つかの間の穏やかな日々
俺は、拓也と連絡先の交換をした。
拓也は二歳年下で、俺とは趣味も好みも全く違う。 彼の口からはいつも、今流行のロックバンドの名前がよく上がる。 でも不思議なことに、俺と拓也は馬が合い、何かにつけて一緒にいるようになった。 というより、向こうが俺にくっついてきた。
「音響の神様から、色々なことを学びたい」
そう言う拓也に
「君は音響スタッフになりたいのか?」
と尋ねた。 すると拓也は真面目な顔で首を横に振り、
「俺は将来、音楽プロデューサーになりたい! 今はバンドを組んで、一メンバーという形でいるけど、本当は、自分の中にある音楽を全部出し切れるような仕事をしたいんです」
と熱く語った。 俺は、その真っすぐな瞳の力強さと、それに負けない壮大な夢に胸を打たれた。 だが、音楽の世界はそう簡単じゃない。 誰だって自分を表現したいと思うとき、ありのまま、心に描いたままを出したいと思う。 だけどそれには、自分以外の誰かの力は必ず必要になってくる。 自分ひとりですべてができるわけじゃないし、ましてや心に描いたままを表現するのは並大抵のことでは出来ない。 俺だって何度もバンドを組んだり抜けるなどして、理想の姿を求めてきたが未だに旅の途中だ。
だが今の拓也には、その勢いがある。 あまり暗いことは吹き込まないほうがいいと思い、俺から何か吸収出来るものがあればしたらいい。 それで失敗しても、そこからまた何かが生まれるだろう。 それは拓也自身が経験しないと得られないものだ。 と、今はそっと、拓也の行く末を見守ることにした。
拓也はくっつき虫のように俺の後を付けまわし、貪欲に音楽を追求し探求していた。 音響のことにとどまらず、ピアノ、ドラムやギターなど、他の楽器にも興味を広げ、色々な音楽教室にも見学に出向いているようだった。
ギター教室にも、城沢と一緒に来ることが多くなった。 俺は、前ほど城沢と拓也が一緒にいることに嫉妬を焼くことはなくなっていた。 それくらい自然な気持ちで受けとめられるようになっていた。 俺も大人になったということだな。
「最近、拓也くんと行動してるらしいじゃない?」
久しぶりにセブンスヘブンでのんびりと珈琲を楽しんでいると、マスターが楽しそうに微笑みかけてきた。
「でもあんなに激しい戦いは、初めて聴きましたよ」
【激しい戦い】とは、クロノスのタクヤと音楽バトルをした、あの日のことだ。
俺は遠いあの日の事を、忘れることは無いと思っている。 それほど衝撃を受けた日だったからだ。 ウラノスガイアに出会った時と同じように。
「あれからもう、数ヶ月になるのか。 懐かしいな」
遠い目をする俺に、マスターは頷きながらグラスを拭いていた。
「後で聞いたけど、拓也もマスターのことは、知ってたんだな?」
「あの頃と今とのギャップに、かなり驚かれましたけどね」
そう苦笑しながらマスターは、足元をごそごそとしていたかと思うと、一冊の小さなファイルを取り出した。
「あぁ、それ、見せたのか」
それは、ウラノスガイア時代のマスターが写っている写真が収められているアルバムだった。 俺も何度か見たことがある。 ウラノスガイアは、その人気の割に、音源もほとんど残っていない。 ライブの映像も無いらしい。 この写真だけが、当時のインディーズ界のトップを走っていたであろうウラノスガイアの雄姿を物語る唯一のものだ。
俺は懐かしさに浸りながら、ページをめくった。
薄暗いステージに浮かぶ白い顔、赤や黒の唇、目の周りもアイシャドウをパンダのように塗りまくっている。 今でも、見ると笑いが込み上げてくる。 目の前に立つ、白いカッターシャツに黒のベスト、黒のズボンに、オールバックに近いすっきりとした髪型をしたマスターと見比べればなおさらだ。
「よくこんなに変わるもんだな」
「そうですか? 僕は全然変わったつもりはありませんけどね」
にこりと微笑むマスターに、俺は少し嫉妬した。
自分の店も持ち、綺麗な嫁さんもいて、たまに人をからかいながら毎日楽しく生きているマスターは、心の余裕も宇宙一広いんだろうな。
俺はアルバムをぱたりと閉じて、マスターに返しながら尋ねた。
「で、海斗さんと連絡は?」
海斗とは、元ウラノスガイアのボーカルであり、マスターのパートナーだった人だ。 今彼は東京に出て、アーティストとなって大活躍をしている。 もはや、知らない人はいないだろうという程に知名度を上げ、世間を賑わしている。 当時、いつメジャーになってもおかしくないほどの集客力を持っていたウラノスガイアは、案の定、東京の音楽事務所から声がかかった。
「東京に出て力を試さないか? 君たちなら必ず成功する!」
と熱烈に説得され、カイトは上京の道を選んだ。 そしてナオキは、この町に残ることを選んだ。 その時の二人の話し合いはよく知らない。 ただ、それをきっかけにウラノスガイアが解散したのは事実だった。
その後ナオキは貯めていた資金をはたいてセブンスヘブンを建て、念願だったライブハウスバーのマスターとなり、カイトは【海斗】として芸能界で見事に成功した。
マスターは思いを馳せた様子で、懐かしそうに目を細め、アルバムを丁寧にしまった。
「彼も忙しいみたいで、もう連絡は一年以上交わしていませんよ」
そう言って、マスターは煙草に火を点けた。 白い煙をくゆらせながら、再び思い出に浸っているようだったので、俺はそれ以上何も言わなかった。 道は違えど、それぞれに幸せな道を結局は歩いている。 それは、俺にとっては羨ましく、憧れでもある生き方だ。
俺はこの雰囲気をもっと味わいたくなって、珈琲をおかわりした。 店内には、小気味よい音量でジャズが流れていた。
ある日の城沢の授業。 お決まりの様に拓也がついてきていた。
俺はこの状況にもすっかり慣れ、城沢に次の予定を告げた。
「次の授業で、レコーディングするから」
「えええ?」
驚き目を丸くする城沢に被さるように、拓也の雄叫びが部屋に響いた。
「スゲーー! オッカ、スゲーじゃんよ! レコーディングだぜ! 神にレコーディングしてもらえるんだぜ~!」
すっかりテンションが上がってしまっている拓也。 だがこれは、城沢に言ったのだが……まあいいか。 【神】と言われて悪い気はしない。
「そんなすごいことじゃないよ。 今は誰だって、パソコン一台あれば自宅で出来る時代だから」
と説明すると、
「いやいやいやいや!」
拓也が激しく頭を振り、大きな手振りで否定した。
「何言ってんすか! 影さんの腕は、一般ピープルがそう簡単に真似できるものじゃないっす!」
俺は呆れ笑いをして、何も言葉は見つからないと肩をすくめてみせた。 俺たちの様子を見る城沢の白い目が、胸の端に痛く刺さっていた。
「二曲練習しておいで」
という言葉に、城沢はギュッとギターのネックを握って口を固くつむった。 何しろ彼女にとっては初めての体験だ。 緊張はするかもしれないが、これも経験のひとつ。 頑張ってもらわないとな。
そして数週間が過ぎた。
城沢のレコーディング日には、ついでと言ってはなんだが、長谷川さんの二度目のレコーディングもすることになっていた。 前回、緊張のあまり一曲しか録音出来なかったので、今回は練習期間も多く持ち、気持ちに余裕を持たせてのレコーディングをした。 俺としても、前回のリベンジは果たしたかったからだ。 だが……。
やはり長谷川さんは緊張のあまり、指もろくに動かせずに一時間が終わってしまった。
今回は前回よりもひどく、一曲も録音出来ずに終わってしまった。 俺以上に、長谷川さんの落ち込みようは可哀想なほどだった。
「大丈夫ですよ。 レコーディングをするためにギターを始めるわけではないんですから。 趣味で楽しく続けられるのが一番ですよ!」
と懸命に励ますと、長谷川さんは
「はい、そうですよね。 ありがとうございます」
と気の無い返事を残して帰って行った。 彼が教室を辞めないことを祈るばかりだ……。
次に時間ぴったりにやってきたのは、城沢だった。 どうやら今日は一人のようだった。 いつも三人で居たことに慣れていたのか、久しぶりに二人きりの授業には、若干緊張を覚えた。 だがそれ以上に、城沢も緊張している様子で、笑顔も少し固い雰囲気があった。
さっきの長谷川さんのこともあるし、俺は少し嫌な予感がした。




