TICKET TO RIDE
城沢の家の前に着いてもまだ、彼女は泣き続けていた。
俺は黙ったまま煙草に火をつけ、そっと窓を開けると白い煙を吹かした。
車内には、ビートルズと彼女の嗚咽が響いていた。 俺は何も言わない。 ずっと押さえていたんだ。 思う存分、泣いたらいい。 俺の車を汚してもいい。 それくらい、何でもない。
十数分そうしていただろうか。
憎たらしいほど綺麗な夜空を見上げながら煙草を吸っていると、不意に城沢が顔を上げた。
それはもう、泣き顔ではなかった。
ハンカチを握り締めたまま、城沢はいきなり叫ぶように言った。
「決めた! あたし、東京に行く!」
グッ! 喉に煙が充満した。
「ゴホゴホッ!」
思わず咳き込みながら、言葉を投げ掛けた。
「何だって?」
「東京行くって言ったの! 拓也を見返してやる!」
一瞬頭の中が真っ白になったが、すぐに理解した。 どうやら城沢は、クロノスで拓也に対抗する気でいるらしい。 俺は、慌てて城沢に考え直すように言った。
「城沢、落ち着け。 悪いことは言わない。 それは……」
『絶対考えちゃいけないことだ! 拓也に復讐なんて!』
その言葉が届かなかった。 城沢は俺の言葉を遮るように、激しく首を横に振った。
「いや、行く!」
城沢の瞳が熱く輝いていた。 さっきまでの精気が抜けきった雰囲気は、もうどこにも無かった。 俺の背筋が冷たくなった。
「城沢! 二年前の拓也を覚えてるだろう! 都会には何があるか分からないんだぞ!」
最近になく自分の大声に密かに驚きながら、必死で説得をした。 今を逃せば、城沢が手の届かない所に行ってしまう気がした。
「東京で待ってるのは成功ばかりじゃない。 そりゃあ、クロノスの実力は俺も認める。 けど!」
だが、俺の言葉はかき消された。
「先生、送ってくれてありがとう! じゃ!」
という言葉と共に、車のドアが無情にも閉じられたのだ。
「城沢っ!」
俺は無我夢中で、マンションに向かう城沢の背中を追った。 小さな背中に、必死で手を伸ばした。
そして、気が付くと俺は、城沢を後ろから抱き締めていた。
驚いて立ち止まる城沢の息遣いが聞こえた。
「オッカ……頼む……」
その後に続けたかった『行かないでくれ』という言葉は言えなかった。 ただじっと城沢を抱き締めたまま、俺の気持ちが伝わってほしいと強く願っていた。
数時間にも感じられるほどの僅かな時間が経った後、城沢は、そっと俺の腕をとった。 体を離す城沢にあらがえずに、されるがままに手を解かれ、城沢は振り返った。 俺と目が合った瞬間、彼女はその視線を外した。
「先生、あたし……決めたんだ……」
そして、弾けたようにきびすを返すと、走り去ってしまった。
「終わった……」
俺は、呆然と俯き、とっさとはいえ抱きついてしまったことを深く悔やんだ。
腕には、城沢の温もりと少し痩せた体が染み込んでいた。
それからしばらくして、人づてにクロノスの上京が決まったと聞いた。
確かにクロノスの実力は折り紙付きだ。 必ず成功するに違いない。 長年いろんなバンドを見てきたマスターが自ら音楽事務所の営業を呼ぶなんて、初めてのことだと思う。 そのマスターのお墨付きが、成功しないわけがないと思うくらいだ。
そして、俺の、五年に渡る片思い人生も終わったんだ。
数日後、拓也の入籍発表記者会見が開かれた。
俺はそれを見るでもなく、ぼんやりとテレビ画面を眺めていた。
フラッシュの光とシャッターの音が、雷の様に俺の頭に鳴り響く。
拓也はその雷雨の中で堂々としていた。 たくさんの記者に囲まれてマイクを取った。
「あの事件の後ですごく苦しかった時に一番近くに居てくれて、いつも励まして元気づけてくれた人なんです。 彼女にはとても感謝しているし、一生を棒に振らずに済んだ恩返しを、一生かけてしたいと思っています」
そう話す拓也はとても穏やかな顔をしていて、正に幸せに浸っていた。 アイツは、クロノスの上京の事を知っているのだろうか? 城沢にも連絡は全く無かったみたいだし、アイツに、城沢に会わせる顔なんてあるんだろうか?
『もうそんな心配なんてしなくていいか……』
俺は自虐的に笑った。
もう何も関係ない。
クロノスが旅立つ直前、裕里から連絡があった。
「影待さん、オッカは明日の昼過ぎに空港から旅立つよ。 見送りに来るでしょ?」
「いや、俺は行かない」
「えっ! なんでよ?」
裕里の大げさなほど大きな声とリアクションに、少し目眩がした。 それまであまり食事も採れていなかったのだ。 俺は静かに答えた。
「クロノスは成功するよ。 俺が保証する」
「そんなこと分かってるわよ! それに答えになってないし! ねえ影待さん、旅立つオッカの背中を押してあげてよ! きっとオッカもそれを待ってるよ」
「それはないな」
「もう! 強情だな!」
少し怒り口調の裕里を無視するように
「裕里ちゃん、俺の分まで見送ってやって」
とそっと電話を切った。
城沢が俺を待ってる? そんなわけない。あの時、城沢は俺から離れる決意を見せたんだ。 待ってるわけがない。
結局俺は、見送りには行かなかった。
城沢たちクロノスのメンバーが旅立った日の夜、俺は、癒されたくてセブンスヘブンへ行った。
「オッカたち、元気に旅立ちました?」
マスターは店の用事で見送りに行けなかったことを悔やんでいた。 その代わり、餞別は立木兄弟に託したらしい。
俺はいつもの四人掛けの席に着き、いつもの珈琲を待ちながら、煙草を吸いながら呟くように言った。
「いや、見送りには行かなかった」
「あら? どうして?」
「終わったから」
「?」
マスターはまだ俺と城沢のことを知らないはずだ。 理解できないといった顔で見るマスターに、白い息を吹きかけた。
「もう俺には、城沢に会わす顔が無いんだよ」
「よかったら、話していただけますか?」
珍しく敬語で言うマスターに、俺は素直に事情を話し始めた。 彼は、黙って俺の話を聞いてくれた。 そして事情がわかると、ひとつ頷いた。
「分かりました。 それで、オッカとはもう会わないつもりなんですか?」
少し首を傾げ、俺の顔色を探るように尋ねたマスターに
「会えるわけ、ないだろ? ていうか、もうここには戻って来ないだろ? あんたも分かってるはずだ。 クロノスは成功する! 東京に出ても充分通じる力はあるはずだ」
マスターは微笑んだ。
「久しぶりに、鳥肌が立つようなバンドと巡り合えた気がしました。 運命でしょうかねえ? 僕は、まるで自分の若い頃を見せられている様でした。 今でも、夢を見ていたのかと、錯覚を起こしているかのようです」
俺は少し驚いた。 いつもは話題を避けるほどのマスターが、自分のことを話すなんて。
マスターは、少し遠い目をして過去を振り返るように話し始めた。
「僕はあの時、正直迷っていたんですよ。 棚橋さんの誘いに乗って上京するかどうか……。 当時のネクサス・エンターテインメントはまだ創立されたばかりで、本当に身を任せて良いのかどうかという不安もありましたし。 海斗は勢いで上京を決めたみたいですけど、それに対しての不安もありました。 結局悩みに悩んで、ここに残ることにしたんですけどね」
マスターは笑った。
「残って良かったと思う?」
探るように見つめる俺に、マスターは即答した。
「勿論です! でも、音楽の世界から足を洗わなくて良かったと、改めて思います。 自分の子供を送り出した気がして、誇らしいやら、恥ずかしいやらが入り交じってますけど」
楽しそうに話すマスターを見ているうちに、俺の気持ちもだいぶ和らいだ。
「そうだな、俺も、嬉しいな。 俺の教え子たちが巣立って行ったんだもんな」
肩肘を付き、白い煙を天井へと吹き上げた。
「今頃、何をやってるんでしょうかねえ?」
マスターは楽しそうに呟いた。 それは俺には知る由もなかったし、すでにクロノスは遠い存在になっていた。
俺の心にぽっかりと大きな穴が空いていた。
そこから、今まで俺が培ってきたものがボロボロとこぼれ落ちるようで、もうこれ以上無くさないようにと、動くことが出来なかった。
小さな部屋の中は、俺の思い出を囲うには充分すぎる広さを持っていた。




