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恋はビートルズの旋律に乗せて  作者: 天猫紅楼
11/29

HELP!……Vol.2

「いてて……」

 翌朝、俺は脳をかき回すような頭痛に叩き起こされた。

 カクテル一杯で記憶を無くした。

 マスターが代行タクシーを呼んでくれたのは、ぼんやりと覚えている。 気付いたら、自分の部屋の天井を眺めていた。 いつの間に眠っていたのか、それとも、ぼんやりとしたまま起きていたのかも定かではない。

 ゆっくり体を起こしてみた。 布団も敷いていない。 六畳部屋の畳の上に寝転んでいた俺は、服も昨日のままだ。 背中が痛い。 そこから動く気力も沸かずに、そのまましばらくぼーっとしていた。 何も考えられない。

「はあ……」

 焦点が合わないまま、ため息がもれた。 と同時に

「! うっ!」

 リバース!

 便器に顔を突っ込む今の姿を客観的に想像しながら、

「最悪だ……」

と呟いた。

 その日は何もしなかった。 というより、何も出来なかった。 城沢が放った

「大嫌い!」

と言う言葉がグルグルと頭の中を回り続けている。 そして繰り返し襲ってくる吐き気。

 マスター、一体俺に何を飲ませたんだ? 俺は部屋に寝転んだまま、一日を過ごした。

 

 

「影待くん、顔色悪いわね」

 和田さんが俺の顔を覗き込んだ。

 二日後、とりあえず顔は出さないとと思って、まだふらつく頭を我慢しながら事務所に来たはいいが、やはり体調は最悪だった。 パソコン画面を開いてはみたものの、画面の文字が全く頭に入ってこない。

「はぁ……」

 肘を突いて、出したくもないため息がとめどなく漏れる。

「何かあったの?」

 和田さんが心配そうに言うと、真壁が口を挟んだ。

「もしかして、あの子のことですか?」

 途端に和田の顔が明るくなった。

「何? あの子ってどの子?」

 出た。 和田の詮索癖。 面白そうな話だと感付くと、何でも知りたがる。 しかし真壁、もしかして城沢のことを知っているのか? 俺が怪訝な顔で真壁を見ると、

「ほら、発表会の時に来てた!」

 人差し指を立てて話を引き出そうとする真壁。

「……城沢のことか?」

 恐る恐る口に出すと、真壁は首をひねった。

「そうそう!」

『やっぱり……』

 具合が悪かった胃が再び痛みだしたとき、真壁が続けた。

「その子に、ついて来てた子!」

「へっ?」

『裕理ちゃんの事だ』

 返事をしないでいると、真壁は途端に眉をしかめた。

「あの子、俺がどんなに面白い話をしてもうわの空でさ、影待さんの方をずーーっと見てたんすよ! せっかく人が盛り上げようとしてるのに、ホント失礼なヤツだった!」

『な、何を言っているんだ、こいつは? 裕理ちゃんが、ずっと俺を見てたって? 全然気が付かなかったぞ?』

「あの子にしつこく言い寄られてるとか? そこそこ可愛い子だったと思うけど……影待さんもスミに置けませんねぇ~~」

 迫る真壁に和田さんも加勢した。

「本当の所はどうなのよ? 影待くんっ!」

『なんなんだこいつらは』

 呆れて言葉を失っていた俺を救ったのは、高梨事務所長だった。 一部始終をじっと黙って聞いていたのだろう。 いきなり立ち上がると、厳しい声を発した。

「影待!」

「はいっ?」

 高梨事務所長は俺の顔をじっと睨むように見て、一言。

「生徒に手を出しちゃあかんぞ!」

『えええーーっ? 話を聞いてたんじゃないのかよ?』

「とにかく、みんな、違います!」

 俺は三人の視線を振りほどくように立ち上がると、そそくさと自分の荷物を肩に引っ掛けた。

「僕はこれから外回りがあるので、今日はこれで!」

 逃げるように事務所を飛び出した俺の後ろで、なにやら騒がしい声が聞こえてきたが、俺は振り向かずにエレベーターに乗り込んだ。

「全く! なんなんだあいつらは! 無理して事務所になって来なきゃ良かった……余計に気分が悪くなった!」

 イライラを呟きながら、チラシを持って楽器屋に駆け込んだ。 こんな状態でも仕事は仕事だ。 それでも営業の仕事はこなしていると、視界の隅に【貸しスタジオ】の文字が映った。

「あの、今ってスタジオ空いてます?」

「え、ええ、空いてますよ」

 店員の女の子が面食らった顔をして答えた。

『俺の顔色の悪さはいつもだろうが? 今更驚くなよ』

 俺は構わず、試奏させてくれ、と強引に会計を済ませると、そこらへんにあったエレキギターをつかんで、一人スタジオにこもった。 そこから一時間、俺はありったけのフレーズを弾き続けた。

 これで少しはすっきりした。 まだもやもやしたものは残るが……仕方ない。 俺が悪いんだ。 城沢に嫌われても文句言えないことをしてしまったんだからな……。

 

 

 城沢の授業は三日後に迫っていた。 まだ授業を休むとも、辞めるとも連絡は来ていない。 ということは、まだ授業を受ける意志はあるということだろうか。 城沢に限って、ドタキャンはしないと信じたい。 俺はケータイの画面を気にしながら、二日間悶々と過ごした。

 遂に耐えられなくなり、その夜、セブンスヘブンに駆け込んだ。

 

  カランカランカラン……

 

 いつものように心地よい音が降り注ぐ中、そっと店内を覗くと、客は年配の男性が二人だけカウンターの隅に座っていた。 静かなジャズが流れる店内で、俺に気付いたマスターは

「いらっしゃいませ」

といつもと変わらない、低く深い声で迎えた。

 俺はカウンターに座る二人から離れた、俺の特等席である四人掛けの席に座ると、煙草に火を点けて思い切り吸った。 そんな俺の前に灰皿を静かに置き、マスターは

「いつもの、で?」

と尋ねたので、ひとつ頷いた。 やがて珈琲の香りが店内を漂う中、一本めの煙草が終了した。

「体調は大丈夫?」

 コーヒーカップを丁寧に置きながら、マスターはそっと尋ねた。 俺は数日前の起き上がれないほどの吐き気とだるさを思い出し、少し怪訝な目でマスターを見た。

「最悪だったよ……一体何を飲ませたの?」

 ところがマスターは、けろっとした顔で微笑み、

「ただの炭酸水ですよ」

と答えた。

「何っ?」

 思わず声を上げた俺に、カウンターに座っていた客が振り向いた。

「あ、すみません。 何でもありませんから」

とマスターはスマートに謝り、俺に振り向くと

「店内ではお静かに」

と唇の前で人差し指を立てた。 その顔は、あきらかに面白がっている表情だ。

『なんだよ……じゃあ俺は、ただの炭酸水に酔ってたっていうのか?』

 俺は小さくため息をついて、珈琲に口をつけた。

「はぁ」

 やっぱりここの珈琲は美味しい。 体に染み入る何とも言えない苦味が、俺のツボにハマっている。

 あまり詳しくはないが、マスターが言うには、数種類の豆を独自にブレンドしているらしい。 なんでもこだわり、追求するマスターらしい。 めったに弾かないくせに、百万もする高いギターを持つのも頷ける。 俺は珈琲を味わいながら、静かな空間を楽しんだ。

 やはりセブンスヘブンは俺にとって落ち着ける場所だ。 珈琲は美味いし、静かだし、客も少ないし(これはマスターに怒られるな)……まあとにかく、自分の時間を邪魔されない空間だ。

 やがてふたりの客が帰ると、店内にはマスターと二人だけになった。

「オッカと連絡は?」

 静かにたずねたマスター。 目線は洗い終わったグラス。 俺は少し間を置いた。 すると、理解したマスターは苦笑して俺を見た。

「いっそのこと、影くんの気持ちを全部言っちゃえば?」

 俺は大きなため息を吐いた。

「言えるならとっくの昔に言ってるよ!」

「それもそうですね」

 マスターはため息混じりにそういうと、カウンターを離れた。

「それじゃ、お客さんが来ない間に」

と言いながら、マスターは裏から自分のギターを持ってきた。 そしてカウンターの端に座ると、爪弾き始めた。

 以前はナオキという名前で、インディーズバンドでベースをしていたマスター。

 今はバンド活動からすっかり足を洗い、こうして自分の店を持ち、人生を楽しんでいる。 ちなみに、その当時に組んでいたバンドのボーカルは、今では日本を代表するアーティストとなっている。 人生って色々だ。 マスターはしっとりとギターを爪弾き、俺はそれを聞きながら珈琲を楽しんだ。

 

 俺はぐるりと店内を見渡した。 ライブハウスとはいえ、素人が集まるような小さな空間だ。 それなのに、音楽を知り尽くした大御所が使うような、一級品の機材の数々。 業界関係者と仲が良いといっても、ここまで揃えるのは並大抵の投資では無理だ。 マスターがどんな資金繰りをしているかはよく知らない。 ただ言えるのは、ここまで高価な機材を、こんなど素人の俺たちに使わせてくれるということだ。

 マスターは人に干渉しない代わりに、自分の生きたいように生きているのだろう。 何でも包み込むような微笑みがたまに怖いところがあるが、どんなにいじられても嫌いになれないのが不思議だ。 そんなことをぼんやりと考えながら、気持ちよさそうにギターを爪弾くマスターの横顔を見ていた。

 

 

 遂に城沢のギター教室の日になった。何も連絡はない。 来ると思っていいだろう。

 俺は朝から落ち着かずに、早々にセブンスヘブンに入った。

 今日は城沢の授業の前に、長谷川さんの授業がある。 今日の授業はいつもと違う予定だった。

 レコーディングをしようという魂胆。

 前回の授業のとき、発表会も無事に終わったし、意欲も出てきた長谷川さんにたいして、

「ひとつ提案があるのですが……レコーディング、してみませんか? 自分の演奏を、客観的に聞ける良い機会だと思いますし」

と打診した。 すると長谷川さんは、驚いた顔をして

「そんなことが出来るんですか? いや、まあ、それは興味がありますが、私に出来ますかどうか……」

とひどく緊張した顔をした。 俺は

「なにも、一般的に売り出すような本格的なものではないし、ま、遊びと思って貰えれば」

と勧めた。 すると長谷川さんは、

「そういうことなら、是非」

と前向きに考えてくれた。 そうやって進歩する姿は、見ていてこっちまで嬉しくなる。 それで今日、長谷川さんは、二曲を練習してくるはずだ。 俺もどんな出来になるか楽しみだ。

 テーブルの上に並べられた機材は、音楽教室の備品だ。

 マイクを通して入った音をCDに録音する機械。 今はこんなに簡単にレコーディングできる時代だ。 そうこうしていると、長谷川さんがやってきた。

「こんにちは」

という俺の挨拶に、緊張した面持ちで

「こんにちは。 今日はよろしくお願いします」

とお辞儀をした。 俺は苦笑いで

「ま、気楽にやりましょう」

と言って肩を叩いてやった。

 

 レコーディングは、思っていた通りすんなりとは進まなかった。 初めての事だし、緊張するのは当たり前なのだが、長谷川さんは、落ち着いて見えて結構アガるタイプのようだ。 発表会の時は今日の倍以上も日にちを置いて練習期間に余裕を持たせてきたが、今回は正味約二週間で二曲を仕上げなくてはならなかった。 ちょっと無茶振り過ぎたかな。

 授業の持ち時間は、基本的に一時間。 場合によっては延長もするが、今日は後が詰まっている。 なんとか時間内に終わらせたい。 そんな二人の焦りが魔のスパイラルを生み出し、結局一曲だけの録音で終わってしまった。

 それでも、初めての自分の演奏が入ったCDを手にした長谷川さんは、とても満足そうな顔をして帰っていった。 次はもっと完璧に仕上げなきゃな……、と俺も反省。 そして……

「さて……と」

 

 次は城沢だ。

 ……気が重い……。 果たして彼女はやってくるのだろうか……。

 俺の心に、暗雲が立ちこめていた。 仮に授業を受けにやって来たとしても、どんな顔をしたらいいのか分からない。 むしろ来ないでくれと願った。

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