第五話 作戦会議 それとも決意か
雑賀
携帯の時計を確認すればすでに二十分くらいは経過していた。
携帯の画面に打った大坊という刑事の電話番号を消しては打ってはの繰り返しだ。
「八重野がやったのは間違いないと思うんだけどな……」
落ち着くはずの自室でも閉塞感を感じてしまうのはきっと八重野のせいに違いない。
愛洲が家出し、舞草の家が放火されたことが偶然に重なるはずがない。
きっと犯人は同一人物だ。
つまり、愛洲と舞草の二人に恨みを持つ人物が犯人であるから――。
「やっぱり八重野しか考えられないか」
言葉にしてその重みが胃にのしかかる。同い年で、同じクラスの仲間をこうも簡単に手にかけられるのか?
それも八重野に。
警察に連絡すべきだろうか。
いや、もちろん連絡すべきだ。大坊さんは『どんなことでいいので思い出したら連絡をください』と言っていた。
舞草と八重野がトラブルを抱えていたことは違いない。あの昼休みの一件で俺以外のクラスメイトもそう思っている。
その腹いせとして舞草の家に火をつけたのか?
だが、愛洲の時はどうだ?
あの程度で愛洲を誘拐して――。
誘拐して、誘拐してどうしたのだ? いや、まだ誘拐と決まった訳じゃない。
けれども愛洲が学校に来ていないことを八重野に誘拐されてしまったと過程した場合、愛洲はどうなるのだ?
誘拐されたのなら監禁されているはずだ。それで、八重野は愛洲を解放する気があるのか?
無いな。
愛洲を解放したとしても刑事事件だ。少年法があるとはいえその後の人生は大きく狂ってしまう。
と、いうことなら口を封じるしかない。
だが、小テストの結果を端にした口喧嘩で愛洲を口封じするか? 口封じするリスクが高い割りに見返りが少なすぎる。
「それでもなぁ……」
携帯の画面に映し出されている電話番号を一瞥してから消した。
馬鹿馬鹿しい。
俺が考えていることが正しかったらとっくに警察が八重野を逮捕している。そうだ。そうに違いない。
だが、この胸騒ぎは一体なんなのだろうか。
長月
思った以上に稽古が長引いてしまった。インハイに向かっての調整中といってもこの間、春の大会が終わったばかりだというのに。
待ち合わせのファミレスに入るとお目当てのテーブルがすぐに見つかった。
幼馴染の八重野。クラスメイトの一色に五刀、そして加島だ。
メンバーは全員そろっている。これからの計画のマスターピースとなる一色が来てくれたことですでに一本取れたようなものだ。
「ごめーん! 稽古が長引いちゃって……」
「部活ならしょうがないですよ」
どこか空気が悪そうな八重野がティーカップを口に運ぶ。
席に着いてメニューを眺めるフリをしながら一人一人に視線を向けていく。
ここからが勝負だ。やるしかない。今まで考えていた手順を反復する。
試合と同じだ。相手を自分の思い通りに動かざるを得ない状態にする。そこを決めるのだ。
主審の「初めッ」の声が聞こえそうな気がする。
「みんな、雑賀のことどう思っているの?」
「…………」
場が固まった。思い切りすぎただろうか? カウンターを食らうかも知れないが、ここは押し通らねば話が進まない。
「みんな、雑賀のことが好きなんでしょ?」
八重野が口に運んでいたティーッカップから盛大に飲み物をこぼしてしまった。案外、うぶなものだ。
「な、何言ってるの? バカじゃないの?」
一色も思った以上に初々しい反応だ。
対して、五刀はうっすらと頬を染めるだけであり、加島にいたっては無表情だ。もしかして加島は違ったのだろうか。
「あたしは、雑賀のことが好きよ。もちろん、男性として」
これで後には引けなくなった。だが自分の意思表示は出来た。
「そ、それなら私も雑賀君のことが――」
頬を染めているだけかと思っていた五刀だが、そんなことは知っている。
だからこそここに呼んだのだ。
「ヤエもそうなんでしょ? 見ていればバレバレだよ」
羞恥心なのか、見る見ると赤くなる幼馴染に笑いがこみ上げてくるが、ここは我慢のしどころだ。
「一色も。露骨に避けてるもんね。恥ずかしいの?」
キッと睨んでくるツインテール少女だが、紅潮した顔から送られる視線はまったく痛くない。
「加島もそうなんでしょ?」
加島の真意を知ろうと思ったのだが、当の本人は興味が切れたように窓の外を眺めている。
だがテーブルに置かれた拳に力が入っているの。図星だろう。
「みんなが恋のライバルってわけね」
「そんな確認してどうする気なの? もう雑賀に近づくなって言いたいの?」
「そんな事はないわ。ただ、このまま恋のライバルだと思ってこれからの学校生活を送りたくは無いの」
進級してから雑賀の変わりようには驚いた。そして、自分の物にしたいと思った。
だが、ライバルが多すぎる。
「それでね。雑賀に選んでもらいたいの」
誰かが抜け駆けするかもしれないと思うといても立ってもいられなかった。ライバルたちを出し抜くには攻撃に次ぐ攻撃であたしのペースを掴むしかない。
ここで、勝負をつける。
「委員長が入院している間に不謹慎だと思うけど、お泊り会を開くのは、どう?」
「なんでお泊り会なの?」
今まで我関せずだった加島が窓の外を眺めながら聞いてきた。内心は興味津々なのだろう。ポーカーフェイスが上手い。
「既成事実を作る」
八重野が手に持っていたティーカップを床に落としてしまった派手な音と共に破片が飛び散った。
一色
長月が何を言っているのかを理解するのに数秒は掛かった。だが、彼女は本気なのだ。
既成事実を作ってしまえばそれはもう、超えられない関係になる。
だが、ソレが自分と雑賀であってほしいと思う自分がいるのも事実だ。
「そ、それで、誰のうちに泊るの?」
「出来れば、両親が出ているうちがいいんだけど……」
そこは運頼みか。
だが、その運がある。
うちだ。
新年度が始まって忙しいお父さんは東京の別宅にいるし、お母さんもその手助けで東京だ。
今月一杯なら帰ってこないはずだ。
だけど、ここでソレを言ってしまったら行くところまで行かなくてはならない。その勇気がわたしにあるのだろうか?
でも、少なくとも長月にはそれがある。
敗北だ。
そこまで覚悟を決めた人がいるのに自分は雑賀と話すのが恥ずかしくて逃げていた。
目を見るだけで高鳴る心臓に脅えていた。
この話しが流れてもその差を埋めるのは無理だ。長月に追いつくとすれば今、ここでやらなければ――。
「わたしのうちが、空いてる。お父さんもお母さんもいないし。部屋はたくさんあるから」
やってやる。わたしだって。やってやるんだから。
「本当!? ありがとう! ユイなら良いって言ってくれると思っていたの」
しまったかもしれない。長月の笑顔からは偶然を喜ぶ気配がない。そもそも目が笑っていない。
のせられた――。
だけど、雑賀が長月を選ぶとは限らない。そうだ。まだ、勝機はある。何よりも自宅じゃないか。地の利は、ある。
「ちなみに参加者は? あたしとユイと……」
「わ、私も」
緊張が滲んだ五刀が小さく挙手をした。
「わわわわ、私も――」
強張った表情の八重野が思わずと言った拍子に手を上げた。
「加島は?」
冷ややかな長月の声に窓際にいる加島を見れば、目を閉じて瞑想していた。
「……参加するさ」
「決まりだね。日取りはどうする?」
五刀
気がつくと太陽が没しかけていた。なんだか浦島太郎のように数十年をファミレスで過ごした気分だ。
「なんか、大変なことになっちゃったね」
隣を歩く加島はファミレスのときから上の空気味だ。
加島も雑賀君の事を想っていたというのは少しショックだった。
「ごめんね、はるか」
「…………」
そう言えば一方的に加島への想いを話してしまっていた。相談相手になってくれる加島に甘えていたかもしれない。それで加島を傷つけていたなんて。
さっきから無表情の彼女は、きっと怒っている。
顔には出さないが、胸のうちはきっと怒りで燃えているはずだ。
思わず加島の手を掴んでしまった。
「ねぇはるか!」
「……な、なに!?」
夕日が加島の顔を染めている。少し肌寒くなってきた。
「ごめんなさい!」
加島はポカンとしていたが、顔に深い皺を作って顔をそらしてしまった。そのまま「謝られても、譲る気は無いよ」ともらした。
「それじゃ、お互いにライバルだね?」
「ライバル?」
加島の手を離す。彼女の前に回りこむ。
「私も誰かに雑賀君を譲る気は無いよ。だから、ライバル。正々堂々戦いましょ?」
想いを口から出したせいか、胸が軽くなった気がした。だけど、それ以上に少し、恥ずかしかった。
既成事実云々はもうよい。雑賀と一緒に登校して、一緒にご飯を食べて、一緒に遊べたら。
雑賀と普通を過ごしたい。それが、私の恋だから。
「それじゃ私こっちだから」
「……ばいばーい」
加島
困った。非常に困ったぞ。
長月があんな提案をするなんて。
ここは思案のしどころだと思っていたら家についてしまった。
父も母もまだ帰宅していないようだ。家が暗い。玄関の扉に鍵を差し込んで開ける。
「ただいま」
返事はない。
暗くなった居間の電気をつける。それから階段を上って二階の自室に手荷物を放り込む。
「雑賀が、獲られちゃう……」
このまま手をこまねいていたら雑賀を奪われるに違いない。
だがソレは長月じゃない。五刀だ。
五刀が告白してしまえば雑賀は絶対に了承する。
これまでならお互いに不可侵をしていたから時間はあった。時間をかけて工作すれば二人を離縁させることは可能だと思っていたが、時間を長月に奪われた。あの女狐め。絶対に生きたまま皮を剥いでやる。
暗い自室に明かりをつけることなく机まで歩を進める。
鍵の掛かった引き出しから愛用しているピッキングツールを取り出す。細い二本のピンを手のひらで転がす。
状況を整理しよう。
すでにお泊り会の話しは長月を通じて雑賀に話してある。日取りも決まった。
つまり、誰かが雑賀と一夜を共にすることは確定的だ。
すでにターニングポイントは過ぎてしまった。
ではどうするか?
五刀と帰る最中に思いついた善後策を何度も頭の中でシュミレートする。
さすがに抵抗があるし、それに全てが運任せだ。
だが逆にこれ以上に良作を思いつかない。
とりあえず思考を中断してピンを持ったまま一回のキッチンに向かう。キッチンでコップ一杯の水を飲み干してから両親の寝室に向かう。そこのクローゼットを開けた。
鍵のついた金属製ロッカーが服の間に立っている。
携帯を取り出してストップウォッチのアプリを起動する。目標は五分だ。これが出来たら、私もやるかどうかを決められる。
深呼吸。
ストップウォッチのスイッチを押す。携帯を床に落としながら自作のテンションレンチを鍵穴に挿し込み、微妙な力を加えながらピックを突っ込んで中のピンを引っかく。
家に居るのが自分一人のせいなのか、心臓の音がやけにうるさく感じる。これが成功したら、引き返せはしない。
カチという小さい音がロッカーから漏れた。
ロッカーが開いた。
その中にあるものをつかみ出して一通りいじる。それから携帯のスイッチを押した。
四分五十八秒。
「すぅ、はぁ」
出来た。ロッカーを元通りにしてから寝室を出て暗い自分の部屋に戻る。
机の鍵の無い引き出しを開ける。引き出しに入った荷物をどかし、二重底にしてある板を取り出す。そこにあるプチスチックのケースを取り出す。
そこからチョコレートのキットカットサイズの赤い筒を取り出す。
やるしかない。すでに賽は投げられたのだから。