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名家のお嬢様《1》


あの日から、彼女は罪を犯し続けている

そしてそれを、彼は望む


『大丈夫。忘れるんだ茉莉(まつり)。そしたら××××××からーー』



          ※


すうーっと本の背表紙をなぞっていく。

ある本のところで指を止めると、茉莉はそれを本棚から取り出した。


「あっ……」


何かが、ひらひらと落ちた。

畳の上にあるのは一枚の写真だ。茉莉はそれを拾って、見た。

日本庭園を背景にして写っている三人の子供。

茉莉の口元に自然と笑みが浮かんだ。同時に、少しの切なさと。


やっぱり…捨てられないな……


小学低学年くらいの彼らはそれぞれ、性格が分かるような表情をしている。緊張した面持ちの男の子、笑顔の女の子、そして、強い眼差しを向ける彼ーー


「ーーり、茉莉?」


障子(しょうじ)戸の向こうから名前を呼ばれ、茉莉ははっと我に返った。

急いで写真を本棚に戻して返事する。


「あ、風真(ふうま)? 入って」


戸が開き、心配そうな顔をした少年ーー風真が部屋の中に入ってきた。

彼が今きちんと着こなしているのは、茉莉と同じ高校の制服だ。


「何度か呼びかけたんだけど、返事がなくて……」

「ごめん、ちょっとぼーっとしてた」


何でもないという風に茉莉は笑った。風真が茉莉の手元に視線をやる。

「…面白い本でも探してた?」

「うん、暇つぶし用」

明るい口調の茉莉の答えに、風真は小さくため息をつく。

「休み時間に本ばっかり読んでるから心配だよ。……あのさ茉莉。入学してからニ週間経つのに、茉莉がクラスの人とほとんど話してないのは気になる」

「それそのまま風真に返す」

ピシャリと茉莉が言った。思いがけない言葉に驚く風真に、茉莉が続ける。


「休み時間のたびにこっちのクラスに来て。ダメだよ、風馬。私のこと気にしすぎ」 


「僕は、茉莉に仕えてるから……」


「真面目だね、風真は昔から」


少し困ったような顔をした茉莉を、風真は優しく見つめた。

「あ、もしかして…」

一転して茉莉が軽くおどけた調子を交えつつ言う。

「私が不真面目だから、余計風真が真面目になってるんじゃ……」

「かもね」

冗談っぽく風真が答えると、茉莉はむっと拗ねたーーのは数秒で、ひど、と言って笑う。風真も微笑んだ。

「さ、そろそろ行かないと。遠野(とおの)さんが待ってる」


          ※


朝のホームルーム前、一年二組の教室は登校してきた生徒達の声でがやがやと賑やかしい。

そんな中、茉莉は自分の席で本を読んでいた。

長い黒髪に透き通るような肌。細い指で静かにページをめくる。

時間を潰すためだけの読書に、茉莉は無意識に深窓の令嬢感を漂わせているからか、教室内で浮いていた。


そして、茉莉の席から少し離れた席には、目立つタイプの生徒達が集まっていた。

特に中心にいる男子生徒が人気らしく、彼にべたべたとしている女子生徒もいる。


「やば。今日までの課題忘れてた。いちかぁ〜やってきた?」

「一応ね」


机の横にかけたカバンに手をやり、壱和(いちか)と呼ばれた男子生徒はノートを探す。少しして、見つけたノートを女子生徒に手渡した。

写す気満々の彼女が嬉しそうに壱和の首元に抱き付くと、周りにいる生徒達が口々に言う。


「ほんとふざけるなって話だよなぁ。こいつ授業中寝てるくせに。入学直後にあった実力テストの成績上位者名、こないだ張り出されてただろ」

「そうそう。まさかの壱和、学年二位」

「何か嫉妬する気も失せるつーか」


「どーも」


軽い調子で応えた壱和は、それから少し先の方に視線をやりーー含み笑いを浮かべた。

  

茉莉にとって、読書は気を紛らす手段だ。

没頭していれば周りも気軽には話しかけられないはずでーー


「おはよ、(たかむら)さん」


思いがけず声をかけられ、茉莉は視線を上げた。

そこにいるのは、にこりと笑う男子生徒。

茶髪の無造作パーマの彼は、華やかで魅力的な容姿をしている。アーモンド形の目やきゅっとした口元にはあどけなさが残っていて、人から好かれそうな印象だ。


「……おはようございます」


視線を本に戻して茉莉は言った。

壱和が茉莉の読んでいる本のタイトルと作者名に目をやり、口元の笑みを意地悪く深める。


「へぇ…なかなか通好みの本読んでるね。おもしろい?」

「…………」

「おーい、聞いてる? そんなに邪険にしなくても」


茉莉は壱和の相手をすることなく、本を読み進めていく。

「ね、茉莉ちゃんって呼んでいい? 俺のことも下の名前で好きなように呼んで。俺、女の子には下の名前で呼んでもらう主義だから」

黙ったままぺらりとページをめくる。

そんな茉莉に気にせず壱和は話しかける。


「あ、もしかして名前覚えてない?俺はーー」

「だからクラスのほとんどの女子が、あなたのことを親しげな呼び方してるんですね、沢渡(さわたり)壱和くん」


茉莉は本から視線を外した。いつの間にか腰を落としている壱和と目が合う。


「俺の名前覚えてくれてたんだ。嬉しいな」


茉莉の机に腕を置いている壱和がにこにこと笑う。


「入学式の日から見られてる気がしたし…。自意識過剰かもしれないですけど」

「そりゃあ入学式早々高級車で、しかも男女二人一緒に来たんだから。目立ってたし、みんな君のこと何者だって興味津々だったよね。その中でも俺の視線が気になった?」

「あなたのは何ていうか……観察してるような視線だったから」


一瞬、壱和が驚いたような顔をした。だが、彼はすぐに笑って会話を続ける。


「そっか。ごめんごめん。そんなに俺じろじろ見てなかったと思うけど、不快な気分にさせたなら謝るよ。でも、気になる女の子のことは何でも知りたいじゃん。可愛いってことは見れば分かるけど」

「それはどうも」

茉莉の素っ気ない返事に壱和が聞く。

「言われ慣れてる?」

「言われ慣れてないですけど、あなたが言い慣れてる感じがしたので」

茉莉の棘のある言葉に軽く目を見開いた後、壱和はくくっと笑った。


「いやーそんなに警戒されると困っちゃうなー。さすがは篁家のお嬢様といったところか」


茉莉が眉を(しか)めた。


「大体みんな知ってるけどね。篁家なんて大きな名家。いつも一緒にいる奴だって、彼氏じゃないよね? お付きの人でしょ。今日はこっちには来てないみたいだけど」


通学途中に茉莉は、自分のことは気にしなくて大丈夫と念押しして、風真には彼自身のクラスで過ごしてもらっているのだ。風真は渋々といった様子だったが。


「なかなか優秀だよねー彼。久世(くぜ)くんだっけ? 新入生代表の挨拶してたし、実力テストも一位。イケメンだし。それに…ずっと君のことを気にかけてる」


風真のことを褒められ、内心喜ぶ気持ちを茉莉は抑えた。

「すごく優秀よ、風真は。柔道や剣道、空手も小さな頃からやってて、強いんだから」

「確かに彼、優しそうな顔して目を光らせてるよね」

壱和が苦笑した。そして呟くように続ける。


「まぁでも、もっと怖いやつ知ってるしな……」


彼の言葉がよく聞き取れなくて、茉莉は怪訝な顔をした。


朝のホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴る。

「うん、あの久世くんごと仲良くなればいいってことか。よろしくね、茉莉ちゃん」

そう明るく言うと、壱和が自身の席の方へと去っていく。茉莉は思わず呆気に取られてしまった。


周りの視線が突き刺さる。

それでも勉強をしに来ているという理由があるだけ、学校は茉莉にとって居場所がある。


そう、篁の家よりも。

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