42.C級冒険者試験⑧
荒狂竜は唸り声とともに、眼下に並ぶ受験者たちに目を向けた。剥きだした牙の間から、大粒の涎が垂れる。受験者たちは、誰1人として動かない。いや、動けない。はじめに攻撃を仕掛けた者から、あの大顎の餌食になるか、巨大な後脚で踏み潰されるかするのではないか。いや、このまま動かずにいても、あの太く長い尻尾で薙ぎ払われてしまうかもしれない。
トラヒコが、ゆっくりと鞘から刀を抜いた。その微かな音が、受験者たちに勇気を与えた。サクラも両脇差を抜く。荒狂竜が、並ぶ11人を餌として認識したか、首を傾げた後、勢いよく大口を開いて地に向かい食らいついた。一斉に飛び退く受験者たち。その中からトラヒコとサクラが左右に分かれ飛び出し、それぞれの刀身に風を纏わせ、両後脚を切り裂いた。ガキンっという、まるで金属に当たったかのような鈍い音。方向転換するだけで地響きが鳴り、持ち上げられた後脚がトラヒコを踏みつぶそうとする。ライムが、「トラヒコ!!」と叫び勢いよく駆け出すと、装甲を身に付けたナットもその横を並走する。軸となった片方の後脚に、ライムが波動を纏い、ナットは電撃を拳に流すと、同時に殴りつけた。しかしその後脚は微動だにせず、トラヒコは寸でのところで身を躱し、踏み潰されずに済んだ。トラヒコへ駆け寄ろうとしたライムを、後ろに蹴り出された荒狂竜の後脚が襲う。ナットが間一髪でライムの首根っこを掴み引き戻した。心臓が鳴り止まない。礼を言おうとしたライムの顔に水滴がかかる。魔法で編み出された波に乗り、荒狂竜の脇腹目掛けて薙刀を振るうシズクと、炎の玉の群れで同じく顔面を狙うユウヒ。鎧のような鱗が途切れている腹部や、目鼻という急所になり得る部位が固まっている顔面に狙いを定めた攻撃であったが、荒狂竜は巧みに身をよじって躱すと波に飛び込みシズクを丸呑みにしようとする。体勢を崩しながらも水流を操り波から脱するシズク。その水流を切り裂くようにトラヒコとサクラが現れては斬りつけるが、勢いのよい巨大な頭突きに弾き返される。
その図体からは想像出来ない程に、荒狂竜は素早く方向を変えては、地面を掠めるように前脚を振り回したり、身を屈めて食いつこうとしたりする。受験者たちは一瞬も気を抜くことが出来ず、またこのままでは体力も魔力も削がれていくであろうことが想像に固くない。
「月手鞠」
ルナが鞠を放り、落ちてきたそれを両腕で打ち上げると、会場の天井へ向かって吸い込まれるように浮かんでいった。誰もが、荒狂竜でさえも、その鞠に注目した。鞠が高く浮かびきったその時、会場全体が真夜中のように暗くなり、頭上に浮かんだ鞠だけが満月のように仄かに光った。間髪を置かずに、突風と水飛沫が会場を包み、サクラとシズクが技を放ったことが分かった。しかし。
「ルナ!ダメだ、匂いで位置がバレた!」
シズクの叫び声、そして地鳴りのような足音。満月が落下すると同時に、周囲が途端に明るくなる。皆の目に飛び込んできたのは、ルナに向かって一直線に突進する荒狂竜の姿であった。ルナのいつもの無表情が、怯えに変わる。その時。
放たれた濃緑色の弾丸が、駆け出した勢いをもう止められない巨大な後脚に当たると、太く捻れたツタが絡まり、その先が地面に突き刺さる。荒狂竜はつんのめるようにバランスを崩したが、煩わしそうにそれを引きちぎる。立ち止まった荒狂竜。そこに、鞭が空中を打った凄まじい炸裂音と共に、衝撃波が襲いかかる。マティーニとミュールの連携に、僅かだが荒狂竜がよろめき、首をブンブンと振った。
他の受験者たちが一心不乱に荒狂竜へ挑みかかっている状況を、ネガは立ち尽くして見守るしかない。悔しいが、自分が出て行ってもどうしようもないと、理解している。
「おいら・・・この場所に相応しくないっすね・・・」
唇を噛み締める。
「ライム・・・トラヒコ・・・ユウヒ・・・」
観客席では、ジャンベや、応援に来てくれた竜の筆の面々が、自分の情けない姿を見ていることだろう。もういっそのこと、棄権してしまおうか。
ゴリゴリと、何かをすり潰す音。アオイが床に座り、乳棒を使って、乳鉢の中で粉末を混ぜ合わせている。柔和な表情のアオイと、乳棒と乳鉢から溢れる温かな光に、ネガの心も落ち着いてくる。
「薬を調合してるっすか?」
「はい、そうです。皆さんの攻撃、あれでも確実にダメージの蓄積はあると思います。でも、あの巨体を制圧するには途方もなく時間がかかるでしょう。その前に、皆さんの魔力も体力も切れてしまうと思います。それなので・・・」
アオイが乳鉢をネガに差し出す。
「これ・・・もしかして、増強薬っすか?」
「はい。魔力と体力が、一時的ではありますが向上します。増強魔法ほど、爆発的な効果はありませんが、長持ちはするでしょう」
アオイは、少し下がったメガネを直すと、ふふっと笑った。
「回復役の、出番ですね」
ネガは無意識に、アオイの真似をしてメガネを直した。
「おいらは、アオイさんみたいに色々な薬を調合することも出来ないっす。トラヒコみたいに強くないし、ユウヒみたいに明るくないし、ライムみたいに勇気もないっす。みんなに頼ってばっかりで・・・。おいらは・・・」
ネガは、皆の必死の抗戦が続く会場を振り返る。誰も怪我人はいない。それは、一発でも攻撃を喰らえば即致命傷であるからだ。しかし、戦う者たちには疲労がみえる。徐々に、巨大な一撃を躱しながら攻撃に転じることが困難になってくるだろう。何か、ないか。
ふと、ネガは先ほど、ミュールが放った衝撃波が、荒狂竜を僅かではあるものの足止めしたことを思い出す。衝撃波、内蔵のダメージ・・・。ぼんやりと、ネガの脳内でイメージが出来上がる。
「でもあれは、他の受験者たちに頼らないと・・・」
目の前で、荒狂竜が焦れたように尻尾を振り回す。ライムが必死の形相で波動を飛ばし、トラヒコが息を切らしながら刀を振るい、ユウヒが髪を振り乱し魔法陣を展開している。
「頼らないと。頼らないとっす。そうっす、頼るっす」
ぶつぶつと呟き、ネガは、何度か頷いた。
「アオイさん、おいらたち全員の匂いが分からなくなるような薬とか、ないっすか?」
アオイはきょとんとした顔で、ネガを見上げた。
ユウヒは、なるべく魔力を管理しながら炎を操っていたつもりであった。大技を、どうしてもの時に使えるように。もしもその大技が効かなければ、もう諦めよう。そう思っていたのに、想像以上に魔力の消耗が激しく、体中が痛くなってくる。
「へばってるなぁ、お前」
いつの間にか、横にマティーニが来ていた。
「う、うるさい・・・あんたこそ、何マジになってんのよ。コルアール国は、冒険者の級なんて、重視されないんでしょ・・・?」
マティーニは、冷たい顔でユウヒを眺めていたが、突然ニヒッと笑った。
「お前、俺やミュールを、他のコルアールの奴らと同じにすんじゃねえよ」
マティーニの横にミュールも現れる。マティーニが「おい、そろそろもう1発いけるか?」と真剣な顔で囁き、ミュールが頷く。
「なによ、他のコルアール国の受験者とあんたら、何が違うの?」
ちょうど、荒狂竜の攻撃が自分たちから逸れたところで、ユウヒが呼吸を整えながら問う。しかし、マティーニもミュールも、ユウヒの質問に答える気は全くなさそうだ。
「ねえってば!」
「うるせえな、雑魚が」
マティーニが、ユウヒを追い払うように手を振る。ユウヒは思わずそれに抗議しようと口を開きかけ、一旦その言葉を飲み込んで、別の言葉を発した。
「ごめんね!!」
ユウヒから出た言葉に、意外そうな表情で、思わず振り返るマティーニ。遅れて、ミュールもユウヒの顔を見る。
「うち、2次試験が始まる前は、あんたらが全然協力してくれないんじゃないかとか、むしろうちらのこと邪魔してくるんじゃないかとか、そんなふうに思ってた。でも、まあ、あんたらは別にうちらに協力してる気はないかもしれないけど、結果的に一緒に戦ってくれてる。だから、そんなふうに思ってごめんね!」
ユウヒの表情に、嘘はない。しばらくじっとその顔を見つめていたマティーニが、またニヒッと笑った。
「俺らはな、ガキの頃から冒険者になりたかったんだよ」
そう言うと、マティーニはもうユウヒを振り返ることなく、荒狂竜のもとへ駆け出した。ミュールも遅れて、マティーニの後を追う。
「み、み、みんな、聞いて欲しいっす!!」
ネガの、聞いたことがない大声が、会場に響いた。必死の戦いの最中であったが、ライムとトラヒコが荒狂竜から間合いを取り、それを見たナット、サクラ、シズクも続いた。マティーニとミュールは攻撃を仕掛けようとしていたが、状況を判断して中止する。どこからともなく、ユウヒの横にルナが現れる。
荒狂竜もさすがに疲れたか、自身の攻撃範囲外へ身を引いた者たちを追うことはない。アオイが進み出ると、サクラに目配せし、乳鉢から粉末を撒く。サクラが片方の脇差をそれに向けると、粉末が風に乗り会場中へ吹き抜ける。それを何度か続けると、甘い香りが充満し、荒狂竜は会場の真ん中で座り込んだ。
「ルナ、月手鞠をもう1度、お願い」
アオイがそう言うと、ルナが鞠を天井へ打ち上げる。会場はまた真夜中の暗さとなった。しかし、今度は荒狂竜も休憩をしたいのか動く音はせず、さらに甘い香りでこちらの匂いも紛れていることだろう。
ネガの周囲に、他の受験者たちが集合した気配がある。
「ネガ、何かに気がついたんだね」
ライムの囁き声。
「おい、早くしろ、あいつがまた動き出す前に」
トラヒコの囁き声。
「うちら、何すればいい?」
ユウヒの囁き声。
他の受験者たちも、耳を澄ませているのだろう。
「おいらの計画、聞いて欲しいっす」




