IN MY LIFE
数日後、俺はマスターから呼び出された。
「たまには、お店に来てくださいよ」
「この間行ったばかりだろうが!」
「お客さん来なくて、寂しいんです!」
「あんたが宣伝しないからだろうが! 少しは営業したらどうだ?」
「あ、意外と元気そうですね」
「お前、からかって楽しんでるだろ……?」
そんな会話をした後、俺は気乗りがしないまま車に乗り込んだ。
『結局こうなるんだよな……』
セブンスヘブンの駐車場に着くと、マスターの車の他にもう一台の車が停まっていた。 俺の記憶が正しければ、それは裕里の彼氏の車だ。
「なんだ……客が来ないとか言って、ちゃんと来てるじゃないか」
呟きつつそのまま帰ろうかと思ったが、せっかくここまで来たんだし、顔だけ見せて帰ることにした。
いつもの分厚い扉を開けると、
カランカランカラン……
と相変わらずなベルの音が降り注いだ。 薄暗い店の中に足を踏み入れ、カウンターに視線をやった途端、俺の思考が停止した。
「……!」
カウンターには、マスターと裕里、その彼氏に、もう一人、客の姿があった。 その客は間違いない! 城沢音香だった。 城沢は俺に気付くなり
「あ! 先生……」
と少し驚いた顔をしたが、すぐににこりと微笑んだ。
「久しぶり! 先生にもお土産あるよ!」
と元気良く手を振っている。
『嘘だろ? なんで城沢がここにいるんだよ?』
言葉が出ないまま立ち尽くし、頭の中も真っ白なままで四人を凝視していると、やがて城沢が状況を察知したように苦笑いをしながら周りの人々を見た。
「え、もしかして、あたしの事言ってなかったの?」
するとマスターが腹を押さえて、必死に笑いをこらえながら震える声で答えた。
「もう、その落ち込みようと言ったら……」
すると裕里が、同じように笑いをこらえたあげくの目尻に滲んだ涙を拭きながら
「こらえるの、大変だったもんね」
と肩を震わせた。 遂にマスターも、こらえきれなくなったように吹き出した。
『皆、最初から知ってたのか?』
俺はなんとなく状況を飲み込むことができた。
『これはドッキリだ。 俺のリアクションを面白がって期待して、城沢が帰ってきていたことも内緒にしていたんだな。 マスター、いけしゃあしゃあと俺を呼び出しやがって……』
次第に怒りがこみあげてきた俺は
「もう、みんな意地が悪いんだから! ただいま、先生!」
と明るい口調の城沢の言葉も耳に入らず、居ても立ってもいられなくなって店を飛び出した。
自分の車に乗り込むと、力任せにドアを閉めてハンドルに突っ伏した。
「どいつもこいつも!」
この怒りをどうしてやろうか? あの棚に整然と並んだ酒ビンを片っ端から倒してやるか? 店を燃やしてやるか? 音響機材を破壊してやろうか? そうしたら少しはマスターも困った顔をするだろうか?
そう思うほどに、マスターの余裕に溢れた笑顔が浮かんで仕方なかった。
「くそ~っ!」
そうしていると、不意に運転席の窓がノックされた。
そっと顔を上げると、城沢が苦笑いをして立っていた。 俺は引き寄せられるようにドアを開けて外に出た。
「そんなに不貞腐れないの!」
まるで母親のように声を掛ける城沢。
「皆して俺をからかいやがって……」
「え、あたしも入ってるの?」
驚く城沢に
『こうなったら、城沢も同罪だ!』
と思いながら、むすっとした顔で煙草に火をつけた。 城沢はそれを振り切るように勢いをつけながら
「はい、お土産!」
と、手にしていた手提げ袋を差し出した。 袋の真ん中に、有名な菓子の名前がドンと表示されている。
『俺の為にわざわざ買ってきてくれたのか』
俺は素直にそれを受け取ると、ひとつ小さくお辞儀をして返した。 そして煙草に口を付けて、気を落ち着かせることにした。
「心配かけて、ごめんね」
城沢は、俺の機嫌を探るように少し上目遣いで見つめた。
「心配してた。 城沢が、東京でちゃんと成功するかどうか……」
俺はその顔を見られなかった。
「俺が育てた生徒だし、それに……」
今なら言えると思った。
煙草の煙を思い切り吐き出した……今までのモヤモヤを全部吐き出すかのように。
「ずっと、好きだったから」
言った!
やっと言えた!
あれから約五年。 ずっと言えなかった俺の気持ちだ。 それでも俺は、城沢の顔が見られなかった。 だけど、何かいつもと違う雰囲気を感じた。 城沢が息を吸うのが分かった。
「正直言って……東京行きを引きとめようとしたのは、離れたくなかったから。 本当はあの時……告白するつもりだったんだ」
【あの時】っていうのは、城沢を抱きしめたあの夜のことだった。 俺は脱力感に襲われて、思わず俯いた。 もう五年分の体力を使い果たしたようだった。 それでも俺は、これ以上何も言うことはなかった。
「俺の言いたいことは言った。 じゃあ……」
俺はそそくさと煙草の火を足でもみ消すと、車に乗り込もうとした。
「ちょ、ちょっと待って!」
城沢の声が、俺の背中を刺した。 思わず立ち止まった俺は、まるで悪いことをした子供のように、振り返ることすら出来なかった。 俺の背中を、城沢の言葉が包んだ。
「ホントに先生は……」
俺は勇気を出して、ゆっくりと振り返った。 もう何を言われても受け止めよう。 これで最後だ。
城沢は、少し呆れた顔をして言った。
「全く……不器用なんだから」
苦笑いをする城沢にどうしたらいいのか分からなくて立ち尽くしていると、今度は笑顔を見せた。
「ずっと、見ていてくれたんだね」
「え?」
「初めてギターを買いに行った時も、発表会の時も、それから……あたしが悩んでた時も、いつも!」
「いや、あれは偶然、たまたま!」
瞳を泳がせて焦る俺に、城沢は笑った。
「それでも、気付けなかったあたしは、先生よりも鈍感かもね」
「どういう意味だ!」
軽く言い返すと、二人はどちらからともなく笑い合った。 心がすっかり晴れ晴れとしていた。 城沢の笑顔を、真っ直ぐに見られる。 こんな時が来るなんて!
「でも、びっくりしたよ。 東京にいるはずの城沢がここにいるんだから」
すると城沢は吹き出した。
「もう、いいよ、オッカで!」
「えっ!」
思わず息を呑んだ俺に、
「【城沢】なんて、よそよそしいでしょ、先生?」
子供の様に俺を覗き込むように言う城沢に、俺も言い返した。
「じゃあ、その先生っていうのも、やめ。 よそよそしいから」
「分かった! じゃ……影待さん……あれ、下の名前って教えてもらったっけ?」
「いや、それはっ……」
俺は、頭が真っ白になった。 今までごまかして来たが、結局こうなるんだな。 出来るなら改名したかった。 伊助って名前を。
「お、俺の名前は、い--」
「ま、いいや!」
城沢は……いや、オッカは、俺の言葉を制止してきびすを返した。
「お……オッカ?」
「早く戻ろう! 皆待ってるよ!」
オッカはにっこりと振り向き、店へと歩み始めた。 その背中を眺めながら、俺は妙にすっきりした気分でいた。 そして
「ま、いっか」
と呟きながら、車の中に今貰ったばかりの土産袋を丁寧に置くと、オッカの後を追った。
カランカランカラン……
オッカの後に続いて店に入ると、マスターたちはにやけ顔で迎えた。
「いらっしゃいませ」
改まった口調が、わざとらしいマスター。 全部知っていて、とぼけた顔をしている。 俺は軽く睨んでやった。
「おや、同伴?」
「からかわないの!」
裕里のからかう言葉に、オッカは笑いながら制し、カウンターに座った。 彼女のいつもの席だ。 俺もオッカの隣に座ると、
「何になさいますか?」
とマスターが尋ねた。
「いつもの--」
と言い掛けると、オッカが言葉を重ねた。
「あたしはファジーネーブル! 伊助は、珈琲だよね?」
「えっ!」
『な、なんで俺の名前を知ってんだ?』
驚く俺に、裕里が
「何、イスケって?」
と、俺やオッカの顔を見た。 するとお節介にも、マスターが代わりに答えた。
「影待くんの名前ですよ。 影待伊助。 ヘンな名前だからって知られたくなくて、内緒にしてたのにねぇ……」
言いながら、不憫な顔を向けた。
『やめてくれ! 情けなくなるだろ!』
「伊助っ? 忍者みたい!」
裕里は風船が弾けたように笑い始めた。 もはや爆笑だ。
『それが、以前恋心を抱いていた男に対する態度か?』
と呆れながらも、その笑い声に隠れながら、オッカに尋ねた。
「な、何で知ってるんだ?」
「ずっと前に、冴子さんに教えてもらったの。 『内緒』って言われると言いたくなるでしょう? いつか言ってやろうと思って」
と小さく舌を出した。
『さっきの「名前って教えてもらったっけ?」っていう言葉は、俺を試すためだったのか?』
と落胆しながら、カウンターに突っ伏した。
マスターはそんな俺の様子を見ながら、楽しそうに微笑んでいる。
「もう終わりだぁ……」
そう力なく発したが、どこか嬉しかった。 何故だか分からないが、心の重荷がすっかり取り払われたように、気持ちは羽根のように軽かった。
自然と浮かんでいる笑顔にも気付かず、俺は今まで溜め込んでいたたくさんの、オッカに言いたいことや聞きたいことをぶつける妄想にふけっていた。
ビートルズは永遠だ。
今俺の中に流れている曲は【IN MY LIFE】。
ね、そうだろ? ジョン!




