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58.鬼の首を取ったなら ⑨

 ぽちゃん、ぽちゃん、と王鬼から滴る血が、その下に広がる血だまりに垂れる。相変わらず、王鬼が身を丸めるようにして覆っている「何か」が発する、「きゃっ、きゃっ」という無邪気な笑い声が、静まり返った城内に響く。

 兵士たちは銃を構えたまま油断なく王鬼を取り囲みながら近づき、1人の兵士が銃口で王鬼の頭を突いた。かくん、と力なく揺れる王鬼の首。それを見た兵士たちから、さざ波のように勝鬨の声が広がってゆく。人間たちの勝利が、宣言される。

 兵士のうちの1人が、王鬼の覆い隠す「何か」に向けて銃口を向けるのを、ライムが手を挙げて制す。肩を貸していたネガに頷くと、ライムは身を屈め、王鬼の懐に潜り込んだ。

 赤ん坊だ。

 王鬼の腕の中、腹部へ押し当てるようにして守られていたのは、小さな角を生やした、つぶらな瞳をした、鬼の赤ん坊であった。赤ん坊が、ライムに向かって、腕を伸ばす。その笑顔に、ライムは何故か、涙が浮かんできた。

 ライムは鬼の赤ん坊を抱いて、王鬼の懐から抜け出し、よろよろと立ち上がる。人間たちのざわめき。兵士たちが一斉に銃口を赤ん坊へ向けて構える。

 さらに同じ頃、瓦礫の向こう側から、トウタと、護衛のゴウシの遺体が運ばれてきた。今度の人間たちのざわめきは、悲痛なものだった。

 

 突然、城のどこかが崩れ落ちる音がした。兵士のうちの1人が、窓としてくり抜かれた穴へ向かうと、「こっちへ!」とライムたちへ声をかける。真下には、救助幕が広がっていた。飛び降りても、高さはそれ程でもない。

「もう、これくらいなら、いちいち怖がったりしなくなったっす」

ネガがライムにそう呟くと、はじめに飛び降りた。

「赤ちゃん、うちが」

鬼の赤ん坊を抱くライムの手が震えているのに気がついたユウヒが、手を差し伸べる。ライムの腕はもう、限界を迎えていた。赤ん坊を受け取るとユウヒは、「可愛い」と赤ん坊の額を撫で、優しく抱きかかえると、身体を丸めて救助幕へ飛び降りた。

「あの鬼の赤ん坊は、何を求めるんだ?」

トラヒコがライムの隣に来て、呟く。

「なんだろうね。でも、僕は・・・愛なんじゃないかと思ったよ」

「愛?」

「うん。王鬼は、自分の命への執着から、他者の命を守ろうとする執着を、人間から感じ取ったんだ。だから、あの赤ん坊を守ったんじゃないかな。そして、あの赤ん坊が求めているのは、そうやって身を挺して守ってくれるような、無償の愛。人間だってきっと、そういう無償の愛が欲しいんだ。そしてそれを、与え合っていかないといけないんだと思う。人間が無償の愛を与えたいという執着・・・執着っていうと変だけど、そういう気持ちになれば、あの鬼の赤ん坊だってそれを感じ取って、愛を与えられる存在になれるかもしれない」

ライムの言葉に、トラヒコは鼻で笑った。しかし、あからさまな嘲笑ではないようだった。

「そう、上手くいくといいけどな」

そう言うと、後は黙って、トラヒコもネガとユウヒに続いた。

 ライムは、王鬼を振り返る。あの一時の立ち合いで、王鬼は執着の対象を変えた。もしもそれが、鬼全体へと及ぶものであったなら。人間たちが本当に平和を望んでいれば、たとえ一時だけ復讐や憎しみに執着したとしても、恒常的に平和を願っていたのなら、人間と鬼が共存する道もあったかもしれない。王鬼のように知性が発達すれば、ある程度対話で意思疎通も出来たかもしれない。しかし、もう、遅い。

 兵士たちの大半は、階段を駆け下りて階下へと向かっている。ライムは王鬼の死体をじっと見つめ、振り返ると、救助幕へ向かって飛び降りた。


 城は一斉に、大砲による砲撃を受けた。岩山の一帯を利用して作られた城は、もう城の形を成しておらず、穴だらけ、瓦礫だらけの荒れた岩場と化した。鬼たちの死体も、崩れた城の下敷きになっている。

 その頃にはもう、夜が明け朝日が昇っていた。

 再び、人間たちの勝鬨の声があがる。そして、トウタ、ゴウシの遺体が並べられ、それを取り囲むようにして国中の兵士たちが跪く。ライムたちも、その輪の中に立ち尽くし、英雄の末裔と、その護衛の死を悼んだ。

「末裔様、万歳!!」

兵士たちの、誰からともなく声があがると、それが広がってゆく。その声に、「きゃっ、きゃっ」と声をあげる鬼の赤ん坊。座り込んだユウヒが、膝の上に抱き、赤ん坊を撫でている。

「あ、そういえば。トウタさんの手記、なんとか持って帰りたいっすけど・・・」

ネガが思い出し、そして自分たちのボロボロな状態を振り返り、諦めたように首を振る。しかし。

「これだろう。刀と一緒に、持ってきた」

その場を離れて、海が一望できる開けた場所から戻ってきたトラヒコが、手記を差し出す。

「城に入る前に、隠しておいたっすか?」

ネガの言葉に、トラヒコが頷き、小さな岩と岩の隙間を指さした。

「じゃあ、後は、この赤ん坊をどうするか、だね」

ライムが、ユウヒの横に座り込みながら、なんとか意識を保とうと瞬きを繰り返し、述べる。先程から鈍く痛み続けてきた丹田の辺りから、何もかもが漏れ出ていくような感覚とともに、意識が遠のいてゆく。ネガが慌てて駆け寄り、回復魔法を使おうとするが、ネガの魔力も限界に近づいていた。

「ああ。俺たちは、冒険譚の中のことは、冒険譚の中で終わらせる。だからこの赤ん坊も、あいつら人間に託すか、それともこのまま岩山に置いていくか、どっちかだ」

トラヒコの言葉に、ユウヒは「鬼なら外に連れて行っても・・・」と言いかけて、首を横に振り、「そうだよね。ちゃんとこの世界に任せていかないと」と言い直した。

 「行こう」

ライムが、ふらふらと立ち上がり、人間たちへと視線を向けた。


 痛む身体、朦朧とする意識のライムたちが、人間たちの輪に近づく。トウタの街の兵士たちが、ライムたちを称え、感謝の声をあげる。その中でも、街を防衛するために共に戦った見覚えのある兵士たちの方へと、ライムたちは向かう。

「本当に、ご助力感謝する。あなた方が末裔様と共に戦ってくださったからこそ、人間に勝利がもたらされた。あなた方は、新たな英雄だ」

称賛の声を受け、ライムは頷くと、何事か述べようとするが上手く口が回らない。

「この赤ん坊を、託す。この鬼は、愛に執着している可能性がある。だから、この鬼に愛を与え、人間同士も愛を与え合えば、この鬼は人間を愛することが出来るかもしれない」

トラヒコが、ライムの代弁をする。そして、これでいいだろうと、ライムを振り返り、ライムも頷き返す。ユウヒが、鬼の赤ん坊を、兵士へ渡す。戸惑いながら鬼を受け取る兵士。

「しかし、そんなことが・・・」

「お願い・・・します・・・あとは・・・お任せ・・・」

ライムがなんとかそう述べると、兵士は相変わらず戸惑ったような表情で、頷いた。

「ほんとは、うちらもこんな無責任な任せ方はしたくないんだけど・・・」

ユウヒも、下げた頭を再び持ち上げるだけで身体に痛みが走る。ネガも、腕の火傷が途端に痛み出したか、顔をしかめている。


 突如、周りに文字が浮かび出した。空に、大地に、崩れた城や、兵士たち、そして鬼の赤ん坊から、浮かんだ文字が飛び交った。

 世界が揺れ始めた。いつもの揺れだ。この冒険譚も、完結を迎えようとしている。視界も段々とぼやけていく。

 その時だった。ぼやけた視界の向こうで、鬼の赤ん坊を抱いた兵士から、別の兵士が赤ん坊を取り上げた。足を持ち、高く掲げ、そのまま地面へ。


 ぐちゃり。

 「これで戦争が、終わった!!」

 歓声。


 薄れゆく景色と声、そして感情までもがぼやけてゆく。

 それが徐々に収まってきて・・・。


 「おかえりなさいませ、お疲れさまでした」

モカの声が、やけに遠くから聞こえてくるような気がする。ライムは現実世界に戻ってからも、あの冒険譚から出てくる時のような意識のぼやけ方が、ずっと続いているような感覚になっていた。

 ユウヒが泣きじゃくっているような気がする。きっと、ネガはその横で、茫然としているだろう。トラヒコは・・・。ライムの横で勢いよくトラヒコが立ち上がった。

 今しがた、自分たちが完結させた冒険譚の最後のページを、トラヒコは捲る。そして。

「書いていない。最後は、俺たちが鬼の赤ん坊を兵士に託したところで、終わっている」

うっすらとライムが目を開くと、ギルドの大広間、夕食時なのか大勢が食事を囲んでいる様子が見えた。

「結局、どうすればよかったの・・・」

涙を拭うユウヒ。やはりネガは言葉もなく、俯いている。モカがハンカチをユウヒに差し出し、ライムたちの様子を見て、「すぐに、治療の手配をお願いします」と他のギルド職員へ伝えている。トラヒコが、倒れたまま身体を動かすことの出来ないライムの横に腰を下ろし、冒険譚の最後のページを見せる。

「つまり、俺たちが完結させたと思った冒険譚だが、本の中の世界は完結後も続いているってわけだ」

努めて感情を抑えるような様子で、トラヒコが呟いた。


 愛を求める無邪気な赤ん坊が、無慈悲に地面へと叩きつけられた音。あの音が耳にこびりついて離れない。

 そして、最後の歓声。確かにもう、最後の鬼が死んだ今、人間と鬼との戦争は起こりえない。本当の意味での終戦だ。しかし。

 どうすればよかったのだろうか。何かを間違えたのか。何も間違えなくても悲劇は起こるのか。こんなにも後味の悪い完結は、4人にとって初めてのことであった。

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