城沢が行く道を見守る喜び
城沢が友達の結婚式の二次会で、弾き語りを披露する当日--
俺は朝から落ち着かなかった。
まるで自分の事のように、動悸が治まらない。 こっそり行って様子を見たい気分にもかられたが、そこまでやると確実に軽蔑される。 来るかどうかも分からない城沢からの連絡を、ただ待つしか出来なかった。
昼が過ぎ、夜になり、俺は携帯電話を片時も離さずに過ごした。
そして俺は、緊張のあまり…………眠っていたらしい。
トゥルルル…… トゥルルル……
「!」
俺は遠く聞こえてきた着信音に慌てて跳ね起きると、震える指先で受信ボタンを押した。
「もしもし?」
寝起きの声は、思わずひょろい声量しか出なかった。
「先生? 城沢です! 今終わりました! 楽しかったよ!」
寝起きの鼓膜に突き刺さるほどの、とてつもなく明るい城沢の声が届いた。 その興奮した熱い声で、俺は心の底から安心して、張り詰めていた心が緩んだ。
「そうか、楽しめたのなら良かった」
俺は胸を撫で下ろした。
「先生、ありがとうございました!」
「いや、城沢が頑張った結果だから」
と顕著に返しながらも、俺は今すぐ城沢の手を取って喜びを分かち合いたかった。
城沢の話によれば、緊張はすれどその中に楽しさを見いだしたようだ。 良い傾向だ。
終始明るかった城沢の声が、電話を切った後もしばらく耳に残っていた。 再び部屋に寝転がり、天井を見ながら、俺は心が晴れ晴れとしていることを感じた。
「どうやら、無事に終わったみたいだね」
数日後、事務所で作業をしている俺に、高梨事務所長が言った。
「?」
初め、なんのことか分からずに黙っていると
「君の生徒が、外で披露したんだろ?」
「あぁ」
城沢が友達の前で弾き語りを披露するというのは、音楽教室の皆も知っていた。 俺が嬉しさのあまり、口外したからだ。 なにより、自分の生徒が公共の場でその成果を発表するというのは、講師をしている奴なら皆心配するし、期待もする。 俺の仲間たちもそうだ。 何げに進捗報告をしろとうるさかった。 それも皆の愛だったのだろう。
「はい。 無事に、何の問題なく進められたらしいです」
答えると、高梨事務所長は
「そうかそうか」
と嬉しそうに何度も頷いた。
「本当に影待君は、分かりやすいねえ」
そう言ってにやける高梨事務所長を気持ち悪く思って
「なんですか……?」
と眉をしかめた俺に、高梨事務所長はクスリと笑った。
「顔に出ない代わりに、態度に出るよね」
俺は楽しそうに言う高梨事務所長に、苦笑いを返した。 無表情なのは自分でも分かっているつもりだ。 そのために営業の足を引っ張るときがあったし、それを高梨事務所長にも咎められたことがあったからだ。 でも、顔に出ない気持ちが、逆に態度に出ているとは知らなかった。
「ま、無事に済んでよかったじゃない?」
「はい、ご心配おかけしました」
「心配はしてなかったけどね」
深々とお辞儀をする俺に、高梨事務所長は笑って軽く手を振った。
ま、いいんだけどね。 俺には、のんびりしている余裕は無いんだ。 生徒は城沢だけじゃない。
俺は時計を気にしながら事務所を出ると、車に乗り込んで走らせた。
一時間弱の道程の後、田んぼに囲まれた田舎の一軒家の前に車を停めると、玄関のチャイムを押した。 車が止まったのが分かっていたのだろう、すぐに玄関は開いた。
「こんにちは!」
家から顔を覗かせたのは、俺と同じ年の女性、夏目佳菜子だ。 にこりと笑って外に出てくると
「待ってましたよー! どうぞ!」
と手を横に出して俺を案内した。
背はあまり高くなく少しぽっちゃりした体に、茶髪のロングヘアー、着ている服もいつもふんわりした薄手のワンピース。 夏目佳菜子も俺の生徒の一人だ。
彼女は家の隣に建っているガレージのシャッターを開けた。 外から風が舞い込んで少し埃が舞った。 その中に入ると、隅の方に椅子とテーブルが用意されてあった。
「じゃあ、始めようか」
俺の授業は、セブンスヘブンだけでなく、出張もしている。
なかなか家を出られない人や、セブンスヘブンまでは遠くて行けないという人などに対しては、場所さえあれば出向かせてもらう。
夏目さんの場合は、家がセブンスヘブンから遠いので通うのは無理だと言われ、じゃあ家の近くでも弾ける環境であれば出張しますよと話をすると、家のガレージでという結論に達したのだ。 他のパターンであれば、近くの楽器屋の練習スタジオを借りてという手もあるが、そうすると俺が使用料を払わなくてはならないから、正直気は進まない。
夏目さんの家は土地柄もあって敷地が広く、二階建の大きな木製の一軒家と、乗用車が二台は入りそうなガレージ、それに加えて、畑まで持っているらしい。 俺もたまに野菜を分けてもらって帰ることがある。 これが旨くて、家族にも評判が良い。 いつだったか親に
「あんた、その子と結婚しなさい」
と言われたことがある。 即行拒否したけどな。 生徒として付き合っているだけで、彼女にするにはタイプじゃない。
公道からも遠く、トタンで囲まれた静かでのんびりした空間の中に、ギターの音色が響く。 楽譜を見ながら一生懸命に爪弾く夏目さんに教えながら、俺はこのゆったりした時が好きだった。
「あの……」
不意に夏目さんが顔を上げた。 くっきり二重の黒めがちな瞳が俺をとらえた。
「何?」
「ここはどういうストロークが良いんでしょう?」
「そうだなぁ、ここはこんな感じで……」
俺が弾いてみせるのを真剣な眼差しで見つめ、真似てみる。 真面目なところもあって性格も悪くないし、ぽっちゃり体型も嫌いではないが、俺が夏目さんに恋心を抱かないのは多分、その顔の中心に鎮座する団子鼻の性だろう。 それがなかったら、もっと見栄えの良い女性なんだろう。 まぁ、今の俺には城沢がいるから、余計なお世話だよな。
「じゃ、これで今日の授業は、終わりにしましょう」
一時間が過ぎた頃には、外は夕刻。 何の邪魔も無い果てしなく広がる真っ赤な空が、ただ静かに広がっていた。
「先生、ありがとうございました!」
にこりと笑って丁寧にお辞儀をする夏目さんに見送られ、俺は車を走らせた。
例え趣味止まりでも、音楽を楽しんでくれればそれはそれで嬉しい。 夏目さんも、この広大な空の下で一人のんびりと爪弾いていくのだろう。 家族で暮らす実家という意味では同じだが、住宅街の真ん中に建つ二階建ての小さな家の一角、六畳の小さな部屋に、数本のギターと共に無理やり詰め込まれたような俺には、本当に羨ましい話だ。
城沢の作曲技術は、日に日に上達していた。 ストックも合わせれば、数十曲以上あるだろう。 彼女の曲を聴けば、その時の心情や周りで起きた事件などが伝わってくる。 まるで城沢の日記をのぞき見ているようで、毎回新曲を持ってきてくれるのを楽しみにしていた。
そんなある日のギター教室で、城沢は
「エレキギターを弾いてみたい」
と話してきた
俺は、何故か驚きもしなかった。 城沢が色々な方面の曲を聴いていたのは知っていたし、初期の頃コピーしたい曲を持ってきた時も、今流行のロック調のものが多かったから、いずれは興味が出るのではないかと、心のどこかで思っていたからだ。
「今までアコギをやってきて基本は出来てるし、いいと思うよ。 欲しい型とか、あるの?」
そう言われて、城沢はおもむろに自分の鞄からパンフレットを出した。
「これ、どうかと思うんですけど……」
と、折り目を付けたページを開いて見せてきたので、それを受け取った。
こればかりは、本人の好みだ。 エレキは特に外見が多種多様にあるから、初めての場合はボディの色や形の好みの問題が大きくなる。 もう初心者じゃないし、こうしてパンフレットもいくつか吟味しての結果を見せてきたのだろうから、城沢に任せることにした。 音に関しては、その後で自分で考えていくだろうし、説明だけ付け足すことにした。
「エレキもアコギもそうだけど、好みの問題だからね、決まったものがあるのならそれにしたらいいよ。 値段もそう高くないみたいだし」
と返しながら、次の城沢の世界に対する期待を込めた。 彼女は、受け取ったパンフレットに映る、赤いボディのエレキギターを見つめていた。 きっと将来に向けて、思いを馳せているのだろう。
そんな、未来に向けて発展していこうとする彼女の姿を見るたびに俺の心は温かくなるし、もっと惹かれていくんだ。
俺との授業を始めてから、もう一年以上になるんだな。 早いような短いような、とにかく今は、城沢の顔を見られるだけで俺は幸せだった。




