第二週:コーギーとテリア(水曜日)
承前。
この老婦人の話を、件の哲学者を含めた周囲の人間は、それぞれの想い・考えはさておき、神妙な面持ちで聴いていた。
するとそこに、老婦人の隣の席に座っていたさる高名な医師が、多少の冷笑と憐憫を持って、次のように応えたのだと云う。
「奥さん。私もそのお話を信じます。
貴女は大変立派な方で、決して嘘など言わない方だと云うことはハッキリ分かります。
しかしそれでも、困ったことが一つある。
と云うのも昔から、身内の者が死の淵に立った時、実際に死んだ時、その報せを受け取ったり、何がしかのコミュニケーションを行ったと云う例は非常に多い――特に、先の大戦のようなケースでは。
だけれども――お気を悪くされないで欲しいのだが、その報せや会話が実は間違っていたと云う例も、また同様に多い。
――つまり、沢山の正しい幻影もあれば、沢山の正しくない幻影もあるワケです。なぜ、正しくない幻影は無視しておいて、正しい幻影の方だけに気を取られるのか?
――なぜ、偶然に当った方だけを取り上げなければならないのか?」
この医師の問いに対して、件の哲学者は反論を試みようとしたが、それに先んじて、その医師の斜め向いに座っていたファウスティナが先述の言葉を発したため、この会話はそこで終了となった。
――と、この哲学者の講演記録は語る。
そうして、それに続けるようにして哲学者は、「これは、ファウスティナ夫人が全くもって正しい」と書いている。
つまり、
「老婦人は、ただただ自身の経験を――あまりにも生々しかったその経験的事実を他人に話したまでであり、医師はその具体性をあるがままに受け取らず、報せが実際にあったのかどうかと云う抽象的問題にすり替えてしまいそれに気付いていなかった――そこに根本的な間違いがある」
と、そう書くのである。
(続く)




