三田一族の意地を見よ 1
第壹話 戦国時代へこんにちは
天文十二年七月十四日(1543)
■武蔵國多西郡勝沼城
この日、関東管領山内上杉氏重臣の一人である三田弾正少弼綱秀と側室おふじの間に男子が誕生した。綱秀にしてみれば第四子が誕生したのであるが、既に嫡男十五郎、次男喜蔵、三男五郎太郎がいた為に余り期待はされていない子であった。
「御屋形様、おめでとうございます。おふじ様が元気な男児をお産みになりました」
「ふむ、そうか。しかしのー出来ればおなごの方が嫁に出すなどして役に立つので良かったのだがな」
「殿、その様な事を」
「すまんの、愚痴じゃ愚痴じゃ」
「してお名前は如何為さいますか?」
「そうさのー、四男であるから、余四郎で良かろう」
「余四郎様でございますか」
「そうよ、余り物で四男じゃからな」
「余りにもお可哀想でございます」
「なにどうせ仏門へ入れる事に成るのだからな」
「はぁ」
三田家に生まれた赤子は余四郎と名付けられ育てられたが、この赤子数えで五歳になる頃に聡明さを発揮し始め、お付きの家臣達を驚かせる事となった。
天文十六年十二月(1547)
■武蔵国多西郡勝沼城
いやはや驚いた。いきなり気がついたら体が小さく成って居るわ、回りはみんな和服で武士だし喋り方も時代かかっているし、何度此処はと思ったが次第に記憶の整合が行われて、自分が何とご先祖様の一族である青梅勝沼城主三田氏の子供に成って居た!!
三田氏ですよ!三田氏!よっぽどの戦國マニアぐらいしか知らないですよ。信長の野望にも出てないはずだ!それも親父の名前が三田弾正少弼綱秀ですよ。といっても殆どの人は判らないよねー。
三田氏は関東管領山内上杉氏の重臣で武蔵国多摩郡勝沼城主(東京都青梅市)なんだけど、時代の流れに流されて、小田原の後北條氏に頭を下げて旗下になったはい良いけれど、山内上杉家を継いだ長尾景虎、所謂、上杉謙信が関東へ越境して小田原を攻めたときに、圧力に負けたのかそれとも鬱積した何かがあったのか知らないが再再度寝返って上杉謙信の旗下に行ったは良いけど。
まあ蝙蝠みたいだよね。史実じゃあの上杉謙信でも小田原城を落とせずに撤退、その結果色んな要因が有って、瀧山城主北條氏照に目の敵にされて、滅ぼされるんだよー!!
ぐわー、天下の後北條相手に山ばっかの一地方政権が勝てるかってんだ!!
其処の貴方、上杉謙信に味方しないで後北條側に付いていればいいじゃないかって言うだろうけど、北隣で家の傘下の毛呂氏の毛呂城が簡単に上杉氏に落とされてるんですよ。しかもその時の上杉は謙信じゃ無い無能な方の先代だったんだから、それに比べて謙信の破壊力はSSSですよー!!
そんな謙信さんを敵にするなんて怖くて出来ませんよ!それじゃ謙信が帰國したらサッサと後北條に頭下げて謝っちゃえって言う貴方、それも無理なんだよー、瀧山城主北條氏照は武蔵國守護代大石氏の婿で一時期大石氏とか由井氏とかを名乗っていたんだけど、その大石氏の勢力圏がうちと被るんだよね。
それに北條氏照は多摩川上流の森林資源とかの権利を狙っているんだよね、その為に頭を下げてもまず無理なんだよー!!それに俺は、四男らしいし家臣の話を聞くと余り物だから余四郎だってさ、そんな子供の言う事を上層部が聞いてくれるわけがないわい!!
このままだと滅亡まっしぐらです、それに最悪な事に1561年に勝沼城を捨てて山城の辛垣城に移ったけど1563年に家臣の裏切りで落城ですよ。
その時に家族は皆、逃げたけど親父は武田に逃げ込んで誰だか忘れたが重臣の一人と伝手が有ったらしく信玄に仕えようとしたらしいだけど、役立たずの烙印押されて憤死したとか落ち武者狩りにあったとかで死亡。
長男、次男は岩付城の太田三楽齋を頼って逃げ込んだけど、三楽齋が長男の氏資に追い出されて後北條方に寝返ったので、其処で捕まって殺されたとか、家臣の谷合なんとかに謀殺されたとか言われてるんだ、三男は逃げきれたらしいけど、何故か伊豆で1572年に自害したらしいんだよね。
自分の知る限り三田弾正少弼綱秀には四男は居なかったはずだから、イレギュラーなのかな?覚えている話じゃ孫姫に笛姫がいて、落城後に隠れ住んだんだけど、よりによって怨敵氏照に見初められた挙げ句に側女にされて、その後に氏照の妻である、大石定久の娘の比佐の手により殺害されるんだ!!
義姉上のお腹の中にいる子がその姫の可能性が凄くあるんだよね。しかも今年は天文十六年ですよ。去年の天文十五年には川越夜戦で扇谷上杉家、山内上杉家、古河公方足利家の連合軍が八万が僅か一万ほどの後北條軍に敗れたんですよ。ボッコボッコのフルボッコです。
その結果、大石定久は速攻北條に尻尾振ったみたいだけど、親父は未だ迷ってるみたいだ。聞く所によると、大永年間(1524)には一回北條の傘下に入っていたんだけど、川越戦で北條が謀略で情けない状態を見せたときに寝返ったそうだ、その差があの最後になったのかも知れないね。やはり一度裏切った相手は信用できないんだろうな。全く遅かれ早かれ頭下げるんだからサッサと頭下げれば良いのに、下手なプライドが有るからなのかねー。
何と言っても、ホントか嘘か知らないけれど、我が家はあの有名な平将門公の末裔だって自称してるから、将門公の怨敵である平貞盛の子孫である伊勢氏出身の後北條氏に頭下げたくないんだろうな。
しかしこのまま何もしないで行けば、あと十五年ほどで滅亡ですよ。何とか出来ない物だろうか、それを考えなければ成らないんだけど、いかんせん余り物だから、家臣も一人しかいないし、残りは下男下女ばかりで学がないんだよなー。アラビア数字とか教えたいんだけどまず無理なんだよ。
んー北條に対抗可能なのは上杉謙信、この頃は長尾景虎かな?の小田原攻めで積極的に攻め込んで後北條を滅ぼすしかない、そうだ、それしか無いのだ!!
そうなると鉄砲と火薬は確実に必要だな、出来れば越後の石油、所謂草水を手に入れないとだ、それに奥多摩と言えば石灰石じゃ無いですか、セメントを作って辛垣城を要塞化すれば万が一でも撃退可能なんじゃ無いかな、んーそれには金が必要か、甲斐の黒川金山、丹波山金山は武田の勢力圏だしなー、武蔵国秩父の股野沢金山は未だ発見されてないけど秩父衆の勢力圏内か、んー金山無いじゃないカー!!
石炭なら、東京炭鉱が成木川沿いに有ったから、今なら全く手つかずだし掘ってみるか。
ともかく未だ数え五歳では大したことも出ないからな。勉強有るのみだな。
こうして俺の戦国時代が始まった。史実を覆す事が出来るのか、判らないけどな。
第貳話 そう旨くは行かない
天文十七年三月十日(1548)
■武蔵國多西郡勝沼城
兄上に娘が生まれ名は笛と名付けられました。まだ赤ん坊ですが、既に美女になる要素がてんこ盛りです。しかし上杉謙信の小田原攻めまで十二年で三田家滅亡まで十五年のカウントダウンが始まり、うかうかしていられないんだけどねー。
よく転生者だと神様パワーとかスゲーチート技能とか有るんだけど、自分にはそんな神秘の技はありませんから、精々大学は史学学科で趣味で科学も囓っていて、ノンジャンルで本読みまくっていたぐらいだから、知識はあるんだけど実績が伴わないんだよなー。
独り言はさておき、鉄砲の作り方を知っているが、自分じゃ作れないから種子島のように刀鍛冶を雇って制作をさせなきゃ成らないんだが、関東の田舎では野鍛冶は居ても刀鍛冶は殆ど居ないんだー。一応瀧山城のお抱えの下原鍛冶衆や後北条配下の鎌倉雪ノ下の相州伝ならいるはずが、仮想敵國のお抱えなんか雇える訳無いし、仮に雇えても機密駄々漏れになる事請け合いじゃないか!
そう思ったら、瀧山城はまだ無い状態だった。有るのは近所の高月城で、大石氏の本城は由井城(浄福寺城)らしい、うろ覚えは危ないな。
火薬に関してはだが硝石は以前趣味で調べた人工硝石の作り方を知っているからな。既に毛利元就が弘治三年(1557)に古い民家や厩の土から硝石生産を命じているぐらいだから、少しずつ知られていく最中かも知れないけど、関東では先駆者のはずだ。今なら怪しまれずに大量の硝石原料を集められるのでは無いだろうか。
それでも説得できるか何だよなー。何処からそんな方法方を知ったと言われたら答えが出ないからな。古土法や鍾乳洞に溜まった蝙蝠の糞でも火薬が作れるというのは、旅の僧にでも聞いたとすれば、なんとかなるだろう。流石に硝石丘とか培養法とかは余りに斬新だからな、ヨモギに尿をかけてヨモギの根細菌による硝酸の蓄積を多くして、ヨモギを発酵させて硝酸を得る方法も有るんだけど、誰かが食べちゃいそうだしな。山ゴボウの根にも硝酸が多数含まれているから、この山岳地帯は硝石の宝庫なんだけどどうするべきか。
硝石原料の一つである蚕の糞については、青梅や羽村付近はこの頃でも養蚕が盛んだから幾らでも手に入るんだけど、火薬は作ろうと思えば、古土法以外培養法だろうが硝石丘だろうが、五年もすれば大量生産が可能なのに、どう親父達に説明するかが問題なんだよ。
鉄砲だって、某学研の科学で見た鉄砲の話しで鉄板を斜め巻きしながら銃身を熱溶接で作る方式を知っているから、鍛冶さえいれば何とか試作は可能なんだよな。それに我が家の領域の山はチャート質(燧石)に事欠かないから火縄式じゃなく燧石式鉄砲が可能なんだが、七歳の餓鬼が言ってもまともに取り上げられるわけが無いし、下手すりゃ気味悪がれるだけだしな。
それに側室の子で余り物の事など、余り気にかけて貰ってないし、下手扱けば北條への人質にされて、見捨てられた挙げ句にばっさりって可能性が有る、北條でも氏照は乗っ取った大石氏の義弟達を虐待とかしなかったけど、藤田家に行った氏邦は義弟達を騙し討ちして殺してるから、裏切った連中の人質はバッサリだろうな。
それに太田三楽齋の嫡男氏資が北條の娘を嫁に貰って、子供が出来た後で三船山合戦で戦死して氏政の子供が太田氏乗っ取っているから、氏資は合戦で討ち死にじゃなくて北條側に用済みだと殺られたんじゃ無いかと勘ぐるよなー。北條の場合家乗っ取って用済みを殺っている感じが高いから、人質なんてなったら最後の気がする。
三田氏じゃなくて由良氏で肝っ玉母さん妙印尼様の子供なら安心して居られたんだけど、世の中上手く行かないよ、あー困った困った。
まあ仕方ないもう少し考えてみよう、今簡単にできるのはセメントだな、奥多摩と言えば石灰石だし、初期型セメントなら粘土質石灰石を千度ほどで焼いて砕けば出来るから、此なら遊んでいる最中に偶然出来たとごまかせるかも知れないな。
鉄砲、大砲、地雷、手榴弾、セメント、硝石とか色々制作したいが、如何せん元手も無ければ、手もないから、完全に絵に描いた餅状態、絵に描く自体和紙と墨と筆だから、書き辛いことったらありゃしない。ノートとシャーペンが懐かしい、あっそうだ、貝殻から作れる白墨と板に石粉末を入れた黒漆を塗った黒板を用意すれば良いんじゃないか。これぐらいの贅沢なら許されているから、早速造ってもらおう。
それと、意外や意外にも奥多摩の日原と奥秩父は山道でお互いに行き来しているんだよ、それでうちの勢力圏が秩父の奥地に及んでいる事が判明、しかも股の沢金山と秩父金山の付近まで手に入れられそうな状態、まあ下手に掘れば、お隣の武田さんが出てくる可能性が大なんですけどね。
黒川衆を雇えれば、金銀鉛とかが出るから戦力増強にはもってこいなんですが、地方政権の悲しき所で全く駄目な状態。黒川衆はお隣だし、武田家の直臣と言う訳でも無いらしいですけどね、武田家に秘密が漏れる可能性は非常にでかいと言う訳だ。
けどなー、水銀アマルガム方法は元より下手すれば灰吹き方法まで知らない可能性の黒川衆にその方法を秘伝として伝授して此方の金山の開発を頼んで上がりを折半すれば相当な資金源になるんだけど、今なら武田家も上田原の戦いで大敗したばかりだから此方まで目を向ける可能性は少ないはずなんだけど、昨年の小田井原の戦いで御主君 関東管領上杉憲政様が武田家とドンパチしてるから武田家に媚びうるわけにも行かないしな。
折角の知識も役に立たないんじゃ、どうしようもない、いっその事上杉謙信の元へ行って仕えるのも一つの手だが、彼処雪は深いし保守的だし、かといって怨敵北條に仕える気も無し、武田に仕えるのも面白いかも知れないけど、長篠で鉄砲の的には成りたくない。
あーーーどうしよう。いっそ出家でもして坊さんになるか、何でも俺のお付き野口金助の親父さん刑部少輔秀政の話だと最初親父は余り物の四男は寺に入れるとか言っていたらしいから、それに乗って海禅寺や天寧寺に入るのも一興か。
それとも西国へ行って自分を売り込むという事も考えられるけど、数え七歳じゃ動くに動けないからな、せめて金助の様に十二歳なら動けるんだけどね、寺で修行するよりは実験していたいんだよな。まあ親父が動いたらやばいけどね。その時はその時で考えるしかないや、ケセラセラ(成るように成れ)とも言うしね。
まあ元々三田家は京都の歌人とかとも付き合いのある家だから、京都で過ごすことも可能だろうけど、混乱している京都じゃなー。何時火事とかで死ぬか判らないし、戦乱の時代は堺とかじゃないと安心できないかも知れない。
まあ仕方ない、少しずつ行くかな、“小さな事からコツコツと”関西の大御所漫才師が言っていたじゃないか。取りあえず、黒板と白墨、ヨモギ硝石、古土法、セメントをやってみよう、金助の親父に頼めば融通してくれるから何とか成るさ。
「金助、一寸来て」
「若どうなさいました?」
「金助の親父殿に頼み事」
「はい、何でしょうか?」
「こういう物を作って欲しいんだ」
「此は?」
「前に市で会った、旅の僧に聞いたんだけど、こういう物が明では使われてるらしいんだ」
「ふむふむ、消したり出来る板とそれに書く道具ですな」
「そうそう、便利でしょう」
「判りました、父に伝えます」
「頼むね」
「はっ」
■勝沼城内 野口刑部少輔秀政の詰めの間
三田家重臣野口刑部少輔秀政が政務を行っていた時、息子金助がやって来た。
「父上」
「どうした、金助。お前は若様のお付きであろう」
「はい、若様よりこのような物を用意してくれと頼まれまして」
そう言いながら、息子金助の持って来た、余四郎様の書いた懇切手寧な設計図を見て、秀政は思わず唸ってしまった。確かに今まで貝殻の粉(胡粉)で筆により絵を描くことはされていたが、作成時間に数か月から数十年かかる代物であり、与四郎の示した様な貝殻を一度焼いて石臼で粉にして水を混ぜて固める方法は誰も考えついていなかった事と、黒板という板も始めて聞く品であった。
「うむ。此は」
「父上、如何でしょうか?」
「うむ、職人に試作させてみよう、それまでは若にお待ち頂くようにお伝えせよ」
「はい」
息子金助が帰った後、早速城下の職人に試作を命じに秀政は城を退出するのであった。
数日後、元々山國であり漆器生産も行われていたために、職人は手もなく黒板を作り上げたが、態々漆器をザラザラ状態にするとについては不思議がっていた。白墨はハマグリの貝殻を焼かせて制作させた。
試作品を使ってみて、秀政は唸ってしまった。使い勝手が筆に比べて遙かに良く、布で消して使う事が出来るために、紙のように大量に使う事が無く、経済的であることが判ったからである。漆自体屑漆を使っているためにそんなに金はかかっていないのであるし、白墨は捨てる貝殻を利用しているほどである。
「うむ、素晴らしい。此は殿にお知らせしなければ成らないな」
秀政は直ぐさま、試作品を持って、弾正少弼綱秀の元へと向かった。
「殿、宜しいでしょうか?」
「刑部か、どういたした?」
「此をご覧ください」
綱秀は秀政の差し出した黒板と白墨を不思議そうに見る。
「この盆は縁も無く仕上げも荒いの、よほどの安物であろう」
綱秀は完全に勘違いして素っ頓狂な返答をしている。
「殿、違いますぞ。此は字を書く道具に御座います」
「どの様に使うのだ?」
綱秀の質問に秀政は実演して見せた、その実演を見て綱秀が大いに驚く。
「素晴らしい、紙のように書いたら消せないのではなく、書いても書いても消せるのであれば、色々と役に立つであろう、此はいったい何処から求めたのか唐の物か?」
「殿これは、城下にて制作させた物でございます」
「刑部、するとそちが作らせたと申すか?」
「職人に作らせましたのは、私ですが、図面をお書き成ったのは余四郎様に御座います」
余四郎が考えたと聞いて綱秀は驚いた。
「まさか、余四郎がその様な物を考えたと言うのか?」
「金助の話に因れば明では既に使われていると、旅の僧より教わったと」
「ふむ。聞いたにしても素晴らしい物だ、僅か七歳にて其処まで機転が利くとは」
「如何為さいますか?」
「うむ、寺に預けるのはやめにしよう。刑部そちが、守り役として見守ってくれ」
「はっ」
余四郎の知らない間に、出家フラグが折れたのであった。
第参話 模倣への道
天文十八年八月九日(1549)
■武蔵國多西郡勝沼城
「んー、やはり紙が悪い」
「どうなさいましたか?」
「いや、紙に羽筆が引っかかって破けるんだよ」
「羽筆ですか。若様は何時もながら面白い物をお作りになりますね、どの様な物なのですか?」
「最近博多や堺に来ているらしい、唐天竺より遠い南蛮から来たと言う者達が使う筆記道具で、雁の羽の根の部分を削って鋭くして其処に割れ目を入れて、インクという墨のような物に浸けて紙に書くものだ」
金助が不思議そうに見てくるが、それりゃ羽ペンなんて見たことも聞いたこともないだろうし、しかし和紙だと引っかかって書き辛いことありゃしない、全く洋紙が欲しいな。
「しかし、御城下に南蛮人などが来たとは聞きませんが、それもやはり何時ぞやの旅の僧からお聞きになったのですか?」
済まんな、金助よ俺の生前の記憶からだが、此処は騙されておいてくれや。
「そうだよ。忘れていたが思い出したから作ってみた」
「インクという物までお作りになったのですか?」
「ああ。大したことじゃないよ、炭を研いで出来たものだから、墨と殆ど変わらないからね」
まあこの知識もジュール・○ェルヌの『十五○年漂流記』からの受け売りだけどね。
「凄いですね、して何をお書きになっているのですか?」
「これかい、うちの領域は多摩川がかなり下を流れているから水田が霞川沿いにしかないじゃないか、それだから殆どの土地が畑作か雑木林じゃないか、其処へ水を引けば水田や畑に出来る土地は未だ未だあるから、その為の灌漑水車を設計しているのさ」
「水車で灌漑ですか?」
「そうさ、日本でも桓武天皇の皇子良岑安世が作っていたらしいし、唐伝来の竜骨車だって使われているんだから、我々だって作れるはずだ、改良さえ出来れば一気に増産可能だよ」
「はあ」
「まあ、取りあえず小型で実験してみるから、又親父殿に頼んでくれ」
「はい、父にお伝えします」
んー金助には難しかったか、ハテナマークが思いっきり頭の上に出て居る状態に見えるや。
しかし、和紙の紙質は引っかかりまくりだわ、早いところ洋紙に近い紙を製造しないと駄目だな、んー木材パルプは、蚕の餌である桑の枝は余剰物だからそれから紙を作る土地もあるようだし、さほど難しい事も無いだろう、樹皮を取り去って内側だけを細かくして大鍋で煮てドロドロにすれば良いわけだし、実験してみるかいはあるはずだ。
しかし、和紙と墨ではまともに設計図もかけないな、昔の日本の設計図らしき物が結構大雑把だったのはこの書き辛さが要因の一つなのかも知れないな。
しかし実際金助にああは言ったが、確か最大クラスの水車でも直径二十mで一分間に九十五リットルか、少なすぎるな。此処は玉川上水を作るのが良いのだろう、資金六千両超えではあるが、流路も判っているから、家の財政なら何とか成るだろうけど、問題は羽村はうちの領地だが、それ以降の流域はうちの領地じゃ無いから、他家と共同開発するのは良いが、メリットがうちには殆ど無いから、資金提供して貰えないだろうな。
んー悩んでも仕方ない、出来ることからして行くしかない、思うに鉄砲にしても我が家は一丁も持ってないし、『鉄砲何それ?』状態だからな、思い出したが永禄六年滅亡時でも所持鉄砲がなんと一丁だけだったと言う笑えない事実もあったし、しかもそれも家で買ったのではなく、伊勢神宮のお札を売っていた人から日ごろの感謝だと貰ったそうだから、近代兵器に対する理解率が余りにも酷すぎるやい。
同じ頃、織田信長は鉄砲と弓合わせて五百丁とか単独で五百丁どっちかだけど、数百丁の鉄砲を所持していたことだけはたしかなんだよな。今年には確か近江の国友村に火縄銃五百丁を注文したらしいし、うちも国産出来ないからって一丁はないだろう。だから三田家は鎌倉以来の古くさい軍政だと馬鹿にされるんだよ。
此処は軍政改革が必要だよな、うちの領地高が石高で言うなら大体壱万石強で、その他に漆、木材等の山ならではの特産物があるから、資金的にはなんとかなるんから、最低でも槍を長柄にして、鉄砲も百丁単位で欲しい物だが、生産地がないんだよな。
設計図は引けるから、製造できる鍛冶さえ居れば作らせられるんだが、相変わらずの八方塞がり状態だし、いっその事、鍛造銃身を諦めて、うちの所領羽村の二大鋳物師、渡辺・桜井氏を使って銃身を青銅の砂型鋳物で作成して見るのも一考かも知れない。
大日本帝国陸軍の二十八センチ要塞砲だって青銅砲だったし青銅銃自体中国とかで製造されていたから出来るはず何だよ、鋳鉄鋳物で銃身作れば強度問題でバラバラになりそうだから、比較的安定している青銅なら千度ほどで流動化出来るから、何とか成るはずだ。
大学時代の友人の実家が鋳物で有名な川口の鋳物工場だった関係で鋳物工場へ遊びに行っては結構遊んでいたからな、そのせいで砂型鋳物なら出来るし、この時代でも石膏も蜜蝋も手に入るから、ロストワックス工法も可能だから、上手くすれば先込滑空式火縄銃ではなく、後装式線条燧石銃が出来る可能性もある。
ボルトアクションライフルは無理だが、トラップドア式ならやり様はある、早合を改良して底部のみ真鍮で薬莢状の物を作って押し付ける形にすれば、後方へのガスの流失は最低限に出来るはずだ、ゴムが手に入らないのでシャスポー小銃のようにゴムパッキンでガス漏れを防ぐことは出来ないが鞣し革とかを使えば何とか出来ると思う。
材料の青銅は鐚銭を鋳潰せば結構手に入るしこの頃は通貨に関する法律なんか有って無いようなものだからな、永楽銭一枚に鐚銭四枚ほどだったからな、少数なら鋳潰しで何とか出来るとはずだ。しかし田舎は貨幣流通量が圧倒的に少ない状態では、やはり秩父鉱山からの銅の採掘をするしか無いし、或いは足尾銅山開発をあの辺の領主と共同で行うとか、けどな出来ないんだよな。どう考えても足尾に銅山があると判れば、草刈り場になるからな。
此処はやはり、秩父鉱山を掘るしかないが、悲しき事に未だに黒川衆との接点ができん、小菅の領主小菅遠江守に話を通して貰うにしても、怖い武田晴信が出てくるからな。黒川金山の楠家とか土岐舩木家とかと個人的に連絡が出来れば良いんだが、子飼いの忍びもいない状態じゃどうにもならん。
楠家はあの有名な楠木正成の子孫だそうで、河内から土岐一族での中でも南朝側として戦った舩木一族と共に落ち延びてきて、楠木家伝来の鉱山技術で黒川金山を開発したらしいんだが、今は接点がないから要らない情報だが、何時か必要になるだろう。
やはり、先立つものは資金だが、砂金は取りあえず多摩川でも取れるから多少は手に入るんだ、鉄も砂鉄が取れるし福生ではそれを原料にして蹈鞴製鉄を行ってるし、城下の青梅は元々市が立つぐらいだから、信長のように楽市楽座で運上金で儲けるのも手だが、地方だから余り旨く行くとも思えないんだよな。
しかし、最大の問題は自分の立ち位置だよな、余四郎で余り物だから、うちの運営には口を挟めないのがな、精々金助の親父殿に頼んで照査して貰い意見して貰うしか無いんだが、斬新な政策は大半が鎌倉以来の名門の矜持か何かしらんが、古くさい政策ばかりなんだよな。
年貢も怨敵後北條の様に四公六民じゃないからな、下手すりゃ領民が北條に統治して欲しいと言いかねないぞ、只でさえ南隣の小宮氏の領土の南隣は何れは北條源三氏照の所領に成るのだから、良くない状態になりかねない。
曾爺さんや爺さん達が寺社を修理しまくったけど、今はそれどころじゃないからな、その金があればどれだけ近代化が出来たか判らないが、三田氏は滅んだが美術品の保護に力を入れたと本とかには出てるけどね、家自体消えたらどうしようも無いんだがね。
そう言えば、この時代でも銅線や鉄線は製造可能なんだよな、銅線や鉄線があれば結構色々使い道が有るんだよね、硫黄と硝石を燃やしてその水蒸気を冷やすと硫酸ができるから、それを素焼きの壺にを入れて銅板と亜鉛版を入れて銅線で繋げばボルタ電池の出来上がりだが、使い道がハッキリ言って無い。
太平洋戦争中は銅線に紙巻いてラッカー塗りで電線作ったから、ラッカーの代わりに漆塗りでも出来るはずなんだよな、それでも精々猿除けとかしか使えない状態だけど、火薬を防水できる壺に入れて鉄片、釘とか入れて地雷を作って、それを電気を流して爆破する電気信管の代わりに出来るはずだが、研究の余地があるよな。
うむー考えれば考える程やることが多すぎるな、しかもこの時代では余りに突拍子もない物ばかりだし、その手の技術者も居ない、此が江戸時代なら平賀源内とか江川太郎左衛門とかがいるから相談のって貰えそうなんだが、今の状態じゃ信長に会えたとしても胡乱な奴と怪しまれそうだよ。
セメントもだが、最初は漆喰で御茶を濁すしか無いかな。余り目立ちすぎても北條に目を付けられかねないからな、硝石の生産も始められないし、困った困った。
■勝沼城内 野口刑部少輔秀政の詰めの間
三田家重臣野口刑部少輔秀政が政務を行っていた時、今日も息子金助がやって来た。
「父上」
「どうした、金助。お前は若様のお付きであろう」
「はい、今回も若様よりこのような物を作りたいと頼まれまして」
金助の持って来た図面を見ながら定政は唸ってしまう。
「うむ、水車とは此も又若のお考えか」
「その様にお伺いしています」
「儂だけではどうにもならんから、殿に伝えよう」
「はい」
息子を送り出した後、秀政はマジマジと図面を見ながら三田家には過ぎたる人物が生まれたかと益々思い始めていた。その後、綱秀に話をし、小型のもので有れば水車を作って良いとのお墨付きを得てた結果、小さな水車が霞川の塩船観音の付近に制作され、余四郎の言う様に水を揚水できることが判るのが、約一年後のことであった。
この事が、小田原の北條氏康の耳に入ることになった為、三田氏と余四郎の未来が激変することになるのであるが、この時本人は制作許可が下りたと喜んでいるだけであった。
天文十九年五月二十八日(1550)
■相模國足柄下郡小田原城
戦国大名北條氏第三代当主北條氏康は風魔を使い関東各地の情報を仕入れていた、その中に最近再度臣従してきた勝沼三田氏において面白い発明をする小童がいる事を見つけた。
「どうされたかな左京殿」
伯父であり箱根権現別当職にもある北條幻庵がにこやかに話しかけてくる。
「伯父御、いやな三田に面白き事をする小童が居るようでな」
「ほー、幾つじゃ?」
「未だ八つよ」
「ほう、藤菊丸(氏照)より二歳も下ではないか、それで居てどの様な事をしているのじゃ?」
幻庵に読んでいた物を渡し、返答を待った。
「此は、どれも此もとても八歳児の童の物と思えんぞ」
「それで、関心しております」
「ふむ、左京殿はどうなさるおつもりかな?」
「此だけの事をする人物、鄙に置いておくのも勿体ないのではと」
「成るほどの、確かにそうじゃ。多摩川の水を引いて武蔵野の大地を開拓しようとは中々考えられぬ事じゃ、まるで唐の皇帝の様な考えよの」
「それに、三田は臣従して間もない為、人質として次男か三男を送ってくるる話でしたが、此処はこの小童を呼んでみたいかと」
「ふむ、呼んで資質を見極めるつもりか」
「はい、新九郎の馬廻りとして仕えさせるのも一興かと思いまして」
「ふむ、して資質が良い場合は、儂が仕込んでも良いぞ」
「伯父上がですか」
「子育ても終わっておるし丁度暇じゃからな」
「では良き資質の場合はお願い致します」
「悪ければ、返せば良いだけじゃ」
やり過ぎた結果目立って人質フラグが立った余四郎であった。
第肆話 そんなはずではなかった
天文二十年一月一日(1551)
■武蔵國多西郡勝沼城
時代の流れには勝てずに渋々ながら北條家に臣従した三田家で新年の宴が行われていた。
「皆良く来てくれた。今年も良き年であるように」
三田弾正少弼綱秀の言葉に合わせて、列席していた一族郎党が挨拶を行う。
「殿、今年もよろしくお願いいたします」
「さあ、ささやかではあるが、皆も楽しんでくれ」
三方に乗せられた、料理が運ばれそれぞれの前に運ばれると各々が酒を注ぎながら舌鼓をうつ。
「うむ、此は旨い、いったい何じゃ?」
「そうじゃな、大根だと思うが、不思議な風味だ」
「酒に合うの」
「それにこの酒も澄んでいて更に風味があって旨いの」
「伊豆の江川酒とも違うな」
「京の柳であろうか?」
飲み食いする者達が口々に大根の漬け物と酒の話をしてると、綱秀がにこやかに話し出した。
「それは、大根の糠漬といって、大根を米糠に漬けた物だ」
その言葉に始めて聞いたと多くの家臣達が話し始める。
「その酒は、一つは、普段の濁酒を一度蒸して冷やした物で、もう一つは麦焼酎といって壱岐國で作られている大麦から作る酒だ」
「おお、殿、凄いことですな壱岐より酒を運ばれましたか」
老臣の谷合太郎重久信が驚いたように話しかけるが、綱秀が笑いながら息子の余四郎を指して話す。
「いや、全て余四郎の考えよ、実際に差配したのは、金右衛門(野口刑部少輔秀政)だがな」
その言葉に家臣達は驚きの目で余四郎を見つめる。噂には聞いていたが此ほどの才気を持っているとはと、ある者は“末頼もしき”とある者は“此ほど旨い酒を作って下さるとは”とある者は“我が家の婿に頂きたい”とそしてある者は“弟の癖に生意気な!!”と種々色々な思いが流れたのである。
それから暫くは、皆が余四郎の元へ来て、余四郎は皆から賞められることになったが、兄である長男十五郎綱重以外の次男喜蔵綱行と三男五郎太郎は面白く無さそうに、余四郎を睨んだりしていた。
おっとりしている十五郎綱重以外は、最近何かと父親や家臣の受けの良い余四郎に嫉妬心を持っていたため、今回の様な新年の早々に余四郎の功績が称えられることに憤慨していた為に二人して愚痴を言い合っていた。
暫くして宴も終わり、それぞれ屋敷に帰ったが、次男喜蔵綱行と三男五郎太郎は喜蔵の部屋で酒を飲み直しながら余四郎の悪口を言い合って居た。
「ふん。大根漬けだの酒だの、戦には何の役にたたんではないか!」
「兄上、全くです。蓬に馬の小便をかけて、悪戯するような小童のくせに!」
悪口を言い合ってる部屋に近づく人影があった。
「喜蔵様、塚田又八で御座います」
「おお、又八か何用じゃ?」
「御飲み直しと台所衆から聞き及びましたので、酒と肴を持って参りました」
「うむ、入るがよい」
喜蔵の言葉に襖が開くと、揉み手をし愛想笑いをしながらも目が笑っていない、小男が入ってきた。
「どうした又八、お前も余四郎にご機嫌伺いをせぬのか?」
些かトゲのある言いようで喜蔵が意地悪そうに質問する。
「滅相もありません、余四郎殿など、小童の淺知恵でございましょう」
「そうか、そちもそう思うか」
嬉しそうに喜蔵と五郎太郎が又八に話しかける。
「若様達の聡明さに比べて余四郎殿の行動は目に余りますな」
「おお、言うの。又八もささ飲め飲め」
「はっ。お零れを頂戴いたします」
嬉しそうに酒を頂戴する又八であるが、目は決して笑っていない。
「良い飲みっぷりじゃ、ささ一献」
今度は五郎太郎からの酒を受ける。
「又八、そちから見てあ奴はどう見える」
又八は立て板に水の如くすらすらと答える。
「余四郎殿は、金助と金右衛門殿におんぶに抱っこで、情けのう御座ますな。しかも作る物は皆戦に関係の無い物ばかり、水車しかり多摩川からの用水しかりでございます」
その言葉に上機嫌な喜蔵がしゃべり出す。
「そうよ。水車など灌漑用と言っておるが一回の水が十升とは何の役にたたんではないか!」
「そうですな、多摩川から江戸湊まで用水を引くなど凶人の行いとしか思えん!」
「全くで御座います。あの様な凶人の行いを殿がお許しになるには、あの側室のせいでありましょうな」
「あの女狐か、親子揃って父上を誑かしおって」
「全くだ、兄じゃ。このままで行けば、後を継ぐのは余四郎になるかも知れないぞ」
「そうだな、十五郎兄じゃでは些かこの時代を乗り切るには心許ない、しかも未だに男児に恵まれぬから、後を継ぐのはこの俺こそ相応しい」
「そうじゃ、喜蔵兄じゃなら、俺も安心して仕えられると言うものだ」
その兄弟を見ながら、又八は腹の中では薄ら笑いしているが、表面では真剣に話しかける。
「綱重様はお体が余り丈夫では御座いません、その為御結婚為されて早十年にも成りますが今だお世継ぎに恵まれておりません。このままで行けば、綱重様のお後お継ぎになるは喜蔵様でございますが、余四郎殿の小手先の詐術に殿を含め多くの者が騙されております」
「そうよ、又八、全くその通りだ。あの様な詐術を使うは平将門公の末裔たる我らに相応しくない!」
「全くだ。兄じゃ」
「鉄炮なる野蛮人の兵器を導入せよとは武士を馬鹿にしている!」
「余四郎殿の母は所詮下賤の身、踊り念仏の娘であったそうですから」
「余四郎に殿など要らん!あの様な下賤は身分相当に大人しくしていれば良いものを、父上や兄上の取り入りおってからに、目にものみせてくれようぞ!」
喜蔵の意気込みに五郎太郎も驚く。
「兄じゃ、具体的にどうするのじゃ?」
「毒を盛る、訳にはいかんからな」
「喜蔵様五郎太郎様、如何でしょうか、養子か寺へ行かすというのは?」
「確かに、毒など盛ったら、俺まで疑われるな。なるほど養子と寺か」
「はい、今回の事で詐術に騙された者達の中に娘しかいない者が数人居りますが、彼等が口々に余四郎を娘婿にしたいと話して居りました」
「ふん。誰と誰だ?」
「神田左京、小作兵衛、木崎丹波、原島備後などで御座います」
「物好きも居る者だ。左京など宿老ではないか」
「それに原島は小さいとはいえ日原で半独立領主のような者ですから」
「行かせるとしても、小作か木崎の所だな」
「兄じゃしかし、左京が納得しないだろう」
思案し始める喜蔵と五郎太郎、其処へ救いの手を差し伸べる又八。
「若様、婿入りが難しければ、永平寺へでも送り込むのが宜しいかと」
「しかし、父上達が許すまい」
「手は御座います、北條家へ積極的に若様が繋ぎを造り北條氏康殿から命令をして頂ければ良いので御座います」
「なるほど、その手が有ったか」
「しかし、兄じゃ、勝手に北條と繋ぎを作って、父上にばれると不味いのではないか?」
そう言われると、考え始める喜蔵。
「それではこの私が、伝手を使ってそれと無しに繋ぎを取れるように致しましょう」
「おお。又八すまぬな、宜しく頼む」
「お任せ下さい」
「又八の忠心に酬いるためにも、儂が当主になった暁には、塚田又八を筆頭宿老に致そう、それと偏諱を授けよう、私の重を取り塚田上総介重俊と名乗るが良い」
「ははーありがたき幸せ、塚田重俊、綱重様五郎太郎様に忠誠を尽くします」
「うむ、頼むぞ」
「御意」
そう言いながらも、又八は、世間知らずのボンボンに取り入るのなど赤子の手を捻るが如きとしてやったりと、ほくそ笑むのであった。
喜蔵、五郎太郎共にまんまと御神輿に乗せられて居たことに気がつくことが無かった。
天文二十年一月八日
■武蔵國多西郡勝沼城 三田余四郎
松が明けたこの日に何故か、再度一族郎党が集められた、自分まで正装して来いって言われて、仕方が無しに正装して参加しているけど、何かあったっけ?喜蔵兄上の結婚が決まったのか、はたまた五郎太郎兄上の元服とか、いあそんな話があれば、おとみさんの台所ネットワークであっという間に流れているはずだけど、何ともないしなんなんだろう?
十五郎兄上は大永五年(1525年)生まれで二七歳、喜蔵兄上は享禄五年(1532年)生まれで二十歳、五郎太郎兄上は天文六年(1537年)十五歳だからな、喜蔵兄上の結婚か五郎太郎兄上の元服が最有力なんかけど、まあ父上が来れば全て判るか。
暫く待たされて父上と、父の従兄弟で宿老している三田三河守綱房殿も一緒に来たし、あと誰だか知らない爺さんが屈強な侍を連れて一緒に来たな。
「皆の者、今日はご苦労で有った。何か起こったのかと心配する者も居ようが、喜ばしいことだ」
父上は口上の後に知らない爺さんに上座を譲たぞ、いったい全体誰なんだ?
そう思っているのは皆も同じらしく、ザワザワし始めたから、綱房殿が一喝して静かにさせた。そうして誰だか知らない爺さんが話し始めた。
「皆々、お初にお目にかかる、儂は幻庵宗哲という只の坊主じゃ」
幻庵宗哲の名前に聞き覚えのある自分としては、もしかして北條幻庵?と思ったのだけど、多くの家臣は判らないみたいで、兄上達も目を白黒させている。
「幻庵宗哲様は、北條左京大夫様の大叔父に当たる御方で、箱根権現別当、武蔵小机領主を為さっておられる」
綱房殿の言葉に皆が息を呑む。
「ホホホ、何、生臭坊主よ」
うわー生きる伝説九十七まで生きた、北條家の怪物が来たー!!
しかし何しに来たんだろう、仮にも僅ずか数年前まで敵地だったのに、この爺さん大胆だ。
「この度、嬉しきことに北條左京大夫様、直々のご指名により、当家より小田原へ詰める事と成った」
流石は三田家滅亡後に北條に仕えた綱勝殿のお父上だ、既に北條尻尾振ってら。
「綱房殿、して何方が指名されたのですかな」
「幻庵宗哲様直々にお伝えする」
「昨年じゃが、左京大夫様と儂が話したとき、早川水道の規模を凄まじく大きくし多摩川の水を引き武蔵野台地を潤すと言う話を知ってな、それを考えたのが僅か齢八の童だと言う事に驚いたのじゃ、そしてその子が弾正少弼殿の四男だと聞いて、左京大夫様がいたく興味をたれ、其処で儂が資質を確かめさせたが、噂に違わぬ出来でな。是非左京大夫様が御嫡男新九郎様の馬廻りにとご希望された次第だ」
その言葉に、驚く者、落胆する者、ほくそ笑む者など三者三葉の状態で有った。
うげー、やばいやばいよ!怨敵に目を付けられた!!
しかも北條氏康と言えば、名将じゃないか、すげーやばい、貞操の危機か!!この時代、坊さんなんて大概男色だったし、武将も男色もして両刀使いだったもん!!助けてクレー!!
「静かにせい!我が家にとっては誠にありかがたき事だ、この度の引き出物として相模の酒勾村・武蔵の上奥富・三木・広瀬・鹿山・笹井を加増して頂ける事と成った」
その話にどの程度の大きさなのか判らないのか、ピンと来ない人が多いが、確か北條から給付された領土と同じだと思うから、石高で言えば4000石ですよ、江戸時代の中級旗本並みじゃないか、ドンだけ期待されているわけだよ。
「余四郎殿前へ」
ぐわー、どうしよう、このままで行けば小田原人質→上杉謙信襲来→三田家裏切り→裏切り者だ、出陣前の生け贄に血祭り→頸ちょんぱ!!
たまったもんじゃない、逃げよう!!駄目か!!良し阿呆の振りをして避けよう、それしか無い。
「余四郎です」
どうだ、挨拶も出来ない阿呆と思うだろう、下手すれば切られるかもしれないが。
「此、何という挨拶の仕方だ、申し訳御座いません、何分未だ十にも成っておりませんので」
綱房余計なことをするんじゃないー!!
幻庵が呆れれてくれればこっちの物だが、うわー、全てを見通すような目してるよ。
「ほう、余四郎殿はよほど小田原へ行くのが嫌と見えるな」
判ってるよこの爺さん。一族郎党皆が固唾を呑んでいるのが判る。
その後皆を冷や冷やさせながら、爺さんとの丁々発止の結果、負けましたOrz。
「そろそろ猫を被るのを止めんか?」
その眼力に降参ですよ、判りましたよ!
「はっ、幻庵宗哲様に対するご無礼の数々平にご容赦を」
「フフ、では弾正少弼殿、余四郎殿を貰っていくぞ」
「はっ」
ドナドナドナドナの心境で幻庵爺さんに連れられて小田原に向けて出立したのは天文二十年一月二十日の事だった、着いてくるのは金助改め野口金次郎秀房、加治兵庫介秀成、藤橋満五郎秀基の3人と下男下女だ。
金次郎を含めて皆が皆、家臣の二男三男とか農家の口減らしに出された人だ、まあいざとなったら切り捨てるには良い人材というわけだ。史実じゃ金次郎は九十一まで生きて三田家の菩提を祈ってくれているし、幼なじみだから信頼できるだけど、無茶でもして下手に死んで欲しく無いよ。
あーーーーー憂鬱だ、何故こうなった。幻庵爺さん完全に俺の内面を判ってるぽいからな、どうにかして
逃げるか、帰る事を考えなきゃ駄目だ!!
「余四郎。遅れるでないぞ」
「はい、判りました」
天文二十年一月二十日
■武蔵国多西郡勝沼城
余四郎がドナドナされている中、喜蔵と五郎太郎と又八が酒を飲みつつ談笑していた。
「又八ようやった、幻庵を出しては父上も嫌と言えまい」
「御意に御座います」
そう言いながら、又八は自分は何もしていないが、馬鹿な兄弟が勘違いしてくれているならそれに乗っておこうと思っていた。
「愉快よ愉快よ。此で余四郎の家督相続の目は潰れた。関東管領が落ち目である以上は、暫くは北條の天下であろうが、何が起こるか判らないのがこの世だ、人質がアッサリ殺されるのも普通だからな」
「まあ、兄じゃ、今宵は祝いじゃ飲み明かそうぞ」
「あはは、愉快愉快」
「若様、良き飲みっぷりで御座います」
「ハハハ、そちも飲め」
第伍話 こんにちは、北條一族
天文二十年二月十日(1551)
■相模國足柄下郡小田原城 三田余四郎
幻庵爺さんにドナドナされながら、多摩川を渡り、高月城を掠め、相模川沿いを南下して厚木、平塚、大磯、二宮と抜け、酒匂川を渡り、やって来ました小田原城下へ、歴史○像とかで復元図とか見てたけど、総構えは未だ無いけどそれでもでかいわ、うちの城が物置に見えるよ。
城下を移動して感じたことは、民が皆にこやかで、ノビノビと暮らしている事だ、この時代は何時殺されるか判らないのに、皆人生を楽しんでいる様に見える、此処へ来る間も村々では皆が皆、幻庵爺さんに感謝していたし、四公六民で税制改革して中間搾取を出来にくくした事も生活に余裕を持たせる事に成っているんだ。
流石に江戸時代の城みたいに漆喰塗りの白亜の大天守とかないけど、それでも十分な威圧感のある城だ、小田原城址公園には何度か足を運んだけど、この時代の本丸は平成時代よりより北側にあったから感覚的に変な感じだけど、それでも確りした城だわ。上杉謙信も武田信玄も簡単に落とせなかったわけだ。
猿だから落とせただけで、狸親父じゃ謀略でしか落とせないだろうな、大坂城を落とした時みたいに。
俺なら、壁をコンクリートで囲んで、トーチカも作って、地下逆襲路も完備させて、撃退するんだけど、無理だね。本当なら石垣山にも砦を築けば猿に利用されずに済むんだけど、いかんいかん怨敵の城がどうなったって良いじゃないか、どうも戦國オタクの血が騒いでしまうな。
北條家の場合政策とか民の生活向上とかは評価できるんだよな、義将と言われる上杉謙信のほうが、年貢とか重かったし年がら年中戦争ばかりで民の事あんまり大事にしてないし、関東へ来れば放火略奪三昧だったから、その点を考えると怨敵ながら北條家が勝っているんだよな、匹敵するのは織田信長か、あれも家臣には厳しかったが民には優しかったから。
それにしても驚いたのは、北條家は既に目安箱を設置していた事だよ、徳川吉宗の専売特許かと思ったけど、大違いだった。まあ楽市楽座も織田信長が最初に行ったように言われていたけど、実際は佐々木六角家が最初だったし、天守閣も信長じゃないし。結構歴史ってミステリーだ。
しかし、思い起こすは、幻庵爺さんとの丁々発止だ、あれで完全に嵌められた訳だからな、少しは冷静成らんと駄目だ。あの時は大失敗だった。
「余四郎です」
どうだ、挨拶も出来ない阿呆と思うだろう、下手すれば切られるかもしれないが。
「此、何という挨拶の仕方だ、申し訳御座いません、何分未だ十にも成っておりませんので」
綱房余計なことをするんじゃないー!!
幻庵が呆れれてくれればこっちの物だが、うわー、全てを見通すような目してるよ。
「ほう、余四郎殿はよほど小田原へ行くのが嫌と見えるな」
判ってるよこの爺さん。一族郎党皆が固唾を呑んでいるのが判る。
「いえ」
「ほう、儂には余四郎殿が小田原へ行きたくないと眼で語っている様に見えるが」
「幻庵宗哲様の気のせいでしょう」
「ほう、水車の事、灌漑用水の事など、阿呆には出来ぬ事だが」
「偶然の産物です」
しつこい爺さんだ、中々諦めやしない。
「酒についても、糠漬け物についても、只の小童では出来ぬ事」
「聞き及んだことを、金右衛門にやって貰っているだけに御座います」
どうだ、悪いが金右衛門に小田原へ行って貰おう。
済まんな、金助、親父殿を出仕させておけば、そのうち徳川旗本の道が確実に開けるんだから、我慢してくれ。
「金右衛門とやら、そちの功績は大きいと言えるのか?」
そうだ、金右衛門、その通りと言っちゃえ。
「滅相も御座いません、私が行いました事は全て余四郎君の御発案で御座います。私は手を貸したに過ぎません」
ぐわー!何言ってるんだ!!益々爺さんの眼が輝いたじゃないか!
「金右衛門、御苦労じゃ」
「はっ」
「さて、余四郎殿、嘘はいかんぞ、嘘は」
えーと、眼が笑ってないんですが、本気モードですか。
「余四郎殿に聞く、鉄炮を重視するはなんぞや」
本気モードなら此処は、誤魔化すしかない。頑張れ俺、演技を見せろ!!
「新しい物が面白いからです」
幻庵爺さんが眼を細めて来た、うわー眼光が鋭い。
「ほう、余四郎殿は何も判らずに鉄炮を求めたいと言う訳じゃな」
「その通り」
「あの様な高価な物、我が家でも最近増やしはじめたにもかかわらずか、嫌に高いおもちゃよの」
うわー、爺さんの言葉で、鉄炮不定派が頷いてるよ、このまま行けば、家に残っても鉄炮の配備は絶望的になって来た、此処は少しでも鉄炮擁護派を増やさないと駄目だ!
「高いおもちゃではありません。一町の矢比にある鎧を打ち抜くそうですから、狙撃に使えば兜頸も取れましょう」
ザワザワし始めた、“卑怯な”とか聞こえるよ。
「ふむ、一町では馬であれば直ぐに蹴散らされて仕舞うではないか、その点はどう考えるか」
爺さんめ、此で六十かよ人間五十年の時代に十歳オーバーじゃヨボヨボのはずが、全然元気じゃないか、北條の爺は化け物か!
「数を増やせば解決します」
「そうも行くまい、鉄炮の値段より馬の値段の方が安いのじゃ、騎馬を増やす方が合理的だと思うがの」
うがー!誘導尋問かよ、こっちの考えを旨くわかってら!畜生!このままだと本当に鉄炮はダメダメ兵器だと思われてお仕舞いになりそうだ。
「戦場に掘りを巡らせ頑丈な柵を作れば、騎馬を防げます。その隙間から鉄炮で狙撃すれば良いかと」
「ほう、しかし遭遇戦どうする。堀も柵も作れぬぞ」
「その場合は、先に槍衾で鉄炮隊を護りながら、準備をし撃ちまくります」
どうだ。此こそ戦闘だ!あれ、旨く乗せられた気がするんだが。
「ほう、鉄炮は連射が出来ん、その様な事では蹴散らされるぞ」
「それならば、火薬と玉を紙で一纏めにした弾薬包を作りそれを兵に持たせておけば、連射も可能でしょう」
既に何言ってるんだこの二人って感じで皆がぽかーんとしてる。
「ほう、しかし、そうなっても鉄炮は高い。その点はどうするつもりじゃ?」
「國産すれば良いかと」
「國産か、しかし中々作るのが難しいと聞くぞ」
「高禄を持って根来衆や国友衆を雇えば良いかと、先行投資しておけば、最終的に得になりましょう」
「煙硝も輸入じゃ、此も又高い」
此処で来たか、科学知識を活用すれば硝石なんぞできるさ。
「硝石は確かに輸入ですが、唐や南蛮では人工的に硝石を作るそうです」
「ほう、余四郎殿は何処でそれを」
「旅の僧より聞き及びました」
「してその名前は?」
「沢庵と申しておりました」
沢庵和尚、名前使って済みません。未だ生まれてないけど。
「ほう、それを聞いただけで、実践するとは、余四郎殿は大器よ、末が楽しみじゃ」
あーーーー、やばい、完全に嵌められた。此処は少しでも嫌みを言ってやるぞ。
「そもさん」
「説破」
「幻庵様は、坊主であり箱根権現別当にもかかわらず、今だ戦事で殺生するはなんぞや」
「武士の出家は方便であり、擬態である、我が父伊勢早雲庵宗瑞も儂を作ったは出家後であった」
グファ!完全に返された、流石チート爺だ敵わん><
「若、若」
金次郎の声に現実に引き戻された。
「ああ、どうした?」
「そろそろ、蓮の御門だそうです、下馬の御支度を」
「ああ判った」
「余四郎、今日からここがお前の住む所じゃ」
爺さん、元気すぎだよ。
天文二十年二月十日
■相模國足柄南郡小田原城
「父上、何故たかが、外様の人質なんぞに我々が揃って会わねば成らないのですか!」
次男松千代丸(氏政)がふて腐れた様に氏康に話しかける。
「そう言うな、三田の四男は幻庵殿が認めたほどの大器だそうだ、会っていて損はないぞ」
嫡男新九郎が宥めるように話しかける。
「余四郎というそうだが、私の二歳年下ながら、かなりの人物と聞きます」
年齢不相応の落ち着きで話すのは、三男藤菊丸(氏照)。
「ふんー。そんな餓鬼が大器だって、幻庵殿もとうとう惚けたか」
幼いながら毒を吐くのは、四男乙千代丸(氏邦)。
「どの様な人物なのでしょうか」
ワクワクと七歳の子供らしいのは五男竹千代丸(氏規)。
「兄じゃ、幻庵殿の見立てじゃ嘸かし面白き小童であろうな」
豪快に話すのは氏康の四弟北条氏尭。
「どの様な子でしょうね」
にこやかに妹達と喋るのは、氏康の長女で史実では今川氏真室、早川殿と呼ばれる綾姫。
「大器であれば、妙の婿に良いのではないかしら」
妹を茶化すのは次女で史実では北條綱成の子北条氏繁室、新光院殿と呼ばれる麻姫。
「お姉様、恥ずかしいです」
恥ずかしがるのは、三女で史実では千葉親胤室、尾崎殿と呼ばれる、妙姫。
四女以下は未だ幼きため来てはいなかった。
「阿呆か、外様の人質風情にしかも家督も継げぬ者に大北條の姫を嫁に出せるか!」
麻姫の冗談に本気になって松千代丸が怒る。
麻姫と妙姫は泪目になってしまう。
「松千代丸、妹を虐めるでない!」
氏康の一喝に松千代丸は黙り込む。
「殿、幻庵様お帰りに御座います」
近習が氏康に幻庵の帰還を告げる。
「幻庵殿をお呼び致せ」
暫くすると幻庵が十歳弱の子供を連れて氏康達の待つ大広間へやって来た。
「左京大夫様、お待たせ致しました」
「幻庵老御苦労であった」
公式の席であるから普段と違い筋目を立てながらの謁見となる。
「してその子が、幻庵老の言う麒麟児か」
「真、優れた見識を持っておりますぞ」
そう言われながら、頭を下げているので余四郎にしてみれば二人の表情は伺えないのでどきどきものである。
「三田余四郎、面を上げ」
氏康の言葉にゆっくりと顔を上げると、小田原城址公園にある、氏康絵によく似た姿の氏康が座っていた。まあ本人の絵なのだから似てない訳が無いのだが。修正とかしている絵もあるから。
「ご尊顔を拝見させて頂き恐悦至極に存じます。私は青梅勝沼城主三田弾正少弼綱秀が四男余四郎と申します、左京大夫様にはご機嫌麗しく」
立派な挨拶に集まっていた者達は息を呑む。
「天晴れな事だ、のう左京大夫様」
氏尭が兄に対して鯱張った口調で話しかける。
「うむ。余四郎。そちの話は幻庵老などから聞いておる、そちの見識を我が家で役立てて見よ。後三年もすれば元服させ新九郎の馬廻りとするつもりじゃ、精々努力するようにな」
「御意に御座います」
内心ではウゲーっと思っても顔には出さないのが社会人として生きてきた前世の経験である。
「余四郎は暫し幻庵老に預ける」
「お任せ下され、立派な武将に育てて見せましょう」
こうして、初顔合わせが終わった。
余四郎や老臣達が下がった後氏康の部屋で氏康と氏尭で話がされていた。
「あの小童、相当な人物に化けるぞ」
氏尭の言葉に氏康が頷く。
「多摩川用水だが、風魔に調べさせた所、絶妙な位置に想定しているそうだ」
「ほう、どの様な物だ」
「尾根筋を見事に通る様にしてあり勾配まで絵図面には書いてある」
「なるほど、それだけでも貴重だな」
「それだけではなく、鉄炮に関しても詳しいようだ」
「鉄炮か、増やしはじめたはよいが、中々使い勝手が悪いが」
「それだが、此を見れば非凡さが判る」
そう渡された書簡を見た氏尭は驚く。
「兄じゃ、此は鉄炮の欠点を殆ど潰しているではないか」
「そうよ、齢八で此ほどの人物だ、仮想敵國に置いておくには危なすぎる」
「それに勿体ないか」
「そうよ、あれを自家薬籠に出来れば、北條の為に役にたとう」
「でどうする?」
「幻庵殿に暫し育てて頂き資質が狙い通りであれば、十二~三で元服させ、妙の婿にする」
「一家を持たせるか」
「そうよ、妙とは一つ違いだ似合いの夫婦と成ろう」
「しかしそれならば、千葉の方はどうする?」
「千葉よりあの小童の方がよほど大事よ。千葉には養女を宛がおう」
「松田の娘辺りか」
「そうなろうな。何せ北條の血も引いておるしの」
「しかし、面白き事よ、早雲爺様もこの様な事を知ったら墓から飛び出して来るかもしれんな」
「アハハ」
この日は夜遅くまで明かりが消えることがなかった。
第睦話 救荒作物と煙硝
天文二十年七月五日(1551)
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷
今日は図らずも天正十八年に北條家が猿に降伏した日じゃ無いかまあ関係無いけど、幻庵爺さんに引き取られて早くも半年経った。しかし何だこの爺さん、年寄りだから朝早いのは判るが、日の出と共に起きて、俺も起こされ本殿の掃除に薪割り、それが終われば今度は朝練だ!それが終わって朝食だけど、玄米に野草の入った糠味噌汁(大豆味噌は主に戦時中用)里芋、梅干しと精々鰯や鰺が付く程度、まあ庶民に比べれば贅沢だが、爺さん、馬術、弓の名手だし、元々北條家は作法伝奏を業とした伊勢家出身だから、その後継者として文化の知識も多彩で、和歌、連歌、茶道、庭園・一節切りなどに通じている。しかも手先も器用で、鞍鐙作りの名人で「鞍打幻庵」とも呼ばれんだそうで、時折作ってるのを見せて貰っている。
しかし、仕込みが厳しいわ。爺さんの子供の時長殿、綱重殿、長順殿も苦笑いしながら『俺達もこの扱きに耐えたんだから頑張れと』応援してくれるけど、手は出せないそうで、ドンだけ強いんだこの爺。しかもだ、この年で六歳になる娘までいるとは、確かこの子は世田谷吉良氏の氏朝に嫁ぐはず。その他本来の歴史で行けば上杉三郎景虎になるはずの氏康息子の妻になる姫までいるはずだが、未だ生まれてないって事は、これ以降に生まれるって事だよな。すげーお盛ん!まあ毛利元就も九男小早川秀包を作ったのは七十歳の時だったはず、まあこの爺ならあり得るわ。
さてさて、勉強も作法も武術も必要だが、此方もこの期に来る関東地方の災厄を知っている以上は座して目する事も出来ないから、所謂“義を見てせざるは勇無き成り”だからね、まずは凶作と干ばつなどによる飢饉対策だが、救荒作物を大々的に耕作放棄地に植えさせてそれを保管させるシステムが必要だ。
救荒作物として有力なのはジャガイモだが、この時代未だヨーロッパにも入ってきたか来ないか状態でアジアまで届いてないから駄目、トウモロコシも同じだ、サツマイモも同じで、この時代はフィリピンから中国に伝来したのが1594年である事を考えるともしかしたら東南アジアになら有るかも知れない、確実なのは十世紀に南米から流入したらしいニュージーランドになら有るんだが、そこまで行けないので駄目だが、ポルトガルかスペイン人商人から手に入れられるかも知れないから、国府津湊や品川湊や江戸湊の商人へ頼むのも手だがな、こう考えるとこの時代が一番やり辛い事が判ってくる。
そうなると、サツマイモには期待だが、それが駄目なら旧来からの救荒作物の粟、稗、黍、モロコシ、蕎麦を植えるしかないな、後は里芋の生産で芋茎を大量生産し保管しておくしかないか、塩も大量に製造しないとだから最初は入り浜式塩田の試験を行って、その後流下式塩田にして竹に海水ぶっかけて蒸発させる方式で行けばかなりの成果が出るはずだ。
あとは、四公六民の税制から四公五民一義に出来たら良いのだが、年貢の一割を義倉に蓄えそれを飢饉の時に放出すれば救荒は可能なはず、日本や中国でも昔は行っていたし江戸期に入ると七部積み金や社倉として復活しているから、この北条家の税制体系なら可能なことだと思うんだが、何せ悪徳代官とかは目安箱による訴えで処罰されているのだから、よほど江戸幕府より進んだ施政だ、敵ながら天晴れとしか言いようがない。
武蔵野の開墾だって各地から流れてくる流民を屯田兵として開墾させれば実質そんなに費用も懸からずに最終的にペイできる、多摩川用水を作るとしたら完全コンクリート作りで船運や筏流しが出来る様な水深と幅を持たせて作れば、北からの来る脅威に関しての大堀に流用するのも一興だ。
用水の南側に村を作って、ズラッと砦状態にすれば、襲われる前に避難が可能になるしコンクリート製の壁も作ろうと思えば作れるし、鉄筋はないけど太平洋戦時中に作った國鉄戸井線のコンクリート陸橋は鉄筋ならぬ竹筋コンクリートで有りながら戦後六十年経ってもビクともしない状態なので、その頑強さが判るという物だ。
それにコンクリート自体は作ることが可能だ。青梅や奥多摩や日の出から石灰石を産出すれば、北條氏とても三田家を冷遇する事も無いだろうと思うんだが、如何せん自分の領土にした方が手っ取り早いと動く可能性もあるんだよな。公共の幸せを取るか家族の幸せを取るかって難しいよ。
本来であれば、対北條戦用に考えていた作戦が此処にいる状態じゃ全く手がつけれれないしな。宝の持ち腐れも嫌だし、幻庵爺さん厳しいけど基本的に良い爺ちゃんだし、氏康殿も資料で読んだ通りの民政に気を配る良い殿様だった。
長男新九郎殿もお優しい御方だし、けど早死にしちゃうんだよな、原因がなんだか判らないから動きようが無いんだよ。次男松千代丸(氏政)殿は、俺のことを見下す態度が在り在りだったんだよな。流石北條家を滅ぼした四代目と言えるか。まあ今は次男だから良いんだけど、あれ世継ぎになったらどうなるやら不安だ。
意外だったのは三男藤菊丸(氏照)殿、三田家最大のライバルで怨敵なんだけど、スゲー良い奴だ。氏政が『精々殺されぬように大人しくしているのだな』と言ったのに、『齢九で親元を離れて寂しかろうが、幻庵老の優しさはよう知っておる、それに時々遊びに来るが良い』だからね、人格的に出来た人物だよ。敵じゃなければ良い友人に成れそうな人だ。
四男乙千代丸(氏邦)殿は、あの年齢で腹黒い、凄まじいぐらい腹黒い。今は九歳ですが前の人生を合わせれば優に幻庵爺さんに匹敵する年代生きてきたんだから、あの程度の擬態じゃ騙されないですよ。流石に養父が死んだ後に義弟用土重連を暗殺しただけのことはある。
五男の竹千代丸(氏規)殿は無邪気な子供だったけど、此から暫くすると今川の人質に成って松平竹千代(徳川家康)とお隣に成るんだよな、それで仲良くなったはず、もしかして幼名が同じだからかも知れないな。
長女の綾姫はその時に今川氏真に嫁いで早川殿と呼ばれるだけど、今川義元戦死後はまるでどさまわりの芸人の様にあっちこっちをたらい回しだし、実家からも武田に遠慮するために追い出されるし気の毒なお人だ、美人なだけに薄幸の美女の名がピッタリ合うんだよ。
次女の麻姫はあの黄八幡で有名な北條綱成の子北条氏繁に嫁いで新光院殿と呼ばれる。彼女は子宝にも恵まれたんだよ。
三女の妙姫は気の毒なお人だ、俺より一つ下の数え八歳だが、下総の千葉氏第二十五代当主千葉親胤に嫁ぐんだが旦那が弘治三年(1557)に十七歳で暗殺されて未亡人になるんだよ。それ以来歴史に出てこないから、どうなったかは不明だけど、その時一緒に死んだ可能性もある。しかし弘治三年って数えで十四歳かよ、実質中学生、まあこの時代結婚は早いから、実際徳川家康の両親も十五歳と十三歳だったからまあ普通か、それにしても可哀想な気はするね。
まあ此も戦国の世の習いとして俺がどうこう出来る事じゃ無いし、出来る限り頑張れと応援するしか無いんだよ。それにしては不思議なことで、時たま幻庵爺さんと一緒に小田原城へ行くと、新九郎殿、藤菊丸殿、竹千代丸殿のもろ奇数組とはウマが合うんだが、偶数組は殆ど顔もあわせやしない。
それに姫様達はお優しいし、怨敵北條って気持ちがぐらつくね。特に妙姫が健気にも甲斐甲斐しくお世話しようと頑張ってくれて、スゲー心が和むわ。ロリじゃないですよロリじゃ、父性愛と言う物ですから。決してロリじゃありません!!
氏政、氏邦コンビは会う度に嫌みを言ってくるし、新九郎殿、藤菊丸殿、竹千代丸殿とは戦争はしたくないが、氏政、氏邦ならかかってこいと捨て台詞を残して戦いたい心境に成ることが多々ある。
それに老臣の松田盛秀の息子憲秀も嫌な奴だ。筆頭老臣の息子ってだけで、見下した態度を取りやがる、こちとらテメーが三十九年後に猿に内応を約束している事も知っているから、胡散臭く見たのが原因かね、それなら自分のせいでもあるけど、氏政と一緒に成って愚弄してくるから、何かむかつく。
まあ頭に来ることは置いといて、科学技術の進歩をさせなきゃ。
硝石作りについては、箱根の地熱を利用して硝石穴を恒久的に温める方法を作成し囲炉裏端に穴掘って温める方式との検証実験中、此も爺さんとの話の中で聞き出された物だから、しっかし爺さん凄く聞き上手だ。それに日本最初の人工硝石作りの名誉を取りたいという研究者の好奇心が機密に勝ったと言うか何と言うか。
馬小屋とか古い民家の床下やトイレから硝石が取れると聞いた時の爺さんの驚き振りは傑作だったね。
「さて、余四郎、おぬしの言う硝石の作成法じゃが、本当に出来る物なのかな?」
「出来ます、蚕の糞、黍殻、尿などを混ぜ合わせれば、五年ほどで床が出来ます」
「ふむ、五年か儂は生きておらんかもしれんな」
いえ、とんでもありません貴方は九十七まで生きますよ。
「最低五年で翌年からは毎年生産が可能になります」
「ではやってみるが良いが。困ったことに御本城様に煙硝の見本を渡さねば成らん、何か良い手はないか?」
んーあの手を教えるか、人工硝石作成には氏康殿と爺さんの協力が必要だからな、実家じゃこうはいかんから。
「それならば、馬小屋、民家の床下、厠の下から土を取り、加工することで煙硝が出来るそうです」
「ほう、真か」
「教わりました」
「余四郎はそれを覚えているのか?」
「覚えております」
「良し、明日からでも作ってみると良い」
「はい」
あああ。又、のせれらた!!
爺さん旨すぎるぜ、俺が間抜けなのかも知れないけど。
そんな訳で、まず下男や厩番などを動員して、厩屋や古い家の床下の表面の黒土を大量に集め、大桶に入れ、水を加え、含まれている硝酸カルシウムを水溶液として抽出。この水溶液を大鍋で加熱し、これを木灰を入れた桶に注ぐ事により、高濃度の硝酸カリ水溶液となり、これを濾過し煮詰めて乾燥すると粗製の硝酸カリウムが出来ると言う訳で、作業工程見せた氏康殿と爺さんも盛んに頷いていたな。
爺さんは盛んに『うむー、此は凄い、しかし一度取ったらどの程度で又取れるのだ』って鋭い質問をしてくるし、氏康殿は『煙硝を国産化出来れば、此程よいことはない』って言って居たが、俺を見る目が獲物を狙う鷹のような目なんだよな、此は秘密を守るために消されるパターンなのかと思ったが、此処数か月何の危険もないから平気なんだろうけど、不安だ!!
天文二十年五月二十日
■相模國足柄下郡 小田原城
余四郎が煙硝を作成したその日、小田原城内では北條氏康、北條氏尭、北條幻庵の三者が会談を行っていた。
「幻庵老、三田の小童は噂に違わぬ麒麟児よ」
酒を飲みながら北條氏尭が話かける。
「確かに、一度聞いただけの事を実践出来るは凄いが、それだけではない気がするの」
「未だ未だ才能を隠して居るという訳か」
「何れにせよ、今日の煙硝だけを見ても、余四郎を他所へ送ることも、ましてや勝沼へ返すことも適わん」
幻庵、氏尭の言葉に氏康が返す。
「そうさよ、俺が見ても才気がある、あれを逃がせば北條の為にならん」
「それよ、やはり妙の婿に強引にでも迎え入れるしかない」
「三田は何時裏切るか判らんが、それでも残すか?」
「家を潰すより、残すを選択するで有ろうよ」
「幻庵老には引き続き頼みますぞ」
「左京殿お任せあれ」
第漆話 初の謀略
天文二十一年二月二十日(1552)
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷 三田余四郎
年も明け、幻庵爺さんが製塩までしているの知り、覚えていた上げ浜式塩田、流下式塩田、竹を使って行う濃度濃縮方法の話をしたら、そのまま海まで連れられて塩田改修に参加させられました。
その際、水を効率よく揚水するアルキメディアン・スクリューと鞴によって行う自然乾燥方法の原理を説明して実際に番匠の手を借りて製作した所、海水を高所にある塩田へ効率よく揚水出来る上に、濃度の濃い塩水が製造できるようになり塩の生産が何倍にもなり品質も良くなった為、爺さんに賞められた上、分け前を大量にくれたので資金的にホクホクになりました。
それから暫くして、北條軍が関東管領上杉憲政様の居城上野平井城を攻め落城させたので氏康殿幻庵爺さんも上野へ進軍中の為、幻庵爺さんとの修行も休み中なので、色々と考えを纏めているのです。
例えば硝石から硝酸を作成するのは、二つの方法があるんだよな。明礬と硝石を混合し蒸留する方法と、硝石と硫黄を燃やしてそれに水蒸気を混入し、硫酸を作成し、その硫酸と硝石を混合して蒸留して、その蒸気を冷やすと硝酸ができるんだから、培養法である程度人工硝石が作成できたらやるしかないな。
硫黄自体は箱根から取れるし、幸いなことに明礬は伊豆半島西海岸の黄金崎の北の宇久須に明礬とガラスの原料である珪石の鉱山が露天掘り可能な状態であるから、其処から採掘すれば良いわけだ。意外と北條家領には鉱物資源が眠っている。
土肥金山もこの時代は未だ発見されていないし、石膏の取れる渋沢鉱山も手つかず。秩父鉱山も未だに未発見と来ている。この宝の山を有効的に使ったのが徳川家康だが、知ってる以上狸親父には使わせたくないのが心情なんだよな。
徳川家康批判になるんだが、天下取りのやり方が汚すぎるし、庶民に対する扱いも酷すぎるから、好きじゃないんだよ。百姓は茶を飲んではいけないとか、山葵栽培は秘匿とか、しかも吝嗇でもあるから、蒲生氏郷があれほどのケチでは人が付いてこないと、言ったのも判る気がするんだが、三河武士の従順さが無ければ、天下取れなかったんだろうと思うね。
批判はさておき。硝酸が出来れば、火薬生産に非常に増長性が出てくるんだが、問題は製造道具から作成しないと駄目と言う事で、蒸留や乾留するランビキも必要だし、まずはガラス細工を出来る様に陶器職人を廻して貰わないとだし、結構遠回りしていかないと駄目だ。
ガラス器だけでなく陶器自体も磁器や釉薬を懸けた水が漏れないものを制作しなければ成らないし、それさえ出来れば磁器や釉薬陶器やガラス器で商売が出来るから、幻庵爺さんも反対しないはず。実験道具が出来たら早速火薬の作成なんだが、問題が多数有るんだよな。
綿火薬自体の製造法は知っているんだが、ハッキリ言って現在の状態では実験程度の量なら生産可能だが、大量生産は無理であると考えた。何故なら綿セルロースを硝化する事で綿火薬、所謂無煙火薬が出来るのだが、製造には清潔な水で数十時間、酸を洗わなければ成らないからで、綿火薬自体に金属粉が混入した場合、異常爆発を起こしかねない。現在の流水は川の水である為、不純物が多数混ざるのは避けられないからだ。
後装式小銃の量産は現在の生産力ではほぼ無理、試作程度なら後装式小銃自体は作ろうと思えば出来るんだが、最大の問題は、金属薬莢がプレス機械の関係で無理。水車動力で単純なプレスなら出来るかも知れないが、リムを作る様な絞り型プレスなんぞ出来る訳が無い。
フライス盤、ターレット旋盤とかは、水車動力で動かせるんだが、構造は流石に知らないし、試行錯誤で制作するにしても1人じゃ無理だし、どうしても即在の技術を最大限に使うしかない。鉄砲鍛冶の大量養成をするのが一番なんだが、此は北條家を強めるだけだし、非常に迷う状態だ。
前にも考えたが、ライフル自体は既にヨーロッパで15世紀半ばに作成はされているから、その技術を入れられれば、旋条を入れることも可能だろうが、日本までその技術が流入してないから、自力で作成するしかない。
水車動力で銃身の刳り貫きしようにも、鍛造の鉄塊がないから無理。鉄もこの時代では溶解するのが非常に難しいので、やはり青銅で型鋳造するしか無いんだよ。頭の中には設計図が出来ているから。機関部や銃身やボルト部分ごとに砂型、石膏型、金属型を使い分けて製造すれば、この時代としては画期的な歩兵銃が出来るはずなんだ。
ただ真鍮薬莢のみが製造不能というジレンマ。そうなるとプロイセンのドライセかフランスのシャスポーのような紙薬莢に雷管張り付けたものにすれば良いんだけど、ボルトに激発装置を付けるのが、これまた難しい。一応原理は知っているが、知っていると作れるのは別だから、それに手先の器用な職人にどう伝えれば納得して貰えるかも問題だよ。
雷管も雷汞である雷化水銀は愛読書だった武器って言う本の知識から、硝酸+水銀+アルコールと判っているし、それに近い爆薬で硝酸メチルなら、木炭作るときに出る木酢酸を蒸留して出来るメタノールを硝酸と混ぜ、乾留すれば出来るから、以外に雷管は早くできそうな感じに成って居るんだが、所詮は畳の上の水練だから、どうなるか判らない。
無煙火薬は無理でも黒色火薬より燃焼速度が遅くてライフルリング銃に合っている褐色火薬なら直ぐ作れるけどね。木が完全に炭化して黒くならないうちに焼き止めて作った褐色木炭18%、硝石を79%、硫黄を3%混ぜれば良いだけだ。
しかし、学生時代に図書委員だったからか、散々雑学仕込んだ事がこんな事で役に立つとは思わなかった。木酢酸だって某鉄腕番組からの知識だし、農薬として使えるから幾らでも製造して貰えるから怪しまれずに流用が可能だし。
そうなんだよな、武器ばかり目にいくけど、この時代は千歯扱きすら未だ無いんだよ。この辺は農民の苦労を少しでも減らすために制作して貰おう、ついでに綿繰り機も作れば、農村に余裕を持たせられるはず。まあ余り機械化してもいけないが、ある程度なら許されるだろう。
ただアイデアを教えるのであれば、偶然思いついたの、神仏の加護だの、夢枕に立ったとか言えば、この時代は信心深いし、迷信や祟りを恐れるから、誤魔化せられるんだけど、鉱山も同じ様に神仏のお告げとしておけば大丈夫なんか不安。いっその事ダウジングで見つけましたと誤魔化すか、んーあの爺さんじゃ直ぐに見破られそうな気がするが、今は居ないから新九郎殿や源三殿を煙に巻いて鉱山発見させようか、どうしようか。
天文二十一年三月二十日
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷 三田余四郎
あの後上杉憲政様は上野北部で抵抗していますが、蟷螂の斧状態でジリ貧です。歴史の結果知っているので、この後、上杉家から養子が入った佐竹家へ行き佐竹義昭殿に上杉の名跡と関東管領職を譲ると言う話があるけど、佐竹側だけの記録なんだよな。史実になるか此で見物だけど判るかな。
その後、越後に向かって長尾景虎殿に上杉の名跡と関東管領職を譲るんだよな。此のために我が三田家は進路を誤ったと、北條へ来てから最近北條家の方が民には良い暮らしを与えているじゃないかとヒシヒシと感じてきたから、関東乱入の被害を考えると何か腑に落ちない気がしてきている自分が居るんだよ。
鉱山に関しては戦争中で忙しく、未だ全然言えてません。その他も未だ机上の空論です。
おっ屋敷が騒がしくなってきた。幻庵爺さん達が帰還だな、挨拶に行かなきゃ駄目だ。
「今帰った」
「旦那様お帰りなさいませ」
「お父上、兄上、御無事で何よりで御座います」
「おう、結も元気であったか」
「はい」
因みに結ちゃんは、幻庵爺さんの七才の娘です。
「幻庵様、時長様、綱重様、長順様、御無事で何よりで御座います」
挨拶は大切だからね。
「ハハハ、余四郎、修行が又始めるとガッカリ顔がよく判るぞ」
流石、爺さん心を読まれたぜ。
「父上も、大概に為され、余四郎殿が困って居るぞ」
ナイスです時長様。
「まあ、良い、儂等は暫く上野の平定を進めねば成らんから、余四郎は暫し他の者達に勉学と武術を教わらせよう」
あっそうか、幻庵爺さん確か上野の平定をして、一時期は沼田城まで落とすんだよな。その後に長尾景虎の猛攻で撤退せざるを得なくなるんだけど。
「平定で御座いますか」
「そうよ。上杉憲政殿の居城平井城落とし、上野北部で抵抗中じゃからな」
「それに、憲政の息子龍若丸も捕らえた故」
あっそう言えば思い出した。上杉憲政様の御嫡男龍若丸様は身柄は寝返った重臣妻鹿田新助(龍若丸の乳母の夫)により売られたんだ。それで氏康殿が処刑したと言うのを読んだ気がする。確か十一才ぐらいだったはず。それにより上杉憲政様は長尾景虎殿を養子にしたと言うけど、どうなんだろう?
けどこのまま行けば、龍若丸様は処刑される。可哀想と言えば可愛そうだが、殺さずに利用できるんじゃ無いか?このまま何もしないで、上杉憲政様の元へ送り届ければ、他の関東諸侯に対して北條家の懐の大きさを示せるし、更に実子が健在なのに果たして憲政様が景虎殿に上杉の名跡と関東管領職を譲るだろうか?
仮に譲ったとしても、正当な上杉の後継者は非常に扱い辛いはず、特にこの後、長尾顕景の養子問題の時に龍若丸を輝虎殿の養子として家を継がせろと言う派閥争いが起こるかも知れない。越後衆の上田衆に対する鬱積はかなりなものだからこそ、北條家出身の三郎景虎殿を担ぐ連中が多数出たのだから、此処で第三極が入れば益々混乱するのでは無いか?此処で龍若丸を殺させることはさせない方が良い。
「幻庵様」
「どうしたのじゃ?改まって」
「龍若丸殿ですが、如何為されるのですが?」
「元主家の嫡男であるから気になるか?」
「そう言う事ではありませんが、僅か十ほどと聞きました故」
「うむ、恐らくじゃが、磔にされる」
やはりか、此処は歴史に対抗だ!
「それはお止めください」
「余四郎、其れを言うのは止めておけ、お前だけではなく実家にも迷惑が掛かるぞ」
「いえ、慈悲の心からではないのです」
「何じゃと言うのじゃ?」
「はい、子を殺された親が怒り狂うは必定成れど、如何せん憲政殿では大したことは無いことは今までの戦振りから判りますが、自分の跡取りがおらず、手近に上杉家から養子の行った家があり、その家が強家であれば如何しますか?」
幻庵爺さんが考え始めた。
「うむ、確かに其処を頼るやも知れんが、佐竹では未だ未だだと思うが」
流石、佐竹のことを知ってるな。けど長尾の事は知らないみたいだ。
「いえ、佐竹ではなく、越後の長尾です」
「しかし、長尾は平氏、上杉は藤原氏、しかも血のつながりは無いはずじゃ」
「はい、確かに越後の長尾には血のつながりは無いはずですが、同族である下総の長尾が以前上杉家から養子を迎えたらしいのです。それを拡大解釈すれば長尾にも上杉の血が流れていると言えなくもないのです」
「なるほど、そう来たか。しかも長尾の当主は若くから戦に関しては才気を見せていると、それを上杉当主にするより、凡人を当主にした方が良いという訳じゃな」
「そう言う事です」
「しかし、それだけでは説得力にかけるやもしれんぞ」
「それならば、長尾は先祖代々悪行を行ってきております」
「管領と、主殺しの事じゃな」
流石幻庵爺さん知っているか、けど此処まで知っているかな?
「はい、長尾景虎の父為景は先々々代の管領上杉顕定公と先代越後國主の上杉房能殿を殺しておりますが。
しかし長尾家はそれにだけでは無く、結城合戦では捕虜にした関東公方足利持氏様の遺児であられる春王丸様、安王丸様は京への護送途中に長尾実景に依り惨殺されております。更に実景は主君である上杉房定に背いております。
此を考えるに、長尾は代々公方様(関東公方)、管領様(関東管領)主家(越後上杉氏)に弓を引いた不忠者にございます。それに比べて北條家は、伊豆で足利茶々丸を追放はしましたが、殺したのは武田にございますし、茶々丸追討自体、将軍義澄様のご命令でございましょう。
小弓公方討伐とて兄に逆らった足利義明を公方様(足利晴氏)より命じられただけで全て上意討ちにございます」
幻庵は余四郎の弁に目を見張る。
「確かに、長尾と比べれば、当家は非難されることも少なかろう、しかし管領と戦ったは覆せぬぞ」
「はい、それに関しても、当家は扇谷上杉家の血流しましたが、管領様の一族の御血は流しておりません、その辺を鑑み、龍若丸殿をお返しすれば、管領も考える事もあるやも知れません」
余四郎の話を素早く計算し、北條に益有りと感じた幻庵は氏康を説得しようと考えた。
「判った。氏康殿に早速伝えてこよう」
あの後、龍若丸様は、史実と違い古河公方足利晴氏様の仲介で無事上野白井城で抵抗中の上杉憲政様の元へ戻されました。さて此で歴史がどうなるか?上杉謙信は誕生するのか判らなく成ってきたけど、何かやりたく成っちゃたんだよ。
何とか試作した千歯扱きと綿繰り機を幻庵爺さんに見せたら、画期的な物だと言う事で早速量産が始まり、今年の収穫から使うって事です。ついでに義倉も指摘したら、粟稗蕎麦などの雑穀なら可能だと言う事でやってみることが決まったようです。此で農民が飢饉で飢えることが無くなると良いよな。
第捌話 食生活を豊かにしよう
天文二十一年四月十日(1552)
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷付近の山
「兵庫介、満五郎、そっちじゃ!」
森の中をガサガサと凄い早さで猪が走りまくる。それを数名の男衆が追い立てる。
「若、金次郎、行きましたぞ!」
加治兵庫介の言葉に野口金次郎は銃床付きの鉄砲を構えて火蓋を切り狙いを定める。
「今じゃ!!」
ズドンと言う音と共に金次郎の手により鉄砲が放たれ、見事猪に命中しドサッと言う音を残して猪は崩れ落ちた。
「見事、金次郎」
「若」
追い込んでいた者達も次々に集まってくる。
「兵庫介、満五郎、皆、御苦労じゃった」
余四郎の言葉に、皆が恐縮する。
「若、ありがとうございます」
「しかし、一発で命中とは金次郎も名射手になったな」
「いえいえ、頬撃ちではここまで行きません。やはり肩撃ちで安定しているからですね」
「猟には最適な種子島じゃが、戦には未だ未だつかえんな」
「鎧の形に合いませんから」
「まあ良いわ。でかい猪じゃから、今夜は創作料理を作るぞ」
「若の料理で有れば、楽しみですな」
「この前の、衣揚げも美味しかったですから」
「そうですな、あの胡麻油の風味と衣のサクサク感がたまりませんでしたな」
「と言う訳で、猪を持って帰るぞ」
「はっ」
天文二十一年四月十日
■相模國足柄下郡 北條幻庵久野屋敷 三田余四郎
帰る途中で畑に寄り野菜の収穫をしてから、屋敷に帰り台所の外の土間で猪の解体作業を開始。皮を剥いでいると猪の皮からダニやら寄生虫が次々と逃げていく、体温が無くなり宿主の死を知って寄生先から逃げていくようだ。
解体が終わってそれぞれの部位に分けたら料理の準備、まあ自分は料理には参加出来ないので、指示するだけだけど、現代食を少しでも作るためなら手間暇惜しみません。料理を作るのは幻庵爺さん所の料理番の志摩おばさん達がやってくれます。
「志摩さん、小麦粉で塩を入れない太い平麺をうって、寝かせないでいいから」
「寝かせないと、腰がでないですよ?」
「煮込むんので、そのままで良いんだ」
「判りましたよ」
流石、お志摩さん、テキパキと下女達に指示して麺を作っていく。
「汁は煮干しと椎茸で出汁取った後に、豆味噌を溶かして、それに南瓜を切って入れて」
「南瓜ですね、余四郎さんが、最近作ったんですよね」
「そうそう、南蛮から来た野菜だからね」
「煮物には良い甘みでしたね」
「汁に甘みが出るんだよ」
「判りました」
「煮えたら、野菜を入れて」
「大根、アブラナ、里芋、蕪の葉、金時人参、牛蒡ですか?」
「そうそう、煮えにくい物から順次煮て、麺も入れてとろみを出して、猪肉を入れて煮えたら灰汁を取る。最後にネギを刻んで入れれば完成だよ」
乾燥野菜や室に入れていた野菜もあるけど、カボチャは真っ先に江戸湊の商人に頼んで手に入れたから、まあ東洋カボチャだけど、人参も金時人参だし、白菜がないから代わりに菜の花を使う。
椎茸はこの時代は栽培できないので大変高価だが、以前作った寒天で椎茸の胞子を育て、それを大鋸屑と米糠と貝殻粉とかを混ぜた菌床で育成中。何れ養殖椎茸が出来るかも知れない。
「判りました。調理しますんで、お部屋でお待ちくださいね」
「はい」
部屋に帰れば、金次郎達だけじゃなく、何故か藤菊丸と竹千代丸まで来ているんだよな。
「よっ、余四郎」
「余四郎さん」
「此は此は、藤菊丸様、竹千代丸様」
「ああ、堅苦しい挨拶は無しだ」
「はぁ」
「猪を討ち取ったって聞いたから、食べに来たぞ」
「私は兄上に、連れられて・・・・・」
藤菊丸はさも当然という感じで、竹千代丸はあつかましい兄ですみませんと言う顔をして。
「まあ、どうせ又、変な料理を作るんだろう。味見役だ、味見」
料理に期待しているという顔が在り在りですよ。
「判りました。今作らせているので、暫しお待ちを」
最近、氏康殿幻庵爺さん達が上野へ遠征中なのを良いことに、二人はしょっちゅう飯をたかりに来る様に成って居るんだよな。
「この前の蒲鉾は旨かったぞ、刺身に向かないイシモチやサメ、膠の材料のニベの身を磨り潰して蒲鉾の材料に使うとは考えたものだと、城下じゃ評判だぞ。今じゃ蒲鉾屋が出来たぐらいだ」
そうなんだよな。小田原と言えば蒲鉾と提灯じゃなかと言う訳で、探したが無い。聞いてみたら蒲鉾はこの当時は非常高い物だった。何せ鯛の代わりに進物に使うぐらいだったから。それならとサメとかのあまり喰わない魚の白身を使って作ったのが、大当たり、幻庵爺さんや氏康殿にも認められて、あれよあれよと蒲鉾のライセンス生産が決定、城下の店に作らせたら安価で美味しいと大ヒット、僅か半年程度で小田原名物になりつつあるわけです。
「そうですか、食は文化と言いますからね」
「なんだか判らんが、旨い物を庶民が食べられるのは良いことだとは思う」
「ですね」
「んで、今日は何を作ってるんだ?」
興味津々で聞いてきますね。
「麺料理ですけど」
「麺か、ウトムか蕎麦切りか?」
ウトムって饂飩の事なんだよな。未だ饂飩と呼ばれてないから。因みに蕎麦も先取りで考案してしまったので、信州蕎麦が蕎麦第一号の栄冠から転げ落ちました。
「ウトムに近いですけど、腰がない麺を味噌で煮た物です」
「煮ウトムか、どんなもので有ろうか、楽しみだ」
竹千代丸が手持ちぶたさに見えたので、遊び道具を出して遊んでやることにした。
「竹千代丸様、何かで遊びますか?」
「いや、余四郎殿の御手を煩わすわけにはいきませんので」
見てこの礼儀正しさを、藤菊丸にも竹千代丸の爪の垢を煎じて飲んで欲しいものだ。
「余四郎、それじゃ俺と遊ぼう、又新しい遊具を作ったんだろう」
此だ、この人なんなんだかなー。
仕方が無いので、某傑作ゲームを出してきましたよ。
「此は?囲碁とも違う、背中合わせに黒と白の石が貼り合わせてあるのか」
そうです、あの日本生まれのゲーム、オ○ロですよ。子供の遊びとしては囲碁より良いですからね。
「こうやって、置いて挟まれたら引っ繰り返る訳です」
「なるほど、陣取りか」
「そんな感じです」
「武将将棋、投げ矢、花札、数字札とかよく考えつくよな。俺は無理だな」
武将将棋は軍人将棋、投げ矢はダーツ、数字札はトランプなんだよ。
いえいえ、真似しただけですから。
「何となくですよ」
「その、何となくが凄いんだよ」
「恐縮です」
「さて、それ名前有るのか?」
「未だに」
流石にオ○ロは不味いでしょう。
「なら、碁反でいいんじゃないか?」
「碁反ですか?」
「そうだ、碁石の様な石を反転させる。単純明快でいいじゃないか」
「そうですね、碁反にしますか」
「決まりだ。じゃあ、俺が烏帽子親だから、売り上げの一部は寄こせよ」
ニヤニヤしながら、さらっと分け前を要求してくるとは流石、北條家の血を引いてるよ。
「判りましたよ。売れたら払いますからね」
「以前の品も皆売れているから、大丈夫だろう。二割で良いぞ」
「重ね重ね兄がすみません」
竹千代丸がペコペコと頭を下げてくるが、苦労性だね。もう藤菊丸の行動に対しては諦めてるんで気にするなと言いたい。
「竹千代、何を言うか、正当なる報酬を受ける事も必要ぞ」
「兄上のは、正当と言えるかと言えば、かなり疑問ですよ」
「言うようになったな」
兄弟喧嘩じゃなく、犬の兄弟のじゃれ合いみたいなものだね。
「まあまあ、此でも食べて、落ち着いてくださいな」
そう言って、毎度試作品の数々を食べさせているんだよ。
「んこれは?」
「此方が、梅の蜂蜜漬け。こっちが小魚やアラメをたまり醤油で煮染めた物。でこっちが、寒天とエンドウ豆と求肥に黒蜜かけた物」
小魚の醤油煮は佃煮だし、寒天はあんみつ擬きだ。
「贅沢だな」
「余四郎さん、食べて良いのですか?」
「どうぞ」
藤菊丸は梅の蜂蜜漬けを試食、竹千代丸はあんみつを試食だ。
「旨いな、これは良い」
「美味しいです。姉上達にも食べて貰いたいです」
「そんなに、旨いか」
今度は藤菊丸が、あんみつを食べる。
「おっ、良い喉越しだ。此は確かに旨いな」
「でしょ。兄上」
「うむ。余四郎今度姉上達にも馳走してやってくれ」
「無論です」
“重畳重畳”と頷く藤菊丸。
「さて、此はどうかな?」
そう言いながら佃煮を食べる。
「んー、此は又、コクがあって旨いが、飯が欲しくなるな」
「そうですね、此だと湯漬けと一緒に食べれば更に美味しいと思いますよ」
「そうだな、今は無理だが、後で湯漬けと共に喰ってみよう」
もう持って帰る気、満々ですね。
「お土産に持って帰りますか?」
「ああ、頼む」
そうこうしていると、夕餉の支度が出来たと、お志摩さん達が、運んできてくれた。
「此で宜しいでしょうか?」
おっ完璧なほうとうですよ、流石お志摩さん。
「お志摩さん、此こそ求めていた物です。御苦労様です」
「宜しゅう御座いました」
「余四郎、此が煮ウトムか、何とも食欲をそそる臭いじゃな」
お志摩さんがみんなにそれぞれ分けてくれる。
「熱いですから、お気を付けてくださいませ」
散々食べに来ているので、今では普通に藤菊丸達と接しているから良いんだよ。最初の比は恐れ多くてとかで大変だったから。
「さて、此をかけると更に味が引き立つぞ」
出したのは、七味唐辛子、此も江戸湊から唐辛子の種を仕入れて畑で試作した物、未だ日本に入ってきて僅か10年足らずなので探させるのに苦労したけど手に入れられました。それで唐辛子、麻の実、陳皮、黒胡麻、白胡麻、生姜、山椒を入れたから。取りあえずは七味が完成、流石に芥子の実は手に入らないですからね。
「ほう、此は?」
「唐辛子」
「真っ赤だな」
「辛い物だから、入れすぎるなよ」
「判った」
少しかけて見せて、早速試食開始。皆食べ始めると、一様に黙々と食べ続ける。幻庵爺さんの家族は今小田原城に行っているから、下働きの人達とか留守番しか居ないんだよな。無論監視は居るけど。
「旨い。旨いぞ」
「美味しいですね」
「美味ですな」
皆一様に旨いの連発。やった、此でほうとうが完成です。
自分も食べたけど、化学調味料が無い分、自然の味がして何とも言えない旨味がでるね。
「余四郎、此は体が温まるな、冬の戦陣食には良いかもしれない」
「此は美味ですな。余四郎殿の考案なさった物は非常に面白い物が多いですからな」
いつの間にやら、藤菊丸の守り役の近藤出羽守が来てるし、しかも確り食べてるし。
「出羽、いつの間に来たのだ?」
「藤菊丸様がお城を抜け出して直ぐに気がつきましたよ」
「いやその、父上には内緒にして欲しいのだが・・・・」
威圧感有るな、流石歴戦の武者っていう感じがするな。けど近藤出羽守って八王子城で戦死するんだよ。
「一言、言って下されば良いのですのに、何故に何時もこうするのですか?」
「いや、行くと判れば、余四郎に余計な心配をかけるかも」
「それは、返って余四郎殿に迷惑ですぞ」
うひゃ、出羽守のお小言で藤菊丸がタジタジだ。
「そうか、では次回からは先触れを出せば良いのだな」
「仕方がありませんな、必ずお知らせ下さいませ」
「判ったのだ」
「余四郎、悪かった」
「いえいえ、その様な事は御座いません」
一応人質だし、出羽守が居るから、下手に出ておかないと。
「余四郎殿、余り藤菊丸様を甘やかさないで頂けたらと」
「判りました」
「出羽、余四郎の作る物は皆、面白く役に立つ物ばかりだ、此処へ来るのも学問の一環としてなら良かろう?」
仕方が無いという感じで、出羽守が答える。
「判りました。先ほども言いましたが、私の許可を受けてから一緒に出かける事にして頂きますぞ」
「出羽、判った」
「さて、それでは、藤菊丸様、竹千代丸様、お城へ戻りますぞ」
「判った、余四郎、ご馳走様、お土産貰っていくから」
「余四郎殿、今日は大変ご迷惑をおかけしました。そして大変美味しゅう御座いました」
「では、余四郎殿、忝ない」
「藤菊丸様、竹千代丸様、近藤殿、お気を付けて」
嵐のような二人組+数名が帰って行って、この日はお開きになった。
屋敷の留守番組にもほうとうは絶賛を持って受け入れられた。
後で話聞いたら、藤菊丸が佃煮を持って行って、湯漬けを食べたら旨かったから、自分だけじゃなくて母親の瑞姫様にも薦めてら美味だと絶賛したとか。