キミの曲。
城沢のレコーディングは、演奏とボーカルを別々に録って合わせる方法にした。 順調にいけば、二回だけの作業で一曲が出来上がるというわけだ。
さて。
いざギターホールの前にマイクを設置し、まず演奏だけを録音しようとスイッチを入れた途端、城沢の動きが止まった。 弦を押さえる左手の指が震え、うまく動かせないのだ。 極度の緊張が、城沢を襲っていた。
五分、十分経っても進展は無く、俺は三度目のテイクを削除した。
「どうした、今日は?」
「うまく指が動かなくて……」
そう言う城沢に笑顔は無く、紛らわせようと手指をマッサージしたり、深呼吸を何度もしている。 俺は元気付けようと言葉を選んだ。
「ま、大抵の人は、録音って聞くと途端にビビるとこがあるから。 珍しいことじゃないよ」
「すみません……」
正直、城沢の謝る言葉は、もう聞き飽きていた。 多分その空気は城沢にも伝わっていたかもしれない。
「何度でもやり直せるんだから、焦らない」
俺は、ポンッと軽快にボタンを押した。 削除完了の音だ。
「昔は、録り直しなんてきかなかったんだ。 一発勝負。 間違えたら、そのテープはゴミ」
「……」
黙ってしまった城沢。 また一言多かったかもしれない、と反省。
それから何とか励まし励ましで五回目のテイクにて、やっと一曲目の演奏を録音し終えることができた。
「いいでしょう」
少し妥協はしたが、一回目よりは格段に良いものになっていた。 城沢が安堵のため息をするのを聞きながら
「まだ終わってないよ」
と次の準備に取り掛かった。 時間は一刻一刻と進んでいるのだ。
次はボーカルの録音だ。
城沢を立たせ、その口元にスタンドマイクを合わせた。 その圧迫感にのけぞるように、城沢はマイクの先端をじっと見つめていた。
その手にヘッドフォンを持たせると、促されるままに頭へとセットする。
「はいっ!」
意を決して深呼吸をした城沢の合図に、俺はさっき録ったばかりの城沢の演奏パートを流し始めた。
一瞬動揺した瞳をしたが、前奏を受け止めながら、第一声を出した――はずだったのだろう。
「は――」
まるで空気が抜けたようなカスカスの声が、マイクを伝って俺の耳にも聞こえてきた。
どれだけ緊張してるんだ。
城沢は水分補給をして喉を潤した。
「カラオケだと思えばいいから」
そう言って少しでも緊張をほぐそうとしてみるが、実際に歌うのは城沢であって、俺は何の助けもしてやれない。
だがここであきらめるのは、俺としても絶対イヤなのだ。 城沢には頑張って欲しい。 城沢の曲を形にするということは、彼女にとって大切な経験の一つになるはずなのだ。
それから三回のテイクで、ついに城沢は自分の曲を作り上げた。
力なく椅子に座り込んで疲労困憊の城沢に
「聴いてみる?」
と尋ねてみたが、彼女は二曲目も録音してから、と言った。 かなり疲れた感じを見せながらも、まだ頑張ろうとしていた。
これは若さなのか? それとも意地なのか? 俺は城沢の意欲についていくことにした。
少しの休憩を挟んで、二曲目のレコーディングに移った。
時間は残り三十分を過ぎていた。 だがもし時間切れになっても、多少の延長はマスターも許してくれるだろう。 俺は城沢を見守ることにした。
すると、どういうことか二曲目は、すんなりと出来上がってしまったのだ。
「今度はうまくいったな」
俺は正直驚きを隠せずにいた。 彼女がここまで早く、場慣れしてしまうとは思っていなかったからだ。
「本当は多分、度胸があるんじゃないか? ほとんどの生徒たちは、一曲だけでダウンしてたから」
実際、さっきの長谷川さんも一曲も出来ずにギブアップしたし、田舎に住む夏目さんも、なんとか一曲は仕上げられたが、自分にはこの緊張感は耐えられないと辞退された。
ところが目の前の城沢からは、疲れの中に笑みがこぼれていた。
「なんだか、楽しくなっちゃって」
何ということだ。 城沢は、この極度の緊張感さえも楽しんでいたというのだろうか? 俺は黙々と作業を続けながら、心の中でかなり驚いていた。
ウィンウィンと鳴る音が終わり、カシャンと乾いた音と共に、パソコンから一枚のCDが飛び出した。
城沢のオリジナル二曲が入ったCDが、今出来上がったのだ。
俺はそれを丁寧にケースに入れると、ぐったりと椅子に座り込み呆けている城沢の前に差し出した。
「?」
ぼんやりとした視線をそこに移し、状況が理解できていない城沢。
「出来たよ」
と言った途端
「えっ?」
と勢い良く跳ね起きてCDケースを手に取ると
「もう出来たんですか?」
と目を丸くして俺を見つめた。 真っ直ぐな瞳にうろたえながら頷くと、城沢は手の中にある出来たてほやほやの自分のシングルCDをしげしげと見つめた。 その瞳がキラキラと輝いている。
「聴いてみる?」
「え、ん……でも……」
明らかに迷っている返事を無視して、俺は城沢の手からCDケースを取り上げた。
「俺も聴いてみたいから」
と言いながら、カウンターの奥にある音響機材にCDをセットした。 ここから繋がるスピーカーから、部屋全体に音が響き渡るはずだ。
スタートボタンを押すと、数秒後に城沢のギターの音色が部屋の中に流れ始めた。 俺は城沢の前の席に戻り、黙って聴いていた。
俺はいつも聴いていた。 城沢のギターの音色も、その歌声も。
だが、城沢は自分の歌も演奏も、客観的に聴いたことはないはずだ。 自分で演奏したものを客観的に聴くと、今まで感じていたものとはまるで違う様相に聴こえるというのは、周知のとおり。
案の定、城沢は次第に体を小さくして、遂には恥ずかしそうに俯いてしまっていた。
二曲が終わり、カウンターの奥からCDを取り出して城沢に返すと
「うん、まあ、いいんじゃない?」
と言った。 すると城沢はか細い声で
「先生、あたしのギターって、すごく軽い音じゃないですか?」
と俺を見上げた。 自分の演奏にかなりの衝撃を受けたようだった。 俺は思わず吹き出した。 その答えはすでに出ていたからだ。
「だって、安いギターだもん」
「え゛!」
城沢の顔が固まった。 まるでその類の答えは想像もしていなかったのだろう。 彼女は俺を見つめて、次の言葉を待っていた。
「ギターってのはピンキリで、音階は同じように出るけど、深さや響きってのはそのギターによって全然違うんだ。 それはアコギもエレキも同じ。 ピックアップや弦の違いでも全然変わってくる。 こだわればこだわるほど、奥が深いんだ。 現に、俺の使ってるギターも、城沢のとは違う音だと思わない?」
「んー…… 言われてみれば……」
「値段で言ったらそれまでだけど、このギターでも十万ちょっとしたかな」
「じゅ……十万?」
驚く城沢を面白く思いながら、俺はあえて淡々と続けた。
「ほら、ずっと前にマスターのギターを触ったことあったろ? あれ、五十万位するんだぞ」
「ええええええ!」
城沢の体が痙攣したかのように震え上がった。
「ご、五十万のギターを、何にも知らないあたしが触ってたの?」
城沢は、今にも倒れそうなほどの衝撃を受けているようだった。 人生初のレコーディングでかなりの体力と精神力を消耗しているところに、衝撃の事実を叩きつけられたのだから無理も無い。
「恥ずかしい……」
「城沢のギター、貸してみて」
俺は城沢からギターを借りると、おもむろに爪弾き始めた。
「え?」
城沢は身を乗り出して俺の演奏を聴いていた。 俺も上手いとは言わないが、講師をしている以上、それなりに自信を持っている。
俺は城沢のギターの温もりを感じながら、精一杯の心を込めてそのボディーを鳴らした。
一通り弾いてみせ、ギターを返すと
「演奏者の腕にもよるしね」
と微笑んでみせた。 そして
「しかし、やっぱり弾きにくいな」
と酷評は忘れなかった。 ボディーの鳴りが足りないのだ。 やはり所詮は安物。 これが精一杯だったか。
城沢は自分に返って来たギターをしげしげと見つめた。
「すごいね、ギターって」
そう言いながらただただ驚くばかりの城沢を見ながら、俺もまた彼女の底知れぬ可能性に驚いていた。 これは化けるかもしれない。 そんな予感が、俺の心のどこかに刻み込まれた。
城沢は帰り際、俺に振り返ると言った。
「あの、拓也が、自分たちの曲もレコーディングして欲しいって、言ってました。 でも、相手が神だから、おこがましくて自分からはとても言えないんですって」
そう言って笑う城沢に、俺は心の中で笑った。
『あいつ、見かけに寄らずたまに遠慮するんだよな。 俺は神なんかじゃないって言ってるのに』
そしてすぐに頷いてやった。
「いつでもどうぞって、言っておいて。 だけど仕事として受けるから、代金は請求するよって」
すると城沢は
「そうですよね!」
と一際可愛らしく笑って、帰って行った。
やっぱり城沢は可愛いな……。
そう思ってしまう俺は、まだ彼女の事を想っているのだろう。
でも、拓也と並ぶと美男美女でお似合いなのだ。
それでいい。
俺は彼女をあきらめたんだ。




