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黒眼鏡たちの島

作者: uri

◆プロローグ◆


 幾度も季節が変わり、技術が進み、世の価値観が変わった、少し遠い先の未来。

 何度目かの世界大戦を経てなお、人類は変わらず繁栄を謳歌していた。

 ただし永きに渡る繁栄の代償は、膨れ上がった人口を支えきれなくなったこと。人類が構築した社会保障システムは誰の目から見ても破綻を秒読みに控え、全ての人間が等しく社会生活を行うのが不可能な状態となっていた。

 そこで人類はある方針を採用した。

 優れた科学技術によって優秀な人間を選別し、そうでない人間に対しては極端に貧しい生活環境と労働状態に押し込めることで、世界の維持を図るという施策が行われた。

 非人道的、と施策当初は批判が噴出したが、そうでもしないと人間社会全体が崩壊してしまう。

 そしてこの社会システムは上手く回った。

 行き過ぎた科学技術により優秀な人間の選別を行うことが出来るようになった今では、『優秀』と認定された者はこれまで通り人生を謳歌する。

 しかし、そうでないとされた者、世が言う『劣等種』は人間社会からは隔離され、貧しい生活と過酷な労働に従事しながら一生を終える。

 人間は生まれながらに不平等である――というディストピアが次なる人類のための理想モデルとして認知された少し遠い先の未来。

 今日も『劣等種』は労働を続け、優秀な人類の繁栄を支えている。



◆第一章◆


 飼っていた鳥が死んだ。

 粗末な宿舎の入り口で、黒井はひとり嘆息しながらペットを埋めていた。鉱石を掘る仕事の相棒として

そこそこ長い付き合いだったが、ついにこの日が来た。

 黒井が担当する鉱山はガスばかりが噴き出して、ロクに鉱石など取れない。本来なら廃鉱となるべき採掘効率だが、1日仕事をして手のひらに収まるかどうかの量の鉱石が『外』にいる偉い人達には大事らしい。

 技術が進歩したというのだから、機械に全て仕事をさせればよい……と常々思っているのだが、生活のための燃料や電力すらも十分とは言えないご時世だ。大量の燃料が必要な機械はもっとたくさん鉱石が採れる鉱山で仕事をしているだろう。

 黒井は10歳の時、劣等種に認定されてこの島へ労働力として連れて来られてからずっと、この仕事を続けてきた。

 そろそろ20歳後半にさしかかる年齢となっていたが、細い腕と細い脚は10代とまったく同じままだった。この痩せた身体は採掘作業での細かい塵でいつ肺を病み、死んでしまってもおかしくない。

 かろうじて作業中のガス中毒での死は免れているが、それも日々の食糧を削ってペットに与え、育てて共に鉱山に連れて行っている賜物である。無臭のガスは、ペットが死をもって教えてくれる。

 そのペットは今や鳥籠より土の中をねぐらにしてしまったので、新しいのを見つけなければならない。

 黒井は黒い眼鏡をずらして汗をぬぐい、明日の仕事のことを考えた。

 生きた鳥一匹を手に入れるだけでも、かなり苦労を強いられる。なにせ周囲はペットではなく、食糧として生きた生物を見るからである。鉱山の周囲に群生している森を探索すれば野鳥くらいはいるだろうが、いかんせん野生の動物は捕まえにくい。

 殉職したカナリアは実に10日分の食糧配給券を代価に仲間から交換してもらったのだ。またしばらく食糧を切り詰める日々が始まるかと思うと夢も希望も無い。

 さりとて黒井は単身で鉱山に潜る気は無かった。ガスが溜まっているところをうっかり踏み込めば、少し休憩しているだけで死神が笑顔で肩を叩きにやってくる。

 将来の夢や希望も鉱石もなく、絶望だけはそこらじゅうに転がっているが、黒井は「死んだ方がマシ」とは思わなかった。

 質素を通り越して貧しい食事を糧に。生き永らえればいつかチャンスがあると信じて。

 

 10歳までは黒井は自身の生活に何の疑いも持たなかった。ごく一般の生活をしている毎日。

 学校に通って、友達と遊んで。しかしある日家に帰ると、親が泣いていた。

 そこからは当時の記憶はあまりない。親の顔も今となってはおぼろげだ。だが、思い返すに、あの時黒井は『劣等種』として烙印を押されてしまったのだと分かる。

 国から通知のひとつでも来たのだろう。たった1枚の葉書で、自身は人間としての権利を剥奪され、単なる労働力に成り下がった。

 それが人類全体を維持するためのシステムとはいえ、いざ自分が組み込まれると憤りの感情しか出てこない。しかし現実は憤る間もなく船に乗せられ、地図に記載されているかも怪しい島に連れられ、強制的な労働に従事することとなった。

 外の世界に戻りたい。そう思い続けて、10年以上が経過してしまった。


 黒井が薄暗い宿舎に入ると、同じく作業帰りの面々を見かけた。

 誰も彼もが陰気な表情で、黒眼鏡をかけている。お互い見知った仲間であるが、腹を減らしたくないので必要以上に会話をする者が少ない。

 灯りがほとんど無い空間も手伝って、あまり長居はしたくない雰囲気が漂う。

 そしてその場にいる全員が黒い眼鏡をかけていた。

 汚れきった服装だと、唯一、眼鏡の意匠のわずかな違いが個人を識別する鍵となる。

「今帰りか。稼げたか?」

 歪んだフレームの黒眼鏡をかけた、熊のような親父が黒井に声をかけた。 

 浮浪者のような格好だが、黒井も似たり寄ったりの格好なので人のことは言えない。

 熊親父は黒井の視線に気付くと黄色い歯を見せるようにして笑った。

 熊親父は顔が広く、黒井が暮らす宿舎では物々交換の元締めのようなことをやっていた。

 島で暮らしていると生活や仕事を行う上で欲しい物が出てくるが、肝心の求め品を都合よく持っている

相手を探すのは難しい。雑談好きな熊親父は他の入居者の手持ち品を熟知しており、物々交換の仲介をやってくれる。

 また、看守相手にも取引を行っているらしく、その恩恵で島内で入手不可能な、看守だけが持っているような高級品も交換によって入手することが出来る。

 黒井はもっぱら、鉱山に連れて行く鳥を都合してもらっていた。

「おじさん、鳥が欲しいんだけど」

「ずいぶんご無沙汰だな。育てた焼き鳥は美味かったか? 配給券20枚でまた食えるぜ」

 黒井は思わず噴き出した。交換のレートが跳ね上がっている。

 今日の作業で貰った手持ちと、こっそり貯めてある分を合わせても足りそうもない。

「た、高っ。足元見ないでくれよ」

「新しい連中が来たんだよ。新鮮な肉は高く売れるからな……需要があれば、値上げしても売れるんだ」

 小鳥なんて食っても腹の足しにもならないだろうに、と黒井は内心で舌打ちした。

 レートが落ち着くまで待たないといけない。流石に配給券20枚は暴利だ。かといってガス検知の相棒無しに作業をしたくない。なんとか自分で動物を捕まえてきた方がマシかもしれない。

「弱ってるのとか居ないの? 買うからさ」

「この前俺が食った」

「……また来るよ」

 交渉の余地無しと見て、さっさと黒井は自分にあてがわれた部屋まで退散することにした。

 鍵のついてない扉を開くと、かびの臭いが鼻をつく。だが今日は荒らされたりせずにちゃんと残っているし、鉱山内の泥や粉塵に塗れるよりはよっぽどマシだ。

 黒井はかけていた黒眼鏡を部屋の隅に放った。どうせレンズなど元から入っていない。

 黒井が生活している島では、この黒眼鏡が識別票の代わりだ。入島した順番でフレームに数字が掘られており、黒井の眼鏡には10桁近いナンバーが彫り込まれている。

 仲間はみんな身に着けており、逆に言えば、この黒眼鏡が『劣等種』という証である。

 黒井は心底、この黒眼鏡が嫌いだった。しかし作業中に身に着けていないと、島を管理している『看守』の立場の者から難癖をつけられ、作業の成果としての食糧配給券が貰えなくなる。この島での不文律として、黒眼鏡の有無が身分を位置づけるアイテムに使われていた。

 だが黒眼鏡を煩わしいと思っている仲間は看守の目が届かないところでは外していたりするので、管理などあってないようなもの。

 この部屋も、本来は複数人で暮らす部屋だが、同室者は過酷な環境でどんどん減っていった。今では黒井ただ一人である。

 管理が行き届いていないので、黒井一人が生活することが許されていた。

 黒井は汚れで真っ黒になっている作業着を脱ぐと、ベッドに潜り込む。そしてそっとベッドのスキマを探った。

 腐り落ちそうなベッドのスキマに隠してある、配給券とは違う数枚の紙切れ。

 ある日黒井が鉱山での作業中に見つけた、たったひとつの希望だった。

 変わらずそこに残っていることを確認した黒井は安堵の吐息を漏らし、日が昇るまで寝ることにした。



◆第二章◆


 朝が来た。起床のための支度が始まり、宿舎は仕事に向かう者で慌ただしくなる。

 黒井はいつも通りのろのろと置き出し、食事場に向かう。黒井の黒髪はぼさぼさのままだが、この島では身なりを気にする者などほとんどいない。食事場は既に他の入島者でごった返していた。

 自分の番が来ると、くしゃくしゃの食糧配給券を差し出して粗末な朝食と交換してもらう。

 炊事を行うのも劣等種として連れてこられたいわば仲間なのだが、食事の量を増やしてもらったりする

友好な関係は存在しない。隙あらば量を減らし、自らの取り分としてくるので油断ならない。

 黒井は既に食事を受け取っている他の面子の手元を見て、ちゃんと食糧を確保できたかどうかを確認する。

パン1つに油が1かけ。そして肉と屑野菜が混ぜられたおかずが手元にある。

 朝と夜の2回しか食事をさせてもらえないので、貴重な栄養源だ。

 席に座り、周りの仲間と雑談もそこそこに平らげる。

 今日も仕事だ、と悪態をつく仲間を見送りながら、黒井も席を立った。

 黒井は今日は仕事が振られていないので、休日を満喫することができる。貴重な休日は有意義に過ごさなくてはならない。

 部屋に戻った黒井はひとり笑った。これから大事な仕事が待っている。

 黒井はベッドに隠しておいた紙切れをポケットに大事そうに納めた。

 久しぶりに笑えた気がした。


 普段黒井が仕事をしている所とは別の鉱山の深部。ガスが溜まっている箇所が多く危険極まりない場所で作業者に死者が頻発している「魔窟」と呼ばれる場所。

 とうとうその鉱山での採掘作業が打ち切られることが決定し、作業工具を回収する仕事をしている途中で偶然見つけた数枚の紙切れは、黒井にとって宝物に思えた。

 その宝物の紙切れにはいくつかの線や記号が書かれており、それはこの島の地図を表していた。

 黒井は難しい漢字を読むことができない。ひらがなはマスターしているが、漢字はかなり怪しく、紙切れに書かれた「記号」の一部が文字であることに気付いたのはつい最近のことだった。

 大量の配給券と引き換えに漢字を少しずつ教えてもらい、意味が分かるようになると、紙切れは地図としての価値を持つようになった。

 そしてそのうち、星印がついている山。そこは地図を見つけた鉱山であり、至るところに洞窟のような

ほら穴が山の表面に掘られている。

 地図に書かれた文字を読み解けば、その山は島の船着き場――それも海に面した側へと抜ける道があるらしい。

 本来、島と外界との出入りが可能になる船着き場は見張りが厳しく、島内の宿舎や作業場があるエリアと船が発着するエリアは幾重もの有刺鉄線やフェンスで厳重に区切られており、劣等種として連れてこられた者は、ある程度の距離より船着き場に近づくことさえ禁止されている。

脱走を試みる者は見張りの目を掻い潜り、フェンスなどの物理的な障害を乗り越え、そこでようやく船まで辿り着くことが出来る。

 船の発着場まで辿り着ければ、船を奪ったり、こっそり積み荷に紛れて島を抜け出すことは不可能ではない。だが、時折に船着き場に近い場所から死体運びをさせられる仕事が存在する以上、自由を手にした成功者は居ないのだろう。

 黒井が手にしているこの地図を書き記したのが誰かは分からない。だが船着き場への抜け道を示している以上、島からの脱出を試みようとした先駆者なのは明らかである。

 その先駆者がうまく脱出したのか、それともこの島に埋められたのか。末路は不明だが、島からの脱出への可能性を見出した気がして黒井の胸は高鳴っていた。

 地図を読み解いてから、休日を使って抜け道のある鉱山の内部を少しずつ探索すること数ヶ月。

 探索の途中で失った鳥の数は10から数えるのを止めた。

 しかしその成果が今、黒井の目の前に広がっている。

「そっちの縄ほどけ、早くしろ」

「持ち上げるぞ! オラァ!」

 水夫らが船から積み荷を降ろしている作業をしている。

 黒井は本来立ち入りを禁止されている、船着き場のフェンスの外側――発着場のすぐ近くにいた。

 それも安全な、監視の目が届きにくい背の高い草むらに隠れていた。

 正面からの突破をせずしてこの位置を見つけることが出来た感動で、黒井は泣きそうになった。

 すぐにでも積み荷に紛れでもして脱走したい、という欲求に駆られる。

 ここからの計画など全く立てていないが、見つからないという幸運さえあれば、自由を手にすることが出来る。

 しかし船の護衛が持っている銃器と、護衛らが行っている隙の無い周囲への警戒が無謀を思い留まらせた。やはり時折起こる脱走者への対策があって、警戒は強い。それに島内の看守が持っているような拳銃ではなく、黒井が見たこともないような銃器を護衛は所持している。

 護衛が胸から下げている黒光りする殺意が自由への渇望を鈍らせる。

 せっかくここまで来たのに、と黒井は歯噛みした。

 だが焦ってはいけない。鉱山を抜けてここまで来れたことが大きな成果だ、と自分に言い聞かせ、黒井は船に乗り込もうとする衝動を抑えつけた。

 しばらく観察を続けていると、後から来た船に乗った集団がゾロゾロと船着き場から作業場エリアへ向かうフェンスに集まっているのが見えた。フェンスの周りでざわついている集団は黒井が来ている服と比べたら雲泥の差だ。比較的若い子供が多い。

 何事かと目を見張っていると、銃声が響き渡る。

 思わず身を低くした黒井を余所に、銃声に驚いた集団へ向かって看守が高圧的な態度で罵声をあげた。

「黙って待て! 劣等種!」

 その一言で、集団が何なのか黒井は察した。

 新しい入島者がやってきたのだ。

 また、その集団には次々と黒いフレームの眼鏡が配られている。初めて眼鏡を手にした者もいるのか、

珍しそうにしている者も見受けられる。

 フェンスが金属音を立てて開き、入島者を島の中へと迎え入れていく。

 ざわついていた集団が森の奥へ姿を消した頃、船は荷物を降ろし終わり、沖へと帰っていった。その先にはさらに大型の船が停泊しており、島に来ていた船を引き上げていた。

 船が無くなってしまっては用は無い。黒井は物音を立てないように注意深く後退し、宿舎へと戻ることにした。

「まあ……新人が来るってのも悪かない、か」

 自分よりも若い者が圧倒的に多かった。

 新しい者が増えれば、仕事の割り振りも少しは楽になるかもしれない。

 一方で新しく島に来た者達は、自身が劣等種として断じられたことに憤るよりも先に、この環境に適応できるかが試されることだろう。

「また死体運びの仕事が増えるのかな」

 この島は年中通して温暖な気候であるため、冬場でも凍死することは滅多にない。

 しかし作業の過酷さに上乗せされる暑さは容赦なく体力を奪い、それが原因で倒れる仲間は数多い。

 何人が来年まで逞しく生き残るのだろう、と黒井は思った。



◆第三章◆

 

 黒井は思い悩んでいた。

 新しい入島者がこの宿舎にも配属される。黒井の部屋にも同居者が出来るかもしれない。

 しかしそれは同時に、しばらくの間、盗みが極端に増えることにも繋がる。いかんせん貧しい環境だと真面目に働くよりも盗んだ方が効率が良いと考える不届き者は後を絶たない。

 すると、このベッドに隠してある希望の地図も配給券諸共盗まれてしまう可能性が出てくる。

 何度も見返した上に下見までしたので内容は記憶しているが、この地図が意味する事を盗人が知れば、黒井と同じように現地に偵察に行ったりすることだろう。そこで何かヘマをされて船着き場までの抜け道を看守に知られてしまうと、抜け道が封鎖される可能性が出てくる。そうなってしまえばこの地図の持つ希望が無意味になってしまう。

 考えれば考えるほど、最悪のシチュエーションが浮かび上がり、黒井はここのところ眠りが浅かった。

 脱走を決行するなら、早い方が良い。

 だが失敗すれば明日からの寝床は土の下になるだろう。

 「物資が無いため実は弾が入っていない」と揶揄されるくらい、島内の看守が持っている拳銃は貧弱であるが、看守の拳銃に仕事が無いのはこの島での貧しい暮らしが抵抗しようという気力を削ぎ落とし、比較的暴動も無く平和であるためである。

 黒井は一度、島に来てから日が浅い入島者が看守の銃を奪おうと暴れたのを見たことがあった。

 結果として、黒井は看守の銃には弾が入っていること目撃し、重たい死体運びをする羽目になった。

 今度は黒井自身がそうやって運ばれるようになるのは断固としてお断りである。

 島で暮らす、というのも選択肢のひとつ。しかし黒井はこの環境でずっと生活していける自信が無かった。

 もう少し年を取れば、きっと身体を壊してしまうことだろう。

 もしくは、鉱山の作業中に落盤で死ぬ、など。少し不幸なだけで、この島ではあっけなく人が死ぬ。

 黒井が従事している鉱石掘りには、年老いた者がほとんど居ない。

 体力の無い者から死んでいくため、加齢と共に死亡率が跳ね上がる。

 安全な、炊事場の仕事などに従事していればつつがなくこの島内で一生を終える選択もあっただろうが、黒井をとりまく労働環境では、黙って待っていることはできなかった。緩やかに死ぬか、一回のチャンスに自分の命を賭け金に差し出すかの違いだ。


 せめて賭けるなら、分の良い方に賭けたい。

 勝率を上げるには、まず闘う相手と舞台を知ることだ。

 まずは観察から。鉱山の作業だって見て覚えた。船着き場での作業を観察していれば、何らかの突破口を見いだせるかもしれない。

 

 次の休日も、そのまた次の休日も。作業が無い日は、黒井は船着き場に通っていた。

 観察しているうちに分かったことは、積み荷に紛れることは無理そうだ、ということである。

 島の外から運び込まれる積み荷は大量にあり人間ひとりが隠れるスペースはありそうだが、対して島から出ていく積み荷は量が少ない。隠れることが出来そうな鉱石を詰めた樽なども、ひとつかふたつしかない。

 おまけに看守がご丁寧にいちいち樽を開けて、数や中身を管理しているようだ。黒井が樽に入っていれば、そこで見つかってしまう。

 かといって船を奪うのも論外。護衛の数が多すぎる上に、水夫とだって殴り合って勝てるかどうか怪しい。

 黒井は痩せた身体で狭い通路を通るのは得意だったが、喧嘩は苦手だった。

 海鳥が飛んでいるのを眺め、翼でも生やすことができれば――と妄想に逃げ込みたくなる厳重さである。


 偵察で得た情報は数多いが、脱走に直結する決定的な情報は得られていない。

 次来るときには何か変わっているかもしれない、と黒井は辛抱強く船着き場に通った。

 しかし、何度もこの船着き場に通ううちに、黒井の心には油断が生まれていた。

 意識の大部分を船着き場の観察や逃走経路の検討に割き、周囲への警戒を音だけに頼っていた。

 周りで動く音がすれば逃げれば良い、と安易に考えていた黒井は、背後から近づく人影に気付かない。

 見張りの看守もまた、黒井と同様に島で生活している人間であり――森に慣れ親しみ、音も無く森を歩く術を身につけた者が居うることを黒井は失念していた。

 黒井が何者かの気配を背後に感じた時には、遅かった。


「動くな」


 後頭部を小突かれるように押し付けられる硬い感触。

 そして自分のものではない声。

 作業中で落盤の揺れを感じたかのように、身体から体重が抜けていく感覚がした。

 ――見つかって、しまった。

「伏せろ。手を後ろで組め」

 黒井は言われるがままに地面に伏せた。

 恐怖が心を支配し身動きひとつ出来ない黒井は、いつ撃たれるのかと考えることしか出来なかった。

 


◆第四章◆


 黒井は銃殺を免れた。

 危機はまだ続いているが、発見即射殺とはいかなかったらしい。

 中林、と名乗った看守に連れられ、宿舎エリアの近くにある看守詰所に連行された。

 黒井は後ろ手に縛られ、椅子に座らされている。机を挟んで向かいに座るのは中林だ。

「撃ち殺されるのと、見せしめに首を落とされるのとどっちがいい?」

 冗談、と分かる口ぶりであったが、黒井にとっては笑う事すらできない。

 中林の機嫌を損ねればこのまま黒井は宿舎に帰ることすら出来ず、ここで殺されてしまう。

「脱走を企てる奴はそこそこいる。暴れでもしなかったらすぐには殺さん。しかし常習犯ともなると――分かるな?」

「……」

「何故、劣等種があのエリアに居る。どうやって見張りの目を欺いた」

「…………」

 足を蹴られた。痛覚が恐怖を煽り、全てを話したくなる。

 だが、あの船着き場までの抜け道を封鎖されてしまっては、全ての希望が潰えるのと同じだ。

 情報は切り札。切り札を容易に切ってしまっては、自らの命が危なくなる。

「……腹に何か入れてるな。出せ」

 ボソリ、と中林が呟いた。

 抜け道を記した地図を隠した場所を当てられた。いきなりの正解に、黒井は思わず顔を上げ、目を見張ってしまった。

「当たりか。地図か何か持っているな? 全て出せ」

 ここで初めてカマをかけられたのだと黒井は気づいたが後の祭りだった。

 黒井は観念して隠してあった地図を差し出す。

 地図を受け取るとき、中林の片眉が一瞬上がったが、すぐに仏頂面に戻った。

 看守の立場からすれば、秘密の抜け道など到底看過できないだろう。

 中林は地図をパラパラとめくり、何か思案している。

「この島で長く働いた劣等種が、看守役として採用されることもある」

 中林は唐突に切り出した。

「仕事のできる劣等種に対しての救済措置ってやつだ。黒眼鏡の劣等種。……いや、もう黒眼鏡じゃなくなるが」

 黒井は話についていけず、目を白黒させている。

 中林はこう続けた。島に収監された者が看守として採用されるためには、既に看守である者の口利きが必要だという。

 脱走を考えずこの島で看守として暮らすなら今回の件は不問とする、という提案だった。

「な、なんで」

 脱走を企てた者を看守として採用するなど、意味が分からない。

 しかし黒井の問いに中林は答えない。困惑する黒井を余所に、中林は続ける。

「詰み、なんだよ。この島に来た時点で。それなら島で気楽に暮らす道を選べ。その方がスマートだろ」

 言い聞かせるように中林は続ける。 

「昔、脱走を企てた奴は何人かいたが……」

 その脱走を試みた者はどうなったのだろう。話の流れから、死んだのだろうか、と黒井は予想した。

 そして次はお前がそうなる、と続くのだろうか。

「イカダでも何でも調達して海に出たところで、当てもなく漂流するだけだ。そもそも目指す方向がどっちなのかも分からないからな。本土の方向を示す詳細な海図なんてもんはこの島には無い」

「こ、この島には色んなものを運んでくる船が来てるはず。その先にはきっと陸が」

「……いちおう教えてやろう。連絡船は色々な島を巡り巡ってこの島にも立ち寄る。お前らが行きたいであろう本土の方向は、あの船の航路からは分からない」


 ――勝てない博打に賭けるよりこの島でスマートに生きた方が賢い、死体運びの手間を増やすな。

 ――逃げれるものなら、逃げてみろ。


 中林の表情から読み取れるのは絶対的な自信と、憐憫だった。

 劣等種がいくら足掻いたところで、自由を手にすることは絶対に出来ない。


「綿密な計画を立て、道具を用意する技術。それらがあるなら劣等種としてではなく、働き続けて看守として働け。……どのみちあの抜け道は封鎖できん。対価が封鎖する労力に見合わん。どうせ劣等種の連中はこの島から出られないしな」

 看守としての生き方の提示は口止めも含むもの、と黒井は予想した。

 封鎖出来ない抜け道が公になれば、脱走者が増える。だが船着き場の警備は厳重だ。成功する者はいないだろう。

 結果として運ぶ死体の数だけが増え、島内では余計な仕事が増えることになる。

 黒井は沈痛な面持ちだった。

 見つかったその場で射殺されなかったのが救いだが、与えられた選択肢は残酷だった。

 看守として、生きていたくはない。黒井は知っていた。この島に来た看守もまた、島の収容者と変わらない。ほとんどがこの島で一生を過ごす。

 もしかすると、看守もまた以前劣等種として烙印を押された者なのかもしれない。島の立場が、管理する者、というだけで。結局のところ、「働き続けてこの島で死ぬ」か「収容者の面倒を見ながらこの島で死ぬ」かでしか無い。

「じゃあ行け。黒井、と言ったな。死体運びの仕事を増やさないことを願っている」

 それと、と中林は一言付け加えた。

「明日までだ。看守として働く気があるなら、仕事が終わったらまたここに来い。返事はその時聞こう」


 解放された宿舎への帰り道。黒井は空を見上げた。渡り鳥が群を成して飛んでいる。

 鳥のように飛べたらなんといいことだろう。

 黒井は自分が飼っていた鳥と自分を重ねてしまった。

 飛び立つ先が分からず、もしくは餌に釣られてずっと籠の中にいれば、いずれ待っているのは鉱山でのガス中毒死だ。

 看守として採用してもらえば仕事はきっと楽になる。

 だが――その妥協は黒井をこの島に縛り付けることだろう。安全な籠の中で死ぬことを選んだ鳥と同じだった。

 黒井は溜息をついた。どうにもならない。

 どうせ死ぬのだ。脱走は出来ない。逃げる先が分からなくては、陸地が分からなくては、海に出ても死にに行くだけ。

 一方で看守として取り立ててもらえるなら、それはそれで身に余る幸運なのかもしれない。

 黒井は足を止め、考え込んでしまった。

 大人しく宿舎に帰る気になれない。せっかく見つけた脱走への希望がこんなシロモノに化けるとは。

 しばらくじっと動かず、さりとていい考えが浮かばないまま過ごしていると、目の前の茂みの中に鳥を見つけた。

 休憩しているのか、空を飛ぶ渡り鳥と同じような鳥が地面をつついていた。

 一匹くらい捕まえて鉱山へのお供に飼うことは出来ないだろうか、と黒井が慎重に鳥へ歩み寄ったその時。

「……?」

 鳥に違和感を感じた。違和感の正体は鳥の足。

 足に、見慣れないものが付いている。

 鳥の足にはタグが付いていた。個体の識別票であり、黒井がかけている黒眼鏡と同じような意味を持つ。

 昔聞いた話では、劣等種を収容する別の『島』ではこのようなタグが使われるところもあるとか。

 このようなタグのついた鳥は、1年間の動きを人間に観察されている。

 ――人間に、観察?

 ――この鳥が通った所には人間が、いる?

 必死で思考を回す。今からの季節は冬。この鳥はいつ頃にこの島で見られる鳥なのだろう?

 この種類の鳥が飛んで来る季節が分かれば、人間が暮らす土地が特定できるのではないか?

 『鳥類の観察』という生産性の無い行動は、労働だけを目的とした劣等種が収容される所では

ありえない。

 黒井はしばらく動けなかった。

 鳥が黒井に気づき、慌てて空を飛ぶ群れの中へ戻っていく。

 黒井は暗くなるまで、空を飛ぶ鳥の群れを目で追いかけていた。



◆エピローグ◆

 

 夕暮れの森。薄暗くなりつつある森の中に、小さな火が揺れていた。

 木製のベンチが数脚並んでおり、そのひとつに中林が座って煙草を吸っていた。

 口元から立ち上る煙草の煙を眺めながら、中林は思案に暮れていた。

 しかし、その思案は近づいてくる人影で中断される。

 入島者で物品のやりとりを取り仕切っている熊のような男が、中林に近づく。

「何の用だ。劣等種」

「一本くれよ」

「断る」

「俺とお前の仲じゃねえか。一本くれ」

「これで最後だ。次に手に入るのは……来月だな」

「シケてんなぁ……それでも看守かよ」

 中林は熊のような男――後藤を一瞥するだけに留めた。

 後藤は中林の隣に座った。後藤が来ている汚れた服から漂う不快な臭いに中林は嫌な顔をしたが、追い払いはしなかった。しばらくお互いに無言の時間が続き、後藤が懐から食糧の配給券を取り出し数え出した頃に、中林が口を開いた。

「座り心地が悪くなる。他所へ行け」

「そりゃあこのベンチを作った奴が悪いな。性格が悪い奴が作ったら座り心地も悪くなるってもんよ」

「……嫌味か」

「それ以外に聞こえるか?」

 ペラペラ、と配給券をめくる微かな音と煙草の煙だけがこの場の雰囲気を形作っていた。

 唐突に、中林が口を開く。

「黒井、とかいう奴を知っているか」

「この島じゃあ皆『劣等種』なんだろ? どうした急に。男に目覚めたか?」

「お前が数えているその配給券、誰のものだ」

「教えて欲しかったら煙草を……いや、無かったんだっけか。配給券とかくれたら教えてやるよ」

 中林は中指を立てることで後藤の要求に答えた。

 後藤は両手を肩の高さにまで掲げ、話にならない、というジェスチャーをする。

「どうしようもねえな。シケてるにも程があるぞ」

「そもそも物資が少ないんだよ。この島の中じゃあ誰だって暮らしはあまり変わらん」

「仕事が楽になった分、マシだろ」

 中林は後藤の肩を殴った。中林は機嫌が悪そうに煙草の煙を大きく吸い込み、吐き出す。

「いやぁ、ここに来れば看守殿がサボってるって話を聞いてなァ」

 中林は後藤を睨んだ。後藤は可笑しそうに肩を震わせてクックッと笑う。

 笑いながら後藤は、懐から黒い塊を中林に投げ渡した。

 この島で劣等種を意味するその黒い塊。使い古した黒眼鏡を受け取った中林は、その意味を察した。

「あいつは、黒井はここには来ねえぜ。ハッハッハ、傑作だ。振られてやがんの!」

 後藤はついに我慢が出来なくなったようで、大きく笑い始めた。

 反対に中林は黙りこみ、手元の黒眼鏡をじっと見つめている。

「……あいつは、何を、買った?」

 絞り出すような声で中林は後藤に尋ねた。

 その様子が楽しいらしく、後藤はさらに大笑いする。

「ロープを結構な数都合したな。他にも細々した物を回したが、細かくは覚えてねえよ」

「違う。情報だ。物じゃない。あいつは何を知った! 答えろ!!」

「おお怖いな。買い物のオマケに、ちょっとここいらで見れる渡り鳥について教えただけさ」

「渡り鳥……」

 馬鹿な真似を、と中林は呆れ顔で呟いた。しかし、どこか悔しそうな色が呟きには混じる。

 確かに渡り鳥の種類や、この島が比較的南に位置することが分かれば、本土への方向はおおよそ特定できる。

 だがそれだけでは不十分だ。人間が暮らす陸地への方向が分かったところで、距離が分からなければ。

 どんなイカダを作ればいい? どれだけの装備を整えればいい?

 抜け道を見つけ、複雑な地形を地図に書き記し、いかなる計画を立てても、それはこの島の中だけのこと。どうやって海を越えるのか。そのリスクはどれだけなのか。

 知識も無しに外海に出る危険はあまりに大きすぎる。

 足掻いた結果を処分するのも忍びなく、鉱山の深部に地図を秘匿して脱走を諦めてこの島で生きることを選んだ先駆者は、手元の黒眼鏡を強く握り締めた。

 黒いフレームがミシ、と音を立てる。

「……黒井に、あの炭鉱の事を教えたのはお前か?」

「そう睨むなよ。俺は『割のいい仕事』を回しただけさ」

 後藤は手にしていた配給券を見せびらかす。

「斡旋した仕事先で何を見つけるか、そこまでは知ったことじゃねえ。仕事が増えれば、必要な物も増えるだろうしな」

 相変わらずあくどい真似を、と中林は毒づく。

 うまく生きるってこういうことさ、と後藤は笑った。

「なぁ、あいつはどうなると思う?」

「陸には行けるんじゃねえか? もしくは船に拾われるか。ただなぁ……陸に辿り着けたとしてもロクな目には合わねえさ。なんて国が決めた方針に逆らってるんだしな」

 中林は渋面を作った。露骨な顔を見て、後藤はゲラゲラと笑う。

 中林にとっては、幾度も自問した自由への障害だった。無事に陸に辿り着いたとしても、保護されるとは限らない。むしろ、保護を受けられること事態が珍しいことだろう。

 何故なら黒井は『劣等種』として認定されてしまった者だから。

 少し調べられれば、すぐにそのことは知れる。

 しかし幸運に幸運が重なったその時は、どうなるか。

 劣等種の立場で、この環境から抜け出せた者となるかもしれない。

 仕事に戻る、と一言残して中林は腰を上げた。踏み消した煙草を後藤が拾った。

「寄り道のお代はシケモク一丁、と」

 黒眼鏡の劣等種は今日も島で働き続け、人類の繁栄を支えている。

 

◆完◆

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