乙女ゲーのヒロインだと気付いた時には、何もかもが遅すぎたのです。
王都の外れの小さなパン屋さん。
ぷくぷくと太った焼きたてのパンみたいな父さんと、小麦粉の様に白い肌の母さん。
“パン屋のミュゲ”、15歳の女の子、それがアタシ。
平々凡々な平民の家系に生まれた、平々凡々ないち平民だけれど……アタシには、秘密があった。
「おはよう、ミュゲ!」
「おはよう、今日も良い朝だね!」
「おはよう!」
「おはよー、みんな!」
パン屋の裏にある自宅の扉から出てきたアタシを待っていたのは、キラキラと光る小さなお友達。
お友達は、父さんにも母さんにも、おとなりさんにも誰にも見えない。“妖精さん”、というらしい。
妖精達とアタシは、小さい頃からの友達だった。時に妖精達は、アタシに皆の力を貸してくれる。
アタシは平民だから魔力はないんだけれど、妖精達の力で魔法が使えた。
パン屋のミュゲは、平民なのに魔法が使える。
その噂を聞き付けて、貴族様はアタシを養女にすると、ある日突然訪れた。
怒りで体をブルブルと震わせる父さんと、泣きながら連れていかないでと叫ぶ母さんに、貴族様はニヤリと笑う。
「仕方ない。今回は帰りますが、次来る時は……そうだな。一月後に、またお迎えに参ります。楽しみにしていますよ」
あっさりと引いていく貴族様を、3人で呆然と見送るしかなかった。
次の日、おとなりさんに挨拶をしても、困ったように無視された。
その次の日から、パン屋にお客様が来なくなった。
5日程経って、お店に夜盗が入る。お金は自宅に保管していたので無事だったが、腹いせなのか商品棚が全部泥で汚されていた。
父さんと二人でパン屋を掃除して、3日後。我がパン屋で買ったパンに、死んだネズミが入っていたと大きな声で文句を言われた。
父さんがそんなことないと言い返していたが、集まった人々の怒声と嘲笑に、母さんが倒れた。怒った父さんが、人々を追い出すとその日はお店を閉店にした。
おかしいよ。10日前から、パンは1個も売れていないのに。
母さんが、倒れてから具合が悪いらしく、ベッドに伏せがちになった。
父さんが、青い顔をして「小麦粉も卵も、全部買えなくなった」と言っていた。
それからお店は毎日開けられずに、父さんは王都中を走り回った。とにかくパンの材料を求めて、色々なところへ出かけていった。
母さんは寝込んでから、どんどん衰弱していった。毎日涙を流し、アタシの顔を見てはごめんなさいと呟いている。
アタシは、絶対貴族様のせいだと思った。思ったけれど、証拠がない。それに、どうして良いかも分からない。
だから、貴族様がまた我が家を訪ねてきた時は……なりふり構わず、ソイツに頼んだ。
「アタシを、養女にしてください。その代わり、父さんと母さんを助けてください」
泣き叫ぶ母さんの声を背に、アタシはソイツの目を睨む。一月前と同じニヤリとした笑みで、ソイツは首肯した。
こうして、アタシは、レリーチェ=ヴァンダーレン・ミュゲ・イーリスとなった。
イーリス家の長女レリーチェは、4種の魔法を使える“聖女”らしい。
まことしやかに流れる噂を、アタシは肯定も否定もしなかった。おそらく義父が流した物だろうが、貴族の世界も何も分からない自分が、どうして良いのか分からなかった。
顔も知らないキュアノス家の次男の方と婚約となり、その双子の妹だというシャルロッテ様を“お友達”とご紹介された。
シャルロッテ様は、貴族達に一目置かれている“白薔薇の姫”と言われる尊いお方で、彼女から貴族としてのマナーを学べと義父は言った。
そうしてアタシは、婚約者やシャルロッテ様が通われている貴族用の学園へ、中途半端な時期に入学することとなる。
学園での毎日は、楽しい。“聖女だから”と皆は優しいし、知らない事を学べることは嬉しかった。
お友達の妖精さん達は変わらずそばにいてくれ、魔法を貸してくれる。ここの学生にも先生にも見えない彼らを、皆は信じてくれた。
だから、毎日をただただ過ごしていただけのアタシは、気付くことができなかった。
養父となった義父は、アタシの両親をこっそりと“処分”していたことを。
ある日の夜中、寝ていたアタシは全身を巡った悪感に、悲鳴をあげながら飛び起きた。
「……どうしたの? レリーチェ。悪い夢でも見た?」
寮の同室で友達のシアンが、眠い目を擦りながら起き上がる。それに返事もできず、アタシはガタガタと震えていた。
同時に、室内がパッと明るくなる。部屋のライトではない。妖精達が、そこら中にぶあっとあらわれた。
「ミュゲ! 大変だ!」
「君の、お父さまとお母さまが!」
「パン屋が、燃えてるの!」
気付けば部屋着のまま、寮の中を走り抜けていた。誰かが止める声が聞こえたけれど、構わず走り続ける。
妖精達が続いて、その数はどんどん増えていった。夜なのに明かりも必要ない。
「ミュゲ!」
小さい頃からのお友達、風の妖精さんがふわりと飛んできた。そのままアタシの体が、舞い上がる。力を貸してくれる。
過去一番早い空中飛行で、アタシは学園から離れた郊外の小さな家に飛んだ。
そこには。
「父さんっ! 母さんっ!!」
燃えるパン屋と、隣の小さな自宅。壊れたドアから中へ飛び込めば。
「あ、ああ……」
血まみれになり、母さんを守るように折り重なった父さん達は……。
「ッあああぁぁアアア!!!」
そこから先は、記憶が曖昧だ。
突然のショックに、私は“前世”を思い出す。
ここは、『すずらんの鐘が鳴る丘に』という大ブームとなった乙女ゲームの世界……に似ている世界だと思う。
私が知っている限り、ヒロインである“レリーチェ”は、転生者ではない。レリーチェは、“平民なのに魔法が使える”として学園に保護されて、甘酸っぱい青春物語を紡ぐのだ。
“私”は、なんで、こんな目にあっているの?
「ふふっ。思い出した? 愛しのミュゲ。君が誰のモノであるかを」
突然響いたテノールに、私はのろのろと顔を上げる。
燃える炎の中、その火の光を消す程にまばゆい存在がいた。
なんとなく、理解できる。
「……妖精達の、おーさま?」
「ご名答。良く分かったね」
あるじさま! と、周囲の妖精達が歓喜の声をあげる。
「君のご両親は……残念だったね。でも安心して欲しい。“チチオヤ”は、始末しておいたから」
「始末……?」
「うん。だって、君には要らないでしょう?」
ほら、と妖精王が右手を広げる。そこにあったのは、義父が常に身に付けていたイーリス家の家紋の指輪。
「愛しのミュゲ。君が望むなら……イーリス家の当主として、生きていくのも構わない。けれども、もし君が……俺の手をとってくれるなら」
ふわふわと浮いたままの妖精王が、床に座り込んだままの私に左手をかざす。風の妖精の力のように、ふわりと何かが私の体を持ち上げた。
「永遠に、君を愛することを誓うよ。ミュゲ。俺の……俺だけの、聖女」
浮いたままの私の体を、妖精王がやんわりと抱き締める。包まれたその熱に、何故か懐かしさを感じた。