59.傷を癒して
病室のベッドで目を覚ましたライムは、白いカーテンがはためく度に顔を撫でる光に、手で顔を覆った。何気なく挙げた右腕に痛みが走ったものの、腫れは随分と治まっている。額や鼻が少し痛んだが、顔をしかめる程度で、随分と回復しているのがわかる。
ベッド脇の椅子にネガが座っていて、本を広げながら、こくりこくりと舟をこいでいる。あのCランクの冒険譚から帰還してすぐに、ライムは入院となった。魔力切れであったネガは、ミツカが調合した特性ジュースを3杯飲んで回復した。腕の火傷は、これまたミツカの用意したネバネバの葉を巻かれていた。トラヒコもその隣でジュースを飲み、モカや周囲の職員に状況を説明していた。すぐに、ギルドが手配した救急隊が到着し、夕食時であった広間は騒がしくなったが、担架に乗せられたライムも、そしてネガの応急処置はあったものの腹部に怪我を負ったユウヒも、病院へ搬送された。ギルドから担ぎ出される際、ルンポたち中年冒険者たちが広間の机を寄せて道を作ったり、ハクビとヨモギがでんえんの入口から出てきて見送ってくれたりしていたのが分かった。意識は相変わらずぼんやりとしていたが、そういった状況は分かるくらいの状態だったのだろう。
ネガの広げた本が、音を立てて落ちた。はっと、目を覚ますネガ。腕の火傷は随分と良くなっている。
「おはよう、ネガ」
「ああ、ライム、起きてたっすか。調子はどうっすか?」
「うん。もう、かなり回復したと思う。そろそろ、リハビリも兼ねて訓練がしたいかな」
ライムが身体を起こすと、「もう少しだけ、辛抱して欲しいなあ」と宥める声がした。
「ジームドンク教授、おはようございますっす」
ネガが立ち上がる。ライムも慌てて挨拶し、ジームドンクはにっこりと笑顔を返した。
「ライムくん、君の症状は少し特殊なものだったんだ。僕が直接診るくらいにはね」
そう言うと、ジームドンクはライムの丹田辺りに手をかざした。その手首には、いくつかの宝石のようなもので細工が施された魔具が巻かれている。
「うん。経過は良好。それから、ネガくん。君の回復魔法も見事だったよ。ユウヒさんの腹部の怪我は、放っておいたら命に関わるような傷だったろうけれど、迅速な処置のおかげで予後も良い。ただし、しばらく安静にしていれば、の話だけれどね」
ジームドンクの言葉に、ネガはゆっくりと鳥の巣頭を掻きながら、照れを隠しきれない様子だ。
「さて、ライムくん。君が、武器を使用せずに技を放ったことを聞いたよ。単刀直入に言うと、僕の仮説としては、君が扱ったのはあの本の世界を漂う魔力そのものだ。もともと、体術は魔具、武器を使わずに訓練を行うことも多い戦法だから、自然と魔力を身に纏い技を放つ基礎が出来ているのだと思う。そして、冒険譚の中ではこの世界よりも想像力が溢れている。だからこそ、武器を使わずに技を放つことが出来たのだと。しかし、肝心なのは、冒険譚の中であったとしても、『武器を使わずに技を放つことが出来る』と強く想像出来なければ、実現不可能だということだ。君は、その想像が出来たのだろう?」
ジームドンクはじっと、ライムの目を見据える。しかし、問い詰めているというような表情、口調ではない。あくまでも、純粋な好奇心というような印象だ。
「そう、ですね。僕は、もともと父方の叔母に体術の基礎を叩き込まれました。そのなかで教わった技が、勁弾です。叔母の話では、武器を使わなくても、相手に対して絶大なダメージを与えられると・・・僕は武器を使うようになってから、例えば波動を正拳突きの要領で飛ばしたり、拳に波動を込めて打撃をしたり、そういう攻撃で戦ってきました。でも、勁弾は・・・武器の存在をあまり意識せずに放っていたんです。身体の中に流れる波動、魔力・・・何かこう、エネルギーのようなものが丹田から拳に向かって流れていくようなイメージで。これなら、武器がなくても、少しは相手にダメージを与えられるのではと思って、放ちました。それから、もしかしたら武器がなくたって、魔法が使えたりするのかな、とか・・・」
ライムの言葉に興味深そうに頷いていたジームドンクだが、最後の言葉に少し表情が変わったように見えた。しかし、それはあまりにも一瞬のことだったので、ライムは気のせいだろうと思った。
もしかしたら、ネガが崇拝するジームドンク教授なら、何か知っているかもしれないという期待もあったのだが。
「そうだね、もしかしたら。しかし、この世界で同じように武器を使わず技を放つことが出来るとは、まだ考えない方がいい。君のその、勁弾は、確かに武器を使わずとも高い威力を誇るだろう。それでも、今のところは武器の補助があった方がよさそうだ。それに、本当に武器の補助がいらないくらい、または武器を使う以上の威力の技を放つことが出来たとして、人体への影響は計り知れない。この世界の想像力は、冒険譚の中と比べて、あまりにも少ないからね」
「想像力・・・」
ジームドンクの言葉に、ライムとネガが揃って呟き返した。ジームドンクは、ふふっと笑うと、「それじゃあ、お大事に」と病室を出ていった。
数日後、ライムとユウヒが退院となった。ギルドに戻れば、退院祝いの宴に巻き込まれることだろう。その前に話したいこともあったので、公園に集まろうという話になっていたのだが、トラヒコの強い希望でギルドの図書室に集合となった。案の定、絡んでくるルンポたちをいなして、夕食までには下に降りるからと図書室へ向かった。図書室はまるで、トラヒコが人払いしたかのように、貸し切り状態であった。4人が到着すると同時に、鑑定士室からジャンベがやってくる。
「皆さん、本当に回復されてよかったです」
ジャンベが、胸をなでおろす。
「心配かけて、ごめんね。特に、オロチ山での因縁がある本だったから、ジャンベも気が気じゃなかっただろうし」
ライムの言葉に、大きく頷くジャンベ。
「赤鬼は、倒したんですか?」
「えっと、倒したっていうか・・・あのオロチ山に出た赤鬼自体は、もうおいらたちの敵じゃなかったっす」
ネガの言葉に、ジャンベは顔を輝かせる。
「でも、ね・・・。あんな終わり方になるなんて。終わり方っていうか、うちらが終わらせた後も、物語が続いているなんて。なんか、あの光景が忘れられない・・・」
ユウヒが、顔を覆う。
「まあ、ある意味では発見だ。冒険譚の中の世界は、俺たちが完結をさせた後も続いている。それに、英雄が死んでから俺たちが現れるまでの間にも、月日が流れていた。俺たちは、冒険譚の中に流れる歴史の内の一瞬に、入り込んでいるに過ぎないってことだ。これは、あの英雄の手記を渡す時、モッチさんにも報告しておいた」
トラヒコに、一同が注目する。ライムやユウヒが入院している間に、トラヒコとネガがモッチの研究室を訪ねていたのだ。
「あ、あと、スミの件も含めて、おいらたちが知っていることは、ジャンベにも共有してるっす。マスターからも許可が出たっす」
ネガの言葉に、ジャンベがまた、大きく頷く。
「あの手記は、モッチさんにとってもかなり大きな収穫だったみたいだな。その証拠に、ほら」
トラヒコが、手にしていた袋から、沢山の菓子を取り出す。トラヒコとネガが研究室を出る際に、手当たり次第にデスクの周りからモッチがかき集めたらしい。
「あのモッチさんがっすよ?なんだか表情も、嬉しそうな・・・ちょっと不気味な笑顔だったっすけど・・・」
笑顔を見せ慣れていないモッチの表情が、想像できる。
「まず、手記の内容から、冒険譚の中の登場人物が現実世界へ出るにあたって、少なくとも冒険者の血を引く子どもの代までは可能であるという説が成り立つ。モッチさんとしては、子どもが複数人、例えば3人以上になった時、命のカウントが4を超えるとどうなるのか興味があるようだった。一方で孫の代は、命のカウントがされなくなったことからも、完全に他の登場人物と同じ条件になると想定される」
トラヒコは一旦、ここで言葉を区切る。一同が頷くのを見て、再び口を開いた。
「ちなみに、冒険譚の中で長期間過ごすことについては、モッチさんが既に事例を知っていた。冒険譚の中での1日は、現実世界のおよそ2時間に相当する。過去に、現実世界の時間で約1年間、冒険譚の中で過ごした冒険者がいたようだ。それから、英雄が自害する時に使った『眠るように死ぬ薬』を探したかと聞かれたが・・・すっかり頭になかったな」
軽く情報を挟み、トラヒコは本題とばかりに、声を潜めた。
「モッチさんが引っ掛かった箇所は、俺たちも気になった箇所だった。英雄が与えられた任務について。『プロローグ以前の当該記録抹消について定期確認』、『メイン・ストーリーの探索』だ。ところでお前たち、これらの言葉を聞いたことはあるか?」
顔を見合わせる一同。そして。
「エピローグ、なら」
そう呟くライムを、トラヒコがじっと見つめる。
「モッチさんの仮説は、『プロローグ以前の当該記録』というのは、『この世界で人々が魔具を使用せずに魔法を使っていた痕跡』ではないか、ということだ。こっちなら、お前たちに心当たりはないか?」
トラヒコの言葉に、ユウヒがはっとする。
「うち、ハクビさんに、故郷の島の長老のことを話したんだけど・・・長老は、なんの魔具も使わずに炎を操ることが出来るの。そしたらハクビさん、昔は魔具なんてなくても人は魔法を使えたらしいって。ハクビさんも、嘘か本当かは分からないみたいだったけど」
ライムも静かに頷く。
「僕も、そのことについては聞いたことがある。ハクビさんの言う、昔っていうのは、もしかしたら冒険譚が頻繁に現れるようになる以前のことかもしれない」
トラヒコが、腕を組んで思案する。
「プロローグ、っていうものが冒険譚の始まりだったとする。それ以前は魔法が生身で使えていた。だとしても、何故その事実を隠蔽したいんだ?その指示を出していたとされる、『梟』という存在について、モッチさんは何か知っていそうな気配はあったが、教えてはくれなかった。そもそも、何故冒険譚が現れたら、現実世界で魔法が使えなくなる?」
ネガが、思い出したように口を開く。
「想像力・・・」
一同がネガに注目すると、ネガは慌てて「いや、なんとなくっすよ?」と手を振る。
「おいら、兄者にスミのことを話したんすけど、その時に兄者が、『この世界の想像力が、冒険譚から出現する人間という現象に対して及んでいない』みたいなことを言ったんすよ。そう思うと、魔法を魔具や武器なしで使うことなんかも、想像が及んでいないっすよね。想像できないことは、実現できないっていうか・・・『梟』っていうのは、そういう想像をさせたくなかったりして・・・って思ったっす。それに、この前ジームドンク教授も言ってたっす。『この世界の想像力は、冒険譚の中と比べて、あまりにも少ない』って」
一同、「想像力・・・」とネガの言葉を繰り返す。そして。
「あ、話は変わるんだけど、うちなりに想像してみたんだけどさ、メイン・ストーリーって方の話。もしかして、ジャンベが持ってた冒険譚だったりしない?」
ユウヒの言葉に、トラヒコが溜息をつく。
「あのな、それはここにいる全員が既に気がついていたことだと思うぞ」
ユウヒは言い返そうとしながらも、ジャンベに向き直る。
「あの冒険譚、『7』って書いてあったでしょ?」
「そうですね、書いてありました。でも、全然鑑定できなくって・・・」
「他の鑑定士さんは、なんて?」
「えっと・・・実は、ショウノジンさんから、他の鑑定士には渡さないようにって言われてて・・・。ボクが鑑定しなきゃいけないんだって言われてます。でも、これは前みたいな予想じゃなくて、とは言っても実際に鑑定したわけじゃないんですけど、やっぱりあれはSランクだと思います」
「ギルドに保管されていたSランクの冒険譚の表紙には、特に数字が書かれていたりはなかった。だとすると、メイン・ストーリーはSランクで、尚且つ普通のSランクの冒険譚とは異なる何かということだ。そして、ジャンベ・・・ウボンレイ族が鑑定しなければいけない。『7』ということは、少なくとも『1』から『6』がある可能性が高い」
トラヒコがジャンベをみつめる。
「トラヒコ、僕を育ててくれた親戚、レモン姉さんが書いた論文を読んだんだ。そこにはおそらく、トラヒコも知っている名前が書かれている」
「ハッコ、俺の母親だろう」
ネガとユウヒは驚くが、ライムは「やっぱり、そうだったんだね」と頷く。
「そこには、メイン・ストーリーと、エピローグについての記述が隠されていたんだ。多分、ハッコさんと、レモン姉さんが書いたんだと思う。メイン・ストーリーとエピローグについて知れば、冒険譚そのものの存在理由が分かるのではって内容だった」
図書館の中に、ふわりと提灯が舞い込んできて、明かりを灯した。話し込んでいる間に、外はもう薄暗くなっている。
一同は広間へ向かう。
「そういえばモッチさんが、集めていたデータから、異常な数の冒険譚が密集している地域を特定したらしい。B級以上の冒険者は総出で駆り出されているそうだ。俺たちが冒険から戻った時、ミツカさんはちょうど定期報告にギルドへ戻ってきていたところだったらしい。俺たちは運が良かったな」
確かに、ライムたちが先日冒険譚へ入る少し前から、B級の冒険者たちの姿を見かけなかった。トラヒコが訓練相手を探して苛立っていたことは一同の記憶に新しい。
「お前たちに言っておく。俺たちがさっき話したようなことは、本来なら国家機密レベルの情報だ。ギルドの外ではするんじゃないぞ。検知システムで何を探られるか分からない。まあ、検知するのは膨大な情報量だろうから、俺のようにマークされている奴以外はあまり気にしなくてもいいのかもしれないが、念のためだ」
「ギルドの中ならいいの?」
ユウヒの疑問に、トラヒコが「ああ」と手短に返す。
「まずは、各々、傷が癒えたところで訓練を再開だ。ジャンベも、本拾いに行く予定を決めたいから空いている日を教えろ」
トラヒコの言葉に喜ぶジャンベ。
「そういえば、ライム。新しい武器はどうするっすか?」
ネガの言葉に、ユウヒも振り返る。ライムは少し考えて、答えた。
「みんな、僕、少しだけマクル国に行ってきてもいいかな?」
ライムの言葉に、足を止める一同。
「そうだな。この機会に、他の国で武者修行というのも、いいな」
トラヒコが不敵に笑う。
「もしかしたら、冒険譚についても、他国に行けば新しい発見があるかもっすよ」
ネガがメガネをくいっと上げる。
「え、めっちゃ楽しそう!ワキナ諸島に行くときは、案内するよ!」
ユウヒがはしゃぐと、ジャンベも一緒になってはしゃぐ。
「ボクも、聖地アーケに行く時は案内しますよ!」
階段を降りると、ルンポが一同の姿を見つけて嬉しそうに呼びかけた。ジョッキを運んでいたヨモギがにっこりと笑い、「宴ですね~」とでんえんの暖簾をくぐってゆく。ライムは広間を軽く見渡したが、シンリュウの姿は今日もない。こうして様々な情報を得た今にして思う。シンリュウも、冒険譚の謎について探っているのではないだろうか。かつてS級冒険者と呼ばれたマスターや、ハクビ、ジームドンクも、何かを知っているのではないか。ライムだけでなく、トラヒコ、ユウヒ、ネガもそれぞれに感じるものがあった。ジャンベもまた、自身が何か大きな宿命を背負っているのではないかと、ぼんやりと感じてはいたが、宴の料理が運ばれてきた頃にはすっかり、肉へかぶりつくことで頭が一杯になっていた。




