78.荒らされた妖精の国-異-
空の裂け目から現れた巨大な目玉に見つめられ、ライムたちは身動きが出来ない。視線を逸らすことも出来ず、ただただその目玉を見つめ返していると、次第に周囲が巨大な目玉に飲み込まれるような感覚に襲われた。そしてそれは勘違いなどではなく、本当に周囲の世界が、その瞳孔と同じ真っ黒に塗りつぶされていく。
目玉が、瞬きをした。
ライムたちは一瞬、気を失っていたのかもしれない。ふと気づくと、そこには白と黒だけの景色が広がっていた。妙に明るく感じるのは、空、それとも空ではないのかもしれないが、頭上が真っ白く覆われているからだろう。周りは、先程までいた野原とよく似ている。もしかしたら同じ野原なのかもしれない。
「ここ・・・」
ユウヒが、絞り出すように声を出す。トラヒコが足元の草に触れて、驚いた顔をする。ライムも真似をして、驚きの理由がわかった。
「感覚がない・・・というより、触れているのに触れていない、草が動かない」
ライムが野原の草を撫でるようにしても、確かに触れているのに草はなびかない。
「妖精の国の、森がないっす」
ネガが、後ろを振り返って指さす。確かに森はなく、森があったはずの場所にも野原がどこまでも広がっていた。
「汝ら、儂のことを知ろうと求めていたのではないのか」
先程の、目玉の声だ。一斉にライムたちが見上げると、真っ白な頭上から巨大な目玉の主が現れ出てくるところであった。それでも、現れたのは身体の一部であるのだろう。巨大な目玉が2つ、雄々しい鹿のような角が生え、ワニのような顔、洞穴のような鼻、その両脇にはナマズのような髭が長く長く伸びている。白さをこじ開けるようにして、長く筋肉質な腕が現れ、蛇のような身体の直径はライオンタウンの大通りの幅を遥かに凌ぐだろう。
ライムたちは、言葉が出ない。トラヒコが口を開きかけて、閉じた。ユウヒもネガも、口が震えてしまう。
「あ、あ、あなたは・・・?」
ライムが、心臓を吐き出すような思いで尋ねる。不思議なことに、1度声を出してしまえば、恐れは和らいだ。
「儂か?そうさのう、どう名乗るべきか考えておらなんだ。儂の真名は知らぬ方が良い。軽々しく発すれば気が触れてしまうからのう。はじめの異譚では『龍』と呼ばれておったが、もう随分と人目にも触れておらんで、何とも呼ばれることはなくなってしもうた」
「りゅ、りゅう・・・?」
トラヒコが呟く。自分たちが知る、いわゆる「竜」とは随分と形が違う。それを見透かしたかのように、龍は続ける。
「汝らの知る『竜』は、古の時代、汝らの世界に生息しておった。異譚にも、しばしば出てくるであろう。儂のような『龍』は、ノーツァルパントが書き散らした、異譚発祥の存在ゆえの。見たことも聞いたこともなければ、想像が追い付かぬであろう」
ネガが、咳き込むようにして、何度か声を出そうと試し、ようやく言葉になった。
「た、確かに、おいらたちが荒狂竜を『竜』だと当たり前に受け取ったのは、竜を知ってるからっす。カルノアリエスを羊鳥竜と呼んだのも、竜の姿を知ってるからっす。竜は絶滅したっすけど、冒険譚の中にはまだいて・・・」
ユウヒも、ネガが徐々にいつも通り話せるようになるのを見て、咳払いをして、口を開いた。
「て、てか、『龍』さんは、うちらが外の世界から来たって、知ってるんですね?」
龍は巨大な目玉をユウヒに向ける。ユウヒはびくっと背筋が伸びたものの、何故だか先程までのような恐怖は感じなかった。
「知っておる。初めから見ておったでな。それに、儂も汝らと同じように外の世界、別の異譚からこの世界へやってきたでな」
龍は、鋭い爪で鼻先を掻くと、言葉を続ける。
「『龍』と面と向かって呼ばれるのは、むず痒いのう。汝らも、『人間』と呼ばれるのは妙な気分になろう。そうさのう、儂が異譚から異譚へと渡ってきたところから、『異譚渡り』とでも仮に名乗ろうかのう。これなら、心置きなく呼ぶことができよう」
異譚渡りは、ライムたちを見つめて、巨大な目玉を瞬いた。
「異譚渡り、さん・・・がこの冒険譚に入られたから、カルノアリエスたちが逃げ出すようになったのでしょうか」
ライムが尋ねると、異譚渡りは髭をなびかせた。
「そうなるのう。儂はこれまでの異譚において、世界へ干渉はせずにおった。今回もそのようにするつもりであったのだが、あの妖精たちの羽音が気に入ってしまってのう。ほんの少しばかり、邪魔をせんとする者を睨んでおったのよ。あの竜たちには気の毒であったかもしれんがの。汝らも、妖精の羽音を守ってくれおった。そういったわけで、姿を現したのは儂なりの礼じゃ」
「異譚・・・冒険譚のことだと思うっすけど、異譚渡りさんは、これまで何回も、本から出ては別の本へ入って、を繰り返していたっすか?」
ネガの問いに、異譚渡りは「ほっほっ」と笑う。
「もう、いくつの異譚を渡ったか、数は知れぬがの。儂が生まれた異譚は、異譚のなかでも初めの頃のものであったからのう。儂はその世界が閉じる気配を感じると、外の世界へと飛び出した。それから次の異譚へと入り、その世界も閉じる前には飛び出した。それを繰り返した末に、やがて気に入った異譚を見つけて長く留まることを求めはじめた。儂も年寄りじゃ、安寧が欲しくての」
「ということは、冒険譚が現れ出した頃のことも、ご存知でしょうか。それに・・・」
ライムの言葉に、トラヒコが「ノーツァルパント」と続ける。
「ふむ。汝らは異譚の始まりは知らんのか?ノーツァルパントが書いた異譚、プロローグと呼ばれるそれが、全ての始まりじゃ。ノーツァルパントは、10冊のメイン・ストーリーと、全ての終わり、エピローグを書いたとされておるが・・・儂は内容までは知らぬ。儂が生まれた頃は、プロローグが異譚を生み出す頻度もそう高くはなかった。儂も、次に入る異譚を探し求めるのに苦労したものじゃ。異譚は想像力で満たされておる。しかし想像力など外の世界にも無限に溢れているものゆえ、均衡が保たれておったのじゃ。しかし・・・外の世界の想像力を補うようにして、異譚が増え始めよった」
「やっぱり、外の世界の想像力は、減っているってことっすか?」
ネガがそう言うと、ライムも重ねる。
「想像力が溢れていた頃は、魔具に頼らなくても・・・」
「魔法が使えていた!?」
ユウヒも思わず質問に加わる。
「そうさのう。儂が知る限りでは、はじめは外の世界の者たちも、魔法を使っておった。しかし、人間たちは想像することを怠ったのじゃ。異譚、異譚から持ち出る宝、それが何でも見せてくれるからのう。想像しなくても、先に存在してしまっていたならば・・・そういったわけで、想像力は枯れ、魔法も使えんくなってしもうたのじゃろう」
そして、異譚渡りはライムたちを見据えて続けた。
「出来ることを知らなんだり、出来ないと思っていたりすれば、それは叶わぬことよ。しかしの、出来ると信じていたり、想像出来ていることは、叶うかもしれんのじゃ」
「武器を使わないでも魔法は使えるかもしれないし、冒険譚から出てきた人が無事に生きられるようになるかもしれないし、冒険譚の謎も解けるかもしれないし、困ってる人をいっぱい助けられるかもしれないし、それに・・・」
ユウヒが口にしたことは、ライムも、トラヒコも、ネガも、同時に頭の中を駆け巡っていた。
「ところで、外の世界の想像力が減ったら、何故冒険譚が増える?」
トラヒコの疑問に、異譚渡りは「ふむ」と思案した。
「ノーツァルパントがしたことは、世界という器へ常に想像力という名の水が注がれ満たされていたところに、さらに別の想像力、いわば色水を注ぎ足していくような行為であった。注ぎ足された色水のせいでいくらか水は零れるであろう。それでも色水は薄れ、世界に溶け込む。溢れていずれは零れ落ちる。しかしの、色水の方が綺麗だと、もともとの水を注ぐ手を止めたなら、どうじゃ。色水だけが注がれていき、水の割は減るじゃろう」
今度はトラヒコが、「ふむ」と腕組みをし、思案する。
異譚渡りが、大きくあくびをした。全てを飲み込んでしまいそうな口だ。
「儂は、もう眠たい。汝ら、この異譚を閉じてよいぞ。儂の異譚渡りはここが終着点じゃ。妖精の羽音に癒されて眠りたい」
「最後に、1つだけ聞きたい。ノーツァルパントとやらは、何故プロローグを、そしてメイン・ストーリー、エピローグを書いたんだ?」
トラヒコの言葉に、異譚渡りは頭上の白へ身体を引き上げながら、巨大な目玉をゆっくりと瞬いた。
「子細には知らぬ。ただ・・・ノーツァルパントがあの少女のために始めたこと・・・儂はノーツァルパント自身から聞いた、いつかは、終わるべき物語じゃと・・・」
ゆっくりと異譚渡りの姿が、頭上の白に帰ってゆく。それに伴って、どんどんと微睡んでいくようだ。
「あんたは、ノーツァルパントって奴に会ったんだな!?どうやって会った!?プロローグは、エピローグはどこにある!?」
トラヒコが興奮して、吸い込まれるようにして帰っていく異譚渡りの真下まで走って叫んだ。
「それは・・・汝らが・・・探すこと・・・見つかると、信じておるのじゃろう・・・?見つかると、よいな」
異譚渡りの髭先が完全に白へ吸い込まれた瞬間、この世界の黒までもが白に染まった。
明るいのか、暗いのか、暖かいのか、寒いのか、広いのか、狭いのか、楽しいのか、悲しいのか。
ぼやけた感覚が、徐々に収まってきて・・・。
竜の筆の広間だ。リキが「よく帰った!!」と声を張り上げて称え、ミツカが特製ジュースを準備する。モッチが真剣な顔で、ライムたちに異常がないか確認しているようだ。
「おかえりなさいませ、お疲れさまでした」
モカが駆け寄ってくる。ルンポや中年冒険者たちも、寝ぼけた顔で拍手をしている。外は明るくなっていた。
「おかえりなさい」
マスターが微笑んでいる。きっと、冒険譚の中で何が起きたのか知りたい気持ちはあるのだろうけれど、真っ先に自分たちの無事を喜び、迎えてくれる。ライムたちは、無性に安心した気持ちになった。
ライムがでんえんの方を振り向くと、でんえんの暖簾をくぐる途中で足を止めたようなヨモギと目が合った。
「おかえりなさい!」
満面の笑みのヨモギを、ありとあらゆるものから守りたいと、想像が溢れてしまうライムであった。




