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89.風の便り

 トラヒコは、ナガレの車から降りると、運転席側にまわった。ナガレが窓を開けて手を挙げる。

「それじゃ、バイク屋に話しをつけておく。しかし、良いのに目をつけたな」

トラヒコは、カタログを丸めてポケットに突っ込むと、ニヤッと笑った。

「はじめは、冒険者のくせに何やってんだと思わないでもなかったが、やっぱり俺は風の能力者なんだな。風を感じながら走るのが楽しくてたまらなかった。あいつらには移動手段だなんだと言い訳したが、正直なところ、今ならあんたの趣味も理解できる」

それを聞き、ナガレは嬉しそうにタバコの煙を吐き出した。

「冒険者だって、たまには息抜きが必要だろう。冒険だけしてりゃいいってもんでもないだろうしな」

ナガレはタバコを吸い終えると、「またな、免許合格おめでとさん」と言い残し、愛車のエンジン音を響かせながら去って行った。


 トラヒコはナガレの車を見送ると、表情を引き締めて振り返る。国立研究機関の施設、その重厚な門が向こうに見える。しかしトラヒコが向かったのは研究施設ではなく、その手前の住宅街にある1軒であった。

 玄関のチャイムを鳴らすと、すぐに年配の女性が出てきて、トラヒコの顔を見ると嬉しそうに驚いた。

「あら、これは坊ちゃま!しばらくぶりですね、お顔を拝めなくって寂しかったですよ!奥様も先程お戻りになりました。ささ、お上がりくださいな」

しかしトラヒコは、既に年配の女性の後ろに立っている、ハッコと目が合っていた。

「あら、奥様!」

年配の女性は、睨むように見つめ合うトラヒコとハッコとの顔を交互に見て、困ったような表情になる。

「チキさん、いいわ。上がってもらって」

ハッコが背を向けると、トラヒコも後に続いて家に入った。

 チキさんは、トラヒコの両親が離婚した後、ハッコが雇ったお手伝いさんであった。トラヒコは何度かハッコの家を訪ねたことがあり、チキさんとはそのたびに言葉を交わすこともあったのだ。

「貴方、チキさんと随分親しそうね。わたしが知らない間にここへ通っていたのかしら」

ハッコが、無駄なものは一切置かれていない部屋のデスクチェアに腰掛けた。腕も脚も組んでいる。

「まあ、な。別におかしくはないだろう?息子が母親の家を訪ねてくるくらい」

トラヒコが皮肉を込めて返す。

「そうね。でも目的はわたしに会うためではないでしょう?目当てはこれ、かしら」

ハッコが、デスクの下段、鍵のかかった引き出しを指さした。

「ここに来るたび、チキさんから鍵を盗んでいたのでしょう?まったく、あの人、いつも鍵を腰からぶら下げているから」

ハッコの言葉に、トラヒコは「ふんっ」と鼻で笑って返した。

「そりゃ、あんたが気がつかないはずがないよな。でも、あんたは知ってて俺を見逃がしてたんだろう?どういう魂胆だか知らないが。俺がエピローグってものの存在を知ったのは、その引き出しが最初だ。きっかけは、親父やお袋が何を探っているのか嗅ぎまわってやろうっていう、ガキの悪戯心だった。でも今は・・・まあ、いい。前にあんた、俺に聞いただろう?『エピローグにどこまで近づいたの?』ってな。少しは歩み寄ってやろうと思って、今日はここに来た。俺が持っている情報は、せいぜい風の便り、程度の話かもしれないがな」

「ふうん」とハッコがトラヒコの目をみつめる。そこに、チキさんがお茶を淹れて現れた。


 チキさんがいそいそと部屋を出て行った後、改めてトラヒコが口を開く。

「この家、検知システムから逃れているんだろ?じゃなきゃ、鍵付きとはいえそんな資料を集めて研究なんて出来ないだろうしな。研究機関では出来ないことを、ここではやっているんだろう?」

ハッコは黙って微かに首を傾けた。青く長い髪がさらさらと流れる。

「その前提で聞くが、あんたはプロローグってものの正体を知っているか?」

ハッコは、「エピローグではなく、ね」と呟く。

「貴方が言っているのは、おそらく冒険譚のはじまり・・・もっと踏み込んで言えば、冒険譚の発生源のことでしょうね」

トラヒコは黙って、じっとハッコを見つめる。

「冒険譚がどこからやってくるのか。それは考えても調べても、なかなか分からなかった。わたしはもともと、この世界の魔力減少について研究していたの。その中で、どうしても冒険譚の出現という現象が無関係ではないように思えた。かつて、魔法は魔具に頼らず使いこなすことが出来ていた、と言う人がいた。実際にはそんな文献はない・・・もしくは抹消されている。それでも時系列を追って調べていくと、魔法が魔具なしで使うことが出来なくなった時期と、冒険譚が人々に認知されるようになった時期とがやはり符合する。そもそも、魔具やその材料を手に入れられるのは、冒険譚の中でしょう。では冒険譚はどのように発生するのか」

ハッコが、言葉を切ってマグカップに口を付けた。トラヒコも、それに合わせて茶を飲む。

「冒険譚自体が魔法により具現化されたものであることは、研究の過程で明らかになった。冒険譚自体が、魔具・・・であると仮定して、それなら冒険譚を発生させる魔具のようなものがあっても不思議ではない」

トラヒコは腕組みをして、頷いた。

「それが、プロローグ、か。ちなみにプロローグって呼び名は俺が考えたわけじゃない」

一旦言葉を切り、その後を続けるかどうか、トラヒコはしばし思案した。ハッコはそれを催促するわけでもなく、黙ってトラヒコを見つめている。

「梟・・・って言葉にピンとくるか?」

トラヒコが発したその言葉に、ハッコの眉がぴくりと動いたのを、トラヒコは見逃さなかった。そして、自身の反応にトラヒコが気づいたことを、ハッコは理解していた。

「そうね。わたしに、エピローグというものの存在を教えてくれたのは、梟の栞という団体に一時的な所属があった子よ。エピローグ、それに・・・メイン・ストーリー。その子も、これらが何なのかは知らなかったみたいだけれど、もしも貴方の言うプロローグというものが冒険譚の発生装置だとするならば、エピローグがそれを終わらせる装置なのかもしれない。メイン・ストーリーは、プロローグからエピローグに至るために踏まなければいけない手順、なのかもしれない」

トラヒコは、「梟の栞・・・」と呟く。

「その、梟の栞っていう団体は、『プロローグ以前の当該記録抹消について定期確認』、『メイン・ストーリーの探索』、っていう2つの目的を持って活動しているらしい。そして・・・ある人の仮説だと、『プロローグ以前の当該記録』っていうのは、あんたがさっき言ったように、かつては魔具なしで魔法が使えていた証拠じゃないか、ってことだ」

トラヒコの言葉に、ハッコは「モッチ、でしょう?」と返す。

「モッチ、あの子は賢いから。そして、そんな賢いあの子が竜の筆という1ギルドの研究室へ固執する理由、今の貴方なら想像できるかしら」

トラヒコの頭の中で、薄々感じていたことが途端にはっきりとしてくる。

「俺たちのギルドは、というか、マスターたち・・・いや、もっと以前の・・・竜の筆は、冒険譚の謎について核心へ近いところにいるのか?そうか、だから・・・」

トラヒコは、結界師の家系と竜の筆との関係性に思い至った。


 ハッコが椅子から立ち上がる。

「もう、いいでしょう。わたしもそろそろ、眠たいわ」

トラヒコは、そんなハッコにまだ質問をぶつける。

「それで、あんたはプロローグやら、エピローグやらに辿り着いたら、どうするつもりだ?」

ハッコは首を傾げる。

「どうって、どうもしないけれど。わたしは、真実を知ることが出来たら、それで満足だから」

「冒険譚のせいで、現実世界の想像力が失われているって分かってもか?」

トラヒコの問いに、「想像力、ね」とハッコは呟く。

「これまでのわたしの研究で立てた仮説はこう。想像力は、魔法をはじめ様々な能力を用いるために消費されるもの。魔法によって具現化されている冒険譚についてもそれは例外ではない。しかし、本来ならば想像力は人間が何かを想像する限り無限に溢れているもの。それが枯渇するには、人間の想像する力自体が弱まる必要がある。これは初めから想定されていたのか、それとも偶然なのかは謎だけれど、冒険譚からは魔具やその材料になるものが取れ、それによって人々の暮らしは豊かになった。人々の想像は魔具頼りになって、無から何かを想像する機会が減った。そしてわたしの疑問は、もしも冒険譚の出現が止まったとして、人々の想像力は、この世界の想像力は、元通りになるの?わたしはただ、それを知りたいだけ」

トラヒコは、異譚渡りの言葉を思い出した。ほぼ、真実に辿り着いているではないか。

「あんたの仮説、案外的外れじゃないかもな。それじゃあ、俺はあんたとエピローグ探しの競争はしなくていいわけか。俺が辿り着いて、エピローグを完結させたとしても、あんたは結果が知りたいだけだもんな」

トラヒコは、ハッコに背を向けると、手を挙げて部屋を出ようとする。ふと、足を止めると、気になったことを口にした。

「そういや、俺がここに忍び込んでるって気づいておきながら、放っておいたのは何故だ?」

背中越しに、ハッコが笑ったような声がして、驚いてトラヒコは振り返る。しかしハッコは既にいつもの冷たい表情のままだった。

「貴方、止めてもどうせまた来るでしょう?それに、無理に制止した結果、余計に危険なところへ首を突っ込まれでもしたら、せっかくわたしたちが貴方を遠ざけた意味がなくなるじゃない」

トラヒコは、何かをハッコ・・・母に言いたいような、しかし何を言えばいいのか分からないような、不思議な感覚に飲み込まれるようだった。代わりに、意味もなく首や肩を回すと、殺風景な部屋の壁をみつめて何度か頷いた。


 チキさんから、「どうぞ夕食を召し上がって」と何度も誘われながら、トラヒコはなんとかハッコの家を出た。手には、チキさんから持たされた料理のぎっしり詰まった弁当箱。

 チキさんは、「奥様も、本当は坊ちゃまと一緒に食卓を囲みたいんですよ」と言っていた。トラヒコは、果たしてそうだろうか、と首を捻る。

 先程の、ハッコの言葉が蘇る。チキさんの言葉も、風の便り程度には受け止めておこうか。トラヒコはバイクで街中を突っ走る想像をしながら、ギルドの寮に向かって駆け出した。

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