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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

壊黒粒

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 へえ、また新しい殺虫剤が出てきたんだねえ。ひと昔前から定番のものも、ちょっとずつ成分を変えてマイナーチェンジしながら、しぶとく並び続けている。

 この手の薬って、農業とか畜産を食料のよりどころとする人間の在り方が変わらない限り、ずっと付きまとうだろう問題だよねえ。そのぶん、商売としては安定する内容でもあるけれど。

 いかに効率よく他種族を屠るか。

 残酷ではあるが、文明を築いていく上で避けては通れない問題だと個人的には思う。やらなければ、こちらがやられると考えたら、一概に非難もできないんでね。

 なりふり構わなければいろいろと手はあるんだろうけど、相手を滅ぼしたあとで自分も焼け野原では、けっきょく意味がなくなる。いかに自分側の被害をおさえ、相手だけにダメージを与えるかの追求。

 正々堂々を旨とする競技とは異なる、生存のための競争。僕たち自身もいつそれに巻き込まれるかわかりゃしない。用心しないとね。

 その競争のケース、最近おじさんから聞いたのだけど、耳に入れてみないかい?



 おじさんが一人暮らしを始めて、間もなかった時分。

 風呂へ入る前に、タンスから下着を取り出そうとしたタイミングで、つい顔をしかめた。

 下着類が入っているのがタンスの最下段。一人暮らし分ということもあって、下着の量もぎっちり詰まってはおらず、いくらかゆとりを持つ。

 その引き出した段の手前側左隅に、白い板に似合わない黒ずみができていたんだ。

 昨日まではなかったはず。かといって、自分の履くものが入るところに汚れのもとを入れようわけがない。

 なんだこいつ? と指を伸ばしかけた先で。


 黒ずみが、さあっと細かい粒になり、散っていく。

 正体は細かい細かい虫たちだったんだ。タンスの床を這い、側面を伝い、なお広がらんとする彼らに、おじさんは鳥肌を立てずにいられない。

 すぐさま入っている下着たちをひっつかんで放り出し、タンスの段を勢いよく閉めた。そしてすぐさま、押し入れへ足を向ける。

 その一角から殺虫スプレーを手に取り、反転。再び最下段を開けるや、中身をぶっ放した。細く、特定の箇所へ浴びせやすいノズルがついている。それでもって手前側左隅の黒ずみたちを狙い撃ちしたんだ。

 が、すでに散り始めた連中は満足にとどまっていない。おじさんの噴射は、あれを構成していたわずかな粒たちを、行動不能に陥れただけだった。

 段を完全に抜き取り、奥にまで薬を撒き散らしたうえで、ティッシュを指に、探ってみるものの期待したような大漁とはいかなかった。

 やむなく、始末に成功した連中だけを取り除ける。ティッシュにいくらか転がるこいつらは、いまやいささかも動きを見せずに丸まっていた。多くの虫たちが最期を迎えるときの姿と似かよっている。


 おじさんが驚いたのは、その固さだったらしい。丸まったこいつらは、たとえ一粒かぎりを相手におじさんが指で挟んで圧をかけても、潰れる様子を見せなかったんだ。

 手のひらでも、足の裏でも同じ。

 こいつらの堅守を崩すことはかなわなくて、やむなくおじさんはティッシュで何重にもくるんでごみ箱へ。

 たまたまごみを出したばかりで、底の見えている箱の中。そこへ寝転がることになった彼らはティッシュ越しにかかわらず、跳ねて転がる音を響かせてきたのだとか。


 下着類を別の場所へ確保させた、次の日。

 休みということもあって、おじさんは外へくり出していた。旅行ではなく、日用品の補充だ。

 一日だけの休みだと、ほとんど動けないときが多い。日ごろの疲れを取りたくて、つい昼前後まで寝入ってしまい、いざ起き上がると一週間でだいぶ使ってしまった日用品が気にかかる。

 そいつを補おうと思えば買い物へ行かざるを得ず、戻ってくれば日暮れどき。早一日の終わりを感じて、休みとは何なのだろうなあと気持ちもたそがれる。

 この日もそうやって、暮れていくのだとおじさんは思っていたのだけど。


 お目当てのスーパーへ向かう、数分の道中。

 おじさんは行く人、来る人がしきりに首をかいていることに気が付いた。

 ほんの数人程度なら、そのようなこともあるかで済ませてしまうだろう。横断歩道へ差し掛かったときに、道路をはさんで待っている両側の人がみな、同じような仕草をしているとなれば、さすがに気味悪く思う。

 自分だけ他の人と違うのは、あこがれることではあっても、実現するとどこか怖さやさびしさを覚えるもの。おじさんは試しに自分の首回りをなでてみるも、特にかゆみなどはない。

 この場にいる、自分以外の誰もが熱心にやるような、首かきするようなことなど、みじんも……。


 そうやって、ふと隣の人を見たおじさんが目に留めたのは、ひっかく指先からこぼれ落ちる、あの黒い粒たちだったんだ。

 皮膚の下を破って出たか、爪の間から這いずり出てきたか。その仕組みなどはどうでもいい。老若男女を問わず、首をかく皆から、ただひとつの例外もなく連中が転がり出しているのを見ると、おじさんはすぐさまきびすを返して逃げ出したらしい。


 100メートルほど走ってから、振り返る。

 彼らは群れを成し、転がっていた。すでに横断歩道を大きく離れていて、特別に傾斜のある坂でもないというのに、無数の粒がおじさんの後をついてくる。

 正面の角を左折。ここから先はほどなく上り坂で、少し回り込む形になるがおじさんの住まうアパートにも通じている。自然の力に従うのみなら、とても登れるものじゃない……。

 それを、やつらはやった。

 できる限りスピードを落とさぬよう、足に力を込めて坂を上るおじさん。対する連中は道路一面へ無数に広がりながら、なお追いすがってくる。


 しかも、他の人たちはこの存在に気づいていないらしい。

 犬の散歩をしている白髪の老女とすれ違ったときも、彼女は向かう先に、例の黒い粒の海が広がっているにもかかわらず、いささかも足を緩めたり、驚く様子を見せたりをしなかったのだとか。

 彼女を引き離したのち、ちらりと振り返るおじさん。

 すでに黒粒たちは犬と、そのリードを伝って老女の腕へ転がり伝っていく。着ていたベージュ色のセーターの袖は黒々と染まり、肩以降も時間の問題。それでいて、彼女は平然としているんだ。


 おじさんは向き直ると、今度こそ一目散に逃げたらしい。

 誰とすれ違おうが、もう構わなかった。ただあの連中に追いつかれてはならないと、頭の鳴らす警鐘のまま、息を切らせながらがむしゃらに地域を駆けまわった。

 よほど緊張していたのだろう。あきらかに自分のスタミナが許せる範囲以上の距離を逃げ回ったのに、どんどんと身体が動いた。

 幾度も幾度も振り返り、ようやく追ってくる黒い粒がないと分かったときの、安堵といったらない。部屋へ戻ってからもすぐさま服を脱ぎ捨て、身体をあらためて、やつらが一粒もここに入り込んでいないことを確かめた。

 それからほどなく、地域ではこの時間帯に集中して不審死を遂げた者のニュースが広まったのだとか。


 おじさんはあれを、殺虫剤ならぬ殺人剤の試作と思っているらしい。

 人の身さえも感染源とできる、新開発のもの。しかし、何かしらの理由で自分はそれを察知できたのだろうと。

 いずれ自分にも察知できない完成度を迎えたとき、おそらくは人をうとましく思っているだろう、仕掛けたやつの思惑が達成されるのだろうか、とも。

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― 新着の感想 ―
一人暮らしのリアルな生活感がよく描かれていました。 黒い粒が追いかけてくるシーン、周囲がおかしくなってしまったのか、自分が幻覚を見ているのか。 正常が異常に変わる、いつもの日常世界がズレる瞬間に鳥肌が…
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