プロローグ
佐藤拓真は、また「はい」と言っていた。
「拓真くん、この報告書、今日中に仕上げてもらえるかな?」
「はい、わかりました。」
毎日のようにこんな感じだ。上司の頼みを断れず、同僚の無茶振りに対応し、時には自分の休憩時間すら犠牲にして、ただ「はい」と言う。思えば、この言葉がずっと彼の人生を縛り付けてきた。
「いつからこんなふうに、誰かの顔色をうかがってばかりになったんだろう…?」
ふと気づくと、拓真はもう長い間、自分の意志を持って行動することを忘れてしまっていた。「イエスマン」になってしまった自分に、どこか虚しさを感じていた。
「頼むよ、拓真くん。これもお願い。」
また無理な頼み事。帰りたい気持ちを抑えながら、拓真はその頼みを受け入れる。他の誰かが断るだろうという場面でも、彼だけが「はい」と答えてしまう。自分の生活、仕事、何もかもが他人の期待に応えるためだけに存在しているような気がしてきた。
――このままだと、いつまでたっても自分を見失ったままだ。
その思いが胸にひしひしと迫る中、拓真は深いため息をつきながら、オフィスを後にした。
冷たい夜風が彼を迎え、しとしとと降る雨が、疲れた身体にひんやりと触れる。無情に流れていく街の光景を目の前に、ただひたすらに歩き続けた。
「これでいいのかな…本当に、これでいいのかな?」
帰路につくその足取りは重く、心の中は空虚だった。何かが、どこかが欠けている、そんな感覚が拭えなかった。
「もっと、自分の人生を生きたいのに。」
その時、突然、耳をつんざくような車のブレーキ音が響き渡った。何かが近づいてくる――そんな予感がした瞬間、拓真は視界がゆがみ、意識を失った。
「待って…!」
その声が最後の言葉となり、拓真は目を閉じた。
次に目を開けると、拓真は見知らぬ場所に立っていた。空は異常に青く、遠くには巨大な城のような建物が見える。周りには奇妙な動物が歩き、人々が異国の衣装を着ている。
「ここは、どこだ…?」
訳もわからず、拓真は自分の周りを見渡した。その瞬間、心の中で感じたのは、ただ一つの確信だった。ここは、きっと自分がこれまでの人生で求めてきた場所――自分を取り戻すための、未知の世界なのだと。