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恋はビートルズの旋律に乗せて  作者: 天猫紅楼
19/29

YOU'RE GOING TO LOSE THAT GIRL……Vol.1

「影さん! 僕、東京へ行きます!」

 拓也がいきなり大発表をしたのは、それからしばらく経ってからのことだった。

 俺を開店前のセブンスヘブンに呼び出した拓也は、静かな店内の空気を切り裂くように、はっきりとした口調でそう言ったのだ。

 俺はあまりに突然のことに、しばらく理解が出来なかった。

「お前……何を言ってんだ?」

「だから! 僕、東京に行って音楽の道を進むことに決めたんです!」

 拓也の瞳には一変の迷いもなく、俺をまっすぐに見つめていた。 俺まで威圧するような雰囲気に思わず流されそうになったが、ふと頭によぎるものがあった。

「ちょ、ちょっと待て! 城沢のことはどうするんだ? お前たち、付き合ってたんだろ? まさか置いていくわけじゃないだろうな? それに、彼女にはちゃんと話したのか?」

 怒濤の質問攻めに、拓也の視線が伏せられた。 少し間を置いて、拓也は一息に言った。

「影さん! オッカのこと、頼みます!」

「お前っ!」

  パンッ!

 張り詰めた部屋の中、破裂音が響いた。

 俺は弾かれるように、拓也の頬を張っていた。

 二人だけの静かなセブンスヘブンに、その乾いた音は簡単に吸い込まれた。

「お前、自分が一体何を言っているのか、分かってんのか?」

 声が震えた。 目の前の男は、自分の夢のために女を捨てようとしている。

 身体中から怒りが沸き上がるのを感じた。 それは、相手が城沢だからなのかもしれない。

 俺は、拓也を叩いて熱くなった右の手のひらを握った。 伝わってくるしびれが胸を締め付けて、唇が震えた。 拓也はしばらく俯いていたが、やがて俺をゆっくりと見上げた。 その顔に恨みや逆上の色はなかったが、もしあったとしても返り討ちにしてやる気ではいた。 拓也は、驚くほど静かな口調で言った。

「分かってますよ、自分の言ってることぐらい……でも、俺だってずっと考えていたんだ。 ……だけど、影さんだって知ってるはずです。 何かを得るためには何かを犠牲にしなきゃならないって」

「それが……その犠牲ってやつが、城沢だっていうことか?」

 拓也は返事をしなかった。 いや、出来なかったんだ。 彼の中にもまだ迷いがあるのだと、俺は気付いた。 俺は一旦拓也を座らせ、改めて向き合った。 そして、ゆっくりと言い聞かせた。 俺なりに今まで生きてきて、どんな体験をしたのか。 どんな生き方を見てきたか。 だが俺がどんなに話しても、拓也の中の決意を固まらせるだけだった。

「こんなに言っても、ダメか?」

「……すみません、影さん……影さんの気持ちは、しっかりと心に刻み込みました。 決して無駄にはしないし、必ず成功してみせますから!」

 俺は遂に心が折れ、長いため息を吐いた。

「……俺は無力だ。 お前のように気持ちも若くないし、勢いもない。 だけど最後にこれだけは言っておきたい」

 拓也は、何が来ても受けとめる覚悟を表すように、俺をまっすぐ見つめた。

「拓也にはまだ、早いと思う」

 彼はじっと俺を見つめていた。 そして、目を伏せると苦笑した。

「分かってます。 だけど、俺にはこの今がタイミングだと信じてるんで。 もう迷っていません」

 一体何が拓也にあったのか、もしくは前々からずっと考えていたことだったのかも、俺には全く分からなかったし、拓也も言わなかった。 ただ、アイツの中には、ダイヤモンドよりも固い決意があったってことは事実だった。

 

 拓也は、また詳しいことが決まったら報告すると伝えて、セブンスヘブンを出ていった。 静かな店内の空気が、俺を重苦しく包んだ。

 マスターが入ってきた扉の音に、やっと我に返った。 俺の異変に気付いたマスターは、きょとんとした顔で

「誰かと喧嘩でもした?」

と声をかけたが、俺は

「なんでもない」

とだけ答えて、のろのろと店を出た。 俺は懐から携帯電話を取り出した。 そして画面を見つめた。 城沢に電話をかけようと番号を表示させたが、最後のボタンを押すことは出来なかった。 拓也は、城沢にはこのことをまだ話していないのかもしれない。 そう考えると、俺は何も出来なかった。 頭の中に、城沢の泣き顔が浮かんだ。 こんなとき、俺はまったくの無力だ……。

 

 

 それからしばらく経って、音楽事務所に居る俺に拓也からメールが入った。

 あの時はどこか躊躇して素直に言えなかったが、実は城沢にはもう話をしていたということ。 彼女は意外なほど落ち着いていて、話をしっかり聞いてくれたこと。

 ……その時の城沢の返事までは書いていなかったが、すぐに答えを決められることではない。 拓也も、後の判断は彼女に決めてもらうとしていた。

『どう転んでも、受けとめるってことか……一緒に行くのか、城沢を残していくのか……』

 俺は長い息を吐いて天井を見上げた後、怪訝な表情で見る和田や真壁たちを背中に、事務所を出た。

『たいした男だな。 拓也ってやつは……』

 そう思うと、俺って人間が小さく思えて仕方なかった。 だから、あの狭い事務所に居ることさえも息苦しくなったのだ。

 

 それから数日後、拓也からまた連絡があって、上京する日取りが決まったこと、向こうでは、当面バイトをしながら売り込みをしていく予定だと伝えられた。

「何のつてもなく、大丈夫なのか? セブンスヘブンのマスターなら少しくらい顔が聞くかもしれないぞ」

 そう言う俺に

「大丈夫ですよ! 俺も子供じゃないんすから! ホント、影さんは心配性だなあ!」

と明るく返してきた。 拓也には、もはや希望しかないようだった。 俺もさすがに拓也を引き止めるのはあきらめた。

「分かった。 もうお前を引き止めるのは諦めた。 見送りには行くからな」

 電話を切った後、俺は息を吐いた。 城沢のことを聞くことが出来なかった。 彼女がこの町に残るにしても、一緒に東京に行くにしても、俺には関係の無いことだ。 口出しをするわけじゃないが……再び俺の中に城沢の存在が大きくなるのがわかった。

 

 

 俺は一計を案じ、マスターの協力を得て、クロノスのレコーディングをしてやることに決めた。 それくらいしか、アイツらに贈ってやれる餞別が思い浮かばなかったからだ。 マスターも立木兄も、それなら喜んで、と快諾してくれた。 立木弟も

「オレは何も出来ないけど、一緒に音楽の世界を共有した仲間だから」

と何かしらの手伝いをしてくれると言ってくれた。

 皆、クロノスには一目置いていたし、可愛い後輩のようなものだからな。

 拓也にそれを伝えると

「マジっすか? 俺たちの曲を、形にしてくれるんですよね? しかも影さんの手で……! 俺、めっちゃ嬉しいです! すぐに皆にも連絡するんで! ホントにありがとうございます!」

 電話の向こうで、ハイテンションの拓也の金切り声が響いていた。 そんなに喜んでもらえるとは思っていなかったので、正直俺の方が驚いた。

 レコーディングとは言っても、授業で使うような簡単な機材しかないのだが、それでも彼らは本気でぶつかってきた。 どんな状況でも音楽に真剣な姿をもう観られないかと思うと、俺は寂しく思えた。

 この日は、城沢も姿を現した。

 少しやつれた感じもしたが、少しでも拓也と一緒に居られる時間を大切にしたいという思いがひしひしと感じ取れた。

 城沢は、邪魔をしないようにカウンターの奥に座ってクロノスの演奏の様子をじっと見つめていた。もしかしたら、拓也一人だけを見つめていたのかもしれない。 一挙手一投足さえも見逃したくない。 そんな気持ちが、果たして当の拓也に届いているのか、俺は不安に思っていた。

 いつものライブではない状況。

 照明も、黄色い声援をくれるオーディエンスも無い、薄暗く静かなセブンスヘブンの中で、彼らはそれぞれに演奏を繰り広げていた。

 彼らに悲壮感は全くなかった。

 いつものようにはしゃぎ合い、じゃれ合い、笑い合って、音楽を楽しんでいた。 ナツユキが、ユウジが、マサトが、そしてタクヤが、クロノスが存在していた証を残す為に、真っ直ぐに同じ方向を向いていた。

 そんなクロノスが無くなる。

 ウラノスガイアが無くなったように、彼らはバンドという形を無くす。 インディーズとはいえ、ライブハウスを満員にするほどの実力を持っているのに。

 俺は残念で仕方なかった。

 それでも、これは彼らが決めたこと。

 俺は、彼らにせめてもの贈り物をしてやることで、見送りの気持ちに替えるつもりだった。

 背中には、城沢の静かで強い眼差しをずっと感じていた。 彼女は今、どんな気持ちで彼らを見つめているのか。 俺は、今自分に出来る、精一杯の事をしてやるしかなかった。

 レコーディングの最後には、一斉に演奏した一発録りを収録した。

 クロノスが一際輝いた一瞬だった。

 そう、線香花火のように……

 

 そして急に決めたクロノスのラストライブも、セブンスヘブンでやることになった。

 突然クロノス解散を知らされたファンの中には、納得出来ずにただ悲しむ姿も多く見えた。 それでも集まってくれたファンたちの歓声に包まれて、クロノスは最後の最後までクロノスをやり切った。

 この間録音したクロノスの曲を数十枚ではあるが売り出すと、たちまち完売になった。

 ナツユキ、タクヤ、マサト、ユウジたち四人が並んでステージに立ち、深々とお辞儀をすると、ファンたちの最後の拍手の雨が降った。

 会場の隅で城沢が見つめながら涙をこぼしているのを、俺は胸を切り裂かれる思いで見ていた。

 そして拓也は、ひとり東京へと旅立って行った。

 

 

 

 季節は冬も終わり、春に近づいていた。

 

 城沢からの連絡があったのは、拓也が旅立ってしばらくしてからの事だった。

 彼女の声に、いつもの明るさは無かった。 やはりよほどショックだったのだろう。

「すみませんが、ギター教室を少しの間、休ませて欲しいんです」

と伝える声に、以前の心強さはまるで無かった。

 その気持ちは痛いほど伝わってきていた。 それでも律儀に連絡をしてきてくれたことに、申し訳なささえ感じていた。

「再開はまた気が向いた時でいいから。 だけどあまり思いつめるなよ」

と言った後、なんとか彼女を元気付けたかった俺は

「俺も、何度も止めたんだ。 あまり大きな夢を見るなって。 けどアイツ、絶対成功してみせるからって、全く話を聞こうとしなかった」

と、たどたどしい言葉で伝えた。

「先生は悪くないよ。 心配してくれて、ありがとうございます」

と短い言葉で礼を言われ、俺は結局それ以上何も言えないまま電話を切ることになった。 気ばかり焦って、励ます言葉がまるで見つからなかった。 やっぱりダメな男だ、俺は。

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