61.異国情緒
国境を抜けて山間を走るバス。途中、木々の様相が変わってゆくのが分かった。ニマール国ではあまり見ない、竹林。そして徐々に霧が出てきたところで、バスは終点へと着いた。
「こ、こんなところで、降りるの・・・?」
ユウヒが、怯えたように肩をさする。乗客たちは慣れたようにバスを降り、トラヒコも表情を変えず後に続いた。
「地図では、霧の向こう側に国があることは、分かってるっすけど・・・」
ネガもユウヒの隣で、バスを降りることに躊躇している。しかし、このまま乗り続けているわけにもいかず、またそれはそれで嫌な想像も浮かんできてしまい、最後尾に並ぶとバスを降りた。
ライムとジャンベがマクル国へ行っている間、トラヒコ、ユウヒ、ネガもまた、国外へと赴くことにした。3人の意見はぴったりと揃い、行先はすぐに決まった。
バスを降りて道を進むと、さらに霧は濃くなってくる。そして、突然ぽっかりと口を開いたトンネルが現れた。出口が見えない程、長いようである。バスを降りた人々は、迷わずにトンネルへと入ってゆく。服装からして、どうやら3人の目的地である国の民だろう。
「おい、早く行くぞ」
トラヒコが、なかなかトンネルへ足を踏み入れないユウヒとネガを振り返り、声を掛ける。
「わ、分かってるわよ・・・」
意を決したようにユウヒが歩を進めると、ネガも自身の魔具で地図を表示させ、やはりこのトンネルを抜ける道が正しいのだと何度も確かめると、2人を追いかけた。
トンネルの中はひんやりとしている。一定間隔に灯りはあるものの、その灯りの色がまた怖い想像を掻き立てる。伸びた影の動きに心臓を揺すられるような気になったり、微かな音で振り返ってしまったり、また前を向き直った先に何かがいるのではという嫌な想像に苛まれたり、3人の前を行く人々の話し声が不気味に反響したりと、ユウヒとネガは一刻も早くトンネルを抜けたくなっていた。そんな様子を、トラヒコが鼻で笑い、からかう。ユウヒはいつものように噛みつくことを忘れ、「ま、まだ出口、見えないかな・・・杖で灯り、出しちゃおっかなあ」と無理に明るく振舞う。
「ユウヒ、おいらも灯りは欲しいっすけど・・・武器を出すのは、あんまり勧められないっす」
ネガは出発前にギルドの図書室で、目的地の文化を調べていた。入国した後、この国の中で武器を出したり、魔法を使う、攻撃を放つなどしたりすることは、戦闘の意思ありと判断されかねない。古くから他国との積極的な関係を持たず、独自の文化を守ってきたこの国では、余所者への警戒心が強い。一方で、文化を尊重し礼儀正しく振舞えば、来訪も歓迎されるという。ネガは読んだことをユウヒに説明しながら、そういえばミツカさんが以前、同じようなことを教えてくれたなと思い出した。
やがてトンネルは緩い弧を描き、出口が明るく見えてきた。
トンネルを抜けると、穏やかな風が吹き、花弁が3人の前を舞い去っていった。ブジンカ国、その中でも人口の多い里である。ニマール国にもあるような草原なのに、草花の色が少し違うようで、雰囲気もがらっと異なる。遠くの方には朱色の門が石段を覆うように幾重にも続いている。
里の家々も、独特だ。屋根の形、瓦の色、そして平屋が多い。しばらく行って広くなった道の脇には、2階建ての家屋も見えた。
「あの丸い窓みたいなの、いいなあ。夜になったら中の灯りで満月みたいに見えそう」
ユウヒがそう言うと、「ユウヒさんの例え、とても美しいです」と声がした。
「サクラさん!」
サクラは微笑み、3人へ一礼した。
「ようこそ、ブジンカへ」
サクラは、C級冒険者試験の時と同じように、長い黒髪を一つ結びにしているものの、纏う着物は試験の時よりも華やかである。表情もどこか柔らかだ。
「どうぞこちらへ。里をご案内いたします」
サクラの後に続く3人。
「そういえば、トラヒコさん。お礼を申し上げたかったのです」
歩きながら振り返ると、歩を緩め、トラヒコと歩幅を合わせるサクラ。怪訝そうなトラヒコに、サクラが続ける。
「姉から、手紙の返事があったのです。トラヒコさんのお名前が書かれていました。もしかして、試験の後に話したことを、姉に伝えてくださったのかなと」
「ああ・・・」とトラヒコは頭を掻く。トラヒコが手紙を返すよう促したわけではないが、サクラの姉であるカエデと初めて出会った時にサクラの名前を出し、その後は毎日のように稽古をつけてもらおうと押し掛けていたので、カエデとしてはトラヒコの顔を見る度に妹のことが頭を過っていたのかもしれない。
「まあ、返事があったのなら、そりゃよかった」
トラヒコの曖昧な言葉に、サクラは「ええ、本当に」と笑った。
サクラの案内で、里を見て回る。店に並ぶ髪飾りや、装飾品の類は、いわゆる「ブジンカ風」という言葉が国を超えて使われているくらいに、独特で心惹かれるものだ。それは、食べ物にも当てはまる。芳しい匂いが漂い、3人が思わず鼻を向けると、サクラが一軒の店に案内してくれた。
米が、美味い。麺も、魚も、野菜も、味付けが「ブジンカ風」だ。
「ブジンカの女性は、こういうものを食べているから、綺麗なんすかねえ」
ネガが、きょろきょろとしながら、思わず呟く。すると、後ろから「あら、お久しぶりです」と聞き覚えのある声がした。
「ア、アオイさん!」
ネガが勢いよく振り返り、ズレたメガネをなおす。アオイも少し下がったメガネを手のひらでなおすと、ふふっと笑った。そして、さらにアオイの後ろから、「おお!久しぶりだねえ!」と威勢のいい声がする。
「シズクさん、ルナちゃん!」
ユウヒが立ち上がり、駆け寄る。シズクの後ろからひょっこりと現れたルナが、表情を変えないままユウヒに手を振る。
「一気に勢揃いしてしまいましたね。どうしましょう、全員で動くとなると、いささか窮屈でしょうか」
サクラも傍に寄る。
「じゃあ、いくつかに班分けするかい。わたしとルナはこの後、里の目抜き通りを冷やかしに行こうと思うけどさ」
シズクの言葉に、ユウヒが勢いよく手を挙げる。
「はい、はい!うちも一緒に行きたいです!」
「じゃあ、決まり!」とシズクが先に立って歩き、ルナがユウヒを見つめたまま、シズクに続いた。ユウヒはそんなルナを見て、「かわいい・・・」と呟き、追いかける。
「俺は、サクラさん、あんたと話したいことがある。主に、師匠・・・カエデさんのことだが。それと、稽古の出来る場所を教えてくれ。無暗に刀を出したら、この国では警戒されるだろう」
トラヒコの言葉に、サクラが頷く。
「でしたら、ギルドの道場へご案内いたします。この時間でしたら、稽古をしている者も少ないでしょうから」
飯屋の支払いを済ませこちらに一礼をして去るサクラ。トラヒコもその後に続く。残されたネガは、アオイと2人きりになり、途端に緊張してしまう。試験の後に声を掛けられて、ネガはアオイにときめいていた。今回、ブジンカ国へ来ることになり、密かに期待していたのが、アオイとの再会であった。
「ネガさん、またお話ししたかったんです。会えてよかった」
アオイがそんなことを言ってくれるものだから、ネガの顔は真っ赤になり、耳から湯気が出そうになった。
「お、お、おいらもっす、アオイさんと話したいことが、いっぱいで・・・」
湯呑の茶をぐいっと飲み干し、むせ返るネガであった。
里の目抜き通りには、着物屋や甘味処、工芸品や小物類、土産屋など、他国からの観光客も多く立ち寄る店が並んでいた。シズクが一軒ずつ紹介をしてくれる。ユウヒは目を輝かせながら品を見てまわり、ルナの指さす饅頭を買って食べると、頬が落ちるほど美味かった。
店々の1つ、皿や食器の類が並ぶ店の幟に、「オオヒカリ印」と書かれているのを見かけ、ユウヒは足を止めて首を捻った。どこかで見覚えがある。シズクとルナが、きょとんとした顔でユウヒを見つめていると、「あ!」と突然ユウヒが何かを思い出した。
「このオオヒカリって、人の名前だったりします?」
シズクが頷く。
「由緒正しい、昔から続く名家だよ。かつては名前の後ろにミコトなんて敬称がつけられるくらいだったらしい。なんとかオオヒカリノミコトってね。今はそんな呼び方する人なんていないけど」
「もしかしてそのオオヒカリっていう家系で、20年くらい前に外の国へ行って行方不明になっている人とかいたり・・・しないですか?」
シズクが「ううん」と考え込む。
「どうだろうね。でも、いないんじゃないかな。20年前ならきっと、今よりも国外へ出ることは珍しかっただろうし、名家の出自なら護衛なしということはなかっただろう。ましてや行方不明だなんて、大事件だ。それよりも、国外で名家の名を騙る不届き者もいたらしい。そもそも国外でブジンカの名家がどうだなんて知ったこっちゃないだろうし、得意になっているのは本人のみだっただろうけど・・・」
それを聞いて、ユウヒはやはり、英雄があの世界でチヤホヤされたくて名乗っただけなのだろうと確信を持った。シズクの予想と反して、あの世界では英雄となってしまったために、ありがたい名前として扱われていたけれど。
苦笑するユウヒの服の袖を、ルナが軽く引く。ルナの指さす先には、果実が不思議な色の蜜に浸かった、見るからに甘くて美味そうな甘味が並んでいて、目を輝かせるユウヒの頭はどれを選ぶかで一杯になった。
石段を上っていくと、木々の生い茂る森が前方に広がっていた。
「ここで、薬草や木の実をよく採取するんです。この森を抜けると、もっと大きな森があって、そこには国外の冒険者の方も、よくいらっしゃるんですよ」
ようやく、アオイの言葉が脳に届き始めたネガ。しばらくは、自分が何を話しているのか、そしてアオイが何を話しているのか、ふわふわとした状態でいた。
「そ、そうなんすね。薬師の方は、材料を調達するのも大変っすよね。回復魔法は、室内で勉強して室内で試してって、外に出る必要はないっすから・・・薬師の方は勉強に加えて採取もあるから・・・」
「でも、いい気分転換にはなるんですよ。わたしは、全部頭の中で組み立てていかなければいけない、回復魔法の方が大変そうだって思います」
鳥の巣頭を掻き掻き、下を向いて照れるネガの顔を、のぞき込むようにして笑みをみせるアオイ。
「試験の時の増強魔法だって、凄かったですよ~」
思わず、うひっと笑みが零れて、自分が気持ちの悪い表情になっていないかと慌てて顔を擦るネガ。
「あ、あれ、あの後なんすけど、増強魔法を応用して、減退魔法っていうのを考えてみたっす。薬に対する毒みたいな感じっすかね。実践でも使ってみて、一応は上手くいったっす」
ネガの言葉をアオイがうん、うんと頷いて聞いてくれ、ネガは少しずつ自信が出てきた。しかし。
「うひゃっ」
奇妙な声を上げるネガ。視線の先には、木の陰で着物の胸元をはだける娘が。アオイがそれに気がつき、近寄る。
「失礼します、乱桜会の者ですが~」
アオイが声を掛けると、何やらプロペラのような物がついた、映像や画像を撮影する種類の魔具が、大慌てで飛び去って行った。去り際に、何ブクかの金銭を、娘の方へばら撒いた。娘はそれを拾い集めると、やはり大慌てでその場を去っていった。
「あ、あれは・・・?」
ネガが、困惑した表情でアオイに問う。
「あの魔具は、マクル国のものでしたね。でも、使っているのは別の国かもしれませんけども。ああやって報酬を餌にして、若い娘に撮影を持ちかけるのです。内容は、歌や踊りを要求するもの、ひと時の雑談や食事を魔具越しに要求するもの、そして先程のようないかがわしいもの。その映像は、国を超えて配信されているようです。反響が良ければ、また次回も、そして固定の視聴者がつき・・・と」
アオイの言葉に、ネガは顔をしかめる。
「確かに、視聴する側の需要はあると思うっすけど、娘たちは報酬と引き換えに顔も知られ、下手をしたら住処や名前も知られるっすよね?危ないんじゃないっすか?」
「本当に、その通りです。ネガさんも、そう思われますよね」
アオイの顔が、不意にネガの顔へ急接近し、ネガの心臓は跳ね飛んだ。
「若い娘たちの中には、労働の対価として報酬を貰っているだけだと、その危険性を理解しないまま撮影に応じる者もいるようです。それに、少なくない量の報酬と、それ以上に満たされる承認欲求のせいで、1度応じたら辞めにくいのだそうです。かつてブジンカは、警戒心の強さと誇り高い態度で有名であったのに・・・。それが却って、外の世界についての知識を得る機会を阻害する結果になったのかもしれません。一方で、出入国も随分と緩和され、外国の方の目がブジンカの女に向いたといったところでしょう」
アオイが、メガネをくいっと上げた。
「それで、ギルドの冒険者はそういった現場を見かけたら声を掛けるようにしております。先程逃げていった魔具も、出国する前に捕獲され、中身を確認されることでしょう。しかし、映像が撮影と同時に配信されるような魔具でしたら、先程の娘も既にいくらかは・・・。これがもしも健全な雑談程度の内容で、マクル国の物好きな方々による配信ならまだしも、コルアール国では裏社会への商品として扱われている可能性も囁かれておりますので・・・」
「ブジンカ国が、他の国と積極的に交流しないでいた理由が、なんとなく分かるっすよ」
ネガが俯くと、メガネがズレて、アオイと同じようにくいっと上げた。
「でも、もちろん身体を映したりそれを商品にすることは言語道断っすけど、魔具越しに綺麗な女性と話したり、一緒に食事をしてる気になれたりするのを、喜ぶ人は多いと思うっす。可愛い女性が歌ったり踊ったりして、応援したくなる人もいると思うっす。そして、おいらもそういう気持ちは分からないでもないっす・・・気持ち悪いっすよね・・・」
アオイはネガをじっと見つめ、ふと優しい顔になった。
「なるほど、そういう方々もいらっしゃるかもしれませんね。ようは、扱い方であって、良く扱えば双方に益があり、悪く扱えば被害者が生まれる。薬と毒、増強魔法と減退魔法のようですね」
アオイの言葉に、ネガは「そう、それっすね」と頷いた。
「それに、毒を盛ったり、魔力を減退させたり、はじめからそういう扱いをしようとする輩もいるってことを、知っておく方がいいっすよね」
アオイは真剣な顔でネガの言葉を受け止め、そして感嘆の眼差しとなった。
「やっぱり、ネガさん。試験の時もそうでしたけど、物事の捉え方とか、それを受けての考え方とか、とっても素敵です。もっとお話ししたいです」
ネガの顔はまたまた真っ赤になった。
乱桜会、道場。
サクラの言葉通り、道場内は静まり返っている。一礼をして入るサクラを真似て、トラヒコも入口で頭を下げ、靴を脱いで入った。
「悪いな。わざわざ案内してもらって」
「いえいえ。わたしも、貴方の話に興味津々ですので。姉は、トラヒコさんの師匠になったのですか?」
サクラは、きらきらとした表情になる。トラヒコも、満更でない表情だ。
「まあ、そうなる。あの人、カエデさんは、凄いな。師匠に稽古をつけてもらうようになってから、自分でも分かるほどに力がついている。まるで冒険者になったばかりの頃のように、足りないことがいくつも見つかって、俺はまだまだ強くなる余地があるのだと実感できる」
大きく、嬉しそうに頷くサクラ。
「ああ、それから。1つ聞きたいことがある。シンリュウ、という名前を知らないか?」
トラヒコの問いに、心当たりがありそうな表情で、思い出そうとするサクラ。
「確か、姉からの手紙にその方の御名前が記されていました。姉が武者修行へ旅立って、ニマール国に今も留まっている理由が、その方に並び立つ力を得たいからだと・・・。姉がそこまで言う程の実力者なのだと、印象にありました」
頷く、トラヒコ。そして。
「その、シンリュウという男も、ブジンカ国の出身だそうだ。師匠も同郷の、しかも自分より更に強い者の存在に嬉しくなり、ニマールに居ついたらしい。我らがギルドのメンバーながら、掴みどころのない男なんだ。この際、何か知ることが出来たらと思ったんだが」
しばし、思案していたサクラであったが、はっと何かを思い出したように手を打った。
「ブジンカ国の出身で、それ程の実力者でしたら、きっとこの道場から巣立たれた先輩かと思われます。ブジンカの中でもギルドは数あれど、手前味噌ではありますが、桜乱会に勝るギルドは過去の記録からもございません。もしもここに在籍されていた方なら、ギルドの名簿、出国者一覧の中に御名前がおありかなと」
「それを、見せて頂くことは出来るか?」
トラヒコが尋ねると、サクラは一旦その場を離れ、すぐに道場へと戻ってきた。手には、分厚い帳面が。
「こちら、ご覧ください」
サクラの指さす先には、確かにシンリュウの名が。35年以上も前、15歳で出国している。
「なんだよ、あのおっさん、50過ぎなのか・・・」
それにしては、若く見える方だろう。ギルドの他のおっさん冒険者連中と飲み食いしているところからは全く思い浮かべることはできないが、今なら彼の強さも、少しは想像することが出来る。それでも、何か底知れない、斬りかかったとしてもどうなるのか全く予想がつかない、得体の知れなさがある。
そして、そのシンリュウの名前の隣。どこかで見覚えのある名前に目が留まった。
ヒイラギ。
英雄の手記にあった名前だと気がついたのは、ひとしきりサクラと稽古をして、カエデと特訓中の技について意見をもらい、汗を拭って道場を後にしてからのことだった。




