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雨に濡れて帰る

とても、嫌な夢を見ていた気がする。

美咲はゆっくりと体を起こして冷や汗を拭った。夢の 内容はどうしても思い出せないが、寧ろその方がいい。そう思えるような、そんな感覚であった。

「おはよう」

少しだけ元気のない朝の挨拶をしながらリビングのドアを開くと、両親は心配そうな顔で体調を気遣ってくる。

7月27日の朝。夏だというのにいつもより朝の空気が冷たい。陽射しだけは眩しくって、それだけで部屋中の様子がわかるほどであった。

今日が終われば夏休みだ。そんなことを思いながらすでに作られていた朝食に手を伸ばす。体調は大丈夫だからと両親には伝えて、そそくさと食事を終えるとすぐに支度をして家を飛び出した。少しだけ時間に余裕がない。近道となる通学路を足速にかけて行った。


おはようと明るく声をかければ、周りも同じように答えてくれる。それもあと少しの事だと思うと途端に寂しく感じてしまう。自分の席に着くと待ち構えて来たかのように友人たちが話しかけてくる。取り留めのない話は尽きることなく、教師が教室に入り朝のホームルームが始まるという時間まで続いた。

そこでやっと教室の中に一人足りない人物がいることに気付く。あれ、いない。どうしたんだど静かに騒ぎ出した生徒たちを担任の教師が一言制した後、手短にその説明を始めた。その内容は 美咲の幼馴染である裕は怪我のため、途中登校となるとのことであった。心配そうに俯く彼女に友人等も心配だねと声を掛ける。何だか夢の事と無関係な気がしなくて、胸が騒ついていた。

教師は早々に話を切り上げて、生徒たちに一時限目の授業の準備をしろと急き立てる。移動教室のため各々支度を終えると仲の良い友人たちと共に教室を出て行った。裕の事が頭から離れない美咲は、いつもより支度に時間がかかってしまった。俯くと自然と溜息が出る。さっさと支度を済ませた友人が心配そうに教室の出入り口で様子を伺っている。

「おはようございます」

不意に聞き慣れた声が聞こえた。だが、その声に答える声があまり聞こえない。思ったよりも早かったなという教師の声も、何故か語尾が濁っていた。

「裕、おはよう」

顔を上げて裕に声を掛けた。掛けようとした。しかし、目の前にいる裕の姿を見て言葉を失ってしまった。

彼の左腕がら肘の先からなくなっていた。半袖の先から見える短くなった腕は、真新しい包帯が巻かれている。目を背けたくなるような姿で、彼は教室に立っていた。

「おはよう、美咲」

まるで何でないように、いつものように無表情に、そそくさと自分の席に着くと一時限目の支度を始める。美咲は支度も満足に終わらせずにその姿を追った。

「ねえ、どうしたの?」

「なんでもないよ」

「そんな、何でもないって怪我じゃないよ……」

美咲の顔を録に見ずに、さっさと支度を終わらせてしまう。片手しか使えない状況の少しも不便そうではなかった。怪我について何も語らずに、そのまま教室を出て行こうとする。

「……もしかして、私のせい?」

その言葉にやっと足を止めて彼女の方を振り返る。少しの間、言葉を探すように視線を泳がすと、小さく息を吐いて答えた。

「違うよ、でも……。心配してくれてありがとう」

その顔を何故か嬉しそうに綻ばせていることに、美咲だけが気づいた。


退屈さの所為で長く感じた全校集会の最中に、雨は本降りになってしまった。傘がないと嘆く生徒たちの声で教室は騒がしい。美咲は仲の良い友人たちと夏休みの過ごし方に着いて語っていた。夏休み前最後の友人と過ごす時間は、残り僅かとなっていた。その時間を惜しむように少ない話題で盛り上げる。

「美咲」

声の聞こえる方を向くと、すぐ後ろに裕が立っていた。改めてその姿を見ると、痛々しさに顔が歪んだ。友人たちも自然と顔を背けてしまっている。もう帰る?と声を掛けると、彼は首を降ってこう言った。

「今日はこの後病院に行かなくちゃいけないから、先に帰る」

はい、と折り畳み傘を渡される。え?と傘と彼自身を交互に見ると、抑揚のない声で僕は傘を持っているからと言い、そのまま教室の外に出てしまった。

「あ、ありがとう……」

その言葉はきっと、彼には届いていない。心配そうに教室の外を見つめる美咲に、まだ裕とは一緒に帰ってるのー?とからかう声が掛かる。これは違うの家が近いからと急いで否定すると、話題を変えまた話に花を咲かせた。教室に静けさが戻るのはまだまだ時間がかかりそうであった。


雨は思ったよりも酷かった。

美咲が友人等との一時を楽しんだ後外を見ると、天気のせいか辺りはもう薄暗くどんよりとしていた。明かりの多い遠回りの道を選んで足早に歩くと、少し遠くに人影が見える。傘を刺さずに、電信柱のすぐ近くに突っ立っていて、傘はというと足元に置いてあった。

近づくと、その人物は少し俯いていることが分かった。変わったシルエットをしている事も。そして自分の高校の制服をしている事に気付くと、美咲は走り出した。

「祐!」

ゆっくりと振り向いその顔は、間違いなく祐本人であった。小さい折り畳み傘に無理矢理引き込む。触れは身体は驚くほど冷たかった。

「何してるの!?」

少しだけ責めるような口調で問いかけると、彼はしばらくうつむいて、呟く様に答えた。

「花が」

「え?」

「花が可哀想だったから……」

よく見ると傘の下には小さな花が咲いていた。雨に打たれていたせいで花弁の隅々までが濡れている。弱々しく俯いていて、アスファルトの裂け目から顔を覗かせていた。

「何言ってるの……」

呆れか驚きかで声は先程よりも弱かった。濡れた髪や顔を持っていたハンカチで拭ってやっている間、祐は美咲の顔をじーっと見つめていた。

「美咲は、可哀想だと思わない?」

「思わなくはないけど。でも、祐がそのせいで風邪引いたり、怪我が悪化したりしたら私は嫌だよ」

その言葉に、祐は目を見開いた。何故か瞳の奥が嬉しそうに震えている。美咲はそう思いながら彼の目を見つめ返していた。

「本当に?」

「当たり前じゃん」

「……ありがとう」

それだけ言うと、彼は急に歩き出した。足元の傘は拾う気が無いらしい。慌てて後を追いかけ、また強引に傘に入れる。やはり、彼は少し嬉しそうであった。

「病院に行くんでしょ?」

「うん。でもその前に」

少し強い風が吹いて、お互いの濡れた体は寒さに震えた。あの花は雨にも風にも守られながら、傘の下で咲いている。

「少し、話があるんだ」

真っ直ぐに前を見つめて言われた言葉は、いつもよりも強かった。


望む事は、君の幸せだった。

その為ならば何だって出来た。

ただ、君が強く"明日"を望んでくれる事。

それだけのために昨日を生き続けた。

だから、美咲---

また、"明日"。


そう言って彼は長く続く階段に身を預けた。

崩れ落ちた体は階段のあちこちにぶつかり、痣や切り傷などをどんどん増やして行く。

その様子を、美咲は声も出せずにただ見ていた。身体が強張って、少しも動く事が出来ない。それでも目は目一杯に見開いていて、転がり続ける祐を少しも逸らさずに見入っていた。

遂に祐体は階段の下に投げ出された。ピクリとも動く気配がない。

ようやく美咲は体が動く事に気付き、慌てて祐の元へ駆けて行く。

声は出せなかった。軽く体を揺らしても、全く目が覚める様子がない。顔を確認しようと後頭部付近を持つように腕を回すと、ベタッとしたものが自分の手に触れたことに気付いた。

その手を確認すると、真っ赤な血に濡れている。


「いやああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」


そして今日もまた、悲鳴で幕が降ろされる。



「もう、何をしたらいいのかわからない。ぐるぐると回る昨日は、まるで悪夢のようだ。彼女の為なら何でも、何でもできると思っていた。……何でもしてあげる気でいた。でも、身体の震えが止まらない。もう、痛いのも苦しいのも嫌だ。…………怖い。どうしようもなく怖い。また同じ昨日が来てしまう。彼女は何を覚えているだろう。……もう嫌だ。楽になりたい---」

「---大丈夫。後少しだ。彼女は少しずつ忘れないでいる。もうすぐ彼女は思い出す。後少しなんだ。そしたら"明日"が来る。だから今日も僕は、彼女の為に死のう」

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