三章 地下牢と冒険、それに……恋? 5
エイリッヒさんがささやきました。
「薔薇の香りがする」
薔薇? あたしには血の匂いしか、わかりませんけど。
侍女さんが真っ青になって、
「これは……マクマーゼン公爵のご息女、ヘルダさまではありませんか」
そう言って、姫さまを抱きよせます。
「姫さまは見てはいけません」
「そうですよ。あたしも見たくないですけど」
リンデさんが主張します。
「逃げよう。今、兵隊に見つかったら、おれたちが殺したことになってしまう」
たしかに、そのとおりです。
あたしたちは走って走って、とにかく走りとおしました。城壁が見えるところまで来て、息を切らして立ち止まります。
あたしはハアハア呼吸をととのえながら、聞いてみました。
「どういうことなんですか? なんで、お城に死体があるんですか?」
エイリッヒさんも荒い息をつきながら答えます。
「誰かが製造したからだろうな」
「製造って、つまり……ころし……人殺し……」
「そういうことだ。人殺しが城内にまぎれこんでいる」
「それって、町で起こってる連続殺人ですか?」
エイリッヒさんは首をふりました。
「そこまでは断言できない。まったく別件の可能性もある。なにしろ、ここは堅固な城壁に守られた一つの小世界だ。城門の閉ざされた夜間は、町の民が容易に忍びこめる場所ではない」
「じゃあ、どういうことなんでしょう?」
すると、侍女さんが悲鳴のような声をあげます。
「どういうことかはわかりません。とにかく、これは大変なことですよ。ヘルダさまは陛下の後添いとして、国内ではもっとも有力な候補です。
お父上のマクマーゼン公爵は、陛下の叔父にあたる左大臣さま。公爵さまはヘルダさまの婚儀に、たいへん乗り気でいらしたんです」
エイリッヒさんが考えながら、つぶやきます。
「では、権力争いにまきこまれたのかもしれないな。公爵の宮中での権力拡大を望まない連中の仕業か。公爵に政敵はいないのか?」
エイリッヒさん、まともなときは理知的なんですよね……。
侍女さんは答えました。
「それは、とうぜん、右大臣さまでしょうね。公爵さまは現在、フローラン卿という懐刀もあり、宮中で並々ならぬ勢力をお持ちです。
この上、ご息女に王妃になられるのは、右大臣さまには喜ばしくないでしょう。
右大臣さまにも適齢のご息女がおありですから、できることなら、ご自身の娘を王妃にしたいとお考えでしょう」
「そうか。では、やはり、この件だけは町の連続殺人とは別件か。おれたちも災難なときに行きあわせてしまったな。罪をかぶせられないうちに、ここから逃げださないと」
そうですね。逃げださないと。
でも、リンデさんが反論しました。
「どうやって城壁こえるんだ? そりゃ、おれは、こんな塀なんか、ささっと登れるさ。エイリッヒも、なんとか。でも、シャルランはムリだろ? こいつ、すごいドジだからな」
心外です。でも……そうなんですよね。腕力はあるんですけどね。ドジは別物みたいで……。
侍女さんが手招きします。
「それならご心配にはおよびません。こちらへ、どうぞ」
ついていきますと、庭木にかくれて古井戸がありました。今は使っていないのか、木のふたで、おおってあります。
シャルランがおおいを外すと、暗い穴は、あんがい底が浅くなっていました。底石が見えています。水もありません。
「あれ? よこ穴が見えますですよ」
「ここも地下迷路の一部です。今は地下牢とは扉で仕切られていますが、ここを通っていけば、町の墓地へぬけられますよ。古い時代に秘密の脱出路として活用されておりました」
また地下ですか……シャルランは暗いの、苦手なんですけどね。
リンデさんは、そういうの鈍いみたいです。
「よし。なら行こう。今度は迷わないだろうな」
「墓地まで一本道ですよ」と、侍女さん。
「そうか。ありがとな」
リンデさんは勢いよく井戸にジャンプ。
エイリッヒさんも、カッコよく、とびおりました。ふだんはねぇ、ほんと、カッコいいんですけど……。
あたしが井戸のふちで尻ごみしてると、井戸の底から、二人が手をのばしてきます。
「ほら、来い。ミニバラ」
「おれたちが受けとめてやるからさ」
ああ、こういうの、お姫さまあつかいって言うんですか? ご主人さまには絶対に言われないセリフなんで、照れちゃいますよ。
では——と、あたしが心の準備をしていたときです。
まだ準備中なのに、いきなり背後から、どーん!
あ……あぶない。もうちょっとで落ちるとこ——あれ? もう落ちてます。あわれ、エイリッヒさん、リンデさん。二人は下敷きに……。
「……おまえなぁ。いくら受けとめるったって、なんかこう、前ふりとかないのか? 行くわよとか声くらいかけたって」
エイリッヒさんに言われて、あたしは必死に首をふりました。
「違うんです。あたしもいきなりのことで何が何やら。背中から、どーんってなったんですぅ」
近くで声がしました。
「い……痛い」
あらま。姫さまです。
「姫さま。なんで、ついてきちゃったんですか?」
「ついてきたんじゃないもん。押されたんだもん」
あたしと姫さまとエイリッヒさんとリンデさんは、どこからどこまでが自分の体なのかわからないくらい、ゴチャゴチャになって、井戸の底に倒れていました。
頭上に見えるのは、井戸端に立つ侍女さんです。
さては、侍女さんにつきとばされたんですね。
「何するのよ! マルグリーテ。つきとばすなんて、ひどいわ」
姫さまが文句を言いました。
すると、侍女さんは早口に告げます。
「すみません。姫さま。大人には大人の事情ってものがあるんでございます。恨まないでくださいましねぇ」
勝手なことを言って、侍女さんは井戸にフタをしてしまいました。星空が見えなくなり、なかは真っ暗闇です。
うう。また暗闇……。
でも、グズグズしてるヒマはありません。
遠くのほうで、「囚人が逃げたぞ」とか、「人が殺されてる!」などと叫ぶ声が聞こえてくるではありませんか。
「あたしたち、だまされたってことですか?」
「そうなんじゃねえの」と、リンデさん。
姫さまは泣きそうです。
「ウソ。マルグリーテのことだけは信用してたのに」
待て——と、エイリッヒさんが言いました。
「このよこ穴、ほんとに奥に続いてるぞ。とりあえず、行ってみよう。ここにいたって、餓死するか兵隊に見つかるかだ」
そうですね。それしかないですよね。
せまいよこ穴です。立って歩くことはできないので、ハイハイしていくしかありません。
鼻のきくリンデさんを先頭に、姫さま、あたし、最後にエイリッヒさん……なんですが、そのせいで、スカート丈が気になっちゃって。
最後尾を守るのは男の役目だ、なんて、エイリッヒさんが言うから、うしろをゆるしたのに、暗闇をハイハイしてたら、笑い声がするじゃありませんか。
「何を笑ってるんですか! エイリッヒさん。み……見たんですか?」
「おまえのパンツが白いことぐらい、見なくたってわかるよ」
「ふ、ふみますよ? 頭、ふみますよ?」
「よせよ。そうじゃなくて、おれはハメられたのかなって」
「ハメられ……どういう?」
はて、わけがわかりません。




