静かに仲直り
カランカランカラン……
「うっ! 来た!」
体が弾けるように震えた。 胃がキリキリと痛みだし、心拍数は、まるで全速力で走り回ってきたかのようにはちきれそうだ。 それでも俺は、あくまでも冷静を装うことに気持ちを集中しようと、深く深呼吸をした。
ところが、数秒経っても城沢の姿が現れない。
『誰か、入って来たんじゃなかったのか?』
俺は不思議に思って、そっと視線だけを動かして扉の方を見た。 すると、城沢が静かに覗いているのが見えた。
「…………」
俺は言葉を無くしながらも、少しホッとしていた。
『城沢も俺と同じように思っていたのかもしれない』
そう思ったおかげで心が落ち着いた俺は、城沢に向かって、席に座れと合図をした。 城沢はやがて意を決したように姿を現し、固い顔で近づいて来ると
「こっ……この間は……」
と切り出してきたので、思わず椅子を指差した。 城沢はそれ以上何も言わずに、固い表情のまま荷物と共に座った。 ギターケースを背負ったままだ。
俺は、城沢には何も言わせたくなかった。 例え城沢が思っていたとしても、謝るのは俺の方だ。
「ひどいことを言って、ごめん」
視線を合わせることは出来なかったが、視界の隅で城沢が肩の力を落としたのが感じ取れた。
「いえ、あの、あたしの方こそ……」
「来てくれないかと思った」
そう言いながらも、俺の気持ちが届いたらな、と少しだけ期待した。 城沢は、再び何か心に決めたかのように息を飲むと、肩に引っ掛けたままのギターケースのベルトを強く握った。
「あの、先生にお願いがあります」
城沢が言いにくそうに口を開いた。
「お願い?」
いきなりそう切り出してきた城沢にその先の展開が全く読めず、しかも何やらモジモジしている城沢を可愛らしく思いながら、次の言葉を待っていると
「あの、あたしに作曲の仕方を教えてください!」
と叫ぶように言いながら、深く頭を下げた。 その拍子に、城沢の背にそびえたつギターのネックが俺に襲い掛かってきた。 あやうく俺の額にヒットするところだったのを避けながら
「作曲したいの?」
と戸惑いながら尋ねた。 予想外な言葉に、俺は、唖然としていた。
『作曲をしたいだって? いきなり何を言いだすんだ?』
「ダメですか?」
城沢は上目遣いで俺にすがるような視線を送ってきた。
『やめろ、そんな目をされると平静を保てなくなる……』
俺は、乱れかかった浅ましい脳波を、必死で平常に戻して考えてみた。
確かに城沢の技術は向上している。 今まで何十曲もコピーをしてきたし、人前で弾くことの経験もした。 自分の力をもっと伸ばしたいと考えたのかもしれない。
何より、あんなことがあったのに、俺に頼ってきてくれたのが心底嬉しかった。
「うん……まあ、大丈夫でしょう」
そう答えた途端、城沢の顔がパッと明るくなった。
『眩しい……。 そんなに嬉しいのか。 それなら俺も嬉しいぞ』
でも、俺の言葉はそれだけでは止まらなかった。
「曲を作るって事は、今まで真似してきたことを、どれだけ自分のものにするか、いかに自分らしさを出せるか。 客をひきつけるのは甘くないぞ」
これは嫌みでもなんでもなく、城沢を思ってのことだ。 つまり、前途多難ってこと。 今は分からなくても、いずれこの意味が分かる日が来る。
城沢は、強い意志を持った表情で頷いた。 その瞳には、希望に満ちた光がしっかりと灯っていた。
そしてそこからは、作曲の授業に向けて気持ちを切り替えた。 もう心にわだかまりは無い。
「さて、と、じゃあ基本的なところからやろうか--」
突然のことで資料を用意していなかったので、ルーズリーフをテーブルに出すと、コード表をもとに作曲の基本であるスリーコードを書き出し、授業が始まった。
城沢はいつものように真剣な眼差しで話を聞き、ギターを握った。 ある程度タブ譜を見ながらでも弾けるようにはなっているから、あとはどれだけ自分らしさを出せるか。 それは俺の力ではどうにもならない。 ギターの練習と同じで、城沢自身の努力と感性にかかっている。 城沢からどんなフレーズが飛び出してくるのか、楽しみだ。
一通りの基礎を教えて、一時間の授業は終わった。
城沢は、来たときとはまるで違った、希望に満ち輝いた表情をして帰っていった。 仲直りも出来たし、城沢の笑顔も見られたし、俺の心はホクホクだった。
それからしばらくは、授業のたびに何曲かを作ってきては披露してくれた。 曲を作ったうえに、詞まで乗せてきた。 今はまだ素人が作った丸出しの曲ではあるが、少し面白い法則に気付いた。 素人ならではのことなのだろうが、城沢の曲では、途中で何故か転調するのだ。
『何故ここでこれが出る?』
というコードが出てくると、どこか調子が狂う。 だがそれも、段々楽しみになってきていた。 それより増して、城沢はよほど楽しいのだろう。
「曲作りは数で勝負だぞ」
という言葉が効いたのか、毎回の授業のたびに数曲を仕上げてくる。 本当に音楽が好きなんだな。と、純粋に可愛らしく思う。
そしてその姿勢は熱を帯び、没頭している姿は、教えている俺にも気持ちを引き締めさせられるのだった。
ある日など、いつも曲を先に仕上げてから歌詞を乗せる手法を使っていた城沢が、首を傾げていた。
「どうも、うまく言葉を乗せられないんですよね……」
顔をしかめてペンの背を唇に押し付けながら、考え込む城沢に、俺はひとつ提案をしてみた。
「詞を先に書いてみたら?」
「あ! なるほど……」
作曲に正解不正解など無いもんだ。 曲から先に作る人もいれば、詩をくちずさみながら曲を乗せていく人もいるし、同時に作り上げる人もいる。 いろんなやり方を試してみて、自分に合ったやり方を導き出すのも、俺の仕事なのかもしれない。
城沢は早速、自分で書き溜めていたというノートをめくり、少しずつ歌詞という形にしては、口ずさみ、音符を乗せていった。
それがどうやらうまく行ったようで、俺も
「当たりだったみたいだな」
なんて、思わず声に出して喜んだ。 そして
「これからも、何曲も作るんだ。 失敗だろうが成功だろうが、とにかく数をこなすこと!」
と改めて気合を入れさせると、城沢は嬉しそうに満面の笑顔になった。
「先生、音楽って楽しいね!」
『うっ!』
俺は驚いて思わず視線を避けかけた。 が、すぐに口元に微笑みが浮かんだ。
「そう言ってもらえると、教えた甲斐があるよ」
許されるなら、誰も居ない所へ行って大声で泣きたいくらい、嬉しかった。
そんなある日のこと、城沢からまた驚きの発言が飛び出した。
「先生、大変です!」
「何か、あった?」
俺は、いつものように何気なく聞いていた。 すると城沢は、珍しく大げさに真剣な顔をした。
「あたしに弾き語りをして欲しいと、依頼があったんです!」
「え?」
俺は思わず持っていたペンを落としてしまった。 普通、友達に弾いて聞かせる位なら、こんなに真面目な顔はしないだろう。 どこかのスカウトマンにでも引っかかるような大きな話にでもなったのか? 俺は震える指先で眼鏡を上げ、座りなおした。
「誰に?」
と恐る恐る尋ねる俺に、城沢は
「友達の結婚式の二次会で」
とこれまた困った顔をした。 俺は、途端に訪れた安心感に、全身の力が抜けた。
「なんだ」
と言ってしまってから、本当に自分は一言多いなと反省した。 城沢は眉を寄せて
「な、『なんだ』ってなんですか! どういう意味ですか!」
と怒り口調で乗り出してきた。 俺は少し余裕が出て、軽く笑いながら答えた。
「いや、どこかの悪徳プロデューサーにでも引っ掛かったのかと思って。 二次会で披露? いいと思うよ。 何より、それだけ信用されて期待されてるって事でしょ?」
「それは分からないけど、友達のためにもやるべきかなぁって……ていうか、あたしってそんなに危なっかしいですかね?」
怪訝な目で見る城沢の問いに
『あぁ、俺が悪かったよ!』
と心の中で答えながら言った。
「やったらいいんじゃない? 俺も手伝うし。 じゃ、早速やろうか?」
「でも、今日の予定って?」
「ああ、レコーディング」
「え! はいっ?」
やっとテーブルに並ぶ精密機械を見て、城沢の目が点になった。
もともとこれは、さっき授業をしていた長谷川さんの為に持ってきた機材だ。
城沢に対しては、実際に録音をするつもりではなかった。 授業の一環として、レコーディングの説明でもしてやろうかと思っていたくらいだったのだが、城沢はそれを、自分が録音に携わるのではないかと勘違いしたように顔が硬直し、俺を見た。
「い、いいんですか?」
「別に急いでないしね。 それか今日、こっちを先にやっちゃう?」
「い、いえ、大丈夫です……」
「そうか、じゃあまた今度」
そう言うと、城沢はホッとしたように肩を下ろした。 少しからかってやっただけなのに、ホントに可愛い奴だ。
邪魔な機材を片付けながら、尋ねた。
「で、持ち時間は?」
「全部お任せすると言われました」
俺は思わずにやけた。 あっけにとられる城沢に
「じゃあ、曲は三曲にしよう。 時間は十五分。 間にトークを挟んで、それくらいで充分だと思う」
と言うと、怪訝な顔をして俺を見つめた。
「先生、楽しそうですね」
「またとない機会だからね。 俺が教えた結果が出るんだから!」
「はあ?」
これは、俺自身も嬉しい話だ。 どういう風の吹き回しかはわからないが、演奏を依頼されたということは、城沢の実力がそれだけ認められてきたということだ。 俺は、俄然やる気が出てきていた。 一方、当の本人はそこまで乗り気はなく、不安のほうが先に立っているようだったが。
城沢は終始、俺がどこか生き生きとしていることに戸惑っていたようだが、そんなことは関係ない。 俺は、城沢がそうやって活躍してくれることが、自分のことのように嬉しかった。
次の授業に、選曲して持ってきた曲を聞き、俺の頭にインプット。 さて、城沢を仕上げていかなきゃ!
「影待くん、最近明るいよね?」
マスターがグラスを拭きながら微笑んだ。 俺は、城沢が友達の結婚式二次会で弾き語りを依頼されたのだと話した。 聞きながら、マスターは親が子を見るような笑顔で俺を見ていた。
「なんだよ?」
「いえ、良かったなぁと思いまして」
マスターは笑顔を崩さずに頷くと、他の客の接客をし始めた。
言いたいことは分かっている。 あの一件で、仲直りが出来て良かったということだろう。 しかしだな、事の発端はマスターなんだぞ。 ま、今は気分が良いから許してやろう。
それにしても、マスターの珈琲は最高だな。
城沢の弾き語り披露の日まで残りわずかになってくると、城沢をセブンスヘブンのステージに上げて、本番さながらのリハーサルを重ねた。 ここまで念入りにすることはないのだろうが、城沢に恥ずかしい思いをして欲しくないがための親心だ。
特別な照明も無し、アンプには繋げるというが、大した演出もされないと言うが、一つ上の壇上に上がると気分まで変わるのは、この間の発表会に向けてのリハーサルでも気付いていたことだろう。 城沢は十五分という持ち時間の中で、精一杯の自分を出すために一生懸命だった。
これなら、結婚する友人も喜んでくれるだろう。




