第二十六週:身体と脳とフライング(金曜日)
さて。
これまで長々と書いて来たように、武術や武道における真剣勝負の場、或いは、踊りや器楽演奏のような“意識以前”に赴くことを本来の目的とするような場においては、『脳の理解や命令』を待っていてはあまりにも遅過ぎることは、星間連合加盟以前の地球でも実は分かっていた。
するとここで、懸命かつ賢明なあなたは、
『それってつまり、無条件反射とか脊椎反射とかのことを言おうとしてる?』
と、そんな風な事を想われたかも知れない。
確かに。
単純なヒューマノイドである我々地球人の日常起居であれば、伸張反射や屈曲反射“だけ”でも説明は付くのかも知れない。
が、いまここで我々が見ようとしているものは、《優性戦争》時代の名残りである 《騎士》の――そのトップクラスに属すであろう 《騎士》の 《血の力》である。
彼の 《フライング能力》は、高速で飛んで来たマルテンサイトの大剣を無音で掴み、その後、舞いとともにその勢いを消失させる。
また、
かと想えば、普通の者なら太刀筋すら見えぬであろう可憐な少女の剣を、斬られたと想った瞬間にすり抜けておいてから、彼女を抱き締める。
こんな芸当の説明に、『反射運動の速さ』だけを話していても何も始まりはしない。
そう。
彼の 《フライング能力》は、文字通り『時間をフライングする』能力なのである。
*
『これ位あれば十分なのよね』
と、言った“シズカ”の白い腕が、その場に小さな真空相転移をもたらした瞬間、と云うかそれに先んずること0.3秒前、この事態を“予知”した少年の身体は、その肩甲骨と肩甲骨との間をわずかに開くと、その流れのままに自身の右肩とそれに接する女性の左脇腹を、クッと持ち上げていた。
この彼の身体の奇妙な行動は、相手はもちろん当の本人すらも気付いていなかったのだが、彼と彼女を護るには、これが必要であり、またこれで十分でもあった。
と云うのも、
この動きが入らなかった 《未来》では、“シズカ”の発した衝撃波で少年の胸部は無残にも引き裂かれ、また、その反動で落下地点が変更された彼女の身体は、位相反転に抗おうと強まった“穴”と、“穴”を封じ込めようとするフォースフィールドとの境に入り込み、その細い上半身と下半身を離れ離れにすることになっていたからである。
が、しかし、
と云うか、“だからこそ”と云うか、少年の身体は、彼と彼女を護るため、“シズカ”の身体を、若干開き気味にしたのである。
――もちろん、「この宇宙の」誰も気付かないであろうレベルで。
*
『クースラポリの義憤!』
と、“シズカ”が囁くと同時に、問題の衝撃波がフラウスの胸部を突き抜け――ることはなかった。
(続く)




