71.違和感のある冒険譚②
朝、ジャンベが鑑定士室に入ると、まだ部屋の中はひんやりとしていた。秋というよりも冬といった方がしっくりとくる。まだ誰もいないのかとジャンベは思ったが、提灯がふわふわと浮かんでいる。窓の向こうはまだ薄暗いのだが、誰もいないのなら提灯は飛ばないはずだ。
「おはようございます、ジャンベさん」
長い脚を組み、マグカップを片手に、相変わらず立派なスーツを身に纏ったスドウルが、机の上に積み上げられた書類や鑑定前の冒険譚の間から顔をのぞかせた。
「スドウルさん、おはようございます!」
ジャンベが駆け寄ると、スドウルはゆっくりと立ち上がり、銀縁眼鏡を中指で正した。
「ジャンベさん、お預かりしていた冒険譚ですが」
スドウルが差し出したのは、ベア渓谷で拾った、例の違和感のある冒険譚である。
「申し訳ございません。私では、異常をみつけることは出来ませんでした。様々な可能性を考慮しましたが、冒険譚自体に細工が施されているわけではなさそうです。となると、後は冒険譚の中、本の中の世界に異変があるのかもしれません」
ジャンベは、冒険譚を受け取りながら、「本の中・・・」と呟く。
「もしもそうなのだとしたら、ここからは我々鑑定士の仕事ではありません。冒険者に任せてみてはいかがでしょう」
スドウルが、にっこりと微笑む。ジャンベも笑顔になった。
「そうですね、鑑定は済んでいるから・・・皆さんに託します!」
昼。この日は、マスターがショウノジンの家を訪ねており、ギルドを留守にしていた。広間では昼食をとる冒険者たちで賑わっていて、掲示板前のいつもの席にはライム、トラヒコ、ユウヒ、ネガが集まっていた。
「みなさーん!」
鑑定士室から出てきたジャンベが、階段を駆け下りながらこちらに手を振る。
「ジャンベ、あの冒険譚、何か分かったことあった?」
輪に加わるジャンベに、ライムが声をかける。
「そのことなんですけど、鑑定士だけじゃやっぱり分からなくて・・・本当は、皆さんが入る前に解決したかったんですけど・・・」
「ううん、ジャンベはちゃんと鑑定してくれたじゃない」
ユウヒの言葉に、俯きながら頷くジャンベであったが、思い切って顔を上げて、4人と目を合わせる。
「ボク、皆さんを信じます。きっと、この冒険譚の違和感は、中の世界にあるんだと思います」
ライムとユウヒが笑顔で頷いて返す。トラヒコも、腕組みしたまま頷いた。
「ところで、あの白い毛の魔物・・・荒狂竜にちなんで、羊鳥竜・・・角も羊みたいっすし・・・あれが逃げていた何者かが、その本の中にいるかもしれないわけっすよね?」
ネガが、恐るおそる、ジャンベが手元に置いた冒険譚を指さす。
「それ、本当なの?うちは全然気がつかなかったけど・・・」
ユウヒがあの時のことを思い出そうと顎に手をあてる。
「あの魔物はそこそこ素早かった。お前の向日葵が落ちてくる前に、その場から撤退することは出来たはずだ。それなのにそうしなかったってことは、お前の渾身の大技よりもよっぽど怖い何かから逃げてたってことだろう」
トラヒコが皮肉っぽく笑うと、ユウヒがそれに噛みつく。
同じ頃、近くの机では、ルンポたちが珍しく武器の手入れをしていた。数日前からハクビに睨まれ、ついにドヤされたのだ。本拾いに行く前の準備なのだろう。ルンポが最後に剣を手にしていたのを見たのはいつだったかな、などとライムは呑気に考えていた。
仕事に戻るというジャンベとわかれ、冒険譚に挑む前にクレープを食べておきたいというユウヒと、靴を買い換えておきたいというネガにつき合って、ライムとトラヒコも一緒に4人でギルドを出る。通りに踏み出した、その時であった。
ギルドの中から、悲鳴が上がった。顔を見合わせる4人。すぐに、トラヒコがギルドへ駆け戻る。ライムもほぼ同時に駆け出した。ドアに体当たりするようにしてギルドに飛び込むと、ライムは目の前に広がった状況をすぐには飲み込むことが出来なかった。広間にあの白い魔物、羊鳥竜の姿が。それも、2頭である。
制服を着たギルドの職員たちが逃げ惑う。なぎ倒された机や椅子、弾き飛ばされたのか、床に転がり呻くギルドの冒険者たち。羊鳥竜はどちらも、何かに怯えるように、落ち着きなく周囲を見渡すと、大きく吠えた。ライムのそばで、床にへたり込み、恐怖で目を見開いて耳を塞ぐヨモギがいる。ライムはヨモギを守るように、静かに前へ進み出た。トラヒコも、刀を具現化させる。
「お、お、おい!こっちだ、かかってこい!」
ルンポが剣を抜いて構える。ルンポだけでなく、いつもは情けない万年D級中年冒険者たちが武器を手に取り、羊鳥竜を囲んでいる。
「おっさんたち、そっちは頼んだぞ」
トラヒコはそう声をかけると、刀に風の魔力をこめて、素早く羊鳥竜に斬りつけた。羊鳥竜は角でそれを受け止める。トラヒコは身体が覚えているように、いつもの如く風の斬撃を飛ばそうとして、はっとした顔になり寸でのところで止める。周囲の人間に当たるかもしれないし、ギルドの重要なものを傷つけてしまうかもしれない。トラヒコと入れ替わる形でライムが籠手に波動を込めて打撃を放とうとし、トラヒコと同じことに気がつく。いつも通りに戦っては、周囲に被害が出かねない。
「くそ、マスターも留守、戦えるA級B級もいない、C級も俺ら以外にはまともな戦力がいない、ってか。まずいな」
ちらっと入口を振り返ると、それぞれ武器は具現化したものの、やはり攻撃に躊躇するユウヒとネガが見えた。
「うわー!!」
そうこうしているうちに、ルンポたちは羊鳥竜に攻撃をしかけ、尻尾で弾き返されたり、必死の形相で噛みつきや頭突きから逃げたり、勝ち目のない戦いを繰り広げている。ライムたちにとっては、やろうと思えば倒せる相手。しかし加減を間違えると自分たちのせいで怪我人を出してしまう。かといって、やはり加減を間違えるとこちらの攻撃が通用せず、羊鳥竜がギルドの仲間を襲ってしまう。力を抑えて羊鳥竜を制圧するには、もっと上の実力者が必要だ。
「仕方ないか、ある程度の犠牲は」
トラヒコが覚悟を決めて、納刀すると、居合の構えをとった。
「待って、トラヒコ。僕が打撃で・・・」
そう言いかけるが、ライムは自信がなかった。いつも、全力で相手を倒すために放つのがこれまでの攻撃だった。もしくは、明らかに格下の敵に対して能力を抑えて戦うことはあったかもしれない。しかし、周囲の被害を考えて手加減して戦うなど、初めてのことである。それは、トラヒコも一緒であった。
「ジャンベ!!」
ネガが叫ぶ声。確かにそうだ、この2頭が現れた時、冒険譚を持っていたのはジャンベだろう。心臓が冷えるような感覚になり、ネガの視線の先を追うライム。そこには、転がる冒険譚と、足を挫いたのか立ち上がれずにいるジャンベ。ネガが、しばしの躊躇を経て、ジャンベのもとへ駆けだした。その動きに反応した羊鳥竜が、ネガに喰らいつこうとする。そうはさせないと、ユウヒが杖から炎を噴き出してネガを援護する。
その時。カチッという微かな音とともに、階段の上にモッチが現れた。同時に、メモリーモスが羊鳥竜の目の前をブンブンと飛び回り、羊鳥竜はそれを追いかけるようにしてモッチの元へと駆け出す。2頭が階段を同時に上ろうとして、ぶつかり合って倒れ込む。まんまと、階段に突っ込むようにして2頭が挟まり身動きが取れなくなった。
カチッと、モッチがライムとトラヒコの間に瞬間移動する。
「やっつけて。検知システムが作動した。国軍が来る」
モッチの声に、不敵な笑みを浮かべるトラヒコ。
「そりゃ、さっさと片づけねえとだな!」
ジタバタともがく2頭に向かって、トラヒコが跳躍。風の魔力を込めた刀で滅多切りにした。やがて、2頭は動かなくなる。刀を納めながら、トラヒコがモッチに尋ねた。
「お袋・・・研究機関のハッコに聞きました。命の検知システムは、あえて作動するようにしてあるんですよね」
モッチが頷く。
「あの魔物、B級・・・君たちみたいに戦闘に秀でていればC級の冒険者がいれば、このギルド内に冒険譚がある限り、出てこないはずなんだけど。君たちがギルドから出た瞬間に出現するなんて、よっぽど本の中が嫌なのかも」
ライムが籠手を収納する。ユウヒも、ほっとしたような顔で杖をしまうと、ルンポたち中年冒険者とハイタッチする。ネガはジャンベの足を診ているようだ。
「ヨモギさん、大丈夫・・・ですか?」
ライムが振り返り、やっと脚に力が入って立ち上がれそうなヨモギに手を差し伸べる。
「ライムさん、ありがとうございます。あの、えっと・・・」
顔を赤らめるヨモギ。差し出した手を握ってもらえて先程の戦闘よりも心臓が早く打ち出すライム。
「あ、あれ?そういえば、ハクビさんは?」
そもそも、ハクビがいれば、大抵の魔物は冒険譚から出てこられないだろう。
「それが、さっき食材の買い物に出掛けたところだったんです。今日に限って、わたしが留守番で・・・」
その時、ギルドのドアが勢いよく開かれた。
「国軍だ!魔物出現の通報があって臨場した!」
屈強な男たちが数人、雪崩れ込んでくる。そして、階段に突っ込むようにして倒れている2頭の羊鳥竜に目を留めると、そのうちの1人が一足飛びで羊鳥竜を跳び越えて2階へあがり、生死を確かめるように調べ始めた。やがて、上階から片手を挙げて合図すると、下にいた男の1人が巨大な灰色の袋を宙から具現化し、袋は勝手に動き出すと2体の死骸を詰め込んだ。袋の上側がきゅっと結ばれ、出した本人の元へふわふわと帰ると、一瞬で収納された。
「お前たち、事情を・・・」
国軍の男がライムたちに向かって、やや高圧的に声をかけようとする。そして、トラヒコと目が合うと、はっとしたような表情になった。
「これはこれは、コドウ中将のご子息か」
トラヒコの眉が、ぴくっと動く。
「何があったのかを、お話しいただけますかな」
改まった口調で男がトラヒコに向ける。トラヒコは口を開かない。その時。
「皆、こんな時に留守にして済まなかった」
入口に、マスター、エレンドが、やや息を弾ませて立っていた。異変を察知して、急いで駆けつけたに違いない。
「国軍の皆さん、情報を精査して、後日私から報告しよう。今はご覧の通り、突然の出来事に誰もが混乱しているだろうから」
国軍の男は、しばし考えた後、マスターに向き直った。
「それでは、魔物が出現した冒険譚はお預かりしましょう」
ジャンベの脇に落ちた冒険譚を、ライムはちらっと見る。ユウヒとネガは、もっと露骨に視線を向けていた。ギルドの大半の者がそうだった。
「これ、か」
その視線を辿るのは簡単なことだったろう、国軍の男は、ジャンベが違和感を抱いた冒険譚を拾い上げ、中をパラパラと捲った。
「C級・・・しかし、事故のあった冒険譚は軍が持ち帰るべきか」
独り言のように呟くと、羊鳥竜の生死を確認した男が「C級くらいなら、いいんじゃないですか?」と軽い口調で述べる。巨大な袋を具現化させた男も、「とりあえず、対象の死骸は回収しましたし」と添える。ここまで一言も発していなかった、もう1人の男が「面倒、では」と低い声で呟いた。
しばし考えた指揮役と思われる男は、「面倒、ということではないが・・・」と前置きした後、続けた。
「分かった。では、この冒険譚はそちらで処理してもらおう。特に高ランクの冒険譚というわけでもないようだしな。何か異変があればすぐにご報告を。また、出現時の情報については確実に、よろしくお願いします」
マスターに向き合って、指揮役の男は軽く会釈をすると、ギルドを後にした。他の軍人もそれに続いた。
ライム、トラヒコ、ユウヒも、ネガに足を治癒してもらっているジャンベの元へ集まる。いつの間にか、ギルドの受付にはシャッターがされていて、恐るおそるそれが開いてモカが顔を出すと、「もう、大丈夫でしょうか?」と確認をして、職員たちが安堵しながら現れる。散らかった広間を片付けたり、全員軽傷ではあったが床に倒れていた者たちを手当したり。
がやがやとした中で、国軍から渡された冒険譚を手に、マスターがライムたちの元へとやって来た。そして、冒険譚をジャンベに返す。
「スドウルから聞いているよ。違和感の正体は、この中にあるのだろう。もしも君たちが挑むのならば、どうか気を付けて行ってきて欲しい。そして、君たちでは困難だと分かれば、無理をせずすぐに撤退して欲しい。いいね」
そう言い残すと、マスターは崩れた階段の手すりの修復を手伝いに向かった。
ギルドの広間が復旧し、階段は改めて職人を呼んで修理をしてもらうことになった。違和感のある冒険譚は速やかに、ライムたちが完結を目指すこととなった。万が一、ライムたちが撤退した場合は、B級の冒険者が引き継ぐとのこと。
「またこんなことが起きる前に、早く謎を解きに行かないと」
ライムの言葉に、でんえんのウェイトレスたちが配ったお茶を啜りながらトラヒコが頷く。
「久しぶりに親父殿の名前を聞いたら、俄然やる気が出てきてな。今すぐにでも挑んでいいくらいだ」
「ちょっと、うちは今すぐなんて無理だからね。なんか、こんな騒ぎになっちゃったら、余計に怖くなっちゃった・・・」
ユウヒが溜息をつく。
「あの魔物、羊鳥竜が血相を変えて逃げ出す程の強い魔物・・・かどうかは分からないっすけど、何かしらの脅威はあるっすもんね・・・」
ネガもユウヒに並んで溜息をつく。それでも、4人は覚悟を決めて、ジャンベに向かい合った。
「ジャンベ、あの冒険譚の、あらすじを教えて」
ライムの言葉に、真剣な表情でジャンベが頷き返した。
ライムがでんえんの方へそっと目をやると、ヨモギがハクビに先程のことを報告しているようだったが、突然こちらを振り向いて目が合った。ヨモギは照れたようににっこり笑い、ライムはもっと照れて目を伏せてしまうのだった。




