第二十九週:無限と修道士(金曜日)
と、
まあ、
そんなこんなで、
承前。
「ええい! もう! 面倒くさい! もう一度見せてやるから身体で覚えろ!!」
と、これ以上頭と言葉を使って説明することに限界を感じたイン=ビト王が手を十字に構えようとしたため、居並ぶ騎士たちは我先にとシェルターに向け逃げ出し、この時の講習会“も”そんな感じのうやむやの中に終わった。
で、まあ、この時に王が言ったとおり、“この世に《無限》なんてものはない”ワケで、それこそが、件の修道士が自身のクビと修道士生命を懸けて教皇庁を説得しようとした理由ともつながって来るのである。
*
「ですから、いまはまだハッキリと証明されたワケではありませんが」
と、問題の面会において、修道士は言った。
「巷間“ビッグバン”と呼ばれている現象は“本当の始まり”ではない可能性が高いと想われるのです」
*
そう。
この当時 (西暦1951年頃)には、まだハッキリとしたことは分っていなかったのだが――まあまだ“ハッキリした”と言って良いかどうかは不明だが――心ある研究者たちにとって、どうも 《無限》と云う概念は、
『あれ? やっぱ何かおかしくない?』
と、想われ始めていたようである。
と云うのも、例えば前述の天才物理学者が考え出した 《一般相対性理論》を使って 《ビッグバン》の瞬間を予見しようとすると、
・宇宙は“無限に”圧縮され、
・宇宙は“無限に”小さな一点と化す。
その為、そこには 《特異点》と呼ばれる、文字通り 《特異》な 《一般的な手順では求められない》点が現れてしまうのである。
*
「つまりそれは、“ビッグバン”以前にも宇宙…………と呼んで良いかは分からないが、《限りなく無限に近い小ささの何か》が存在していたと云うことかね?」
と、教皇庁の科学顧問は訊き、
「その可能性が高いと想われます」
と、件の修道士は答えた。
「もし主が世界をお創りになったのだとしたら、先ずは“そちら”をお創りになられたのではないでしょうか?」
*
で、まあ、そんなこんなもあって、皆さんご存知のとおり、今日では、この修道士の予測・予見は当を得ていたことが分かっている。
なので、もしこの時、彼が教皇庁を説得していなければ、今ごろカ〇リック教会は、
「と、この様に、神は二度“光あれ”と仰られたワケですね――」
と、信者に教えることになっていたであろう。
そう。
この世界に 《無限に小さな点》は存在しない。
が、代わりに、《限りなく無限に近い小さな点》はあるのである。
*
『その長さのことを 《地球》では「プランク・スケール」と呼んでいたそうですよ』
と、例の氷種黒曜石の瞳で相手を見詰めながら“黒の少女”は言った。
『――お紅茶お代わりは?』
「なるほど」
と、飲み干したばかりのティーカップを少女に渡しながら相手の男が答えた。
「どうも私は門外漢で、所どころ付いて行けない部分もありましたが、なるほど、言われてみると、イン=ビト王が説明される 《ビッグバン・セオリー》の出し方にも通じるところがあるような話のような気がしますな」
『あら? それでは出せそうですか?』
「あ、いや、それとこれとは別物でして、やはり、こればかりは修行をしませんと――あ、そのブランデーとか云うヤツ、それをもう少し多めに入れていただけますか?」
『ま、気に入って頂けたんですね――これぐらいで如何かしら?』
「あ、こりゃ結構で。――ま、では、このイゲイ。改めて精進してみますかな?」
(続く)




