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あの日

目が覚める前に、意識が起きてしまった。そしてその瞬間、変わらぬ昨日に絶望した。一頻り心の中で嘆くと、意を決して起き上がる。体のあちこちが痛むことに眠る前の事を思い出して、その恐怖に小さく震えた。身体は痣や切り傷だらけだ。頭に手をやると、血で濡れている。シャワーを浴びるために立ち上がり、室内を見渡す。何も置いていない部屋にふと気付くと、包帯や湿布などが置かれていた。

この世界は本当に、僕や彼女に都合良く出来ている。

言うことを聞かない体を引きずって、風呂場まで歩いた。真新しい傷がお湯に染みる。早々に上がってタオルで体を拭くと、所々が赤く染まった。部屋の隅に座り、傷の手当を始める。

一人だけでの傷の手当は大変だったけれど、ずいぶんと慣れてしまった。

消毒をして包帯を巻く。痣や打ち身には湿布を貼った。痛みに漏れる声は、我慢できなかった。

もう嫌だと泣いている自分と、後少しだと奮い立たせる自分がいる。

左手が使えない事はもう慣れてしまった。この身体の痛さもすぐに慣れるだろう。もう何回と繰り返された昨日という時に、感覚がおかしくなりそうで。

けれど、日に日に恐怖心だけが募って行く。目が回りそうな時の流れに、身も心もボロボロだった。

ユウ、と自分の名を呼ばれた気がした。それだけで良かった。それだけで頑張れる気がした。全ては彼女の為に。

時計を確認すると、すでに時刻は六時半。美咲はもう家を出ているだろう。今回は何も持たずに家を出ることにした。今、ここで全てを終わらせるために。


外の空気は涼しかった。眩しい陽射しに目を細めながら道を歩いて行く。美咲はきっと、いつもと同じ道で学校に向かっているだろう。何処かで鉢合わせるように道を選んで進んで行く。

今度の美咲も、きっと何かを覚えているはずだ。

少し遠くから走る足音が聞こえる。振り返ってそれが美咲だと気付いた。彼女はまだ自分に気付いていない。どんどん距離が近づいてくる。

息を飲む音が聞こえた。

「祐!どうしたの!」

悲鳴のような声で、彼女は叫んだ。すぐそばまで来ると、美咲は僕の身体中を確認するように見つめた。何で、こんなこと、あり得ない、と彼女の声に耳を澄ませて確信した。

美咲の腕を迷わず掴む。驚いたように顔を上げた。

「美咲」

彼女の顔には戸惑いが見て取れた。彼女は何も知らない訳ではないのだろう。だからこそ、混乱している。

どうしても思い出してもらいたかったから、また、美咲に同じ言葉をかけた。

「少し、話があるんだ」


校舎に向かえばきっと騒ぎになるだろうからと、僕は近くの展望台を指差した。もう随分人が訪れていないようで、少し寂れてしまっている。美咲は小さく頷くと、少し離れて後を続いた。

長い長い階段を登る。頂上からの景色はとても気持ちが良かった。このまま何もしないで終わらせてしまいたくなるほどに、綺麗であった。



美咲は今、幸せ?


え?


幸せなら、僕はぜんぜん構わなかったんだ。

僕の望むことは、君の幸せだから。


……私、幸せだよ?


そうか。なら、良かった。

じゃあ、もう大丈夫だよね?


何が?


約束、したから。君の為に何でもするって。

……何でもできるって。

もう、辞めにしよう?

ちゃんと明日を迎えに行こう?


どういう意味?

ねえ、祐。ちゃんと説明してよ。


美咲がちゃんと明日を望んでくれれば、全部元通りになるから。

全部思い出すよ。


祐、危ないから。

戻ってきてよ。


乗り越えて、乗り越えていける。

君が強く明日を望んでくれるように、僕は昨日を繰り返し生きてきた。


祐!お願い。やめて!


……嗚呼、やっぱり怖いな。

でも、これで終わらせることができるなら。

美咲、忘れないでね。これから起こる事を。

そして、その記憶を胸に刻んで、明日を生きて。


ユウ!


美咲、また明日---。




「いやああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」

自分の悲鳴で目が覚めた。驚いたクラスメイト達が、私を振り返っているのが見える。心臓を落ち着かせるために深呼吸を繰り返していると、近くの席の友人が声をかけてきた。

「どうしたの美咲?魘されてたよ」

「う、うん……。嫌な夢を見てて……」

適当に返事を返して、今見た夢を思い出す。不思議とまだ鮮明に覚えていた。本当にこれは夢だったのか。

席に着けと、担任の教師が怒鳴りながら教室に入ってきた。大事な話があるとの前置きに、胸が跳ねる。そう言えば祐の姿が見当たらない。

「ねえ、祐知らない?」

「えっと、ごめん。わからないや」

「---が昨日、亡くなった」

聞こえてきた教師の声に、一瞬思考が停止した。隣の席で私の質問に答えていた男子ば少しばつが悪そうな顔をして、前に向き直った。その肩を捕まえて、また問いてみる。

「ねえ、今誰が死んだって---」

「祐だよ」

答えたあと彼は少し俯いて、ごめんと言ってまた前を向いた。とても機械的な動きだなと思った。フラフラと立ち上がって、教室の外に出ようとした。

「葬式の日時はまた改めて---こら、どこに行く!」

教師の声で我に帰った。ごめんなさいと小さく呟いたけれど、席には戻れなかった。

「先生!美咲は祐君の幼馴染だったから……」

1人の友人が声をあげてくれたみたいだ。教師も少し考える風に見せて、仕方が無いと頷いた。

「なるべく早く戻って来い」

「……はい」

もう一度小さくごめんなさいと呟いて、教室を出た。

不思議と涙は出なかった。


行く当てなんて、どこにもなかった。だから、我武者羅に走ってみた。外はいつの間にか雨が降っていた。おかしい。今日は“まだ”雨は降らないのに。

雨に濡れた身体が冷たい。確か傘を持っていたはず。……違う、あれは私の傘じゃなかった。祐が、傘を持っていたんだ。

なんでいつもと違う道を進んだんだろう。そっか、あの花が咲いていたからだ。こんなに雨が降っていたら、きっと花弁が散ってしまう。

あの花を見つけたのは祐だったんだ。でも、雨に濡れて可哀想だと言ったのは誰だっけ?



『明日なんて来なければいいのに』


頭が、痛い。


『ずっと昨日だったら良かったのに』


違う。そんな訳がない。


早く、行かなくちゃ。


ユウが一人で待っているはず。



「ユウ!」

叫んだ声に、あの子は振り返らなかった。

膝を抱え込んで、雨なのか涙なのかわからなくなるまで顔を濡らしていた。

「嫌だ。もう、嫌だあ……。苦しいよ、怖いよ、助けて」

「ユウ、ごめんね。ごめんね」

抱きしめた身体は驚くほど冷たかった。

「もう、僕には何も出来ない。昨日が来る。昨日しか来ない。どうしたらいいのかわからない」

「ごめん、ユウ。ごめんなさい」

譫言のように呟いているユウには、私の声なんて聞こえないようで。

「痛いよ。痛いよお。痛いよぉ。痛いよお」

「ごめんなさい、ごめんなさい」

どれだけ私がこの子を苦しめていたのかがはっきりとわかった。


7月28日。高校生活最後の夏休みは、記録的な豪雨、暴風に飾られての開始だった。恐らく人生での最後の家族旅行もこれではと断念するはずだったところを、私は無理を言って決行してもらった。両親はしょうがないと笑って許してくれたが、その結果、私は後悔する事となる。

その日は道が混んでいた。見通しも悪かった。こうなる事は当然予想されるベキだった。

転倒した大型トラックに巻き込まれての交通事故の被害は甚大だった。両親は倒れたトラックをよけきれずに追突し、即死。

私だけが生き残った。



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