きみとはなしができたなら『さよなら私のチーズケーキ』
大好きなチーズケーキが目の前にあっても、
常に私の胸のどこかに、
ぽっかりとあいた穴か邪魔な岩みたいなのがあって、
それでもおなかは空いてるから、
観念してフォークにぶっ刺してひとくち嚙ると、
チーズケーキは口の中でねっとりと、
その形を変えながら喉を通り、
胃の中である程度の時間留まり、
私のテンションやら血糖値なんかを一時的にぶち上げし、
下腹にある腸の真ん中で、
溶けて吸収され、
結果、
私から離脱していくんだけど、
人を好きになっても好きにならなくても、
人から愛されても愛されなくても、
子孫を残しても残さなくても、
親を看取っても看取らなくても、
友人を裏切っても裏切らなくても、
借金に苦しんでも苦しまなくても、
悪いことをしてもしなくても、
一生懸命に生きても生きなくても、
人それぞれに、
同じように同じような大きさの辛苦や悲喜こもごもがあって、
時にはそれが膨大過ぎて茫然としてしまうこともあるけど、
それと同じように幸福や歓喜もあって、
でもその幸福や歓喜は負のものに比べると小さくて、
そう、
あまりにも小さ過ぎて、
負のものを抑えたり凌駕したりすることは到底できなくて、
だけど、
あちこち逃げようとするそんな幸福や歓喜を、
必死に追いかけては、
この手でなんとか掴み取ろうとしてしまうから、
それがあるから、
生きていけるのかな
って、
そんなことを考えていたら、
おなかも心もまんぷくになっちゃって、
胸の辺りにある穴は知らぬ間に塞がれ、
邪魔な岩は砕かれ取り除かれ、
なぜか色々なことに満足して、
もう要らないやってなった、
ひとくち齧っただけのチーズケーキを、
勿体ない食べないならちょうだいと言う人が、
口を雛鳥みたいにしているから、
フォークでぶっ刺して、
口に詰め込んでやって、
うま〜って笑い合って、
するといつもは面白いことのひとつも言わない雛鳥が、
「半分こってなんかいいね」
なんて情感込めて、
ほっこり言うもんだから、
今日も生きられたと感謝する、
このチーズケーキのおかげだと、
さよなら、
私のチーズケーキ、
口を開けて待っていた雛鳥は、
もうどこにもいない、
それでもまた、
明日もしくは明後日、
性懲りもなくシャトレーゼへと買いに行くのだろう、
そのときチョイスするのは、
もうそろそろ、
モンブランにしてもいいのかもと、
頭の片隅で漠然と思いながら。