7.森の中の白い少女③
ペリの言う「おばあちゃん」は、死んだ若い女の魂を疑似餌にして、獣や森に入り込んだ人間を喰らう、巨大な老婆の姿をした怪物である。怪物は疑似餌に自らを「おばあちゃん」と呼ばせ、疑似餌の発する匂いで獣を誘き寄せたり、キノコ狩りや薬草採取に来た人間を騙して連れてこさせたりしていた。
ペリは、森の外の村で暮らす少女であった。ある日、家族に頼まれて、親戚のおじさんと一緒に夕食に並ぶキノコを採りに来て、そこで以前の疑似餌に出会った。疑似餌は怪我をした少女の姿をしていて、おじさんは少女を背負って「おばあちゃん」の家までやって来た。そこで・・・。
ペリの目の前でおじさんは捕食され、逃げようとするペリにも「おばあちゃん」の手は伸びた。薄れゆく意識のなかで、「ごめんなさい、ごめんなさい」と怪我をした少女の謝る声が聞こえていた。
その日から、ペリは「おばあちゃん」の新たな疑似餌となった。疑似餌としての本能なのか、「おばあちゃん」が空腹になると、ふらふらと森の中を彷徨うようになった。熊や狼に追われ、家まで必死で誘き寄せる。いつしか、人間を連れて行く方が楽であると気づいた。迷子のふりをしたり、反対に迷子の人間には親切な顔をして家まで案内したり。時には、身体で誘ったこともあった。自らはもう死んで魂だけの存在とはいえ、獣に唸られ追われるのは、怖くてたまらなかった。
それでも、良心が痛むことはあった。森に現れるのは、ペリを捜索しにやってきた村人もいた。大喜びで駆け寄る村人を、涙を堪えて「あのね、わたしを助けてくれたおばあちゃんがいてね」と騙す辛さ。そんな中ふと、疑似餌としての自分ではなく、生前の村の少女であった自分を、ペリは思い出すことがあった。「おばあちゃん」が吐き出す人骨を集めて、わざと目に付きやすい場所に捨てた。そのうちに、この森は危険だと、人間はあまり寄り付かなくなった。そして、いつかここに勇者が来ることを願った。幼い頃に村で読んだ絵本に、悪者を退治する勇者の話があった。疑似餌としての本能と、村の少女としての良心との狭間で、ペリはいつも願っていた。
「そうしたら、皆さんが来てくださったんです」
涙を零しながら話すペリを、ライムは心の底から可哀想に思った。ユウヒも、「うん、うん」と目を潤ませて聞いている。ペリが話す間、ネガが2人に疲労回復の魔法をかけてくれ、ライムとユウヒはようやくしっかりと身体を起こすことができた。
「でも、なんでおいらたちが、その、勇者だって思ったんすか?」
ネガの問いに、ペリは涙が垂れた頬を緩めた。
「だって、絵本の勇者に、皆さんそっくりでしたから」
腕組みをして興味がなさそうに聞いていたトラヒコが、「都合のいい話だな」と鼻で笑う。
「さっさとこの物語を完結させよう。それには、あの怪物を倒せばいい」
家を睨み、刀の柄に手をかけると、トラヒコの周りに強い旋風が吹き始めた。ネガが思わずメガネを押さえる。
その時。
心臓が引きちぎられるような、恐ろしい唸り声が響き渡った。
家が揺れている。窓が割れ、ドアが弾けとんだ。中から巨大な老いた腕が現れ、こちらに伸びてくる。
すかさず、トラヒコが駆け出しながら風の斬撃を放つ。それをものともせず、腕はトラヒコを叩き潰さんと振りかぶられる。皺だらけの拳がみるみるトラヒコに迫る。刀を構え、拳が叩きつけられる瞬間に、一閃。しかし。
刀は振り抜けず。歯が立たなかった。そのまま、押しつぶされそうになるトラヒコ。
「あんたが言ってた肝心な時って、今?」
巨大な腕に炎がのぼる。悲鳴とともに腕が持ち上がり、辺りの砂に擦りつけ、火を消そうと躍起になっている。さらに、紫色の波動が、腕を追い詰める。
「トラヒコ、一緒に戦おう!」
ライムが、腰を低く落とした構えで正拳を連打する。
たまらず、腕が家の中に引っ込む。ドアが外れてできた穴に、ライムの波動とユウヒの炎が打ち込まれ、甲高い悲鳴とともに家が大きく爆発した。
「やった・・・」
ユウヒが、ぐっと拳を握る。しかし。
「まだだ!」
トラヒコが刀を斬り上げた。風の斬撃が切り落としたのは、根元から引き抜かれた木であった。
爆炎の向こうから、「おばあちゃん」がやって来る。その姿は、猿のような顔をした巨大な老婆であった。頭を勢いよく振ると、長い白髪が乱れ舞う。両腕は逞しく、反対に下半身は退化しているように細く、両腕で這うようにこちらへ向かってくる。手近の木を根こそぎ、振り回すと、ライムたちに向かって叩きつける。
「危ない!」
必死で身を躱す一行だが、躱し続けることは困難であろう。
「こいつ・・・。真っ向勝負では、悔しいが無理だ。なぜこんな奴がEランクの冒険譚に・・・」
トラヒコが肩で息をしながら汗を拭う。爆ぜた炎が、足元の草を焦がす。
「周りもちゃんと、よく見てね・・・。周りもちゃんと・・・」
ぶつぶつと呟くネガに、「おい、回復頼む!」とトラヒコが声をかけるが、ネガはしきりに辺りを見回している。
「どうしたの、ネガ」
ライムが、振り回されて途中で折れた木片を寸でのところで躱し、駆け寄る。
「あらすじっす。『周りもちゃんと、よく見てね』、何か、何かあるはずっす!」
ユウヒが、「きゃあっ」と初めて聞くような声で叫ぶ。
「あれ、ペリは・・・?」
喧騒の中、いつの間にかペリの姿が見えなくなっていた。ライムも、ネガと一緒になって、身を屈めながらあちらこちらに目を向ける。すると。
「あそこ!」
ライムは叫びながら、後ろでまた木が叩きつけられた衝撃を感じ、転がるように斜面を降りた。流れる小川に沿って草が茂り、そこにペリは黙って立っていた。じっと、何かを見つめている。
「これ、あれっす!猛毒の!」
ライムの後から転がってきたネガが、指をさす。毒々しいまでに鮮やかな青いキノコ。
「これを、手当たり次第に引っこ抜くっす!」
「わかった!」
斜面の下からでも、激しい戦闘の音が聞こえてくる。風を切るような音、衝撃音、時折上がる炎は、ユウヒが出しているのだろうか。
引き抜いた猛毒キノコが両手で抱える程になった時、ペリが突然斜面を駆け上りはじめた。
「おばあちゃん!今日のデザート、持ってきたよ!」
トラヒコが、荒い息で振り返る。ユウヒは泣きそうな顔で倒れ込んでいる。
「ライム、これに入れるっす」
ネガが革の袋を取り出し、2人で猛毒キノコを詰め込むと、一目散に斜面を駆け上った。
ペリは、複雑そうな笑顔で、それでも少しの幸せが滲む笑顔で、革の袋を受け取ると、「おばあちゃん」のもとへ飛んでいった。文字通り、本当に空を飛んで、「おばあちゃん」の口に自分の身体ごと飛び込んだ。
沈黙。そして。
喀血しながら、凄まじい咆哮を上げ、のたうち回る「おばあちゃん」であったが、段々とその動きは鈍くなり、全ての動きが停止する瞬間は突然だった。
突如、周りに文字が浮かびだした。空に、大地に、爆ぜる炎に、「おばあちゃん」の骸に、乱暴に毟られた木々に、文字が浮かび、飛び交った。
「これ、もしかして・・・」
ユウヒが、倒れたまま疲れきった声で言う。そして、「ペリちゃん・・・」と涙声で呟いた。
「完結っすか・・・ね?」
ネガも、座り込んで天を仰ぐ。
ライムも、一気に押し寄せてきた疲労と痛みに、前のめりになって倒れ込んだ。そして、なんとか大の字になり、文字の広がってゆく世界を眺めた。ペリにとって、これはハッピーエンドだったのだろうか。
ひとりトラヒコだけは、唇を噛み締めている。ライムは、はじめてトラヒコと話したときの公園を思い出した。
世界が揺れ始めた。
横に揺れているのか、縦に揺れているのか、自らが揺れているのか、世界が揺れているのか。
視界が段々とぼやけてゆく。
明るいのか、暗いのか、暖かいのか、寒いのか、広いのか、狭いのか、楽しいのか、悲しいのか、段々と感じ方もぼやけてゆく。
それが徐々に収まってきて・・・。
「おかえりなさいませ!おめでとうございます!」
モカの声が、唐突にはっきりと聞こえて、いつの間にか瞑っていた目を開ける。
モカだけでなく、机を囲んで酒を飲んでいたり、武器を磨いていたり、持ち帰った宝を得意気に見せびらかしていたり、各々がしていたであろうことの手を止めて、ギルドの冒険者たちが一斉にライムたちへ拍手を送った。
じわじわと、感動が広がってゆく。照れながら鳥の巣頭を掻くネガ。満面の笑みで手を振って応えるユウヒ。トラヒコはというと。
その場を離れ、つかつかとある机に勢いよく向かい、「おい、あんた知っててあの本を押し付けたのか?」と怒鳴る。
「なんのこった、俺はあらすじを読んで、最初の冒険にぴったりだなと思って」
狼狽えるのは、ルンポ。シンと、晩飯の最中だった様子。
「ふざけるな、本当はEランクの本じゃなかったんだろう。じゃなきゃ、あんな化物、出てくるはずない。大方、鑑定士のミスか・・・」
トラヒコがそう言いかけると、ギルドの空気が一変した。
「おいおい、トラヒコ。それは言っちゃあ、いけねえよ。本の中で何があったか知らねえが、それを鑑定士のせいにしちゃいけねえ」
ルンポが、手にしたジョッキを静かに机に置いて立ち上がる。トラヒコが何事か言い返そうとした瞬間、カツンっと階段を降りる音がした。
「トラヒコ。竜の筆の鑑定士は、皆誇りを持って仕事をしている。腕も確かだ。それに、最終確認は私が最も信頼している鑑定士が行っている。間違いはないと、私は信じている」
マスターが、ゆっくりと階段を降りてきて、トラヒコの前に立つ。
「その冒険譚、何が敵で何を倒すべきか、わかりやすかったであろう。Eランクの冒険譚は、勧善懲悪、わかりやすい物語で構成されている。ランクが上がるごとに、冒険者は物語をどう完結させるのか悩むのだ。それに、敵の強さが自分を上回っていたとして、引き返す機会は存分にあったのではないか?」
たしかに、「おばあちゃん」との戦闘が始まる前に、いや始まってからも、逃げ出すのならその機会はいくらでもあった。
「ガキでもわかりやすい簡単な本に手こずって、自分の弱さを認めらんねぇだけだろ」
声のした方を向くと、マスターとよく似た金髪に漆黒の髪が混ざった青年が、ふんぞり返って座っている。
「級無しからせっかくE級になったんだから、もっと喜べよ、ガキが」
嘲笑う青年に向かって、トラヒコが刀の鍔に指をかける。
「やめないか、ザンデラ!」
マスターの一喝にも表情を変えずにトラヒコを嘲っていた青年であったが、黙って立ち上がると、ギルドを出て行った。数人の若者が、その後に続く。
「おい、お前も懲りねえなあ。今度はA級と喧嘩するつもりかよ」
ルンポが小声でトラヒコを諌める。
「さて、何はともあれ、ライム、トラヒコ、ユウヒ、ネガ、完結おめでとう」
マスターが、モカから冒険譚を受け取り、ページを捲る。そして、4人の名前を呟いてゆく。ページが光り、その光が消えた後、マスターが見せてくれた。4人の名前が、しっかりと記されている。
マスターが改めてといった具合に、拍手をすると、白けかけていたギルドの雰囲気が再びお祝いの色に変わった。マスターはライムをまっすぐみつめ、口を開く。
「おかえりなさい」
その後は、ルンポとシンがでんえんの暖簾の向こうに首を突っ込んで、ひたすらに料理を注文し、宴が催された。はじめは気まずそうに座っていたトラヒコも、「ほら、いいから食えよ」とルンポに肩を叩かれ、渋々といった様子で口にした餃子があまりにも美味しかったからか、じわじわと表情が緩んだ。ユウヒが、革袋いっぱいのキノコをモカに渡すと、しばらくしてモカがそれをでんえんの厨房へ持っていった。料理に使ってくれるのだろう。
沢山の料理を宙に浮かばせて運んできたハクビが、じっとライムを見つめ、「こんなもんじゃないよ、もっと強くおなり」と一言。ヨモギも出てきて、「ライムさん、おめでとうございます!」とにっこり。急に、自分が物凄いことをやり遂げたような気になるライムであった。
ギルドを出て、女子寮へ帰るユウヒと別れ、トラヒコとネガと共に男子寮へ向かうライム。3人とも、何も言葉にしない。唯々、冒険の余韻が溢れている。
部屋の前の廊下で、「おやすみ」と言い合う。部屋の中はまだ殺風景だけれど、ベッドに転がると不思議な安心感があった。
疲れた身体を無理やり起こし、リュックから取り出した冒険譚。父の名前が記されたそれを、初めて感じる気持ちで眺める。
僕は、冒険者になったんだ。
僕は、冒険譚を完結させたんだ。
次にベッドに転がった時には、もうライムは眠りについていた。




