第二十五週:踏み台と抱擁(月曜日)
さて。
と云うワケで。
『世界の秘密』だとか『名も言えぬあの方の御意思』だとか『地下鉄の壁に書かれた預言者の言葉』だとか云うようなものがいくら我々“普通の生活人”から見て奇妙奇天烈摩訶不思議奇想天外四捨五入出前迅速落書無用なものであったとしても、我々が世界を知るためには、その“普通の生活人”の立場から考えを巡らす以外に方法はない。
と、まあ、先週ご紹介したプリなんとか大の大学院生の男性 (女性?)も考えたのだろう。彼なり彼女なりが歩いた思索の跡をたどると、次のような感じになる
――多分ね。
①『いまの今まで決まっていなかった放射線粒子の向きが“観測”した瞬間に“ランダム”に決まる』と云うのは、あまりにも我々の生活実感から掛け離れている。
②ではやはり、『ある事象とそれに反する別の事象が同時に起こることは有り得ない』と云う当然の始点に我々は立つべきであろう。
③すると、『これら相反する事象はそれぞれ別の世界で起こっている』と云う理路が導き出されることになる。
④また、これとは別に、『二つの相反する可能性を含んだ状態』が、一つの世界に収まっていても、これもまた奇妙なことではない――なにしろ未だ“可能性”なのだから。
⑤つまり、『二つの“可能性”の重ね合わせ状態にあった一つの世界』は、誰かが“観測”を行った時点で二つに分岐され、観測者を含めた“我々”も二つの世界に分岐される。
⑥そのため、『こちらの世界』とそっくりだが微妙に何かが違っている『あちらの世界』には、『こちらの世界の我々』とやたらとそっくりだが微妙にどこかが違っている『あちらの世界の我々』がいて、彼らはそこで『こちらの世界で起きたのとは相反する別の事象』を“観測”している。
⑦うん。生活実感に即した論理学と量子力学の矛盾を解消し両立させるためには“観測の度に”複数の分岐した世界が作り出されていると考えるしかない
…………よなあ?多分。
*
『ね?シズカさん?』
と、少女が“抜け穴”の相棒へ声を掛けた時、そんな彼女の姿を見て一番に驚いたのは、フラウス・プラキディウス・ランベルトであった。
確かに、着ている服は白から黒へと変わり、全体の雰囲気も少し大人びたようには見えるけれども、それでも、あの黒く長い髪と氷種黒曜石のような瞳は忘れられるはずもない。
あれは確かに四年前、《女神たちの滝つぼ》で出会ったあの少女である。
「……お姉さん?」
と、フラウスはつい声に出して漏らしていたが、それと前後して、
『クースラポリの義憤!』
と言う女性の声がして、“抜け穴”の中から再び、まるで小さなビッグバンのような衝撃波がプラネタリウム内を襲った。
(続く)




