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女子高生、青春空回り

作者: 一時停止
掲載日:2025/12/26

高校に登校していただけで、神様から石を投げられた人はどのくらいいるだろうか?


きっとそう多くはないはずだ。


これは神様に石を投げられたときの話。



◇  ◇  ◇



 高校生になってから私は自転車通学をするようになった。

 学校まで数十分。信号もやたら多い。


 正直、私は信号で待つ時間がどうにも好きになれない。どうしようもなくせっかちな性格なのだ。


 そんなある日、通学路にあるサイクリングロードを使ってみた。


 これがびっくりするほど快適だった。


 信号が少ない。

 人も車も少ない。

 しかも桜並木。


 私は「これはもう正式ルートにしていいのでは」と思い、それ以来ほぼ毎日この道を使うようになった。


 それから毎日のように通い続け一ヶ月が経った頃…事件は起こった。



 その頃の私は完全に油断していた。遅刻ギリギリに家を出て、オーディブルを聴きながら学校まで行く余裕があった。(イヤホンはないので垂れ流しだ)


 もう三十回以上は通っているので、すっかり自分の庭みたいな気分である。人間、慣れると危機感というものが驚くほどなくなる。


 人が出てきそうな道では一応スピードを落として、左右を確認する。


 もっとも、この道は人通りが少ないので、「確認したところで誰もいない」という結論に毎回落ち着くのだが、やらないよりはやった方がいい気がするので続けていた。


 このサイクリングロードには、高架下を通る場所がある。


 ここがなかなか曲者で、昼でも薄暗く、しかも近くのベンチには毎朝同じ人が寝ている。別に何かされるわけではないのだが、通るたびに「ここで何か起きてもおかしくないな」と思わせる雰囲気だけは一流だった。


 ただ、私は毎日そこを通っていたので、いつの間にか何も感じなくなっていた。


 人は怖いものにも慣れるし、慣れた結果だいたい痛い目を見るのだということを、このときの私はまだ知らなかった。


 私はその日も自転車を漕ぎながら、オーディブルを聞いていた。タイトルはたしか『明るい未来のつくり方』という、いかにも人生を最高にしてくれそうなやつである。


なぜ高校生がこんな本を読んでいるかというと今年1年とことんついてなかったからだ。高校デビュー失敗…私語禁止の部活…数えるとキリがない。


  本の内容は半分も覚えていない。ただ「感謝する」「願えば叶う」「行動あるのみ」といった言葉が流れていて、私はそれを聞きながら、映画『君の名は。』の三葉が空に向かって叫ぶあのシーンを思い出していた。


なぜか分からないが、その時の私は「今ここで願えば、人生は一気に好転する」と本気で思っていた。自己啓発とは、だいたいこういう気持ちにさせるものである。


 そして、心の中で私は叫んだ。



「これから、明るい人生にしてくださーーい!」



高架下を通り、人生スタートを切ろうとした瞬間──



人影などなかったはずの草むらから、突如として全身黒ずくめの男が出現した。


心の中は恐怖一色である。


さらに、その男は、あろうことか私の自転車の真横にぴったりと張りつき、ものすごい勢いで並走し始めた。


そして、私の方を向き、大声で何かを叫んでいた。


 私は一瞬で悟った。


(あ、不審者だ)


 高架下・不審者・並走。この条件がそろった時点で、ドラマだったら確実に事件が起きている。


 さっきまで「明るい未来」を信じていた私の人生は、ものの数秒でサスペンスに突入していた。


 内臓が売られる可能性まで考えていたあたりだいぶ追い詰められていたのだと思う。


 数秒後、襲ってこないのはおかしいぞと思い、不審者が叫んでいる言葉を聞くことにした。


「一時停止してくださーい!」


…いちじていし?


 数メートル先には、確かに一時停止の標識。

 私は反射的に止まるギリギリまで徐行し、左右を確認し、そしてそのまま進んでしまった。



 すると今度は、別の黒ずくめの男が登場した。全速力で逃げようと思ったとき男の声が聞こえた。


「止まってください!自転車降りて!来た道戻って!」


 ここでようやく私は気づいた。


 これは不審者ではない。

 警察だ。


◇  ◇  ◇


 急いで警察官の言うとおりに自転車から降りるとその先には、トラックのようなパトカーと警察官が3人待ち構えていた。


 囲まれた瞬間、頭が真っ白になる。

 しかも時間は完全に遅刻確定。


 私は焦って、人生で言わなくていいランキング上位の一言を言ってしまった。


「あの…学校遅刻しそうなのであとにしてくれませんか?」


 今思えば、よく言えたなと思う。


警察官は、明らかに困惑した顔をしていた。まあ、そうだろう。普通は警察に呼び止められたら、まず黙って指示に従うものである。


 ところがその時の私は、なぜか頭の中の優先順位が完全に狂っていた。


 警察<遅刻、というよく分からない図式が完成していたのである。


 私は焦りのあまり、またしても余計なことを口にした。


「あと、5分もしたら遅刻しちゃいます…!あとでいくらでも話聞くのであとにしてくれませんか?」


今思えば、よくこんな交渉が成立すると思ったものだ。


 当然ながら、警察官も仕事中である。違反した人を「じゃあ後でね」と見送るわけにはいかない。


「ごめんね。だけど一時不停止だったから。僕の前にも注意されたでしょう?」


 その瞬間、私は悟った。

最初の黒ずくめのおじさんも警察だったのだ。


そう分かった途端、安心より先に別の感情が湧いてきた。


 いや、でも。あんな出方はさすがに怖すぎるのではないか。


 注意の仕方というものにも、もう少し配慮というものがあるのでは、と心の中で文句を言っていた。


 そんな私の内心など知る由もなく、警察官の人は淡々と言った。 


「それと、自転車と君の写真を撮ってもいい?」


 写真。


 この時点でも私はまだ、完全には信用しきれていなかった。


 警察だと分かってはいても、「本当に大丈夫か……?」という疑念が、なぜかしぶとく残っていたのである。


 さらに、どうしても納得できないことがあった。


目の前では、一時停止を無視した自転車が次々と通り過ぎていく。


 おじさんもいれば、同じ高校の生徒もいる。見事なまでに、全員が一時停止をしていない。


 しかし警察の人は、その誰にも声をかけない。


 私はだんだん、自分がとても目立つ存在になっている気がしてきた。


 世界にはこんなに違反者がいるのに、なぜ今この瞬間、私は囲まれているのだろう。


 その疑問が我慢できなくなり、私はつい口を開いてしまった。


「なんであの人達は注意しないんですか?」


 警察官は落ち着いた声で答えた。


「1人1人減らしていかないとね。なくならないんだよ。」


 なるほど、理屈は分かる。


 分かるのだが、女子高生一人で減らされても困る、という気持ちが先に立った。


(今この瞬間にも、減らせたんじゃないですかね……)


 そう思った私は、またしても余計なことを言ってしまう。


「私を囲んでる間にも、注意できたんじゃないですか?」


 今思えば、これは完全な八つ当たりである。

 警察官の人たちから見れば、相当生意気な高校生だったに違いない。


しばらくして、警察官は話題を変えるように聞いてきた。


「部活動何時くらいに終わるかな?」


「4時半です。」


「じゃあ、その時間に警察署まで来てね」


私は、心の底から絶望していた。


 この時点で遅刻はもう確定しているし、そのうえ放課後には警察署に行かなければならないらしい。高校生として、なかなか聞かない予定である。


 悔しさが一気にこみ上げてきて、気づいたら涙が出ていた。


 泣くつもりはなかったのだが、心と涙腺は必ずしも同じ方向を向いてくれない。


 その間にも、一時停止を無視した自転車は次々と通り過ぎていく。


 私はそれをぼんやり眺めながら、心の中で何度目か分からない疑問を繰り返していた。


(……なんで私だけなんだろう)


 結局、私は警察官の指示に従い、自転車と一緒に写真を撮られ、電話番号などを伝えた。流れに身を任せるしかなく、抵抗する気力も残っていなかった。


 ようやく解放されたときには、もう完全に遅刻確定の時間だった。


 遅刻理由欄に

「警察の取り調べを受けていました」

と書く勇気は、残念ながら私にはなかった。


 しかも私はずっと泣いていたので、このまま学校に行っても、まともに授業を受けられる気がしない。泣き腫らした顔で席に座る未来が、簡単に想像できてしまった。


 私は少し考えた末、学校へは行かないことにした。


 来た道とは違う、信号の多い、前の通学路を通って家に帰る。


 さっきまで嫌っていたはずの信号が、その日はやけに優しく感じられた。


 母は、私が警察に取り調べを受けたことを、すでに警察からの電話で知っていたらしい。


 何かあったらすぐ出られるようにしていたようで、私が電話をかけると、ほとんど間を置かずに出てきた。


「……大変だったね」


 たったそれだけの一言だった。


 しかしその一言で、さっきまで無理やり押さえ込んでいた出来事が、一気に頭の中に戻ってきた。


 感情というものは、油断した瞬間にまとめて襲ってくるらしい。


 私はまた涙を流しながら、途切れ途切れに言った。


「家、に、かえる……」


 今思えば、ずいぶん情けない言い方だったと思う。


 だがそのときの私には、それ以上まともな文章を組み立てる余裕はなかった。


 そうして私は、そのまま家に帰った。


家に帰ると、母はなぜか笑いながら出迎えてきた。


 私はその顔を見た瞬間、

「え?」

という気持ちになった。さっきまで娘が大変だったってのに、なぜ笑っているのか。


 母は私の顔を見るなり、こう言った。


「私より先に警察に取り調べ受けてるじゃん(笑)」


 どうやら母の中では、「最初に警察のお世話になるのは絶対に自分」という謎の自信があったらしい。 運転でよくレッカーされているので、まあそれも無理はない。


 もちろん、場を和ませようとしてくれたのだと知っている。そう思うことにした。


母は笑いながら、警察からの電話の様子を教えてくれた。


「警察から連絡が掛かってきて自分で電話を掛けられないほどの事故…!?!?とおもったら警察の横で大号泣して空仰いでるあなたを見て、笑うかと思った」


 ……おかしい。私には、そんな記憶は一切ない。


 どうやら私は、都合の悪い場面をまるごと記憶から消していたらしい。人間の脳は、意外と便利である。


さらに母は続けた。


「それで、あなたから家帰るって連絡されたときに悔しい…!って言いながら電話してたから怖くて…とかじゃなくて悔しかったんだなって笑っちゃった」


 改めて人から聞くと、私はかなり情緒不安定な人に見えていたようだ。


 非常に恥ずかしい。


 ちょうど十二時ごろ、家の電話が鳴った。


 昼休憩中の父からだった。


 電話に出ると、開口一番こう言われた。


「警察に捕まったんだって?」


 その声は、どう考えても心配している人のものではなかった。むしろ、楽しそうである。


 私がまだ気持ちの整理もついていないうちに、父は続けた。


「あんまりぼーっと生きてるから、神様に石ぶつけられたな」


 どうしてこんなに軽いのだろう。

 こちらは人生の分岐点かもしれない出来事を体験したばかりだというのに。


 横で聞いていた母まで笑いながら言う。


「アルケミストと一緒じゃない?人生の転換期なんじゃない?」


 錬金術師と同列に扱われる自分に、少し戸惑った。

 のんきすぎる。

 本当ならもっと大ごととして扱われるべきではないのか。完全に昼休みの雑談テンションである。


 その後の昼休憩一時間、私は二人にいじられ続けた。


 心配はされないが、ネタにはされる。


 家族というのは、こういうときに妙に現実的で、残酷で、そしてありがたい。



◇  ◇  ◇



 その後、私は母と一緒に警察署へ行った。


 正直なところ、この時点でも私は「自分が悪い」という気持ちより、「理不尽では?」という気持ちの方が少し勝っていた。そのため、本気で反省している顔をすることができなかった。


 そこで私は、苦肉の策としてマスクをつけた。


 マスクさえあれば、反省しているのかしていないのか、だいたい分からなくなる。人間、追い込まれると、こういう小さな工夫だけはよく思いつく。


 警察署に着くと、朝に見た警察官の人が出てきた。


 その顔を見た瞬間、さっきまで落ち着いていた悔しさが、またじわじわと戻ってきた。


私はできるだけ無口になり、ぺこっと小さくお辞儀をした。


 心の中ではいろいろ言いたいことがあったが、この場でそれを出すほどの勇気はなかった。


 道路交通の窓口の前には、たくさんの人が座っていた。


 その様子を見て、私は「ああ、この人たちも今朝止められた人たちなんだな」と、勝手に仲間意識を抱いた。


 私もそこに座るものだと思っていたのだが、席はすでに満杯だった。


私と母は、席が満杯だったため、二階へ行くことになった。


 これがなかなか問題で、一階は交通関係なのだが、二階は刑事事件を起こした人が行く場所なのだ。


 階段を上がったあたりから、周囲の視線がやけに刺さる。


 私は心の中で、

(私はまだそこまでのことはしていません)

と、誰に向けるでもなく必死に言い訳をしていた。


 幸いにも通されたのは食堂だった。


 刑事事件の人たちと同じ階ではあるが、食堂というだけで、なぜか少し救われた気分になるから不思議である。


 部屋に入ると、朝に見た警察官の人が三人、向かいの席に座っていた。


 その光景を見た瞬間、私は姿勢を正した。


 心の中ではまだ納得していない部分もあったが、ここは反省している雰囲気を出す場面だと判断したのである。


 私は手をグーにして膝の上に置き、背筋を伸ばした。

 これで見た目だけは、かなり反省している人間に見えるはずだ、と自分に言い聞かせていた。


 それから、指紋を取られ、調書を書くことになった。


 私は緊張のあまり、手が信じられないほど冷たくなっていた。


 心臓はドクンドクンとうるさく、時間はやけにゆっくり進んでいるように感じる。たぶん、人生で一番長い数分間だったと思う。


 しばらくすると、突然、母に手をバシッと叩かれた。


 いきなり何事かと思い、驚いていると、母が小さな声で言った。


『手…!』


 手?


 何のことだろうと思いながら、自分の手を見る。

 すると、なんと私は、ポケットに手を突っ込んでいた。


 完全に無意識だった。

 だが、はたから見ればどう考えても不良である。


 謝りに来て、反省の姿勢を必死に作っていたはずなのに、肝心なところで一番やってはいけない態度を取っていたらしい。


 警察官の人も、そのことに気づいたようだった。

 視線が一瞬、私のポケットに集まった気がする。


 私は心の中で、

(終わった)

と思った。


 反省しているつもりでも、体は勝手に余計なことをする。


 人間というのは、最後まで油断ならない生き物だと、このとき初めて知った。


 そして最後に、警察官から説明があった。


「もし、裁判所から電話があった場合、前科一犯になる可能性があります」


 その言葉を聞いた瞬間、心がすぅーっと冷えていくのがはっきりとわかった。


 まるで体の中の血が、全部下に落ちていくような感じだった。 


 私は思わず聞いてしまった。


「あの、もし前科一犯になったら、どうなるのでしょうか」


「公務員になることができません」


 未来の道が狭まる。


 そう伝えられて、私は急に悔しくなった。


 朝、目の前でたくさんの人が一時停止を無視していた。


 おじさんも、同じ高校の生徒も、みんな普通に通り過ぎていった。


 では、あの人たちは公務員になれるのだろうか。


 そんなことを考えている自分が、なんだか情けなくもあった。


だが、不思議なことに、そのあと私の心はすっと落ち着いた。


 あれこれ考えても、もうどうにもならないのだと分かったからだ。


 そう思うと、なんだかもう、どうでもよくなってきた。


 その後、私の心は完全に吹っ切れた。


 悔しいものは悔しいが、起きてしまったことは仕方がない。


 人間、ここまで来ると、逆に妙に落ち着いてしまうものらしい。



◇  ◇  ◇



家に帰ったあと、私は悔しさをバネに、わりと劇的に変わった。


 まず、勉強を本気でやり始めた。とくに英語である。


 それから、不思議なことに、あの出来事のあとから友達ができた。


 部活の子たちとも、前よりよく話すようになった。



 人生というのは、何がきっかけで動き出すか分からない。


 警察に止められたことで、人付き合いが良くなるとは、当時の私には想像もできなかった。


父と母には、

「あなたがあまりにもぼーっと生きているから、神様が石を投げて目を覚ましてくれたんだ」

と言われるようになった。


 石にしてはだいぶ大きめだが、たしかに効果はあった。


 もしかしたら、あの日たまたま『明るい未来のつくり方』を聴いていたからこそ、人生を一度立ち止まって見直すために、あの場所で止められたのかもしれない。


 ……と、今ではそんなふうに思っている。


 以上。

 現役高校生からである。

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