦砲などを鋳造する為の技術が発展するまでの繋ぎとしてなら完全に役に立つ。火薬を使いすぎる四式二十センチ奮進弾は火薬が安定供給されるまではお蔵入りだからこそ九八式臼砲擬きも設計しないと駄目だ。
後は、竹筒に火薬と鉄片や鉛玉を入れた手榴弾や、防弾用の竹束も必要だ。あとは、一時的にせよ早合の早期実用化もしないと。それと鉄炮の先端に銃剣を付けられるようにすれば、鉄炮隊が一方的に騎馬に蹂躙されることが無くなり、ベテランの銃手を残すことが出来る。
後は、江戸時代の鉄線作りを伝授して、鉄線による鉄条網の開発もしないとだ。それにベトコンのブービートラップを伝授だ。書くことと教えることが多くて大変だが、此も生き残る為、精々死ぬ気で頑張るさ。目指せ平凡に畳の上で死ねる事。
あー!そうだ、商人に頼んで、南蛮や明の食物や植物をドンドン輸入させよう。旨く行けばトマト、タマネギ、トウモロコシ、サツマイモ、ジャガイモ、夾竹桃とかが手に入るかも知れない。
そうだ、医薬品も増やさないと、焼酎を蒸留しまくって六十度ぐらいのアルコールにして消毒薬にして、マリ○ァナを痛み止めとして作り、海草からヨード取ってアルコールと混ぜれば、インチキヨードチンキが出来るかも、まあ実験もしないとだ。
戦争となると兵糧も必要だな、甘酒の酵素でパンが作れるから、パンを作るのも良いし、乾パンを開発するのも良いな。後は砂糖も必要か、サトウキビは此処では作れないが、和三盆の原料の讃岐原産の在来品種竹糖、細黍、竹庶があるから、それを持ってくれば下田辺りなら栽培が可能になるかも知れない。此も早急に始めないとだ。
それに貨幣の鋳造もした方が良いな、北條領國だけに通用する銅貨、銀貨、金貨を作って貨幣経済である貫高制から石高制に移行する流れを止めなければ成らないし、石高制のために農民が苦しむ可能性が出ているのだし、北條流の凶作時には減免する方式は為政者として素晴らしい方式だから、それを絶やさないで行きたいな、まあ外様じゃ幻庵爺さんに伝えるのが精一杯だけどね。それでもやらないよりはやる方がいくらかマシだ。
水軍の近代化も必要だ。今の状態では、里見家の海賊衆が夜な夜な三浦半島へ小規模襲撃を行い、略奪、拉致、暴行を繰り返しているから、水軍衆の近代化と組織化は絶対必要だ。キールを持った小回りの利く船を作りたいよな。
それとあれだ、プレハブ工法を使った野戦陣地も開発しよう、秀吉の一夜城の様に敵を驚かせることが出来るぞ、そうすれば秀吉は二番煎じと言われるだろうから。
よし、全ての要点を書きだして、整合しながら清書し幻庵爺さんや藤菊丸、近藤出羽守とか大道寺のオッさんとかに見て貰おう。さあ忙しくなるぞ。
俺の戦いは此からだ!
第拾話 金山を探そう
天文二十一年五月二十八日(1552)
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷
「余四郎、此は何だ?」
「藤菊丸、此は南蛮の占星術とか言う占いの一種だよ」
「占いね、余四郎がそんな物に興味を持つとは、お前は実戦経験を求めるものだと思っていたんだけどな」
余四郎は、藤菊丸の質問に丁寧に説明し始める。
「占いなんて当たるも八卦当たらぬも八卦と言うけど、まあ新しい知識を得るのも必要だよ」
「確かに、鉄炮とかを考えればそうかも知れないよな」
「其処で、実験しようと言うわけだ」
「それに巻き込む気だな」
「判るか」
「判らんでか」
ニヤリとする二人を見ながら、今日も連れて来られた竹千代丸がオロオロしている。
「兄上、余四郎殿、又、出羽にとっちめられますぞ」
「大丈夫、今日は近藤殿に頼んで許可を受けているから」
「それの代償が、あの銃床を付けた新型鉄炮か」
「そうさ、ある程度改良がすんだから、是非実戦経験を有する方の意見が欲しいからね」
「確かに、種子島型だと頬付けして狙いを付けると安定性が変な感じに見えるし、あの轟音を耳元で鳴らせば耳が痛くなるよな、けど、あの肩付けだと安定しているし様に見えるし、音も耳から遠いから多少は静かになるだろう」
「そう言う事、机上の空論じゃ駄目だからこそ、実戦経験有りの鉄炮撃ちに試験して貰うのが一番だよ」
「家もそんなに使ってはいないんだけどな」
「それでも、猪狩りぐらいにしか使わないよりはマシだろ?」
「確かにそうだな」
「と言う訳で、竹千代丸、心配無用だよ」
「それなら良いのですが」
納得できかねる雰囲気の竹千代丸だが、余四郎と藤菊丸のテンションは上がりまくりである。
「で、その占いで何するんだ?」
「捜し物だ」
「捜し物?何か無くしたのか?」
「いや。伊豆には土肥金山が有るじゃないか、けど他には見つからないが、伊豆の地形からして他にも隠れた金山が有んじゃないかと考えて、このダウジングと言う方式を見つけたんだ」
「確かに他の国の事を考えれば、土肥だけとは思えないけど、神がかりすぎじゃないか?」
気の毒な人を見るように、藤菊丸が余四郎を見る。
「どうせ遊びと思えば良いじゃないか、やっても金もかからないわけだし」
「そうだな」
「それに土肥金山も未だ未だ埋もれている鉱脈があるかも知れないし」
「それも感か、まあ余四郎は直感力があるから、それもありか」
「では、伊豆の地図を取り出しまして、其処に箱根権現の霊験あらたかな御神酒に浸した、水晶柱を糸でつるして、地図の上を動かしながら念じます。埋もれている金銀よ世に現れよ」
神がかり的な風にダウジングを行う姿を引きながら、藤菊丸と竹千代丸が見ている。
水晶柱の動きが土肥の大横谷、日向洞、楠山、柿山、鍛冶山で止まる。
「うん、この地に新たな金銀が埋まっていると出た!」
そう言う余四郎を見ながら、藤菊丸が話しかける。
「土肥ならあり得るけどな、ホントにお前大丈夫か?」
「大丈夫だい、次ぎ行くぞ」
「お前がそう言うなら、まあ付き合うが」
「今度は修善寺の瓜生野に有ると出た!」
「ホントかよ?」
「当たるも八卦当たらぬも八卦だから、調べて貰うのも気が引けるんだけどね」
「んー、そうだな。今度伊豆郡代の笠原越前に伝えておくよ」
「頼むよ、それで、俺が占いで場所を見つけたって言うと信じて貰えないから、藤菊丸の夢枕に早雲様が立ったとかって言ってくれ」
「えー!それじゃ俺神がかりじゃないか!」
藤菊丸がエーッという顔で嫌がる。
「佃煮の売り上げ三割やる」
「ん、五割なら話に乗る」
「んー四割ならどうだ?」
「んー、そのくらいが妥協点か、判った」
「よし」
ニヤリと笑いながら、がっちりと握手する二人を見ながら、竹千代丸は、この二人大丈夫かなと考えたのである。
天文二十一年六月二十五日
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷 三田余四郎
上野に出陣中の幻庵爺さんからの音信で、五月始めに上杉憲政殿が遂に上野白井城を持ちこたえられなくなり、越後へ逃亡したと言う事だが、直ぐに長尾景虎に泣きついたとの事、その為に越後勢の先遣隊が早くも五月後半に上野に進出してきたそうだ。
余りの早さに驚いた。僅かの間に先遣隊とはいえ兵力を入れてくるとは、長尾景虎、以前からこうなるのを予測していたのか、それとも神がかりなのか、さっぱり判らない。歴史なんて如何様にも変わると言うことなのか、甚だ不安になってきた。
天文二十一年八月十日
■相模國足柄下郡 小田原城 北條藤菊丸
んー、困った。余四郎にああは言ったが、早雲様が夢枕に立ったなんて言ったら、俺の頭を疑われそうな気がするんだよ、金山は確かに家に大変な利益をもたらすから必要だが、占いで見つかる物なのかだよ、ただ、四割は美味しいから、みすみすそれを捨てるわけにも行かん。
兄貴達なら跡継ぎと分家して次期当主の宿老候補だから、所領も貰っているが、俺達は未だ未だだから、余四郎の売り上げは魅力的だし、変な発明や発想をする、変わった奴だが、俺にとっては良い友人と言えるから、願わくばこの関係を壊したくはないんだよな。
んーやはり、越後勢が上杉の味方として上野に乱入してきているから、何れは親父殿は出陣するかも知れないから、親父殿が居る間に笠原越前より親父殿に話だけでもしておくか。あくまで夢の話だと言う事を主張してな。
天文二十一年八月十三日
■相模國足柄下郡 小田原城
上杉勢及び越後勢に対する話し合いを終えて湯殿を終え寛いでいた氏康に三男藤菊丸が話が有ると参上したと近習から報告が有った。この所、構ってやれないこともあり、話を聞く気になった氏康は直ぐに藤菊丸を呼ぶように命じた。
直ぐに藤菊丸がやって来た。
「父上、お疲れの所、申し訳ございません」
「藤菊丸入るがいい」
襖を開けて藤菊丸入ってくる。
「藤菊丸、今宵は何の話だ?」
緊張しているのが在り在りと判る姿で藤菊丸が話し出す。
「実は、数日前、私の枕元に早雲様がお立ちになりました」
「なんと、早雲様がだと」
「はい、私も寝ぼけていたのかも知れませんが」
如何にも、寝ぼけていたのかも知れないので、情報が正しくなくても私のせいじゃないという感じである。
「ふむ、で、早雲様は何と言ったのだ?」
氏康自体も怪しいと思いながらも、子供の言う事と考え、話だけでも聞くことにした。
「はい、北條家の為に金の埋まっている場所を教えてくれると」
「なるほど、で何処だ?」
冷静に対処する氏康に対して、しどろもどろの藤菊丸。
「此処と此処の五箇所に金鉱脈が有ると」
「ふむ。土肥と修善寺の瓜生野か」
氏康にしても、子供の戯れ言と言うには余りに正確な地名を出していることに興味を覚えた。どうせ笠原越前が巡回に廻るので有るから、その際についでに山師を引き連れて見させればよいと考えたのである。
「あくまで、夢かも知れません。父上のお耳汚しになったとすれば、すみません」
精一杯、頭を下げる藤菊丸。
「いや、判った。伊豆ならばあり得ることだ。笠原越前に巡回時にでも調べさせよう」
藤菊丸は、部屋に帰って一言、『此で出なければ、四割じゃ足らん。六割を要求する!』
天文二十一年八月二十二日
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷 三田余四郎
義侠心からなのか、長尾景虎が上野へ自ら出張って来たらしい。その為に一旦帰国していた氏康殿も再度上野へ進撃するらしい。今回は嫡男新九郎殿も初陣らしく、非常に立派な姿で出陣していくのを、城の城門から見送った。
藤菊丸の夢枕の話は、うまく通った様で、氏康殿が笠原越前に『領内巡回の時にでも見て見よ』と言ったらしい。藤菊丸曰く、『肝が冷えた。此で出なきゃ、お前の占いのせいだと、言う』と言われ、更に『四割じゃ足らん六割寄越せ』と言われたんだが、出るから大丈夫だと思いたいが、歴史変わってるからな。けどまあ今の情勢じゃその程度でも御の字だよな。
天文二十一年十二月二十八日
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷 三田余四郎
越後勢主力が十月下旬に雪が降る中、越後へ帰國し深雪により残りの上野上杉与党との間で自然休戦状態になった北條軍主力が小田原へ帰還した。皆激戦を臭わせる姿で帰還してきた。爺さんも氏康殿、新九郎殿も無事であった。
この頃から、武田と今川の使者がひっきりなしに来る様になった。そろそろ三國同盟の時期が来たのかな。そうなると、本来なら氏政の嫁になるはずの、信玄の長女は新九郎殿の嫁になるのかな?新九郎殿元気だし、此は氏政ルートから離れたのか?
けど、竹千代丸が人質として今川へ行くのは確実だろうな、行くとしたら色々満たせてあげよう。
天文二十二年二月一日(1553)
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷 三田余四郎
三國同盟の締結間近になって来たらしく、新九郎殿が元服し北條新九郎氏時と名乗りました。この名前は早雲殿の次男の名前を継いだそうだが、普通、大往生した人ならいざ知らず、三十代で若死にした人の名前付けるか?
それはさておいて、此により武田晴信の長女梅姫十二歳が今年の十二月に嫁いでくるらしい、それに伴って人質の身の自分に凄く優しくしてくれた、綾姫が今川氏真の元へ七月に嫁ぎ、竹千代丸も一緒に連れて行くらしい。寂しくなるね。
特に綾様は氏政より年上だから、リーダシップを取って色々と間を取り持ってくれたから、幸せに成って欲しいんだけど、このままの歴史だと今川行くと信玄に攻められて、輿にも乗れずに掛川へ逃げるんだよな。そうならないためにも今川義元よ桶狭間でアッサリ死ぬんじゃないぞ。祈るしかできないけど綾様お幸せになって下さい。
関東では相変わらず、氏康殿、幻庵爺さん、氏尭殿が西に東に戦闘中、やっぱ古河公方を手中に収めたのが効くらしく、彼方此方の家へ口が出せるらしい、この頃の古河公方は足利義氏様だが、未だ元服前だから足利梅千代王丸なんだ。それでも腐っても関東公方と言う訳で、御神輿としては使える訳だ。
金山は未だ忙しいらしく、調査が始まっていない模様。早く見つけて欲しいです。
第拾壹話 次男の心得
天文二十二年七月一日(1553)
■相模國足柄下郡 小田原城 三田余四郎
今日、綾姫が今川氏真の元へ嫁ぐ為出立する。竹千代丸も母方の祖母寿桂尼に預けられる形を取った実質的な人質として、一緒に駿河府中へ旅立つ。
綾姫には、人質の身ながら、何時も優しくしてもらって、本当の姉上の様に可愛がってもらったので、此からの歴史の流れが史実通りなら、桶狭間で今川義元が織田信長に討たれた後、武田信玄に駿府を攻められ、輿にも乗れずに歩いて懸川城まで行くはめになり、その後も小田原に引き取られるのだが、氏政が武田信玄と同盟するにあたって、夫婦共々追放される羽目にもなる。長生きはするけど、苦労の連続なので、送り出すのも何とも言えない気分だ。
竹千代丸は、この後二十歳前まで人質として過ごすことに為り、当時同じ人質だった松平竹千代、後の徳川家康と友達になるはずだ。そのせいか知らんが、竹千代丸は後に韮山城で籠城の時、徳川家康に降伏し、子孫は徳川幕藩体制でも河内狭山一万石の大名として明治維新まで続くんだよな。
人質としての自分では、普段の付き合いはいざ知らず、多くの重臣の中では、挨拶など一瞬しか出来ない状態で、しかも畏まった方式だ。
綾姫様にお祝いのご挨拶をする。
「綾姫様、ご婚礼おめでとう御座います」
「余四郎殿、ありがとう」
此で、挨拶が終わる、お世話になりながら、公式には此しか出来ないのが悲しいところ。
次は竹千代丸の所へ向かう。
竹千代丸は、実質的に人質という手前、目出度いという雰囲気では無かった。
「竹千代丸様」
「余四郎殿」
TPOを弁えている2人は普段と違い確りと敬称を付けて話しかける。
「この度は、御苦労様です」
「此も、当主の子の定めと思っております」
2人とも此れから家族と別れするために、別棟へ移動するんだが、何故か自分も幻庵爺さんに連れられて、その場所へと行くはめになった。ここで始めて、幻庵爺さんが2人に送る物を用意て持っているようにと言ったことが理解できた、最初から自分も人数に入っていた訳だけど、家族の宴に部外者が参加して良いのかな?
部屋へ入ると、氏康殿 氏堯殿、新九郎殿、藤菊丸と幻庵爺さんの家族や北條綱成一家や奥方様や姫様方は歓迎の感じだが、松千代丸は、あからさまに何故人質風情がここに来ると言う目で見るし、乙千代丸は我関せずという感じだ。場違いなんだが、家族の別れに何故自分が入り込めるんでしょうか?
早速、松千代丸から口撃。
「なんだ!人質風情が何故ここに来る!」
「儂が呼んだんじゃが、綾は余四郎の事を弟のように可愛がっておるし、竹千代丸ともこの上なく仲がよい、それに左京殿もお許しに成られておる」
幻庵爺さんの言葉に松千代丸は自分を睨むと、フンと顔を背けた。
いやはや、松千代丸(氏政)にはトコトン嫌われているから、氏康殿の死後が危険だから、藤菊丸(氏照)の家臣になるのが一番安全かな、考えなきゃいけないな。
皆が集まると、綾姫様と竹千代丸が部屋に入ってきて、綾姫様は、自分が居るのを見て最初は驚いていたが、直ぐににこやかになって、笑顔で微笑んでくれた。竹千代丸は、目をキラキラさせながら見てくる。
順番に綾姫と竹千代丸に皆が話や、贈り物を渡していく。新九郎殿が進物を渡し話している。
「綾、向こうへ行っても達者で暮らせよ。駿河は暖かいと聞くから大丈夫で有ろうが、風邪などひくでないぞ。それと初めての土地では水に気を付けるようにな、それと新婚とは言え気張りすぎるなよ」
オカンだオカンが居る。新九郎殿はオカン気質だ!それにエロ親父も入ってやがる!
その言葉を聞きながら、顔色一つ変えずに綾姫もにこやかに返している。
「兄上も、御達者でお暮らし下さいね。兄上も十二月には婚礼なのですから、女遊びも程々に為されませ、花婿が腎虚で倒れたとあっては北條の名折れですよ」
うわー凄い返しだ。流石兄妹だわ、阿吽の呼吸で突っ込んだ。新九郎殿だけじゃなく、殆どのみんなが苦笑いだ。
続いて竹千代丸へも激励していたんだが、次の松千代丸の時に事件が起こった。
松千代丸も進物を2人に渡して当たり障りのない話をしていたんだが、最後に爆弾を落としやがった。
「そうだ、姉上、竹千代丸、その進物に鎌倉の綱広に打たせた短刀が御座います」
「此ですね」
2人とも進物から短刀を出して見せる。
「左様、その短刀は、いざ今川と手切れになった時、それで姉上が上総介(今川氏真)の御首級を取って頂きたくお送りする物。竹千代丸もそれにて、今川治部大夫(今川義元)の御首級を奪うのだ。それが駄目であれば、寿桂尼(今川義元母)を人質とする様に致せ」
いきなりの言葉に、座が静まりかえる。
松千代丸は何を言ってるんだ、確かに斎藤道三は娘の帰蝶を織田信長に嫁に出すときに、隙あらば信長の頸を取れとか言ったそうだが、此が戦国か。
「松千代丸、何を、言うのですか」
「兄上、余りにも酷い言いわれよう」
2人の抗議も何処吹く風で松千代丸が更に畳みかける。
「所詮同盟など、一時的な物が常だ。治部大夫の祖母は早雲様の妹だが河東の乱では今川と激しくやり合ったではないか、姉上に対しても、いざという時の心構えを言ったがまで、その程度は覚悟して頂けねば為りませんぞ」
「判っているが、その言い様は無いでしょう」
「性格に御座いますれば。竹千代丸、お前は所詮五男、儂等と違い死んでも痛くも痒くもない存在よ。所詮人質は手切れになれば、見せしめに磔か、出陣前の血祭りにあげられるのが定め、そうなるなら、せめて治部大夫か上総介の命を絶てば、余り物のお前もお家の役に立つのだからな」
人質云々の下りで自分の方を見ながら、嫌みったらしく磔や血祭りなどと嘲りやがった。自分をそうするって言っている訳だよな、この言い様は。
「兄上酷い」
竹千代丸が泣き出した、それに幼い妹たちも泣き出した。
ジッと松千代丸の話を聴いていた氏康殿が遂に怒りだした。
「松千代丸!目出度き席での今の言動許し難し、さっさと屋敷に帰れ」
そう言われた、松千代丸は頭を下げてから、部屋から出て行った。
座がしらけたが、幻庵爺さんが仕切り直した。
「よいよい、次は藤菊丸じゃ」
「はっ」
松千代丸の事件が尾を引いてはいるが、みんながそれを忘れるように話しまくる。
藤菊丸は心温まる話をし、座も和ませ、普段斜に構えている乙千代丸もここでは、当たり障りのない話題で話を締めくくる。
そうして最後はご両親なので、幻庵一家の最後に自分の番が来た。自分も2人の門出を祝うために、色々用意した物を渡さなきゃ。
「綾姫様、おめでとう御座います」
綾姫様は、花のような、笑顔で先ほどの事件も忘れたかのように、自分に挨拶を返してくれる。
「余四郎、ありがとう。嬉しいけど、余四郎作るおやつが食べられなくなるのは残念ね」
茶目っ気たっぷりに、にこやかに返してくれる。
「それならば、綾姫様に此を」
そうして、持って来ていた、各種レシピを載せた本を渡す。
「あら此は?」
「餡蜜、蒲鉾、ほうとうなどの作り方や材料、食材の作り方を載せた本です」
「あら、余四郎の大事な秘密の本を私に下さって良いの?」
心配そうに見つめる綾姫様をみて、ついつい見とれてしまった。
「はい、綾姫様には、人質の身でありながら、実の姉のようにして頂きました、その恩返しには足りませんが、是非にお納め下さい」
綾姫がにこやかに見つめてくれた。
「余四郎、ありがとう。貴方のことは、松千代丸、藤菊丸、乙千代丸、竹千代丸達と同じく弟のように思っていましたよ。この本は大切にしますね。余四郎も此から達者に暮らすのですよ」
「はい、綾姫様、短い間でしたが、大変ありがとうございました。お幸せに」
「ええ、向こうで此を使って、上総介様に御馳走しますね」
綾姫様に別れを告げ、竹千代丸に向き合う、竹千代丸も先ほどの事件の余波はあるようだが、家族に励まされて幾分でも元気を取り戻している。
「竹千代丸様、今川へ行っても元気で」
「はい、余四郎殿もお元気で」
竹千代丸に、沢山の遊具を渡す。
「竹千代丸様、遊具です」
「ありがとうございます。新しい物がチラホラ有りますね」
竹千代丸は目をキラキラさせ始めた。ようやく先ほどの事件から抜け出せたようだ。
「竹千代丸様が退屈しないように、色々考えましたからね」
「楽しみです、私も姉上と同じ様に余四郎殿のことを、実の兄同然に思っていました。御達者で暮らして下さい」
「竹千代丸様も御達者で」
こうして、挨拶が終わり翌日、一万人という大行列により綾姫様の嫁入りは小田原城下を旅立っていった。
しかし、氏政は碌でもない奴だ!あれじゃ北條を滅ぼしたのも判るわ!!
天文二十二年七月二日
■相模國足柄下郡 箱根早雲寺近傍の山中
綾姫の一行が箱根越えをする中、早雲寺近傍の山中に一騎の騎馬が佇み、その一行を眺めていた。
「綾姉さん、竹千代丸よ、あんな事を言ってすまんな。・・・・・・・宗瑞公、(早雲)快翁活公(氏綱)神仏よ願わくば、綾姉さん、竹千代丸が無事でありますように」
その騎馬は行列が消え去るまでジッと動かずに見つめていたが、人の気配に振り返ると其処にいたのは、同じく馬に乗った良く知る人物であった。
「兄上」
「やはりここだったか」
「何故ここに?」
「お前が敢えて、憎まれ役をしている事など、判らんはずが無いだろう」
「なるほど、兄上には隠し事は出来んな」
「憎まれ役も大概にしないと、お前が困るぞ」
「いや、俺が憎まれれば憎まれるほど、兄上への期待が高まるのだから、次男なんてそんな物だよ」
「お前、それでは、お前が余りにも不憫だ」
そう言われたが否定する様に手を振りながら。
「長男が健在である以上は、次男は万が一の予備でしかないからな、三男以降は養子に行くことががお家のためだが、次男は敢えて憎まれ役に徹するが万事良い、兄上の為ならば汚れ役は俺が引き受けるさ」
「お前はそれで満足なのか?」
「親父も、叔父貴も爺様も騙しているんだから、素晴らしい演技力だろう、それで満足さ」
「お前な!」
「兄上、北條の次代は兄上の物だ、兄弟連中や左衛門大夫(北條綱成)も良いが、余四郎も逆境に耐えて良く育っている。流石は幻庵爺さんだよ、奴は麦と一緒で踏めば踏むほど育つぞ。それが楽しみだよ」
「お前の優秀さには期待しているんだが」
「いやいや、優れた兄に愚かな弟の方が良いだろう、反対じゃお家騒動の元だしね」
「俺は、お前の悪名が残ることが辛いんだが」
再度否定するように手を振りながら。
「悪名ならばどんと来いだ。楽しいじゃないか、いっそ元服後の通称は悪平次にでもするかな」
そして2人して顔を見つめ合いながら、笑い出した。
それを密かに見つめる、影が4人。
「やはりな」
「未だ未だ甘いですな」
「2人とも、ばれてないと思っているようじゃな」
「で、兄じゃどうする?」
「暫くは騙されてやろう」
「そうじゃな、折角の演技じゃ楽しまねばだめじゃな」
そう言いながら、4人の姿はその場から消えていった。
第拾貳話 新九郎死す!
天文二十三年十一月十五日(1554)
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷 三田余四郎
今小田原城下は、沈痛な趣になっている。何故なら先日、北條氏康殿の御嫡男新九郎氏時殿が急死したのである。事の突端は綾姫と竹千代丸が駿河へ旅立って僅かしか経たない、七月二十日、一昨年北條家により無理矢理隠居させられた前古河公方足利晴氏が同じく無理矢理廃嫡された嫡男藤氏と共に、新たな関東公方足利梅千代王丸殿が御座所としていた鎌倉葛西谷を脱出し、旧来の御座所である下総国古河城に立てこもり反北條の檄を発した事にある。
それに呼応したのは、上野桐生城主佐野氏、下野小山城主小山高朝、下総森屋城主相馬整胤などで、本来であれば味方するはずの古河公方の宿老であり公方奏者でもある下総関宿城主簗田晴助、栗橋城主野田政保、公方御一門幸手城主一色直朝は晴氏を諫めたが、晴氏親子に聞き入れられず結局は北條氏康、足利義氏側に立って古河城を攻撃することとなった。
その戦いには、北條家嫡男北條新九郎氏時殿も参陣するので、小田原城で出陣を見送ったが、まさかそれが今生の別れになるとは、その時は誰も思っていなかった。
古河城を包囲しつつあった十月二十日前線指揮をしていた氏時殿に古河城から射された矢が太股に刺さったのである。その時は矢を抜き手当をして何ともなくいたそうだが、数日後から四肢が痺れ始め舌が回らなくなり、遂には喉が詰まり、体が弓なりに反っていったのである。しかも意識は確りしているため、看病している者達も恐れるほどの苦しさに見えたそうだ。結局あらゆる手当を従軍医師がしたのだが、全く手に負えずに河越城まで帰ってきたところで亡くなられた。
何とも史実通りに新九郎殿がお亡くなりになるんだろう、しかもこの症状から見ても破傷風の可能性が非常に高いじゃないか、この当時の医療技術では、此ばっかりはどうにもならなかった。何と言っても腹の貫通傷とかに馬の小便を飲ませて直すとかしていたのだから。せめて前線ではなく小田原であれば傷口の消毒等でリスクを下げられたかも知れないのに、此ではあの氏政が当主になってしまうじゃないか!
汁かけ飯とかの逸話で愚将というレッテルを貼られてはいるが、実際は手腕は有るが、嫌みたらしい所が自分とは合わないんで此は非常に困った、このまま行けば粛正或いは捨て駒ルートになりかねない、かといって、上杉謙信の越山で向こうに味方しても捨て殺しになるだけだし、やっぱり藤菊丸の家臣ルートにしておくのが無難か。
しかし武田の姫との婚姻はどうするんだろう?史実通り氏政と結婚させるのかな、まあ兄嫁と結婚とか普通の時代だからあり得ると言う事か。何をともあれ、暫くは悲痛な気持ちで一杯だ。
攻城軍側は毒矢にやられたと怒りにまかせて、城を落城させ足利晴氏、藤氏親子を捕らえたのだが、氏康殿は嫡男氏時殿を亡くしたのに、捕らえた2人を政治的な事を考えてか相模国秦野に幽閉するだけにしたけど、本当なら期待の跡継を亡くしたのだから、その心中は自分なんかには判らないが、内心は八つ裂きにしても飽き足らない状態だろう。
天文二十三年十一月二十五日
■相模國足柄下郡 早雲寺 北條松千代丸
兄新九郎の葬儀がしめやかに行われてはいるが、私としては心中穏やかではない、あの活発で朗らかな兄が何故あの様な死を迎えなければ為らなかったのか!北條家四代目を期待されていた兄が、何故あんな場所で死ななければ為らなかったのか、何故あの前公方は蟷螂の斧のような真似をしたのか、政治的な事とは言え、何故父上は奴等を始末しないのかと言う思いがあるが、為政者としての顔がある以上は動けないのは判るが、せめて藤氏だけでも始末した方が後々良いのでは思うが、父も考えに考えた末の事であろうと思うしかない。
しかし、困った。いきなり私にお鉢が回ってくるとは、しかも兄上の代わりに武田家の姫と婚姻せよとも言われるとは、確かに嫡男氏時亡き後後を継ぐのは、私になるはずだが、藤菊丸のほうが品行方正で好かれるように見えるのだが、それに敢えて兄上を引き立てるために、愚物を演じてきた私を何故父上達は跡継ぎに擬すのかが判らん、ここは聞いて見るしかないな。
葬儀が終わり早雲寺の幻庵殿の部屋に案内されると其処には、父上、氏堯叔父上、幻庵老、左衛門大夫(北條綱成)が待っていた。
「父上、お呼びと聞きましたが」
そう言う私を挨拶を聞きながら、父上達は座るようにと無言で示すので、目の前に着座した。
「呼んだのは他でもない、お前の元服と家督、それに武田との縁組みのことだ」
氏堯叔父が座ると直ぐに話し始めた。私としては兄上の葬儀直後の事で嫌な気がするが、此も戦国のならいと思うしかないのであろうか?
「氏時殿が亡くなられた今、松千代丸殿が家督を継ぐが家中の乱れを防ぐ手段じゃ」
幻庵老がそう言うが、家中での私の評判は芳しくない。兄上の為に敢えてうつけを演じてきたのだから、この私が家督をつげは、家中の乱れの元になるのではないか?
「お言葉で御座いますが、私は亡き新九郎兄上に比べ遙かに劣ります。また日頃の言動態度で家中には嘲りや軽く見る者も多々おりましょう。私より藤菊丸の方がよほど、跡継ぎに相応しいかと存じます」
そう言うと今まで黙っていた父上が目を見開いて私の目を見ながら話し出した。
「松千代丸、お前が新九郎のためを思い、態とうつけを演じてきたことは此処に居る者は知っている。本来であれば、儂等もそれを敢えて見て見ぬ振りをしてきた。もう良いであろう、事が事だお前を世継ぎとする事にした」
父上達に気がつかれていたとは、流石父上達だ。しかし父上達が納得しても評定衆は納得するのであろうか?
「評定衆の事なれば、心配することもない。万事この老人に任せる事じゃ」
「幻庵老、頼みますぞ」
「なんの、少しずつ松千代丸の良き点を見せていくことで充分動けるわい」
「どうだ、松千代丸、此でも家督を継ぐのは嫌か?」
父上達には敵わないな、降参しかない。
「松千代丸、世継ぎとして誠心誠意努力することをここに誓います」
父上達の顔が安堵した感じになるのが判る。
「松千代丸、亡き新九郎の名を継ぎ、新九郎氏政と名乗るがよい」
「はっ」
「氏時殿の不幸があったとはいえ、此で北條も又安泰じゃ」
「氏時兄上の分まで北條をもり立てる所存」
「儂等も新九郎殿をもり立てようぞ」
兄上、必ずや北條の悲願を叶えて見せます。何れ其方へ参ります時に緩りと酒など酌みかましましょうぞ。それまで其方でお待ち下さい。
「所で、武田との縁組みのことじゃが」
幻庵老、折角現実逃避していた事を思い出したか。
「そうよ、此は当家、今川、武田との同盟に係わる事、氏政殿には因果を含めて貰うしか有りませんぞ」
叔父上!私の意見は無しか!!
「氏政殿、誰ぞ好きなおなごでもいるのかな?」
左衛門大夫!気になる子とかはいるけど其処までじゃ無いやい!未だ童貞だよ!!
「いや、それは未だ」
「ならば、諦めよ。武田晴信の娘と言えども、お前を取って食らう様な姫では有るまい」
「そうよ、話によると母親に似の美人と申すぞ」
仕方ない、仕方ない、北條家の為、亡き兄上の為に我慢して婚姻しますよ、決して美人だからとじゃないからな、絶対だぞ!!
「判りました。北條家の為、お受け致します」
「それは重畳」
「ようございましたな」
「うむ、氏政、精進せよ」
「はっ」
やっと終わったと思ったが、更に幻庵老の話が始まった。年寄りは長話だからだ。
「氏政殿、つかぬ事を聞くが、余四郎になんぞや遺恨でも有るのか?」
余四郎のことか、ここは保護者に確りと言っておいた方が良いな。
「余四郎に遺恨など有りません。余四郎の活発さ利発さには、私も非常に期待しております。普段であれば藤菊丸の友として充分ですが、余四郎の場合少々他人とは違い大人すぎる考えが御座います。あの人物評価をするが如きの目は、人質の癖にと譜代の家臣に反感を買う恐れが御座いますれば、ここで私が釘を刺す事で、他の者が余四郎に嫌がらせをするようなことが無いようにと考えた次第。しかし松田の嫡男には嫌われたようですが、大道寺の親父殿や近藤出羽などには好かれているのですからな」
「なるほどな、確かに余四郎には他人に無い物を持っている。実際千歯扱きや各種農具など目を見張る事を考える能力がある。それを潰させぬようにと言う訳か」
「はっ、余四郎の伸びしろ未だ未だと存じます」
「氏政、今いきなりは無理であろうが、何れは余四郎ともよく話し合い、お互いに良く知ることをせよ」
「はっ」
「所で、そうなると、余四郎と妙の婚姻には反対ではないのじゃな?」
「余四郎であれば、妙を嫁がせるに不足有りません。願わくば余四郎に少々でも宜しいので所領を与えて頂けませんでしょうか?」
「氏政、それはどの様な為だ?」
「はっ、話に因りますと余四郎は新しき農のあり方や、色々な事を試しているようですが、今の幻庵老の所領での実験状態では些か出来辛いことも有るようです。それならば自らの所領でそれをやらせた方が、良いかと存じます」
「なるほど、それほど余四郎を買っているとは。此は左衛門大夫の様に北條へ婿入りが相応しいか。どうせ三田弾正少弼は四男であるとして捨てた状態。余四郎の折角の提案も皆宿老達と二男三男の反対で実行出来ずにだ。一人野口刑部少輔のみが細々と自領で続けていると有るからな」
「左京殿、いっそ余四郎元服のおりに刑部少輔を召しだし余四郎の宿老に据えてはどうじゃ?」
「幻庵老、それは良い考えだ。兄じゃどうじゃ?」
「うむ、確かに余四郎としても、気心の知れた者の方が良いな。そういたそう」
とんとん拍子で、決まったか。余四郎お前の人生決まったみたいだな。実際の所、心を隠していた俺は、お前が羨ましかったと言う事もあるんだけど、お前を兄弟と認める以上は、俺がお前の後ろ盾になってやる。北條家なら家族兄弟は皆仲良しだからな。けどこき使うから覚悟してくれよな、家族に成る以上はそれ相応の苦労はして貰うぞ。
第拾参話 婚約者が決まりました。
天文二十三年十二月二十日(1554)
■相模國足柄下郡 小田原城 三田余四郎
小田原城では、年も押し迫ったこんな時期に武田晴信長女梅姫と北條氏康次男新九郎氏政の婚儀が行われていた。
本来であれば、今回の婚儀は先頃亡くなった長男新九郎氏時殿が主役のはずであった。又残念な事に、今年四月五日に幻庵爺さんの奥方花様が、七月二十四日には北條氏綱殿後妻で近衛家出身の藤姫様が相次いで亡くなられた。
このために北條家は本来ならば、三重の喪中にも係わらず婚儀をしたことになる。よほど三国同盟を急ぐためかそのまま次男に相手をスライドしての婚儀だった。
まあ、この時代の政略結婚だから相手の顔も知らないでいきなり結婚だし、氏政は十六歳、相手の梅姫に至っては数えで十二歳という小学生状態、まあこの時代の特徴かと思いつつ、人質の俺は1561年に起こるかも知れない長尾景虎の関東乱入時に実家の裏切りでどうなるやら判らないので、嫁までは考えていないのが現状だ。
婚儀の行列は、武田家側は、よほど気張ったのか、郡内領主で武田家重臣小山田信有の弟、小山田信茂以下三千騎、総数一万人という大群で小田原まで送ってきた。小山田信茂と言えば軍記物とかでは武田勝頼を裏切った事で有名だけど、実は北條家からも所領を給付されているという、両属している領主なんだよな。
小山田家としても武田家の家臣と言うよりは独立した領主で同盟者って思いがあるんだろうから、落ち目の同盟者より強力な織田家に鞍替えを狙った訳だが、織田信長にはそれが通じずに、裏切り者として一族処刑されたのは気の毒と言えば気の毒だが、そのお陰で郡内は戦禍に飲まれなかったのは立派な行為とも言える。まあ実際この世界で裏切るかは決まった訳じゃ無いから、松田憲秀の件も有るので変な勘ぐりを見せて警戒されたり、無用な恨みを買うのは止めましょう。
北條家側からは、評定衆であり家老でもある松田盛秀、江戸城代遠山綱景、御馬廻衆桑原盛昌以下二千騎が甲斐上野原まで迎えに参上した。
花嫁の供回りなどの装束も凄まじく豪華で流石武田家とだと皆は言っているが、甲斐の内情を知っている俺にしてみれば、精一杯無茶をしているとしか思えない。
何故なら甲斐では天文十九年に大地震が有って以来、二十年は大干魃、二十一年は凶作で飢饉、二十二年は又干魃、二十三年も大干魃と大風で領民が多数死んでいる。つまり五年連続の大凶作という状態での無茶な婚礼行列というわけで、この資金は侵略で賄っている訳だと思う、去年二十二年八月の小県侵攻も略奪のための出稼ぎだろうな。
婚儀は豪勢に進み俺も参加させられたが、他の人質連中も初めて見たな。他の人質は大半が小田原城内で管理されているからかも知れないが、自由に動ける俺のほうが異常なようだ。幻庵爺さんには感謝だね。
まあ参加したと言っても末席だから、氏政や梅姫の顔を見ることはなかったけど、梅姫ってあれだよな武田晴信の正室三条方の生んだ子だから、まさか公家風メークなのかな。白塗りの眉毛の無い姿とか。おじゃるとか言うのかな?まあ会うこともないだろうから関係無いや。
それより、宴の膳に俺創作の蒲鉾、佃煮、みりん、焼酎、天ぷらが出されて好評なので、その搬入で売り上げUPですー!!人質として実家からの仕送りで生活している身としては、貴重な現金収入ですから、まあ実際は幻庵爺さん家の扶養家族ですけど、その辺は気にしないで良いそうですから、その分の金額は貯めておけとのことです。花婆様のお優しさが思い出されて、ほろりと来ます。
しかし、山國なのは判るし魚介類が少ないのは判るが、武田の随員達は海のものを大変珍しがって食している。しかも見る限りテーブルマナーも無い状態、まあ末端の兵にそれを求めるのも酷と言えるが、もう少し静かに食べようよ。酒かっ食らって、肴貪り食うのは恥ずかしいぞ。
まっあこっちも鯛とか鮑は判るが、海豚は面食らうけど、まあこの時代だし鯨同じと思えば良い訳でチャンと食してます。
宴が終わって爺さんの屋敷に帰ってきてから、町に出ていた兵庫介から聞いた話だと武田家の随行員は一万人全員が正月過ぎまで小田原へ逗留するそうだ。武田晴信め、さては寒い時期の食い扶持を減らすために丸投げして来たな、そう思って幻庵爺さんに聞いたら、笑いながら肯定していた。
曰く『甲斐の飢饉は相当な物の様じゃ、晴信殿としても一万もの食い扶持を得る機会を逃したくはないじゃろう』と言われた、流石北條家の諜報部門の長だ。まあ未だ風魔小太郎には会ってないけど、居るのか不明なんだよな、風魔じゃなく風間出羽守っていうのは居るんだが、人質じゃ判らないのは当たり前だ。
天文二十四年一月二十日(1555)
■相模國足柄下郡 小田原城 三田余四郎
散々飲み食いしてお土産まで貰って武田家の随行員達が帰って行った。そんな感じで何時ものように屋敷で偽本を制作していたら、藤菊丸が近藤出羽守と一緒にやって来た。大部慌てている様子が判るけど何かあったのか?
「余四郎!すまん」
いきなり、当主の三男が傅役とはいえ家臣の前でたかだか人質に頭下げて謝ることはないだろう。
「藤菊丸様いったい如何したのですか?」
「金山のことが親父にばれた」
「はっ?」
金山の事って夢枕のことか?
「先週お前の言った所で金が出たんだよ。それで夢枕の話を聞いた梅姫姉様に話をしをする事に成ったんだが、辻褄が合わないと、幻庵爺さんに見抜かれて、さっきまで爺さん筆頭に親父、叔父貴に搾られて、お前のダウジングの事を言っちゃったんだよ」
うげげー、ばれたら不味い事を言ってくれたもんだ、下手すりゃ武田に狙われかねんぞ!
「私はそんな話知りませんよ。藤菊丸さまの妄想ではないのですか」
「余四郎、逃げるな!!」
「いえいえ、きっと饗宴疲れが出たんですよ」
無視だ、トコトン無視だ。ここで認めたら負けだ!!
「無視するな、もうすぐ親父達がここに来るんだよ!!」
げっ、惚ける訳にも行かないと言うことは、狩りに行けばいいんだよ。
「あっそう言えば、此から山へ芝刈りに行かないと」
「何おとぎ話を言ってるんだ、桃太郎でも拾いに行くのかよ」
「いやいや、山で芝刈りのついでに蟹・臼・蜂・糞・卵・水桶等を家来にするんだよ」
「猿蟹合戦じゃないか!」
「いやいや、家の方じゃ犬猿雉じゃない桃太郎も伝わってるんだ」
「へー、其れは初めて聞いたな、って誤魔化すな!!」
「余四郎殿、もう手遅れですぞ」
出羽守の言葉に耳を澄ませたら、幻庵爺さんの声が聞こえるわ、逃げ損ねた!!
「藤菊丸、余四郎、其処に直れ」
氏康殿の野太い声に2人して畏まりましたよ、そりゃ戦国の名将ですよ逃げられる訳無いじゃないですか。
「はっ」
「はい」
氏康殿氏堯殿幻庵爺さんが揃って前に座って、出羽守は外へ出て廻りを警戒しているようだ。
「さて、先週だが、伊豆の土肥と瓜生野で相次いで金の鉱脈が発見された」
ここはおめでとうと言っておかないと。
「おめでとう御座います」
「そうだな、我が北條家としても慶事が続くことだ。しかしな、その発見が藤菊丸の夢枕に早雲様がお立ちになったと言う事だったが、梅姫が是非その話を聞きたいと申して、藤菊丸に話させたが、どうも辻褄が合わないのだ、余四郎はどう思う」
氏康殿の質問は真面目顔だし、氏堯殿と幻庵爺さんも真面目顔だ。ここは確りと意見ををしなければ。
「若輩者の意見で御座いますが、藤菊丸様は夢枕にての事であれば、記憶違いも御座いましょう」
「なるほどの、記憶違いか、それも確かにあろうな」
よっし、全て旨く行け!!
「そうじゃな、左京殿、藤菊丸が寝ぼけたのであろう」
幻庵爺さんナイスフォロー!
「兄者、そうしておいた方が良いかも知れん」
「そうするか。余四郎よ。藤菊丸が寝ぼけたのだな」
「はいそう思います」
よっし、勝訴だ!!
「と言うと思うか!金山の事として藤菊丸が余四郎の商売の売り上げの一部を受け取っていることなど、既に小太郎が把握済みじゃ」
「小太郎曰く、風魔を舐めて貰っては困るとの事じゃ」
爺さんからのカミングアウトだ!!風魔小太郎居たのかよ!!それも密かな事もばれてる!!って藤菊丸も相当やばそうだ、目が泳いで居るぞ。
「余四郎のダウジングとやらで金山を予想したことはもう判っている。しかし儂等としては、甚だ不味い事にも成りかねない事でな、梅姫に伝わったと言う事は判るであろう」
もう仕方ない、真面目に行かないとか。
「武田家に知られたと言う事ですか」
「その通りだ、其処で余四郎の力が知られれば、お前の身も危なくなろう、晴信は強欲な男だ、間違えなくお前を攫うぞ」
「父上同盟相手をそれほど悪し様に言うのは何だと思いますが」
藤菊丸の言葉に氏康殿は苦い顔をして話し出した。
「藤菊丸、この戦国の世、親兄弟といえ殺し合うのが普通だ。家督争いが起こらない我が家が珍しいだけで武田も今川も皆兄弟親子で殺し合っているのだ。ましてや同盟相手や義兄弟さえ騙し討ちにする武田晴信を信じる事自体狂気の沙汰よ。今はお互いに向かう先が違うからこそ良いが何れ牙を向けてくるかもしれんのだ。精々利用してやるぐらいの気持ちで行かんと寝首を掻かれるぞ」
「そうよ、兄者の言う通りだ。敵なら敵と叩き潰せるが、味方ではどうしようも為らんからな、苦戦中に背中から刺されたら堪らんぞ」
「世は海千山千と言う事じゃ」
藤菊丸を教育するようにありがたい言葉を言う三人。鉾先が此方に来る前に終わって欲しいが、無理でした。
「さて、余四郎。今回の事や鉄砲の改良と鉄砲を担ぐための擦輪具の開発、塩田などの博識を見せて居る。このままお前を放置することは、北條家としても看過できないことになって来た」
うげー頸ちょんぱの可能性か、やはり北條は怨敵だ!!
「其処で、今回の金山のことは、既に小田原中に小太郎の手の者により藤菊丸の夢枕の話を広めさせているので、余四郎のことがばれる心配は無用じゃ」
ありゃ、少し違うのか、幽閉か?
「そうよ、知っているのは、兄者、俺、幻庵老と小太郎だけだ。のう小太郎」
そう氏堯殿が言うと障子を開けて近藤出羽守が入って来た。
「叔父上、出羽はどうなのですか?」
藤菊丸が質問するが、俺もそれはそう思うぞ。出羽守も聞いてるじゃないか。
「ハハハ、本物の出羽殿は今日はお風邪を召されて屋敷で寝込んでおりますぞ」
出羽守が笑い出した。と言う事は、此が風魔小太郎か?
「小太郎、見事な物だ」
「はっ、お褒めに預かり光栄に御座います」
うちら二人はポカーンですよ。スゲーぞ風魔小太郎!!
「小太郎、紹介しておこう、藤菊丸と三田余四郎じゃ」
「はっ、藤菊丸様、お初にお目にかかります。風魔小太郎で御座います。普段は別の名で奉公しております故、素顔は勘弁して頂きます」
「あ、ああ、藤菊丸だ宜しく」
「余四郎様、風魔小太郎で御座います。」
「此はご丁寧に、三田余四郎で御座います」
「余四郎様とは、一別以来でございます」
「えっ。何処かで会いましたか?」
「勝沼で黒板を買い求めました商人が拙者でして」
「ああ、あの小田原から来た」
「覚えて頂いておりましたか」
「はい。あれほど評価して下さった方は居ませんでしたから」
「あの時は、余四郎様の調査をしていた訳です」
なるほど、あの頃から目を付けていた訳か、情報駄々漏れジャン!
「そう言う訳で、我らが余四郎を人質に求めたのは、余四郎の才能を買ったからと言う事だ」
「その通りだ、最初は半信半疑だったが、色々見ていて感心することばかりであったからな」
「従って、北條家としては、お前を金輪際、実家へ差し戻す気は無い」
「それどころか、余四郎には妙の婿に成って貰う事が決まっている」
はぁっ!!!!妙姫って確か史実では千葉親胤に嫁ぐんだろう!!!それが俺の嫁ですか!!!しかも北條一門入りですか!!!どうするんだよ!!!ドラ○もん何とかして!!!
「良かったな、余四郎、此で名実共に兄弟だ!!」
藤菊丸が喜んで俺の肩をバンバン叩いて痛いが、そんな事はどうでも良い、どうすんだよー!!!
「其処で、来年早々余四郎の元服と妙との婚姻を致す」
「余四郎には三田姓を捨てることはせずとも良い、未だ未だ家中には他國衆に北條の名を名乗らすを良しとせん者も多いからじゃ」
「それと、余四郎には台所領として相模酒勾村三百八貫を与える事とする」
えっと其処って実家に加増されてませんでしたっけ?
「酒勾村だが、先年弾正少弼から、余りにも所領より遠すぎるとの申し出で領地替えを行い、入間郡内に替え地を与えた」
あちゃ、遠いからって海に面した良好な土地を捨てるんか、実家マジ遅れてる!!
しかも三百八貫って近藤出羽守の所領が百五十貫ぐらいだから倍だよ。しかも三百八貫と言えば江戸時代の石高だと一貫四石ぐらいだから千二百三十二石、台所領としては凄いぞって喜んでいる訳にも行かないが、婚姻は決定だろうな。Orz
「従って、今日より余四郎は妙の婿として扱う故、その旨を承知せよ」
頭下げて、諦めモードです。藤菊丸の喜ぶ様が恨めしく思えます。
「所で、そのダウジングとやらを見せてみよ」
「はっ」
もう矢でも鉄砲でも持ってこい!!!
と言う訳で知っている秩父鉱山とか和銅鉱山とかの位置を占いましたよ。それに水銀アマルガム法を書いた偽書とか技術チート本も提出しました。技術チート本は沢庵和尚の受け売りとしてしましたけどね。大秦の話がシルクロード廻りで来たとか、ソグド人の安一族の本からの知識とかと言う形で偽書を作りまくってましたから、その辺の提出でOKでました。
あーーー父さん母さん、人生って面白いか?北條綱成ルートってどんな無理ゲーだよ!!坂東太郎と戦うのか俺が!!あんな化け物相手できるか!!ああ一騎当千の家臣が欲しい。それに我が子房よ何処に居る!!
前田慶次郎とか竹中半兵衛とかが切実に欲しいぞ!!!
第拾肆話 宿老は向こうからやってくる
天文二十四年一月一日(1555)
■武蔵國多西郡勝沼城 野口刑部少輔秀政
北條家に他國衆として仕えている三田家でも新年の宴が行われている。
「皆良く来てくれた。今年も良き年であるように」
三田弾正少弼綱秀の言葉に合わせて、列席していた一族郎党が挨拶を行う。
「殿、今年もよろしくお願いいたします」
「さあ、ささやかではあるが、皆も楽しんでくれ」
三方に乗せられた、料理が運ばれそれぞれの前に運ばれると各々が酒を注ぎながら舌鼓をうつ。
皆が皆新しい年を祝っていた中で一人、私のみがある事を考えながら参加していた。それは余四郎様の新しい考えに理解を持つ者の少なさを嘆いていた事と、昨年末に主君弾正少弼に相談された事を。
『殿お呼びと聞きましたが、如何されましたか?』
『うむ、形部、儂は来年早々隠居し十五郎に家督を譲ろうと思う』
『そうでございますか』
『喜蔵と五郎太郎が何かにつけて十五郎に対抗心を見せておる。このままでは騒動になりかねん。只でさえ我が家は微妙な位置にあるのだから』
『確かに、管領様(上杉憲政)は越後で御座いますし、公方様(関東公方)のお家も騒動の最中。それに比べて北條は今川武田と盟約を結びました』
『そうよ、このままで行けば、間違えなく北條が勝つであろう。ここで家を割れば何処かしらに付け入られかねない、其処で隠居することにした』
『判りました』
『其処で、お前には余四郎の元へ行って貰いたい』
『殿、それは・・・・』
『お前が我が家の為にしている事も判るが、家中の反発が多すぎる。それに此処に居てもその才を活かせまい、余四郎は来年にも所領持ちになる』
『・・・どう言った事でしょうか?』
『儂が、遠いからと酒勾村三百八貫を返上したのも北條との話し合いの結果よ。それをそのまま余四郎に渡す事になっておる。そして、余四郎は氏政殿の馬廻りとして仕えることと成っている。此で何が有っても三田家は残る訳だ』
『殿、其処までお考えとは』
『其処で幼い余四郎のためにも宿老が要ろう。余四郎を良く知るお前ならばと思ってな。すまんが余四郎の元へ行ってくれぬか?』
余四郎様を余り物と言いながらも、その才気を惜しんだ結果の考えと思い、更に家中の軋轢を考えればと承諾する気になった。
『それに北條側からも、お前を余四郎の宿老にという話が来ているのだ』
田舎の一領主の家臣の動向まで把握しているとは、北條家の耳の良さに驚きであった。
暫し考えた末、承諾することにした。
『私が隠居し、余四郎様の元へ行くとして家督を嫡男金右衛門に継がせて頂けるのですね?』
『無論だ、金右衛門にはお前と同様、宿老として勤めて貰う』
『はっ、それならば、心置きなく隠居し余四郎様の元へ行くことが出来ます』
『頼んだぞ』
『御意』
『其処で新年の宴で隠居と十五郎の家督相続を伝えるが、お前にはその際の旗振りを頼みたい』
『お任せ下さい。この野口刑部少輔秀政一世一代の大演技見せて見せましょう』
『頼んだぞ』
その様な回想をしている最中、殿が皆に話し始める。
「皆に話したいことがある。儂ももう六十五じゃ、流石に年を取りすぎた。其処で、今日をもって儂は隠居し家督を十五郎に継がす事にした。皆良いな」
殿の有無を言わせない言葉に皆が文句を言えない状態だ。元々十五郎様はお優しき方なれば家中の不満も少なく、精々喜蔵様と五郎太郎様の側近が騒いでいるだけであればすんなり決まる。そして私の出番も来た訳だ。
「殿、未だ未だお若いのに隠居など」
「形部、決めたことだ、口出し無用ぞ」
私が率先して隠居反対と十五郎様の家督相続を反対することで家中を纏まらす。
「しかし、十五郎様は未だ未だ未熟で御座いましょう」
「形部、十五郎も既に三十じゃ、最早未熟と言えん」
「嫡男相続も宜しい御座いますが」
ここで、他の子供も居るではないかという感じで話しかける。
「それでは、お前が後見する余四郎にでも継がせよと言うのか!!」
「其処まで・・・・」
「ええい!一宿老が其処まで言うとは其処に直れ!」
殿が切れた振りをする。
「まあまあ、殿。形部もお家のことを考えてのこと、お許しくだされ」
事情を知る、殿の従兄弟三田三河守綱房殿が素早く話に入ってくる。
「父上、私が不甲斐ないために、形部もお家を考え諫言したのです。私が確りすれば良いだけですので、形部をお許しください」
同じく、事情を知る十五郎様も素早く話しかける。これで十五郎様の意志の強さが判って貰えたはずだ。
「うむ。三河と十五郎に言われては仕方ない。形部、差し出がましい言葉を許して使わすが、暫く出仕擦るに及ばず」
「御意」
ふう、此で心置きなく隠居できる。
天文二十四年一月十四日
■武蔵國多西郡勝沼城
三田家では、宿老野口刑部少輔秀政が隠居を願い出たことで憶測が流れていた。
「やはり、十五郎様の家督相続を反対したからだろうな」
「噂では、余四郎様に家督を譲るように願い出たとか」
「いやいや、単に痛風が辛いだけという話も」
「どれも出鱈目だ、単に居づらくなっただけだ」
等々、話が流れるが、殿からの命で隠居したため、それ以上の話があがることなく萎んでいった。
勝沼城の奥座敷では隠居の綱秀、三河守綱房、弾正少弼綱重が野口刑部少輔秀政と秀政嫡男金右衛門と話していた。
「秀政、すまんな」
「いえいえ、三田家の為、この程度のこと」
「私のためにすまんな」
「弾正様の御代を小田原で余四郎様と共に楽しみに致します」
「綱重殿、余四郎殿に笑われないようにせねば為らんな」
「叔父上」
「さて、綱重最初の仕事だ」
「はっ父上」
「さて、野口刑部少輔秀政、そちの隠居と嫡男金右衛門の家督相続を認める。されに伴い金右衛門には父との同じ刑部少輔の官位と儂の偏諱与える。此よりは野口刑部少輔重政と名乗り宿老として儂に仕えてくれ」
「御意」
「では、殿、私は明後日小田原へ向かいます」
「うむ、秀政、余四郎のこと宜しく頼むぞ」
「儂からも頼みますぞ」
「はっ」
「殿それと、余四郎様の産物を作って居た職人達が一緒に小田原へ行きたいと申しているのですが、如何致しましょうか?」
「ふむ、此処に居てもその販路も出来ぬか」
「父上、余四郎への餞別に移住を認めてやりましょう。嫌々居ても宝の持ち腐れになりますし」
「そうじゃな。秀政、共に向かいたいという職人達は連れて行くことを許す」
「はっ」
天文二十四年一月十六日
■武蔵國多西郡勝沼城
「そうか、形部は小田原へ向かったか、此で邪魔者は居なくなったな」
「それに兄者は入間郡で二百貫か」
「そう言うお前も入間郡で百二十貫でないか」
「父上もあんな遠い場所を捨てて代わりに我々の為に新地を此ほど近い位置へ受けたのだからありがたい事よ」
「ほんに、小田原に近いとはいえ、遠すぎて何もできんからな」
「兄上も次男としての活躍を期待されている訳だな」
「確かに家督を継ぐことは出ないが、十五郎兄は子が未だに居ないと言う事が俺の二百貫の所領の意味だろう」
「つまり未だ未だ、相続の可能性が有る訳だ」
「それに、余四郎は形部と共に遙か小田原だ」
「それに内分所領とはいえ、このお陰で自分の兵を持てるからな」
「動きやすくなったな」
「兄者は誰を宿老にする?」
「やはり塚田又八は、はずせんな」
「兄者に取られたか」
「はは、早い者勝ちだ」
天文二十四年一月二十七日
■甲斐國古府中 躑躅ヶ崎館
躑躅ヶ崎館に北條家に嫁いだ梅姫のお付きとして潜入した武田家の女透破からの情報が上がってきていた。
「伊豆に金脈が見つかったとは」
「御屋形様、いよいよ北條も金山を持つ訳ですか」
「そうなる、こうなると北條へ高く金を売りつけることも出来なく成る」
「では、その坑道を潰しますか?」
「いや、それは止めておこう。下手に当家の仕業と判れば、又ぞろ戦になるわ。今は北信への侵攻が大事だ」
「はっ」
「それより、笑えんな。氏康の三男坊主の夢枕に早雲が立って金山の位置を教えるとは」
「小田原中その噂で持ちきりで御座います」
「噂を流しているのは風魔であろうよ」
「そうなりますと」
「夢枕など、戯れ言よ。あんな伊勢氏崩れの早雲坊主如きが枕元に立って金山を教えるぐらいなら。由緒正しき清和源氏の名門武田家当主である儂の元へ義家公、義光公が現れない訳がないではないか」
「左様ですな」
「大方、よほど腕の良い山師が居るのであろう。その者を我が家に連れてくれば相当な産金を期待できよう」
「確かに、そうで御座いますな」
「勘助、恐らく北條は今後も伊豆での鉱山開発を進めるであろう。その中にいる山師を捜し出すのだ」
「はっ」
「しかし、氏康と比べて氏政という男は、噂通りのようだな」
「はっ、虚けとの噂御座いましたが、まさにその様で御座います」
「そうよ、此が死んだ氏時であれば、些か不味かったが、良いときに死んでくれたわ」
「真、あれほどの幸運は御座いません」
「そうよな、氏政が当主に為れば、北條を旨く操れようぞ」
「氏政殿には是非此からも虚けのままで居て頂きたいですな」
「ハハハ、そうよな」
「それにしても、このほうとうと佃煮と言う物は旨いな」
「ほうとうは、体が芯から温まりますし、佃煮は保存性が良いようです」
「此は軍用食として非常に優れている」
「確かに」
「我が家でも早速採用する事にせよ」
「はっ」
天文二十四年一月
■越後國頸城郡 春日山城
長尾家でも新年の宴が行われ、当主長尾景虎が大酒を飲みながら考えて居た。
揚北衆も相変わらずだし、長尾家臣団と上杉家臣団の確執も未だ収まらん。更に上田の政景の事も有る。更に武田晴信か、一昨年小笠原、村上が潰えた今、越後の下腹を突かれるのは不味い。ここは高梨政頼に暫し頑張って貰わないと駄目だ。
そうなると、御上に頂いた私敵治罰の綸旨が効いてくる。晴信めお前の好きにはさせん!
しかし憲政殿をどうするか、頻りに関東出馬を薦めてくるが、足下も固まらん内から動く訳にも行かんし。それに今は未だ時期が悪い。しかしこの俺が関東管領か、親父が以前殺した関東管領上杉顕定の事も有るのに俺にとは、憲政殿はよほど伊勢が憎いらしい、我が子を助けて貰いながらも、あれだけの怒りだ。死んでいたらどうなっていたか。
しかし、管領職をアッサリ手に入れられるかどうかは未だ判らんな。いくら憲政殿が管領職を譲ると言っても関東管領職は都の公方様に任命権があるのだから、私承と言われるだけだ。継ぐならば、又都へ行き今度こそ公方様に会い任命されなければ為らんな。
それに憲政殿とて龍若丸の成長を見れば、我が子に管領職を継がせたいと思うかも知れん。それに正当な後継者が居る中で儂が継いで管領の家臣が納得するかが問題だ。今でさえ越後守護家家臣と長尾家家臣が啀みあっているのだから、何れにせよ暫し伊勢は様子見とするしか有るまい。
そのうえ猿千代の事もある。儂はあれが元服するまでの繋ぎ、そのせいで長尾家臣ですら儂派と猿千代派に別れている状態だ、余りに家臣共の確執が高いならば、出家し隠居すると脅して見るのも手か、そうすれば家臣共も纏まるであろうし、慌てた憲政殿も泣き着いてくるはずだ。まあ暫し様子を見る事も寛容だがな。
天文二十四年一月
■駿河國府中 今川館
今川家でも新年の宴の後、早川殿と言われるようになった綾姫が弟竹千代丸と遊び相手の三河岡崎城主松平広忠嫡男松平竹千代に餡蜜、心太、蕎麦など色々な物を作ってあげていた。
「竹千代丸殿、此は甘くて美味しいですね」
「此は、餡蜜って言うんだ、寒天と餡を使った物だよ」
「ふむ。北條家はこんな凄い物を」
「いやいや、此は、兄のような方が作ったんだよ」
「ふむ、その方は?」
「余四郎殿って言って、三田家からの人質なんだけどね。凄くいい人なんだ。あの碁反とかも余四郎殿の発明なんだよ」
「その方は凄い方なんですね」
「そうだよね」
「一度お会いしてみたいものです」
第拾伍話 新たなる企み、幻庵爺さんもどん引き
天文二十四年一月二十五日(1555)
■相模國足柄下郡 小田原城下
青梅を出た野口秀政一行の内訳は、野口秀政、妻お冴、三男金四郎、長女お吉、次女お光、その他家臣達と下男下女で二十人、職人達は十家族五十二名であった。
既に北條家には連絡を着けているが、余四郎を驚かそうという事で到着事態を知らせないようにされていた。無論余四郎の所領拝領は知っていたのであるが、婿入りまでは知らされて居ない状態で有った。
「ふう、やっと着いたが、思った以上に開けた町だ」
「そうですね、勝沼が田舎の小城のようですわね」
「さて、儂は氏康様に呼ばれているから行ってくるぞ」
「はい。お気お付けて」
「うむ、お前達は暫しここで寛いでいるがよい」
「はい」
小田原城の門番に来訪を伝えると直ぐさま城内にある屋敷へと通された。
其処で待つこともなく、直ぐに北條氏堯が現れた。
「野口刑部少輔、よう来てくれた」
「はっ、氏堯様にはご機嫌麗しく」
「ハハハ、堅い挨拶は無用だ」
「はっ」
「直ぐに御本城様もおいでになる」
「はっ」
その様なやりとりの後、北條氏康が現れる。
「野口刑部少輔、よく来てくれた」
「左京大夫様にはご機嫌麗しく」
「うむ」
その後は氏堯が話を取り仕切る。
「刑部を呼んだのは他でもない、余四郎殿の元服と所領授与そして、嫁取りの事だ」
嫁取りだけ勿体ぶって後から伝えた所が、氏堯の茶目っ気と言うところである。
嫁取りと聞いた瞬間、刑部は驚いた。
「余四郎様に嫁をと言われますか?」
「そうだ、この度余四郎殿の当家への貢献を鑑み、御本城様御三女妙姫との婚姻を致す仕儀と相成った」
氏堯の言葉に益々驚く刑部。それに氏康自身が話し始める。
「刑部、余四郎は我が北條にとってかけがいのない者に成りつつある。強いて言えば左衛門大夫に匹敵するぐらいのな、其処で我が娘妙と娶らす事にした」
流石に氏康自身からそう伝えられた以上本当だと判り、更に余四郎様が其処まで買われているとはと、喜びが湧いてきていた。
「はは、主君弾正少弼も喜びまする」
「其処で、余四郎には当面は新地三百八貫を当面与えるが、来年早々の元服と婚儀の際に更に引き出物として更に所領を与えるつもりだ。刑部は余四郎の筆頭宿老として仕えるようにせよ」
「御意」
「御本城様より、野口刑部少輔秀政に、相模西郡桑原郷、成田郷にて百貫を与える」
「ありがたき幸せ」
「刑部頼むぞ」
「御意」
「さて、屋敷に案内させよう、余四郎殿に会いたいのは山々であろうが、明日に致せ。まずは皆の旅の疲れを癒してから会うようにせよ」
「はっ」
天文二十四年一月二十五日
■相模國足柄下郡 小田原城下
そんな事とは露知らず、結婚により北條一門に強制編入と言う事実にショックを受けながらも、やっとの事で復活した余四郎は、死亡フラグを叩き折るために動き出していた。
「幻庵様、ご相談が」
「なんじゃ、改まって、普段のようにせんか、それでは気持ちが悪いわい」
「それじゃ幻庵爺様が諜報部門の総責任者であることは、風魔小太郎殿とのやり合いで判りました」
幻庵は眼を細めて眼光が鋭くなる。
「それが何か有るのか?」
「はい、現在の諜報ですが、連歌師や僧侶などを使っての事でしょうが、それ以外の方法はしていないのでしょうか?無論風魔は居るでしょうが、色々話を風の噂で聞きました故」
「うむ、普通であれば教えぬ所じゃが、お主ならば気づくであろうから言っておくが、風魔は焼き働きや戦闘行為には向いておるが、諜報に関しては些か心許ない状態じゃ。それがどうかしたのか?」
「はい、風魔が心許ないのであれば、別の者を使うのも一興かと思いまして」
「他の透破を雇うというのか、伊賀者が動くと言うが、それは風魔の手前難しいぞ」
縄張り上絶対無理だと幻庵はそう諭す。
「いえ、伊賀者や他の透破を雇うのではなく。風魔一族として新たに育てるのです」
「しかし、そう簡単に透破の一族は増えんぞ」
「いえ、戦闘などを重点にするのではなく、情報収集を重点とさせるのです」
「うむ、それならば、僧侶や連歌師で事足りるので無いか?」
「確かにそうかも知れませんが、世の中誰でもその点に関しては気がついておりましょう。流れの僧侶では中々中心部まで入り込むことも難しいと思います」
幻庵は余四郎の言葉を正鵠を得ていると考えた。
「では如何する?」
「はい。この世界には怪しまれずに行き来できる人々もおります」
「ふむ、してどの様な者達を考えておる?」
幻庵も興味津々で聞いてくる。
「はい。歩き巫女を利用しようかと思います」
「歩き巫女じゃと、確かに彼女たちは全国を渡り歩いている。しかも戦場へ来ても何の不思議もないか」
「そうです。巫女とはいえ実際には売春もする存在もおりますので、各地を歩いてその地方の情報の収集や、戦場へ行き抱かれながらの収集など、さらには見目麗しい者達は大名や有力家臣の妾になり情報の中枢まで入り込むことも可能です」
幻庵にしてみればそう言う事があったかとの思いであったが、手放しで賛成する訳にも行かない危惧があった。
「確かに歩き巫女なれば、それが可能であろうが、風魔一族の数が限られていて、それほど歩き巫女に成るべき人材は居ないぞ。その辺をどうするのじゃ?」
「はい、その辺も考えて有ります。今は乱世です、巷には孤児や捨て子などが山ほど居ります。それらを集めて幼い頃より教育(洗脳)を行い完璧な人材を育て上げればいいのです。確かに時間はかかりますが、よそ者の透破を雇い裏切られるよりは、遙かにマシかと思います」
余四郎の言葉に思わず絶句する幻庵、齢六十を超え、北條家情報部門の長として長年生きてきた自分も未だ未だ未熟だと感じた。そして、余四郎こそ儂の後を継ぐべき人材だと言う事を完全に確信したのである。その為更に教育が厳しくなるのは、この後の話だが、余四郎自身の死亡フラグ折りが、更なる苦労を背負わせる結果になるのは、不幸を呼ぶ体質なのか?それとも態々危ない方へ飛び込みたくなる性格なのか?どうなのかは神のみぞ知る状態と言えよう。
「確かにそうじゃ、僧侶などの男では警戒されるが、おなごであればさほど警戒されない。盲点であった。しかし余四郎もとても元服前の小童とは思えんな」
そう言う幻庵を見ながら、悪戯がばれた子供のように余四郎が答える。
「良い教師(幻庵)様が居ますからね」
「ハハハ、言うわ」
余四郎が提案した歩き巫女であるが、史実では武田信玄が望月千代女に命じて組織化したもので有るが、その始めは、永禄四年(1561)に起きた第四次川中島の戦いで千代女の夫望月盛時が討ち死にした為に未亡人に成った事が原因の一つと成っている。
また千代女は甲賀流忍者を構成する甲賀五十三家の筆頭で上忍の家柄出身であり。彼女の忍術の腕を買った武田信玄が、彼女に命じて組織させたのが、歩き巫女であるから、この時点ではその影すら無い状態である。つまりは後出しジャンケン状態だが、先にやった者勝ちなのは何処の世界でも常識である。
「うむ、此は左京殿や小太郎とも相談しなければ成らんが、儂としては進めたいの」
「はい」
「その顔は未だ未だ話があるようじゃな」
「幻庵爺様には敵いません」
「フフフ。良いわ、聞こう」
「はい、他には酒匂川の治水、農政に関する事、新たな産物の作成、経済に関すること、飢饉対策に対する事、兵に関する事、そして外交に関する事などです」
「これは、流石に多いの」
「北條一門に連なる以上は、やれることをやりたいのです」
「そうか」
この辺が、出し惜しみする事が嫌な性格が出ているが、考え様によっては完成後にお払い箱に成りかねない危険もあるのだが、前世の平和惚けが未だ残っているのが厄介かも知れない。まあ幻庵も氏康も氏政も排除なんぞ更々考えていないから、良いのであるが。主君が武田信玄で有れば、ほぼ間違いなく粛正の対象に成ったであろう。
「治水についてですが、この図をご覧ください」
そう見せた図面には連続する堤ではなく隙間を開けて上流側の堤防が下流側堤防の堤外(河川側)に入れ込んでいる堤防があった。あらかじめ間に切れ目をいれた不連続の堤防が主。不連続点においては、不連続部周辺の堤内(生活・営農区域)側は、遊水池と書いてある。
「うむ、此では、洪水の時水が侵入するのではないか?」
「はい、此は霞堤と言いまして、態と隙間を空け、その堤内側は予め浸水を予想されている遊水地として、洪水時の増水による堤への一方的負荷を軽減し、決壊の危険性を少なくさせる物です」
「うむー」
「更に、洪水の水には上流の肥沃な土砂が入っています。それを海に流さずに有効的に土地の肥沃化に利用できます」
「しかし、大量の水が来た際にはどうする?」
「それならば、霞部に真竹を密に植栽し水害防備林を作り、洪水時には土砂を竹林内に沈殿させ、水だけを流して被害を軽減させれば宜しいかと」
「なるほど、竹ならば根を張り強いからな」
「更に元々、遊水地に浸水させる目的があるので、堤は高く無くても良く。堤に切れ目がある為、増水した川の水をそこから堤後背の遊水地へ逃がせます。その後、水位が下がれば、逆にその切れ目から速やかに排水が行われます。他には、上流の氾濫を下流の霞堤で吸収することが出来切ることで、被害軽減に有用なのと、平時において周辺田畑や排水路の排水が容易に行える事です」
余四郎の博識に大いに驚く幻庵。
「うむ、此は実験してみるのが良いか。余四郎の所領である酒勾村は丁度良い位置じゃ。お家の資金で実験してみると良い」
「はい。ありがたいです」
「よいよい。此で成功すれば、関東各地で河川に霞堤を築き洪水から護る事も出来るからな」
この霞堤も武田信玄のパクリであるが、信玄が霞堤を作り出したのが、弘治年間(1555~1557)と言われているので、此も先取りである。
農政に関しては、新規植物の栽培等であったが、新しい物としては煙草の栽培を試験的に始めるという物もあった。秦野と言えば煙草という前世の知識が有った事は確かで有る。それに伴い煙草を堺などへ輸出する事も示された。
「煙草だけではなく、真珠の養殖が出来ることが判りました」
「なんと!」
「この唐から来た文昌雑録の一部にあったのですが。この近海にも住む阿古屋貝という貝の肉に他の貝より削りだした玉を植え込むと、それに貝の裏側の光る部分と同じ部分を巻き付けていくそうです、そして数年で立派な真珠に成るそうです」
「それが真ならば、凄まじい資金に成る」
「実験してみたいのです」
「判った。何処で行うか?」
「なんでも、この本には阿古屋貝は透明度の高い内湾で育てるのが良いとあります」
「判った、それに適した湾を探そう。恐らくは伊豆が良いであろう」
「お願いします」
そして、経済に関しては、非常に画期的な事案と成った。
「経済ですが、現在銭が不足がちです。何故なら我が国は遙か過去に貨幣を発行して以来全て大陸からの輸入に頼ってきたからです」
「確かにそうじゃ、それに鐚銭も多くて困っておる」
「其処で、鐚銭2枚~4枚が精銭1枚と交換されている事を利用します。まず銅地金を輸入または各地の鉱山から集め、小田原辺りに銭座を作ります。其処で永楽通寶を北條家自ら製造します。それにより質の良い永楽通寶を発行し、鐚銭と精銭を交換して、鐚銭を回収後鋳潰して再利用します。そうすれば、鐚銭の数が減り精銭の数が増えていきます。制作には腕の良い飾り職人や鋳造職人を雇えばいい訳ですから、それに仕える徒弟として孤児を使えばさらに良い結果になります」
「なるほど、それは良いかも知れない。さすれば、貨幣不足も鐚銭問題も解決しそうじゃ」
この新規鋳造だが、茨城県で大規模な永楽通寶の鋳造施設が発掘されたことを覚えていたからこそ考えついたのである。
「それと金山開発で、武田を筆頭に我が家の山師を捜すと思います」
「儂も、同じ意見じゃ、晴信が夢枕の話を信じるとは到底思えん」
「其処で、偽の山師を風魔に成って貰いましょう」
「それは良い考えじゃ。名前は何と致す」
「そうですね、大久保長安とかはどうでしょうか?」
「なぜその名前じゃ?」
「何となくです、鉱山とは大きな窪地を作る、そして長く安泰にいて欲しい物ですから」
「ハハハ、トンチか。それは良い、左京殿と話して決めよう」
「はい」
飢饉対策では、元々行い始めていた義倉に次いで、兵糧丸の作成と備蓄を提案し幻庵も金山発見で資金的な余裕が出来たため、氏康殿も反対しないと太鼓判を押した。
「幻庵爺様、さっきの歩き巫女ですが」
「なにか思い出したか?」
「いえ、歩き巫女はおなごですが、世に捨て子や孤児はおなごだけではありません」
「ふむ、男児をどうするかと言う事か」
「はい、男児もほっておけば、厄介です」
「ならばどうする、男では巫女になれんぞ」
「其処で、北條家の予算で孤児や捨て子を育てる場所を作ります」
「なんと、その様な無駄できんぞ」
「いえ、無駄にはさせません。これは極めて悪辣ですが、宜しいでしょうか?」
「最早、腹は括ったわ」
「では、幼い頃より北條家への恩義を教え込み(洗脳)読み書き算術を教え込みます。優秀な者は文官として、力のある者は武官として取り立てます。更にどちらにも成らない者は、兵とします」
「なんと、それは」
「はい、極めて悪辣な人非人的なやり方ですが、天竺より先のオスマンという国にはイェニチェリとか言う精鋭の常備兵が居るそうです」
「そのイェなんとかが、同じ様にしていると言う訳か」
「はい、大秦より来た書物にその様な事が書いてありました」
「うむー、確かに、凄いことだ」
「それに、足軽共は勝ち戦ならいざ知らず、負ければ蜘蛛の子を散らす様に消え去りますが、彼等は最後まで踏みとどまって戦闘をするそうです。それに足軽のように略奪三昧な行動を取りません」
「うむ、足軽共の規律の無さは儂も頭が痛いが」
「其処で、十年以上はかかりますが、歩き巫女と、常備兵を対にして行えばと思いました」
「なるほど、此も左京殿と相談してみようぞ」
「はい、最後に外交ですが」
「それはさほど差し迫った事は無かろう?」
「いえ、何れ絶対来るであろう、帝の崩御についてです」
「帝か」
「はい、今の帝の財政は後柏原帝崩御の際に大喪の礼が資金不足で長々と延期され、今上帝も即位に十年も掛かるという体たらくです」
「確かにそうじゃな、幕府政所執事の伊勢家も金がないとぼやいて居るわ」
「伊勢家と言えば、早雲様のご一族ですね」
「そうじゃ、早雲様は伊勢家の分家備中伊勢家の出身だが、若き頃足利義尚公にお仕えしていてな、その後今川へ下向したのじゃよ」
「なるほど、長尾などよりよほど家格は上ですね」
「そうよ。同じ平氏でも彼方は坂東平氏、此方は伊勢平氏じゃ嫡流は此方よ」
「なるほど」
「さて、それで帝のことじゃが」
「はい、今上帝も既に五十を超えておりましょう」
「確かに」
「そうなれば、不敬ですが何時お隠れに成っても可笑しくないかと」
「ハハハ、さすれば、儂も同じじゃがな」
「幻庵爺様は百まで生きる気がします」
「ハハハハ」
「その際、当家の金山や経済により溜め込んだ資金で一気に大喪の礼、即位式、更に皇居の新築と百年近く行われていない伊勢神宮の式年遷宮資金を寄進するのです」
「それは、凄い資金に成るぞ。どの程度の価値がある?」
「今公方様と言えども、逃げ回る時代です。今有る権力としては帝を利用した方が遙かに良いかと、それに・・・・・・・・・・・・・・」
幻庵は余四郎の話しに驚いたが、よく考えれば確かにそれを行えば、長尾や上杉憲政と言えども、関東出馬を躊躇するのではないかと思った。
「余四郎、此は恐ろしき考えよ。共に左京殿にも伝えるぞ。着いて参れ」
「はい」
この後、氏康、氏堯、幻庵、余四郎による四者面談状態での話し合いで、北條家の行く末が決まることに成った。尚、氏政には、梅姫の関係で暫くは隠されることに成った。
この時より、より一層幻庵は京都への繁ぎを頻繁にする事に成る。
又、素早く都へ向かう為の水軍の強化が話し合われた結果として、後の世に有名となるある人物が史実と違い北條家へと招聘されることになるが、それは数年後のこととなる。
第拾睦話 あの臭いはラッパのマーク
天文二十四年一月二十六日(1555)
■相模國足柄下郡 小田原城下 野口刑部刑部少輔屋敷
「お久しぶりでございます余四郎様」
「刑部、一別以来だな」
「はっ、この度は御婚姻おめでとうございます。刑部は嬉しゅうございますぞ。あの小さかった余四郎様が北條家の婿に成られるとは、夢のようなことです」
野口刑部が感動の余り男泣きしながら、余四郎に挨拶をし続けるが余四郎にしてみればどん引き状態で有った。
「刑部、良く来てくれた。親父殿達は壮健かい?」
「はい、大殿、殿、皆お元気でございます」
「それは良かった」
「刑部は俺の宿老として仕えてくれるんだよね?」
「はっ、大殿、殿から、その様に、更に北條氏康様からもでございます」
「それはそれは、刑部、此から苦労かけるが、宜しく頼む」
「何の、余四郎様の為にこの老骨に鞭を打ってもお仕え致しますぞ」
「ありがたい刑部、此で経営も軌道に乗る」
「領地経営でございますな」
「あ、それもあるが、産物の店も出していてな」
「ほう、それはそれは、流石余四郎様です」
「まあ、色々と開発できたので」
「それは楽しみですな」
「追々、説明するよ」
「はっ」
「そう言えば、所領だけど」
「それならば、既に氏康様より百貫も頂きましたので、無用ですぞ」
「なるほど、それならば金次郎達に所領を与えれば良い訳か」
「その様に成りますが、金次郎達は未だ未だ未熟でございます」
「では幾ら与えれば?」
「そうですな、皆一応は騎馬武者ですので、軍役から行けば五十貫で騎馬一騎、旗一幕、弓一張、鑓二本ですので、騎馬武者だけですので、今は十貫で宜しいでしょう」
「判った。じゃあ金次郎達にそれぞれ所領十貫を与えよう」
「はっ」
天文二十四年十月一日
■相模國足柄下郡 小田原城下 三田余四郎屋敷 三田余四郎
今日、天文二十四年十月一日には、遙か西では、毛利元就さんが、陶晴賢さんと厳島で戦いの真っ最中。
そんなこんなで、領主生活が始まって、頃の良い端午の節句に妙姫との婚約が宿老連中に発表されると大騒ぎ。三派に分かれて喧々諤々、反対派と賛成派、中立派も居るが少ない。結局小田原評定で宿老の大道寺盛昌、松田盛秀、遠山綱景、笠原綱信、清水康英、石巻家貞が代表して意見を述べた訳でして。
松田盛秀、石巻家貞は反対派、大道寺盛昌、笠原綱信、清水康英は賛成派、んで遠山綱景が中立派だった。
反対派の理由は、松田盛秀は息子憲秀の関係で元々俺を嫌いになっているらしい、石巻家貞は単に他国衆の四男に姫を嫁がすことが果たして良いことなのかと言う理由。
賛成派の理由は、大道寺のオッさんと俺が仲が良いからって事と、孫の政繁が内政上手で俺と話が合うんでよく藤菊丸と一緒に論戦していたから、それで俺の能力知った事も賛成の理由だそうだ。曰く『三田余四郎殿なら、我が家の愚孫より遙かに優れた内政能力を持っている。この儂が保証する』って言ってくれましたよ。大道寺のオッさんありがとう。
伊豆郡代笠原綱信は、金山開発で金山発見の功労者として偽装した大久保長安を推挙したのが俺と密かに知らされたため。清水康英は伊豆衆だけあって、水軍強化作戦の提案を出したのが俺だという事を密かに知らされたため。二人は能力を知って、それならば大丈夫だと言う事。
遠山綱景は接点が全く無いから、判断しかねるそうだ。
結局、氏康殿、氏堯殿、幻庵爺さん、更にビックリなのが絶対反対すると思った氏政が賛成に回った。んー次期当主になって、多少は考えるようになったかな?氏政が賛成に回った瞬間、松田盛秀がビックリ顔をしていたから、きっと反対すると思ったんだろう。俺もそう思ったから、松田盛秀の驚きは相当な物だっただろう。
そんなこんなで、当主一家全員が賛成した以上は、石巻家貞、遠山綱景も賛成に回ったので、孤立無援の松田盛秀は、『どうなっても知りませんぞ』って言って棄権したので、賛成多数で妙姫と俺の婚姻が決定された訳で、完全に人生決まりました。松田家との確執もできましたけどね。あー憂鬱だ!
その日から扱いは既に人質じゃなく婿殿状態、貰った屋敷が小田原城の本丸から僅か五町(545m)って言うだけでも相当な物です。場所的には今の小田原駅西口ロータリーの辺りか?至れり尽くせりですが、宿老達以外には未だ箝口令が張られてますので、理由は氏政の側近にするんで城の近くに屋敷を下賜したと言っているそうですが、直ぐに広まりそうな気がする。
何故なら、あの評定の後、小田原を地震が襲いまして、それ見たことかと松田憲秀辺りが、突っかかって来る様になったから、奴はどうやら妙姫を狙っていたっぽい。母親が北條綱成の妹だから、既に側室がいるくせに、自分は氏康殿の娘を嫁にと思っていたようだ。だから親子揃って反対した訳だ。こりゃ修羅場になりそうな気がするが、俺とて好きで北條家の婿になる訳じゃ無いのに、一方的に怨まれるのは不幸です。
しかも地震なんて祟りとかじゃないって言っても、メカニズム知らないからな。史実だとこの地震本体なら天文二十三年に伊豆で殺害された上杉憲政嫡子龍若丸の祟りだと恐れられた地震ですから。今回は早雲様氏綱様が妙姫を下賤の輩に嫁がせるのを怒っていると、松田憲秀が言ってきてます。
それ聞いた藤菊丸も切れ気味で、うざい松田憲秀を絞めるかって相談してくるわ、珍しく乙千代丸が、クックックと笑いながら、絞めるなら手伝うぞって言うし。それはそれで内乱に成りかねないので、止めてますけど、けど憲秀の野郎!余りしつこいと、ひまし油で作った天ぷら喰わすぞ!!
まあ其処はおいといて、所領の方は、刑部が主に仕切っていて、牛、馬、鶏と捕獲した猪の飼育を行いながら、その糞で堆肥を作る様にしている。馬の堆肥は既にあったんだが、鶏を大量に飼って鶏糞を利用するとは、実家が農家の知識です。
他にも、健康食品としてアシタバを育てたり、あることをするためにレンリソウ、イタチササゲ、ハマエンドウを育てて、豆を保管しますよ。本当はスイトピーが欲しいんだが、未だ日本に入ってきてないんだよ。それにトウゴマも手に入れて栽培開始、此もトウゴマを備蓄するためです。念には念を入れないとですからね。
他に国府津に入ってくる商人達に南蛮人や中国人から甘草と桂皮木の生きているのを手に入れるように頼んでいます。加工したカンゾウとシナモンは手に入りやすいから買う度に保管してますけどね。あとは、トマト、タマネギ、キャベツが欲しいので、頼んでますが果たしていつ来るか。
最近、丹沢山地や山北からブナの木を切りだして酒匂川に流して貰い回収した後、炭にしてます。炭は小田原で売ってます。その際に出る木酢酸を集めているんですよ。ある物を作るために、既にシナモン、カンゾウとかの必要な生薬は集まっているので、あとは集まった木酢酸を精製すればOK。
グリセリンが無いのが問題だが、石鹸作って廃液から精製する手もあるらいしが、作り方を良くしら知らない。或いはオリーブ油加水分解物でも出来るらしいが、オリーブオイル自体が無い。まあ蜂蜜でも良いようなのでそれで我慢。
その為に最近は某番組のアイデアから養蜂も始めてみましたけど、結構大変なのが判りました。何十個も着くって入ったのが数個とかだったし、まあ少しずつ増やしていけばいいやと考えている訳です。
木クレオソート4、アセンヤク2、オウバク3,カンゾウ1.5、陳皮1の割合で、それにケイヒ、蜂蜜にデンプンを少々入れて混ぜると、独特の黒いあの臭いが出来ると。まさかこの時代に此が出来るとは思わなかった。そして半年一寸で出来るとは、流石だラッパのマークの正○丸擬き。
取りあえず、人体実験は腹痛の孤児とかでやってみた結果、確かに正○丸でした。此を量産して軍用及び庶民の常備薬として配給する計画です。更に外国へも売りまくりますよ。取りあえず、原料が自給できるまでは秘密にしますけどね。
何と言っても家の領地は小田原の外港たる国府津の真横にあるので、東海道の改修もし始めています。一里塚作って、けど六個ほど出来ました。本来ならば小田原城大手門から国府津まで一里半ぐらいしか無いので一個しかできないのだが、戦國時代の一里が六町しか無いので、起点と終点を除いた六ヶ所に塚を築いた訳だ。その他に日差しとか風を防ぐために松並木を作る様に黒松を植えてますよ。
本当なら、ローマのように石造りの街道とか、コンクリート舗装とかしたいんですけど、未だコンクリート作るだけの準備が終わってない、何れは九州三池で露天掘り出来る石炭を博多商人に掘らせて持ってこさせるつもり。それに計画中の玉川用水が出来れば、石灰石も江戸湊経由で持ってこれるから、何処か適当な場所にセメント工場を建てねば成らないな。セメントなら、ローマ帝国でも作っていたからなんとかなる。
酒匂川の霞堤は、城下の下板橋の石工青木家の協力で石積み開始、資金は金銭出納の御蔵奉行安藤良整殿から出して貰って建設工事中で来年には完成予定、一応実験なので範囲は、刑部の所領桑原郷から成田郷を抜けて、飯泉郷、鴨宮郷、酒勾郷という感じで一里半ぐらい(約6km)、同時に小田原方にも半里ぐらい(約2km)ほどが築かれる事に成っている。
更に銭座に関しては、職人奉行須藤盛永殿が職人を集めてきた。何と言っても鋳物師が必要だからと、鍋釜を鋳造していた山田家から職人を出させたらしい。まあ良いけど、鋳物=鍋釜じゃないんだが、それから試鋳を開始したが、最初は酷い状態で、何度か俺が指導とかして、やっと半年ほどで完全な永楽通寶が完成。直径は標準的な一文銭の大きさ(二十四ミリ)、重さ一匁(3.75グラム)で、ほぼ五円玉と同じ。品位は銅九十%錫十%という高品質ですよ。
発行後、小田原城下に作った公営両替所で鐚銭と交換開始したら、皆が並ぶ並ぶ、あっという間に北條領内に通用し始めたそうです。その銭座からも運上金が入るんですが、半分は孤児院運営資金に廻してますよ。残りは領内の新規産物や動物の飼育代へ行ってます。
それで、捨て子、孤児、間引く予定の赤子などを引き取る組織も寺社に託けて幻庵爺さんと風魔小太郎が組織を立ち上げました。女児は、箱根権現の元宮の巫女として育てる様に見せて実は風魔谷での忍び修行もあるという次第。男児の素質の有る子は忍びの修行させるそうだ。
他の男児は、箱根山中の仙石原の合宿で戦闘訓練と知識吸収させてますけど、幼い内は皆、石垣山に作った孤児院で生活させ、時々小田原まで出てきてます。何故石垣山にしたかというと、猿(秀吉)に対する嫌がらせですよ、孤児院を壊して城建てたって事になれば、後世に人で無しってなるじゃないか。
てか、小田原征伐が起こらないようにすれば良いんだけど、予想とは何時も最悪を考えて置かないと駄目だからね、楽観論では大日本帝国陸海軍の様に成りかねん。小物時代の猿を殺れば良いんだろうが、殺れるか判らないから、そんな博打に期待は出来ないだろ。
真珠の養殖は中々出来ませんよ。これ自体有る海賊を釣るための餌みたいなもんだし。『英虞湾で半真珠を作れば儲かりますよ』って言う勧誘文句かな。
金山も万事OKだし、後奈良天皇の崩御が史実なら1557年9月だから、あと二年、それまでには資金の調達も終わるから、京都へ行ってスカウトする人材のリストアップを始めよう。彼処の刀鍛冶と、落ちぶれた元城主と、暴れん坊も欲しいが、追い出されるのが1567年だから十二年も後か、繋ぎだけでもしておくか、しかしこの二年は忙しくなるぞ。